佐藤翔『図書館を学問する』 - logical cypher scape2に引き続き、友人である佐藤翔(みんつー)の単著
「教養としての」をタイトルに冠する本、初めて読んだかも
っていうか『教養としての査読』って改めてすごいタイトルだな
教養としての……査読?
あと、友人が「教養としての」本を書くことになるとも、思ってもみなかった。
それはそれとして、タイトルにある通り査読制度についての本
研究結果を学術論文などを通して研究者の中で情報共有していく仕組みのことを「学術情報流通」「学術コミュニケーション」などと呼んだりするらしいが、このあたりについての研究が、みんつーの専門なのかなあー、というイメージを個人的には持っている
なので、以前の本を読んだ際は、公共図書館がテーマということで、「そんなこともやってたのかー」というのが第一印象だったのに対して、こちらの本についてはむしろ「本業の本がでてきたな」という印象がある。実態は知らんけど。
(ところで、この本の内容自体はもともと『企業会計』という雑誌での連載がもとになっているという。これもまた、え、なんで図書館情報学研究者の連載がそんな雑誌に載ることになったの? という感じだが*1 )
僕個人は、研究者ではないので、学術論文を書くことはなく、当然、投稿したり査読を受けたりという経験も基本的にはない*2。
というわけで、完全に学術情報流通の部外者ではあるのだが、科学や学術には一応興味関心を持っている立場の人間で、そういう意味では、上の方でタイトルにツッコミを入れてしまったが、あくまでも「教養として」査読制度について知りたい、というタイプの読者ではある。
そういう部外者にとっても、読みやすい内容となっている。
僕は、相対的には科学・学術に興味があるので、ここにあげられているトピック自体は聞いたことがあるものが多い(プレプリント・サーバとか、ハゲタカ出版とか、学術誌の価格高騰とオープン・アクセスとか)。
しかし、詳しいことは知らなかったし、その歴史的背景ともなるといっそう初めて読む話ばかりで、面白かった。
第1章 査読はなぜ生まれたのか
学術雑誌と査読の歴史
昔は、学者同士が手紙でお互いの成果について情報交換していたけれど、それだと大変なわけで、雑誌が誕生する。
で、次第に掲載する論文が増えていって、さらに専門に応じて細分化していって、という中で、編集者だけでは掲載の可否を決めるのが大変になっていって、専門家に依頼する仕組みができはじめる。
しかし、査読が定着したのって意外と最近のことなのだなあ、と
当初は、査読が始まってもそれは一部の論文に限られていて、アインシュタインが自分の論文を査読に回されて怒った、というエピソードがあったりするらしい。
戦後、「科学の指数的増大」が起こる
研究者や予算が増え、何より発表される論文の数が激増し、アメリカを中心に査読制度が定着する
査読を行う名目として、研究のよしあしは近い分野の研究者が一番よくわかる、というのがあるが、これはもともと、予算配分の際の政治介入を避けるために持ち出された理屈だったらしい。
(もともと査読は、レフェリーとも呼ばれていたけれど、こういう理屈がついてきたことでピア・レビューと呼ばれるようになっていったらしい)
査読は、科学者自身からは必要だと評価されている制度だが、実際に役割を果たしているのか
査読による効果ってどれくらいあるのか、ということだが、これについては、決してないわけではないけれど、すごくあるわけでもない、というなんともいえないものだった気がする。
ところで、「スチームパンク分野で有名なチャールズ・バベッジ」という一節が……
いや、確かにそうだが、いいのかその紹介で
第2章 時間がかかりすぎる:査読の問題①
第2章以降は、査読の問題とされるものと、それをどのように解決するかの試みが順に紹介されていく。
2章は、査読に時間かかりすぎる問題だが、この問題の原因は、査読してくれる人がなかなか見つからないというところが大きく、そのことについては3章で扱われる。
2章ではまず、査読者が見つかった後の話
大抵の査読者は、〆切をちゃんと守るが、まあ一部に守らない人もいるよね、という話で、査読を有償化したらどうなるか、という実験が紹介されている
そもそも、査読に時間がかかると何が問題なのか
というと、研究結果が公表されるまでに時間がかかるというのが問題で、先を超されてしまったり、あるいは、ほかの研究者がその研究結果を知っていればさらに次の研究に進めるのに、そこが停滞してしまうのではないか、という問題がある。
そこで、査読が通って雑誌に掲載される前に、それを他の研究者に公開してしまおう、というのがプレプリント
プレプリントってarXivとかのプレプリント・サーバで知っていたけど、元々は本当に印刷して手紙をやりとりする、ということをやっていたとは知らなかった。
それがインターネットの誕生でオンライン化できたのがプレプリント・サーバ
しかし、これも当初は、もともとプレプリントの文化があった分野でのみ広がり、ほかの分野ではなかなか定着しなかった、とか
例えば、医学分野は査読前の論文が公開されることに慎重だった、とか(それはそう、という気はする)。
arXivって元々コーネル大学で運営されていたのかー
ただ、特定の大学の予算で運営できるものではなくなってきたので、今は、利用者からお金をとっている。日本の大学・研究機関もコンソーシアムを作って利用料払ってるよー、と。
プレプリント・サーバだってタダじゃないので、そこらへんがなかなか大変だよ、という話
第3章 査読者が見つからない:査読の問題②
第2章でも触れられた、査読者見つけられない問題。
査読をするのもまた研究者、つまり論文投稿者でもある。
論文の投稿数に対してどれくらい査読を引き受けているか、という比率を見ていくと、欧米中心で、中印の研究者について査読実施数が少ない(なお、日本は比較的多めで、断れない人が多いのだろうというようなコメントがされている)
で、これは別に、中印の研究者が査読をサボっているわけではない
そもそも査読者をどうやって見つけるかというと、編集委員が自分の知り合いをたどって見つけていくか、業績の知られている研究者の中から見つけていくかする。
主要な学術雑誌は今でも欧米中心だし、編集委員も欧米中心となるので、そこから査読が依頼される研究者も欧米に偏る、ということである。
筆者は、今後、この偏りは解消されていくのではないかとしている。
査読というのは、雑誌に掲載するか否かを決めるために行っている
リジェクトされた研究者は、同じ論文を別の雑誌へと投稿する。
すると、その雑誌でも査読が必要になり、査読者探しが始まる
同じ論文に対しても何度も何度も査読を行うことになり、これがまた査読に時間がかかる要因になる。
で、査読結果を持ち越せればいいのではないか、というアイデアが出てくる
査読は、論文の妥当性などへのコメントをつけるが、雑誌への掲載可否の判断はあくまでも雑誌の編集委員が決める。査読結果が同じであったとしても、雑誌の編集方針によっては、掲載可否の判断は変わりうる。
上位の雑誌は掲載判断が厳しいが、下位の雑誌になると、同じ内容でも掲載できたりする。
同じ出版者の中で、上位雑誌に蹴られた論文を、査読結果とともに下位に回す仕組み=カスケード査読
別の出版者の雑誌にも査読結果を持って行ける仕組み=ポータブル査読
査読ってボランティアで行われている上に、査読したことに対しての評価は行われていない。
査読者本人にとってのメリットがない
→査読自体を業績化できればいいんじゃないか、という試みもあった→が、うまくいってない
誰が査読したかとかって基本的にクローズにされていて、しかし、査読を業績にするためにはそれをオープンにする必要があり……っていうあたりであんまりうまくいかないようだ。
査読が、科学研究のクオリティを担保する仕組みだとして、その仕組み、じゃあどうやって安定して回していくのか、というところで、なかなかなかなか(金にも業績にもならんわけだから、善意にだけ頼ってやっているんだな、というのが)
第4章 バイアスが入る:査読の問題③
- 確証バイアス
自分と同じ考えを正しいと思ってしまうバイアスだが、動物体系学(分岐分類学、進化分類学、表形分類学の各派で争ってる)ではバイアス弱いという結果
これは、雑誌の採択率の高さによるのではないか、と(投稿される論文が安定している。採択率が低い雑誌は、修正前提で投稿されたりする。そうすると査読も雑になったりするとか)
最初、そこはガチで対立してるから、逆に気使ってるのかな、とか思ってしまった。
- 保守主義
- 学際研究へのバイアス
- 出版バイアス
仮説が否定されたとか、有意な差が出なかったとか、そういう結論の研究はそもそも論文にならないがち、論文になっても査読で弾かれがちっていうバイアス
ダブル・ブラインドが有効なんじゃないの、と思うけど、実際にはさほど効果がないらしい
というか、読んでいると筆者が誰かはわりとわかっちゃうらしいし、プレプリントがあると検索してそのものズバリ見つかってしまうとか。
あと、ブラインドしてもしなくても査読結果そんなに変わらないという話
ダブル・ブラインド査読は人文系ではわりと広まっているけれど、理工系ではそうでもないらしい
第5章 査読における「不正」:査読の問題④
- パクり/ゴーストライティング/粗製乱造・コピペ
査読する人による不正
後者2つは、査読コメントは基本的に公開されないがゆえに起こる
- ハゲタカ
査読あり雑誌を謳いながら、実は査読しないで何でも載せるとかそういう。
オープンアクセス誌は、読者からではなく投稿者から掲載料をとるというビジネスモデルなので、とにかく投稿者を集めればいい、となってしまう。
ところで、ハゲタカ出版のハゲタカという言葉、英語ではpredatoryのところ、日本語訳として採用された言葉で、この言葉のチョイスには批判もあるらしい。
さて、筆者はハゲタカ出版について、単に「粗悪」なだけのものと「邪悪」なものを区別している。
前者は、拙速に雑誌を立ち上げようとして結果として査読プロセスが疎かになってしまった雑誌で、これらの雑誌の中には、後日、体制を整えてちゃんと査読をやるようになった雑誌もあるらしい。
一方、後者はそうではなくて、意図的にやっている、詐欺的な雑誌である。
ところで、こうしたハゲタカ出版についていうと、創刊当初は投稿者を集められるとしても、結局悪い評判がたてば誰も投稿しなくなるのではないか、と思われていたが、実際にはそうはなっていない。
実のところ、投稿者側もこれを利用しているという側面があるらしい。
ハゲタカ出版の主要な顧客は、発展途上国の研究者たちで、業績として国際誌への投稿を求められていて、かつ、それを求めている評価側が雑誌の見極めができていない、というところで、ハゲタカ出版についての需要と供給の一致があるらしい
実際、ハゲタカ出版の所在地は発展途上国であることが多く、本来は、そうした国の中で閉じてる市場なのだが、「国際誌」を標榜せざるをえないがゆえに、時々、欧米の研究者が「被害者」としてひっかかってしまうだけなのでは、という見方が書かれている。
だからいい、という話でもないとは思うが、投稿者側がわかった上でそういう雑誌に投稿しているなら、まあ詐欺というわけではないでしょ、ということか
- 査読ハック,査読リング
査読者と執筆者の間につながりがあって、査読を執筆者自身に書かせるとか、執筆者に有利な査読を書くとか、そういう奴
査読者推薦制度というのがあって、これは、編集委員では当該領域の専門家が見つけられないとか、あるいは査読頼もうとした人と執筆者の間に利益相反があるとかいうときに、執筆者自身に査読者を推薦してもらう仕組みだが、まあ、完全に善意に頼ってるからハックされるとそりゃあね、という奴。
組織的に互助会みたいなのをつくると査読リングになる
発覚しにくいタイプの不正
- 論文工場
著者枠の販売とかやってる闇業者があるらしい。その研究に何も参加していないんだけど、お金払って、著者名に入れてもらうという……
筆者を追加する変更とかだと、ノーチェックの雑誌があるので、そういうことが可能になるらしい。
で、単に著者枠売るだけでなく、執筆そのものを代行するというものもある。
データとか文章とか使い回して、大量に論文を作っているらしい。
ちゃんと査読されると当然バレるので、ハゲタカとか査読の緩い雑誌とかに投稿するのだが、それだと高値で売れないから、もう少しちゃんとした雑誌に投稿する場合は、査読ハックとかが行われたりする。
本書の中では特に書かれていなかったが、LLM使えばもっと大量に論文作成できてしまうよなあ
というか、実際、そういうことが起きていて査読が崩壊しつつある、という話を見た覚えがあるが……。
第6章 掲載誌が高すぎる:査読の問題⑤
学術雑誌の価格高騰というのはずっと以前からいわれている話
電子ジャーナルのいわゆる「サブスク」化でいったんおさえられたが、再び高騰はすすんでいる、と。
それへの対抗措置がオープンアクセスで、研究助成とかの条件でオープンアクセスへの義務化を施すなどして、オープンアクセスへの移行を進めようとしている
オープンアクセスには、学術雑誌の出版者が発行しているオープンアクセス雑誌と、研究者自身が研究機関のサーバとかで自分で公開するというのの、両方を指す言葉らしいが、
前者の場合、お金を払うのが、読者から投稿者へ移りはしたけど、結局、読者=投稿者=研究者であって、どっちの場合もそのお金を払うのは大学・研究機関なので、結局、そこまで出費を抑えられるわけではないのではないか感ある。
で、出版者側があの手この手で手数料とろうとしてくる話がいろいろ書かれている章だった、と思う。
第7章 査読の問題を解決する試み
査読にまつわる問題については、査読がクローズドなことによって生じているところがあるので、解決策として、オープンにする、というのがある
ところで、そのオープンってどういう意味でのオープンなのか、というところでいろいろな種類のオープンがあって、色々分類して、具体的にどのような試みがなされているか紹介している
それから、AI(LLM)に査読やらせてもいいんじゃないか、という話も当然あって、そういう試みもなされているらしい。
まあこれはこれで、それなりにあり、というところらしい。
あと、査読付きプレプリントというのもある。
プレプリントで公開されている論文に査読してもらって、査読コメントもそのまま公開する
ライフサイクルという名前の雑誌がそれをやっていて、ここでいうライフサイクルは研究分野の名前ではなく、研究プロセスのライフサイクルのことを指しているらしい
あとがきにおいて、査読にまつわる問題をなくす究極の方法として、論文を書かない、というものがあげられている。
査読の問題が生じる原因は、論文数が増大していることにあるので、論文がなくなれば解決ということである
まあもちろん実際にはそうならないわけだが、その上、いまや生成AIもあるもんだから、こんなものでは済まないくらい増えているのだろう。
本書では、上に書いたとおり、AIによる査読については書かれているが、AIによる論文作成については触れられていない。
今や、研究者もAIに論文を読ませて要約とかさせているわけだから、論文をAIが書き、AIが査読し、AIが読むという時代もやってくるのかもしれない。
まあ、それによって研究の質が担保されるのであれば、それはそれで別にかまわんっていうこともあるだろうけれど
追記
こんな記事を見かけたので
論文を書くAI、査読するAI: それでも私たちは研究を信頼できるのか ―JSAI2026企画セッション「生成AI・プレプリント時代における研究成果公開の再設計」に向けて|一般社団法人 情報科学技術協会(INFOSTA)
査読は「ほぼ破綻」している――生成AI時代の研究成果公開を、もう一度設計し直す:JSAI2026 企画セッション「生成AI・プレプリント時代における研究成果公開の再設計」開催報告|一般社団法人 情報科学技術協会(INFOSTA)
*1:試しに今月の『企業会計』の目次をwebで確認してみたところみんつー以外の連載は「行動経済学で考える偉人の選択」「経理担当者のための「Excel × AI」講座」「そこが知りたい! 暗号資産をめぐる会計Q&A」「事業成長に効く! サブスク会計学とFP&A」「戦前日本における減価償却の誕生」「会計時評」である。いや、どう考えてもみんつーだけ浮いているでしょ、これは?!
*2:基本的には、と書いたのは、『フィルカル』への投稿論文が1編あるから。『フィルカル』は査読あり雑誌だが、僕が投稿した当時はまだ査読制度が整っていなかったのではないかと思う。編集委員の方からのコメントはもらったが、査読は受けていなかったと思う
