海野弘監修『華麗なる「バレエ・リュス」と舞台芸術の世界』

1909年から1929年にかけてパリで席巻したロシアのバレエ団「バレエ・リュス」について、舞台芸術のカラー図版を大量に交えて紹介する本。

バレエ・リュスについては、ピカソが舞台美術を描いていた、ということくらいは知っていたのが、逆に言うとそれ以上のことはよく知らず、なんでピカソがロシアのバレエ団の舞台美術をやってたんだ、というぼんやりとした謎であった。

ただ、最近、改めてこの時代について調べようと思ったときに、明らかに重要な存在だなと気づき、この本を読むことにした。また、

青柳いずみこ『パリの音楽サロン――ベルエポックから狂乱の時代まで』 - logical cypher scape2、海野弘『アール・デコの時代』 - logical cypher scape2でも頻出していた。

海野弘監修によるカラー本となっていて、解説も海野弘が書いている。

 

バレエ・リュス、やはり面白い。

何より、セルゲイ・ディアギレフという人物のパーソナリティがその面白さの核となっている。

彼は凄腕プロデューサーだったわけだが、しかし、結構金勘定が甘いところが見受けられるので、プロデューサーとしてどうなのと思うところもあるが、とはいえ、金策はつけてくるので、やはり優秀なプロデューサーなのかもしれない(ただ、1921年のロンドン公演での大赤字の際には、舞台セットなどを差し押さえられている)。

彼は同性愛者だったので性愛の意味ではないが、ミシア・セール、ココ・シャネル、グレフュール伯爵夫人、リポン侯爵夫人など多くの女性パトロンに愛されていた。

明らかに私情で、団にとって重要な人物を追放したり、仲違いして去られたりもしていて、そのあたりもどうなんだと思わないわけでもないが、追放した人物をまた呼び戻したりもしていて、何かしら魅力ある人物だったようである。

何より才能を見つけるのがうまかったのだろう。

ダンサー・コレオグラファーのフォーキンやニジンスキー、作曲家のストラヴィンスキー、画家のラリオーノフ、ゴンチャローワなどをスカウトしたりしてきている。

また、パリで出会った画家や作曲家とも次々と仕事をしている。新しい才能を入れるのに躊躇がない、というか、そういうあたりがすごかったのではないかと思う。

彼についていくと何か面白いことやってくれそう、みたいな雰囲気があったのではないか、と。

 

バレエについていうと、19世紀には西欧では衰退しており、後進国ロシアの方が発展していたようである(バレエはやはり王室・帝室の援助が不可欠で、その点で、西欧よりロシアの方で発展が続いたらしい)。が、20世紀になってきて、バレエ界の中で革新への動きが出てくる。

ディアギレフは、その動きをいち早く拾い上げて、パリで公演してみせたのであり、前衛的であり、また、ロシアというエキゾティシズムの魅力もあり、フランスや西欧で大ヒットすることになったようだ。

 

 

 

第1章 銀の時代―ロシアの世紀末「バレエ・リュス」の源泉

第1章は、バレエ・リュスの前史について。

ロシアの世紀末は「銀の時代」と呼ばれる。

近年、この時代の研究が進み、ロシアのアール・ヌーヴォーが明らかにされているという。

新都市ペテルブルクと古都モスクワが中心で、詩や美術は、ペテルブルク・グループとモスクワ・グループがいた(なお、帝室バレエだと、ペテルブルクにマリインスキー劇場、モスクワにボリショイ劇場がある)。

この時代のキーパーソンとしては、時期的には前半が鉄道王マーモントフで、後半が、後に「バレエ・リュス」を結成するディアギレフとなる。地理的には、モスクワ・グループの中心がマーモントフ派で、ディアギレフの『芸術世界』はペテルブルク・グループから生まれた。

マーモントフはモスクワ郊外で芸術家村を作っていて、ロシア版アール・ヌーヴォーが花開く。建築や工芸なども行われていた。また、マーモントフは芝居や私設オペラをやっており、これが「バレエ・リュス」の源泉となっていく。

ディアギレフは、ペテルブルクの大学で、評論家・思想家となる従兄や、のちに「バレエ・リュス」で舞台美術を担当するブノワ、バクストらとグループを結成する。

ディアギレフ自身はもともと作曲家志望で、リムスキー=コルサコフのもとに弟子入りしていたが、自らの才能に見切りをつけて、プロデューサーとなっていく。

1898年、『芸術世界」を創刊する。マーモントフと、同じく芸術村を作っていたテニシェワ公爵夫人から出資を受ける。

また、ディアギレフは帝室バレエにも出入りするが、当時、フォーキン、パブロワ、カルサーヴィナらがいた。

1904年『芸術世界』は廃刊するが、ディアギレフは、ペテルブルク公演に来ていたイサドラ・ダンカンと出会う。これが重要な契機となった。

1906年、パリのサロン・ドートンヌでロシア美術展を開催。この時、グレフュール伯爵夫人に出会い、ロシア音楽祭の後援を取り付ける。さらに1908年、ロシア・オペラ祭を開き、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」をやると、それを見たミシア・セールがディアギレフを気に入り、彼女は終生ディアギレフを支援する



  • ヴィクトル・ヴァスネツォフ

マーモントフ・グループの一人

  • ミハイル・ヴルーベリ

上に同じく

  • コンスタンチン・ソモフ

ディアギレフ・グループ

ロココ美術やビアズリーなどに影響を受けたグラフィック・アート

  • ムスチスラフ・ドブジンスキー

ペテルブルクをコミカルに描いた

  • イワン・ビリービン

『芸術世界』で活躍

まさにアール・ヌーヴォーといった感じ

  • ボリス・クストーディエフ
  • 『芸術世界』



第2章 「バレエ・リュス」の時代1909‐1929ロシアから世界へ

第2章は、バレエ・リュスの全公演(多分)の解説等がなされる、本書のメインとなる章

各公演の、あらすじ・解説・スタッフ・キャストといった基本情報に加えて、美術によるイメージボードや舞台デザイン画、衣装デザイン画、衣装を着たキャストの写真などが掲載されている。



1909年から1929年までの歴史は、さらに前半と後半の2つの時期に分けられる。

前半は「ロシアの時代」で、主にロシア出身のメンバーで舞台が作られていた。

後半では、ロシア以外の芸術家も舞台制作に関わってくるようになる。

前半の中でもさらに色々な変化がある。

例えば振付は主にフォーキンが担当し、ニジンスキーが多くの公演で主演として踊るという座組が多いが、ディアギレフは、次第にニジンスキー自身に振付を担当させるようにさせ、フォーキンは去って行く。

ところが、その後、ニジンスキーとディアギレフが決裂する事件がおきて、フォーキンは戻ってくることになる。

音楽について、最初は既存曲を使っているが、次第にオリジナル作品をやるになるようになる。その際、ディアギレフが目を付けたのが、ストラヴィンスキーであった。

美術・衣装については、主にはレオン・バクストが担当していて、彼の色彩豊かな美術が初期のバレエ・リュスを特徴付けていく。それに次いで『美術世界』時代から一緒だったアレクサンドル・ブノワも担当しているのだが、彼はフランス風を志向しており、次第にディアギレフとは方向性の違いが出てくる。



ディアギレフは同性愛者でもあり、バレエ・リュスのメイン・コレオグラファーや花形ダンサーは、彼が愛した者が采配されていた。

最も代表的なのがニジンスキーである。

バレエ・リュスは、コレオグラファーの変遷から、フォーキン時代、ニジンスキー時代、マシーン時代、ニジンスカ時代、バランシン時代と移り変わっていく。

1912年・1913年はニジンスキーが振付を担当した。

しかし、ニジンスキーが結婚したことで、ディアギレフは彼を追放してしまう。

このため、急遽フォーキンが呼び戻されている。

その後、ディアギレフが目を付けたのは、レオニード・マシーンという若いダンサーであった。

ところが、歴史は繰り返す。マシーンもまた結婚し、ディアギレフは彼を追放する。

この穴を埋めるべくディアギレフが招聘したのが、ニジンスキーの妹のブロニスラヴァ・ニジンスカであった。

このニジンスカの教え子であるダンサーのセルジュ・リファールもディアギレフに愛され、後期バレエ・リュスのスターとなった(リファールは、バレエ・リュス時代に振付はしていない)。



美術については、前半のバレエ・リュスを支えたのは、ディアギレフより年上か同世代くらいのバクスト、ブノワ、レーリヒであったが、1914年頃から、第二世代として、ナタリア・ゴンチャローワやミハイル・ラリオーノフが参加するようになる。

ラリオーノフとゴンチャローワは、ともに立体未来派やレイヨニスムを名乗り、ロシア・アヴァンギャルドの一翼をなす画家で、その名の通り、西欧のキュビスム未来派に影響をうけつつ、ロシアのフォーク・アートなどプリミティブな美術にも関心をもっていた。2人は結婚はしなかったが、生涯を共にしている。

そしてまた、後半のバレエ・リュスは、ピカソマティス、ブラック、ユトリロローランサン、ミロ、エルンスト、ココ・シャネルと錚々たるメンバーが美術・衣装に関わってくることになる。



モダニズムの時代 後期の「バレエ・リュス」 1914-1929

1915年からアメリカ公演を行い、1916年にはニジンスキーが合流するが、ニジンスキーは自分のやり方を通すことを要求し、最終的に、アメリカに残るニジンスキー派とヨーロッパへ帰るディアギレフ派へ分裂した。

ディアギレフたちはスペイン公演を行い、アルフォンソ13世をパトロンに得る。アルフォンソ13世は海野弘『アール・デコの時代』 - logical cypher scape2に出てきた自動車大好きスペイン王である。

ヨーロッパでは、コクトーがサティ、ピカソとともに「バレエ・リュス」のための作品「パラード」を作っていた。

コクトーは、6人組とバレエ・リュスを結びつけた。

また、ミシア・セールがココ・シャネルをディアギレフに紹介する。

(このあたりは青柳いずみこ『パリの音楽サロン――ベルエポックから狂乱の時代まで』 - logical cypher scape2でも)

マシーンが結婚して去ったあと、ディアギレフのもとには、コフノという若者が現れ、忠実な秘書となる。マシーンの代わりとなるコレオグラファーとしてはニジンスカを招く。

1924年はニジンスカのピークであり、この時の「青列車」は、台本コクトー、音楽が6人組のミヨー、美術にアンリ・ローランス、衣装にココ・シャネル、緞帳幕がピカソという座組であった。また、主演はイギリス人ダンサーであった。

バレエ・リュスでは、ある時期からロシア以外の国籍のダンサーも踊るようになっていたが、その中で、ディアギレフによってロシア名をつけられる人たちもいる。

キエフのリファール、パリでスカウトされたロシア人バランシンが参加し、ニジンスカのあとのバレエ・リュスを担っていく。

 

コラム

これらのコラムは、本書の様々なページに分散しているが、大半が第2章の中にあるので、ここでまとめて記す。

  • Topic1 ロシア帝室バレエ小史
  • Topic2 劇場通り―ペテルブルク・バレエ地図
  • Topic3 プルーストと「バレエ・リュス」
  • Topic4 リポン侯爵夫人

イギリスにおけるディアギレフのパトロン

ロモラは、ブダペスト公演でニジンスキーの熱烈なファンとなり、ついにはバレエ・リュスに入団している。1913年の南米公演の際、ニジンスキーとロモラは結ばれる。

第一次大戦中、ハンガリー経由でロシアに戻ろうとするが、ブダペストで捕まる。ディアギレフらの働きかけで釈放され、アメリカ公演、スペイン公演、再度の南米公演を行うが、ディアギレフとの関係は修復せず、また、次第にニジンスキーは精神を病んでいき、1917年が最後の舞台となる。その後、スイスで療養。第二次大戦中はハンガリー、戦後は英国へ。

のちに「精神分裂病」と診断されるニジンスキーのことを、ロモラは終生守り続けた。

  • Topic6 ピカソとオリガ・ホフロワ

ピカソは、1917年、コクトーとともに「パラード」を制作。バレエ・リュスのダンサーの一人であるオリガに惚れ、結婚に至る。しかし、二人の生活はあわず、ピカソにはマリー=テレーズという新しい恋人ができ、最終的に離婚した。

まさか、バレエ・リュスの本の中で、ケインズの名前を目にすることになるとは思わなかったので驚いたが、ケインズといえばブルーブズベリ・グループの一員であり、彼らはバレエ・リュスのファンであった、という。もともと、ケインズは同性愛者だったとのことだが、1919年からダンサーのリディアと文通が始まり、1921年頃から仲が深まり、結婚にいたった、と。この年のロンドン公演で、バレエ・リュスは大赤字を出しており、それもきっかけだったのかもしれない。ピカソ・オリガと異なり、この2人はうまくいった、とのこと

1929年ロンドン公演後のパーティで、とても疲れた様子であったという。その後、ドイツへ行ったのち、ヴェネツィアに滞在。そこで亡くなった。亡くなる直前に、たまたまミシアとシャネルがヴェネツィアに立ち寄っており、この二人は、ディアギレフの死を看取ることとなった。

  • Topic11 「バレエ・リュス」とロシア以外の画家たち

 

バレエ・リュス小事典

ディアギレフの作曲における師。マーモントフの私設オペラに曲を提供。のちに「バレエ・リュス」のレパートリーともなっていくが、リムスキー=コルサコフ自身は「バレエ・リュス」結成以前に亡くなっている。

そのほか、バレエ・リュスにかかわった主な作曲家として、イーゴリ・ストラヴィンスキー、セルゲイ・プロコフィエフクロード・ドビュッシーエリック・サティ、モーリス・ラヴェルダリウス・ミヨーフランシス・プーランクジョルジュ・オーリックの略歴が掲載されている。

  • ミハイル・フォーキン

マリインスキー劇場バレエ団に入団するも、帝室バレエの古いやり方ではなく新しいバレエの方向を探っているところを、ディアギレフにスカウトされた。ディアギレフが、バレエ・リュスの振付をニジンスキーにかえたところで、ロシアに戻った。その後、再び呼び戻されたが、またロシアに戻った。ロシア革命後亡命し、アメリカへ移住

  • タマーラ・カルサーヴィナ

やはりマリインスキー劇場バレエ団メンバーで、フォーキンとともにバレエ・リュスへ移った。バレエ・リュスでは、ダンサーの入れ替わりが激しかったが、その中で、ディアギレフに忠実なダンサーであった。クラシック・バレエにもモダン・バレエにもどちらも対応でき、人柄も寛容で、若いダンサーにも親切だったので、ディアギレフは彼女に頼りっぱなしであった、と。

やはりマリインスキー劇場バレエ団出身だが、ほとんど裸のコスチュームで踊り追放された。「牧神の午後」や「春の祭典」の振付も両性的でエロティック、あるいはグロテスクなものでスキャンダラスだった。結婚したことでいったんバレエ・リュスを追放されたが、その後また呼び戻されている。しかし、そのあたりから次第に精神を病み始めていた。

  • プリニスラワ・ニジンスカ

ニジンスキーの妹。ニジンスキー兄妹は、両親ともに旅回りのダンサーだった。兄とともにマリインスキー劇場バレエ団からバレエ・リュスへ入ったが、第一次大戦中はロシアに戻り、バレエを教えていた。リファールはその時の教え子。マシーンの独立後、バレエ・リュス初にして唯一の女性コレオグラファーとなった。兄妹ともに両性的な振付を行った。

  • レオニード・マシーン

ボリショイ・バレエ出身で、ロシアでディアギレフにスカウトされた。1921年に独立、1925年にまた戻ってくる。ディアギレフ没後、バレエ・リュスを引き継ぐ「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」に属する

  • セルジュ・リファール

ニジンスカとともにバレエ・リュスへ。美少年できゃしゃな体つきをしており、ディアギレフに愛されるとともに、多くのファンを集めた。1920年代には、ジェンダーのあいまいさ・両性的なスタイルがファッション化しており、その時代のスターに。ディアギレフは、彼をマシーンの後継者にしようとしていたがそれはうまくいかなかった。

  • アンナ・パブロワ

マリインスキー劇場バレエ団でフォーキンとともに新しいバレエを担うグループで、ディアギレフはもともと彼女をバレエ・リュスのメインに据えるつもりだったが、結局、入団しなかった。

 

  • コンスタンチン・コローヴィン

マーモントフ・グループの一人。主に、帝室バレエ美術を担当し、バレエ・リュスの仕事は少ない。

  • アレクサンドル・ゴローヴィン

同じく、ロシアでの舞台美術の仕事が多く、バレエ・リュスでの仕事は少ない。ロシアでは、ボリショイ劇場マリインスキー劇場での仕事ののち、メイエルホルドとの仕事も多い・

  • レオン・バクスト

『芸術世界』に参加。バレエ・リュスでの仕事が多く、1911年には美術主任に。ロシア以外の画家のデザインが使われるようになると、バレエ・リュスを離れた。過激なカラーとエキゾティシズムが魅力

  • アレクサンドル・ブノワ

ディアギレフの古い友人でともに『芸術世界』を結成。1911年以後、ディアギレフとわかれロシアへ戻る。革命後もロシアにとどまり、エルミタージュ美術館の絵画部主任にもなっているが、1926年に亡命した。

 

  • ニコライ・レーリヒ

『芸術世界』メンバーで、テニシェワ侯爵夫人の芸術家村にも参加していた。バレエ・リュスでは「春の祭典」の台本と美術を手がける。原始宗教や神秘主義に詳しい。ロシア革命時に亡命し、アメリカへ移住した。

  • ミハイル・ラリオーノフ

1900年にゴンチャローワと出会う。「ダイヤのジャック」展、「ロバの尻尾」展など。1914年にはバレエ・リュスへ。第一次大戦中は、ディアギレフ、マシーンとともにスイス・ローザンヌにこもった。

  • ナタリア・ゴンチャローワ

 

その後の「バレエ・リュス」

  • 「バレエ・スエドワ」

バレエ・リュスと同時代のライヴァル・バレエ団で、スウェーデンの芸術パトロン、ド・マレにより1920年に作られた。フォーキンの弟子であったスウェーデン人ダンサーがコレオグラファーコクトーなどの作家、六人組の作曲家、レジェなどの画家を集めた。

晩年のディアギレフはモンテカルロを拠点としていた。ディアギレフのパトロンの一人であるポリニャック公爵夫人の息子がモナコ公の娘と結婚していたから。

ディアギレフ亡き後、バレエ・リュスは解散するが、それを復興させたのが「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」。ルネ・ブルムとコロネル・ド・バジルが中心となり、コフノ、バランシン、マシーンが集まったが、のちに、ブルムグループとバジルグループに分裂する。

 

  • 「バレエ・リュス」と英国バレエ
  • バレエ・リュス」とアメリカン・バレエ

 

第3章 「バレエ・リュス」と同時代の舞台美術

銀の時代 1898年からロシア革命まで

道化芝居、人形芝居、即興劇など大衆エンターテイメントをやる芸術キャバレー

パリ公演を行った際に、バクストとブノワが舞台とポスターをデザインした

ロシア・アヴァンギャルドの時代

  • アレクサンドラ・エクステル

ロシア未来派の女性画家。SF映画の衣装デザインなんかをしている

  • フョードル・フェドロフスキー
  • ボリス・ビリンスキー

パリで、バクストの指導を受けた。映画『カサノヴァ』『モンテ・クリスト伯』『メトロポリス』のデザインを行った。

「バレエ・リュス」を移したイラストレーターたち

  • ジョルジュ・バルビエ

ファッション・イラストレーター。「バレエ・リュス」の公演に通い、ニジンスキーとカルサーヴィナを描いたイラスト本が、イラストレーターとしてのデビュー作。ビアズリーからの影響が強い。

踊るファッション・プレート

  • ウンベルト・ブルネレスキ



発表年

作品名

スタッフ

備考

感想

1909

アルミードの館

振付:フォーキン

台本・美術・衣装:ブノワ

カルサーヴィナ、ニジンスキー

カルサーヴィナとニジンスキーは脇役だったが、主役より注目を集めた。

 

ボロヴェツ人の踊り(オペラ《イーゴリ公》より)

振付:フォーキン

音楽:ボロディン原曲、リムスキー=コルサコフ編曲

美術・衣装:レーリヒ

主演:ボルム

   

饗宴

衣装:コローヴィン、ブノワ、バクスト、ビリービン

出演:カルサーヴィナ、ニジンスキーほか

名作のさわりを集めた競演集

 

レ・シルフィード

振付:フォーキン

主演:パブロワ

ショパンの曲をもとに、ストーリーのない抽象バレエの先駆。

パブロワが遅れて到着。

 

クレオパトラ

振付:フォーキン

美術・衣装:バクスト

主演:イダ・ルビンシュテイン、パブロワ、フォーキン

踊れないルビンシュテインが主演であったが、強烈な印象を残した。

バクストのインパクトある舞台デザイン

衣装デザイン画も躍動的

1910

ル・カルナヴァル(謝肉祭)

振付:フォーキン

美術・衣装:バクスト

出演:ニジンスキー

   

シェエラザード

台本:ブノワ

振付:フォーキン

音楽:リムスキー=コルサコフ

美術・衣装:バクスト

主演:ルビンシュテイン、ニジンスキー

   

ジゼル

美術・衣装:ブノワ

主演:カルサーヴィナ、ニジンスキー

1841年に初演された作品。バレリーナの一つの基準ともされる古典。ディアギレフは乗り気でなかったが、パブロワが踊るというのでいれた。パブロワは結局間に合わず。

ブノワとディアギレフの仲がうまくいかなくなりはじめる

 

火の鳥

振付:フォーキン

音楽:ストラヴィンスキー

美術:ゴローヴィン

衣装:バクスト、ゴローヴィン

「バレエ・リュス」初のオリジナル

パブロワがストラヴィンスキーの曲を嫌がったため、カルサーヴィナが躍った。

 

レ・オリエンタル

 

アジア圏のダンスを集めたもの

ニジンスキーの写真やイラストが多く撮影・制作された。

 

1911

薔薇の精

振付:フォーキン

美術・衣装:バクスト

主演:カルサーヴィナ、ニジンスキー

ニジンスキーの両性的魅力が全開

 

ナルシス

振付:フォーキン

美術・衣装:バクスト

主演:カルサーヴィナ、ニジンスキー

ディアギレフはフォーキンの振り付けをマンネリと感じ始める。

 

サトコ(「海底の王国」の場面)

音楽:リムスキー=コルサコフ

振付:フォーキン

美術:アニスフェリド

衣装:アニスフェリド、バクスト

   

ペトルーシュカ

振付:フォーキン

音楽:ストラヴィンスキー

美術・衣装:ブノワ

ディアギレフとブノワの仲直り

ペテルブルクの街頭を描く

衣装デザインが楽しい

白鳥の湖

主演:クシェシンスカヤ、ニジンスキー

マリインスキー劇場のスターであるクシェシンスカヤと仲直りするため。

ロンドン公演。ニジンスキーの売り出し。

 

1912

青い神

台本:コクトー

音楽:アーン

振付:フォーキン

美術・衣装:バクスト

アーンはコクトーの出した雑誌の同人でもある音楽家

台本と音楽はあまり成功せず、バクストの多彩なファッションが注目される。

 

タマール

振付:フォーキン

美術・衣装:バクスト

主演:カルサーヴィナ、ニジンスキー

   

牧神の午後

振付:ニジンスキー

音楽:ドビュッシー

美術・衣装:バクスト

   

ダフニスとクロエ

振付:フォーキン

音楽:ラヴェル

美術・衣装:バクスト

評判はよかったが、ディアギレフはあまり上演しようとせず、フォーキンとラヴェルは不満。

「ダフニスとクロエ」ってバレエ・リュスのために書いた曲だったんだ

1913

遊戯

振付:ニジンスキー

音楽:ドビュッシー

美術・衣装:バクスト

   

春の祭典

振付:ニジンスキー

音楽:ストラヴィンスキー

美術・衣装:レーリヒ

劇場は大混乱。ディアギレフは「期待通り」とコメント。ニジンスキーは振付のみで出演はせず

 

サロメの悲劇

 

ニジンスキーが「春の祭典」にかかりきりのために穴埋めとして用意された作品

 

1914

蝶々

振付:フォーキン

美術:ドブジンスキー

衣装:バクスト

ニジンスキーを追放したためフォーキンを呼び寄せた。マリインスキー劇場初演のため、舞台美術はドブジンスキー

 

ヨゼフの伝説

振付:フォーキン

音楽:リヒャルト・シュトラウス

美術:ホセ=マリア・セール

衣装:バクスト

主演:マシーン

ディアギレフがボリショイ劇場で見つけたマシーンを主役に抜擢。

ホセ=マリア・セールは、ミシェル・セールの夫

 

金鶏

振付:フォーキン

美術・衣装:ゴンチャローワ

オペラとバレエの組み合わせ

ゴンチャローワを起用。反対の声もあったが、明るい色彩とロシアの民話世界を取り込んだデザインが好評。

 

ナイチンゲール

振付:ロマノフ

音楽:ストラヴィンスキー

美術・衣装:ブノワ

あまり評判にならなかったが、ディアギレフは本作にこだわり、1920年、1925年に改作している。1920年版では、マシーンがオペラからバレエ作品に直し、美術はマティスが担当。1925年版は、バランシン振付

 

ミダス

振付:フォーキン

美術・衣装:ドブジンスキー

バクストが美術・衣装を断り、ドブジンスキーに押し付けられる。

フォーキンも連続の振付でインスピレーションが湧かず。ひどい出来だったとのこと。

 

1915

真夜中の太陽

振付:マシーン

音楽:リムスキー=コルサコフ

美術・衣装:ラリオーノフ

   

1916

ラス・メニーナス(女官たち)

振付:マシーン

音楽:フォーレ

衣装:セール

スペイン公演(初演)

 

キキーモラ

振付:マシーン

美術・衣装:ラリオーノフ

   

ティル・オイレンシュピーゲル

振付:ニジンスキー

音楽:シュトラウス

ニューヨークのみで公演

ニジンスキーが選んだメンバーだけのアメリカツアー

ディアギレフは参加していない

 

1917

花火

構成:ディアギレフ、バッラ

音楽:ストラヴィンスキー

美術:バッラ

舞台装置と音のみで、出演者はいない。

ローマ公演

バレエ・リュスとイタリア未来派の出会い

 

上機嫌なご婦人たち

振付:マシーン

美術・衣装:バクスト

初演はローマ。のち、ロンドンでも上演し、好評。

マシーンは自分のスタイルを確立

ピカソコクトーがローマ来訪。ピカソとオリガが出会う。

 

ロシア物語

振付:マシーン

美術:ラリオーノフ

衣装:ラリオーノフ、ゴンチャローワ

「キキーモラ」にほかの話を加えたもの

 

パラード

台本:コクトー

振付:マシーン

音楽:サティ

美術・衣装:ピカソ

ピカソは広告をコラージュし、サティの曲にはジャズやラグタイム、タイプライターの音などが組み込まれ、チャップリンのふりなど映画も引用された。

 

1919

風変わりな店

振付:マシーン

美術・衣装:ドラン

古くからある「人形の精」というバレエに基づく作品

「人形の精」は1903年マリインスキー劇場で、バクストが美術を担当していた。

 

三角帽子

振付:マシーン

美術・衣装:ピカソ

スペインの小説をもとに、スペインの作曲家の音楽で作られた。

フラメンコを取り入れる。

ピカソは、地元が舞台で思い入れが強く、逆にデザインに苦しんだ。

ピカソは、バレエの内容と関係ない闘牛場のシーンをカーテンに描いたらしい。闘牛好きすぎる。

1920

ナイチンゲールの歌

振付:マシーン

音楽:ストラヴィンスキー

美術・衣装:マティス

1914年のオペラの改作

マティスの美術は好評だったが、音楽やダンスと合っていなかった

 

プルチネッラ

振付:マシーン

音楽:ストラヴィンスキー編曲

美術・衣装:ピカソ

ナポリで見た人形芝居をもとに

 

女のたくらみ

振付:マシーン

美術・衣装:セール

18世紀・ナポリ出身の作曲家の曲

パリではうまくいかなかったが、ロンドンでは好評

 

1921

道化師

美術・衣装:ラリオーノフ

マシーン追放の空白期

 

クァドロ・フラメンコ

美術・衣装:ピカソ

フラメンコ・ダンサーをパリに紹介する。

フラメンコ・ダンサーは即興で踊り、振付によるダンスは踊れないので、バレエ・リュスには定着しなかった。

 

眠れる森の美女

振付:ニジンスカ(一部)

美術・衣装:バクスト

ディアギレフの古典復帰

新しいコレオグラファーとしてニジンスカ

 

1922

オーロラの結婚

振付:ニジンスカ(一部)

美術・衣装:ブノワ

「眠れる森の美女」の大赤字の結果、美術は「アルミードの館」の流用

 

振付:ニジンスカ

音楽:ストラヴィンスキー

美術・衣装:ラリオーノフ

ストラヴィンスキーがポリニャック公爵夫人に作った曲を譲り受けて制作

 

1923

結婚

振付:ニジンスカ

音楽:ストラヴィンスキー

美術・衣装:ゴンチャローワ

実験的バレエ

 

1924

女羊使いの誘惑

振付:ニジンスカ

美術・衣装:グリス

   

牝鹿

振付:ニジンスカ

音楽:プーランク(六人組)

美術・衣装:ローランサン

   

うるさがた

台本:コフノ

振付:ニジンスカ

音楽:オーリック(六人組)

美術・衣装:ブラック

ブラックは実験的な試みを行ったが、ダンサーには意図が理解されず、ニジンスカには嫌がられた。

コフノは、ディアギレフの秘書的存在だが、ニジンスカと対立

 

禿山の一夜

振付:ニジンスカ

音楽:ムソルグスキー

美術・衣装:ゴンチャローワ

   

青列車

台本:コクトー

振付:ニジンスカ

音楽:ミヨー(六人組)

幕:ピカソ

衣装:ココ・シャネル

1920年代のパリを象徴するような座組

青列車は、南仏リゾートへの寝台列車

 

1925

ゼフィールとフロール

台本:コフノ

振付:マシーン

美術・衣装:ブラック

主演:リファール

ディアギレフは、リファールに振り付けをさせようとして、ニジンスカが去った。しかし、リファールの振り付けは未熟でマシーンを呼び戻すことになった。

 

船乗りたち

振付:マシーン

音楽:オーリック

主演:リファール

   

バラボー

振付:バランシン

美術・衣装:ユトリロ

   

1926

ロミオとジュリエット

台本:コフノ

振付:ニジンスカ

美術・衣装:エルンスト、ミロ

主演:カルサーヴィナ、リファール

シェイクスピア作品のバレエ化、ではなくて、ロミオとジュリエットを踊るダンサーの楽屋裏の恋の話

ニジンスカを、本作だけといって呼び戻した。

クルシェンスカヤに断られ、カルサーヴィナに

 

パストラル

台本:コフノ

振付:バランシン

音楽:オーリック

   

びっくり箱

振付:バランシン

音楽:サティ原曲、ミヨー編曲

美術・衣装:ドラン

   

火の鳥

振付:フォーキン

音楽:ストラヴィンスキー

美術・衣装:ゴンチャローワ

1910年「火の鳥」の改作

ゴンチャーロワの幕が素晴らしい。

ネプチューンの勝利

振付:バランシン

   

1927

牝猫

振付:バランシン

美術・衣装:ナウム・ガボ他1名

主演:リファール

   

メルキュール

台本・振付:マシーン

音楽:サティ

美術・衣装:ピカソ

   

鋼鉄の踊り

振付:マシーン

音楽:プロコフィエフ

   

1928

オード

台本:コフノ

振付:マシーン

音楽:ナボコフ

ナボコフは、作家のナボコフの従兄

 

ミューズを導くアポロ

振付:バランシン

音楽:ストラヴィンスキー

美術:ボーシャン

衣装:ココ・シャネル

   

物乞う神々

振付:バランシン

美術:バクスト

衣装:グリス

美術・衣装は過去作からの転用

 

1929

舞踏会

台本:コフノ

振付:バランシン

美術・衣装:デ・キリコ

   

放蕩息子

台本:コフノ

振付:バランシン

音楽:プロコフィエフ

美術・衣装:ルオー