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分析美学・アニメ批評・二次元アイドル『フィクションは重なり合う』販売中

フィクション重なり合う 分析美学からアニメ評論へ

フィクション重なり合う 分析美学からアニメ評論へ

フィクションは重なり合う: 分析美学からアニメ評論へ

フィクションは重なり合う: 分析美学からアニメ評論へ

柴田勝家『ヒト夜の永い夢』

南方熊楠を主人公に、粘菌をコンピュータとして用いた自動人形=天皇機関少女Mを巡る騒動を描く、昭和伝奇SF
和歌山県田辺で研究生活を送る南方は、ある日、学会の主流派から外れてしまった者たちで結成された昭和考幽学会に参加することになる。
彼らは、昭和天皇即位を記念すべくプロジェクトを発足させる。
それが、天皇機関なる自動人形の開発である。
少女の死体にパンチカードを用いた制御装置、そして粘菌による計算機関を組み合わせた天皇機関は、さらに不思議で妖しげな力を持ち合わせていた。
天皇への奉納は失敗に終わるのだが、天皇機関の不思議な力に目をつけた北一輝が暗躍し始める。
探偵役として江戸川乱歩も現れ、物語は、南方熊楠らと北一輝派との対決を描く痛快活劇の様相を呈していく。

ヒト夜の永い夢 (ハヤカワ文庫JA)

ヒト夜の永い夢 (ハヤカワ文庫JA)


天皇機関は、パンチカード使って動くアンドロイド(というかガイノイド)なので、昭和スチームパンクとでも言えるかもしれないが、夢とは一体何か、夢の世界と現実の世界は何が違うのかといった思弁が、「いや、それ塵理論じゃん」みたいな話へと繋がっていく。
ありとあらゆる世界が存在しているとして、では何故無数の世界の中で、他ならぬ自分は今ここにいるのか、ということに熊楠は南方なりの答えを出すが、それが北一輝の(本書における)革命思想と対峙するための答えともなる。


上に述べた通り、主人公が南方熊楠、敵対者として北一輝、熊楠に協力する探偵として江戸川乱歩が出ててくるのだが、それ以外にも実在の人物が次々と登場してくる(というか名前のある登場人物は全員実在の人物なのでは)。
超心理学者の福来友吉*1、日本初のロボット学天測を開発した西村真琴、文学者の佐藤春夫、乱歩作品の挿絵を描いていた岩田準一合気道創始者である植芝盛平二・二六事件に加わっていた陸軍中尉の中橋基明、さらに石原莞爾宮沢賢治三島由紀夫の祖母である平岡夏子などが登場する。また、直接は登場しないが、熊楠とはイギリス留学時代に交流のあった孫文も、重要なキーを握る人物である。
で、次々と出てくる登場人物たちのWikipedia読んでるだけで面白くなるw
実際、本書と並行して、Wikipedia読むだけでも、次々と作中に出てきたエピソードの元ネタがぽろぽろ出てくるので楽しい。
作中でも言われているのだが、南方熊楠、人脈ありすぎ。
また、これは作者の柴田勝家がインタビューで答えていたことだが、宮沢賢治南方熊楠は実際に会った記録はないが、賢治が奈良にまで旅していたのは事実で、それを元に、山の中で2人が出くわしていてもおかしくなかったのではないか、と考えて本書の宮沢賢治登場シーンは作られているらしい。

語り自体は結構軽妙で、いや軽妙というか、ちょいちょい笑いを挟んでくるし、なんなら下ネタも多い
展開も結構ハチャメチャなところがあり、それが結構楽しい。
ところで、熊楠は周りの人たちにも結構冗談を言ったりしているのだが、ほぼ最年長であり、みんなからすごい人だと思われているので(実際すごい人だが)、冗談が冗談だと気付かれず大まじめに受け取られてしまったりするシーンが時々出てきたりするの、わりと好きw


昭和考幽学会は、一応、主流派から外れた者たちが密かに集ってという趣旨の組織なので、物語の半分くらいまでは、メンバーはみんな黒頭巾をかぶって登場する。
南方は、物語開始時点ですでに60歳くらい
おっさんたちが黒頭巾かぶって集まって酒盛りしながら、「なんかでかいことやるぞ」「そうだ! 天皇機関だ!」みたいなアホ話して盛り上がる(あれよあれよと実現しちゃうんだが)という図が、黒田硫黄の絵で思い浮かんだ。
天狗党絵誌』とか『茄子』とかに出てくる髭のおっさん、そのまま南方熊楠のキャラデザに流用できるでしょw
しかし、最後のクライマックスである二・二六事件は、夢とうつつが入り交じって、完全に今敏の世界になっている。


どっかに、タンパク質が遺伝物質となっている旨の記述があって「ん?」となったんだけど、DNAが遺伝子だってわかったのそういえば戦後だった


天皇機関は一度完成するが、未来予測を口にするようになる。
そしてこれは、人々を魅了し、時に崇める者まで現れる。
が、それは胞子のよる幻覚作用であることが分かる。
天皇機関を止めようとした熊楠は、奇妙な経験をする。福来が撃たれて死んでしまったところを目撃するのだが、その後、福来がピンピンしており、撃たれたという事実もなくなっていた。
熊楠は、福来が撃たれた世界から福来が撃たれていない世界へと移動していたのだ。
天皇機関は、あらゆる世界を見ることができ、人を他の世界へ移動させることができる。
実は冒頭に、熊楠と考幽学会の面々が皇居で天皇に自分たちの研究を無事奉ることができるというシーンがあって、最初、先説法かなと思ったのだが、実際にはこういうシーンはおとずれない。別の世界の出来事だったと思われる。
で、熊楠は、夜見てる夢や、福来の研究している千里眼について、脳の分子の組み合わせが、実際に何かを見たときの組み合わせと一致したときに見えるものなのではないかという仮説を立てている。
さらに、ありとあらゆる組み合わせがありえるのであって、その組み合わせ次第で、別の世界が見えているということもありうるのではない。
そしてさらに、ありとあらゆる分子がありとあらゆる組み合わせで構成される可能性があるのだから、別の可能性の世界も存在しているのではないかという、塵理論みたいな理論が展開されていく。
作中では、熊楠以外に、天皇機関のほか、北、乱歩がそれぞれ同じような考えをもっている。
後半、福来が、何故自分は(自分が成功した)そっちの世界ではなくこっちの世界にいるのでしょうかと、熊楠に問うシーンがある
それに対して、熊楠が考え出す答えは、因縁の重力。人は生きていくうちに、他の人や出来事と因縁が結ばれていく。それが多くなるとこの世界から動くことはできなくなる。幼い子供が前世の話をしたり神隠しにあったりしてしまうのは、その因縁がまだ薄いからではないか、と。
北は、天皇機関の力を持って、誰もが自分の願望の叶っている他の世界へといけるようになる、という「革命」を起こそうとしているのだが、これに対して、熊楠は、因縁の縄で縛られるのは気持ちイイのだと反論する。


ところで、江戸川乱歩は中盤からの登場になるのだが、乱歩登場以降、通天閣からオートジャイロで逃げ出す北一派とか、赤マントの噂を追って工場に忍び込むとそこには円柱形のロボットたちが、といった、少年探偵団かよみたいな展開が出てくるようになるのが面白かった。


最後、昭和天皇デウス・エクス・マキナ的なのは、まあ伝奇というジャンル上そういうものかなとも思うのだけど、石原ともども、ちょいと美化されすぎなのではという感じがあって、そこはちょっと気になった。

*1:『リング』の貞子のモデルになった人物を実際に研究していた人

『多元化するゲーム文化と社会』(一部)

全部読んだら、ブログに書こうかなと思っているといつまでも書けなくなってしまうので、読んだものだけでも
全14章、コラムも10本以上ある中の、論文3本、コラム1本なので、一部も一部にすぎるのだけど……
第1部と第4部はもうちょっとちゃんと読みたい

序章 多元化するゲーム文化と社会  松井 広志・井口 貴紀・大石 真澄・秦 美香子
■第Ⅰ部 ゲームとユーザー■
第1章 大学生のゲームの利用と満足 ――ユーザー視点の研究―― 井口 貴紀
第2章 携帯する「ゲーム=遊び」の変容――オンラインゲームの大衆化をめぐって―― 木島 由晶
第3章 ゲームセンター考現学 ――ゲームセンターにおける高齢者増加の言説をめぐって 加藤 裕康
コラム ゲームにとって音楽とは 小川 博司
コラム コンサートホールとゲーム音楽 山崎 晶
コラム スポーツ化するサッカーゲーム 野田 光太郎


■第II部 実践のなかのゲーム■
第4章 ビデオゲームにおける日常と非日常 李 天能
第5章 盤上の同一性、盤面下のリアリティーズ:会話型ロールプレイングゲームによるゲーム論×相互行為論 髙橋 志行
第6章 TRPGにおける「ここ」:仮想的秩序と現実世界の秩序との整合をめぐる断章 臼田 泰如
第7章 人はゲームと相互に作用するのか――ルールを“運用する”ことに見る実践の中のゲーム概念―― 大石 真澄
コラム ビデオゲームからの「面白さ」発掘を目指して ~四半世紀前のお話~ 林 敏浩
コラム 開かれたTRPG作品 有田 亘
コラム 日本における成人向けゲームの倫理的レーティング規定 岡本 慎平


■第III部 ゲームとジェンダー
第8章 プレイヤーキャラクターをジェンダーの視点から見る――「ドラゴンクエスト」と「Final Fantasy」の事例から 秦 美香子
第9章 子ども向けアーケードゲームジェンダー化――『オシャレ魔女ラブandベリー』を事例として 東 園子
第10章 BLゲームの歴史と構造:ゲームならではのBLの楽しみ 西原 麻里
コラム 僕らのいる場所――「バーツ」物語―― シン・ジュヒョン (Shin Juhyung)
コラム 中国のアプリゲームから二次創作を考える 程 遥
コラム ドイツの大学におけるゲーム授業の変容と現状 マーティン・ロート (Martin Roth)
《翻訳》ユーロゲーム――現代欧州ボードゲームのデザイン・文化・プレイ (概略) スチュワート・ウッズ (Stewart Woods)
コラム フィンランドのゲーム産業 タイラ・グラーンルンド (Taila Granlund)


■第IV部 ゲーム文化と社会■
第11章 ゲームの内と外? ――マジックサークル再考 松永 伸司
第12章 「ゲーム/遊びとは何か」とは何か――ゲームのメタ定義論をめぐって―― 井上 明人
第13章 「できなくなること」を享受する ――日本社会でのデジタルゲーム経験から 鍵本 優
第14章 メイルゲーム/ネットゲームのコミュニケーションと文化 ――多元的なゲーム史、ゲーム研究へ―― 松井 広志
コラム ゲームと観光のかかわり 岡本 健
コラム インタラクティブ・フィクション 師 茂樹
コラム ゲーム研究をめぐる困難 吉田 寛

多元化するゲーム文化と社会

多元化するゲーム文化と社会

第5章 盤上の同一性、盤面下のリアリティーズ:会話型ロールプレイングゲームによるゲーム論×相互行為論 髙橋 志行

ゲームの存在論、というか、同じゲームをプレイしたと言える時の「同じ」を制約する条件の違いから、TRPGと他のゲームを区別しようとする試み
1つのパッケージで完結された作品と違って、ゲームの場合、MODとか追加ルールとか加わると、それでゲームとして別物になってしまうし、TRPGの場合、ゲームマスターとかポリシーとか違っても別物になってしまうよ、という話で、そういう条件を洗いだしてるのは面白い気がする
ところで、何が「同じ」なのかがちょっと曖昧になっている気がする
どういう時「「同じ」ゲームを経験した」といえるか、というのがテーマなんだけど、ここでいうゲームが、ゲームプレイなのかゲーム作品なのか
もちろん、ゲームプレイは、その都度ごとに違うので、そもそも同じゲームプレイ経験なんかあるのかという感じだし、ここでも「ゲームプレイ」のことを想定しているわけではないと思う。
けど、表に「経験の同一性」とか「セッションの同一性」とか書かれると、ちょっとゲームプレイっぽくも見える
逆に、作品って言いきっちゃうと、いや、追加ルールが加わったところで「同じ作品」であることには違いないじゃないか、というツッコミもありかねない。まあ、そういう話がしたいわけでもない。
「作品(追加ルールが加わったりGMが違ったりしても、同じタイトルのもとまとめられる集合)」でも「ゲームプレイ」でもなくて、その中間くらいのなんかがあるような気がする、批評かなんかの対象にしたい単位として。


ところで、後半は、同一性の話から少し離れて、プレイヤーは複数の現実(リアリティーズ)を切り替えるというような話がされていて、前半と繋がっている話なのかどうかよく分からないんだけど、多分、筆者がずっとやろうとしているのはこっちの方向の話なんだろうなーという気はした

第9章 子ども向けアーケードゲームジェンダー化――『オシャレ魔女ラブandベリー』を事例として 東 園子

ラブベリ』は直接は知らないのだけど、プリリズやアイカツに影響を与えたパイオニア的なゲームとして名前は知っていたので、この論文気になっていた
ラブベリ』の元となった『ムシキング』と比較しながら、そこに現れているジェンダー秩序について分析している
ところで、この論文の内容ではなく、あくまでもこの論文が引用している論文の内容の話なんだけど、ショッピングセンターに置いてあるゲーム機って、法律上は自動販売機なのね

コラム 中国のアプリゲームから二次創作を考える 程 遥

中国では、公式アプリの中に二次創作が組み込まれているという話
中国では、コンテンツの活性化手段として二次創作を利用しているようだ、と(「寛容」かどうかというのとはまたちょっと違う話かも、と)

第11章 ゲームの内と外? ――マジックサークル再考 松永 伸司

ホイジンガにより提唱され、『ルールズ・オブ・プレイ』で現代ゲーム研究にも持ち込まれるようになった「マジックサークル」概念
この概念については、多くの批判も寄せられているが、松永はこの概念を整理して、ゲーム研究にとって有用な概念であることを示す
松永は、マジックサークル概念を「区切りとしてのマジックサークル」と「意味付けとしてのマジックサークル」に整理する
前者について、空間的・時間的な区切りのこと、必ずしも空間的なものに限った話ではない。「現実のどの要素がゲームに関与的か、そうでないかが区別されている状況」と定式化している
後者は、サールの構成的規則のような「制度」として理解できる
いずれも、日常生活や現実世界からの分離を含意しているわけではないことに注意
制度は日常にもある
ビデオゲームにマジックサークルが見出せない、という批判があり、松永はこれについて反論する。ただ、確かに非ビデオゲームと比べると微妙で、標準的なビデオゲームにマジックサークル概念を適用してもそれほど面白くはない、ということには松永も同意する
しかし、例えばイングレスやポケGOのようなゲームを考える上で、マジックサークル概念は使えるとしている
また、現実の会社組織のような組織と役割分担を創り出すようなオンラインゲームについて、マジックサークルがあやふやになる、という意味で、マジックサークル概念が使えるとも。

土屋健『リアルサイズ古生物図鑑 中生代編』

現代の風景写真の中に、古生物のCGイラストを合成することによって、古生物の「サイズ感」を実感することのできる本
本書は、シリーズ第二弾である中生代
中生代の古生物といえばもちろん恐竜
というわけで、恐竜を多く収録しているが、この本の面白いところは恐竜以外の古生物に多くページを割いているところ
中生代の古生物で恐竜以外というと、翼竜、首長竜、魚竜、モササウルスといったあたりがすぐに思いつくが、それだけなく、上述した以外の様々な爬虫類、両生類に単弓類や哺乳類、アンモナイト類などの海棲生物、植物と幅広く収録している。
また、日本で発見された恐竜・古生物も多く取り上げられている
三畳紀ジュラ紀白亜紀前期、白亜紀後期の4章構成となっている

古生物のサイズが実感できる!  リアルサイズ古生物図鑑 中生代編

古生物のサイズが実感できる! リアルサイズ古生物図鑑 中生代編

好きな写真

  • シンラプトル

ジュラ紀の獣脚類
砂漠を進むキャラバンの写真の中に配置されており、ひたすら絵としてかっこいい

白亜紀前期の竜脚類
突起が特徴的だが、ゴシック(?)建築の内を歩いているという図で、突起と柱のハーモニーがよい感じ

白亜紀前期の獣脚類。羽毛恐竜として有名。
羽毛の色素が化石に残されていたので、体色がかなり判明しており、縞模様の尾をもっている。
それで、ワオキツネザルと並べられている。

白亜紀前期の獣脚類。
ティラノサウルスの祖先で、大型ながら羽毛をもつ
雪の舞い散る温泉街の中に立っていて、羽毛のもふもふ感がよく出ている。

  • ニクトサウルス

白亜紀後期の翼竜
非常に特徴的なトサカをもっており、頭だけをぴょこんと見せているのがかわいいw

  • オルニトミムス

白亜紀後期の獣脚類
通称ダチョウ恐竜、ということで、ダチョウの中に放り込んでみましたという写真になっている。一瞬どこにいるんだか分からないくらいうまく紛れ込んでいるのが、うまい

三畳紀

三畳紀は、特に前半までは、恐竜はほとんで出てこなくて、偽鰐類が多くを占めるが、偽鰐類は言われないと非常に恐竜っぽい姿をしている。
アリゾナサウルスとかシリンガサウルス*1とかデスマトスクスとか、ここらへん上の「好きな写真」で挙げるかどうか迷ったくらい、絵的にもよい
逆に、まんまでかいワニみたいな奴もいるけど
サウロスクスとかファソラスクスとか、ほんとデカい
板歯類という爬虫類が、変な形してる奴が多くてちょっと楽しいw
カメの祖先とかカエルの祖先とかも載っている
首長竜じゃないけどめちゃくちゃ首長竜っぽい見た目のタニストロフェウスは、釣り竿と並んでいているのが面白い
後ろ脚に皮膜が生えていて、まるで全翼機みたいな蜥蜴、シャロヴィプテリクス
三畳紀は全部で35種類の生物が登場
そのうち恐竜は6種類

ジュラ紀

最古の哺乳類モルガヌコドン、ビーバーのような姿の哺乳類カストロカウダ、モモンガのような哺乳類ヴォラティコテリウムなど、中生代にも多様な哺乳類がいたというのが分かる
恐竜では、ステゴサウルスはじめ剣竜勢ぞろいの写真(何故か合掌造りの日本の村の中にいる)とか、マメンキサウルス、アパトサウルス、カマラサウルス、ギラファッティタン(元ブラキオサウルス)、ディプロドクスといった竜脚類の有名どころも並ぶ。それぞれキリン、電車、重機、アーチ橋、カーネギーホールと比較されていて大きさが分かりやすい
山道で出くわすアロサウルス
めちゃくちゃ巨大な魚、リードシクティス(プールで一緒に泳ぐ人との比較でサイズ感がはっきりわかる
ドイツのパブにるランフォリンクスとかも

白亜紀前期

最古の真獣類エオマイア
植物としては唯一の登場か、キカデオイデア
日本から、カガナイアス(こいつは恐竜ではなく爬虫類)、フクイサウルス、フクイラプトル、タンバティタニスが登場
日本の恐竜ではないが、東京駅前にきたパタゴティタンの写真もすごくいい。東京駅前に置いてほしいw
ツパンダクティスルという、でかいトカサの翼竜も。この本の翼竜はなんか人懐こい感じの奴とかとぼけた感じの奴が多い印象w
ディロング、シノサウロプテリクス、ミクロラプトル、ユティランヌス、ディノニクスが羽毛をまとった復元CG

白亜紀後期

8m超の巨大サメ、クレトキシリナ。水族館の水槽を泳いでいるが、あまりのでかさにビビる(いやしかし、リードシクティスはこれよりさらに倍以上でかいんだよな……)
異常巻きアンモナイトから、ユーボストリコセラス、ニッポニテス、ディディモケラス、プラヴィトケラスと4種も登場。いやでも、異常巻きアンモナイトいいよねw なお、ディディモケラス以外は日本の種
日本からは、他にフタバサウルス、ハボロテウティス(ハボロは北海道の羽幌)、ナナイモテウティス、むかわ竜(まだ種名ついてないよ!)、フォスフォロサウルス(モササウルス類)が登場
なお、ハボロティウスはイカナナイモテウティスはタコで、それぞれ全然海とは関係ないところにいる写真になっているw
海の生き物なんだけど、写真は海と全然関係ないとしては、ウミユリ類のウインタクリヌスとかも(アンモナイトも大概そうだなw)
他の生物が写りこんでいる系写真として、プロトケラトプスのいる部屋を覗き込むオヴィラプトルが!
鎧竜が3種類でてくるが、どれも車(うち1つは戦車)と並べられている
デイノケイルスとテリジノサウルス、でか
駅の自動改札に突っ込んでくるパキケファロサウルス怖いw ただ、他の有名恐竜と比べてサイズが少し小さめ、というのは分かる
デカすぎて飛行できなかった説もある翼竜ケツァルコアトルスはバスケの試合
京都鴨川を散歩するタルボサウルス、日本家屋の縁側を歩くアルバートサウルス、秋葉原を闊歩するティラノサウルスという、そんなとこ歩かれたら怖すぎるシリーズw


些細な点では、古生物に対して使われる人称代名詞が全部「彼」で、「彼女」が多分どこにもなかったように思えたのはちょっとだけ気になった

*1:こいつ偽鰐類じゃない爬虫類だが見た目が恐竜っぽい

乾敏郎『感情とはそもそも何なのか』

日本語で読める本で、自由エネルギー原理についてわりと詳しく説明している本だと聞いて、読んでみた
で、そのあたりがまとまっていてとても面白かった
筆者は、マー『ビジョン』の翻訳者でもあり、川人光男とも共同研究していたりする人。認知神経科学者?


数式がたくさん出てくる、また、脳の部位についてもたくさん出てくる
本当はそこらへんが大事な本かなと思うのだけど、この記事では省略した

はじめに

Ⅰ章 感情を生み出すしくみ
 Ⅰ- 1. 感情を科学する
 Ⅰ- 2. 感情と身体
 Ⅰ- 3. 感情を作る脳のしくみ
 Ⅰ- 4. 価値を学習するしくみ

Ⅱ章 感情と推論のしくみ
 Ⅱ- 1. 知覚と運動のしくみ
 Ⅱ- 2. 内臓の運動制御と感情
 Ⅱ- 3. 他者の感情を知るしくみ
 Ⅱ- 4. さまざまな認知機能に対する情動と感情の影響
 Ⅱ- 5. 注意を払うのはなぜか
 Ⅱ- 6. 推論の方法

Ⅲ章 感情障害のしくみ
 Ⅲ- 1. 感情障害を理解する基本的考え方
 Ⅲ- 2. うつ病の本質
 Ⅲ- 3. その他の感情障害
 Ⅲ- 4. 自閉症オキシトシンと社会性
 Ⅲ- 5. 不確実な日常を生きる
 Ⅲ- 6. 自分の感情をコントロールする

Ⅳ章 自由エネルギー原理による感情・知覚・運動の理解
 Ⅳ- 1. 脳はいかに推論を進めるか
 Ⅳ- 2. 脳の階層構造と階層的推論
 Ⅳ- 3. 能動的推論——知覚と運動が区別できないしくみ
 Ⅳ- 4. 内受容感覚とさまざまな機能

【参考1】自由エネルギーとカルバック・ライブラー情報量 
【参考2】予測信号の更新式

付録 ヘルムホルツ小史
  業績概要
  ヘルムホルツの思想と人となり
  エネルギー保存則
  『生理光学ハンドブック』の刊行
  予測誤差の起源
  帰納的推論の重要性

point のまとめ
further study のまとめ
文  献
おわりに

感情障害についての第3章は未読


Ⅰ章 感情を生み出すしくみ

本書では、生理的な反応のことを「情動」、それに伴う主観的な意識的体験を「感情」と呼び分ける。ダマシオに従った用法とのこと。
感情の2要因論という考えが採用されている
感情の2要因論

感情は、内臓の状態を知らせる自律神経反応を脳が理解することと、その反応が生じた原因の推定という2つの要因によって決定される。
(p.17)

「感情=情動+原因の推論(p.42)」とも
2要因論について、脳機能イメージングを用いた検証実験がある
脳の中の島、特に前島とよばれる部位が感情を生成していると考えられている。自律神経反応と、条件づけられた刺激の両方があるときに、島が反応する


外受容感覚:いわゆる五感
自己受容感覚:自分の関節がどれくらい曲がっているかとかの運動感覚、身体の回転などの平衡感覚
内受容感覚:内臓感覚


この章では報酬予測と学習の話もなされている。
報酬とは、行動を行う誘因となるもので、側坐核で評価され、偏桃体や淡蒼球へと信号が送られる。
この回路はループを形成していて、将来の報酬の予測を行っている。予測誤差が正の方向に大きいとドーパミンが増え、予測誤差がないとドーパミン量は変わらない
ドーパミンシナプス結合の強さを強くする働きがあるので、ドーパミンが出てると学習が進む
上述のループは、大脳基底核ループと呼ばれ、このループはさらに複数の種類があり、行動の価値を学習する運動ループや、感情と密接に関係していると考えられている辺縁系ループなどがある


この章では、内臓の状態を一定に保つ働きとして、ホメオスタシスとアロスタシスという働きが紹介されており、後者は能動的な予測制御である

Ⅱ章 感情と推論のしくみ

感情は「原因の推論」であるとして、まず、その推論の仕組みとはどういうものかということで、視覚を例にとり、ヘルムホルツの無意識的推論の説明がなされる。
視覚において、2次元の網膜像から3次元の世界をする必要がある(逆光学問題)
そもそも、一つの二次元画像から得られる三次元像は複数あり、二次元データからは決定できない。
川人・乾は、人間は簡単な法則を持っており、これを用いて三次元の状態を推測し、今度は逆に、脳内で画像を生成し、その予測誤差を検証すると考えた
視覚だけでなく、身体運動についても予測とその誤差の検証ということを、脳は行っている
運動皮質は、運動神経に対して運動指令信号を出すとともに、どのような感覚が返ってくるかの予測信号を出し、後部頭頂皮質で、実際の感覚信号と比較する
この誤差を検証して、運動を調節していく


内臓の状態についての感覚を、内受容感覚と呼ぶ
内受容感覚についても、やはり予測信号によるフィードバックが行われている
予測信号と、実際に送られている信号が、島において比較されている。
内臓からの感覚が情動で、これと予測信号があわさって、感情になる、と

  • 自己について

自己は、永続的自己(自伝的記憶などからなる)と一時的自己からなる
一時的自己(下記の3つからなる)

    • 自己主体感

ある行為を自分でやっているという感覚。これがなくなると、統合失調症の症状の一つである「させられ体験」が生じる
運動する際の感覚フィードバックの予測誤差が小さいと自己主体感が生じる
統合失調症は、感覚フィードバックの予測がうまくできなくて、させられ体験が生じると考えられている

    • 自己所有感

自分の身体が自分のものであるという感覚

    • 自己存在感

自分が自分の物理的身体の中に存在し、その環境下に存在しているという感覚
要因はいくつかあるが、内受容感覚の予測と内臓感覚のフィードバックの予測誤差が小さい場合、自己存在感が高まると考えられている
自己主体感と相互作用がある

ミラーニューロンは、模倣行動だけでなく、他者への共感、感情推定にも使われている
ミラーニューロンは、島を介して偏桃体とつながっていて、運動だけでなく感情についても結びついている
顔の写真から他者の感情を推定する実験では、生理的反応(情動)が生じていることが分かっており、感情推定が共感によって行われているらしい
さらに、心拍音刺激を与えて、顔写真の感情評価をさせたり、被験者の心拍のリズムにあわせて顔写真を提示したりすると、感情評価に影響する。他人の感情を推定するにあたり、本人の情動が影響していると考えられる

  • 注意

従来、注意とは、生起確率が小さい現象(シャノンのサプライズ)に向けられる、と考えられきた
近年の研究で、注意は、信念の変化の度合いが大きい(ベイズサプライズが大きい)場合に向けられる、と考えられるようになった
注意を向ける事前の確率分布と事後の確率分布の差としてあらわされる。
これはカルバック・ライブラー情報量という式で計算できる
これは予測誤差、ともいえる


原因の推定について、最大事後確率推定という方法がとられる。
「ガラスが割れている」という事象から原因を推論するとする。
この場合、例えば「「ガラスが割れている」ならば「泥棒が入った」」確率(事後確率)を求めて、他の原因(地震が起きたとか、ボールが飛んできたとか)による事後確率と比較して、最も確率の大きいものを選ぶ。
泥棒が入ったという事後確率を求めるためには、「「泥棒が入った」ならば「ガラスが割れる」」確率(条件付き確率・尤度)と、そもそもその地区で泥棒が発生している確率(事前確率)の積を考える
感覚信号が何の原因によって生じたのか、ということを、最大事後確率推定から求めることができる
神経回路でこれを解く方法がある(最急降下法


信号にはノイズがある
信号はだいたい正規分布になっていて、ノイズは分散
フリストンの自由エネルギー原理には「精度」という概念がある。精度は、分散の逆数
つまり、ノイズが大きいほど精度が低い、ノイズが小さいほど精度が高い
そして、予測誤差は、精度によって重みづけられる
精度が低い信号は、予測誤差が小さくなるので、信念の変化する度合いが小さい、だから注意が向かない、ということになる
注意を向けるということは、精度を高めることになる


予測を行うには、事前確率が必要だが、これはヘブの学習規則によって学習可能とされている

Ⅲ章 感情障害のしくみ

未読につき省略

Ⅳ章 自由エネルギー原理による感情・知覚・運動の理解

知覚とは:感覚信号からそれを引き起こした原因を推定すること
(このように知覚と感覚を区別をしたのもヘルムホルツ
既に述べたように、事前確率と条件付確率が分かれば、事後確率が分かる
ある感覚信号を引き起こした原因としては、色々な事象が考えられる。
事後確率が最大になるような事象を見つけることが、原因の推定ということになる
どうやって、最大事後確率推定を行うか。
色々な方法があるらしいが、ここでは、まずある分布を考え、これが実際の事後分布にできるだけ近づけるという方法が取られる。
で、この方法をあらわしているのが、既に第二章で紹介したカルベック・ライブラー情報量となる


さて、ヘルムホルツは、熱力学の分野で「自由エネルギー」という概念を提唱しているが、
カルベック・ライブラー情報量の式の中には、自由エネルギーと同じ形をした式が含まれている、と
で、カルベック・ライブラー情報量を用いた最大事後確率推定は、この自由エネルギーを最小化することで求められる
この自由エネルギー最小化、というのは、予測誤差の最小化に相当している。
これが、フリストンが、2005年から2010年の間に発表して「自由エネルギー原理」


脳は視覚野に代表されるように階層的に情報処理を行っている
自由エネルギー原理に基づく推定も、階層的に行われている
上位の階層から一つ下の階層に予測信号が送られ、送られた方の階層で予測誤差が計算される
低次の情報処理から高次の情報処理まで、予測誤差最小化のネットワークでつながっている
このことを本書では、知覚(低次の処理)と認知(高次の処理)に境界はない、切れ目なく相互作用している、と言い表している


さらに、自由エネルギー原理のもとでは、知覚と運動も区別されない、と
つまり、どちらも予測誤差を最小化していくという点では変わらない
ただし、知覚の場合は、予測の方を修正することで予測誤差を最小化していくのに対して、
運動の方は、身体を動かすことで予測誤差を最小化する(このため、予測誤差のフィードバックは抑制されている)
また、知覚は外受容感覚、運動は自己受容感覚の予測だが、どちらも感覚信号であるという点で、神経中枢では区別されていない
運動すれば、入ってくる感覚信号も当然変わるので、運動と知覚は循環する


予測誤差最小化=自由エネルギー最小化には、ふたつの方法がある
1つは、予測を変化させること
もう1つは、予測と一致する感覚データをサンプルすること=行動を変化させること(運動、あるいは注意を向けること)
前者を「無意識的推論(ヘルムホルツ)」、後者を「能動的推論(フリストン)」と呼ぶ


能動的推論は、信号の精度に依存
高い精度の期待は予測誤差による修正を受けず、行動の目標として作用
どの感覚信号に注意するかは、感覚信号の精度に依存


ホメオスタシス及びアロスタシス(将来的な状況を予測してホメオスタシスの設定値を変更する働き)は、身体状態に対する能動的推論
内受容信号の予測に向けて身体状態を変化させる働き

  • 内受容感覚と他の機能

認知との関係:心臓が収縮したタイミングで、顔刺激を与えると、検出率が高くなる
自己所有感との関係:ゴムの手錯覚が生じている時、本当の手の体温が下がる。内受容感覚の感度が高いほど、ゴムの手錯覚が起きにくい
HMDを使って、全身についてゴムの手錯覚のような錯覚を生じさせる(幽体離脱体験的な)実験がある→自己の映像を、心拍や呼吸に同期させて点滅させるとこの錯覚が起きやすくなる

能動的推論において、予測信号は抑制されていて、自分の予測と行動によるフィードバックとを一致させて、予測誤差を最小化させている
統合失調症において、予測誤差の抑制がうまく働いておらず、予測誤差が大きくなる→「させられ体験」
催眠において、視覚フィードバックがブロックされて、予測誤差が大きくなり、「させられ体験」と同様自己主体感がなくなる
辛いときがあったときに、注意が外に向かず自分の心の中にばかり向いてしまうことをマインドワンダリングと呼ぶ
瞑想は、このマインドワンダリングを切ることができる。自己の呼吸へ集中するという瞑想を行うと、中央実行ネットワークや島が活性化し、自己へ集中し続けることができる
中央実行ネットワークは、催眠誘導の際にも働いている

  • 脳内三大ネットワーク

中央実行ネットワーク(CEN):課題に応じて注意を切り替えたり、反応を抑制したりする
デフォルトモードネットワーク(DMN):課題を行っていない時に活性化する
顕著性ネットワーク:顕著な信号を検出すると、DMNを止め、CENを動かす。前帯状皮質、前島、扁桃体などからなる


自己所有感は、外受容感覚から
自己存在感は、内受容感覚から
精神疾患において、両方が障害をうけるケースが多い
また、VRの研究で、自己所有感を高めると、自己存在感も高まるという結果もある
セスは、両者のネットワークが相互作用しているモデルを提案している
そのモデルでは、内受容感覚の予測誤差が自己所有感ネットワークに送られている

  • 自由エネルギー原理から考える環境と感情

自由エネルギー原理によれば、信念を書き換えたり、期待する刺激に注意を向けることで、自由エネルギーを最小化する
能動的推論とは、サプライズの低い刺激に接近する
感情の分類:自由エネルギーの時間的変化
→自由エネルギーが時間経過によって減少する=ポジティブな感情
 自由エネルギーが時間経過によって増加する=ネガティブな感情
 さらに、変化の速度(加速するか減速するか同じか)という区別もあわせて、本書では、幸福、不幸、希望、恐れ、驚き、安心、失望を区別する一覧表を提案している。

付録 ヘルムホルツ小史

1821年~1894年
色んなことやってる人だ
1847年 エネルギー保存則
1850年 神経電動速度の測定
1851年 眼底を計測する器具や角膜の曲率などを測定する器具の発明
1856年、60年、66年 『生理光学ハンドブック』1~3巻刊行
1858年 「ヤング-ヘルムホルツ理論」色覚に関する三原色理論の提唱
1861年 音感覚について、蝸牛の基底膜の場所で符号化しているという説を提案、その後、音楽理論も発表
1867年 「目を動かしても世界はなぜ止まって見えるのか」(逆に、指で目を動かすと動いて見える)→無意識的推論の話へ

感想

本書では、感情についての身体説とか認知説とかそこらへんの各説の紹介や検討などは全くなされていないし、当然ながらプリンツについての言及もないが、感情の2要因説は、身体説と認知説とをあわせたプリンツ説とも近いところのある考えかな、という感じがした。ただ、もう少し具体的なところに踏み込んでいくと、プリンツとは異なる、と思う(プリンツは、予測誤差最小化の話とかはしていなかったはず?)
ジェシー・プリンツ『はらわたが煮えくりかえる』(源河亨訳) - logical cypher scape2


逆光学は、エリック・R・カンデル『なぜ脳はアートがわかるのか―現代美術史から学ぶ脳科学入門』 - logical cypher scape2で出てきたばっかりだったので、思わず反応したw


この本の著者自身が、川人さんと共同研究している人なので、さもありなんって感じはするけれど、自己所有感とか自己主体感とかの話が出てきたのが面白かった
予測誤差と、どの感覚と結びついているかで、それぞれがすっきり整理されていて、統合失調症のメカニズムとしても説明されているのがなかなか。
自己主体感というと、稲見さんの研究とかを想起する
ぎゅぎゅっとてんこ盛り : 第9回 稲見昌彦さん | CiP
稲見昌彦『スーパーヒューマン誕生! 人間はSFを超える』 - logical cypher scape2


注意と精度の話、自由エネルギー原理の肝ないし重要な論点の一つという気がするし、面白いんだけど、まだしっかり理解したという感じに至ってない


能動的推論とか注意とか運動と知覚に違いはないとかの話を読みながら、これはそろそろノエを読まないといけないのかなーということを思ったりしていた
ノエ、まだ読んだことないから、どういう話なのかよく分かってないけど
エナクティブ・アプローチか。この本の中にも1か所か2か所、エナクティブという言葉は出てきたような気がする
自由エネルギー原理とエナクティブがつながる話なのかどうかは、正直よく分からないが


「無意識的推論」と「能動的推論」が対概念にされていたけれど、能動的推論も、意識に顕在化してくる情報処理ではないはずなので、無意識なのには違いない(ホメオスタシスとかまで能動的推論の一種とされているし。っていうかそれ「推論」か?)。まあ説明読めばわかるけど、後々誤解を招かないか心配になるネーミングだ。自由エネルギー原理ってネーミングも、そういう意味では気になってしまう
「推論」っていう言い方は正直、比喩だろという気がする(元々「無意識的」と形容ついていたあたりからも、推論ではないけど推論っぽいものというニュアンスな気がする)。あと、自由エネルギーも式の形が同じ、ということだと、予測誤差最小化原理とかでもいいような気がするのだけど……


知覚と認知は区別できない、という話、ここでいう認知が何なのかはっきりしないとよく分からない気もした
認知、ちょっと多義語っぽいとこあるので
でも、知覚の哲学とか、ナナイの三面性の話とかとはつながってそう
源河亨『知覚と判断の境界線』 - logical cypher scape2
Bence Nanay『知覚の哲学としての美学 Aesthetics as Philosophy of Perception』3章 - logical cypher scape2


心拍とかと知覚が関係しているの面白い


デフォルトモードネットワークの話はエリック・R・カンデル『なぜ脳はアートがわかるのか―現代美術史から学ぶ脳科学入門』 - logical cypher scape2にもあったが、三大ネットワークなのかー


マインドワンダリングのあたりで、フリスの論文が引用されていた
フリスといえば、クリス・フリス『心をつくる――脳が生み出す心の世界』 - logical cypher scape2
この本も、ヘルムホルツの無意識的推論の話から予測誤差の話をしている本
ドーパミンによる、予測と学習の話も載っている


まあ、あと関係してそうな本や論文などとしては
デビッド・マー『ビジョン――視覚の計算理論と脳内表現――』(一部) - logical cypher scape2
そういえば本書の中で、事後確率は、条件付確率と事前確率の積だけど、これは「計算理論」で、実際に脳でどうやっているかというとー、みたいな感じで進んでいく場所があったが、この「計算理論」、マーの3つのレベルの話だと思うけど、特に何の注釈もついてなかったなw


大平英樹「予測的符号化・内受容感覚・感情」 - logical cypher scape2
わりとそのまま、この本とテーマがかぶってそうな論文を過去に読んでいたようだ、自分


神経科学関係の勉強 - logical cypher scape2
以前、まとめた奴

みんなのミュシャ展

bunkamuraでやっている「みんなのミュシャ展」行ってきた
いつもと違って、メモをとっていなかったので、あまり作品単位のコメントはなしでざっくりとした感想

1.序――ミュシャ様式へのインスピレーション

ミュシャが子供の頃に描いていた絵や、キリスト教関係やチェコ関係の民芸品とか、日本の七宝焼きとか中国の刺繍とか
その他に、ホガースが一枚あった

2.ミュシャの手法とコミュニケーションの美学

1880年代~1900年代くらい、ミュシャの雑誌や挿絵関係の仕事
1880年代のもので、風刺雑誌に描いたというのがコマ割りしててマンガ風のものがあったのが面白かった

3.ミュシャ様式の「言語」

1890年代から1920年代くらいまで、ポスターを中心に
トラピスト修道院のワインかなんかのポスターである「トラピスティーヌ」
市長ホールのペンデンティブ画のための大型習作「闘志(ヤン・ジシュカ)」
この2つあたりが、よかった
というか、布施英利『構図がわかれば絵画がわかる』 - logical cypher scape2を読んだところだったので「垂直だ」「水平だ」というのに反応していただけ、というのはあるw

4.よみがえるアール・ヌーヴォーカウンターカルチャー

ミュシャは1939年に亡くなり、没後はそのチェコナショナリズムの強さによって忌避され、東欧側なの西側への紹介も遅れていたが、1960年代後半に西側でミュシャ展が行われ、1970年代に広がっていったらしい
1970年代のオルタナ・ロックとかのバンドのジャケットデザインに引用されていく。
このあたり、まあ確かにミュシャっぽいといえばミュシャっぽいのだけど、それにサイケっぽさがすごく足されたような感じになっている。それから80年代以降、アメコミにも影響を与えていく、と
ちょっと面白かったの、このあたりのバンドのジャケットとかアメコミとかも、ミュシャ財団蔵になっていたこと

5.マンガの新たな流れと美の探求

『明星』とかの、日本におけるミュシャ受容
マンガ関係では、水野英子山岸涼子花郁悠紀子、松笛あけみ、波津彬子天野喜孝出渕裕が並んでいた
ぶっちゃんは、自分の中では完全にパトレイバーの人で、かつ自分は『ロードス島戦記』を全然通ってないので、この流れでぶっちゃん出てくるの不思議だったんだけど、確かに『ロードス』のイラストはミュシャ感あった

LOST WONDERLAND

たまたま、同じくbunkamuraでやっていたので寄った



※こういうのはtwofoldnessではない

スティーブン・ミルハウザー『十三の物語』

タイトル通り、13篇の作品を集めた短編集
「オープニング漫画」「消滅芸」「ありえない建築」「異端の歴史」の4つのテーマに分かれている。
「ありえない建築」とか「異端の歴史」とかに入っている作品は、わりとSFっぽい作品。サイエンス寄りのSFではなくて、奇想よりのSF
ただ、そう考えたときに、アイデア面ではどっかで見たような作品だなあ、という感じもしてしまう。見たことあるようなアイデアであっても、ミルハウザー柴田元幸の文章で書かれることによって産まれる面白さ・魅力は十二分にある。のだが、テーマとかがそこまで面白くないかも、と思ってしまう作品もあった。


現実的にありうるところから、次第次第に奇妙な状況へといつの間にか連れていかれるあたりが、やはり面白い


「猫と鼠」「屋根裏部屋」「危険な笑い」「映画の先駆者」「ウェストオレンジの魔術師」がよかった。

●オープニング漫画
猫と鼠

●消滅芸
イレーン・コールマンの失踪
屋根裏部屋
危険な笑い
ある症状の履歴

●ありえない建築
ザ・ドーム
ハラド四世の治世に
もうひとつの町

●異端の歴史
ここ歴史協会で
流行の変化
映画の先駆者
ウェストオレンジの魔術師

猫と鼠

トムとジェリー』をそのまま小説化したような作品
トムとジェリー』を一度でも見たことがあれば、文章を読むと、自然と映像が思い浮かぶようになっている。
ほんとにアレがそのまま文章になっている、という作品なのだが、元の作品にない要素として、鼠も猫も内省的なところがあって、彼らが何考えているかについて書かれているパートがある。

イレーン・コールマンの失踪

イレーン・コールマンという若い女性が、一人暮らしの下宿に帰った夜に、突然行方不明となる。
語り手の「わたし」は、高校時代にイレーンのクラスメイトだったはずだが、彼女のことを思い出せない。
頑張っていくつかの思い出を思い出すが、かなり曖昧なイメージで、また他のクラスメイトとかにも聞いても、はっきりした記憶が出てこない。
当時、彼女の部屋は密室で、誘拐されたのか自発的にいなくなったのかもはっきりしない。


これ、みんなが忘れ去っていくことで、彼女自身が物理的に消え去ってしまったのだ、みたいな結論に語り手が至って終わるんだけど、なんか物足りなさはあった。

屋根裏部屋

高校時代の友人の妹の話
舞台はたぶん、戦後アメリカのどこかなんだけど、読んでいて何故か自分の10代の時のことを思い出していた。
こんな友達だったわけでも、こんな出来事があったわけでもないんだけど、無造作に本の置かれて自室でベッドに適当に寝そべりながら友人と話しているという光景の、なんとも言えない10代感が……。


友人の家の屋根裏部屋に暮らす妹。完全な暗闇の中で生活している。
友人に妹に引き会わされた最初は、何かの悪ふざけかと思ったが、次第に、暗闇の中での彼女との交流にはまっていく
最終的に、妹はこの暗闇の生活から出ることを決意するのだけど、主人公は最後まで彼女を見ることはない、というのがとても収まりのよい終わり方なんだけど
この作品の魅力は、とかく高校生の夏の雰囲気がよく出てるところだと思う

危険な笑い

僕たちの間で、笑いに関するブームが起きる。
「笑いパーティ」といって、誰よりも長く激しく笑い続けていられるか、という遊び
さらに「笑いクラブ」と称して、一人を他の2人が押さえつけて、くすぐりつづける、というもの
で、とあるおとなしめの目立たない女の子が、それですごい才能を発揮してしまって一躍注目を集めるようになってしまうのだが、異様な域へと達してしまう。
ブームが「笑い」から「泣き」へと変わっていく一方で、彼女は、その異様な笑いをさらに推し進めてしまう。
ちょっとずつ、現実にありそうなところから異様なものに移っていって、最後、破局を迎える、というミルハウザー作品に見られるパターンの1つだと思うけど、ちょっと奇妙な感じと、やはり思春期の少年少女のクローズドな感じとかがマッチしている気がする

ある症状の履歴

言葉に恐ろしさを感じて、言葉を使えなくなってしまうようになる男の話

ザ・ドーム

ある時、ドームという商品がはやりはじめる。家一軒を覆う透明のドームで、夏でも涼しく冬暖かくなって、庭とかを楽しめるというもの
これはわりとSF風味な作品で、これが次第に、街1つを覆うようなドームが出てきて、ゲーテッドコミュニティ的なものを形成しはじめる話になって、最終的にはアメリカ全土を覆う巨大ドームがあらわれて、自然なるものを一掃したぞみたいな
最終的には、地球を覆うドームを作る計画もあるぞという

ハラド四世の治世に

ハラド四世の治世に、すごい細工師がいて、ミニチュアの玩具とかを作って王様にもてはやされていたのだけど、もっと小さいものを作りたいという思いに突き動かされて、どんどん小さいものを作るようになって、目に見えないものを作るようになる。弟子からも誰からも理解されないようになってしまう

もうひとつの町

アメリカのとある町には、北側に全く同じもうひとつの町がある。
19世紀頃にはすでにあったとされているが、どのような経緯で誕生したのかはよく分かっていない。
全く同じ町並で、家の中にある家具なども同じ、郵便物やらなんやらの細かいものや、植物なども同じように生えている。
が、住人はいない。
このもう一つの町は、元の町の住人たちが、自分たちの住んでる町とそっくりの町を見にくるために存在している。
複製を仕事にしている人たちが常駐していて、元の町を見て回っている観察官からの情報をもとにどんどんアップデートしていく。昔は、そこまで詳細に複製していなかったのだが、最近では、木々の葉っぱの生え方とかも真似ているし、郵便物が投函されるとできるだけ速くそれも反映されるようになっている。
税金を投入して維持されており、もちろん、反対もあるのだが、ずっと維持されている。

バベルの塔的な話
天上に届くような高い塔を何世代にもわたって建築し、塔の中に永住するような人たちもいる
一人の人生では、下から上まで登り切ることができないくらい高い。で、何世代かにわたって上ろうとしている家族もいる。
途中で、登るのを諦めて、永住したり、降りたりする人たちももちろんいる。永住していたのが、訪れる人たちに触れて、登り始めたり、降り始めたりする人たちもいる。
ついに天上に到達しているのだけど、天上の世界は、ただ白い光に満ちているだけで特に生活できるような場所でもない

ここ歴史協会で

地域の歴史や遺物を全て記録・保存・整理している歴史協会
できるだけ詳細な記録を、と活動していた彼らは、現在が「新過去」だという考えにいたり、今現在の町の詳細を記録・保存し始める。
当然、町の人々はそれが理解できず批判があがるけれど、これこそ真の歴史の記録なんだと主張する歴史協会

流行の変化

新しいファッションとして、肌を露出しない、体型を隠す方向へ向かっていったという話
これはさほど面白くなかった

映画の先駆者

これ、タイトルからしてそうなんだけど、ミルハウザー感がすごくある話で面白かった
19世紀、映画が生まれる直前の時代、映画の先祖、あるいはそれに類するような見世物、装置が色々とあったわけだけれど、そうした一連の試みの中でも異端ともいえる、画家ハーラン・クレーン(1844-88?)の半生が、ノンフィクション伝記風の文章で語られていく。
クレーンは当初、迫真派と呼ばれるグループに属していた。迫真派というのは、絵の細部まで写実的に描こうとする一派で、それが極まって拡大鏡を使って絵を鑑賞させていたというグループなのだが、しかし、クレーンはその中でも少し違っていて、初めての展覧会の時に、描いているはずの蠅が動いたとか、海辺の風景画の波が動いたとか、そういった目撃談が残されている。どのようなトリックが使われたのか、と当時様々な仮説があげられたが、どれも現象をうまく説明できていない
その後、迫真派から侵犯派と呼ばれるグループへと移る。彼らは、額縁に本物の葡萄の蔦とかを這わせて、絵画と現実とを結びつけたグループなのだが、やはりここの展覧会でも、クレーンは、絵の中のものが動いている作品を発表する。
で、侵犯派にもいられなくなって、その後、クレーンは、ショー形式で自分の作品を発表するようになる。
観客をシアターに集めて、ステージ上で絵を披露する。ワルツを踊る人々が絵から抜け出してきてステージ上を踊るところを観客たちは目撃する。その後、観客はステージ上に上がって絵を近くで見ることができるが、その際は普通の絵に見える、みたいな
さらに、何かが自分の横を通り過ぎたような感覚になる、ような絵などもクレーンは発表する。
これを何回か繰り返すのだけど、何作目かの時、会場がパニックに陥る事件が起きる。何が起きたのかはっきりとはよく分かってない。
クレーンは表舞台に出れなくなるのだけど、その後の彼の様子というのも、迫真派の頃から彼の友人であった画家の証言などが残っている、と。
で、最後、VRとか4DXとかいった言葉自体は作中には出てこないけど、そういった映画の先駆者としてクレーンを位置付けられるのではないか的なことを、語り手が云々して終わっている

ウェストオレンジの魔術師

読んでいる最中は気付かなかったのだけど、作中に出てくる「魔術師」というのは、エジソンないしエジソンをモチーフにした人物らしい
魔術師がいて、彼に従う実験技師が何人もいるような施設。
で、その施設にある図書館の司書みたいな人が語り手で、彼の日記形式で書かれている作品
聴覚のフォノグラフ(蓄音機)、視覚のキネトスコープに対して、触覚のハプトグラフという機械が、密かに作られている。
主人公はこれに興味をもち、そしてこれの開発を任されている技師の実験に付き合わされるようになる。
このハプトグラフによって作られる触覚というのが、未知の新しい触覚で、これが主人公に対しては強い快感として感じられて、ハマっていくのだが
一方、もう一人、この実験に付き合わされている人がいたのだが、彼はハプトグラフの実験に嫌悪感を抱くようになる。
で、最終的に、その人はこのハプトグラフを破壊してしまう。
「映画の先駆者」が、歴史として書かれている体裁なのに対して、こちらは、当事者の日記という形式で、ゴシックホラー風というか謎めいた施設で行われる謎めいた実験と、人間関係のギクシャクさみたいなところで話が進んでいって、主人公には真相がはっきりしない形で、ハプトグラフの開発が中断して終わる。