海野弘『万国博覧会の二十世紀』

海野弘『アール・デコの時代』 - logical cypher scape2に引き続き、海野弘本。
20世紀に開催された万博のうち10の万博を紹介している。
それらは、第二次大戦後のブリュッセルと大阪を除くと、パリかアメリカで開催されたものとなる。
元々筆者は、アール・ヌーヴォーへの関心から、1900年のパリ万博を調べ始めたのが、万博に興味をもつきっかけとなったようだから、パリが多いのは当然といえば当然だろう。
タイトルは「20世紀」となっているが、7つ目までが1930年代までのものとなる。万博はそれ以降、いったん下火になる。このため、万博研究の書籍なども1930年代までしか取り上げてこなかったらしいが、近年(本書の刊行は2013年)、戦後まで取り上げた万博研究書が出てきたこともあって、本書執筆へとつながったようだ。
自分としては今、戦間期への興味関心で読んでいるのだが、ページ数的にも、ほぼ戦間期についての本としても読むことができる。


何故万博の本を読むことにしたかというと、
松井裕美『もっと知りたいキュビスム』 - logical cypher scape2で、1925年と1937年の万博が取り上げられていたからである。
また、海野弘『アール・デコの時代』 - logical cypher scape2にも時々万博は出てきて、本書とリンクするところがいくつかあって面白かった。
また、数年前に読んだ暮沢剛巳・江藤光紀・鯖江秀樹・寺本敬子『幻の万博 紀元二千六百年をめぐる博覧会のポリティクス』 - logical cypher scape2が万博テーマの本で、1937年のパリ万博についての章もあった。


プロローグ

万博の歴史はフランスで始まるが、国際博覧会として定着させたのはロンドン。
ロンドンの成功はフランスのプライドを傷つけ、以後、フランスは万博に力を入れるようになる(一方、イギリスはその後はあまり)。また、19世紀後半はアメリカも万博に力を入れる。
万博のひとつの頂点として、1889年パリ博(エッフェル塔の奴)がある。
そんなわけで、万博の歴史が語られるとき、19世紀が中心で、20世紀はあまり重視されてこなかった。が、万博が大衆化し、20世紀からは観客が1桁増えている。

第一章 〈アール・ヌーヴォー〉の頂点──一九〇〇年パリ博

1900年万博は、当初ドイツが開催に名乗りをあげていた。が、それにフランスが対抗して開催することになったのが、1900年パリ万博(ドイツは開催から手を引いた。ドイツではその後、2000年のハノーヴァー博まで万博が開催されなかった)。
万博は、技術と芸術の2つの軸があるが、技術寄りだった1889年に対して、1900年は芸術寄り、となった。
新しさよりは19世紀のまとめ
注目を集めたのは、アメリカからきたロイ・フラーの劇場で、電気の光を効果的に用いた。また、川上貞奴も出演した。これをイサドラ・ダンカンが見ていたというのが海野弘『アール・デコの時代』 - logical cypher scape2にあった。
1900年万博は、公式にはアール・ヌーヴォーではなかったが、アール・ヌーヴォーを世界に広めた万博となった。ただ、ここがアール・ヌーヴォーの頂点であり、その後は、衰退がはじまる
ナンシーから、ガレが出展した。ただ、ナンシーは、パリ中心主義に反対していた土地ではあった。

第二章 環太平洋文化の幕開け──一九一五年サンフランシスコ博

パナマ運河開通と、1906年サンフランシスコ地震からの復興を記念した万博
間接照明が全面的に使われた最初の博覧会
間接照明は1920年アール・デコに不可欠となった。
カラー・コーディネーターを置いたのも、特徴的。
バーナード・メイベックによる美術宮殿という建物が象徴的。メイベックは自然に朽ちていくことをテーマとしたが、唯一、現存する建物となっている。
ある種のメランコリックな気分が醸し出された万博だった。
企業が単独でパビリオンを出したのは1876年フィラデルフィア博のシンガー・ミシン(!)
サンフランシスコ博では多くの企業がパヴィリオンを出し、コマーシャリズムがより徹底された。

第三章 〈アール・デコ〉の登場──一九二五年パリ装飾美術博

1912年に計画が始まったが、第一次大戦の勃発や、復興に時間がかかり、延期につぐ延期
アートと工業の統一が目指されたが、メーカーとアーティストの間に対立があった(新製品情報は隠したいメーカーと、新しいものこそお披露目したいアーティスト)
モダンと伝統という対立もあり、唯一のモダンとされたのが、コルビジェエスプリ館
〈女性らしさ〉の雰囲気があり、それには百貨店の出展が一役買っていた、と。
百貨店ル・プランタンとアトリエ・プリマヴェーラ。百貨店で販売していたため、大量生産品を作る工房であり、一種のインダストリアル・アートといえた。
パリの中心地で開催されたのが、パリ博のよさ。
また、その後の万博では、大きな建築が中心になっていくのに対して、小さい工芸品・装飾品を見てまわることができた。
目的があまりはっきりせず、それが逆に、のんびりした感じにつながった。
ドイツは呼ばれなかったが、ソヴィエトやチェコは参加
間接照明の演出
アール・デコ家具のルールマンや、ルネ・ラリックが出展
ムッソリーニ時代で古典主義スタイルが復活したイタリア
メリニコフ設計のロシア館、タトリンの第三インターナショナル記念塔プラン
ホフマンのオーストリア
和風建築の日本館
キュビスム建築のチェコ
アール・ヌーヴォーのベルギー館

第四章 コロニアル文化の最後のきらめき──一九三一年パリ植民地博

不景気ながら消費文化の盛んな1930年代は、万博が盛んに開催された。
1925年パリ博と同時並行に企画されながら、パリ中心地ではなくパリ外れの森が会場に
植民地をテーマにしたのはマルセイユ博の成功がきっかけ
リヨテ元帥が責任者となり、エキゾティシズムではなく、植民地政策の成功を示すことが目的になった。とはいえ、観客はやはりエキゾティシズムに魅せられた。
目玉は、アンコール・ワットの再現。写真が掲載されていたが、かなりすごかった。
夜間はライトアップされていた。
噴水と夜間照明が展開された。
植民地の展示は一般には人気があったが、しかし、植民地主義への批判も既にあった時代(植民地政策の成功を示すことを目的としたのも、そうした批判をかわすため)。
シュルレアリストたちは、反対の立場をとった。

第五章 「進歩の世紀」とアメリカ資本主義──一九三三年シカゴ世界博

シカゴは1893年にも万博をやっていて2度目。市政100年を記念して1933年開催
ケンブリッジの教授が用いた「進歩(プログレス)」という言葉が1930年に再注目を浴び、シカゴ博のテーマに
スカイライド=200mの2つの鉄塔を結ぶケーブルカー
はじめてネオンの装飾照明を本格的に使用
未来のエネルギーとして原子力が予告されていた
禁酒法が廃止され飲酒可能に
GM、フォード、クライスラーという三大自動車会社による、白く巨大なビルが並びたち、その近くには、旅行と交通のビル。巨大ドームを鉄骨で吊り、内部には蒸気船・蒸気機関車が展示されていた
ナチス・ドイツが参加しており、ツェッペリン号が来訪
サリー・ランドのダンスが話題に

第六章 近代生活の光と影──一九三七年パリ〈芸術と技術〉博

最後のパリ博
左翼系の代議士により提案
1925年のアール・デコ博を引き継ぐもの。1931年の植民地博が右翼寄りだったのにたいして、1937年は左翼寄り
世界恐慌以降の不況もあって、テーマは「現代生活の芸術と技術」と限定的


1933 ヒトラーが政権をとる
1935 イタリアのエチオピア侵攻
1936 フランス人民戦線にによるブルム内閣発足/ドイツのラインラント進駐
1937 ゲルニカ爆撃(4月)/パリ万博開幕(5月)/ブルム内閣総辞職(6月)/万博閉幕(11月)/イタリア国際連盟脱退/南京事件(12月)
1938 第二次ブルム内閣
1939 ドイツのチェコポーランド侵攻
1940 パリ陥落
と、激動の時期のさなかに開催された
人民戦線内閣は、ファシズムに対抗するべく発足したが、風前の灯火みたいなものだった
しかし、大衆にとって少し生活がよくなった時期でもあり、ブルム内閣は、大衆のためのレジャーとスポーツの局をつくり、万博でもそれらはテーマとなった
また、この万博では、ブラック、レジェ、マルクーシス、マティスピカソ、ドローネー、ル・コルビジェなどが参加
コルビジェは、1937年万博に批判的ではあったが、積極的に参加。住まいの単位(ユニテ)による共同住宅を提案。これはいったんポシャる。その後、移動できる建築として「新時代館」を設計し、また「十万人のスタジアム計画案」を出した。
この万博で作られ現存している建築として、シャイヨー宮と近代美術館がある。
シャイヨー宮は、1878年パリ万博でトロカデロ宮殿を建てた場所
近代美術館は、ネオクラシック様式
航空館のインテリアは、オーブレとドローネーらが手がけ、飛行機をあしらった三次元オブジェも。これ、白黒写真が掲載されているが、なかなかかっこいい
ドローネーらはほかに鉄鋼館の壁画も。また、松井裕美『もっと知りたいキュビスム』 - logical cypher scape2では、ドローネーの発明館の壁画が掲載されていた。
なお、岡本太郎はこの万博を見ている。


1925年には招かれていなかったドイツが、1937年には参加している
1920年代のドイツは賠償問題もあり、万博どころではなく、フランスもドイツを評価していなかったが、1937年においては、フランスは孤立しかけており、妥協してのドイツ参加だった。
ドイツ館の設計はシュペーア
古典主義建築と夜間照明演出
そして、ドイツ館と向き合う形でのソ連館は、ボリス・イオファン設計
ソ連も、スターリン独裁が始まり、アヴァンギャルドから社会主義リアリズムへと変わっていた
なお、1931年に「ソヴィエト・パレス」のコンペが行われ、コルビジェやグロピウスなどが参加したのだが、勝ったのはイオファンだった
内乱状態のスペインは、人民政府が万博参加を決め、ミロとピカソが壁画を担当
4月26日にゲルニカ爆撃が起きて、5月1日にピカソはこれを描くことを決め、6月4日に描き上げた
パリ万博自体は5月に開幕していたが、スペイン館のオープンは7月にずれこみ、そして閉幕するのは11月なので、「ゲルニカ」が展示されていたのは4か月ほどだった。その後、ゲルニカアメリカへわたり、フランコ政権崩壊後にスペインへ返還される。
一方、同時に展示されたミロの壁画の方は、万博後行方がわからなくなっているらしい。

第七章 インダストリアル・デザインの勝利──一九三九年ニューヨーク博

会場は、マンハッタン島の東にあるフラッシング・メドーズ
〈灰の谷〉と呼ばれた地区で、燃やされた石炭の灰やごみが蓄積していた。
ここを博覧会のために再開発して、その後、公園にするという計画
戦後、ここには一時期国連ビルがあり、1964年に再びニューヨーク博が開催されている。


一番最初に参加を決めたのが、ソ連
ドイツは、ぎりぎりまで参加を検討していたが、ドイツはすでに戦時体制で参加取りやめ
60か国という史上最多の参加国数
インダストリアル・デザイナーによるストリームライン(流線型)=マシン・エイジ
建築デザインの統一
色彩も地域別に統一
トライロンという尖塔とペリスフィアという球形の建築が、シンボル
ゼネラル・モーターズのフュートラマ
赤字を埋めるため、期間延長して第二期を開催したが、結局赤字に。


インダストリアル・デザイナーたち
ヘンリー・ドレイファス
→舞台デザイナー。ヘリスフィア内部の未来都市模型
ウォルター・ドーウィン・ティー
→広告デザイナー。ジオラマ
ノーマン・ベル・ゲデス
→舞台デザイナー。フュートラマ、映画『明日の都市」
レイモンド・ローウィ
→ファッション・イラストレーターからインダストリアル・デザイナー。クライスラー・ビルや流線型の機関車

第八章 壊れた人間像の再構築──一九五八年ブリュッセル

アメリカがソ連に対するスパイ戦を展開
コルビジェクセナキスと協力してフィリップス館
世紀末ブリュッセル回顧と戦後モダンアートの発信
日本館は前川國男が設計

第九章 〈スペース・エイジ〉の到来──一九六四年ニューヨーク博

1939年のニューヨーク博にもかかわったロバート・モーゼズが責任者
ヨーロッパの万博は政府主導だが、アメリカの万博は民間主導
そのため、完全に営利事業として行うが、万博条約が求める会期や会場費の条件と衝突
万博委員会とモーゼズは決裂し、公認を得られなかった。
実は、前回のニューヨーク博も公認はなかった。だが、今回は公認なし、だけではなく、万博条約参加国は参加すべきではない、とされた。このため、英仏などは不参加。冷戦によりソ連も不参加。
それでも46か国が参加。ソ連の代わりにヴァチカンが参加し、「ピエタ」を出展
演出担当者は、ウォルト・ディズニー
「イッツ・ア・スモール・ワールド」を作り、これがのちに、フロリダのディズニーワールドへ
〈シオタラマ〉という映画館には美術館が併設され、エドワード・ホッパーからポロックまでが展示され、また、外壁は、リキテンスタインラウシェンバーグ、ローゼンクイスト、オルデンバーグ、チェンバレンらが参加
その中には、ウォーホルも含まれていたのだが、彼の作品は非公開となった。
ウォーホル自身の都合とされたが、実際には政治的な圧力があった。ウォーホルは犯罪者の顔写真を描いたのだが、その中にマフィアがいて、イタリア人の票を失うことを恐れた州知事からクレームが入った、と。その後、ウォーホルは、モーゼズの顔を描いたが、モーゼズがこれを許可しなかった。

第十章 忘れ去られた万博──一九七〇年大阪博

直前のモントリオール博から、マルチメディア・映像表現について学ぶ。ブリュッセル博や
ニューヨーク博からの引用もある
丹下健三グループ仕切り
メタボリズムグループと関西文化人につながりができて、のちに黒川紀章国立民族学博物館の建築を行う
実験工房のメンバーも参加

第十一章 長い空白期を過ぎて──ポスト・モダンの万博

大阪万博以降、1992年のセビリア博まで万博は開かれていない
が、1980年代に日本では地方博ブームがあった(沖縄海洋博、つくば科学技術博、大阪国際花と緑の博覧会など)
1992 セビリア
2000 ハノーヴァー博
2005 愛知博
2010 上海博