アーサー・C・クラーク『都市と星』(酒井昭伸 ・訳)

言わずと知れた古典SF
今だと色々なジャンルに分化してしまってる要素が一つの作品に詰め込まれているので、何SFというのか逆に難しい。ディストピア? ポストアポカリプス? 宇宙SF?
なんで読もうと思ったのかは忘れてしまった。積ん読の中にあって、そろそろ読むかーと思って手に取っただけで、別にクラーク読むぞーとか古典SF読むぞーという気分になっているわけではない。
面白いことは面白かった。
ダイアスパーからリスへ初めて向かう時のハラハラ感とか、「7つの太陽」の惑星系を探検していくところとか。
10億年とかいうわけわからんスケールがいきなり導入されるのがヤバい。ただ、10億年感はあんまりない。


アーサー・C・クラークについては、ほとんど読んだことがなくて、だいぶ前に『幼年期の終わり』を読んで、あと短編を何かの折に1,2本という程度
ハードSFのイメージがあるけれど、しかし、本作とか『幼年期の終わり』とか『2001年宇宙の旅』とか神秘主義というか、超越的な存在との接触みたいなのが結構ある
最近、以下のような本の中で、少しクラーク論を読んだりもしたので、そのイメージとも合致するなと思った

すなわち、ハードSFであると同時に神秘主義
キーワードとして、「大きな沈黙の物体」「概念の崩壊」「センス・オブ・ワンダー」があげられている
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また、クラークは宇宙開発へ懐疑主義的なところがあるという。
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『宇宙のランデヴー』『地球帝国』
クラークは「外」への探求ではなく、「内」への沈潜へと向かう。
フレッド・シャーメン『宇宙開発の思想史』(ないとうふみこ訳) - logical cypher scape2

バナールにとって人類の進化とは精神活動の最大化
(1)生物的な器官・組織を人工物に「置き換え」る。特に外科的に移植する恒常的なもの
(2)人為的な進化論という一種の進化論
(3)人間の知力に対する信頼(人工物が人間を裏切ることを想定していない)
(...)
バナール以降のサイボーグ論として、SF作家アーサー・C・クラークとサイバネティクス研究者K・ウォーリックの2例を紹介
いずれも、バナールから(1)(2)を引き継ぎつつ、バナールのように人間の知力にはもはや信頼が置けないという点で、バナールとは異なる。
柴田崇「サイボーグの「原型」 : “ extension”の系譜学に基づくJ・D・バナールの読解」 - logical cypher scape2

本作、1956年の第7長編だが、1948年に書かれた第一長編『銀河帝国の崩壊』をリメイクした作品であるらしい。


ダイアスパーという都市に暮らすアルヴィンという若者が主人公
ダイアスパーは10億年の歴史をもつ閉鎖都市で、住民はみなある種の不死
肉体的・物理的に存在しているが、全ての人格はメモリーバンクにデータとして記録されていて、時々メモリーバンクに戻って眠りにつき、一定の期間休んだ後、また肉体を甦らせる、ということを繰り返している。
肉体を蘇らせた場合、最初の20年くらいは「(ある意味で)前世」の記憶をもたずに生きるが、ある程度たったところで前世の記憶を呼びもどすので、実質不死、みたいな状態
しかし、アルヴィンは非常に稀な存在で、過去の記憶・人格をもたない。一から新しく作られ存在
なお、ダイアスパーには、性別もなく生殖もない。物質を自由に作れるシステムがあって、都市の維持管理も人体の生成もそれが行っている。
そして、ダイアスパーの住民には、本能的に都市の外に対する恐怖が埋め込まれており、都市の内部で充足するようになっているのだが、アルヴィンだけが例外で、都市の外への好奇心にとりつかれている。
そこに、道化師を名乗るケドロンという男が現れ、アルヴィンに都市の秘密を色々と示唆する。
結果、アルヴィンは、ダイアスパーの外へと向かう地下鉄道を発見することになる。
道化師というのは、都市に定期的にカオスをもたらすために組み込まれている存在なのだけど、根本的にダイアスパー住民であることに変わりはなく、アルヴィンを唆すだけ唆すのだけど、いぜ地下鉄道を前にして、ケドロンは逃げ出してしまう。
ダイアスパーパートでは、他にアルヴィンの教師であるジェセラック、アルヴィンの恋人であるアリストラが出てくる。
ジェセラックは、登場当初はアルヴィンにただダイアスパーの常識を説くだけのあんまり面白みのない人物なのだけど、物語の最後まで登場し続けるキャラクターだったりする
それに対して、ケドロンは上述の通り逃げ出した後、アルヴィンの行動によりダイアスパーが本格的に変化せざるを得ない状況に陥ると、さらに肉体を捨てメモリーバンクの中へと逃げ出してしまい、以後、物語には出てこなくなる
アリストラは恋人というか、アリストラの片思いに近い関係なのだけど、彼女も前半のダイアスパーパートが終わると、そこで出番終了となる。


人類はかつて銀河帝国をつくるほどに繁栄していたが、あるとき〈侵略者〉が現れたことで地球まで撤退する。地球も海がなくなり砂漠の惑星と化してしまい、以後、人類はダイアスパーに引きこもって生存することになった
というのが、ダイアスパーに伝わる人類史で、ダイアスパー以前の歴史は曖昧にしか残されていない。
ダイアスパーにいれば、内的には高い満足が得られるし、事実上の不死者となって生きていけるのだが、外部のことは全くわからず、歴史的な過去も秘匿されている。また、評議会という統治組織は存在するが、実際の都市の運営管理はすべて「中央コンピュータ」によってまかなわれている。
そういうユートピア=ディストピアSFっぽい感じで開幕する。


で、地下鉄道を見つけたアルヴィンはそれに乗って都市の外へ向かう
そして、砂漠を越えてリスという世界にたどり着く。
ダイアスパー以外にも、人の住んでいる世界はあったのである。
リスはダイアスパーと異なり、人工的で閉鎖的な都市ではなく、自然とともに生きる複数の村からなる世界である。
テクノロジー自体は発展して、単に原始化した世界というわけではない。また、村によって文化は相当異なるっぽい。何よりも特徴的なのは、子ども以外はみなテレパシー能力を持っていることである。
ダイアスパーは生殖がないので、子どもも存在しない。人はみな大人の姿で生まれてくる。
リスは、生殖があり子どももいるが、一方で、死も存在している。アルヴィンは最初そのことに驚く(ほかにもリスの人々には美醜があるとか)。
で、実は今までもダイアスパーからリスに来た人がいたことが明かされるが、リスの存在をダイアスパーから隠すため、リスに永住するか記憶を消してダイアスパーに戻るかという二択を迫られる。
アルヴィンは、同世代のヒルヴァーという若者とともにしばしリスを旅することになる。
そしてその旅行の果てで、謎の群体知的生命と出会う。
そいつは銀河帝国時代にあった新興宗教の信者で、その教祖と一緒に地球まで来ていて、教祖の再来をずっと待ち望んでいるという。
で、そいつは、その独特の生活環によって一度崩壊してしまうのだけど、そいつのロボットがいて、アルヴィンはそのロボットを駆使して、リスを脱出してダイアスパーへと戻ってくる。
ダイアスパーの人々に外部の存在を知らしめた後、砂漠の中に埋まっている恒星間宇宙船を発見する。


上までがまあリスパートだとすると、この宇宙船を使って、アルヴィンがヒルヴァーとともに宇宙を旅するパートが始まる。
銀河帝国の中心である「7つの太陽」という星系まで、光速?何それおいしいの? とでもいうべきとんでもない速度で向かう。
1,2日で着く、とかいうそんなレベルだったはず。
明らかに恒星を人為的に並べていて、さらに意味ありげに惑星が配置されている。
で、アルヴィンはヒルヴァーとともに惑星を見ていくのだけど、知的な存在がいることを期待してやってきたのはいいものの、どうも既に滅んでいた、ということがわかってくる。
がっかりもするのだがしかし、謎の存在ヴァナモンドと出会い、それを地球へと連れ帰ってくる。


ダイアスパーパートが起、リスパートが承だとすれば、宇宙パートは転であり、アルヴィンたちが地球に連れ帰ったヴァナモンドによって、人類の歴史認識が覆されることになる。
銀河帝国を作った人類は、より高次な存在は純粋に精神的な存在だと考え、他の知的種族ともども、純粋に精神的な存在を作り上げようとする。
しかしこのプロジェクトは失敗し、生み出された精神的な存在は、狂える精神となってしまい、銀河帝国を崩壊へと導く。
狂える精神から逃げた人類の一部が地球でダイアスパーを作るに至る。
ただ、人類や他の知的種族の多数派は、さらに別の宇宙へと脱出したらしい
ヴァナモンドもまたその純粋に精神的な存在の一個体なのだが、ヒルヴァーやあるいはリスの学者たちによって、ヴァナモンドには敵意などはなく、精神年齢はまだ非常に幼いとされる。幼いのだが知識だけを大量に持っている状態だ、と。
「侵略者」は偽りの歴史だったということが判明し、リスの心理学者にとって、ダイアスパーの人たちの恐怖を解除する方法も発見される(多数派は様子見を決め込んだが)。
ジェスラックはその方法を試した一人で、リスにも赴く。
アルヴィンは、自らの知的好奇心や野心が満たされて、バーンアウトを味わうが、ジェスラックとヒルヴァーをつれて、再度宇宙船に乗り込む。
軌道上から地球を見下ろしながら、宇宙にはもう行かない、この宇宙船は自動航行にして銀河系の外を探索させるということを語っておしまい。
地球に残って自分の子どもを育てたい、というようなことを考えている


明かされる本当の人類史、みたいなところが、駆け足すぎる感じもするが
自分たちの作った存在が狂ってしまって滅ぶことになった、的なあたりが、上述したクラーク論によって示されているクラークの懐疑主義的なところが反映されているのかな、と思った。
純粋に精神的な存在を目指すぞ、みたいなのはトランスヒューマニズムっぽい
っていうか逆に、ダイアスパーがそうなってなくて、人格のデータ化もできているしVRもめっちゃ進歩しているのに、物質・肉体を維持している方が謎っちゃ謎だなあ、とも思ったけど、マインド・アップロードはさすにが50年代SFだとまだ出てこないのか……


アルヴィンもヴァナモンドも子どもであり、子どもがコミュニティを揺るがすという物語なんだなー