予測誤差最小化理論(ないし自由エネルギー原理)の一般向け解説書
やや特殊なのは、筆者が哲学者であること(翻訳者もほとんとが哲学者)で、心の哲学や知覚の哲学での議論と、予測誤差最小化理論との関係が論じられている点が特徴的かもしれない。
個人的には、哲学者が書いてある方が水が合うような気がした。
意識研究に関する本を読んでいる中で、この本もリストアップしたのだけど、予測誤差最小化や自由エネルギー原理については、以前から入門書は読んでいるから、まあこれはいいか、と当初は思っていた。
ただ、グローバル・ニューロナル・ワークスペースに肯定的に触れているということに気づいたので、そこだけ読んでみることにした。
のだが、読んでいるうちにほかの章も気になり始めたので、特に気になる章を拾い読みしていった。
本当はもう少ししっかり読んだ方がよい本だったかも。
全3部・12章構成となっており、そのうち、第1部は読んでいない。
第2部の第6章(認知的侵入可能性)、第8章(誤表象)、第3部の第9章(注意と意識)、第10章(意識の統一性)、第11章(知覚の間接性・直接性)、第12章(情動、内観、私秘性、自己)を読んだ。
グローバル・ワークスペースが出てくるのは第10章である。
認知的侵入可能性や誤表象の話をしているのは、哲学者っぽいところである。
予測誤差最小化の枠組みを、従来的な心の哲学などの議論に適用させてみると、みたいな話が結構ある。
結構、独特な主張をしてそうなところも多いかな、という感じで面白い。
日本語版への序文
序 文
イントロダクション
議論のあらまし
計 画
背 景
本書について第1部 メカニズム
第1章 因果推論としての知覚
知覚推論に対する制約
知覚とベイズの規則
知覚推論と両眼視野闘争
脳はいかにしてベイズを知るのか?
推論から知覚の主観的な現れへ
因果的規則性の階層
知覚的変化と不変
階層レベル間のメッセージのやり取り
階層的推論における追加の制約
ベイズの規則について
まとめ 階層的神経推論メカニズム第2章 予測誤差最小化
統計による例示
外界との関係を考え直す
外界という教師
より深い視点
認識とモデルの逆転
まとめ 予測における知覚第3章 予測誤差・文脈・精度
文脈と不確実性
ダムの水漏れをふさぐ
予期される精度
精度と予測誤差ゲイン
基本メカニズムについての様々な話題
まとめ 受動的な知覚者?第4章 行為と予期される経験
知覚における行為推論
行為者をモデル化すること、そして行為すること
驚きを制限すること
行為推論における様々な話題
予測誤差最小化の諸課題
まとめ 心を理解するためのツールを準備する第2部 外 界
第5章 結びつけは推論である
結びつけ問題と因果推論
ベイズ的説明への最初の立論
共通原因から感覚の結びつけへ
結びつけ・注意・精度
まとめ 誤差最小化における結びつけ第6章 見ることは予測すること?
認知的侵入可能性――最初の一歩
不確実性が増していく状況下での認知的侵入可能性
認知的侵入不可能性の余地を残す
認知的侵入可能性の候補となる事例
まとめ バランスのとれた認知的侵入可能性の概念第7章 不安定な予測
知覚と誤知覚の間のトレードオフ
正確さとノイズ
精度・サンプリング・事前信念
現実検討
知覚の法廷
精神疾患と予測誤差
妄想と予期される精度
自閉症と予期される精度
受動的な推論と能動的な行為推論との間のバランスをとる
まとめ 病と健康に関わる予測誤差の失敗第8章 驚きと誤表象
予測誤差最小化の失敗としての誤知覚
誤知覚と規則遵守
階層的な提示様式
ベイズの部屋にて
まとめ 表象のメカニズム第3部 心
第9章 精度・注意・意識
心のサーチライトから精度予期へ
ノイズと不確実性の学習パターン
注意における予期される精度のパターン
行為推論としての意志的注意
低いゲインと低い事前確率としての不注意盲
内発的および外発的注意
注意と意識的な知覚
まとめ 注意と意識の統計的な側面第10章 行為における知覚的統一
因果推論から意識へ?
知覚的統一
統一、そしてグローバル神経ワークスペースの発火
発火・行為推論・統一
行為に基づく統一と間接性
まとめ 統一と外界からの因果的隔離第11章 壊れやすい自然の鏡
真理の追跡か、誤差の最小化へのたんなる偏愛か?
知覚は間接的なのか
ベイズ的な身体
壊れやすさ・内部性・状況性
まとめ 不安と安心が入り混じる知覚関係?第12章 予測する心の中へ
情動と身体感覚
内観は心的原因についての推論である
相互作用する私秘的な心
感覚の軌跡としての自己
まとめ 確率論的で因果的な心結びにかえて 予測における心
監訳者解説
注
参考文献
事項索引
人名索引
イントロダクション
予測誤差最小化理論に至る道筋としていろいろな人の名前があがっている。
最古として、イブン・アル=ハイサムだが、
まあ、やはり源流はヘルムホルツ
ニュールック心理学を経由して、ウルリク・ナイサー、アーヴィン・ロック、リチャード・グレゴリーだったり、ラオ、バラード、マムフォード、ダヤン、ヒントンなどの名前が連なる。
グレゴリーは以前、少しだけ読んだことがある。リチャード・グレゴリー『脳と視覚――グレゴリーの視覚心理学』(一部) - logical cypher scape2
ラオやヒントンの名前はよく見かける。
それから、クリス・フリスの本のこともあがっていた。クリス・フリス『心をつくる――脳が生み出す心の世界』 - logical cypher scape2
因果についての話も関係するよってことで、ヒュームやウッドワードの名前が少し
哲学周りとして、以下の名前。
ドレツキ
クリス・エリアスミス、マリアス・アッシャー
アンディ・クラーク
ハンス・ライヘンバッハ、エリオット・ソーバー
第6章 見ることは予測すること?
認知的侵入可能性と不可能性について
予測誤差最小化は、そのどちらも論証することができる。
つまり、トップダウンの予測によって知覚が影響されるのだから、それは認知的侵入可能性だ、という論と
予測誤差を最小化させるということは、入力信号に沿う必要があるんだから、認知的侵入は不可能、という論
筆者は、予測誤差最小化はどちらも説明できるし、どういうときに認知的侵入が起きるのかを説明できる、としている。
つまり、不確実性が増加する場合に認知的侵入可能性が生じるのではないか、と。
しかし、ミュラー・リヤー錯視のような、認知的侵入不可能な事例はどうなのか。
これは、より低次なレベルで予測誤差が解消していて、より高次なレベル(つまり、本当は同じ長さだという信念)からの介入を受け付けなくなっているのではないか、と。
筆者はこのあと、1~2歳児の「寸法錯誤」や、アヒル-ウサギ図形のような双安定図形などの例を挙げながら、認知的侵入可能性かもしれない例を検討している。
ただ、ここらへん、筆者は多分、認知的侵入可能性なんじゃないかと思うけど、認知的侵入可能性だと断言するのは難しい、みたいなことをいっている。
第8章 驚きと誤表象
- 表象のaboutnessについて
因果関係として説明するか
適合ないし記述として説明するか
2つの考え方があって、予測誤差最小化理論は前者っぽいけど、ここでは後者の要素もあるとして説明するよ、的な前振り
誤表象と正しい表象
誤表象は誤表象で、予測誤差を最小化している。では「正しい表象」はどうして「正しい」のか。
「正しい表象」は、長期的に平均的な予測誤差を最小化しているから。
ほとんどの知覚推論には誤りが含まれると予期すべきだし、大部分は何らかの真理が含まれると予期すべき。
誤知覚は、中間レベルの推論での誤りのことが多い
犬を羊と誤表象してしまう
毛皮の色という低レベルの推論や、四つ足の動物であるという高レベルの推論はあっていて、中間レベルの推論で誤っている
正しい知覚は、過剰に一般的なモデル(これは四つ足の動物だ)と過剰に特殊なモデル(灰色がかった毛皮をしている)の間でバランスするもの
中間レベル表象を強調する意識理論(ジャッケンドフやプリンツとか)との整合
- ルールに従う
「規範遵守」と訳されていて、目次を眺めていた際、何の話だろうかなあと思っていたが、なんとウィトゲンシュタイン(およびクリプキ)の「ルールに従う」の話だった。
何故、羊という知覚は誤りで、犬というべきなのか
予測誤差を最小化するからである。
予測誤差を最小化せよ、というルールに従っているから、ともいえるが、ここにルールに従う問題がでてくる
何故、そのルールに従うべきなのか。
この問題に対して、筆者は自由エネルギーを持ち出すことによって答えようと試みる。
予測誤差最小化=自由エネルギー最小化だが、自由エネルギーの最小化とは、エントロピー無秩序から自己を隔離すること。熱的死に屈しないこと
私が存在することこそ、ルールに従うことだ、とも述べている。
筆者は、これで本当にウィトゲンシュタイン(ないしクリプキ)の問題が解決できたかは議論が分かれるところだろう、としているが、ルールに従うの自然主義的解決、というかなり面白い提案であるとは思う。
- 階層的な提示様式
表象の因果説と記述説
予測誤差最小化によってこの2つの説を結びつける
知覚推論は、因果説っぽいが、知覚の階層を記述の提示様式と捉えることもできる、と
確定記述=階層的な予測誤差最小化の仮説
短い時間スケールの規則性による低レベルで可変的な性質、中間レベルの性質、長期的な規則性をもつ高レベルな性質、という階層
選ばれた仮説(提示様式)が一意的に満たされるかを感覚入力によって明かされる(外界との接触がある)
フランク・ジャクソンの意識についての表象主義の用語
意識的表象の5つの必要条件
→予測誤差最小化の枠組みもこれを満たす
(1)意識的表象は豊かである:低レベルの階層で表象される、一人称視点からの知覚表象
(2)意識的表象は絡み合うような仕方で豊かであう:高度に階層化された知覚推論
(3)意識的表象は直接的:知覚は感覚入力に問いかける予測モデルに基づく
(4)意識内容の中には因果的要素がある:予測誤差への反応・行為と知覚
(5)感覚経験は、主体の事後信念状態が、事前信念状態と感覚経験の組み合わせにどう付随するかについて機能役割を果たす:知覚のベイズ的アプローチ
この章の最後では中国語の部屋の話もしている。
第9章 精度・注意・意識
注意の特徴として、ジェームズによる記述のほか、ヴァン・ボクステル、土谷、コッホによる特徴付けを引用していた。
注意と意識はかい離している、ということ。
注意の向いていない意識、というのは理論上はありうる。もし世界にノイズがなければ。
世界にはノイズと不確定性がある
→サンプルのばらつきを推定する必要
→精度を考慮する必要がある
知覚推論には、予測誤差にかんする一階の統計的推論(平均の推定)と予測誤差の制度に関する二階の統計的推論(分散の推定)とがある。
注意=予期される精度の最適化
意識的知覚の特性として、
「結びつけ、侵入可能性、現実検討、錯覚、諸要素が絡み合った豊かな経験、一人称の視点」
をあげている。
そして、これらについては、既にこれまでの章で取り上げ、予測誤差最小化理論の枠組みで説明可能だ、と。
ただし、その説明は、意識的な状態の記述であり、なぜ現象的なのかの理由ではない(=ハードプロブレムには触れない)ことに留意せよ、と述べられている。
ところで、個人的には「諸要素が絡み合った豊かな経験」あたりに、現象性の問題を見ているのだなあ、ということに気づいた。
注意と意識は原理的には区別可能
ノイズのある世界では、二階の統計が必要
意識→一階の統計的推論
注意→二階の統計的推論
本書では、正確度と精度の二軸により、意識と注意の関係を示した図が書かれている。
第10章 行為における知覚的統一
知覚推論それ自体は無意識
知覚推論の結果は意識経験
→意識について考える上での良い立場
内的な生成モデルによって外界を知覚することの問題を解決するメカニズム
→このメカニズムには、意識の特徴とされる面を持つ(メッツィンガー)
ゆえに、予測誤差最小化は魅力的な枠組み
ただし、予測誤差最小化は、何故無意識ではなく意識があるのか、には答えない(ハードプロブレムには答えられない)
その代わり、意識の諸性質を説明する
- 知覚の統一
意識経験の特徴の一つだが、本書ではここまで論じてこなかった
ティム・ベイン
→意識経験は常に統一されている、と主張
→意識にとって本質的、とまで主張
意識が統一されているというのは、意識は一つのものとして経験されている、ということ
本書の議論における限界設定
(1)意識経験のうち知覚に限定(情動や思考は今回含めない)
(2)意識にとって統一されていることは、偶然的な真理
- グローバル・ニューロナル・ワークスペース
意識の統一性という特徴を説明する理論として、ベインはダイナミック・コア仮説を候補にあげる(ところで、ここに注釈がついていて、筆者は統合情報理論についても魅力的だと述べている)。
筆者は、グローバル・ニューロナル・ワークスペース(GNW)仮説をあげる。
→発火とは何か、何故発火が知覚的統一を支えるのか
GNWは、閾値について、競合する解釈のうち一つが十分な証拠を蓄積したときとする。
これは、予測誤差最小化の枠組みとも親和性がある(ただし、GNWがいう証拠の蓄積と予測誤差最小化とでは、違いが出てくるらしいが)
ある仮説が他の競合仮説を除く→発火
発火は、知覚推論と行為推論をきりかえるとき、というのが筆者の仮説
意識の統一性は、行為と関係している!
行為は一つしかできない。そのために選び出された、一つだけの仮説が意識
グレゴリーはクオリアを「現在を知らせる」としたが、統計的な仮説は無時間的であり、意識にあがっているのは、現在、採用されている仮説を示す。
今、行為をしている時に、採用されている仮説は何かを示すのが、意識であり、グローバル・ワークスペースに入ってきている情報
行為というのは介入であって、介入することって因果と関わってるよねー、と。
つまり、因果関係があることは、相関関係よりも知覚をより統一されているように感じさせるのではないか
行為推論が弱いとき、統一性も弱まることが予想される。が、これを実験で確かめるのは難しい。
両眼視野闘争の実験で、報告させないで眼球の動きだけ観察する(報告は行為)。報告の要求が弱いと、眼球の動きが遅くなる?
- 行為と統一性
スーザン・ハーレイ:統一性と行為をむすびつけた論者
ハーレイは、外在主義・身体化された認知の立場で、知覚の直接性を主張する。
外在主義vs予測誤差最小化
筆者は、極端な懐疑論のリスクがあっても、間接性を受け入れた方がよい、としている
第11章 壊れやすい自然の鏡
ラバーハンド錯覚とか
ゴムの手は自分の手ではない、という真理よりも、予測誤差を最小化する仮説が採用される
筆者はこのことを、知覚の壊れやすさと呼ぶ
真理<予測誤差最小化
- 知覚は直接的か間接的か
予測誤差最小化は、内部モデルによって知覚するので、「間接的」な考えだとされることが多い
しかし、筆者は、直接的か間接的か、という二択を拒む
知覚推論とは因果関係なのであって、因果関係が直接的である程度には直接的だし、因果関係が間接的である程度には間接的である、という言い方をしている。
- 身体イメージの壊れやすさ色々
ラバーハンド錯覚だけでなく、全身錯覚というのが出てくる
カメラを使って、自分の後姿をゴーグルで見るとか、視覚交換装置とか、モデル人形にカメラをつけて、ラバーハンド錯覚みたいなことすると、モデル人形の視点で経験してしまう錯覚とか
ラバーハンド錯覚の応用で、机とか段ボール箱とか、およそ手とは違うようなものでも、同様の錯覚が起きるか、とか(単発では起きにくいが、ラバーハンド錯覚をやったあとにこの実験をすると錯覚が起きやすくなる。事前信念が更新されているから)
- 状況化された認知との関係
上述した通り、予測誤差最小化は、知覚の間接性寄りの議論ではある
これに対して、間接的な説明に抵抗する流れもある(明言されていないが、ギブソンの流れだろう)
しかし、アンディ・クラークは、予測誤差最小化と状況性とを結び付けようと試みているし、筆者も同様。
筆者は、状況化された認知とか拡張された認知とかは、感覚入力を最適化しようとしている事例として、予測誤差最小化の枠組みに取り込めると考えている。
第12章 予測する心の中へ
情動
ジェームズ・ランゲ説
→内的状態についての知覚推論
現代のジェームズ・ランゲ説は概念主義*1で、概念をもたない動物や乳児への適用が難しいという難点があるが、予測誤差符号化では、知覚と概念の境界は曖昧で、動物や乳児への適用も可能。
知覚推論と考えると、情動的注意についての議論もできる(不注意盲や変化盲の情動版とか?)
内観
内観=自身の心的状態への注意
筆者は、内観推論と呼ぶ
内観を推論だと考えると、筆者が内観的不協和と呼ぶ現象を説明できるという。
内観的不協和=内観はとても確実だと思われる一方で、内観はとても不確実なものにも思えるという矛盾のこと
内観する当初、精度が高いの確実性を感じる。不確実性
私秘性
私秘性を否定した哲学者として、ウィトゲンシュタインの名があげられるが、否定派は少数派だとして、登場は一瞬だけ
私秘性を肯定的に論じた哲学者として、デカルト、ロックがあげられ、さらにニーチェ、ホッブズ、フリスとつながっていく。
ニーチェ、ホッブズ、フリスは、意識の私秘性は、社会性のために必要と論じたという
筆者もまた、この立場に連なる
条件付き独立としての私秘性
知覚推論をするために、独立した複数のソースが必要で、もし、意識内容が公共的なものだと、独立性をえられないから、というような話だったかと。
自己
ヒューム 内観で自己みつけられず
デネット 物語的自己
メッツインガー 内的モデルを自体を表象する内的モデルの一部。このモデルが透明なので、内観で自己を見つけれない。
自己をもつことで、誤差がどのように最小化されるかの予測ができる。
監訳者解説
自由エネルギー原理から捉えること
本書は、知覚を説明するために予測誤差最小化の話をして、自由エネルギー原理については分散的に書いているだけだが、自由エネルギー原理側から話を始めた方がよいのではないか、として解説している。
自由エネルギー原理とは、「変化する環境で生き抜く生物は驚きを最小化しなければならない」ということで「生存を危うくする状況を避けよ」ということ
危うくする状況を避けるとは、自分が対処できる状態になるべくとどまるということで、その点で、知覚だけでなく行為も最初から織り込まれている
知覚を説明するというところからスタートすると、予測誤差最小化が必ずしも真なる表象を生み出すとは限らないことがネックとなるが、自由エネルギー原理は生存のための原理なので、そこのひっかかりはなくなるのではないか、と
- ほかの理論との違い
自由エネルギー原理や予測誤差最小化と、予測符号化理論(ラオとバラード)やベイズ脳仮説、ヘッブの法則との違い
前者は統制的原理であり、後者は過程理論である、と。
統制的原理には反証可能性がなく、過程理論にはある。
過程理論とされるものは、ある程度神経科学的な裏付けがあり、自由エネルギー原理と適合的ではあるものの、自由エネルギー原理から演繹されて導かれるものではない(ディテールで異なる箇所がある)らしい。
自由エネルギー原理を、ラカトシュがいうところのリサーチプログラムのハードコアのようなものととらえてもよいかも、とも。
自由エネルギー原理、予測誤差最小化、予測符号化理論の違いってわかるようなわからんようなで、この整理もわかるようなわからんようなではあるのだけど、それはそれとして、このような整理があるのかというのは理解の助けにはなるので、読んでよかった。
*1:ここあまり説明なく、いまいちよくわからん
