『物語の外の虚構へ』リリース!

(追記2023年6月)
sakstyle.hatenadiary.jp

一番手に取りやすい形式ではあるかと思います。
ただ、エゴサをしていて、レイアウトの崩れなどがあるというツイートを見かけています。
これ、発行者がちゃんとメンテナンスしろやって話ではあるのですが、自分の端末では確認できていないのと、現在これを修正するための作業環境を失ってしまったという理由で、未対応です。
ですので、本来、kindle版があってアクセスしやすい、っていう状況を作りたかったのですが、閲覧環境によっては読みにくくなっているかもしれないです。申し訳ないです。

  • pdf版について(BOOTH)

ペーパーバック版と同じレイアウトのpdfです。
固定レイアウトなので電子書籍のメリットのいくつかが失われますが、kindle版のようなレイアウト崩れのリスクはないです。
また、価格はkindle版と同じです。

(追記ここまで)

(追記2022年5月6日)


分析美学、とりわけ描写の哲学について研究されている村山さんに紹介していただきました。
個人出版である本を、このように書評で取り上げていただけてありがたい限りです。
また、選書の基準は人それぞれだと思いますが、1年に1回、1人3冊紹介するという企画で、そのうちの1冊に選んでいただけたこと、大変光栄です。
論集という性格上、とりとめもないところもある本書ですが、『フィルカル』読者から興味を持ってもらえるような形で、簡にして要を得るような紹介文を書いていただけました。


実を言えば(?)国立国会図書館とゲンロン同人誌ライブラリーにも入っていますが、この二つは自分自身で寄贈したもの
こちらの富山大学図書館の方は、どうして所蔵していただけたのか経緯を全く知らず、エゴサしてたらたまたま見つけました。
誰かがリクエストしてくれてそれが通ったのかな、と思うと、これもまた大変ありがたい話です。
富山大学、自分とは縁もゆかりもないので、そういうところにリクエストしてくれるような人がいたこと、また、図書館に入ったことで、そこで新たな読者をえられるかもしれないこと、とても嬉しいです
(縁もゆかりもないと書きましたが、自分が認識していないだけで、自分の知り合いが入れてくれていたとかでも、また嬉しいことです)


(追記ここまで)


シノハラユウキ初の評論集『物語の外の虚構へ』をリリースします!
文学フリマコミケなどのイベント出店は行いませんが、AmazonとBOOTHにて販売します。

画像:難波さん作成

この素晴らしい装丁は、難波優輝さんにしていただきました。
この宣伝用の画像も難波さん作です。

sakstyle.booth.pm

Amazonでは、kindle版とペーパーバック版をお買い上げいただけます。
AmazonKindle Direct Publishingサービスで、日本でも2021年10月からペーパーバック版を発行が可能になったのを利用しました。
BOOTHでは、pdf版のダウンロード販売をしています。

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柏木博『デザインの20世紀』

20世紀のデザイン史について、19世紀後半のアーツ・アンド・クラフツ運動から戦後の消費社会まで辿る本
元々、マシン・エイジやアメリカのインダストリアル・デザインについての何かを読みたいと思って探していて見つけた本だった。もとより、タイトルや目次からそれは本書の一部にすぎないことは分かっていて読んでいたが、目当て以外の部分も含めて全体を通して結構面白かった。
三部構成になっていて、第一部が世紀転換期、第二部が戦間期、第三部が第二次大戦中から戦後に相当していて、第三部は目次からはあまり期待していなかったのだけど、1930~40年代の日本について書かれていた箇所が面白かった。

はじめに

モダンデザインとは、デザインを通じて人々の生活や環境をどのように変化させ、どのような社会を実現させるかという「近代のプロジェクト」
戦後は、社会変革ではなく市場を獲得するためのプロジェクトへ変質する。


以上が、本書で繰り返されるテーゼ(?)ということになるが、近代よりも前は、デザインというのは身分とか社会制度によってそもそもある程度決まっていた。
近代以降、そういう結びつきがなくなる。
近代以降の人々はアイデンティティ不安になるが、これをデザインの選択という形で規定する、とかそういう話

1 近代のプロジェクト―現代デザインの源流

生活の総合デザインを夢見たモリス

19世紀は博覧会の時代
ロンドン万博の出品店のコレクション→産業博物館→サウス・ケンジントン博物館→V&A博物館

子供時代に万博を嫌ったとか、子ども時代に好んで読んでいた本が後の中世趣味・ゴシック趣味につながったのではないか、とか。
学生時代にラスキンにはまる
卒業後、他の建築家やデザイナーと仕事を始め、彼らとともに自分たちの新居「赤い家」を作る。家そのものだけでなく家具も含めて全て自分たちで作る。
これを人々にも提供しよう、というのがモリス商会のアーツ・アンド・クラフツ運動
近代的な分業体制ではなく、中世的なギルド制を志向した。
生産の場がギルドであることと選ばれた様式がゴシックであることは、一応関わりあっているだろう、と。
モリスの社会主義思想自体は本書に特に言及はなかったが、彼の中世的な共同体志向は当時の社会主義的なものであったことには触れられている。
モリスに限らず当時の社会主義は、社会の若返りとして過去の社会へ着目していたから。
モリスは、装飾様式のヒストリシズムへの批判から、様式の統一を目指した。
後述するが、19世紀からヒストリシズムが出現する。これは、過去の様式の引用からなるもので、色々な様式がバラバラと混在する(ウィーンのリングシュトラーセにおけるネオ○○様式とか)。モリスはこれを批判した。
様式を統一すべき、という考えがあって、モリスの場合、ゴシック様式で統一された家・家具・生活を目指した。
ただ、何故ゴシックなのかというとそれほど根拠がなく、単にモリスの好みでは、というところがあるらしい。


しかし、自分はモリスのことを誤解していた、ということが分かった。
単に懐古主義者なのかと思っていたのけど、もう少し近代的アイロニカルな感じの人なのだな*1。本書でも、モリスのゴシック趣味もヒストリシズムの一種という面がなくはない的な言われ方をちょっとされているし。
近代になって、どのスタイルにするかの必然性みたいなものがなくなって、ただひたすら選択の自由がある中で、ある一つのスタイルにあえてコミットしていく、みたいな。

  • ヒストリシズム

ヒストリシズムは、ナポレオン時代のアンピール様式あたりから始まる。
イギリスだとリージェンシー様式
ヒトラーも好んだとされるが、要するに、古代ローマを参考にして、豪華な見た目にしているような様式
それからヒストリシズムとしては、イギリスのセント・パンクロス駅も挙げられている。
駅の中身自体は近代的な鉄骨建築だけど、外面はゴシック建築で、中と外の不一致というのもヒストリシズムの特徴として挙げられている。
ヒストリシズムの説明って、わりとポストモダニズム建築にもあてはまりそうだな、と思わないでもない。


モリスは、人々の生活の変革を目指したが、機械化による大量生産を拒否した点に矛盾がある、と締められている。

新たなる精神―アール・ヌーヴォー

世界同時性が特徴
アール・ヌーヴォーは、アンリー・ヴァン・デ・ヴェルデに端を発する。
オルセー美術館には、ヴィクトール・オルタ、エクトール・ギマール、ルイ・マジョレル、アレクサンドル・シャルパンティエが展示されている
スコットランドのチャールズ・レニ・マッキントッシュ
ウィーンのヨーゼフ・ホフマン
スペインのアントニオ・ガウディ


19世紀のメディア状況
世界を情報化する万博
図案化されたイラスト・文字の載る広告・ポスター


1895年パリ ヴァン・デ・ヴェルデが手がけた、ビングの店の店名が「アール・ヌーヴォー」の由来。
実際には、ヴィクトール・オルタの方が少し早いとされるし、
また、曲線という意味では、アーサー・マックマードによる本の扉絵や椅子が、それらに先駆けている。


ブルジョワの室内装飾として用いられる。
管理から逃れるため。
生産空間としての職場と消費空間としての部屋へと二分されていく。


ウィーン・ゼツェッションウィーン分離派)とブルジョワジー
ウィーンにおけるブルジョワは、政治から芸術へ逃避していく
ゼツェッションもまた歴史主義への批判
のちにウィーン工房ができるが、モリスからの影響でギルド的
一方、そのデザインについては、マッキントッシュからの影響で直線的である。
マッキントッシュのインテリアデザインがカラー写真で掲載されているが、アーツ・アンド・クラフツやアール・ヌーヴォーというよりは、アール・デコ的なデザインになっていて、現代のモダン・インテリアといっても通じそうなところがある。
千足伸行『もっと知りたい世紀末ウィーンの美術』 - logical cypher scape2で「1900年の第8回分離派展でマッキントッシュなどのイギリスのアーツ・アンド・クラフツのデザインが入ってきていて、それに影響されていた。」と書いてしまったのが、これは自分がマッキントッシュのことがあまりよく分かっていなくて、何となくまとめた文だった気がする。
実際に見てみると、マッキントッシュとアーツ・アンド・クラフツは全然違っていた。
なお、日本のモダンデザインのパイオニアである木檜恕一は直接ウィーン工房を目にして、影響を受けている、と。

環境の規格化―ドイツ工作連盟

1907年 ドイツ工作連盟DWB結成

  • ヘルマン・ムテジウス

この人がキーマンで、連盟の理論面を担う。
イギリスを視察して、アーツ・アンド・クラフツやマッキントッシュを「合理的」「即物的」なデザインだと捉えていた。
モリスのデザインを「即物的」と思うの少し不思議な感じがするのだが、これはアンピール様式・リージェンシー様式と比較してのことだろう、と。リージェンシー様式のごてっとしたインテリアと比較すると、確かにモリスの家具はシンプルですっきりして見える。
1914年  ケルンでDWB展覧会
グロピウス、タウト、ホフマンも参加していて、わりと多様。
この際、ムテジウスがDWBの主旨を作成し、これに対して、ヴァン・デ・ヴェルデが批判している。
これが非常に分かりやすい考え方の対比となっている。
ムテジウスは「規格化」を理念として掲げる。
それに対してヴァン・デ・ヴェルデは、芸術家は自由を求めるものだと反発している。
このムテジウスとヴァン・デ・ヴェルデの考え方の違いは、
具体的な作品としては、ピーター・ベーレンスのアーク灯とフリッツ・エルラーの絵の対比として見られる。
ベーレンスは、AEGでプロダクトデザインを担当しており、前述のアーク灯や工場のデザインをしている。
筆者は、ベーレンスによる電気ポットのデザインを挙げている。
いくつかのパーツを組み合わせることでバリエーションを出せるようになっていて、組み合わせによる生産が前提となっている。
単なる装飾ではなく、システムとして統合された環境のデザイン


AEGの社長ウォルター・ラテナウは、規格化、定型化という理念を持ち、1930〜40年代日本の「産業合理化運動」に近い発想。
AEGは父親から引き継いだ会社で、ウォルターはのちに復興大臣、外務大臣にもなる。
ベーレンスのデザインと不可分。
規格化は生活を均質化し、大衆を生む。
なお、ラテナウは外相になって暗殺されてる!
林健太郎『ワイマル共和国』 - logical cypher scape2

2 マシン・エイジの夢とデザイン

マシン・エイジの夢

まず、この章全体の前振り
バウハウスロシア・アヴァンギャルドアメリカのインダストリアルデザインも、機械テクノロジーの浸透を背景としている
1930年代は、ファシズム社会主義、デモクラシーといったイデオロギーが、自身の未来像をめぐって闘争していた時代で、それはデザインの闘争でもあった、と。

大量生産デザインの出現―フォーディズム

標準・規格は大量生産を前提としている。大量生産とは複製(なのでその起源は15世紀の印刷術)
大衆消費社会と市場の論理

  • フォード

自動車の大量生産を行い、価格を下げる。悪路でも走れる。
鉄道から自動車へ移り変わっていった様子が、アレンの『オンリーイエスタデイ』に書かれている。
フォードの会社は、離職率の高さも際立っている。


1936年 ポルシェはフォルクスワーゲンのプロトタイプを完成させており、フォードとも会ったことがある。しかし、実際に供給が開始されたのは戦後。
ベンヤミンは、プロレタリアとファシズムがいずれも、大衆の組織化を目指すという点で一致していると論じている。
ウォーホルがコークについて述べた文章が最後に引用されている(富める者も貧しい者も同じ味のコークを飲んでいるというあれ)

未来の大聖堂―バウハウス

1902年 ヴァン・デ・ヴェルデ、ワイマール大公の芸術顧問に
1908年 ヴァン・デ・ヴェルデの私設学校を、太公立美術工芸学校に
1915年 ヴァン・デ・ヴェルデはドイツを去ることになり、学校をグロピウスに託す
当時、グロピウスはベーレンスのところで仕事していた(ムテジウスへの反発を考えると、ヴァン・デ・ヴェルデと考え方は違ったはず)。
結局、太公は学校を閉鎖するが、ワイマール政府が、ワイマール美術学校への統合を提案。
ワイマール国立バウハウス


ブロイヤーの椅子
バウハウスの代表的デザイン。
普通に今見てもおしゃれなデザインの椅子だと思う。
バウハウスは多様であり、何に代表させるかは難しい、とも。


バウハウスアヴァンギャルドな美術運動の拠点となったが、果たしてアヴァンギャルドを目指した学校だったのか。
1919年 グロピウスによるバウハウスの理念
「総合芸術」を目指すとして、その比喩として「カテドラル」と述べている。
アーツ・アンド・クラフツ以降続く新たな統一原理の模索というプロジェクトであって、必ずしもアヴァンギャルドというわけではない。
アーツ・アンド・クラフツと違って、機械テクノロジーには肯定的
グロピウスのジードルンク(集合住宅)=「積み木箱」
機械的なものと田園的なものの共存
「積み木箱」というのは、空間の合理化であると同時に、生産の合理化でもある
生産・労働と消費・生活は単に対立するのではなくて、弁証法的な関係にある(ベンヤミン
グロピウスは、インスピレーションなど「芸術の超越性」にも触れており、彼の芸術論は古風なところがある。
(グロピウスによる)理念と(アヴァンギャルド的な)実践との間には、ズレがあったが、それがバウハウスの特徴

アメリカのユートピア―インダストリアル・デザイン

まず、この時期のインダストリアル・デザインの特徴を捉えた文章として、ギブスンの「ガーンズバック連続体」が引用されている。
それ以前までは、鉛筆削りは鉛筆削りの形をしていた、と。このあと、実際にローウィがデザインした鉛筆削りの写真が掲載されているが、昔のSFに出てくるロケットのような形(流線型)をしているのである。


1920年代のアメリカで、第一世代のインダストリアル・デザイナーと呼ばれるデザイナーたちが出てくる。「ガーンズバック連続体」で言われているように彼らはもともと広告のイラストレーターなど他の業種からキャリアを始めている(というかそういう職種がもともとはなかった)

フランス生まれで、1919年にニューヨークへ
もとはイラストレータ
1929年、複写機の外観デザインが、彼のインダストリアル・デザイナーとしての最初の仕事
それまでの複写機は、内部の機械部品がむき出しだった。それを覆うカバー部分のデザイン。インダストリアル・デザインは、機械が日常生活の中に馴染むようにするものとして始まった。
1934年の電気機関車GG-1、1937年のエンジン3768など機関車のデザインを手がける。
この当時のインダストリアル・デザインを特徴付ける「流線型」の発見
写真が載ってるけど、あじあ号に似ている気がする。
1933年のシカゴ博では、バックミンスター・フラーによるダイマクション・カーがコンセプト展示されているが、これがまさに流線型
ローウィは、自動車デザインの「進化のチャート」というものを発表していて、あらゆるものが流線型になっていくという未来を提示して、前述した鉛筆削りのデザインにもつながっていく。
「流線型」という言葉がある種のバズワードみたくなっていて、「政治を流線型にする」とかそういう言い回しが流行ったらしい。


インダストリアル・デザインは上述の通り、機械製品の外観デザインとして始まったわけだが、それだけでなく、経済恐慌も要因であった。
新製品の開発が必要とされたが、そう簡単に新しいものは作れない。
インダストリアル・デザインは、前の製品を陳腐化させるためのデザインだった。
ここに、デザインが市場の論理へと飲み込まれていく契機があるわけだが、しかし一方で、生活や社会を変革するプロジェクトとしてのデザインの面も残っている。

  • ノーマン・ベル・ゲデス

19世紀の万博が、ものの集積による世界を捉えることを目指していたのに対して、20世紀の万博は、未来のイメージを示すものへと代わっていく。
シカゴ万博で、ゲデスは3つのレストランの建築案を展示した。
空中に浮かぶようなエリアル・レストランは、ロシア・アヴァンギャルドの建築家チェルニホフと類似している。
ゲデスはさらに、大型客船「オーシャン・ライナー」や大型航空機「エアーライナー・ナンバー4」など未来の乗り物のデザインを行っている。
エアーライナー・ナンバー4は、10機のプロペラエンジンを搭載した全翼機となっている。
本書では、全翼機であることについての言及は特になかったが、Wikipedia全翼機について見てみたら、1930年代にアメリカやドイツで実際に試作機は作られていたみたい。
それから「ガーンズバック連続体」を読み直してみたのだけど、主人公が幻視している飛行機って明らかにこれだ、ということが分かった。
これまでSF小説が文字で表現していた未来イメージが視覚化された、と。


デザインには、イデオロギー闘争の面もある。
この当時、ファシズム社会主義アメリカのデモクラシーという3つのイデオロギーがあり、それぞれ理想の未来社会を示そうとしていた。
1939年のニューヨーク博は、そういう場であった。
ゲデスは、ニューヨーク博で「フーツラマ」を担当している
海野弘『万国博覧会の二十世紀』 - logical cypher scape2でも紹介されていた。なお、そちらでの表記は「フュートラマ」だが、ググると「フューチュラマ」表記もある。スペルはFuturama
アメリカ的生活様式アメリカン・ウェイ・オブ・リビング)の実証であり、そこで示される未来社会は、田園都市イメージとも結合していた。
田園都市」の考えは、イギリスの郊外住宅地に端を発しつつ、ペーター・クロポトキン『田園・工事・仕事場』により整理され、エベネザー・ハワード『明日』(『明日の田園都市』)で世界に広まった
クロポトキンってあの? と思ったら、まさにアナキストクロポトキンのことのようだ。
ただ、田園都市ブルジョワユートピアとも指摘されているという。

消費社会のデザイン―アール・デコ

アール・デコは、アール・デコ博に由来し、ジャン・ピュイフォルカやレイモン・タンブリエが代表的な存在
アール・ヌーヴォー以上にインターナショナルな動き


映画とアール・デコ
映画の中に登場したアール・デコとして、特にマルセル・レルビエ『イニューメン』(1924)が取り上げられる。
ポワレの衣装、シャローの家具、レジェの室内デザイン


アール・デコ古今東西からの様式の引用があったとして、ドナンが日本人のスガワラから教えてもらってウルシを用いたオリエンタルなデザインのことなどが紹介されている。
海野弘『アール・デコの時代』 - logical cypher scape2にも書いてあった。


社会制度からデザインが遊離し、スタイルは社会的通貨と化す。
スタイルの大衆化と消費社会システムへの組み込み


アールデコは建築にも浸透し、摩天楼となる


神原泰の詩「1930年の彼女の風景」
「巨大なビルディング,昇るエレベーター」で始まる詩で、女性タイピストたちやジャズ、「時速二三一・三六二四六哩」で走る自動車が描写されている、機械時代の都市を賛美している。

革命の夢―ロシア・アヴァンギャルド

過去の生活様式を断ち切り、新たな生活様式のデザイン

建築やティー・ポットとカップなども手がけていた、というの知らなかった。
彼の「無対象」の思想が反映されていて、なかなか奇抜な形状のティー・ポットになっている。
ところで、自分のブログを検索してみても、確かにマレーヴィチ、タトリン、ロトチェンコの3人を何となくひとまとめにしている記述を発見できるのだが、自分の実感としてマレーヴィチをこの2人と同じ枠内で認識していなかった。自分はマレーヴィチのことを抽象絵画の人としてまず知って、タトリンやロトチェンコはまた別の文脈で知ったから、というのが大きいけど、マレーヴィチティーポットとかデザインしているなんて知らなかったので。

  • タトリン

第3インターナショナル記念塔や、「レタトリン」という飛行装置を考えている。
マレーヴィチとは違って、実用性や機能性からデザインしている。

  • ロドチェンコ

アール・デコ博での「労働者クラブ」
生産と使用の両面からの機能性
また、ヴフテマスというロシアのバウハウスとして位置づけられるような教育機関で教育を行った。

  • リシツキー

生産効率を考慮したデザイン
標準化を提案している。!


しかし、アヴァンギャルドは排除されていくことになる。


3 現代デザインの諸相

戦争と合理化のデザイン

戦争のためのデザイン


1922年 東京高等工芸学校開校
木檜恕一が教授となっている
木檜は生活改善同盟を創設して、デザインによる生活空間の合理化を図った
『我が家を改良して』という著作では、その名の通り、自分の家の和室を洋間へと自らの手で改装したことについて書いた本で、例えば、台所の空間を機能別に区切ったりというようなことをしている。
藤田周忠、森谷延雄
当初(1920年代)は、生活(家事)の合理化を目指した動きであり、政治との結びつきはなかった。
1930年代 岸信介などの商工省官僚による「産業合理化運動」が始まると、文化としての合理主義が国家政策としての合理主義へ再編される
1940年代のデザイン・コンペのカタログ序文が引用されているが、規格化・標準化への志向が現れていて、国策と結びついていっているのが現れている。


剣持勇「作業用家具と能率」(商工省工芸指導所の機関誌『工芸ニュース』に掲載)
住宅内ではなく労働空間の合理化を提案している。
工場内の家具による労働の管理や、家具生産そのものの合理化を目指している。
こうした生産の合理化が戦中にうまくいったかは謎、というか、実際には資源不足に悩まされて上手くいっていたとは思われないが、戦後の日本産業の基盤へとつながっただろう、と論じられている。
1936年 戸坂潤「文化統制の本質」(『日本イデオロギー論』所収)
産業の合理化と生活の合理化というのが結びついて、統制となっている、というのを既に戸坂が指摘しているよ、と。


剣持・戸坂それぞれの引用箇所で「能率」ないし「能率増進」という単語がと出てきている。
本書の中では「能率」という言葉への言及は特にないのだが、能率増進については山口輝臣・福家崇洋編『思想史講義【大正篇】』 - logical cypher scape2で取り上げられていた。
この箇所を読んだときは全くピンと来ていなくて、上のブログ記事でもあっさり流してしまっているが、今読み返してみると、すごく分かった。
桜井哲夫『戦争の世紀 第一次世界大戦と精神の危機』 - logical cypher scape2第一次大戦中に独仏ソで導入の進んだと書かれていたテーラー・システムが、日本にも導入されてきて「能率」という言葉が使われるようになった、と。生産の合理化と生活面での統制というのが、この「能率」という語で結びつけられていたのだな、と。

アメリカン・デザインと戦後社会主義

先に、デザインにはイデオロギー闘争の面があると書かれていたが、その話の続きのような話。
アメリカは、ファシズム国家や社会主義国家と違い、自分たちのライフスタイルや文化を他の国に広めていくという意味での「戦争」を自覚的に行っていた、と。


1939年 ニューヨーク博
ウェスティングハウス社の5000年後へのタイムカプセル
5000年後、人類の文明が衰退していても、このタイムカプセルで1930年代のアメリカン・ウェイ・オブ・ライフは復活できるのだぞ、という


ニューヨーク万博のプロパガンダ
今の広告業界でいうライフスタイル戦略
戦中の日本人捕虜収容所や戦後の日本に対して、積極的にアメリカの生活様式を広める。


コウエンホーヴェン「デモクラティック=テクノロジカル・ヴァナキュラー」と命名
テクノロジーに基づくヴァナキュラー(土着)様式
東欧や中国など社会主義圏にも広がる。
筆者は、社会主義の敗北はアヴァンギャルドの挫折した時に決まっていたと論じている。

商品のユートピア―現代の広告とデザイン

大衆の欲望をコントロールし市場の中に位置付ける(がコントロールしきれない)ものとして、広告とデザインは相同である、と。
近年、広告はそれ自身が批評の対象となり芸術化している。
あるいは、板垣鷹穂の芸術の広告化ということを指摘している。
これはアドルノの文化産業批判やベンヤミンによる指摘とも類似している。ただし、アドルノのような批判ではなく、中立的なところが異なる。
板垣は五十殿利治『日本のアヴァンギャルド芸術――〈マヴォ〉とその時代』 - logical cypher scape2にも出てきたが、機械美学を論じた人。

電子時代のデザイン

ミラノのグループ「メンフィス」が紹介されている
インターナショナルなメンバーで東京での活動歴もあるとか。
機械時代(マシン・エイジ)に機械が生活を一変させたように、今は電子テクノロジーが生活を一変させてるよっていう話なのだけど、何分1992年の本なので、今現在から読むと物足りない感じではある。
というか、1992年というとパソコンやインターネットは誕生はしているもののまだ一般には普及していなかった頃であり、実際この本の中でもほとんど言及されていない。


ところで、この記事を書くに当たりほとんど拾わなかったが、思想家からの引用がちょくちょくあって、最後の「電子時代のデザイン」のところでマクルーハンへの言及があるのは当然として、何カ所か別々のところでヴィリリオの引用を見かけた。
あと、ベンヤミンも、この記事では一カ所しか拾っていないが、わりと何回か引用されていた。

*1:懐古主義も近代のアイロニーの一種では、という話もあるが

矢代梓『年表で読む二十世紀思想史』

1883年~1995年までの、欧米の哲学・思想・文学・芸術を編年体で綴った本。
「世紀転換期・戦間期について読む(哲学思想篇)*1」の一環として手に取った本なのだが、タイトルと目次(あとはAmazonの該当ページとか)だけ見て図書館で予約した本なので、実際に図書館で受け取るまで一体どういう本なのかあまりよく分かっていなかった。
「「年表で読む」とあるけれど、一体どういうことだ? まさか、本が丸ごと年表ということはないだろうし、章ごとに年表があってそれに解説がついている感じか」などと想像していたのだが、そのまさかであった。

こんな感じで年ごとの記載で本が1冊成り立っている。
内容も概ね事実の羅列であって、著者による解説などは最低限におさえられている。本を通してのストーリーはないので、完全に要約を拒むような本である。
ただ、端的にその年にあった事実だけが記載されているわけではない。
例えば、○○年に「××が『~~』を刊行する」とかだったりした場合に、その××や~~に関連する事柄についてもあわせて解説されている感じになっている。
その意味ではやはり「思想史年表」ではなくて「年表で読む思想史」なのである。
あと、上の画像がまさにそうだが、どの年にどの出来事を配置するのかのコントロールが結構なされている感じがする。
シュペングラー『西洋の没落』の話を同書の刊行年ではなく、第二次モロッコ事件の年にしている。これは極端な例ではあるが、取捨選択・編集がなされていて、そのあたり、この「年表」を単なる事実の羅列ではなく読み物にしているのだと思う。
最近、20世紀前半くらいのことについて集中的に読んできたので、その意味では、色々ととっかかりがあって、読んでいて面白いし、「これはまだ知らない奴だな」とかもある。
あと、日本の出来事(著作や翻訳の刊行など)も記載されていて、明治の追い上げ(?)がすごいな、と思う。


ところで、あとがきから読んだのだが、筆者について全然知らなかったので驚きながら読んでいた。
筆者である矢代梓こと笠井雅洋は1999年に急逝しており、本書はその死を受けて出版されることになったもので、あとがきは妻によって書かれている。
それで全然知らなかったというのは、この方が、笠井潔の兄だったというところ。
中央公論社の編集者をしつつ、研究・執筆活動を行っていたとのこと。
兄弟で文筆家・思想家だったのかー、と。
で、この年表は、そもそも講談社の『現代思想冒険者たち』の付録のために作成されていたものだったらしい(なので『現代思想冒険者たち』で取り上げられている思想家は太字で強調されている)。
あ、あと、謝辞に青柳いずみこの名前が挙げられていて、こんなところにつながりが、ともなった。
青柳いずみこ『パリの音楽サロン――ベルエポックから狂乱の時代まで』 - logical cypher scape2

笠井「二十世紀思想史年表」のおもしろさ(今村仁司

本人の人となりと、この年表を解釈することについて


以下、年表に記載している項目を拾ってみた。
明示的に立項されているわけではないので、まあこのあたりだろうというのを切り出した
この本の読みどころは、項目ではなくむしろ内容の方にあり、この雑誌に誰と誰が一緒に寄稿しててとかが面白いと思うのだが、そういうのをまとめるのは大変すぎるので省略
ただ、項目の取捨選択にもこの本の面白さ(読み解きの対象)はあると思う。
最初と最後を除き10年ごとに一応章分けされているので、以下も章の区切りにあわせて感想・メモなど。

1883‐1900 ワグナー、マルクスの死と世紀末パリ

1883 ワグナー没、マルクス
ルイス・キャロルソサエティー・フォー・サイキカル・リサーチ加入
ゾラ「ルーゴン・マッカール叢書」11巻刊行
1884 ユイスマンス『さかしま』刊行
1885 キャバレー「黒猫」ラヴァル街に移る サティとドビュッシーが出会った店
ウォルター・ペーター、ケンジントンへ転居
フロイト、パリへ留学
1886 クローデルランボーを読む。翌年、マラルメの「火曜会」に
ジャン・モレアス「サンボリスム宣言」
1887 アンドレ・アントワーヌ「自由劇場」創設
1888 シュタイナーがグリーンシュタイドルのエクシュタインと知り合う
アーツ・アンド・クラフツ展協会の第一回博覧会
1889 ニーチェ昏倒
パリ万博
1890 ヴォラール、画商の店を開く
1891 ホフマンスタール、バールに出会う
タデ・ナタンソン『ラ・ルビュ・ブランシュ』創刊
1892 「薔薇十字の展覧会」
ムンク のちにベルリン分離派が生まれるきっかけ
1893 シカゴ万博 建築家ルイス・サリヴァンが斬新なプランを提出するが拒まれる。サリヴァンの弟子にはフランク・ロイド・ライトがいる。
1894 ビアズリー『ザ・イエロー・ブック』創刊
ドレフュス事件
1895 マッハ、ウィーン大学に招聘される ムージルブロッホへの言及あり
ベルリンで『パン』創刊
1896 『ユーゲント』『ジンプリツィシムス』創刊 前者はユーゲントシュティールの名前の由来となった雑誌。後者はマンが校正係をしていた。
1897 デュルケム『自殺論』刊行
1898 トリノで美術博
ウィーン分離派館建築開始。『聖なる春』刊行 翌年にはカール・クラウス『炬火』創刊
1899 『インゼル』刊行
1900 パリ万博/パリでメトロ開通

いきなり、ルイス・キャロルソサエティー・フォー・サイキカル・リサーチ加入、というのがあって一体何、となるのだが、本年表は神秘思想の系譜も追っているようなので、その1つかなと思われる。
1885年のウォルター・ペーターとか全く知らない人なのだが、彼のケンジントンの家にオスカー・ワイルドとかが集まっていたらしい(本書には言及なかったがWikipediaによればヘンリー・ジェームズも)。この同じ1885年に、キャバレー「黒猫」が並んでいて、文化人が集った場所について、ということでここにまとめたのかな、と思われる。
1891年の項目には、バールが、自作の批評を書いたホフマンスタールのことを老人と思っていたら、いざ会ってみたら17歳の青年だったエピソードがあるが、これは木田元『マッハとニーチェ―世紀転換期思想史』 - logical cypher scape2にも載っていた。

1901‐10 キャバレーとロシア・バレエの華

1901 ベルリンで「多彩劇場」(超寄席)開設
ミュンヘンでキャバレー「金鹿亭」開店
ベルリン郊外で「ワンダーフォーゲル」発足
1902 ホフマンスタール『チャンドス卿の手紙』
1903 オットー・ヴァイニンガー自殺
ウィーン工房設立
1904 ロシア・サンボリズムの詩人ベールイとブロークの出会い
1905 フッサール、研究会ではじめて「現象学的還元」について話す
1906 ヘッケル「一元論者同盟」結成 エネルギー一元論者のオストヴァルトはドイツ工作連盟とも関わりがあった。
1907 ドイツ工作連盟設立
1908 『新フランス評論』刊行 2号にジッド「狭き門」掲載。1910年出版部門設立、ガリマール書店の始まり。
1909 マリネッティ「未来主義宣言」発表
バレエ・リュスのパリ・デビュー
1910 マックス・ヴェーバーハイデルベルクへ転居
モスクワで「ダイヤのジャック」展

19世紀から1910年代くらいまでは、ウィーンの話題が多いなあという印象がある。
ヘッケルの一元論者同盟とか気になる。オストヴァルトは化学者で染料の関係でドイツ工作連盟と関わりがあったようなのだけど、Wikipedia見ると色彩の規格化に関わっていたっぽいな。面白そうな人だな。
『新フランス評論』は桜井哲夫『戦争の世紀 第一次世界大戦と精神の危機』 - logical cypher scape2にちらっと出てきたな。
ガリマール書店は、この年表で今後度々出てくる。

1911‐20 第一次世界大戦期の文化人たち

1911 第二次モロッコ事件によりシュペングラーは『西欧の没落』の構想をえる
1912 ロシアで「アクメイズム」「ロシア未来派」始まる
エズラ・パウンドがT.E.ヒュームの詩を『ニューエイジ』誌で紹介
マヤコフスキーラフマニノフ「死の鳥」コンサート出席
青騎士』公刊
カフカ、ブロートの家でフェリーツェ・バウアーと知り合う
1913 ベルクソン、心霊研究協会で講演
ワンダーフォーゲル最後の大集会
失われた時を求めて』第一部『スワンの恋』刊行(自費出版)(その後、ガリマール書店から刊行 )
1914 第一次世界大戦勃発
1915 毒ガス使用、ルシタニア号事件
1916 チューリッヒにてキャバレー「ヴォルテール」開店
ジンメル、シュトラースブルク大学赴任
ソシュール『一般言語学講義』刊行
1917 『パラード』初演
ディーデリヒスによる知識人の大規模な集会開催
パレート『一般社会学概論』刊行
1918 マヤコフスキー『ミステリヤ・ブッフ』初演
1919 自由ユダヤ学院設立、ブーバー、シュトラウスの招聘
クルト・ピントゥス『人類の薄明』刊行
1920 デューイ『哲学の改造』刊行
バウハウスの夕べ」開催

1911年の第二次モロッコ事件で始めつつ、内容はほとんどシュペングラーの『西洋の没落』とその影響の話だったりする。
1913年に出てくる心霊研究協会は1882年設立、1883年にキャロルが加入している奴だな。ジョン・ラスキン(1900年没)も会員だったらしい。っていうか、ラスキンって1900年まで生きてたのか。
ワンダーフォーゲル」というの、単に山岳部のカタカナ語名というくらいの認識しなかったが、こう戦前ドイツの青年運動の1つとして特筆されるものだったんだな
パレートってパレート最適しか知らないなあ思ったら、本書でも、今ではパレート最適にしか名前を残していないが近年再評価が進んでいる、と書かれていた。
『人類の薄明』は詩のアンソロジーなんだけど、この時期、『西洋の没落』と本書がよく読まれていた、というのがこの時代の雰囲気をあらわしているとかなんとか

1921‐30 アール・デコ時代の到来

1921 ヤコブソン「最も新しいロシアの詩」発表
1922 ジョイスユリシーズ』、パリのシェイクスピア・アンド・カンパニー書店から刊行
エリオット「荒地」発表
ドイツ・イルメナウにて「第一回マルクス主義研究週間」開催 ルカーチや福本和夫参加
1923 ルカーチ『歴史と階級意識』刊行
1924 ハンナ・アレントマールブルク大学へ進学
フランスで急進社会党政府成立
マン『魔の山』刊行
1925 パリ「現代装飾・工業美術国際展覧会」開催 アール・デコ、シャネルの5番、ジョセフィン・ベーカー
1926 アラゴン『パリの農夫』刊行
1927 ベンヤミンのパリ滞在
1928 ブラウアーの講演「数学・科学・言語」 ウィトゲンシュタインが参加
1929 第一回国際スラヴィスト会議開催 プラハ言語学
ホワイトヘッド『過程と実在』刊行
1930 ケーニヒスベルク数学基礎論に関する国際数学者会議

1931‐40 現象学人気、そしてトロツキー暗殺

1931 ホルクハイマー、フランクフルト社会研究所所長就任
1932 サルトルフッサール現象学に興味を覚える
1933 コジェーヴヘーゲル哲学講義
ドイツ、ユダヤ系公務員に対する休職を強制する法律施行
第一回エラノス会議開催
ヴァールブルク文庫、ロンドンへ移転
1934 ミード『精神・自我・社会』刊行
1935 レヴィ=ストロースサンパウロ大学へ赴任
1936 ハイデガー、ローマで講演
ラヴジョイ『存在の大いなる連鎖』刊行
1937 退廃美術展
パリにて社会学研究会最初の会合開催
1938 ハウスホーファー『太平洋地政学』刊行
ラウシュニング『ヒトラーは語る』刊行
1939 トルベツコイ『音韻論の原理』刊行
映画『風と共に去りぬ』封切
1940 メイエルホリド銃殺刑/トロツキー暗殺

1932年のサルトルの話、有名な、カクテルについて語れるんだよのエピソードが出てくるんのだけど、これってサルトル現象学について教えた友人のセリフだったか。
1933年のコジェーヴヘーゲル講義については、今村の解説でも触れられていたが、のちのフランス現代思想を担う錚々たるメンバーが受講していた、と。コジェーヴの解釈を通じてヘーゲルを受容しているのだ、と。
あと、ブルトンも受講している。ブルトンヘーゲルといえば桜井哲夫『戦争の世紀 第一次世界大戦と精神の危機』 - logical cypher scape2で、ブルトンがルフェーブルと初めて会ったとき、ヘーゲルを読め的なことを言っていたエピソードが載っていたが、それは20年代のことだから、コジェーヴ講義より前か。
それから同じく1933年のユダヤ系公務員に対する云々は、ドイツの知識人がアメリカへ流出したという話。
エラノス会議はカール・ユングが講演したりしていた、宗教学、心理学、神秘思想系の奴
で、さらに同じ年に、ヴァールブルク文庫のロンドン移転もある、と。
こうやって並べられると、1933年は画期となる年だな、と思えてくる。
1936年のハイデガーのは、ユダヤ人の弟子に、ナチスへの傾倒を臆面もなく語ってしまうエピソード
1990年代後半に書かれていたこの本で、地政学についても目配りされているのは興味深い。
1930年代は全体としてナチスの台頭に関する項目が多く並ぶ中、そのオチ(?)としてメイエルホリドの銃殺とトロツキーの暗殺を持ってきているところが、またすごい。


1941‐50 第二次世界大戦を生きのびた知

1941 フロム『自由からの逃走』刊行
1942 シカゴ大学核分裂の連鎖反応の実験に初成功 (翌年「マンハッタン計画」開始 )
1943 サルトル存在と無ガリマール書店から刊行
1944 カール・ポランニー『大転換』刊行
1945 メルロ=ポンティ『知覚の現象学ガリマール書店から刊行
ポパー『開かれた世界とその敵』刊行
1946 アウエルバッハ『ミメーシス』刊行
マイネッケ『ドイツの悲劇』刊行
1947 アドルノ、ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』刊行(再版1968年)
クラカウアー『カリガリからヒトラーへ』刊行
1948 シャノン『通信(コミュニケーション)の数学的理論』刊行(後年、サイバネティクス会議 )
1949 ブローデル『フェリペ二世時代の地中海と地中海世界』刊行 ( アナール学派
1950 ピアジェ『発生的認識論序説』刊行

カール・ポランニーって名前は聞いたことあるけどよく知らなくて、その上、マイケル・ポランニーと混同する。カールが兄でマイケルが弟なのか(本書にはマイケル・ポランニーなし)。『大転換』はウォーラーステインに影響を与えたとか。
『開かれた世界とその敵』って1945年かー
アウエルバッハ『ミメーシス』は、ホメロスからウルフまで扱っているというのだからすごい。
啓蒙の弁証法』と『カリガリからヒトラーへ』って同年なのか。この本については最近地方映画史研究のための方法論(28)大衆文化としての映画②——ジークフリート・クラカウアー『カリガリからヒトラーへ』|佐々木友輔を読んだ。
啓蒙の弁証法』は筆者が再版の許可を出してなかったらしい。この本の知名度のことを考えると、ある時期、ある意味で幻の本と化していたのはちょっと不思議だ
アナール学派も名前しか知らん奴だ……

1951‐60 アメリ社会学の隆盛

1951 クワイン「経験主義の二つのドグマ」発表
パーソンズ『社会体系論』刊行 前年、リースマン『孤独な群衆』刊行
1952 ベケットゴドーを待ちながら』初演
ローゼンバーグ「アメリカのアクション・ペインターズ」発表
1953 クリックとワトソンDNAの二重らせん構造発見論文掲載
1954 エルンスト・ブロッホ『希望の原理』刊行
1955 フーコースウェーデン・ウプサラへ赴任
メルロ=ポンティに対する批判集会
レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』刊行
1956 オズボーン『怒りをこめてふりかえれ』初演 アングリーヤングメン
ギンズバーグ『吠える』発表 ビート・ジェネレーション
ビュートル『時間割』刊行 ヌーヴォー・ロマン
フルシチョフスターリン批判
1957 ノーマン・コーン『千年王国の追求』刊行 神秘主義思想再評価
チョムスキー『統語構造』刊行
1958 ノイマン『電子計算機と頭脳』刊行 ノイマンとウィーナーが比較されている。
1959 ミルズ『社会学的想像力』刊行
1960 『テル・ケル』第一号スイユ書店から刊行

章のタイトル(これ筆者がつけたものなのな刊行にあたって誰かが便宜的につけたものなのか分からんが)が「アメリ社会学の隆盛」で、クワインパーソンズから始まるので、確かにアメリカの時代始まったなーという感じだけど、10年通して見れば、アメリカ以外の話題も当然ながら多い。
クリックとワトソンのところは、ロザリンド・フランクリンについて結構字数を割いてる。
1956年のところは、英米仏でそれぞれ新しい文学の動きが出てきたということだろう。アングリーヤングメンって知らなかったし、ビートジェネレーションもヌーヴォーロマンも未読なので、よく分からないが……。
神秘主義まわりもよく分からない。初めて見る名前

1961‐70 台頭する構造主義者たち

1961 バシュラールフーコーへ好意的な手紙
ヤン・コット『シェイクスピアはわれらの同時代人』刊行
オースティン『哲学論文集』刊行(前年に死去)
1962 カーソン『沈黙の春』刊行
クーン『科学革命の構造』刊行
1963 コンラート・ローレンツ『いわゆる悪――攻撃の自然誌』刊行 ユクスキュルや「生存圏」への言及などナチ支配下のドイツ生物学に由来
バフチンドストエフスキー詩学』再刊
1964 マルクーゼ、ハイデルベルクでのドイツ社会学会で講演
マクルーハン『メディアの理解――人間の拡張』刊行
1965 リクール『フロイトを読む』スイユ書店から刊行/ガダマー『真理と方法』刊行
1966 バルト『批評と真実』スイユ書店から刊行
ラカン『エクリ』、フーコー『言葉と物』刊行 前年にはアルチュセールマルクスのために』
1967 ガルブレイス『新しい産業国家』を刊行
デリダ『グラマトロジーについて』刊行
1968 パリ大学ナンテール分校の封鎖(五月革命へ)
1969 ハーバーマスとガダマーとの解釈学論争、ハーバーマスルーマンとの社会システム論争
1970 グールドナー『社会学の再生を求めて』刊行

バシュラールフーコーの『性の歴史』読んで激賞する手紙送って今度会いましょうって言ってたけど翌年に亡くなったというエピソード
沈黙の春』と『科学革命の構造』って同年なのかーと思ったら、筆者もこの2つが同年なことに言及していた。わりと珍しい。
ユクスキュルと「生存圏」ってこういうふうに並べられるものだったのか、と。気になる。

1971‐80 自己組織化からオートポイエーシス

1971 ロールズ『正義論』刊行
グランスドルフ、プリゴジン『構造・安定性・ゆらぎ その熱力学的理論』刊行
ポール・ド・マン『死角と洞察』刊行
1972 ベイトソン『精神の生態学』刊行
ドゥルーズガタリ『アンチ・オイディプス』刊行
1973 ハイデン・ホワイト『メタヒストリー  十九世紀ヨーロッパにおける歴史的想像力』刊行 F.ノイマンの教え子。ダントー『歴史の分析哲学』(1965)とともにニューヒストリシズムの潮流を生む
1974 ウォーラーステイン『近代世界システム   農業資本主義と「ヨーロッパ世界経済」の成立』刊行 ブローデル史学の影響
1975 フリッチョフ・カプラ『タオ自然学』刊行
1976 イーザー『行為としての読書』刊行
1977 グールド『個体発生と系統発生』刊行
チャールズ・ジェンクス『ポスト・モダニズムの建築言語』刊行/デリダ・サール論争
1978 イードオリエンタリズム』刊行
ダメット『真理という謎』
1979 リオタール『ポストモダンの条件   知・社会・言語ゲーム』刊行
ハーバーマス講演「近代 未完のプロジェクト』
ラヴロック『地球生命圏』刊行
1980 アルチュセールラカンを論難
エリッヒ・ヤンツ『自己組織化する宇宙』刊行.
マトゥラーナ、ヴァレラ『オートポイエーシス

1970年代は、有名な本がズラズラ並んでいる感じがするんだけど、そうかこの本って70年代だったんだ、という感想
なんというか自分にとって1970年代って、歴史化されてもいないが、現代(同時代)とも感じられない、微妙な時代で、これはこの本のラインナップからも感じた。
ロールズの正義論よりダメットの真理論の方があとなのか、とか、ダントーってそんなところに関わっていたのか、とか、自分の中でアメリカ現代哲学が歴史として捉えられてない
しかし、ウォーラーステインとかタオ自然学とかイーザーとかグールドとかラヴロックとか同時代的に並ぶんだな、百花繚乱というか何というか

1981‐95 冷戦終焉。ドゥルーズレヴィナス死す

1981 西ドイツでの反戦反核集会
デリダプラハで逮捕
1982 ブノワ・マンデルブロフラクタル幾何学』刊行/ミシェル・セール『生成』刊行
「スリジー・ラ・サル国際文化センター」でリオタールを中心としたコロキウム
1983 西ドイツ、緑の党議席獲得など「アルタティーヴェ」運動広がる
クリストファー・ノリス『デコンストラクティヴ・ターン』刊行
1984 リュス・イリガライ『性的差異のエチカ』刊行
1985 映画『ショアー』公開
1986 ハーバーマス「歴史家論争」
1987 ヴィクトル・ファリアス『ハイデガーとナチズム』刊行
1988 ウンベルト・エーコ薔薇の名前』刊行 当時のイタリア情勢(「赤い旅団」テロなど)とかかわり
ディディエ・エリボンとレヴィ=ストロースの対話『遠近の回想』刊行
1989 アロン・グレーヴィチ『同時代人の見た中世ヨーロッパ』 タルトゥ学派の影響を受けた筆者による心性や意識に注目した文化史
1990 ハーバーマス『遅ればせの革命』刊行
クリステヴァ『サムライたち』刊行 クリステヴァ本人やバルト、デリダフーコーアルチュセールをモデルにした人物たちが出てくる小説
1991 ジェイ・D・ボルター『ライティングスペース――電子テキスト時代のエクリチュール』刊行
1992 フクヤマ『歴史の終わり』刊行
1993 ノルベルト・ボルツグーテンベルク銀河系の終焉』刊行
1994 ジジェク『享楽のメタ・ステージ――女性と因果性についての六つのエッセイ』刊行
1995 ドゥルーズ自殺/レヴィナス死去/劇作家ハイナー・ミュラー死去

しかし、意外というか何というか、時代的には1番近い80・90年代が一番よく分からなかった。
自分は生まれてはいるけれど、もちろん思想や文化などに触れている年齢ではないので、自分の経験としては知らない時代だけれど、一方で、歴史として学ぶ時代でもなかった、というところか。
それにしても、それだけではないようにも思う。
例えば、80年代の冒頭は西ドイツの反核運動自然保護運動が出てくる。確かに思想・文化的な運動の側面もあるのだろうけど、本書で取り上げられてきた他の出来事と比べると、何となくジャンル違いのように見える。まあ、ここまでもカーソンやローレンツ、ラヴロックがあって自然保護運動思想みたいな文脈が準備されているし、2020年代現在の視点から見ると、SDGsとか人新世の思想とかに接続できるかもしれず、思想史として取り上げる意味はあるかもしれない。でも、あんまりその文脈が今はピンとこない気もする。
一方で、フェミニズムジェンダー論やポスト・コロニアリズムの文脈が本書からはあまり見えてこない。これらを全く無視しているわけではないけれど、点として出てくるだけで、線になっていない感じがする。
自分はフェミニズム史に疎いので何を取り上げるべきなのか分からないし、また、この本も一番メジャーなものではなく敢えて少しズラしたところを取り上げたりもするので何とも言えないところがあるが、バトラーやハラウェイに全く言及がなく、著作としてはイリガライが1冊だけというのは、何とも不思議な気がする。
あと、クリステヴァがそんなモデル小説を書いていた、というのは全然知らなかったし、エピソードとしては面白くはあるんだけど、そこチョイスするんだ、という感じはする(それにしてもサムライたちってタイトルすごいよな(全く褒めてない))
ポスト・コロニアリズムも、サイードのみで、50年代のファノンとか80〜90年代のスピヴァクとかが言及すらされていない。
逆に、電子メディア論が2冊取り上げられていて、メディア論自体は20世紀思想の花形だとは思うが、手厚い。
フェミニズムやポスト・コロニアリズムの流れが見えていなかったとは思えないが、90年代後半というのは、自然保護運動とか電子メディア論とかの方が盛り上がりがあった時代なのだろうか、と思った(これらは21世紀以降も重要な流れではあるとしても)。
それからやはり時代、というか単に30年前だからという話にすぎないけど、ジジェクについて今後の著作が楽しみ的なこと書いてあったのが面白かった。当たり前だがジジェクも新進気鋭だったことがある。

*1:この呼び方はたった今つけた)

桜井哲夫『戦争の世紀 第一次世界大戦と精神の危機』

第一次世界大戦がヨーロッパの若い世代の作家などに与えた精神的影響についての本
本の惹句としては「20世紀精神史の試み」とある。
どういうのであれば思想史で、どういうのであれば精神史なのか、自分にはよく分からないが、まあそういうジャンルの本で、結構当時の人たちの回想録等からの引用が多い印象である。多くは作家などの著作だが、時折、(のちに出版されることになった)無名の人の日記なども含まれていたと思う。
第一次世界大戦については木村靖二『第一次世界大戦』 - logical cypher scape2を読んでいたのでそれを思い出しつつ、そちらの本は政治史だったので、それに肉付けしていくような感じで読んでいった。フランスを中心としつつドイツの話も出てくる感じで、これまで読んできたこの時代に関する本のあれこれと断片的にリンクしつつ、一方で、この本で初めて知る人名・運動等のこともあって、かなり面白かった。
第1章から第3章までが第一次大戦中、第4章から第6章までが第一次大戦後の話となる。
徴兵を免れた年長世代と前線を経験した年少世代との意識のズレ、特にその具体例として出てくるクラルテ・グループやシュールレアリスム反戦運動への傾倒、あるいは、1920年代のモロッコ戦争や植民地問題をめぐるあれこれとか、特に面白かった。

はじめに――第一次世界大戦をこそ問え

第一次大戦の重要性について
ベイトソンは後年、20世紀の重要な出来事として、自身が関与したサイバネティクスのほかに、ヴェルサイユ条約を挙げている。
ドイツに対して当初、ウィルソンの14条が提示されたのに結果的に反故にされた。裏切りとしてのヴェルサイユ条約
また、ヴァレリーによって第一次世界大戦が「精神の危機」としてとらえられている。
→ヨーロッパ文化への幻滅、知性の無力、目標喪失、伝統的文化の解体
ほかに、フロイトウィトゲンシュタインハイデガー第一次世界大戦の関係が簡単に触れられている。

第1章 一九一四年 夏

何故このような大規模な戦争になってしまったのか、色々考えられるがはっきりとは分かっていない。その中で、筆者は通信の「速さ」が最大の要因だったのではないかと
ティーヴン・カーン『時間と空間の文化』でも論じられており、電話・電信の速さによって、コントロールが及ばなくなってしまったのではないか。
またその一方で、外交経路の中でのサボタージュが、事態を悪化させた、とも
社会主義勢力の中で反戦運動はあったが、事態の速さに対応できなかった(ちなみに、そうした展開の速さを予期できなかった者として、フリードリヒ・アードラーの名前があげられていた。アードラーについては木田元『マッハとニーチェ―世紀転換期思想史』 - logical cypher scape2で1章さかれている)

  • 開戦前夜のフランス

戦争に対してフランスは危機感が薄かった。
フランスでは当時、急進党党首ジョセフ・カイヨーの不倫にかかわる裁判に世間の注目が集まっていた。
社会党内部では路線対立があって反戦運動がうまくまとまらず、そんな中、平和主義者ジャン・ジョレスが暗殺されるが、ジョレス暗殺よりカイヨー裁判の方が紙面での扱いは大きかったとか。

  • 実際に戦争が始まった時、人々はどのようだったか。

茫然自失、驚き→静かな受容、諦め→義務を果たそうとする意志→ドイツに対する被害者意識による正当化といった変遷を辿った。
開戦時、特に高揚はなく、ただ粛々と兵役に従っていた、というのは木村靖二『第一次世界大戦』 - logical cypher scape2にも書いてあった。


戦後出版された、ある少年の日記が引用されている。
兄が徴兵されていたり、ベルギーにかんするドイツ軍の虐殺について書かれていたりする。また、ドイツによる占領について
当時の新聞に掲載された話として、ベルギーの司祭が、ドイツ軍兵士にレイプされた女性に妊娠中絶をすすめた、というものがあり、これに世間は衝撃を受け、是非が論じられたとか。
合法化すべきという議論が巻き起こる一方、当然ながら教会関係者からは基本的に反対意見が出ている。また、フェミニストからも中絶への反対意見が出ていたらしい(そもそも問題は男の暴力であり子どもを殺すべきではない、と)。政府は、生まれてきた子供の面倒を施設でみるということをいったが、これが捨て子にもつながってしまった、と。

第2章 未知の戦争

本章では、作家、政治家、思想家などの戦争体験について述べられている。

  • ピエール・ドリュ=ラ=ロシェルの小説『シャルルロワの喜劇』(1934)

ドリュ=ラ=ロシェルは、這いつくばる戦争とか、人間と会わない戦争とかいった形容をしている。
その箇所を引用しながら、機関銃により塹壕戦が展開されたことについて説明している。
ちなみにこのドリュ=ラ=ロシェルという作家は、のちにファシズムに傾倒し、対独協力者となる。本書の中では、この後にでてくるレーモン・ルフェーブルと対比されるほか、度々登場してくる。
自分は全然知らない人だったがググってみると『筑摩世界文学大系』の72巻に収録されている。

  • アンリ・バルビュス『砲火』(1916)

バルビュスは開戦時41歳で徴兵はされなかったが、志願して前線へ赴く。
戦場体験記「砲火」を連載し、その後、ゴンクール賞を受賞した。


第一次世界大戦での特徴的な戦闘方法は、毒ガスと空爆
本書に載っていた興味深い数字を引用すると、
開戦当時の各国軍の飛行機は、フランス148機、イギリス84機、ロシア190機、ドイツ200機だったが、
1918年までに交戦国全体で20万機製造が製造され、フランスは4万1500機、ドイツは4万8000機だったというので、その増加率に驚かされる。当然ながら、航空機産業が大きく発展した。

榴弾と戦車についての描写がある。
毒ガスも飛行機も戦前からあったが、戦車は、第一次大戦で開発された新兵器
ソンムの戦いでは49台だったが、1917年のカンブレーの戦いでは300台超
なお、ドイツは戦車の導入が遅かったらしい


前線の兵士たちが抱いていたのは、「死者への崇拝」と「塹壕の友愛」であって、祖国への崇拝から戦っていたわけではなかった。
この「塹壕の友愛」は、本書ではこの後もたびたび出てきて、戦争体験者のベースになったものとして論じられている。
ただ、この塹壕共同体的なものについて木村靖二『第一次世界大戦』 - logical cypher scape2では疑問が呈されていた。

  • レーモン・ルフェーブルの戦争体験

ドリュ=ラ=ロシェルの親友であったが、2人の戦争体験にはズレがあった。
ルフェーブルは兵役から解放されていた。
このため、前線で負傷したドリュ=ラ=ロシェルがルフェーブルと再会した際、ルフェーブルの反戦的な発言にドリュは反発している。
ルフェーブルは戦争に行っていなかったわけではない。戦中に接近した平和運動や労働運動に違和感を覚え志願兵になり、看護兵として前線へ行っている。
しかし、戦後次第に右傾化していくドリュ=ラ=ロシェルに対して、後方に戻ったルフェーブルは、本格的に社会党平和運動へと関わっていくことになる。

ムッソリーニについては、田之倉稔『ファシズムと文化』 - logical cypher scape2で「もともとは社会主義者社会党に入ってい」て「当初は中立の立場だったが、次第に参戦派とな」ったというのを読んでいたが、実際に前線へ行っていたようだ。
元々父親の影響で社会主義者になっていたが、戦前まではアイデンティティのゆらぎに悩まされていたらしい。これが、塹壕での共同体体験によって、このゆらぎが解消していく

  • ユンガーの見たヴィジョン

エルンスト・ユンガー『鋼鉄の嵐の中で』(1920)『内的体験としての戦闘』(1922)
戦争は父と論じ、兵士への英雄的賛美や新たな共同体を説いた
「総動員」についても論じている。
ナチス的な要素のある思想家ではあるのだが、反ナチスとみなされた。
ユンガーの忠誠の対象は独裁者ではなくテクノロジー。「個人」はなくなり、人々は「戦争機械」となる


第3章 戦時体制と知識人

第2章が戦争に行った世代についてなのに対して、こちらはどちらかという年長世代の話が主

ジャン・クリストフ』(1912)はドイツ人音楽家とフランス人詩人の友情を描いた作品で、ドイツでも刊行。融和を説いた作家だが、時勢の中孤立していく。開戦時はスイスにいた。
フランスでは、ベルクソンアナトール・フランスサン=サーンスなどが戦争への賛美、反ドイツ的な言動をとるようになり、ロランは「ドイツびいき」として攻撃されるようになった。

「戦時の考察」において、文化(ドイツ精神)と軍国主義の一致、文化と文明(理性・連合国)との闘争を論じて、ロランはショックを受ける。
平和主義者の兄ハインリヒ・マンとの対立が深まり、ハインリヒへの反論として『非政治的人間の考察』を書き上げる(結果的に、トーマスにとって汚点になるのだが)
リタ・タルマン『ヴァイマル共和国』(長谷川公昭・訳) - logical cypher scape2では、戦後のマンについて書かれているが、共和制の擁護者となり、むしろ理性の側に立つようにドイツ国民に呼びかけるようになったとあったので、ちょっと落差に驚いた


ドイツ知識人(アルフレト・ヴェーバー、経済学者ゾンバルトなど)による、フランス革命批判
フランス・カトリックは、兵役や公債購入を呼びかける。
社会党アルベール・トーマが戦争省次官、後に軍需大臣となり、新しい組織化を試み、ルノー工場の生産性向上に努める。

ギリシャなどの外国、あるいはアルジェリアなど植民地、ひいては中国からも労働者が呼び寄せられるようになる。
労働者だけでなく、植民地からの兵役があったことは木村靖二『第一次世界大戦』 - logical cypher scape2にもあったが、このあたりのアジア・アフリカ諸国の人たちが第一次世界大戦に関与していたことは、6章の話へと繋がっていく。

アメリカ人テーラーによる管理法テーラー・システムは、まず、ドイツで適応された。
次いで、フランスではクレマンソーがテーラー・システムの導入を命じる。
さらにロシアでは、レーニンがこれに興味を持ち、テーラー・システムが社会主義には必須だと考えるようになる。トロツキーやスタハノフも。

トロツキーが各国の反戦社会主義者(リープクネヒトとか)とつながりをもっていた話
フランスは国内の反戦主義者たちの動きを警戒して、スペイン国境へ追い込み、スペイン側に情報を流す。トロツキーらはいったんスペインに捕まったあと、アメリカへ行ったりしている。
ロシア革命勃発時に、国外にいたレーニンは慌てて帰国を考える。それで、ドイツの「封印列車」に乗って帰国することになるのだが、これについてはロランが嫌悪感を示している(つまり、革命家たちの気持ちは分かるし、彼らの誠実さ自体は疑わないが、しかしこんな後から何を言われるか分からない倫理的瑕疵のある手段をとるんじゃないよ、と)

  • 反戦知識人の組織化――クラルテ・グループの誕生

レーモン・ルフェーヴルとポール・ヴァイヤン=クーチュリエが反戦運動を立ち上げることを考えて、ロランやウェルズなど各国の知識人へアピール文を送付する。
これにいちはやく反応したのがバルビュスで、彼は彼なりの候補者リストを挙げる。
しかし、バルビュスは思想についてはあまり問わずに、広がりをもった運動を構想していて、反戦とは言えないような人たちも含まれていた(アナトール・フランスとか)。このため、このリストを見たロランは、この運動を忌避するようになる。
とはいえ、こうしてクラルテ運動が始まっていく。

第4章 くたばれ、おやじたち――戦後精神の形成

第4章は、クエンティン・ベルによるケインズについての回想から始まる。ただ、話の枕であって、本章全体からすると分量は短め。
ケインズや、あるいはブルームズベリー・グループの人たちはヴェルサイユ条約のあり方に反対していたけれど、それ以外の人々はそんなことなかった、と。
ドイツへの復讐心、ウィルソンへの期待

ルカーチはもともと、ベラ・バラージュ、マンハイムなどとともに「日曜サークル」という勉強会をしていたが、戦後、共産党へ入党して、サークルのメンバーを驚かせる。

  • 終戦直後のドイツ文学

ヘルマン・ヘッセデミアン』(1919)(新しいものの始まりと戦争)
アーノルド・ブロンネン「父親殺し」(1922)(古い秩序の死)
レマルク『還りゆく道』(1931)(戦死者を讃える教師たちへの不信)

ヒトラーは戦後しばらく軍務についていて、調査任務をしていた先でナチスへ入党することになる。戦後、ナチスは復員兵士が主な支持者となっていく。ここでも、塹壕共同体がキーワードとなっている。

  

  • レーモン・ルフェーブル

フランス社会党第三インターナショナル加盟について、クラルテ運動がかかわっている。
1919年3月 ロシアで第三インターナショナル結成
同年11月 フランスでの選挙で社会党議席減らすが、ルフェーブル、ヴァイヤン=クーチュリエが議員になる
1920年2月 社会党ストラスブール大会 
ルフェーブルは「虐殺された世代」から年長世代への訣別となる演説を行う。
5月 フランスで大ストライキが行われ、ルヴェーブルは共産党設立へ動き始める
6月末 ルフェーブルは、第三インターナショナルの大会に参加すべく、ひそかにロシアへ
9月末 漁船で帰国する際、嵐に巻き込まれそのまま行方不明
12月 社会党トゥール大会 第三インターナショナルの参加を巡り左右分裂。フランス共産党結成のきっかけとなる。
思想的には決裂したルフェーブルとドリュ=ラ=ロシェルだが、ルフェーブルの死にあたって、ドリュは讃辞を述べている。

ヘミングウェイがパリでガートルード・スタインと出会い、スタインが「ろくでなし世代」=ロスト・ジェネレーションと名付ける話。

批評家のプリス・パランは、戦前に高等師範学校で教えられた「個人」の価値のむなしさを覚える。
マルセル・デアは、犠牲者を多く出した若者世代と社会との齟齬を感じる。のちに、社会主義者から国家社会主義者へ

  • パリ・ダダ

ブルトンは友人が自殺したことを契機に、ツァラをパリへと呼び出し、アラゴンらとともにダダの活動を始める。
彼らは表向きは戦争からの影響などは語らなかった。
しかし、ブルトンは担架兵部隊として従軍しており、先の友人の自殺も戦争が遠因であった。
ルイ・アラゴンは衛生部隊の医師であり、そこでブルトンと友人となった。
一方のツァラだが、ルーマニア出身であり、家族などが戦火に巻き込まれていたはずで当然戦争と無縁ではなかったものの、彼自身は戦場体験をしなかった。


ダダは、チューリッヒキャバレー・ヴォルテールで生まれた。
ここでレーニンにも簡単に触れられている。当時、同じ地区に住んでいて、キャバレー・ヴォルテールに行ったことがあるのも分かっているが、しかし、性格的にはダダとは相容れなかっただろう、とかなんとか。
ダダは戦時下の無秩序ゆえに成立したのだろう、と筆者は論じる。
戦後は、知的遊戯やオナニズムに過ぎないとも言われた。
パリ・ダダは、「モーリス・バレス裁判」というパフォーマンスを行った。右派のバレスに対する架空の裁判で、ブルトンが裁判長を演じた。
本書では、その際のブルトンツァラのやり取りが長く引用されている。
このやり取りの意味合いが、自分にはうまく読み取れなかったのだが、ツァラブルトンからの問いかけに上手く答えられていない。
筆者はここに、世代間の齟齬を見て取っている。


世代間の齟齬は、クラルテでも見られた。
フランス共産党成立後、若手世代が急進化していき、当初、バルビュスが集めた保守的な知識人は編集部から離れていく。

第5章 「不安の世代」の登場

戦後世代について
つまり、戦争にはいかなかった年少世代。戦争に行った兄に対して、その弟の世代。
彼らは共通して、孤立感、自分への自信のなさ、不安などを吐露している。
その後の青年世代が共通して抱える問題が出てきた時期。
のちに「アイデンティティ」や「モラトリアム」を論じるエリクソンもこの世代

  • ダニエル・ロップス『われらの不安』(1927)/サルトル自伝『言葉』(1963)

ともに「父なき世代」というような表現をしている。
なお、サルトルは、1915年、(日本でいう)中学校時代にポール・ニザンと出会っている。ニザンについては6章で改めて出てくる。

  • マルセル・アルラン「新しい世紀病について」(1924)

『新フランス評論』に掲載され、ボーヴォワールをはじめ多くの若者に影響を与えた論文。
例えばボーヴォワールは「神の不在によって慰められない」というような一節に共感したらしい。

  • 年長者から

マンハイム「世代の問題」(1928)
「世代」を対象とした先駆的な研究で、戦後世代のことを念頭になされていた。ハイデガー存在と時間』(1927)が引用されているが、そこでも「世代」が論じられている。
オルテガはこの世代のことを論難している

Verlassenheit(ドイツ語で見捨てられるという意味・英語ではローンリネスloneliness)について論じている。
これは、全体主義を生み出した概念だとされる。
孤立・孤独とは異なる
孤独が一人であることに対して、ローンリネスはほかの人と一緒にいるときに現れる。
孤独は自己内対話が可能、ローンリネスはそうではない。
自分がいなくなっても世界には何の影響もないのだという感覚のこと。
ローンリネスは、自分への信頼と世界への信頼が同時に失われる状態
かつて、老齢のような限られた状況での経験だったが、それが大衆の日常的経験になった、と。
なお、筆者は、アーレントハイデガーとの関係のことも少しは影響したのではないか、ということを書いているが、ちょっとゴシップめいた話ではある。

  • ソレル『暴力論』(1908)

戦後ドイツの青年層に熱狂的に読まれ、シュミット、ユンガーに影響を与えた。
なぜそれほど受容されたか、まだあまり研究されていない。
今村仁司が、ソレルの政治的崇高論に受容の理由があったと論じている。
崇高とは栄光と名誉を希求すること
それを与えてくれるのは民族と国家
ソレルはファシストでも民族主義者でもなかったが、そちらへ向かっていくことへの歯止めはなかった。
筆者は、アーレントのVerlassenheitは、政治的崇高を求める精神的基盤として捉えるべきだろうと論じている。


不安感は指導者への希求へ
ドリュ=ラ=ロシェルは、大西洋横断をしたリンドバークを英雄視していた。
また、彼の指導者希求・英雄礼賛は、フランス人民党のジャック・ドリオへと向かうことになる。

第6章 さらば、ヨーロッパ――モロッコ戦争

この章は、アジア・アフリカとの関わりから、戦後の若き知識人層の中に「反ヨーロッパ」観を見いだしていく。

  • ヴェトナムと中国

1920年 フランス社会党トゥール大会
まず、ヴェトナム青年グェン・アイ・クォクによる演説が引用されている。
第一次大戦でフランスは、ヴェトナムから徴兵する代わりに戦後の独立を匂わせていたのだが、その約束は果たされていなかった(イギリスとインドも同様)。これに対する行動を求める演説
へえそんな人がいたのかあと思って読んでいると、「のちのホー・チ・ミン」と種明かし(?)がなされて、「なんと!」となった。


続く節では、周恩来と鄧小平が出てくる。
第3章で既に出てきたが、労働者不足を補うためにフランスでは中国人労働者を入れていた。
これに対して中国側でも、「勤工倹学」という留学プログラムが作られる。
フランスで働きながら勉強する、というもので、これを利用して周恩来1920年に渡仏する。
しかし、実際には働き口が少なくて仕事が得られなかった方が多かったよう。
中国少年共産党ヨーロッパ支部というものが作られて、周恩来は機関誌に携わる。その際、ガリ版を担当していたのが、「勤工倹学」での留学生で最年少だった鄧小平だった、と。
また、周恩来も鄧小平も、グェン・アイ・クォク(ホー・チ・ミン)に紹介されて共産党へ入ったとか
今後の歴史への伏線が張り巡らされている感(?)があった。

この章の主な内容は、章タイトルにもある通りモロッコの話
仕事を得られなかった中国人たちは大使館前でデモをしたりしていて、官憲の取り締まりを受けている。とはいえ人数的には少なくて大した話ではなかったはずだが、フランス政府がこうした動きに敏感に反応していたのは、当時、モロッコ問題を抱えていたため。


1912年 モロッコの多くはフランスの保護領、北部がスペイン領に
1921年 アブデル=クリム兄弟によるリフ民族解放闘争
彼らは、スペインに留学したことでスペインから搾取されていることに気づき、対スペイン闘争を始める。スペインに対して連勝を果たし、独立を宣言する。
しかし、こうした動きを懸念して、1924年頃からフランス軍がスペイン軍と連携し始める。
アブデル=クリム兄弟は当初、フランスと事を構えるつもりはなく、フランスが介入してくることも予期していなかったようなのだが、結果的にフランスとも戦わざるをえなくなる。


フランス国内では、当時はフランス共産党にいたジャック・ドリオが、議員当選の際にアブゲル=クリム兄弟へ連帯を表明し、保守派を怒らせるが、その後もドリオは、親モロッコ・反体制運動を続ける。
ロッコ問題については社会党も保守派とあまり違いがなく、レオン・ブルムは植民地政策の論理をそのままなぞったような答弁をしている。
共産党も世代により意識に差があった。


ロッコでは、フランコが准将へ昇進
1926年リフ敗北
当初は勝っていたわけだが、フランスとスペインの本国がそれぞれ本腰を入れて軍隊を増強してくると当然勝てるわけはなく、というところかと。
ロッコ問題とそこからフランコが頭角を現わした話は斉藤孝『スペイン戦争――ファシズムと人民戦線』 - logical cypher scape2にもあったので、(自分の中で)話が繋がった

ブルトンツァラは決裂し、1924年シュルレアリスム宣言・溶ける魚』発表
1924年 アナトール・フランスが亡くなった際、シュルレアリストとクラルテ・グループはそれぞれアナトール・フランスを批判する文章を発表し、両グループの接近が始まる。
ブルトンは、ポール・クローデルへの反論の中で植民地蜂起を支持
また、ある夫人のドイツ人と結婚できないという発言を、エルンストへの侮辱ととらえたブルトンは「ドイツ万歳!リフ民族万歳!」と突撃を行う。
バルビュスによる反戦アピールに、シュールレアリストたちと『哲学』グループが署名
雑誌『哲学』グループは、アンリ・ルフェーヴルを中心としたグループ
ルフェーヴルとブルトンの接近(初めて会った際に、ヘーゲルフロイトについて話したエピソード)
『哲学』グループの中には、ポール・ニザンも。
ニザンはサルトルの親友であり、2人の1年先輩にはカンギレムがいる。
この頃のニザンは、レーニンとヴァロワ(フランスの北一輝的な存在)の両方を読んでいて、左右両方の思想の間で揺れていた。
シュールレアリストの親モロッコ反戦運動を受けて、ドリュ=ラ=ロシェルはアラゴンへの決別を宣言する。


シュルレアリストと『クラルテ』の共同宣言に『哲学』グループも署名
声明の中に「モンゴル」という語が出てくることに注目する。
ロシアをモンゴルに喩える「タタールのロシア」という表現は、この当時、よく見られていた。ソ連からの共産化をアジアからの侵略に喩えていた
一方、若者世代には反ヨーロッパ意識が生まれており、実際には傾向の異なる複数の若手グループがロシア革命などに熱狂したのは、ソ連をアジアに見立てた上でヨーロッパへの訣別だったのではないか、と筆者は論じている。


このあたりの「反ヨーロッパ」の話は、本書の冒頭で引用されたヴァレリーとの対比でもあると思われる。
ヴァレリーは、第一次大戦の衝撃としてヨーロッパ文化への幻滅があったことを述べているものの、筆者はヴァレリーの文章全体にエスノセントリズムがあり、後続世代との差異を指摘している。


ニザン共産党入党
結婚相手の従兄弟がレヴィ=ストロースで、民族学への関心はニザンからの影響だとか


1926年以降、3グループの結束はゆるんでいく。
ブルトンらも共産党へ入党するも、共産党全体主義的体制へと向かっていく。

本書は最後に、ベンヤミンが戦後世代について論じた論文を紹介して終わっている。
固有の経験や文化を喪失した「国民」(=「大衆(オルテガ)」「ダス・マン(ハイデガー)」)の誕生
人々は、経験を失ったことに対して、経験を補填することを求めるのではなく、経験の貧困そのままを認められることを望むという分析
筆者は、ここに現代に繋がる問題がすでに現れているのだ、ということを述べて結んでいる。


シュルレアリストたちの政治思想って今まであまりよく知らなくて、海野弘『万国博覧会の二十世紀』 - logical cypher scape2で、1931年のパリ植民地博について、シュルレアリストたちは反対の立場をとっていた、というのを読んで「へえ」くらいに思っていたので、そことも話が繋がって面白かった。

ブログのカテゴリ改修(増設)について

カテゴリ改修の動機

自分のブログの一番の読者は自分であり、カテゴリは自分で自分の過去記事を探す時に使っている。
それでもう少し細かく分けておきたいなと思ったので、カテゴリを色々と新設することにした。
カテゴリを作るのは楽しいが、一方で、たくさん増えたカテゴリをちゃんと運用できるのかという問題もある。
今回、どういう考えでカテゴリを増やしたかをメモろうと思う。
2019年にもカテゴリを増やしている(2019年振り返り - logical cypher scape2)のだが、その時の記録があまり残っていないこともあり……。
それから、このカテゴリわけは、自分の興味関心を反映したものでもある。
自分の興味関心にそった区切り方をしているので、世間一般的な分類の仕方とは必ずしも合致しないところがある(そこ分けるなら、こっちもあった方がいいのでは、というところとかあると思うが、そこには強い関心がないので分けない、というようなことがある)
まあ、色々と雑多な読書をしているが、特に関心持って継続的に読んでいるテーマはこれだ、ということを示すものでもある気がする。
というか、だからカテゴリにすることで、ワンクリックでそれに関連する記事を並べたい、というのがカテゴリ整理の主な動機である。

カテゴリ構成

何かを分類するにあたっては、階層改造による分類と、タグによる階層のない分類があり、カテゴリという言葉は前者を想起させるが、はてなブログのカテゴリは、事実上タグである。
ただ、自分の頭の中では、ある程度の階層構造を想定してはいる

大分類

読書 /小説/雑誌 /映画/近況/イベント/マンガ/アニメ /音楽/スキー/舞台/雑感
このあたりが大分類であり、基本的には排他的である(一部排他的でなかった。また、1つの記事で複数の話題を扱う場合、併用していることはある)。
小説や雑誌は読書じゃないのか、というと、このブログを始めた当初はどちらも読書カテゴリ扱いしていたはずなのだが、後日、切り離したという経緯だったような気がする。
なので、うちのブログで「読書」は、小説以外の本のことを指す。
ところで、今回カテゴリ整理していて気付いたのだが、論文を読んだ際の記事には、この大分類に相当するようなカテゴリがつけられていない。論文カテゴリを作ってもよいのかもしれないが、面倒だし、あまり意味がないのでこれはスルーする。
本来ブログのカテゴリ分け、というのはこの程度で済んでおけばいいのに、というか、実際、上に挙げたカテゴリのなかで、「映画」以下のカテゴリはそれほど問題がない。
「読書」と「小説」がそれぞれ500記事以上になっていて、特に「読書」は中がゴチャゴチャしていて大変になっている。

中分類

あまり、中分類なるものは機能していないが、
哲学/科学/文化論/歴史
あたりを想定している。
で「歴史」はともかく、残りの3つはあまり有効に機能していない。
例えば、「科学哲学」カテゴリをつけると自動的に「哲学」カテゴリも付与されて、パンくずリストで「読書>哲学>科学哲学」になってくれたりしたら嬉しいのだが、はてなブログにそういう機能はなさそう。
そんなわけで、なんとなく中分類っぽいが、実際的にはタグの1つという扱いになっている。
「文化論」カテゴリは、かなり雑な扱いだったので、今回わりと整理した

タグ

その他、あまり包含関係は意識せず、タグ的に使っているものが多い。
上で、自動的に階層構造になってくれたらいいのに、と書いたが、タグ的に使えることのメリットも多くて、それはそれで有効に機能しているところはある。

哲学関係

「哲学」だと広すぎてなんだかなーという感じなのだが、いざ整理しようとするとなかなか大変なところ。
「哲学」というカテゴリ自体廃止しようかとも思ったのだけど、やはり「哲学」としかつけようのない記事も多かったので、廃止はしなかった。
「科学哲学 」「心の哲学」カテゴリは、2019年に新設した。
今回さらに「形而上学 」「言語哲学」カテゴリを追加した。
形而上学」カテゴリは2019年にも検討した形跡があるのだが、その時は見送った模様。
形而上学は必ずしも形而上学と銘打った本にだけでてくるわけではない(例えば生物学の哲学の本にも出てくる)ので、あると便利かなと思った。
今回、新設するかどうか迷って結局見送ったものとして「生物学の哲学」「倫理学」「哲学史」「認識論」がある。
「生物学の哲学」は2019年にも検討していたが、今回も見送り。「科学哲学」で用は足りるかという見解。
倫理学」は正直まだ悩んでいる。しかしまあ何故作っていないかというと、やはりそこに関心の軸がないから、というのがある。
哲学史」は運用に悩むので見送り。
「認識論」は記事の件数が少なそうなので見送り。
哲学 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
科学哲学 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
心の哲学 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
形而上学 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
言語哲学 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2

美学関係

「美学」は細分化せずに運用したいなという気持ちがあったのだけど、今回、「描写の哲学」カテゴリを新設することにした。
これはまさに、自分が検索する時の有用性を高めるため。
ところで、似たような下位分類に、フィクションの哲学という哲学のジャンルがあるが、自分のブログではかなり以前から「フィクション論」というカテゴリを運用しているので、フィクションの哲学・美学に関わる記事はこのカテゴリに内包されている。なお、「フィクション「論」」なので、文学関係の記事も含まれている。
美学 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
描写の哲学 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
フィクション論 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2


「科学的表象・科学の美学」(新設)

科学的表象・科学の美学 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2

ある時期から、科学哲学と美学の狭間みたいなところに興味がでてきて、特に最近では恐竜・古生物の表象について、断続的に読んでいるのだけど、従来のカテゴリ分けだと対応しにくくて、このテーマについての過去記事を一覧しにくいというのがあった。
生物学の哲学だと「科学哲学」カテゴリを見れば、その中に含まれているのでいいのだが、このテーマは、「美学」カテゴリだったり「科学哲学」カテゴリだったり「恐竜・古生物」カテゴリだったり色々だった。
こういうのを串刺しできるのは、カテゴリがタグ的に使えることのよい面である。

科学関係

「哲学」カテゴリ以上に、使いにくいことになっているのが「科学」
いや、記事作成時はむしろすごく使いやすくて「とりあえず「科学」カテゴリにしておけばいいか」みたいになっているのだが、検索時には、クズ箱と化している。
「科学」カテゴリが厄介なのは、中分類的な意味での運用と、既存の他のタグ的なカテゴリ(「恐竜・古生物」とか「宇宙」とか)に当てはまらないものをとりあえず「科学」にしている運用が混ざっている点にある。
それで色々な細分化も考えたのだが、しかし、細分化してむやみやたらにカテゴリを増やしても運用が難しいのではないか、ということもあってなかなか難しい。
また、「科学」カテゴリが使い物にならなくなっていることの要因として、このカテゴリには、日経サイエンスやNewtonを読んだ際の記事が多く含まれているから、ということもあった。
これの解決方法として、完璧ではないが、記事冒頭に目次をつけてみることにした。
目次機能の導入で、自分にとっての使い勝手がどれくらいよくなるかは、今後次第に明らかになってくるだろう。
繰り返しになるがこれはあくまでも、自分で自分の記事を探す時の使い勝手の話
で、「科学」カテゴリは廃止することにした。
今回記事を整理していく中で、「確かにこれは「科学」以外に付けようがないよなあ」というのもいくつか見つけたのだが、じゃあそれらをカテゴリ化することによって何かよいことがあるのか、というとそれはそれで微妙なので。

既存

恐竜・古生物 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
ロボット・AI カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
宇宙 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
社会科学 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
工学 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
数学・統計学 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2

「恐竜・古生物」「ロボット・AI」「宇宙」「社会科学」「工学」「数学・統計学
このあたりのカテゴリをいつ作ったのかはもう覚えてない。2019年に新設したものと、その時々に追加していったものがある気がする。
というか、ここにあげたものは、一応科学関係だけれど、「科学」カテゴリに包含されていたわけでもない。
「恐竜・古生物」「ロボット・AI」「宇宙」は、科学ではない記事にも付いている。
「社会科学」「工学」「数学・統計学」は「科学」とはわりと排他的に使っていた気がする(併用している場合もあるけれど)。

名称変更
  • アストロバイオロジー・生命起源・惑星科学

アストロバイオロジー・生命起源・惑星科学 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
旧称は「アストロバイオロジー・生命進化・惑星科学」であった。
このカテゴリには、アストロバイオロジーや生命の起源研究、系外惑星関連を扱うという意図があった。ただ「生命進化」としたので、進化生物学全般もわりと含んでいた。
ただ、このカテゴリを作った時の意図として、進化生物学全般を含むとそれらはノイズだな、と感じていたので、後述するとおりカテゴリを新設して、部分的に切り離すことにした。

認知科学・心理学・神経科学・意識研究 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
旧称は「認知科学神経科学・意識研究」で2019年に作ったカテゴリ。
今回、これに心理学も含むことにした、ということ。
上述のアストロバイオロジー関連の名称変更とは逆で、範囲が広がるので、当初このカテゴリを作った時に意図していたところからすると、ノイズっぽいものが入ってくることになるが、「心理学」というカテゴリを別に新設する程ではないなと思って。

人類学・言語学・心の進化 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
旧称は「人類学・心の進化」で2019年に作ったカテゴリ。
上述の心理学と同様。

新設
  • 生物学

生物学 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
むしろ、なんで今までなかったのか。
2019年にも検討していたのだが、その時は見送っていた。
多分自分の中で、基本的に自然科学関係のものは全て「科学」 として、個別科学のカテゴリは雑多になりすぎるので作らない、という意識があったのだと思う。
これまで科学内部の分類に使っていたのも「恐竜・古生物」「ロボット・AI」「宇宙」「アストロバイオロジー・生命進化・惑星科学」「認知科学神経科学・意識研究」「人類学・心の進化」であって、個別科学よりももう少し広めのテーマを意識していた気がする。
ただ、これらに当てはまらない生物学の本についての記事に「読書」「科学」のカテゴリしか付いてなかったりすると、ほんと探しにくくて。

  • 進化論

進化論 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2

「生物学」があれば「進化論」はなくてもいいのでは、というとさにあらず。哲学の本にでてきたり、文化進化論の本があったりするので、別立てで作ってみた。

  • 地球惑星科学

地球惑星科学 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2

「アストロバイオロジー・生命起源・惑星科学」にも「惑星科学」があるのだが、そちらは系外惑星を念頭に置いたものだった。
去年、あんまり生命の起源とかとも関係がない、地球科学の本を読んだということもあって(そして過去に遡るといくつか該当するものがあるので)新設することにしてみた。
「地球惑星科学」は新設するのに「心理学」を新設しないのは、これはやはり自分の興味関心のあり方を反映している。

  • 物理学

物理学 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2

これも「生物学」と同様なんで今までなかったのかというカテゴリで、2019年にも検討していたのだが、その時は見送っていた。
ただ、自分の科学に対する関心は、おおよそ生物学関係か、心関係に偏っていて(心関係というと「認知科学・心理学・神経科学・意識研究」「ロボット・AI」「人類学・言語学・心の進化」が該当する)、物理学に関しては、あまり特定のテーマへの継続的な関心がないのも確か。
とはいえ、時々思い出したかのように、物理学関連の本を読むこともあり、科学雑誌だとさらにもう少し読むことがあって、塵も積もればで、そこそこ数もありそうなので、作ってみた。

情報学・情報科学 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
これは「科学」カテゴリの記事を再確認してまわってた際に、あった方がいいかも、と思ったもの。あまり普段意識したことはなかった。
今まで「科学」カテゴリに入れていなかった記事で、改めてこのカテゴリにしたものもある。

xR・BMI カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
上に同じく。
数は少ないのだが、これ拾えるとちょっといいかもな、と思った。
xRというのは、VR,AR,SRの総称的な言葉。これまで便宜的に「工学」カテゴリつけていたり、あるいは、VRに関する哲学や美学についての記事もあったりして、意外とVRに関する記事をまとめてみようとすると既存のカテゴリだと難しい感じだった。
何故BMIも一緒にしたかというと深い理由はないのだが、いくつかの本で、一緒に取り上げられていたので、まとめておいてもいいのかな、と思った。

作らなかったもの
  • 自然・環境問題
  • 医学
  • 化学

ここらへんは、科学雑誌の中でこれらに関する記事を読んでいることが多いのだが、単発でこれに該当する記事がなさそうなので、見送った

文化論関係

「文化論」カテゴリも、わりと雑然とした様相になっていたのだが、これはわりと理由がはっきりしている。
というのも、例えばマンガ論の本についての記事には「マンガ」と「文化論」の2つのカテゴリをつけていた。しかし、複数カテゴリを組み合わせての絞り込み検索ができないので、このカテゴリの付け方はほぼ無意味なのである。
その上「マンガ」カテゴリには、個別のマンガ作品についての記事とマンガ論についての記事が混在する羽目になった。
これは「アニメ」「音楽」も同様だった。
そのため以下のカテゴリを新設することとし、新設したカテゴリに入る場合は、基本的に「文化論」カテゴリから外すことにした。
またこれにより「マンガ」「アニメ」「音楽」カテゴリで絞り込んでも、マンガ論、アニメ論、音楽論についての記事は出てこなくなった。
マンガ・アニメ研究 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
映画映像論・視覚文化論・メディア研究 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
音楽研究・音楽文化論 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
ゲーム研究 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2

歴史関係

歴史 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
以下のカテゴリを新設した。

科学史 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2

科学史」カテゴリに入る記事については「歴史」カテゴリからは外すことにした。
なお、哲学史の本は「歴史」カテゴリと「哲学」カテゴリの両方がついている状態で、これも「哲学史」カテゴリにしてしまって「歴史」カテゴリから外すのでもいいかな、と思ったのだが、ちょっと見送ることにした。
なお、宇宙開発史関係は相変わらず「歴史」カテゴリに入れていて、「科学史」カテゴリには入れていない。

世紀転換期・戦間期 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2

今年になってこのテーマを集中的に読んでいるが、この時代への興味関心は以前からあって、過去の記事にも該当するものが多く、「歴史」に限らず、「アート」や「文化論」カテゴリの記事にも付けた。一部、このカテゴリを付けることで「文化論」カテゴリからは外した記事もある。
これで串刺しして見れるのは結構楽しい。

文芸評論・文学(名称変更)

文芸評論・文学 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2

旧称「文芸評論」だったのだが、これに「文学」を追加した。
物語論とかの本の記事につけるカテゴリが今までなかったので……

小説関係

これまで小説を読んだ際の記事には「小説」だけつけていた(SF小説については「SF」カテゴリもつけていたが)。
正直、ブログのカテゴリ運用として本来想定されているのは、こういう使い方なのではないかとは思うのだが、500記事超えているし、ちょっと不便になってきたので下位分類となるようなカテゴリを作ることにした。
ちなみに「SF」は、「映画」や「マンガ」とも併用して使うので、必ずしも「小説」の下位分類というわけではない。
日本現代文学 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
日本文学 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
海外文学 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
小説その他 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2


以前、文学読もうかという気持ち - logical cypher scape2で、読んだ小説の数をカウントしたことがあって、その際、区分けを以下のようにした。

ちなみに、ここで現代文学としたのは大体90年代以降に発表された作品で、戦後文学というのは80年代以前に発表された作品。いずれも日本の作家のもの。
SFか文学か境界的な作家、作品についての判断もわりとテキトー。円城塔は文学としてカウント、宮内悠介は作品ごとにSFカウントしたり、文学カウントしたりした。
あと、文学にもSFにもカウントしていない作品(つまりこのグラフには集計されていない小説)ももちろんある。

「日本現代文学」と「日本文学」は概ね上記の区分だが、大江健三郎作品が発表年によって別のカテゴリになってしまうのはダルいので、そのあたりは上述の基準に従っていない。
それから「文学にもSFにもカウントしていない作品(つまりこのグラフには集計されていない小説)」を「小説その他」カテゴリにした。
「小説その他」というのもセンスのないネーミングではあるのだが、ラノベ歴史小説ファンタジー小説月村了衛作品、津原泰水作品、直木賞寄りの作品あたりを寄せ集めたカテゴリになっている。
上述の記事は、あくまでも文学を読もうという観点から集計していたので、これらの小説について集計しなかったが、このあたりも拾い集められるのならそれはそれで面白い。
なお、上述の記事の集計方法と今回のカテゴリ分けは必ずしも一致していない。上述記事で「円城塔は文学としてカウント」とあるけれど、既に「SF」カテゴリがついていたものはわざわざ付け直していない。
また、上述記事でSFカウントしていたもので「小説その他」にしたものとかもある。


「小説その他」のように「哲学その他」や「科学その他」を作ったらどうか、という考えもあったのだが、「小説その他」が、「SF以外のエンタメ小説」とおおよそその範囲がはっきりしているのに対して「哲学その他」や「科学その他」はやはり運用が難しそうな気がする。

特に変更なし

アート カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
思想 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2
政治・社会 カテゴリーの記事一覧 - logical cypher scape2

ところで「思想」って一体何なんだよって、自分でも見る度に思うのだが、「しかしこれは哲学じゃなくて思想なんだよなー」となってしまうものは確かにある。その違いを上手く言語化できないのだが……。
なお、この「思想」カテゴリは2013年の記事のあとずっと使われていなかったのだが、2022年以降、またちょくちょく使うようになった。

最近ほとんど使っていないカテゴリ

スキー/音楽/文フリ/雑感/アイマス/クリップ/東浩紀/授業/時事/ニコ動/バトン/はてな/テレビ
思い出したかのように最近になって少し使ったカテゴリも混ざっているが、基本的にもう使っていないカテゴリたち
「スキー」はなあ、このブログの冬の風物詩(?)だったんだけど。もう最近全然モーグル観戦してねーな。
そういえば「音楽」も2016年以降使っていないんだな。これは音楽 カテゴリーの記事一覧 - プリズムの煌めきの向こう側へに移行してる。

木田元『マッハとニーチェ―世紀転換期思想史』

タイトルは「マッハとニーチェ」だが、基本的にはマッハの思想とその影響について
『大航海』での連載をもとにした本。
「世紀転換期」という言葉知らなかったけど、使い勝手よさそう


マッハについては、原子論をめぐってボルツマンと対立し、アインシュタインに影響を与えた物理学者であり、なぜかレーニンとも対立しており、フッサール現象学にも影響を与えて、という認識ではあったが、これらがどのように一人の人物としておさまっているのかというのはよく知らなかった。


本書ではあまりこういう言い方はされていないが、「経験主義」と「反実在論」とがマッハの思想の特徴であり、これが同時代的にも広く共有されていたような感じがした。
マッハは「哲学」という言葉を嫌い、哲学や形而上学的概念を排除することを目的としていたようだが、ここで排除しようとしている形而上学は、実在論のことだと思う(ハッキングは、理論に関する実在論と存在に関する実在論を区別するけれど、ここでマッハが排除しようとしているのはその両方)。
この本を読んでいると、19世紀末から20世紀初頭にかけての「時代精神」のようなものを感じてしまうけれど、しかし一方で、今現在、20世紀末から21世紀初頭のことを100年後の人が思想史として書いたとき、例えば「実在論」がかなり特徴として出てくると思うけど、それって「時代精神」なのかというと、ちょっとピンと来なかったりする。
この本は、「等身大の思想史」つまり当時の人たちが実際に何から影響を受けてきたのかということを探ろうというもので大変面白いのだが、これってほんと難しいことでもあるよな、と思う。
色々な人が次から次へとつながっていく感じは、本当に読んでいて大変面白いのだが。


マッハとニーチェに共通する点として、ダーウィンからの影響があげられている。
ただ、2人ともダーウィニズム自然淘汰説)を受け入れているわけではなく、もう少し広義の「進化論」を受容しているっぽい。
後世から見ると、彼らの進化論理解はなんともビミョーなものに見えるが、それはそれとして、当時のこういう「進化論」理解がどれだけ共有されていて、どのように影響を与えたのかというのは興味深い話だなと思う。
例えばマッハの場合、思考経済の法則に進化論の影響があるらしいのだが、正直、進化論との関係が分かるような分からないような、である。進化論によって触発されたのかもしれないが、別に進化論抜きでも成立する話だよね、的な意味で。
反実在論的な思考と相性がよかったのかな、とは思う。時間を越えて不変の真理はなくて、時々の環境への適応だけがあるのだ、という点で。
(ただ、気を抜くと(?)装いを変えた生気論になってしまわないか、というのは気にかかる)
一方で、こういう進化論的思考(生物学的自然主義)への反発というのも同時代的にはあるようで、フッサールなんかはマッハからの影響を受けつつも、この点でマッハからは離れていく、と。
このへん、当時の「時代精神」的には、進化論に対してアンビヴァレントなものがあるのかな、とか。


ところで本書、この部分は○○からの孫引きで~とか、ここは全て××さんからの受け売りで~とか、ロシア語は読めないので読めていなくて~とか、元が雑誌連載だからというのもあるかもしれないが、そういう部分が多くて、結構よい。

第一回 序論―マッハとニーチェ

本連載の動機が書かれている。
等身大の19世紀思想史を描きたい、と。フッサールフロイトの思想がどこから出てきたかわかるような。
19世紀についてハイデガーは、18世紀後ろ3分の1から流れ下るのと、20世紀前半の3分の1から遡るのと両方から見る必要があると述べている。
筆者が関心があるのも、この1930年頃までの20世紀前半3分の1から遡って、1870年頃までを一区切りとする時代区分=世紀転換期
ちなみに、世紀転換期という言葉は、マックス・ハルベに由来
こうした世紀転換期思想史にはすでに先達がある
カール・ショースキー『世紀末ウィーン』
W.M.ジョンストン『ウィーン精神』
トゥールミン/ジャニク『ウィトゲンシュタインのウィーン』
L.S.フォイヤー『アインシュタインと科学革命』
スチュアート・ヒューズ『意識と社会』
上山安敏『神話と科学』『フロイトユング
以上の本は、本書の中でも度々引用・参照されている。『ウィトゲンシュタインのウィーン』面白そう。
これらでカヴァーしきれない視角からの世紀転換期思想史としての本書「マッハとニーチェ
なぜマッハか、というと、フッサール現象学の名前の由来だったから
調べてみるといろいろなところに影響をもたらしている
マッハについては、1972年にブラックモアによる評伝が出て、1988年にマッハについての論文集が刊行されるが、この1970年代以降の再評価まで、無視されてきた。筆者は「レーニンによって消されかけた思想家」ではないかと述べている。
何故、マッハとニーチェという組み合わせなのかというと、『神話と科学』によると、ホーフマンスタールがマッハとニーチェを並べているから。
「若きウィーン派」という当時の文学者たちにとって、この2人は似たものとして受容されていたらしい。
マッハとニーチェの間の影響関係は不明だが、筆者も、それぞれの思想を紐解いて、類似点を発見している。

第二回 力学的自然観とは―ヘルムホルツの到達点

最初の2章は予備的考察ということで、19世紀、マッハ以前の話


蒸気機関について
イギリスでは、職人と科学者のあいだに距離があり、蒸気機関は職人の発明であって科学者の研究対象ではなかった。
フランスでは、エコール・ポリテクニクという軍事技術のための教育機関ができるのだが、基礎的な科学をやってその発展として技術を学ぶという、現在に工科大学の基礎になるようなカリキュラムで、そこで育ったのがカルノー


ニュートンの力学」と「ニュートン力学」の区別(山本義隆
オイラーラグランジュ解析力学
エールステッド、ゼーベック、ファラデー、ジュールにより、電気と磁気、熱の相互関係が次第に明らかになって、ヘルムホルツのエネルギー保存の原理(1847年当時は「力の保存の原理」)により「ニュートン力学」は完成する


ヘルムホルツ(1821~1894)
ヨハネス・ミュラー門下の生理学者で、弟子にヴィルヘルム・ヴント
なぜ、生理学者が「力の保存の原理」を発見したのか
機械論的生理学を目指していて、力学的自然観=決定論的自然観が背景にあったから。
生理学であれなんであれ全ては力学に還元される、という自然観


第三回 実証主義の風潮―もう一つの予備的考察

引き続き、マッハ以前の話
人文諸科学における実証主義
心理学、歴史学社会学言語学で科学化=実証主義の動きが起きる。
科学化は何となくいいことのようにも思うけど、筆者は割と批判的というか、歴史学だと細部を見てしまって歴史的な意味を考えなくなってしまったとか、そういう捉え方をしている
くわえて、心理学、歴史学社会学では、科学化された心理学(または歴史学または社会学)こそが全てを説明できるという「心理学主義」「歴史主義」「社会学主義」という風潮が出てくる。こちらはただのイデオロギーであって科学ではない。
なお、「心理学主義」は蔑称であり、例えばフッサールが心理学を批判するのに使っているが、「社会学主義」は社会学側の自称だったりするらしい。
また、実証主義という言葉も蔑称として使われていたらしい。もちろん、肯定的な意味で使われることもある。
ところで、何故積極的・肯定的という意味のポジティブという言葉が、実証的という意味でも使われてることになったかは、別の本(『わたしの哲学入門』)で説明したよ、とあって気になる


心理学
フェヒナーの精神物理学
ヴント(ミュラーに学びヘルムホルツの助手となる)の実験心理学
歴史学
ランケやドロイゼン以後ドイツ実証史学
社会学
デュルケーム、コント
言語学
ジョーンズのサンスクリット発見(1786年)、インド=ヨーロッパ語族
ヘルマン・パウル「青年文法学派」(1870年代)
文学
イポリット・テーヌの文芸批評・文学史から、それに影響を受けたゾラの自然主義
スペンサー
新カント派

第四回 エルンスト・マッハの生涯―風車と流れるもの

チェコモラヴィア(当時はオーストリア領)出身
マッハは、父親が教師で、幼い頃から実験とかを教えてもらう。5歳で風車の仕組みを見たときに函数的思考への転換があり、15歳の時に『プロレゴメナ』を読んで感銘を受ける、という早熟な感じの子なのだが、ギリシア語、ラテン語の類が全然だめだったらしくて、中等教育においてはむしろ落第生扱い。父親が慌ててスパルタ教育したせいで、父性的なものへの反発が強い。
ウィーン大学に進学後は、得意の数学と物理学に専念できた、と。
マッハは、ウィーン大学の教官というイメージがあったのだが、プラハ大学時代が長く、主要な著書もプラハ大学時代に出していて、プラハ大学では総長もやっていたという。
ウィーン大学には3年しかいなかったようだが、その3年間の講義で、ウィーンの文学者などに強い影響を与えた、と。


グラーツ大学時代(1864~1866)、かなり年長のフェヒナーと知己を得る
プラハ大学時代(1867~1894)
ヘーリングと親しくなる
へーリングは、知覚の恒常性を発見した人
ウィリアム・ジェームズがマッハの講義を聞きに来て、親しくなり、のちに互いに著作を交換する仲となる。
マッハは、チューリッヒ大のアヴェナリウスとも考えを共有する。2人は文通だけで意見交換をしていて、生涯一度も直接会うことはなかったが、互いにほぼ同じことを考えていると認識していた。また、レーニンなどからも、マッハ/アヴェナリウスの経験批判論、というように一緒に名前が挙げられる

第五回 現象学的物理学の構想―マッハの思想1

1894年『力学の発達、その批判的・歴史的叙述』(『力学史』)
単なる歴史ではなく、ヘルムホルツとヴントの力学的自然観への批判
絶対空間・絶対時間上に位置する質点からなる客観的実在のような世界観を否定する。
(ヴントの心理学は、特定の刺激と感覚を一対一対応すること(恒常仮定)によって、心理現象を物理的な時空間に位置づける)。
マッハは、感性的諸要素の函数的依属関係によって論じる。
時空間上に存在する「物体」(あるいは「因果関係」)というのは形而上学的概念に過ぎず、確かなのは経験上にあがってくる色、熱、音、圧といった感性的諸要素のみ。
そしてそれらの諸要素は、函数的依存関係にある。
例えば、そうした依存関係を特定の観点から拾い上げると、それは「物体」といわれるものが抽出できたりする。
函数的依存関係は複雑なので、観点に応じて、様々な記述方法が考えられる。
力学的な記述はその中の1つに過ぎない。
複数の記述がありえて、どれかに(例えば力学的記述に)還元できるとは限らない。
こうした記述は、真偽ではなく経済性によって評価される


あとからフッサール現象学への影響も出てくるが、マッハ自身、感性的諸要素を記述していくことを現象学的物理学と呼んでいて、「物体」とかを予め措定せず、感覚経験の記述からそのかたまりが「物体」なんだよ、とか考えるのは、確かに現象学っぽい。
複数の記述がある云々は、ちょっとグッドマンっぽくもあるなと思った。
グッドマンがマッハからの影響を受けていたかどうかはともかく、経験主義という立場を徹底すると、まあ似たような考え方になるのかな、と思う。
ところで、マッハの因果関係の否定、というのはこの後もたびたび出てきて、まあ経験主義という立場からは、ヒュームもそうだけど、確かに因果関係も否定されるよなあと思いつつ、なんかうまく呑み込めないところがある。


思考経済の法則について、マッハは当初自分に特異な考えだと思ったが、調べるうちに過去の科学者も似たようなことを考えていることに気付く。
説明の美しさと呼ばれるものは、美的評価ではなく経済的評価ではないのか、という指摘
真理と虚偽ではなく、認識と誤謬と読み替えた。 


進化論からの影響
ヘッケルは『ゲーテ、ラマルク、ダーウィンの自然観』などでドイツに進化論を紹介しているが、マッハの進化論理解は時期的にヘッケル由来ではない
そもそもダーウィニズムでもなさそうで、ダーウィン以前の進化論を何らかのルートで受容していたっぽい。ドイツ語圏でどのように進化論が広まったかよく分からないところも大きいらしい。
ヘッケルは、ヘルムホルツの兄弟子であり、ミュラーの弟子でもある、と。
上述の本のタイトルからも分かる通り、ドイツに進化論を紹介したといっても、ゲーテやラマルクを通った上でのそれで、ダーウィニズムをそのまま紹介したわけではない。
上で、マッハの進化論理解はヘッケル由来ではないと述べたが、ヘッケルからの影響もある。
マッハは、ヴァイスマンの実験を認めつつも、獲得形質の遺伝も認めたがっているふしがあって、そのあたりに、ヘッケル由来のラマルキズムの影響があるのではないか、と。
ちなみに、これはへーリング流の記憶と遺伝の議論の擁護という文脈での話とのこと。

第六回 感性的要素一元論―マッハの思想2

当時の物理学界には、原子論とエネルギー論との対立があった。
これにおいて、マッハの立場は微妙だったらしい。
確かにエネルギー論寄りではあったが、ボルツマンと直接対峙していたオストワルトのエネルギー論はエネルギーを実体化しすぎていて、それはそれで意見が違っていたらしい。
ブラックモアは、ボルツマンとマッハの考えは実は似ていたということを指摘している。
しかし、マッハの中には父性嫌悪に由来するなにがしかの感情的嫌悪が原子論に対してあったらしい。
マッハとボルツマンの対立については、『人物で語る物理入門』米沢富美子 - logical cypher scape2で読んだことがあった。


マッハは、マッハ「哲学」と呼ばれることを嫌った。筆者は、マッハが嫌ったのは正確には哲学ではなく形而上学であろう、と述べている。


感性的要素一元論というのは、心的なものと物的なものという二元論に対して、どちらも感性的要素から構成されるという考え方。
ジェームズやラッセルからは中性的一元論と呼ばれた、と
(本書では、ラッセルがつけたマッハの考えについての呼び名を「中性的一元論」と書いているが、そもそもラッセル自身の立場でもあったような。『ラッセルのパラドクス』三浦俊彦 - logical cypher scape2参照)
感性的要素一元論のものとでは、「自我」概念も解体される(「物体」が解体されたように)
また、「時間」や「空間」も、色、音、熱、圧などと同じく感性的要素の一つとされる。
さらに、現実と仮象、現実と夢の区別も消えていく。


ニーチェの共感?
マッハの伝記の中で、ある人がマッハに宛てた手紙で「ニーチェがあなた(マッハ)の本を読んでいましたよ」なる記述があって、ニーチェがマッハに共感していたと思われるのだが、それ以外には特に記録は残っていない。


レーニンは、マッハの考えを、マッハ/アヴェナリウスの「経験批判論」と呼んでいる。
アヴェナリウスにおいては、「純粋経験」という言葉で説明されている。
ジェームズへ影響をもたらしているし、ジェームズからフッサールへの影響関係もある。
また、ジェームズとベルクソンは互いに似ていることを確認しあっている。
西田幾多郎もまた、ジェームズからの影響がある。
このあたり、主観と客観の対立をどう乗り越えるのかみたいな問題に対する応答として、こういう経験主義というのが同時代的に共有されていたのかな、と思った。


ところで、ブルース・ククリック『アメリカ哲学史』(大厩諒・入江哲朗・岩下弘史・岸本智典訳) - logical cypher scape2でデューイとボグダノーフ似てね? って書いたけど、なんでアメリカのプラグマティストとロシアのボルシェヴィキの間に類似があるのかさっぱり分からなかったし、そもそも本当に似ているのかどうかも自信がなかったが、もしかしてどちらもマッハ由来だったということか?!

第七回 ゲシュタルト理論の成立

感性的要素一元論は、要素の函数的依存関係が重要であり、字面は要素還元主義っぽいが、むしろ「全体論」的である、と。
マッハ自身は図と地の関係とか、反転図形とかで説明しており、「形態(ゲシュタルト)」という語を用いている。音の連なりがメロディとして聞こえることを、音響形態(トーンゲシュタルト)と呼んで説明していたりしている(このあたり、のちのフッサールっぽくも見える)

  • クリスチアン・エーレンフェルス

マイノングやブレンターノのもとで学び、プラハ大学の教授となった。
多才な人で、ワーグナーファンでブルックナーに音楽を学び、ダーウィニズムから人種改良論を論じ、一夫多妻制について書き、ド・シャルダンのような宇宙論、宗教論の大著がある。
しかしそうした仕事は忘れられ、現在は下の論文でのみ知られる。
1890年「〈ゲシュタルト質〉について」
マッハのゲシュタルト論をより精緻にしたもの。
感覚質とは別にゲシュタルト質の知覚がある、とした。
ゲシュタルト質の特徴として、
(1)構成要素とは独立
(2)階層性をなす
(3)「直接」与えられるもの
を挙げた。
また、時間的ゲシュタルト、空間的ゲシュタルト、様相のゲシュタルト、関係のゲシュタルトと色々なゲシュタルトを例示した。

マイノングはブレンターノ門下であるが、後、ブレンターノからは疎まれた。
マイノングについて、こういう学派が形成されているの知らなかった。
エーレンフェルトの「ゲシュタルト質」について批判的に論じて、これを「基づけられた対象」と読んだ。
直接感覚されるのではなく知覚作用を想定

  • ベルリン学派

ウェルトハイマー、コフカ、ケーラー
3人とも、ブレンターノ門下のシュトゥンプフのもとで学ぶ(が、シュトゥンプフからの影響はあまりないらしい)
仮現運動による恒常仮定の否定により、ゲシュタルト心理学が誕生する。
この3人、結構三者三様だったっぽい。
ケーラーの「物心同型説」というのがやや曲者っぽいが、ゲシュタルトを自然化する議論っぽい。


このあたりのゲシュタルト心理学の話は、まわりまわって源河亨『知覚と判断の境界線』 - logical cypher scape2とかにつながっていくのだろう。

第八回 マッハと現象学の系譜

フッサールに対するマッハの影響
『算術の基礎』(1891)
「図形的契機」として論じている概念がほぼゲシュタルト質。注の中でエーレンフェルスとマッハに軽くふれている。この注というのが、「これを書いたとき、エレンフェルスの論文はまだ読んでいなかった。確かに似ているし、自分もマッハを読んでいたので影響されたのかもしれない」的な内容になっている。
『論理学研究』第二巻(1901)
「統一的契機」=ゲシュタルト質=基づけられた内容
イデーン』(1913)
「感覚的ヒュレーと志向的モルフェー」という概念があり、これまで「図形的契機」「統一的契機」とされていたものが志向的モルフェーとなっている。フッサール現象学の中核をなす志向的経験も、マッハからの影響を受けたものなのではないか、と筆者。
また、フッサール自身、マッハの1894年の講演から「現象学」概念(直接的記述という方法論)を引き継いだ、ということは述べている。
(「現象学」という方法は、マッハやケーリングといった自然科学の中で使われていたものだ、と書いている。筆者がマッハに興味をもったのはここから。)


ところで、現象学とマッハというと、『これが現象学だ』谷徹 - logical cypher scape2で、マッハ『感覚の分析』に用いられていた図(自分の目から自分の鼻梁とか目の前の光景を見ている絵)が引用されていて、印象に残っている。


しかし、フッサールは、思考経済説(アヴェナリウスの最小力量の原理)については、生物学的基礎付けだと、批判している。
この当時、純粋〇〇が流行している
純粋経験純粋詩、純粋言語、純粋論理などなど
自然主義的風潮への反動か
しかし、フッサール1920年代に生活世界へ、ウィトゲンシュタインは後期に生活形式へと移り変わっていった点については、今後考えたい課題だ、と筆者は述べている。


ゲシュタルト心理学フッサール
フッサールゲシュタルト心理学に冷淡だし、ゲシュタルト心理学側もフッサールの心理学批判は的を射てないと思っていたよう。
後年、メルロ=ポンティゲシュタルト心理学を評価している。

第九回 アインシュタインとフリードリッヒ・アードラーの交友

アインシュタインについての章と見せかけて、ほぼフリードリッヒ・アードラーについての章となっている。


アインシュタインは、1897年にマッハ『力学史』を読んでいて、影響を受けている。
本人も、マッハの追悼文や回想録でそれを語っている。
筆者が、物理学については分からないので、ということで、アインシュタインについては本当に手短にすまされている。

ヴィクトル・アードラーの息子
ヴィクトルは、オーストリア社会民主党創設者でフロイトと対立した精神科医
ちなみに、当時のウィーンは、ブルックナーがボルツマンにピアノのレッスンをしていたり、マーラーフロイトに相談していたり、ブロイヤーがブレンターノの主治医だったりと、世界が狭い
息子の反逆
この時期、父親に反発する息子というのが多くて、アードラーをはじめ、ホーフマンスタール、ウィトゲンシュタインカフカ、ヴァールブルク、リープクネヒト、フロイト、マッハが当てはまる、とか。
とはいえアードラーは、父親に説得されて、チューリッヒ連邦工科大学で物理学を学ぶことになり、アインシュタインと出会う。かつて、ローザ・ルクセンブルクが住んでいた部屋に下宿していたとか。
アードラーはマルクス主義者としてもともとマッハに批判的だったが、いざマッハを読み始めたら一気にマッハ主義者となり、以後、マッハとマルクスの統合をたくらむようになり、マルクス主義者たちにマッハ主義を説いた。
大学卒業後のアインシュタインは、有志と「オリンピア・アカデミー」という勉強会をしていて、この時期にマッハを読んでいた。
その後、アインシュタインチューリヒ大学教授に就任するが、実はアードラーが最終選考に残っていた。しかし、アードラーが強くアインシュタインを推薦して、アードラーではなくアインシュタインの就任が決まった、と。すごく誠実な人だったらしい。
アードラーは、レーニントロツキーとも親交があり、また、父を通じてマッハとも知り合いであった。レーニンのマッハ批判などは、アードラーを通じてマッハに伝わったとかなんとか。
1916年 オーストリア首相暗殺
本書を読んでいるとわりと突然の展開で驚くのだが、アードラーは、第一次大戦中にオーストリア首相を暗殺している。死刑判決を受けるが、その後減刑、戦後に釈放され、国会議員となっている。
第二インターナショナル(と本書にはあるが、Wikipediaによると「ウィーン・インターナショナル」という第二インターナショナルとコミンテルンの統合を目指した組織)の書記に就任
第二次大戦中にアメリカ亡命。亡命中に一度だけアインシュタインと再会している。


ヴィクトル・アードラーについては田口晃『ウィーン 都市の近代』 - logical cypher scape2にもちょっと出てきた。ところで、ウィーンにはマックス・アードラーという人もいたらしいが「新しい人間」とか言っている。ボグダーノフ?

第十回 レーニンとロシア・マッハ主義者たち

ボグダーノフは、労働運動に身を投じ、投獄されるも、理論家として頭角をあらわす。
1904年チューリッヒレーニンと出会う
1904年『経験一元論』
ボグダーノフはマッハ主義を広め、1908年に論文集『マルクス主義哲学概説』を発表する。この論文集には、ボリシェビキだけでなくメンシェビキなどからも参加があった。
レーニンは、こうしたボグダーノフやマッハ主義に対して怒っていたが、ボリシェビキ・メンシェビキの対立とは別軸での、あくまでも哲学的な対立であって、分派するものではない、としていた。
ゴーリキーがこの対立を解消するため、ボグダーノフ、ルナチャルスキー、バザーロフが滞在していたカプリ島レーニンを招待する。和やかな様子で一緒に写っている写真などはある。
1909年 レーニンは『唯物論と経験批判論』によりマッハ主義を批判する。

  • ボグダーノフの思想

物理現象も心理現象も感性的諸要素の組織化であるとする。
特に物理現象は、社会的に組織化された経験であり、それゆえに客観的。
唯物論の否定ではあるが、それはプレハーノフ的な古い唯物論であって、むしろマルクス主義とは一致していると主張
集団的に統一的な経験の組織化によって「プロレタリア文化」が生じるとする。
のちに血液交換実験を行うようになり、自分にも輸血して亡くなっている。


ルナチャルスキーは建神主義へ
しかし、レーニンには好かれ、革命政府では教育人民委員


ボグダーノフの組織化や建神主義については、桑野隆『20世紀ロシア思想史 宗教・革命・言語』 - logical cypher scape2
ボグダーノフの血液交換実験については、木澤佐登志『闇の精神史』 - logical cypher scape2


この章は最後に、後に、佐藤正則『ボリシェヴィズムと新しい人間: 20世紀ロシアの宇宙進化論』を読んで知ったことが追記されている。
実は、ボグダーノフ自身はマッハ主義と呼ばれることを嫌っていたという。
マッハには、実践の主体が社会や集団である視点が欠如している、と。
新しい集団主義から、血液交換へと繋がっていく

第十一回 ウィトゲンシュタインウィーン学団/ケルゼン

もともとウィトゲンシュタインは、ヘルツやボルツマンからの影響を受けている。
前期ウィトゲンシュタインの構想は、ヘルツやボルツマンの行ったことを言語一般で行おうというもの
マッハも読んでいたがマッハへの言及はほぼなく、ラッセルへの手紙の中で、「マッハの文体にむかつく」と述べている。マッハの相対主義的なところが気に入らなかったのだろう。
しかし、哲学へ復帰後、1929年~1930年の『哲学的考察』のなかで「現象学」「マッハの思考実験」という言葉がでてくる
マッハの現象学から「文法的考察」を導き出した。

1924年にハンス・ハーンがフィリップ・フランクやオットー・ノイラートとともに作った私的サークルのメンバーが、1928年に「エルンスト・マッハ協会」を設立。29年に「ウィーン学団」に名称変更
マッハの生物学的-心理学的実証主義を、論理実証主義

  • ハンス・ケルゼン

純粋法学のケルゼンもマッハを援用しているところがあるとか。

“第十二回 力への意志ニーチェの哲学1

『感覚の分析』(1886)と同時期にニーチェは「主著」の構想をたてている
この主著は未完。ハイデガーが再構成しており、筆者は基本的にハイデガーによる解釈に基づく。
力への意志
ダーウィニズムからの影響(しかし自然淘汰説抜き)
仮象の世界」がすべて(マッハの「現象界」に類似)
認識とは真理の把握ではなく図式化(マッハの「認識」に類似)

第十三回  力への意志ニーチェの哲学2

ヨーロッパ的ニヒリズム
超感性的価値
新たな価値の定立方法としての力への意志、自然、芸術、肉体


遠近法的展望による世界を「現象界」と呼んだり、それについての記述を「現象学」と呼ぶことがある

第十四回 ホーフマンスタールとフッサール

ホーフマンスタール
「若きウィーン派」の一人
若きウィーン派は、ウィーンのカフェ・グリーンシュタイドルに集っていた若い詩人や作家たちで、シュニッツラーやアルテンベルク、バール、アンドリアンがいた。このうち、シュニッツラーとアルテンベルクの名前は千足伸行『もっと知りたい世紀末ウィーンの美術』 - logical cypher scape2にも出てきた。また、Wikipediaによれば、カール・クラウスもこれに連なるらしい。
ホーフマンスタールに話を戻す
1902年『チャンドス卿の手紙』で抒情詩に決別
1897年ウィーン大学でのマッハ講義聴講
ウィトゲンシュタインのウィーン』でマッハからの影響指摘


松本道介
印象主義から表現主義
言語への懐疑というより、日常的な体験が言語で追いつけないほどの強烈で豊かな経験となる
ゴッホへの強い共感
美的無関心による「詩的態度」


1906年 フッサール家への来訪
フッサールからの返礼の手紙
ホーフマンスタールの詩的態度とフッサール現象学的方法は、同じものではないが、似ているところがあって、ホーフマンスタールにフッサールが刺激されたところがなきにしもあらず、らしい。

第十五回 ムージルに現れるマッハ/ニーチェ体験

ヒューズ『意識と社会』に出てくる世代区分
実証主義への反逆」世代:フロイトウェーバー、クローチェ、デュルケームベルクソン
「1905年の世代」:ヴァレリー、ペギー、ヘルマン・ヘッセプルースト、トマス・マン
そのさらに後の世代:ヤスパースルカーチウィトゲンシュタインハイデガー
1905年の世代は、二つの世代を仲介する役割を果たし、前の世代とは、第一次大戦で前線に立つ可能性があったかという点で異なり、非合理主義者となった、という
筆者は、マッハ/ニーチェムージルについて、若干ずれるが、ヒューズのいう世代に当てはまるのではないか、という


ローベルト・ムージル
1880年生まれ。陸軍工科大学で学んだあと、ブリュン工科大学を経て、1903年から1908年までベルリン大学でシュトゥンプフのもとで学ぶ。ゲシュタルト心理学のコフカの1年下、ヴォルフガングやケーラーとは同級。
このころ、ニーチェやマッハ、フッサールを読み、1908年に「マッハ学説判定への寄与」という学位論文を提出。グラーツ大学でマイノングの助手のポストが提供されたが、悩んだ末に作家となる
第一次大戦後から『特性のない男』を執筆し始めるが、未完のまま、1942年に亡くなる。



『特性のない男』
様々な哲学者や科学者を引用しているが、本書ではマッハとニーチェの影響した部分を拾い上げている。
主人公ウルリッヒのいう「不充足理由律」は、因果概念を否定するマッハやニーチェからの影響
また、この時期の文学では「救いがたい自我」という言葉が流行るが、これは『感覚の分析」における「自我はもう救いようがない」というフレーズから
ここから筆者は、「我思う」に対するニーチェとマッハの似た見解を引用している。
ムージルは、現実感に対してい「可能性感覚」なる言葉をつくる
筆者はこれがフッサールの本質直観やマッハのゲシュタルトと通じるところがあると論じている。
また、ムージルが、かつての同級生でゲシュタルト心理学のケーラーの仕事に絶えず注意を払っていたことも指摘している。

第十六回 マッハに感応するヴァレリームージル

1908年、ヴァレリーはジッドに宛てた手紙の中で、自分に訪れた知的な危機について語っている
自分が長年苦労して考えた独創的なアイデアがすでに他人によって発見されていたという内容だが、この「他人」がマッハらしい、と
このヴァレリーとマッハについての論文は、1986年にベルナール・ラコルが書いた論文ならびに1996年、98年にフローランス・ド・リュシーによって書かれた論文によって検討されているが、逆にこの3つの論文で指摘されているにとどまっているらしい。
ヴァレリーは、物理学と心理学を統合するという野心をもち、感性的要素一元論のようななものを構想していたようだが、マッハの『認識と誤謬』を読んで、すでにマッハによってなされていたことに衝撃を受けたのではないか、と
ムージルが、マッハについての学位論文を書いたのも同じ1908年だが、『特性のない男』の主人公であるウルリッヒは、ヴァレリーの書いたテスト氏だとド・リュシーは論じているとのこと。
ヴァレリームージルを読んではいないが、ムージルヴァレリーから強い影響を受けていた。ド・リュシーは、マッハに代表される時代精神が、ムージルヴァレリーを結びつけたのだという。
一方、デリダによると、ヴァレリーの思想的源泉には、フロイトニーチェがいるとのこと

最終回 二十世紀思想の展開

最後に、カッシーラーメルロ=ポンティフッサールハイデガーについて述べられている。
カッシーラーは、数学において「群」概念が果たした役割と、心理学において「ゲシュタルト」概念が果たした役割との並行関係について論じ、さらにこれを、実体的思考から構造的思考への移行として一般化している、と
構造的思考については、メルロ=ポンティも論じている
最後は、フッサールに対するマッハの影響と、ハイデガーに対するニーチェの影響を改めて論じている。


本書の中にほとんど名前が出てこなかったように思うが、マッハの考え方は、ユクスキュル『生物から見た世界』 - logical cypher scape2とも似ている気がする。でもって、ユクスキュルからハイデガーへ、という影響関係があったはず。
本書と関係するところは少ないが、マッハについては内井惣七『空間の謎・時間の謎』 - logical cypher scape2でもいろいろ論じられている。
また、「マッハ」で自分のブログを検索していたところ、池田信夫『ハイエク知識社会の自由主義』 - logical cypher scape2で、経済学のオーストリア学派の創設者である「メンガーはマッハに影響を受けたらしい。」とあった。

リタ・タルマン『ヴァイマル共和国』(長谷川公昭・訳)

タイトルにある通りヴァイマル共和国についての本だが、林健太郎『ワイマル共和国』 - logical cypher scape2が政治史で1冊であったのに対して、同様の内容がこちらでは全6章のうち前半の3章くらいに圧縮されている。
後半では、政治思想、宗教、教育、学問、文化、メディアにまつわる内容となっている。
保守主義・右翼思想の紹介が多くなされていて面白かった。
ヴァイマル共和国というと、その進歩的な憲法が注目されるとともに、ナチスを生んでしまった国としてもよく言及されるが、この本を読んでいると、ともかく憲法や制度とは違って、思想面、教育面で保守的だったということがたびたび強調されている。
学問や文化については、とにかく人名の嵐だが、知っている名前でもヴァイマルの文化人として認識してなかったので、なるほど、ここに位置づけられるのかと思いながら読んだ。知らない名前もたくさん出てくる。下記の読書メモに、かなり固有名を書いたが、それでも結構省略した。


第1章 ヴァイマル共和国の沿革

共和国成立・臨時政府成立からスパルタクス団の蜂起まで
林健太郎『ワイマル共和国』 - logical cypher scape2では3章かけて書いている内容を1章にまとめているので(ページ数的には単に1/3ではなくさらに短いと思う)、かなり圧縮されている。
レーテというか「大衆」は社会民主党を支持していて、極左のことを支持していなかった、とかはまあ上述の本にも書いてあったか。
ノスケについての言及が比較的多かったような(ノスケの回想からの引用が何回かある)。
なお、本書の中では「スパルタクス団の蜂起」という言葉は使われておらず、単に「反乱」と書かれている。

第2章 制憲議会とヴェルサイユ条約

ヴァイマル連合の成立
社会民主党が中央党や民主党と連立組む上で3つくらいの方針があって、そのうちの一つに企業公有化があったけど、意外なことに他からも反発はなかったとある。
なお、第1章では、臨時政府の政策はとても社会主義的なのに意外にも公有化はなかった、と書いてあって、そのスタンスの変遷が何故起きたのかとかはよく分からなかった。あと、ほんとに公有化したのか、とか。
婦人議員についても触れられており、英米より多い9%いたが、共和国の歴史を通じて入閣はしなかった、と(女性議員はいたけどあまり影響力がなかった、と)。
本書は、度々女性についても言及されており、そこは特徴かと。


中央と地方の関係についてで、ビスマルク以来の連邦国家ではなく「人民国家」としたのだ云々ということが書かれていたが、いまいちどういうことなのか分からなかった。
この「人民」というのの定義が曖昧で、のちにナチの利用されていくようだが。
アイスナーのバイエルン共和国というのは、独立した一つの国だったのか


ヴェルサイユ条約
英米仏の首脳陣によって案がつくられ、ドイツ側はこれを突然突きつけられた形
特に、戦争責任の箇所などは屈辱的な内容で反発が大きかったらしい
カップ一揆
1920年選挙でのヴァイマル連合の敗北

第3章 脆弱な経済

ルール占領と消極的抵抗によるインフレーション
中産階級、俸給所得者はインフレーションの犠牲者、
一方で、連邦政府自治体政府・企業などは利得者となった。
農業はなかなか復興せず


ストライキが増える
共産党ソ連のラーデックの話など
共産党内部で社会民主党寄りの派閥と反社会民主党の派閥があり、1923年に混乱が生じる
シュトレーゼマン内閣
ラインラント分離主義
→フランスの支持をえた独立運動が行われ、一時的に独立がなされるが失敗
バイエルン分離主義
極左から極右へ。ヒトラービヤホール一揆


レンテンマルクとドーズ案
経済復興をとげるが、俸給所得者は恩恵に浴せず
組合率の低下も
ドイツ経済にとって、農業と外国貿易は弱点でありつづけた。
復興した経済もアメリカなどの短期投資に支えられたものでしかない

第4章 思想および宗教の分裂状態

ヴァイマル連合をなす3つの政党のそれぞれの思想をまとめて「ヴァイマル思想」を呼んでいる。
改良社会主義社会民主党、ベルンシュタイン)
ブルジョワ自由主義(ドイツ民主党、プロイスはヴァイマル憲法起草に際してこれを参照、ウェーバー
政治的カトリック主義(中央党)

ソ連レーニンとは一線を画すマルクス主義がドイツにはあったよ、という話
短め

保守主義には以下の3つがある。
(1)「ドイツ革命」を指向した知識階級
権威主義的・協調組合的・キリスト教的な国家を基調とする
「ユニークラブ」と新聞『ディー・タート』に集った者たちの2つのグループがある。
後者には、30年代以降シュミットなども合流してくる
(2)青年運動
反共和制、民族主義反ユダヤ主義
「赤」や(いわゆる匕首理論の)「裏切り者」、スラブ系外国人などに対して敵対的。
ナチズムっぽいのだが、ナチズムの平民主義的なところに反発していて、一線を画するとか
(3)汎ゲルマン主義思想の濃い政党・団体
ドイツ国家人民党、農民同盟、鉄兜団

保守主義とよく似ているが、違いとして、人種主義の優位、残虐な日和見主義、一般の階層からも人材登用といった点がある。
実際、保守主義とメンバー的には重複する面もある。
民族的ボルシェビズムという、階級闘争をプロレタリア国家と資本主義諸国との戦いと読み替える思想があり、これの近い位置にシュトラッサーの「黒色戦線」があった。


シュレースヴィヒ=ホルスタインの「農民運動」
1928年から29年にかけて爆弾テロを起こす。無政府主義を謳ったり農協組合主義を謳ったり思想的には不安定で、1930年以後はナチ党への投票者の供給源となる


ナチスの思想は、光と闇みたいな二つの勢力の争いで色々と説明していて、このような疑似人類学が色々な場所に応用された、と。

  • 宗教

憲法上は政教分離が謳われていたが、ドイツ全体としてはキリスト教の影響が強く、そして、キリスト教カトリックプロテスタントも反共和制であった

保守的な組織が温存される
民族主義的感情が強く、1925年の大統領選挙でのヒンデンブルク支持・マルクス攻撃において特に昂揚した
プロテスタントの中の、帝政への忠誠・排外主義に対抗して、神学者カール・バルトなどによる「ルター主義の復活」という動きがあり、バルトは、政治運動に参加はしなかったが、ナチス全体主義に抵抗したり、宗教的社会主義者と連帯した
が、プロテスタント全体では、やはり民族主義が多数派
ニーメラーにも民族主義的感情が含まれていた。

共和国憲法により、プロテスタントと対等の立場にたつ
領土喪失により多くの信徒を失ったが、共和国時代全体においては、活発だった
修道院や学校等の建設、キリスト教サンディカリズム構想、新聞、雑誌など
なにより、カトリックとつながりのある中央党が政権を担い、5人の首相がカトリックであった

特定の地域への集中、減少傾向、東欧ユダヤ人の流入という3つの特徴
ほとんどのユダヤ人が都市部に住んでいた。ユダヤ人ではないドイツ人と結婚してキリスト教へ改宗することが多くて減少していたが、東欧からの流入もあった。
ユダヤ人の内部でさらに様々な考えに分かれる。
ローゼンツヴァイクのような神秘への回帰が10%くらい
ショーレムパレスチナへ移住)やブーバーのような「正統ユダヤ」が10%くらい
多数派は、解放的自由主義

憲法上は、誰でもが等しく通える学校を原則としており、社会民主党民主党・人民党は宗教とは無関係の学校制度を望んだが、中央党と国家人民党はミッション・スクールに固執
結局、プロテスタント系のミッションスクールが55%、カトリックのミッションスクールが28%、いくつかの宗派にまたがるミッションスクールまたは無宗教の学校が16%となった。
教育内容は保守的であり、田園生活を理想とするものだった
女性教員への差別的待遇についても触れられている
中等教育初等教育とほぼ同様

    • 青年運動

公教育とは別のところで自由な教育の動き。シュタイナー学校の設立など
また、民族主義的なスカウト組織、各政党の青年組織、キリスト教系の青年組織などができ、また、貧困家庭の若者を動員するべく「生涯学習学院」という組織があちこちでできた。
共産党も人民大学などを開講。ベルリンの人民大学には、ルカーチ、経済学者のクチーンスキー、グロピウス、ブルーノ・タウト、作曲家のハンス・アイスラー、エルヴィーン・ピスカトールらが出講。受講者にはブレヒトがいた
高等教育
大学の教授陣も多くは保守的、国家主義的、反共和主義的
一部、歴史学者のマイネッケ、デルブリュック、社会学者のヴェーバーマンハイムヤスパースらが共和制政府に協力的であったが、多くの教授たちの反発を招いた

第5章 前衛文化と大衆文化

  • 物理学
    • カイザー・ヴィルヘルム研究所

プランク、シュターク、アインシュタインハイゼンベルク

    • ゲティンゲン学院

ヴァイル、ヒルバート、ボルン、フランク、ヘルツ、さらにアメリカからポーリング、オッペンハイムの国際的共同研究も
ポーリングについて、ブログには書きそびれたのだけど中屋敷均『遺伝子とは何か』 - logical cypher scape2にも名前が出てきていた。ワトソンとクリックが手法を参考にしたのがポーリングであり、また、キャベンディッシュ研究所のボスのライバルでもあった、と。

  • 化学

ネルンスト、ハーバー、ブーテナント、ボッシュ、フィッシャー、ボルギウス、ハーンなど
ハーバーとボッシュ木村靖二『第一次世界大戦』 - logical cypher scape2にも。

ビスマルク賛美派と帝政国家批判派の論争が主で、経済史や社会史はおろそかに
美術史だけが活発
ヴェルフリン、ゴルトシュミットの様式論
ヴァールブルク研究所でのパノフスキーらの研究が、カッシーラーにも影響を与えた

  • 哲学

新カント派(カッシーラー、ケルゼンら)と新ヘーゲル派の共存
ルカーチは文芸批評に、コルシュは独自のマルクス主義
似た立場のブロッホベンヤミンだったが、ベンヤミンは自殺するまで世に知られていなかった
現象学フッサールヤスパースハイデガー

  • 心理学

ヴェルトハイマー、ケーラー→30年代にゲシュタルト心理学
精神分析がベルリンで花開く

  • 社会研究所

のちのフランクフルト学派
長老格として、ジンメルヴェーバー、トローエルチュ、シェーラー
マルクス主義人道主義を特徴とする
マンハイムアドルノ、ホルクハイマー、マルクーゼ、フロム夫妻、クラカウアーなど

  • 音楽

ベルリンには3つのオペラ劇場があった
現代音楽については、シェルヘンのメーロス・グループやハンス・アイスラーが人々に広めた
大衆に好まれたのは、パウル・アーブラハム、ラルフ・ベナツキ、パウル・リンケなどの曲。
劇場では、レビューを演し物として、1924年にはチアガール、1926年にはジョセフィヌ・ベーカーが出演(ベーカーは海野弘『アール・デコの時代』 - logical cypher scape2にも名前が出てきた)
フリードリヒ・ホレンダー
ジャズがベルリンでブームとなり、黒人音楽家を描いたオペラも。
ブレヒトもジャズに影響を受ける。
1929年の世界恐慌以降、ジャズ人気は下火

  • 演劇

ゲールハルト・ハウプトマンと「民衆舞台」
民衆舞台というのは、社会民主党によって設立された協会で、ドイツ全土に劇場網を擁する
民衆舞台の役者たちは、ルノワールの絵のモデルにも
エルヴィーン・ピスカトール
映画製作の手法を取り入れた演出家。民衆舞台の会員たちからは反発される。
共産党員となり「プロレタリア劇場」や「ピスカトール舞台」を設立
スカトールを引き継いだのが、弟子のブレヒト
政治演劇は、文学的評価や他の演劇人に与えた影響と、大衆からの評判が離れていた。
成功した珍しい例として、堕胎を題材とした『劇薬』がある。
民族主義の演劇は主に喜劇

  • 文学

新即物主義が、文学にもあったらしい(美術のしか知らなかった。とはいえ、この言葉自体、美術史家が造ったもののようだが)
ルフレート・デーブリーン
多くの文学者が共産主義かナチズムかにいくなか、さまざまな様式に手を染めた作家
『ベルリン、アレクサンダー広場』は映画化されている
後世に名を残す、シュテファン・ゲオルゲヘルマン・ヘッセは一部の階層にしか読まれていなかった。
ヴァイマル体制下でただ一人ノーベル賞を受賞(1929年)したトーマス・マン
(ちなみに、ヘッセは1946年に受賞)
『ブッデンブローク家の人々』が50万部のベストセラー。共和制の擁護者。『魔の山』の舞台となったスイスからドイツ国民に理性の復帰を呼びかけた
兄のハインリヒ・マンも作家で、弟よりさらに左翼的だった。映画化作品がある
右翼的な作家としては、汎ゲルマン主義のハンス・グリムや英雄主義を称賛したパウル・エルンストなど
ユダヤ人作家のアルノルト・ツヴァイクは、平和主義の小説に先鞭をつけその中でも『グリシャ伍長事件』が成功した。平和主義の小説のひとつに『西部戦線異状なし』があるが、これもベストセラー)。
女流作家も多くいて、作品数も多かったが、主要な読者層である女性読者は作者名をあまり意識していなかったとか。
エーリヒ・ケストナーは、世界恐慌の犠牲者たちを厭世的に描く。『エーミールと探偵たち』で子供にも人気に。

  • 美術

画商アルフレート・フレヒトハイムによる雑誌『クヴェルシュニット』は、ガートルード・スタインヘミングウェイ、レジェなどの原稿を掲載
フランスの絵画の影響を受けたエーミール・ノルデは一時ブリュッケの一員、ブリュッケの創設者であるキルヒナーはパリへ。
ベルリン以外の各都市の動向について
ミュンヘン青騎士
ドレスデン:ブリュッケ創設の地
ヴォルスことヴォルフガング・シュルツェがベルリンから移住してきたが、後にパリへ。、オット・ディクスや、ウィーンからココシュカが来ていた。
ダダイストマックス・エルンストはパリへ。
ベルリン・ダダ
ハノーヴァーでは、シュヴィッタースがロシア構成主義を取りいれる

装飾への反動として芸術に機能性を求める
ブルーノ・タウトら建築家たちと社会的都市計画の推進
メンデルゾーン、シャロウンはアメリカの高層建築を研究、貧困層の問題解決という社会的要請にこたえる

  • 新聞

大新聞の多くは19世紀創刊
1919年以降、資本の集中

フーゴ・シュティネス
ルフレート・フーゲンベルク(国家人民党党首)

    • 共和主義擁護の2つのトラスト

モセ・トラスト
ウルシュタイン財閥
新聞は右翼系、左翼系、カトリック系、無党派がそれぞれあったが、カトリック系や無党派も右傾化していたので、新聞はおおよそ右寄りだった。

  • ラジオ

政治利用されていたが、ハンス・ブレードがこれを改めて、教育に用いようとした。
その中には、女性法律家カミラ・イェリネック担当の女性向け法律相談番組などがあった。

  • 映画
    • 見せ物映画

当時は、表現主義映画(ヴィーネ、ムルナウ、ラング)より見せ物映画が人気
のちにハリウッドで有名になるエルンスト・ルビッチェは、大仕掛けの見世物による悲劇映画で人気

表現主義とされるが本人はそう呼ばれるのを嫌っており、文学史デーブリーン同様映画史の位置付けが難しい監督
『ニーベルンゲン』や『メトロポリス』にファシズムの萌芽が見られるとされ、実際、ゲッベルスが称賛し、ユダヤ系のラングをナチスに取り込もうとしていた。が、ラングはアメリカへ亡命。その後は、反ファシズム的な映画も撮っている

    • 「新しい客観性」

1つは現実逃避的映画が増える。
→ドイツには、現実逃避的映画として山岳映画というジャンルがあるらしい
山岳映画としてはアーノルト・ファンクが有名だが、トレンカー、リーフェンシュタールが助手をしていた。両名はのちにナチスに協力する
もう1つ、心理描写を重視する作品が増える。
また、「新しい客観性」は社会批判の主題として都市を舞台にすることも多かった。
パプスト『喜びなき街』はウィーンで、女たちが家族を養うために身を売るさまを描き、グレタ・ガルボのデビュー作ともなった。
トーキーの出現とスタジオ外での撮影が可能となり、ドキュメンタリー方式で都市の日常生活を描く作品も
経済恐慌で、「新しい客観性」は消え失せ、大量生産方式による愛国映画や、『会議は踊る』のような喜劇へ。


新聞のところにもでてきたフーゲンベルクは、映画でも企業連合「ウーファ」をつくり、映画制作と配給に強い影響力を持っていた。
そうした中で、反権力主義なザーガン作品や、パプストの平和主義映画や『西部戦線異状なし』の成功の意義は大きい、と。

第6章 共和制の危機と終焉

1929年10月 シュトレーゼマンの死と暗黒の金曜日
失業者の増加
ナチの躍進
ヒンデンブルク再選
ブリューニング(中央党)内閣、パーペン内閣(男爵内閣)、シュライヒャー内閣の変遷と、だんだんナチの影響力が高まっていく様子が短くまとめられている。
ここらへんも林健太郎『ワイマル共和国』 - logical cypher scape2で3章くらいかけて説明されているところ。

結び ヴァイマル共和国は他殺されたのか自殺したのか

章タイトルの意味は、ドイツ国民にとって民主主義・共和主義は外来思想であって根付いていなかったのか、いやしかし、ブルジョワ自由主義の伝統もあるし、みたい話だとは思うのだけど、婦人層の動向についての解説に多くのページを割いている。
女性の投票率は次第に低下し、第2章で諸外国より高かったと書かれていた女性議員比率も低下していく。
婦人の労働問題も等閑視されていた。
ドイツ婦人会連合は保守化していく。イタリアのようなファシズムの方がいい、みたいな発言もあり、ナチへの投票に繋がっていった。