アートタグをつけたけれど、この本は、写真という表現が、アートとも報道ともいえる(あるいはいえない)ものであることを示す*1。
カルティエ・ブレッソン、ドアノー、アジェといった写真家は、テレビ東京の『美の巨人たち』で見たことがあって知っていた。
中平琢馬は、授業で少し見たことがある。
大戦間期ヨーロッパで成立したフォトジャーナリズムを巡る、写真史の本である。
19世紀後半は、ピクトリアリズムという絵画のような写真が撮られていたのだが、それがモダニズム的な技法へと切り替わる*2。
著者は、モダニズム的な技法、シュルレアリスム的な美学、フォトジャーナリズム的な流通の3点の特徴をもってして、大戦間期の「パリ写真」というものを定義する。
「パリ写真」とは、カルティエ・ブレッソンやドアノーのように、パリの風景や人々を撮った写真のことである。アジェは、フォトジャーナリズム的なものの成立の前の人なので、微妙に入らない。また、初期のマン・レイなども含まれるらしい*3。
フォトジャーナリズムは、小型カメラの開発、グラフ誌の創刊、外国人カメラマンの活躍によって成立する。
小型カメラ、すなわちライカと、グラフ誌は、ドイツが発祥で、1930年代にフランスや日本などでも同時多発的に創刊される。
また、フランスにおいては、反ユダヤ主義を逃れてパリに亡命してきた、中央ヨーロッパ*4出身の外国人カメラマンが活躍する。当時、カメラマンの地位はまだ低く、それ故、逆に亡命者や女性が活躍できたのだ。女性カメラマンのクルルの写真が、結構面白い*5。
ドキュメントとドキュメンタリーの違いも説明される。
ドキュメントというのは、まさに記録写真のことであり、ドキュメンタリーというのはそういったスタイルを使った作品ということになる。
ここにドキュメンタリー芸術という言葉が生まれてくる。
そもそも、当時のグラフ誌においても、演出された、いわば「やらせ」の写真というのは結構掲載されていたらしい。
ここらへんで、アートか芸術かといった区別は失効していく。
これは、映画なんかでもおそらく同じで、ドキュメンタリー映画と前衛芸術映画というのは、もともとは同じものだったりする*6。これもまた、大戦間期の出来事だ。
ブラッサイの椅子の写真かっこいいなあ。
また、誰が作者か、という話も出てくる。
そもそも写真は、カメラマンだけで作られるものではなく、プリント職人も関わる。
彼らは、自分たちのことを現代の版画師をもって自認しているらしい。
それだけではなく、フォトジャーナリズムにおいては、雑誌の編集者やライターが何人も関わる。
この関わり方を、本書は丁寧に追っている。
選定やテーマ設定、キャプションやテキスト、配列など、多くのところで、カメラマン以外の手が関係している。
ここでは、ユージン・スミスの例が挙げられている。
そうした様々な手によって、自らの意図が書き換えられているのを嫌がるカメラマンは、写真集を作ることによって、自分自身の意図に沿った作品を作り上げようとする。
ここでは、特に「パリ写真」の、クルルやブラッサイらの写真集が紹介されていく。
実物がみれたらなーと思った。この今橋さんという人の授業をとれたら、見れるのかな。
個々の写真家が、写真だけでなく、写真集の装丁や編集を通して、色々な写真への考え方を示していることが解説されていくのが、なかなか面白かった。
写真とは加工されるべきではない、というのがカルティエ・ブレッソンのいわばテーゼとして、それ以後の写真の見方のようなものを規定していくことになるのだが、それはまた、彼がフォトジャーナリズムの流通システムの中で、自分の意図を守ろうとした結果であり、一方で、多くの写真家が、彼のそのようなテーゼを批判するような作品の作り方もしている。
最後では、カルティエ・ブレッソンの写真にはオリエンタリズムが潜んではいないか。
報道写真に潜むヒューマニズムという価値観は、しかし普遍的なものではなく西欧的なものではないか。
あるいは、問題を抽象化させてはしまいか、というソンダクによるサルカド批判。
また、表象不可能性の問題などが取り上げられて、写真と倫理の関係が問われていくことになる。
ここらへんも、なかなか読み甲斐があるパートではある。
どうでもいいっちゃどうでもいいが、この作者、脱構築という言葉を濫用しているような気がした。
<追記>
ブクマコメントで「それは胡散臭い」と言われていたので、ちょっと言い方を変える。
濫用というよりも、「(二項対立が)失効する」程度の意味で使われている。全然関係ない文脈とかでは使われたりはしていない。「脱構築」って語を使ってもいいけど、使わなくてもよかったんじゃないの程度。
id:klovに借りて読んだ。
彼の感想はこちら。
彼と僕とでは、同じ本を読んでも注目しているところが違う*7ので、彼の感想も参考にすると、この本がどういう本かもっと分かってくると思う。
彼は、やはりリテラシーという部分に注目しているが(またこの本自体、そこを強調しながら進むのだが)、僕としては、大戦間期の写真史として読んだ。大戦間期、好きだし。写真のことはほとんど知らないし。
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