サブタイトルは「人道と国益の交差点」。
難民を受け入れ、保護(庇護)することは、人道上の理由によるが、各国の様々な難民受け入れ政策を見ていくと、いかに国益に叶うように受け入れていくかという視点も見えてくる、というような意味が込められている。
そもそも難民とは何か、難民を受け入れる方法にはどのようなものがあるのか、といったところから基本的な部分が解説されている。
また、数値やグラフなども多く示されており、定量的なデータに基づく話がされている。が、以下の要約では、数値については全く触れていないのであしからず。
この本は、trickenさんがSNSで紹介しているのを見て知ったような気がする。
最近上杉勇司『紛争地の歩き方―現場で考える和解への道』 - logical cypher scape2、越智萌『 だれが戦争の後片付けをするのか』 - logical cypher scape2を読んできたので、その流れでいうと次にこの本あたりがいいかなあと思い、読んでみることにした。
難民というと、UNHCRの寄附を募るwebページのようなイメージがあり、またあるいは、日本の入管における非人道的な扱いの印象もあるわけだが、しかし、本書を読んでみて、いかに自分が全然知らなかったかということが分かった。
例えば、難民の定義とかからして分かっていなかった(紛争によって住む場所を追われた人は、厳密に言うと難民ではないって、どれくらいの人が知ってます?)。
上記、『 だれが戦争の後片付けをするのか』に続き、国際法関係の本を読んだことになる(本書は、法というより政治・政策の面が強いが)。
普段読まないジャンルの本であるが、独特の(?)明晰さがあるなと感じた。
はじめに
第一章 難民はどう定義されてきたか――受け入れの歴史と論理
第二章 世界はいかに難民を受け入れているか――その1「待ち受け方式」
第三章 世界はいかに難民を受け入れているか――その2「連れて来る方式」
第四章 日本は難民にどう向き合ってきたか
第五章 難民は社会にとって「問題」なのか
1 難民と犯罪
2 難民受け入れによる財政負担
第六章 なぜ「特に脆弱な難民」を積極的に受け入れるのか――北欧諸国の第三国定住政策
おわりに
あとがき
はじめに
「生まれの偶然性」という言葉が最初に紹介されている。
筆者がオクスフォードに留学していた際、先生たちが繰り返し言及していた概念だという。
国際的なアンケート調査で、日本が難民に対して特別に非人道的ということはないが、「わからない」「どちらともいえない」という回答が他国と比べて目立つ、と。
難民の受け入れについて、積極派も消極派も、難民に対して理解しないまま議論しているのではないか、と。
本書は、難民の受け入れについての基礎的な知識を提供するものである、と
他のおすすめ本の紹介もされている。
本間浩『難民問題とは何か』田中宏『在日外国人』貴堂嘉之『移民国家アメリカの歴史』申惠丰『国際人権入門』筒井清輝『人権と国家』宮島喬『「移民国家」としての日本』
筆者のプロフィールの中に、修士(強制移住学)というのがあって、そんな名前の学もあるのか、と驚いた。
第一章 難民はどう定義されてきたか――受け入れの歴史と論理
国民国家体制と「難民」の誕生――第二次世界大戦まで
難民条約の成立
難民条約上の難民の定義
アフリカと中南米における広い難民の定義
戦争・武力紛争と難民
難民に準ずる別の地位を作ったEU諸国
難民受け入れ制度の空白地帯アジア
領土的庇護と外交的庇護
第二次世界大戦後にできた三つの重要な国際機関
移民と難民の違い
「難民」という言葉や概念、遡るとユグノーとからしい。
で、第二次大戦後、ナチスドイツとユダヤ人の件への反省等々から、難民条約ができる。
難民条約で難民が何か定義されている。
大雑把にまとめると、差別により迫害されて、もしくは迫害のおそれがあって、元々住んでいた国にいられなくなった人
迫害とは何かは、長きにわたっての学問的議論があって、今では基本的人権の重大な侵害、というところに落ち着いている、と(むろん、基本的人権はどこからどこまでを指すのか、という問題もあるが)。
国を出た理由は問われない。例えば、留学中に出身国で政変が起きた結果、迫害の恐れが生じたので事後的に難民になる、ということはありうる(後発難民)。
難民条約による難民は、迫害ないし迫害のおそれが理由なので、それ以外の理由、つまり戦争や災害によって元いた国によっていられなくなった人々は、実は難民ではない。
ところで、アフリカと中南米では、地域での条約において、難民の定義を広げている(OAU難民条約、難民に関するカタルヘナ宣言)。
難民条約での定義に加えて、紛争などの理由でも難民になる、としている。
また、EUは、難民の定義は変えず、「補完的保護を受ける資格がある者」という地位を新しく作ることで、受け入れ対象を広げた。このだ。EUでは難民よりも庇護、国際的保護という言葉をよく使う。
EUは、ユーゴがあって、アラブの春があって、ウクライナがあって、と法整備すると、新たな事態が起きて、それに対応して、みたいな繰り返しらしい。
アジアは、難民受け入れについての空白地帯
アフリカや中南米あるいはEUのような地域での取り決めがないだけでなく、そもそも、難民条約締結国自体が少ない。しかし、難民は発生している。
難民の保護というのは、難民を自国に受け入れて自国の国民と同等の地位を与えることをいい、これを「領土的庇護」と呼ぶ
これに対して、難民が発生した国の大使館・領事館などで受け入れて匿うことを「外交的庇護」と呼ぶ。日本人は、こっちのイメージをもちがちかもしれないけれど、実際にはあまり現実的ではない。
なお「亡命」に相当する概念は、国際法上は存在しない、らしい。
本書では原則「領土的庇護」を扱う。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)
国際移住機関(IOM)
国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)
もともと、第二次大戦後すぐに国際難民機関というものがあり、これが1951年に活動を終了し、法的アドバイスを行う機能がUNHCRとなった。
もともとは人数の少ない機関だったが、次第に人数も扱う範囲も広がっていったという。恒久的な解決を目指す。
対して、国際難民機関の実働的な役割を引き継いだのがIOM(元は別の名前)だが、当初、共産圏からアメリカへの移住を支援していたので、ソ連の反発にあい、国連機関としては認められなかった。今は、国連システムに組み込まれている
この3つの中で、IOMだけ全然名前も知らなかった……
ちなみに筆者は、IOM、UNHCRでの勤務経験がある。
で、UNRWAだが、難民条約でパレスチナ難民は難民の定義から外されているらしい!
この中では一番小規模な組織で、UNHCRと違って「恒久的な解決」は目的ではない。
一般的には、移民と難民を自発性の違いで理解されることが多いが、そういう定義はない
というか、難民が難民条約で定義されているのと異なり、移民には国際的に同意された定義がない。国によって移民定義がバラバラなので、国際的な統計をつくる時結構大変らしい。
移民という広いカテゴリーの部分集合として難民がある、というのが国際的な理解
難民は、難民条約によって受け入れの義務があるが、移民はそうではない、というのが大きな違い。
なお、難民の定義を満たした瞬間に難民となるのであって、いずれかの国に難民認定されるまで難民ではない、ということはない、と。
UNHCRではこのことを「難民認定されたから難民になるのではなく、難民になったから難民認定されるのである」と述べているという。
第二章 世界はいかに難民を受け入れているか――その1「待ち受け方式」
自力でたどり着いた庇護申請者の難民認定審査
難民の集団的受け入れ――なぜ「途上国」は寛大なのか
国家間の保険制度としての難民保護
一時的保護
補完的保護
一時的保護と補完的保護の違い――EUの場合
章タイトルにある通り、各国が難民をどのように受け入れているかの話だが、大きく2つの方式があり、2章と3章でそれぞれ扱われる。
2章は、難民が自力で自国以外の国へと辿り着き、その国が難民認定して受け入れる方式について。受け入れ国側は受け身。
「待ち受け方式」という名前になっているが、これは筆者による命名
まず、そもそも難民が自力で他国に辿り着く、というのがかなり難易度が高い
難民というのは、自分の国の政府の保護が受けられなくなっているから難民になっているので、自分の国からパスポートなり身分証なりを発行してもらえるとは限らないし、合法的に出国できるとも限らない*1。
強制移住者とされる人たちの中で、自国避難民というカテゴリが非常に多くて、これは要するに出国できない人たちを指す。
また、難民条約には、ノン・ルフールマン原則という大原則があって、難民を迫害のおそれのある国に送還してはならない、という強いルールがある。
この原則には例外があるが、その例外については5章で扱うとのこと
また、ノン・ルフールマン原則は、難民条約に記載があるが、この条約を締結していない国も拘束する国際慣習法である。
受け入れ国が難民として認定する前でも、ノン・ルフールマン原則は適用される。
このため、受け入れ国側としては、できるだけ入国させないというインセンティブが働く。近年だと、入国管理官が出国側の空港でチェックしている場合があったり、あるいは、リビアの民間船が地中海で難破した際、周辺国の軍艦等はこれを救援せず、リビア領海へと追い返そうとした。これは、軍艦に乗せた時点で、ノン・ルフールマン原則が効いてくるから。
難民が他国へ辿り着くこと自体が難しいが、そこから難民として認定されるのも難しい。
難民条約は、具体的な認定申請手続きを何も定めていない。このため、国ごとに違う。
EUは、ユーゴ内戦・コソボ空爆の際に、同じEU内でも国によってバラツキが生じたので、統一基準を作るようにしている。
認定手続きが終わるのに年単位かかるのはざらであり、認定審査業務はどんどん貯まっていっている。
難民として認定される率も国によってバラバラ(EU内ですら)だが、平均を取ると4割程度が難民として認定されている。
なお、入国してすぐに申請しなければならないわけではない。難民として入国した場合、まず申請手続きがよく分からないことが多いだろうし、信用に足る支援組織などを見つけるのにも時間がかかるだろうし、そもそも本人の心理状態などの問題もある。また、既に述べたように、出身国での状況が変わって、事後的に難民化してしまう場合もある。本書では、難民としての申請が遅いことと、その申請の信憑性は全く関係がない、と強調している。
上記は、個別認定の場合である。
大量に難民が発生して一気に押し寄せてきた場合など、個別に認定手続きを行っていては窓口がパンクしてしまう。
そのため、集団的受け入れ、という方法がとられることもある。
難民を受け入れている国は、実は途上国の方が多い
何故、途上国は難民を受け入れるのに寛大なのか。これは、結構研究されているテーマらしい。
1つに、国境管理が緩いから、という説があるが、これは、北マケドニアやベラルーシが国境閉鎖したことがある例を出して、途上国でもやろうと思えばやれるとして退けている
次に、国際的な援助金が得られるから、という説もあるが、これも本当に見合っているのか、という点で疑わしいらしい
ところで、難民というと難民キャンプで暮らしているというイメージがあるが、実際に難民キャンプで暮らしている難民というのはごく一部らしい。受け入れ側もあまり作りたくないし、難民も親戚や知人の家で暮らすことが多い、と
近年、有力説となっているのは、途上国では、政治家や官僚自身が難民やそれに類する境遇だったことがあるから、というもの。また、政治家や国民が、難民と民族的アイデンティティを共有しているから、というものもある。
要するに、お互い様だということであり、難民保護は一種の保険であるともしている。
そもそも国民国家という仕組みにおいて、難民は不可避的に発生しうる
戦後、国際社会が難民条約という仕組みを作ったのはそのためである。
難民をどこの国も受け入れないとなると、人道的な面でも、秩序の面でも問題がある。
最後に、一時的保護と補完的保護、という一見するとよく似ているが、実際には性質の違う保護について
一時的保護は、申請手続きが大変なので、一時的にもう受け入れてしまうというもので、一時的保護を受けている人が同時に難民申請することもできる。
補完的保護は、難民条約上は難民ではないが、保護すべき対象を保護すること。
例えば、EUやカナダなどでは、帰国すると死刑や拷問にあう可能性がある人を保護している。これは差別による迫害ではないので難民には当たらない。ただ、他の条約で、拷問にあう可能性のある人を元の国に送還してはいけない、という規程があるので、そちらとの兼ね合い。
送還してはいけないがなんの権利も保障しない、となると、結局問題なので、難民同様の保護を与える、というもの。条約では定められていないことを国内法で補完している。
第三章 世界はいかに難民を受け入れているか――その2「連れて来る方式」
第三国定住とは
第三国定住での受け入れの流れ
「連れて来る方式」と「待ち受け方式」との違い
「待ち受け方式」と交換にされる第三国定住
難民以外の立場での受け入れ
民間スポンサーシップ
本国からの直接退避
第3章は「連れてくる方式」だが、これを第三国定住resettlementという。
後半、第三国定住とはやや違う方法も紹介されている。
最初の庇護国(多くは途上国)にいったん逃れた難民が、さらに別の国(第三国/先進国)に受け入れてもらうこと
UNHCRが、難民のデータをまとめて受け入れ希望を出し、受け入れ国側がそこから受け入れる難民を選ぶ、という方式が多い(UNHCRを介さない場合もある)
UNHCRが難民認定をしているので、受け入れ国側で認定手続きをとらなくてよいというメリットがある(国によっては認定手続きをとることもあるが、形式的なもので、個別申請と異なりすぐ認定される)
受け入れ国側は、受け入れ前に、難民に対して研修などを受けさせることができる。
また、受け入れ人数を事前に計画して、計画通りの人数を受け入れることができる。
自力では国境を越えられないような、乳幼児やその親あるいは妊婦、老人、病人、身障者なども難民として移住が可能
そういう「脆弱性の高い」難民を優先的に受け入れる枠がある場合もある(緊急手術が必要で、出身国では受けられないが先進国では受けられる場合など)。
「待ち受け方式」がしばしば非合法な入国手段にならざるをえないのに対して、完全に合法的な手続きで入国できる
第三国定住のメリットとして、外交的なメリットもある。受け入れ方式で受け入れる場合、受け入れ国による難民認定は、出身国政府への批判ともなる。だから、冷戦時代などは、西側諸国は積極的に共産圏の難民を受け入れたりしてきたし、現在でも、軍政や独裁を批判する意図で難民を認定するということが見られる。また逆に、日本がクルド系の難民認定が渋いのは、トルコ政府に配慮しているという点もある、と筆者は述べている。
第三国定住の場合、出身国に対して、そちらの国を批判する意図はないがUNHCRからの依頼に基づき受け入れている、という言い方ができる、と。
第三国定住は、国際法上は何の裏付けもない
難民条約において、自力で国境を越えて入ってきた難民については、受け入れ国は保護する義務があるが、そうではなく、別の国にいったん入国している難民を、さらに引き取るような義務はない。
難民条約上、第三国定住rresettlementという語は一カ所だけでてくるが、難民の財産移転についてのテクニカルな条項で、第三国定住という制度を定めたものではない。
難民受入の負担が偏らないようにすべし、という内容の条文はあるが、経済的援助でよい、という解釈もあり、やはり、難民自身を引き取る義務はない。
しかし、上述したメリットにより、先進国において、第三国定住方式は増加している。
受入人数としてはアメリカがもっとも多い。カナダや北欧諸国でも盛ん。
ただし、第三国定住にも問題がないわけではない。
先進国では、第三国定住の枠を広げる代わりに、待ち受け方式の枠を減らそうとしている。
EU-トルコ声明では、トルコからギリシアへ渡ってきた難民をトルコへ送還する代わりに、EU側で第三国定住を引き受ける
「難民交換」とされるもので、アメリカとオーストラリア間、イギリスとルワンダの間でもこのような交渉がなされた。
待ち受け方式で入ってきた難民を送還する代わりに、第三国定住でほかの難民を引き受けるというもの。単に送還するだけだと非人道的になってしまうので、難民受け入れの総数は変えないままで、密入国を阻止するというもの。
こうした措置が発表されたことで、実際に、直接国境を超えるケースは減少。国境管理にとっては有効ではある。
むろん、問題視もされていて、特にイギリスとルワンダの覚書については、国際法違反の疑いがあり、最高裁に違法と判断された。
ただし、難民の受け入れ自体を拒んでいるわけではないので、賛否両論ある。研究者の中には、全面的に第三国定住方式に移行すべき、と主張している者もいる。
広く「連れてくる方式」の中には、難民以外の立場での受け入れというものもある
難民は、必ずしも難民として入国しなければならないというわけではない。それ以外の在留資格で入国して、難民としての申請は行わないというのは、以前から存在していた。
さて、近年に起きた変化として、この方式が「良いこと」であると評価されて注目されるようになった、という。ただし、筆者はこの方法も良い面と悪い面とがある、とする。
例えば、留学生としての受け入れである。
難民となるのは「エリート」であることが多い。難民になることでキャリアを絶たれた人が、再び教育を受けられるのはよいことである。受け入れ国側としても、そういう人材を得ることができる。
しかし、一方で、留学生として来られるのは既に一定以上の教育を受けたことがある人に限られる。
他に、家族や親族を呼び寄せる、という方法があり、これは昔から非常に数が多い。
受け入れ国側に家族がいるので、経済的には安定できる可能性が高く、受け入れ国としてもメリットがある。
しかし一方で、これもまた当然ながら、既に家族が受け入れ国にいるということが前提になる。また、家族を呼び寄せるので、人種、民族、宗教等で偏りが生じていく可能性がある。
このように、これらの方式は、難民であることだけでなく、条件が追加されるという点では問題がある。
民間スポンサーシップという方式もある
これはその名の通り、民間が主体となって行うもので、受け入れる難民の選定から受け入れ支援等を民間が行う。
民間スポンサーシップについては、カナダで歴史が長く、カナダでの事例が紹介されている。
民間スポンサーは、当然、非常に重責を負うことになるので、個人ではなく何らかの団体・集団で行われる。
民間スポンサーを行う動機は大きく分けて二つあり、一つは正義感や信念、倫理観などによるもの、もう一つは、親族や知人、同郷人への責任感によるもの。
この箇所を読みながら、どういう団体がやってるのかなと気になっていたのだが、この前者の方、本文中では、インタビューでの回答も載っていて、倫理観からやっている人たちがいてすごいな、と思った。まあ、NPOとかそういうものかとは思うが。なお、カナダでは、法人格を持っていなくても、受け入れるための経済力が証明できれば個人の集団でも可能。
後者は、かつて難民だった人が経済的に自立して民間スポンサーになるというケースが多い。カナダでは、家族が配偶者と未成年の子どもだけで、それ以外の親族を呼び寄せるスキームがないので、これが用いられている。
市民社会の参画という意味で望ましい取り組みであるが、一方で、やはり脆弱性の高い難民は受け入れられにくいという問題があるという。
第三国定住の場合、既に別の国へ出国している難民をさらに連れてくるわけだが、そうではなく、本国から直接退避させるパターンがある。
アフガニスタンで、タリバンが政権を再掌握した際に起きた事例で、アメリカなど外国に協力していた現地職員やその家族が、タリバン政権下で迫害されるおそれがあるため、退避させた。
第四章 日本は難民にどう向き合ってきたか
外国にいる難民支援のための財政的援助
インドシナ難民への対応――一九七五年から二〇〇五年
難民条約に基づく個別庇護審査――一九八二年から
なぜ日本の難民認定率は低いのか
第三国定住――二〇一〇年から
留学生としての受け入れ――二〇一六年から
アフガニスタン現地職員の退避――二〇二一年から
ウクライナ(避)難民の積極的受け入れ――二〇二二年から
日本は難民の受け入れに非常に消極的とされる。
筆者は、それでも日本は既に「待ち受け方式」も「連れて来る方式」もいずれも経験しており、様々な方法で受け入れてはきたとして、各フェーズにかけて日本の難民受け入れのこれまでを概観している。
問題点は色々と指摘しつつも、評価できる点は評価するというスタンスで書かれている。
まず、難民受け入れの話の前に、簡単に財政的援助について触れている
日本は難民受け入れを行わない代わりに、財政的援助の額が多い。これを揶揄して、お金を出すほど難民の受入人数を絞る、ジャパニーズソリューション、と言われたりもする。
ただ、筆者は、金額の増加と受入人数の増加は概ね比例していて、金額が増えるほど受入人数が減る、という関係にはなっていないことを指摘している。
戦後日本で、難民受け入れの契機になったのがインドシナ難民である(ちなみに、カナダで民間スポンサーシップが始まったきっかけでもある)
ベトナム戦争が終わり、ラオス、カンボジアでも共産政権が成立したことで、インドシナ半島から難民が発生した。
元々日本は、難民は西欧固有の事例であり、アジアで大規模な難民が発生することはないとして、難民条約締結を避けてきたが、この言い訳が使えなくなった。
インドシナ難民については、1975年から2005年まで受け入れが続いていたらしい。
1981年、難民条約に加入し、これに対応するために出入国管理及び難民認定法(入管法)*2が成立する
1982年から、個別庇護審査による難民受け入れが始まる。
日本の難民認定率は低いと言われ、これが批判の対象ともなっているが、筆者は、数字に拘るのは意味がなくて、重要なのは難民認定の「質」だという
その上で、難民認定率が低いことに対する擁護派、批判派それぞれがよく言う論点6つを挙げて、論じている。
(1)~(3)は認定率が低いことを擁護する意見、(4)~(6)は逆に批判する意見。
(1)「濫用・誤用ケースが多い」
難民ではなく就労目的による入国が多い、というもの。これは、申請期間中は就労できないという条件を課した後、申請が減ったことを根拠としている。
しかし、難民であっても(申請期間が長期に渡るほど)働かなければ食っていけないわけで、このことをもって濫用とは言いがたい。
(2)「申請者の中に難民発生国出身者が少ない」
日本での難民申請者の出身国は、多い順に上からネパール、トルコ、スリランカ、ミャンマー、フィリピン、ベトナム……と続く。
正直、個人的にはこれらの国を見て、難民発生国ではないと思う方がよく分からないのだが
筆者も、トルコとミャンマーをあげて、この2国は難民が発生している国としている。
また、難民というのは、迫害されていたり迫害のおそれがあったりという理由によるもので、紛争が起きているかどうかとかは関係がない。
(3)「迫害のおそれがない申請者が多い」
在留資格が短期滞在になっていることから、迫害のおそれがない、と解釈する主張があるらしい
日本は島国なので、入国するためには何らかのビザが必要で、そうすると短期滞在で入ってくるというのは普通に考えられることで、そこから、迫害のおそれがない、とは解釈できない、と。
(4)「迫害の解釈が狭すぎる」
ここからは、認定率が低いことを批判する意見。
迫害については「基本的人権の重大な侵害」とみなすことで広くコンセンサスがある。
日本での難民認定の基準を見ると、基本的にこのコンセンサスにのっとっているが、「身体の自由」と「通常人」というのが追加されていて、条件が狭められている。
「身体の自由」は基本的人権の1つだが、基本的人権にはこれ以外にもあり、身体の自由に限るのは不当な制限である。「通常人」というのも、日本の刑法等から引っ張ってきたと思われるが、難解な概念だと筆者は指摘している。
ただし、筆者は、2023年の「難民該当性判断の手引き」において、「その他の人権」という語が入った点に、希望を見ている。入管側は、この手引きによる従来からの変更はないとしているが、筆者は今後の認定がどう変わるかを注視したいとしている。
(5)「信憑性や迫害のおそれのハードルが高すぎる」
筆者は、難民認定は、過去の事実認定ではなく未来の予想を行う営みである点で、通常の司法とは異なる、特殊な判断であることを強調している。
また、疑わしきは罰せずのような「灰色の利益」が、日本だとあまり認められていない点が問題、と。
(6)「参与員制度が機能していない」
参与員制度は、2005年に設置された不服申し立て制度
3つの点で問題があり、すなわち、法的拘束力がない、参与員の専門性に差、法務省から独立していない、である。
参与員の専門性についてだが、参与員になっている人は、国際政治や司法の専門家であり、それぞれの分野で専門性があるのは確かだが、難民認定はそれ自体独自の専門性を持つ、と筆者は主張している。
なお、筆者自身、この参与員でもある。
2010年から日本でも第三国定住が始まっている
日本は「待ち受け方式」での受入人数が少ないので、待ち受けでの人数と第三国定住での受入人数が拮抗しているくらいだが、第三国定住についてはほとんど知られていない。
事前にオリエンテーションや日本語研修が行われ、入国後も研修や就労支援が行われている。
筆者が知る限り、大多数が問題なく就労しており、受け入れ当時中学生や高校生だった子どもの中には、大学や大学院に進学した人たちもいる、とのことで、筆者は、第三国定住による難民が、日本社会にちゃんと定着していることを強調している。
また、日本での試みに触発されて、韓国でも第三国定住が始まっているという。
アジアはそもそも難民条約の締結国自体が少なく、アジアにおける難民政策について日本がイニシアティブをとっていく余地がある、と筆者は示唆している。
2016年から、JICAによる留学生受け入れプログラムがあり、ここで難民を受け入れている。
筆者はこのプログラムについて3つ問題点を指摘している。
1つは玉虫色であること。難民も受け入れられる制度だが表向きは留学生プログラムで難民向けなのかそうでないのかぼかされている。2つ目は既に述べたようにエリートに限られること。3つ目は、留学生側と受け入れ側の期待のギャップで、期待していたような職が用意されていない、という点がある。
この章の最後では、アフガニスタン現地職員の退避事例と、ウクライナ(避)難民の受け入れについてそれぞれ比較した上で、紹介している。
結論からいうと、前者のアフガニスタンからの退避は渋すぎであり、後者のウクライナからの受け入れは(これまでの日本の難民政策と比較すると)大盤振る舞い過ぎ、ということになる。
ウクライナからの受け入れ自体はよいのだが、これまでと比べると、あまりにも緩くて、他の国や地域出身の難民からすれば差別的とすらいえる。
また、日本は「やろうと思えばここまでやれる」ということを示したので、今後の難民受け入れについて、ウクライナの件を最低基準とすべきだともしている。
アフガニスタンの件は、本当にひどいとしか言い様がなくて、受け入れたくなくて様々な条件をつけている
例えば、本人はいいけど家族はだめとか
必要な条件や書類のハードルが高すぎるとか(日本側の身元保証人やパスポートを要求。パスポートをとるにはタリバンと接触しなければらないので無理ゲー。短期ビザの申請条件よりも不当に厳しい条件を追加で課している)
日本側の協力者が尽力して、こうした条件をがんばってクリアさせて、連れてきているケースが多いらしい。
日本側の協力者というのは、実際にアフガニスタンで現地職員と一緒に働いた人たちで、一緒に働いてきたから、日本のために尽力してくれたから、という理由で、受け入れの支援を積極的に行っている。
筆者は、これは日本の国益も損なう事態だとしている。つまり、今後、日本のために働いてもいざというとき日本は助けてくれないということを示してしまい、優秀な現地スタッフに対して、日本以外の組織で働いた方がよい、ということを日本自身がアピールすることになってしまった、と。
ウクライナについて
本書ではウクライナ(避)難民と表記されている
第一章でもあった通り、難民の定義は、差別により迫害されている、もしくは迫害のおそれがある人たちのことであり、戦争によって居住地を逃げてきた人たちは、必ずしも難民とは呼ばない(アフリカや中南米ではそうした人たちも難民に含むが、日本はアフリカや中南米の地域条約にはもちろん参加していないので、こうした難民の定義は採用されない)
ウクライナの戦争から逃れて国外脱出してきた人の多くは、ウクライナに戻った際にウクライナ政府などから迫害される、または迫害のおそれがあるわけでは必ずしもないだろう(ただし、戦争から逃げてきたから必ず難民ではない、というわけではなく、戻ったらウクライナ政府から迫害されるおそれがある場合は、もちろん難民にあたる。そういう人たちが含まれている可能性ももちろんある)。このため、(避)難民と表記されている。
非常に簡単な手続きで日本に入国することができて、支援も手厚かった。
身元保証人なしでも入国できる方法が用意されていたりもした。
身元引受人についていうと、あまりにも基準が緩かったので、身元引受人となった日本人男性からウクライナ人女性への暴力事件が発生するという問題もあった。筆者は、カナダの民間スポンサーシップを参考にして、日本でも、身元引受人について研修を受けさせるなどの制度を整備するのがよい、としている。
第五章 難民は社会にとって「問題」なのか
1 難民と犯罪
難民の定義から除外される場合
難民の追放が許可される場合
難民条約以外の国際法における送還停止規定
難民受け入れは「治安リスク」なのか
日本における外国人犯罪
2 難民受け入れによる財政負担
庇護申請者への公的支援
第三国定住難民のみへの公的支援
定住支援プログラムにかかる公的費用
難民を含む外国人と生活保護
難民を受け入れる際に、社会に問題をもたらすのか
主に議論される「犯罪」と「財政負担」について論じられている。
犯罪について言えば、難民に限らず外国人移民一般にもいえることだろう(統計調査の上で、難民だけ区別されていることはあまりないので、ここでも、難民のことを言っているのか移民全般のことを言っているのか、やや曖昧なところがある)
結論から言うと、様々な研究がなされているが、犯罪が増えるとも増えないとも一概には言えない、というところにある。
身も蓋もない話だが、国によって、あるいは同じ国でも機関によって、統計の取り方が異なっているため、全体を見通してこうだということが言いにくい、ということがある。
難民条約には、難民は、不法入国や不法滞在については免罪されるという規定がある
一方で、ある種の犯罪者は難民に含まれないという除外条項と、難民として認定されても追放してもよいというノン・ルフールマン原則の例外がある。
前者は、戦争犯罪や人道に対する犯罪などである。
後者については、国の安全または公の秩序を理由とする場合(難民条約第32条)と、「国の安全にとって危険であると認めるに足る相当の理由または特に重大な犯罪」(難民条約第33条第2項)である
この「危険」や「特に重大な犯罪」について具体的な定めはなく、各国で基準が異なる。
ところで、日本では2023年の入管法改正で、この例外規定が組み込まれることになったが、筆者はこれが非常に問題ありであると指摘している。
「二重の疑い」といわれるもので、「~が疑われる人になると疑われる申請者」となることで、ほとんど無制限に送還停止効が解除できてしまう条文になってしまった、と。
この条文については、与野党合意の修正案で修正される見込みだったのだが、ほかの箇所を問題視した野党によりこの修正案が拒否された結果、原案通り可決されてしまった、と。
財政負担について、日本における難民申請者ならびに難民への支援の内容と費用が細かく紹介されている。
特に日本の第三国定住における定住支援プログラムにおける就労率の高さを強調している。
その上で筆者は、日本社会に定着した難民は納税者として社会に貢献することになるのであり、定住支援にかかる費用は、日本の国益にかなう投資とみなせるとしている。
第六章 なぜ「特に脆弱な難民」を積極的に受け入れるのか――北欧諸国の第三国定住政策
スウェーデン、デンマーク、フィンランドの第三国定住政策の概要
なぜわざわざ「特に脆弱な難民」を受け入れてきたのか
近年のデンマーク、スウェーデン、フィンランドにおける変革
ノルウェイの第三国定住政策
なぜノルウェイだけ「パラダイム・シフト」が起きていないのか
ノルウェイの極右政党の戦略
政治交渉と妥協
人道性と定着可能性のバランス感覚
犯罪率の減少
世論による根強い支持と広範な理解
王室ファクター
最後の章は、北欧諸国における第三国定住政策を見ていく章となる。
北欧諸国は伝統的に、第三国定住方式による難民の受け入れを積極的に行ってきており、その中でも特に、障碍者やPTSD患者、シングルマザーなどの「特に脆弱な難民」のための枠を確保してきたことで知られている。
しかし一方で、北欧諸国では極右政党も伸張しており、2010年代頃から難民受け入れ政策の見直しが始まっている。
ただし、その中でノルウェイだけはそのような「パラダイム・シフト」が起きていない。
ここでは、
北欧諸国の難民受入政策はどのようなものか。また、何故北欧諸国は受け入れに積極なのか。脆弱な難民を受け入れるのは何故か。
北欧諸国の「パラダイム・シフト」とはどのようなものか。
ノルウェイで「パラダイム・シフト」が起きていないのは何故か。
ということが論じられている。
- 北欧諸国の難民受入政策はどのようなものか。また、何故北欧諸国は受け入れに積極なのか。脆弱な難民を受け入れるのは何故か。
ここで挙げられている北欧諸国は、スウェーデン、デンマーク、フィンランド、ノルウェイである。
ただし、デンマークはやや例外的に、元々あまり難民を受け入れていない。北欧だけでなくEU的にも「異端児」扱いらしい。
一方、スウェーデンは長らく、難民受け入れについては「優等生」とされてきた国
第三国定住が多いのは、そもそも北欧諸国まで自力でたどり着ける難民は少ない、という背景もある。
基本的に、難民として受け入れると、国民と同等の社会保障を受けられるようになる。手厚い保障が受けられる代わりに、自由放任主義的なところもある。
国が各自治体に割り振っていく形で、過疎対策として機能しているところもある。
脆弱性の高い難民は、受け入れ直後には、社会保障を必要とするため、一見、国にとっては負担が大きいように思われる。
北欧諸国が脆弱性の高い難民を受け入れている理由は、北欧諸国は人道的な国である、というイメージ=北欧ブランドがあるから、というのがまずは大きいらしい。
また、女性や子どもの方が、実は受け入れ側の社会に定着しやすい、ということもあるらしい。
健康な男性は、すぐに労働の担い手になることができるが、一方で、元の国でのキャリアなどとのギャップ、プライドの高さなどから、受け入れ側社会に馴染みにくいことがある、という問題がある。
また、脆弱性の高い難民は「かわいそう」な難民であり、保守派の「よい難民」イメージと合致しやすいというのもあるらしい。
人道主義的なイメージをもてるので、その一方で、庇護申請の基準を厳格化することとバーターにできたり、とか。
- 北欧諸国の「パラダイム・シフト」とはどのようなものか。
デンマーク、ノルウェイ、フィンランドでは1980年代から、スウェーデンでは2010年代から、国政レベルで議席を持つ極右ポピュラリズム政党が存続している
ただし、極右政党の支持率の変化と、国民の反難民感情や難民数の変化との間に相関関係はない(難民が増えたから、あるいは国民が難民を忌避するようになった「から」極右政党の支持が伸びた、という因果関係は見いだせない、ということ)
また、国ごとに見ていくと、それぞれ経緯には異なるところがある。
デンマークについては、もともと難民の受け入れに厳しい国ではあったので、その後に、庇護セロ政策や第三国定住の停止を行うことに、驚きはなかったという
一方、長年、世界における第三国定住政策をリードしてきたスウェーデンとフィンランドの政策転換には、関係者の間で衝撃が走ったという。
スウェーデンは2022年の選挙で社民党が政権を失い、スウェーデン民主党が閣外協力する形で右派連立政権が成立。
フィンランドは2023年の選挙では、社会民主党から、フィンランド人党を含む四党連立政権へ政権交代が起きた。
これにより、どちらの国も第三国定住政策の見直しが図られた。
ただかなりの交渉と妥協の末、第三国定住そのものはなんとか死守した、という感じだったらしい。
多党政治で、連立や閣外協力が頻繁にあり、交渉の過程で、極端な政策が中道に寄りやすい、とのこと
また、ノルウェイの極右政党は、支持を得やすいという理由で、主張を穏健化させる傾向にある、とも。もともと、減税など財政政策への主張が多く、移民政策への主張が少ない*3
また、ノルウェイの場合、他の北欧諸国と異なり、難民の受け入れ基準について、定着可能性をよく見ていた、という違いがあるらしい。
スウェーデンやフィンランドは、条件として定着可能性をあまり見ておらず、また、受け入れ後も自由放任主義的なところがある。
対して、ノルウェイは、人道性と定着可能性のバランスを常に考えており、条件を頻繁に見直している。
定着可能性というのは、例えば、語学力が高いとか、すぐに働けるとかそういったことで、しかし、こうした条件を課すと、一部の限られた人しか受け入れられず、人道性という面ではトレードオフの関係になりがち。
ノルウェイは、人道性に配慮しつつも、定着可能性も見るし、受け入れ後も自由放任ではなく定着支援を行っている。就労支援のための定住補助金があって、就労できた場合は、残りは自治体にそれが入るので、自治体側も積極的に就労支援するインセンティブが生まれる、という構造を作っている。
ノルウェイは、仕組み作りがうまかった、といえる。
また、ノルウェイは、第二次大戦中、王室がイギリスに亡命していたという歴史があり、国王が難民受け入れに積極的な姿勢を見せていて、それもかなり効いているのではないか、と指摘されている。
おわりに
日本における難民政策は今後どうあるべきかについての筆者の私見が述べられる。
ウクライナの件で、日本に難民受け入れのキャパがあることが示されている。
緊急手術を受ければ日本で生活できる難民など、脆弱性の高い難民も受け入れられるような、要件の見直しなど。
- 海外で、日本の組織のために働いた現地職員とその家族の退避・受け入れ政策の策定
- 第5章で指摘された入管法の改正
- 第4章で指摘された参与員制度の不備に関連して、行政から独立した第三者機関の導入
年表
試しに年表を作ってみた
| 年 |
条約・組織・制度 |
大規模な難民発生イベント |
| 1948 |
国際難民機関 |
|
| 1949 |
UNRWA |
|
| 1950 |
UNHCR |
|
| 1951 |
難民条約 |
|
| 1951 |
PICMME(のちのIOM) |
|
| 1967 |
議定書 |
|
| 1969 |
OAU難民条約 |
|
| 1975 |
|
ベトナム戦争とインドシナ難民危機 |
| 1976 |
カナダ民間スポンサーシップ開始 |
|
| 1981 |
日本、難民条約加入 |
|
| 1981 |
入管法制定 |
|
| 1984 |
難民に関するカタルヘナ宣言 |
|
| 1989 |
IOM |
|
| 1990年代 |
|
コソヴォ危機 |
| 2000年代 |
欧州共通庇護制度の指令や規則の初版 |
|
| 2001 |
EUの一時保護指令 |
|
| 2005 |
入管法改正 |
|
| 2010 |
日本での第三国定住開始 |
|
| 2010年代 |
|
アラブの春とシリア難民危機 |
| 2010年代前半 |
欧州共通庇護制度の改訂版 |
|
| 2016 |
IOM、国連機関に |
|
| 2016 |
EU=トルコ声明 |
|
| 2016 |
米豪「難民交換」取引 |
|
| 2021 |
|
タリバンの政権奪還 |
| 2020年代 |
|
ウクライナ危機 |
| 2022 |
イギリス=ルワンダ覚書 |
|
| 2023 |
入管法改正 |
|
| 2024 |
EU・移住と庇護に関する新協定 |
|