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分析美学・アニメ批評・二次元アイドル『フィクションは重なり合う』販売中

フィクション重なり合う 分析美学からアニメ評論へ

フィクション重なり合う 分析美学からアニメ評論へ

フィクションは重なり合う: 分析美学からアニメ評論へ

フィクションは重なり合う: 分析美学からアニメ評論へ

上田早夕里『破滅の王』

1940年代の上海を舞台に日本人科学者がとある細菌兵器を巡って奮闘する物語
サスペンス的な意味でとても面白い
上田作品は一部しか読んできていないが、『華竜の宮』や『深紅の碑文』などと通底するところからな、と思うのは、苦境に陥った世界の中でなお必死にあがき、少しでもマシになる道を探し続ける人間の物語、とでもいうべきところだろうか。


本題と関係ない話だけど、何か気付いたらブログの更新が1ヶ月近く空いててびっくりした。
この本よりも前に『ビデオゲームの美学』を読み終わっているのだが、そちらの本は、読書会やるとかしていて、ブログの方に記事を書き損ねたままである(今、準備中だけど)。

破滅の王

破滅の王

舞台となっているのは、上海の自然科学研究所
これは実際にあった研究所で、この物語自体はフィクションであるが、史実をかなり織り交ぜながらすすんでいく。
上田早夕里『夢みる葦笛』 - logical cypher scape2には、同じく上海の自然科学研究所を舞台にした歴史改変SF「上海フランス租界祁斉路320号」が収録されている。


上海の自然科学研究所というのは、日中共同の科学研究所で、日本人と中国人が分け隔てなく自然科学の研究を行うことを目的として設立され、実際に、そこで勤務していた研究者たちはそのような理念を共有していたが、当時の日中関係は、必ずしも十全にその理想をかなえてくれるような状況ではなく、そして、盧溝橋事件、上海事変などが続き、上海全体が日本の支配下に置かれていくようになる。
主人公の宮本は、細菌学者として、細菌研究と防疫業務に携わるべく、この研究所に赴任してくる。
彼は、この研究所と上海の雰囲気を気に入るが、次第に日中関係の緊張感は増していく。
軍部への協力もせざるをえなくなり、研究所を去る者もいるなか、宮本は、同じく細菌学科に所属する六川とともに研究所に残る決意をするのだが、その六川がある日、失踪してしまう。抗日ゲリラによる誘拐なのか。しかし、なんの犯行声明もなく、行方不明のままとなる。
1943年、宮本は、総領事館代理を名乗る菱科という男と、その部下である灰塚少佐という男から、ある文書を読んでほしいという依頼を受ける。
それは、新種の細菌について書かれた論文なのだが、何故か途中から途中までしかない。「細菌を食べる」というこれまでになかった特徴をもつとともに、毒性があり、さらに既存の抗菌薬が効かない旨が書かれている。
関東軍防疫給水部本部(いわゆる「731部隊」)が関わった「キング」と呼ばれる細菌(兵器)であり、菱科と灰塚少佐は、宮本にその治療薬を作ってほしいという話を持ってきたのである。
しかし、治療薬を作るということは、この細菌を兵器として完成させるということと裏腹である(治療薬のない細菌兵器は、味方にも感染してしまうので撒布できない)。
そして、同時に、失踪してた六川の遺体が発見される
宮本は、六川が既に何らかの形でこのキングと関わっていたのではないかということに勘付き、六川の死の真相を究明するとともに、キングによってもたらされる災厄を防ぐため、菱科と灰塚少佐に従うことを決める。


この作品は、キングとは一体どんな細菌で、何故どのようにして作られたのかという謎と、六川は何故殺されたのかという謎の、二つの謎を巡って物語が展開していく。
それとともに、宮本という科学者と、灰塚という軍の特務機関に所属する男との、ある種のバディものともなっている
バディ、というほど、彼らは別に相棒というわけではないのだが、2人の間には少しずつ確かに友情が芽生えていく。
国境を越え、世代を超え、科学という営みは連綿と真理を追究していく、それは希望なのだと考える宮本は、むろん決してスーパーヒーローというわけではない。彼自身何度も悩むが、それでも科学者同士の連帯を信じて、行動する。彼は、もし自分が上海ではなくハルビンに行っていたら、自分が人体実験をし、細菌兵器を作っていたかもしれないという可能性をよくわかっているが、しかし、彼はハルビンではなく上海にいたのであり、それが彼の科学への信頼へとおそらくつながっている。
一方の灰塚だが、彼は軍人であり、それも特務機関の人間である。宮本に対しては常に軍人・機関員としての顔で接しており、彼の目的というのは当初よくわからない。ただ、読者視点でいうと、宮本と接触する前の灰塚について書かれたパートがあり、そこで彼が、日本の対中政策にかすかな疑いをもっているということを知っている。後半になって特務機関に入る前に、農民を殺す作戦に従事したことを告白している。彼は軍人として誇れる仕事をしたいという思いを持っており、しかしそれが裏切られたという過去をもっている。だからこそ彼は、誇りをもってできる仕事を欲している。
宮本は、キング対策に関わることで軍属となり、灰塚の部下という立場になり、実際には、自由行動をほとんど許されず、常に監視されるような状況におかれるが、科学者として行動し、人の命を守るという信念を手放さない。
灰塚は、だからこそ、キングをどうすべきか、自分はどうすべきかということを、宮本の判断に託す。軍人である灰塚自身は、軍の命令に従ってしか判断できないが、宮本は一応軍属となったとはいえ、軍の命令とは関係なく自らの判断を下すことができるからだ。


灰塚だけではない
キングという細菌を作った者は、戦時下において、もう後戻りのきかない場所に達してしまい、人類と科学の善性をもはや信じられなくなってしまった者なのである。


とにかく、ページをめくる手が止まらないって感じで一気に読めた作品なのだけど、最後の3行で「歴史改変SFだ……!」ってなる。ここのぞわっとする感じ。

科学基礎論学会ワークショップ「芸術における感情表現」

ワークショップ「芸術における感情表現」
オーガナイザ:源河 亨
http://phsc.jp/dat/rsm/20181024_05.pdf
源河 亨 - 「作者の感情表出と鑑賞者への感情喚起」
http://phsc.jp/dat/rsm/20181024_06.pdf
松永 伸司 - 「例示としての表出:ネルソン・グッドマンの立場から」
http://phsc.jp/dat/rsm/20181024_07.pdf
森永 豊 - 「音楽鑑賞における感情の身体性」
http://phsc.jp/dat/rsm/20181024_08.pdf
田邉 健太郎 - 「音楽学から見た分析美学の「表出」論争」
http://phsc.jp/dat/rsm/20181024_09.pdf


内容はおおむね上にリンクをはった発表要旨のとおり

源河 亨 - 「作者の感情表出と鑑賞者への感情喚起」

表出説、喚起説、類似説、ペルソナ説の説明
表出説と喚起説はどちらも、「用語の不一致」と「説明が逆」という問題点を抱えており、不人気
類似説は、表出的性質と人間の情動表出行動との類似から説明するが、それは人間が人間でないものに対して擬人化してしまう傾向を持っているがゆえ
擬人化傾向によってとらえられているのは、表出のようなものであって、文字通りの表出ではない
一方、ペルソナを仮定し、そのペルソナの表出として聞いている、というのがペルソナ説
ペルソナ説も、類似があるという点は一緒
高次情動を曲に帰属させられるという点が、ペルソナ説と類似説の違い(の1つ)


2019年に、Theodore Gracyk On Musicが『音楽の哲学入門』として出るらしい

松永 伸司 - 「例示としての表出:ネルソン・グッドマンの立場から」

例示、隠喩あたりの話
もっかい、『芸術の言語』のこのあたり読み返しておこうかなーと思った
このワークショップに関わる主張としては、グッドマン的にいえば、感情用語が使われるのは隠喩的な適用だが、それは別に感情用語に限った話ではない。
で、作品の性質を記述するのに感情用語を使っているからといって、作品の表出と感情の間に何か一般的な関係が生じているわけではない、と


レジュメでは、隠喩的な記述について、James Grant"Metaphor and Criticism BSA Prize Essay, 2010"やNick Zangwill, Music and Aesthetic Reality(2015)が紹介されている

森永 豊 - 「音楽鑑賞における感情の身体性」

キヴィの議論を紹介したのち、それに反論する形で「習慣化した連合」による説明(森永説)を展開
キヴィの議論は、人が音楽に感情表出との類似を聞き取るのを、進化論的な仮説によって説明することで、生物学的な基盤を与えようとする。
森永は、これはあんまりうまくいかないだろう、と。社会の中で音楽を聴いてきた様々な経験(習慣)から説明する。

田邉 健太郎 - 「音楽学から見た分析美学の「表出」論争」

キヴィはのちに立場を変えて、類似説を批判するようになって、音構造、音のパターンによって説明しようとしている、らしい
レヴィンソンは、ペルソナ説で、曲の主題や動機の他に、演奏者の身振りによっても説明しようとする(レヴィンソンは、演奏も作品の一部とする立場
あと、そもそも感情表出って音楽にとって重要なの? という疑問(ハンスリックら形式主義は、重要ではないと考える)
スクルートンは、共感との関係で重要という
バー・エリは、表出的性質によって音楽的諸要素が結びついている、また、予期の形成を基礎づけている、から重要だと考えている
中村美亜による、複数のレベルのナラティビティ

感想






西村清和『感情の哲学』

美学研究者として著名な筆者による、「感情の哲学」論。サブタイトルに「分析哲学現象学」とあるが、分析哲学的な感情についての議論の陥りがちな陥穽を指摘している。その陥穽に現象学をパッチしている、ようなところもあるが、現象学よりも分析哲学側の話の方が多い気がする。
美学についての議論も最終章でちょっとあるが、ほとんどが心の哲学、それに少し倫理学の範囲の議論がなされている。
命題的態度をベースにした心の哲学ってどうなのよ、ということを延々突っつき回しているような感じの本で、とかく怒濤のサーベイが続く。
矢継ぎ早に多数の哲学者の名前が登場し、論旨がまとめられ、批判され、次へと移っていくのが大変といえば大変な本であり、西村清和『感情の哲学――分析哲学と現象学』の感想 - 昆虫亀で指摘されている通り、ナビゲーションがなされていないので、そこは読みにくいといえば読みにくい本なのかもしれない。
個人的には、サーベイ部分は大変勉強になるし面白くて読み応えがあったと思うが、「なるほど、それが問題なのは分かったが、じゃあどうすりゃいいねん」というところにあまり明解な答えがないように感じた。
それはそれとして、D.ルイスの話をしていたかと思ったら、ハイデッガーへと移り、この2人の言っていることってちょっと似てない? みたいな話をしているところが、個人的なハイライトだった
後半(5,6章)は正直、全然よくわからんかった(テーマに対してあまり興味関心がわかなくて、読み飛ばしてしまった)。


近年、感情の哲学関連の本が次々と刊行されている。

源河さんが、4冊あげているが、そのうち3冊までは読んだということになる。
sakstyle.hatenadiary.jp
sakstyle.hatenadiary.jp

自分は、プリンツ説で大体いいのではと思ったので、感情の哲学についてはプリンツ本読んだしもういいか、と思っていたところがあるのだが、西村本は、現象学についても触れているというので一応読んでおこうかなというところで手にとったのだけど、こうなると、信原本もいつか読んでおいた方がいいのだろうか。

第1章 感情の認知理論
第2章 命題的態度の現象学
第3章 感情のトポグラフィー
第4章 感情の義務論
第5章 道徳の情操主義
第6章 合理的利他主義と感情
第7章 芸術と感情

感情の哲学: 分析哲学と現象学

感情の哲学: 分析哲学と現象学

第1章 感情の認知理論

1970年代以降にあらわれた、感情を命題的態度として論じる、感情の「認知理論」
ロバート・サロモンやロナルド・ド・スーザが代表的


ソロモンの感情の認知理論
(1)感情は志向的である
(2)感情は判断である
(3)われわれは感情を選択でき、したがって自分の感情に責任がある
(4)感情は「自分の世界」を構築する
第1章は、ソロモンの認知理論を中心に論じられる。


アンソニー・ケニー『行為、感情、意志』(1963)
ソロモンに先立って、感情論に志向性概念を導入
三人称的で客観的な命題と、一人称的で現象学的な経験
→ソロモン:ケニーを批判
認知的判断は信念、そして命題と結びつく一方で、
感情という熟慮されない非反省的な判断は、知覚と結びつく


感情の選択について→西村曰く、これは明確に誤り
(第4章 感情の義務論へ)


感情の「世界構築」
ハイデガーのいう「情態性」を踏まえた議論
感情=主観的な判断や身構え
→ソロモンは、準ハイデガー的としているが、西村はハイデガーとの違いを指摘
→ケニー同様、主観・客観関係を捨てきれていない


認知理論=判断主義
(ソロモンは、自分は判断主義ではないというが、実際は判断主義。ド・スーザも同様)
対して、2000年以降の傾向として、感情の「知覚理論」がある
知覚とはなにか
→概念主義論争
→概念主義のマクダウェル、非概念主義のピーコックのほか、セラーズや村井の議論を検討
これに対して、タイラー・バージの知覚理論
ロバート・クラウトの感情の「感覚理論」
→クラウトの「感覚」とバージの「知覚」は対応する
デーリングの感情の「知覚理論」


知覚理論に対する批判とそれへの再反論
感情の「正しさ」に対する「道徳主義的誤謬」(ダームス+ジェイコブソン)
どの立場にたつにせよ、主観・客観関係の枠組みから離れられないので失敗している、というまとめ

第2章 命題的態度の現象学

命題的態度論は、他者の行為の解釈ないし理解を目指している
命題的態度と言われる心的状態は、一人称的な信念「所有」なのか、三人称的な信念「帰属」なのか


信念のパズルについて
カプラン
リチャード「信念の三項理論」(信念所有は形而上学的なことがら)
ネイサン・サモン=信念帰属を意味論、信念所有を「語用論」
ジョン・ペリー「自己定位知識」
クリミンズとペリーによる、三項関係の定式化


クワイン「中心化された事態」「中心化された可能世界のクラス」「自己中心的な命題的態度」
D.ルイス=諸態度の対象は「性質」/性質の自己帰属=de se信念
ルイスとチザムの「自己」の比較
→チザムのいう「自己」はデカルト的コギトやカント的な統一された自己
→ルイス、あるいはレカナーティが想定する自己は、それとは異なる
自己定位的な「いま・ここ」の知覚状況
自己定位信念、中心化された事態、ハイデガーの〈現〉

第3章 感情のトポグラフィー

感情が、信念や判断などほかの心的状態とどのような関係にあるか(感情のトポグラフィー)


信念と判断の区別
信念=心的な態度・状態
判断=反省的な認知的な行為
信念は、自分の信念世界における自己定位信念に支えられた自己の存在情況についての情態的了解
感情や欲求もまた、情態的了解


ライル『心の概念』による諸感情の分類
(1)性向(2)動揺(3)感覚(4)気分


快は感情か?
アリストテレス:快と完全性・善とを結びつける
快は特定の感覚・感情だと考える人たち=ベンサム、ムーア、プリンツシュレーダー
快は感覚ではないと考える人たち=ウィトゲンシュタイン、シジウィック、フェルドマン


快楽主義について

第4章 感情の義務論

この章は、タイトルこそ「感情の義務論」ではあるが、どちらかとえいば信念の義務論について多くの頁が割かれている。
80年代以降、行為だけでなく認識にまで拡張する、認識的義務論ないし信念の義務論が登場する
アクラシア(意志の弱さ)や自己欺瞞、希望的観測、現実逃避といった信念の不合理性に由来すると考えられる葛藤が論じられるが、これとパラレルに、感情の不合理性についても論じられるだろう、ということになっている。


チザム:行為の義務論との対比で信念の義務論を扱う→信念の随意性
シャー+ヴェルマンなど近年の論調:信念の不随意性を主張
フェルドマン:証拠主義
クリスマン:行為の「なすべし」と状態の「あるべし」との区別に、セラーズがいう「行為のルール」と「批評のルール」の区別を適用
「ドクサ的熟慮は批評のルールとして、あるべき信念状態をめざす行為のルールを要請」
「(不合理な信念について)当人にとって制御不可能な「抵抗できない信念」である以上、そのような信念形成は義務論的に非難されることはない」
行為のルールに責任を負うのは認識共同体


アクラシアや自己欺瞞などについてみてきたのち、デイヴィドソンの「心の分割」について
「理にかなった判断をなす側と、自制を欠いた意図と行為を示す側」
→〈われわれ〉と〈わたし〉
金杉や柏端、ネーゲルの議論などを検討・参考にしつつ、デイヴィドソンがいうように心が分割されているのではなく、〈わたし=われわれ〉であるという存在の事実について論ずる


感情の義務論について

第5章 道徳の情操主義

〈わたし〉であり同時に〈われわれ〉であることは何の不思議もないただの事実だが、一人称的な視点と三人称的な視点とのあいだに葛藤があるのもまた事実
→感情の倫理がいかにして可能か


「感情移入」について
18世紀・ヘルダーに由来、19世紀に美学上の術語となり、20世紀初頭、リップスにより当時の心理学、美学、哲学に影響を与えるようになり、英語圏にも伝わった(1909年、empathyという訳語が登場)。その後、注目されていなかったが、1960年代以降に注目されるようになり、90年代以降さらに論じられるようになった。
ゴルドマン
コプラン
これに対して、感情移入へ懐疑的な論者
ゴルディ
ザハヴィ
例えばゴルディの議論では、ウォルハイムの「中心的に想像する」「内的に想像する」という区別が導入されているが、西村はこれを『イメージの修辞学』で語りのモード(叙法)の問題として論じているという
いずれにせよ、ゴルディも筆者も、他者と同じような心的状態になるという意味での感情移入は不可能だ、と論じている


感情移入の議論の混乱の要因は、「想像する」概念の曖昧さ
リチャード・モラン
→想像には、冷静な想像や感情的な想像、視覚的な想像など、「想像の流儀(mannner)」の異なりがある。
相手の感情を想像するのは、推察や思考であって感情移入ではない


道徳の情操主義
ヒュームやアダム・スミス
→スロート、ダヴォール、フィロノヴィッチなどによる再評価
共感などの感情による動機付け
プリンツ:共感や感情移入は、道徳の動機付けにはならない
共感の党派性と道徳・正義の非党派性の間の葛藤
→〈わたし〉と〈われわれ〉の葛藤と同型

第6章 合理的利他主義と感情

プリンツやゴルディ→共感や感情移入が道徳の動機付けになることについては懐疑的だが、ある種の感情は道徳的判断に含まれるとする
ネーゲル:道徳判断に感情は含まれない

以後、この章は、主にネーゲルの議論を中心に展開

第7章 芸術と感情

美的快
プリンツの議論は「おどろくほどに」カントの議論そのまま
筆者はプリンツよりもむしろ、ライルやストローソンを参照しつつ、美的快という感情の一種があるわけではない、とする


美的感情
表現的性質や美的質は、対象の質であって鑑賞者の感情ではない


美的義務論
よき趣味に従うべきなのか


フィクションと感情移入
「悲劇の快」や「混合感情」の問題
ウォルトンに対するデイヴィスの批判


フィクションの経験において、鑑賞者は、「殺人現場の目撃者であったり(中略)する情況に現にあるのではなく、「フィクションを楽しむ」という美的な存在情況に〈現〉にある」
絵をみる経験は、あたかも現実であるかのように見ている経験ではなく、端的に絵を見る経験
フィクションとは仕掛けもの
想像的抵抗についての問題も、誤った前提に基づく混乱
「悲劇は悲しい」というのは、「この絵は悲しい」と同じく、対象の表現的質・美的質を表す言葉であって、鑑賞者の感情ではない

人狼

韓国・実写版の『人狼
Netflixで配信されいていたので見た。日本語字幕で見たが、吹き替え版も用意されているらしい。
プロテクトギアによるアクションシーンが見事に実写化されていて、見応えある
欲を言えば、日本でも劇場公開してほしい。映画館で観たいシーンがいくつもある作品。
基本的にアニメ版準拠のストーリーではあるのだが、最後が改変されており、簡単に言ってしまえば、犬の物語ではなく人間の物語になっている。
というわけで、ガワとしてはケルベロス・サーガだが、根本の部分では決定的にケルベルス・サーガではない。


南北統一がなった近未来の朝鮮半島が舞台
日米中露の外圧により、景気の悪化した朝鮮半島において、反政府運動が激化し、テロ活動を行う「セクト」が生まれる。そして、武装した「セクト」への対抗策として、政府は「特機隊」を設立。
しかし、当初、功を奏していた特機隊であったが、その攻撃的な在り方が国民の反発を買うようになり、無実の少女たちを銃殺することとなった「血の金曜日事件」以降、特機隊はいよいよ武力闘争・権力闘争へと明け暮れるようになっていった。
というような背景説明が、例によって、なされるところから始まる。


火炎瓶の飛び交うデモとその鎮圧に駆り出された機動隊、からの、セクトによる銃撃戦と特機隊出動、下水道での戦闘シーン、少女の自爆
このあたりの、近未来の韓国を舞台にしたことによる、ほんのりとしたサイバーパンク感がよい。サイバーパンクといっても、サイバー要素はもちろんゼロで、近未来なので液晶ディスプレイとかそういう現代の技術はありつつも、景気と治安の悪化で薄暗い雰囲気になっている街並みのパンク感と、セクトや特機隊の雰囲気があっている


カン・ドンウォン演じる特機隊員のイムが、自爆した少女の姉だというイ・ユニと出会い、互いに惹かれていくが、ユニは実は元セクトで現公安のスパイ、だと。
イム=アニメ版の伏、ユニ=アニメ版の雨宮圭
で、アニメ版の辺見にあたるのが公安部次長のハン、塔部にあたるのがチャン
チャンは、『鋼鉄の雨』 - logical cypher scape2北の工作員を演じていたチョン・ウソン。開始早々、見たことある顔が出てきたのでちょっとうれしくなったw
教官は、やはり強い
逆に、ハンは何というかお間抜けというか、見ていて途中から「ハン君」呼びしてたw
ハン君は、元特機隊員で、イムととともに「血の金曜日事件」時にいたのだけど、イムは隊に残り、ハンは隊を去り公安へ
ハン君、別にめちゃくちゃ間抜けってわけではないけど、作戦失敗したあとに上司に呼ばされてでどうすんだって怒られた時に、「ユニが追跡装置を持っていて、スイッチを押すはずなので、そうすればどうにか」みたいなこと言っちゃうし、「責任とる気はあるのか」って聞かれて「とります」って答えたら「愚かな奴だな」って言われちゃうし、そのあと、公安がとっつかまえてきた特機隊員に尋問するも笑われちゃうし、拷問に切り替えたら死なしちゃうしで、ここらへんの「ハン君、大丈夫か~」感がハンパない
で、最後の最期に「俺とお前が何が違うっていうんだー」となって、「ハン君、お前~」ってなりますw

イムを演じるカン・ドンウォンの、あの何ともいえない目が、犬っぽくて、なかなかよいんだけど、でもまあ最後の展開的に、イムは結局犬じゃなくて人間だったんだよなー
あと、この映画、「犬」という言葉は出てこなくて、人間的ではないという意味で隊員のことを言うときは「獣」って言っている
なので、意図的に犬の物語ではなくしてしまっている。
凄惨な事件を機に人間性を失ってしまった青年が、裏切りに裏切りが重なる謀略の中で、しかし、人間性を再び取り戻していく、というまっとうな物語になっている


アクションシーンとしては、冒頭のデモシーンからの対セクト戦があって
それから、訓練施設での模擬戦。模擬戦だけどバンバン吹っ飛ぶ、というのが特機隊みがあってよい。そして、教官が強い
で、ハン君の作戦が、セクトの女戦士によって妨害された結果引き起こされる、タワー展望室での、イムvs公安の人たち
展望室に置かれたパネル展示を遮蔽物とした戦闘が、訓練施設での遮蔽物を使った模擬戦の上位互換的なものになっているのだが、あらかた対人戦闘が終わった後に、今度は戦闘用ドローンがやってきて、遮蔽物を全部なぎ倒していくのが、ドローン怖ぇってなってよい
対人戦闘の時に、イムが何気なくぬいぐるみを取っていくのだけど、結局使わないとかちょっと面白い。
脱出後、タワーの下の駐車場でさらにもう一回vs公安戦
イムによるダイナミック乗車は、今まで見たことないような奴ですごい
でもって、人狼の一員であることが明らかになったイムが、下水道で公安を皆殺しにしていくパート
公安の特殊任務部隊が出てくるのだけど、この人たちが、いい具合にチンピラ感のある見た目をしており、ヤクザ映画の皆殺しシーン的な雰囲気すら漂ってくる
下水道シーンは、プロテクトギアの装着から始まり、赤い眼光の残像シーンなどがあったり、機関銃掃射もあれば、ロケットランチャー効かなかったり、完全防弾の盾でぶん殴ったり、とプロテクトギアをご堪能くださいって感じであり、よいところ。大画面でも見たかったが。
一番最後には、イムと教官の1対1、プロテクトギアで殴り合い戦闘シーンもある
いやあ、あそこでタイマンはってくる教官は、ほんといい人だよな~
いい人すぎる


ラストシーンは、繰り返しになるけど、犬の物語ではなく人間の物語になっているので、「え、生きてるのか」とか驚くし、「解釈違い」って気分にもなるが、まああれはあれで、妥当っちゃ妥当な終わり方ではある。
感想を検索してたら、誰かがそう書いているのを見かけたんだけど、ラストシーンでユニが弟と一緒に向かっているのは北朝鮮らしい。
まあ、確かに南にはもういられないだろうしな、とは思うけど、そうするとあれはあれで複雑なエンディングなのかなーと思ったりもするけど、そのあたりはよくわからない。


同じく感想を検索して知ったのは、ED曲がアニメ版と同じ(?)らしい
観ながら、「この曲、押井作品テイストあって好みだな~」と思っていたんだけど、アニメ版がどんな曲だったのかはさっぱり忘れていた


韓国において、南北統一とかが、どのように文化的に表象されているのかということについて全く無知なのでよくわからんけど
「南北統一反対ー」ってデモががんがん描かれているのが、興味深かった。どういう感じで受容されてんだろうか、と

小泉宏之『宇宙はどこまで行けるか』

サブタイトルは「ロケットエンジンの実力と未来」で、ロケット推進の専門家である筆者による、ロケット工学入門
ロケット工学については全然何も知らない状態であったが、分かりやすく、活躍については知っている探査機などのことについてよく知ることができ、また未だ実現してない未来の技術などにも触れらており、読んでいて楽しかった。
1章と2章が基礎知識、3章から8章は、地球近傍から小惑星、内惑星、有人探査、外惑星、太陽系外と徐々に離れてくような感じで進み、それぞれの章ごとに、これらのエリアの特徴、どうやって行くか、現在使われている技術、未来の技術などが解説されているような感じ。

はじめに
第1章 近くて遠い宇宙
 I 1年間で20本のロケットを打ち上げる会社
 II 漏斗を転がる人工衛星?
 III モノを押す装置、それがロケット
第2章 ロケットエンジンの仕組み
 I 軽いモノを速く投げたい
 II 燃料は固体か、液体か
第3章 人工衛星から宇宙エレベーターまで
 I 宇宙で生き残るための4つの条件
 II 軌道は高度3万6000キロ
 III より小さく、より速く、より安く!
第4章 イオンエンジン小惑星探査へ
 I 小惑星へは電気の力で
 II はやぶさが帰ってこられた理由
 III 世界初の超小型イオンエンジンを開発せよ!
第5章 水星・金星・火星探査へ――内惑星探査
 I 地球の重力圏から太陽の重力圏へ
 II その星の大気を使って
第6章 有人深宇宙探査をするには
 I 「R計画」を立ててみよう
 II 10兆円以内に収める4つの秘策
 III 地球を離れ、ラグランジュ点へ
第7章 木星土星を調べるには――外惑星探査
 I 金属水素、凍ったメタン、衛星の海
 II もう太陽に頼らない
 III あるいは太陽の光の粒で
 IV 重力に縛られず、一直線に飛ぶ
第8章 太陽系外へ――近未来からSFまで
 I アルファ・ケンタウリ――4光年への挑戦
I I 10光年への第一歩
おわりに

第2章 ロケットエンジンの仕組み

排気速度と推力がカギ
化学推進(水素と酸素の組み合わせ)だと、排気速度は秒速4キロが限界
ロケットエンジンを見る時の3つのポイント
(1)推進剤は固体か液体か
(2)液体ならば燃料は水素系か灯油系か
(3)エンジンサイクルは何を使っているか


固体燃料、色々な燃やし方や切込みの入れ方があるとか、ポンプのサイクルの方法とか、(謎の感想だが)「工学~」って感じだった


未来の技術「ビーミング推進」

第3章 人工衛星から宇宙エレベーターまで

人工衛星というのは、ラジコンのようなものだが、宇宙なので地上とは違う点が色々ある、という話で
一番面白かったのは、真空なので温度の伝わり方が違うという話
熱交換ではなく「熱放射」によって温度が伝わる

宇宙は寒いのか暑いのか、何度なのかという質問を受けることが多々あるが、いつも「まわりに何もないので“宇宙の温度”は定まらない」と答えている。もちろん宇宙にある物の温度は定まる。(p.69

この熱放射を筆者が日常で実感するのは、寒空の中で炭火や焚火を見ているときだ。(中略)手を温めているのは、まわりの空気ではなく火からの熱放射である。宇宙での温まり方と少し似ている。(p.69-70)


人工衛星についての色々な技術の話のあとは、近年の話として
電気推進」と「小型衛星」の話
推進剤を必要としない電気推進(ただし力はとても弱い)が、太陽光パネルの高性能化によって2010年代から実用化されはじめた、と
あと、小型衛星というのはキューブサットの話。こちらも、コンピュータの小型化によって可能になったもの。あれって、サイズの標準規格みたいなものがあるのね。1Uとか3Uとかサイズがあるらしい。
いずれも打ち上げコストを下げるというメリットがある


未来の技術ととして、宇宙エレベーターの話
宇宙エレベーター、そもそもケーブルをどうやって作るのか、カーボンナノチューブでたって、現状では、長くても0.1ミリメートルしか作れてないっていう課題から
さらに、ケーブルができたとしても、そのケーブルを昇降するケーブルカーにかかわる課題もある。片道3万6000キロもかかるんだけど、メンテナンスは? 仮に時速60キロでも約1か月かかるけど? エネルギー源は? など

第4章 イオンエンジン小惑星探査へ

電気推進であるイオンエンジンについて
イオンエンジンは筆者の専門でもある
電気やプラズマの基本的な説明から始まり、イオンエンジンの仕組みや種類が解説され、さらに、イオンエンジンを実際に搭載した「はやぶさ」や、NASAの「ドーン」について
はやぶさやドーンについては、実際にどのように運用されたのかということが書かれている。
そもそも、はやぶさが何故イオンエンジンだったのかというと、当時、まだNASDAと統合する前の宇宙研の持っていたM5ロケットだと、小惑星帯へ行くための軌道への打ち上げ能力的に、重量の上限があって、化学推進だと重すぎるという問題点があったため、らしい。


はやぶさやドーン、またベピコロンボなどに使われているイオンエンジンは中型タイプで、これは現在成熟期に入っているという。
これに対して、100w以下の小型タイプと、10キロワット以上の大型タイプが、まだまだ開拓途上
というわけで、この章の後半では、筆者が実際に研究開発を行ってきた、小型タイプのイオンエンジンの話となる。
筆者は、「推進機屋」であり、エンジン部分の専門家だが、実際には、これを人工衛星に搭載して飛ばさなければ意味がない。となると、新しいエンジンを作りました、だけではだめで、それ以外の制御部とかも一緒に開発してくれるチームを探さなければならない。
まず、東大の「ほどよし」グループとの共同開発
100キログラム以下の人工衛星での小型イオンエンジンの宇宙空間での作動としては、世界初の事例に
さらに、東大とJAXAによる「プロキオン」で2番目の事例に
プロキオンでは、求められるものが「姿勢制御」「軌道変更」「緊急対応」とあったために、イオンエンジンだけではクリアできず、ガスエンジンとの統合システムを開発
ほどよしにしろプロキオンにしろ、人工衛星の開発期間としては、異例の速さで行われていて、これは小型だからこそ
(例えば、小型なので、大学の研究室にある設備で実験ができてしまう)


小型イオンエンジンは、これまで筆者の研究室の独擅場だったらようだが、2018年にはオーストリアの企業とNASAがそれぞれ成功し、今、競争時代に突入したとのこと

第5章 水星・金星・火星探査へ――内惑星探査

章タイトル通り、水星、金星、火星への探査について
どういう速度でどういう軌道に乗せるのか、という話や
惑星探査には「フライバイ」「オービター」「ランダー」 という3種類があるという話
具体的な話としては、金星へ向かい、一度は失敗しかけたものの、その後のチャンスを待って金星オービターとなった「あかつき」などが紹介されている。
また、本書刊行時点(2018年9月)にはまだ打ち上げられていなかったが、自分が読んだ時点(2018年10月)にちょうど打ち上げられた、日欧共同の水星探査機「ベピコロンボ」の話も
化学推進、電気推進スイングバイを組み合わせたミッション。水星は、単純な距離的には近いが、太陽に近く「重力の坂」という意味では遠くこうした「複合技」が必要になる
さらに、惑星の大気を利用するエアロブレーキ、エアロキャプチャについて。実際に使われているものから現在研究中のものまで

第6章 有人深宇宙探査をするには

地球から火星まで、有人で往復するための架空の計画「R計画」を立てて、シミュレーションしてみようという章
宇宙船に必要な重さ(空気や水や食糧などの荷物、そして燃料・推進剤)を、どれくらいの時間がかかるのか、どれくらいの加速量が必要なのか、というところで計算していく
火星と地球って、片道9か月らしいんだけど、戻ろうと思うと火星での待機時間がかかって、2年半かかるらしい
火星から地球へ向かう楕円軌道に乗って帰ってくるので、その楕円軌道がちょうど地球と交差するのを見計らって出発しないといけないので、待つ必要がでてくるっていうの、今まで全然考えたことなかったので「なるほどね」って感じだった


でまあ、色々な見積もりの結果、約1000トンだろうと
で、H2Aやアリアン5やアトラス5なんかだと、大体1トン当たり10億円というのが打ち上げ価格の相場で、そうなるとR計画の打ち上げ費用は10兆円
で、これは打ち上げだけの費用なので、さらにこれに開発費用がかかる
開発費用の見積もりは難しくて、これはかなり幅が出てきてしまうのだが、ここではそうした様々な幅のある予想のあいだをとって、20年間で30兆円という見積もりとしている。
NASAの予算が2兆円/年
ISSアメリカ負担分が、5190億円/年
アポロ計画が、1.5兆円/年
われらがR計画が、1.5兆円/年
うーん、全くの不可能とは言わないまでも、近年の傾向を見るとかなり難しい


コストダウンが必要
(1)打ち上げ費用の圧縮→スペースX社だと1トン当たり2.7億円! お安い!
(2)小型衛星による宇宙開発市場の活発化。ベンチャー企業がたくさん参入し、宇宙開発が「産業」となれば技術が蓄積し、色々な費用も安くなるかも
(3)イオンエンジンの活用→推進剤の量を減らせる
(4)宇宙基地とスペースマイニング
この章の後半では、(3)と(4)について詳しく説明される


(3)
イオンエンジンの大型化が必要となる
そのために考えらえるものとして、ホールスラスタやヴァシミールといったエンジンの仕組みが説明される
ヴァシミールというのは、『火星の人』にも登場していたらしい
これらは、仕組みは分かっているのだけど、実際に開発に困難が伴っていて、まだできていない
地上での実験設備を作るのが大きすぎて難しいということもあって、筆者は、宇宙空間に実験設備を作ろうという提案をしている


(4)
月面で資源を採掘し、推進剤として利用し、ラグランジュポイントで宇宙船を組み立てようというのが、「宇宙基地とスペースマイニング」
これだと、地球から打ち上げるものがぐっと減って、打ち上げ費用がとても圧縮できる
実際、NASAJAXAなど各国宇宙機関による国際宇宙開発のロードマップで、月・火星への有人探査計画があがっているが、その際に考えられている「深宇宙ゲートウェイ」構想はまさにこれである
ロッキード・マーティンボーイングの合弁企業であるULAなど、民間企業もスペースマイニングを計画に取り込んでいる
(なお、スペースXの火星行き計画には、月基地は含まれていないが、火星での現地調達は考えられている)
ISS運用終了以後の宇宙開発として、スペースマイニングがとりわけ注目されている、らしい。

第7章 木星土星を調べるには――外惑星探査

木星土星天王星海王星について
木星では、深度1万5000キロあたりから、「金属水素」になっていると予想されているのだけど、水素は100万気圧5700度以上という超高温高圧状態で金属化するらしい。
金属水素ってどっかで聞いたことあるなーと思ったけど、『ベントラーベントラー』の2話だった。そんなやべーもんを多摩川で作ってやがったのかw


実際にどうやって行くか、という話で、これまでの章でもちょくちょく出てきていた「スイングバイ」について、より詳しく説明されている
加速も減速も方向転換もできる。何より加速量がすごい。でも、緻密な計算とコントロールが必要
ボイジャーが実際、スイングバイでどういう加速をしたのかというグラフとかも出てくる
それから、太陽から遠いので太陽光電池が使えなくなり、「原子力電池」が必要になってくる
ボイジャーガリレオ、ジュノー、カッシーニについて


未来の技術として、まず「ソーラー電力セイル」
光の粒子性を利用してこれを推進力とするのが「ソーラーセイル」、このセイルの帆の部分に「太陽電池」をはりつけ、ソーラーセイルの推力の弱さを補う「イオンエンジン」も搭載するシステムが「ソーラー電力セイル」
世界初の実証機が、JAXAイカロス
で、実際にこれを用いて木星トロヤ群の小惑星を探査しようという構想が、オケアノス(ただしこれはまだ、JAXA内の正式プロジェクトにまではなっていない)


未来の技術もう一つ、「原子力電気推進
原子力電池は、原子核の自然な崩壊による熱エネルギーを使うもの
原子力電気推進は、原子炉を載せる
原子炉から電力を取り出せば、太陽光と違って、太陽から離れると電力が落ちていくなんてことはなく、電力一定、つまり推力が一定なので、軌道に影響されない自由なコースどりが可能に
小型化がカギ
あと、打ち上げのリスクが高い

第8章 太陽系外へ――近未来からSFまで

太陽系からもっとも近い恒星、アルファ・ケンタウリ、その距離4光年
一体どれくらいかかるか
まず、ボイジャー1号
秒速17キロメートルで、現在、最も速い人工物
……8万年!
では、前の章で出てきた未来の技術、原子力電気推進の場合はどうか
現在使われているキセノンよりも、さらに軽いアルゴンを推進剤としたイオンエンジンができてとする。秒速220キロメートル
スイングバイもあわせると、秒速250キロメートル
……5000年!
アルゴンよりもさらに軽いヘリウムならどうか(3万キロワットの小型原子炉が必要になるが)
秒速900キロ!
しかし、1400年!
4光年はとても遠いのがよくわかる
筆者はさらに、超技術として「反物質推進」についても、シミュレーションを試みる
秒速2万4000キロ、なんと光速の約8%という驚異的な速度
55年での到達することが可能
ところが、反物質を1グラム生成するのに、なんと10億年かかる!
現在、スターショット構想というアイデアがある
太陽光ではなく、レーザー光を使ったレーザーセイルによって、超小型衛星をぶっ飛ばすという計画だ
光速の20パーセントという速度で、22年まで短縮ができる
しかし、スターショット計画には様々な難点がある
(1)減速できない、通過するのみ
(2)方向制御が不可能(ただぶん投げるのみ、なので)
(3)1億キロワットのレーザーが必要。現在のレーザー発振器の最大出力は100キロワット。この1万倍の発振器を100台用意するというものだが、1台につき原発1基が必要
(4)そのエネルギーを小型衛星が受け取れるのか?
(5)その加速度に小型衛星が耐えられるのか?
1基ではなく大量に送り込むので、このうちいくつかの問題は解消できるかも


この章の後半で筆者は、シンギュラリティ以後、人間の意識がコンピュータ上なのでシミュレート可能になり、さらにそれを搭載するボディが自由に作れるようになったと仮定し、他の星にロボット送り込んで、意識だけ転送するとか、そういう完全なSF話をして締めくくっている。

アストロバイオロジーの哲学

アストロバイオロジーの哲学、という分野があるらしいということを、以前、以下のシンポジウムで少し聞きかじったので、ちょっとググったりして見つけた論文を読んでみた。
軽く検索して見つけられて、pdfがそのままweb上で公開されていて、テーマ的に読みやすそうなものを選んで読んだので、この分野の代表的なものなのかどうかは分からない
sakstyle.hatenadiary.jp

DEFINING ‘LIFE

CAROL E. CLELAND and CHRISTOPHER F. CHYBA
http://www.aim.univ-paris7.fr/enseig/exobiologie_PDF/Biblio/Cleland%20and%20Chyba%20_2002.pdf
著者のCAROL E. CLELANDは、コロラド大学に所属していて、同大学アストロバイオロジーセンター、NASAのアストロバイオロジー研究所に参加している哲学の先生らしい。また、同大学のCenter for Study of Origins.のセンター長もしている。

1.Defintions of Life 生命の定義
2.The Darwinian Definition ダーウィン的定義
3.The Nature of Definition 定義の性質
4.Natural Kinds 自然種

生命の定義には、色々な種類がある(セーガンが1970年の論文で分類してたりする)けど、どれも反例がある。
例えば、ダーウィン進化することのできるシステムが生命だ、という定義がある。
けど、初期の(まだ複製システムを持っていなかった時期の)生命は、まだダーウィン進化していなかっただろうし、ラバのような生殖できない存在は生命でないことになってしまう。
ところで、定義って一体なんだ、と
「独身者」という言葉の定義なんかは、言語的な慣習の問題で、人々の興味関心の在り方に依存して決まってくる。
しかし、「水」という言葉の定義は、人々の興味関心のありか方だけでなく、自然によって制限されてくる。
これは「水」が、哲学において自然種と呼ばれるものだから
水をH2Oとして定義するにあたって、分子についての理論が背景にある。
さて、「生命」が、自然種でないのであればその定義は単に言葉の問題であるけど、自然種であるなら、背景に理論が必要になる。
そういう理論はまだないのではないか、と。


短いので、こんな感じ。
それもそうだなとは思うんだけど、そんなこと言われてもどうすりゃいいのか、という感じもしないでもない

Conceptual Challenges for Contemporary Theories of the Origin(s) of Life

CAROL E. CLELAND
https://docs.google.com/file/d/0B21I5QBBzGT_eDdiZmFoX29lbTg/edit
上述の生命の定義論文と同じく、CLELANDの、生命の起源に関する研究についての論文
この論文の前半では、生命の起源に関する研究が2つの潮流に分かれていることについて、アリストテレスに遡って論じる。
後半では、これら2つの潮流が陥っている困難について論じている。

INTRODUCTION
THE LEGACY OF ARISTOTLE
THE NATURE VS. ORIGIN QUESTION
CONTEMPORARY THEORIES OF THE ORIGIN OF LIFE

2つの潮流としては、代謝ファーストか遺伝ファーストかに分けられる。
前者の代表的なものは小分子仮説、後者の代表的なものはRNAワールド仮説


これは、生命の本質natureは何か、という考え方にも2つの流れがある。
すなわち、自己組織化((O)と略す)か複製((R)と略す)か
で、生命の本質的な特徴はOなのかRなのか、という観点自体は、アリストテレスまで遡ることができる、と。
どっちがより根本的なのか問うという点では現代も同じ。
Oの方が根本的だと考える派として挙げられている例は、オパーリンのような代謝-生化学的なもの、カウフマンのような熱力学的なもの、ヴァレラのオートポイエーシスなど
Rがより根本的だと考える派としては、ドーキンスのようなダーウィニズムジョイスのような遺伝-生化学的なもの、Bedauのようなより包括的な進化論的なもの、だと筆者は分類している。
で、これを明らかにする科学的証拠ってのは今のところほとんどないのではないかと指摘している。
今のところ、どっちも必要というのが正しくて、どちらが根本的と言ってしまうのは誤り
また、この二つのいずれよりも根本的であるような、未知のファクターがまだあるのかもしれないし。
それから、地球の生命は、LUCAという単一の起源に遡るとされている、がゆえに、研究できる例が一つしかないわけで、まだ一般化した理論を作れないのではないか、とも


生命の起源についての理論も、生命の本質は何かという理論と同じ形で分かれている
代謝ファーストはOを、遺伝ファーストはRを強調する
しかし、筆者は、本質は何かと、起源については別ものじゃないか、と
例えば、結晶の鉱物学的性質は、その結晶が何の鉱物であるのかを知るために使えるもので、結晶の本質といえる特徴だが、そこから、その結晶が作られた過程は分からない
あと、ダーウィンの進化論は、どのようにして、非生物から生物が生じたかについては何も言っていない、ということも指摘している。


これらの説の問題点について
まず、代謝ファースト説=小分子理論の難点として、これらの説が「創発」という概念を使っていることを挙げている。「創発」概念よくわからんよね、という話。
一方、遺伝ファースト説=RNAワールド説だけれど、こっちはこっちで「自発的」という概念が怪しいのでは、と指摘している。
あと、ここの説では、生命の起源の理論について、これら2つ以外にcontainment theoriesというのも挙げている。アミノ酸やリボースなどの前駆的な分子などの化学反応から云々というもの
だだ、これと、小分子理論、RNAワールドはそれぞれ両立する
ただ、この論文の主たる内容はおそらくこの先の部分で、生命の起源と生命の本質についてパラレルに考えているけど、この2つは切り離して考えたほうがよいのではないか、という指摘
で、実際、それぞれの派閥の中でもそういうことを考えている人たちはいる。
いわば折衷案みたいな提案がなされていて、代謝ファースト説と遺伝ファースト説の違いって、ぼんやりしてくるのではないか、と。


さて、この両派が解決すべき難問の1つでありながら、どちらもあまり手がけていない問題は、タンパク質と核酸とが複雑に協働する仕組みについて
RNAが遺伝を担うことによって、この点を説明するというものがあるけれど、RNAの段階だとまだ表現型と遺伝型が区別されてなくて云々
どのようにして、自然状況のもと、現代の生命を特徴づけるタンパク質-核酸の二重システムになったのか?
おそらく、ごく初期に、ハイブリッド分子ワールド(アミノ酸、小さなペプチド、金属イオン、リン、リボース、窒素塩基を含む様々な小分子が複雑で洗練された化学反応のネットワークに関わっているような)において、たんぱく質核酸の統合が始まり、あとになって、現代的な二つのシステムが出現したのではないか、と
ダイソンの二重起源理論が、この可能性を扱っている
小分子理論とRNAワールド仮説の対立をやわらげ、ハイブリッドな理論を考えていく方向がよいのではないか、と


結語では、どちらが正しいか結論するのはまだ早く、現状を、光の正体が波か粒子かで論争していた時代に喩えて、終わっている。
(波でありかつ粒子であったわけで、代謝か遺伝かの二者択一ではなく、と言いたいのだろう)

  • 感想

生命の定義論文の比べると、かなり突っ込んだ内容になっていたような感じ
遺伝ファーストか代謝ファーストかという整理は、高井研編著『生命の起源はどこまでわかったか――深海と宇宙から迫る』 - logical cypher scape2でも載っていたけれど、やはり結構メジャーな整理ということでよさそうなんだな、と。
一方、この論文で代謝ファースト説とされているものの中に、高井のような深海熱水域起源説があまり取り扱われていないように思えた。
というか、ヴェヒターズホイザーの「パイライト説」から始まる奴は、「創発」概念には頼ってなかったはず。この論文も参考文献の中に、ヴェヒターズホイザーとラッセルのものがあがっているのだが、本文中での言及が全然されていなかった気がする。
(ヴェヒターズホイザーは、containment theoriesの1つっていう整理っぽい)


最後、遺伝ファーストと代謝ファーストのハイブリッド説を示唆するところで、ダイソンがまさにそういうことを言っていることが書かれているが(ダイソンは、代謝ファースト説側の人っぽいけど)、高井本でも、ダイソンが遺伝と代謝のサブシステムが融合したというモデルを作っているということが言及されている。
ググったら邦訳もありそうだし、気になってきた。


さて、CLELANDの主張としては、生命の定義論文と同じで、生命についてまだ我々は十分に分かっていない、というところにあるのだろう。
生命の定義論文では、分子説が出てくるまで水がH2Oだって分からなかったでしょ、という喩えで
この論文では、量子説が出てくるまで光が粒子か波か議論していたでしょ、という喩えを出している
今現在の研究は、まだ全然問題解決に至っていない、というある意味ではネガティブな結論とも言える。
哲学者が何を偉そうに、というような感じもないわけではない。
実際に研究に携わっている人たちの視点から見れば、「みんな間違っている、ないし、まだちゃんとした理解までたどり着いていない」と言われているわけし。
しかし、一方で、実際のプレイヤーからすると、もしかしたら、分かってはいるけれど自分たちからはなかなか言い出せない状況について、言っているのかもしれない(これは推測にすぎないけど)。
門外漢からすれば議論の整理にもなるし、まあ、哲学としての役割は果たしているのかな

Extraterrestrial Life and the Human Mind

David Duner
http://projekt.ht.lu.se/fileadmin/user_upload/sol/ovrigt/projekt_ccs/Duner.pdf
アストロバイオロジーの歴史と哲学についての論文集*1があるらしく、それの序文
筆者のDavid Dunerは、スウェーデンのルンド大学・教授。


「アストロバイオロジーの歴史と哲学」がどのような範囲を探求するのか、その意義についてなどを簡単にまとめた後、この論文集の章立てである「認知」「コミュニケーション」「文化」に沿って、解説されている

Conversations on the plurality of worlds
The history and philosophy of astrobiology
This volume
Cognition
Communication
Culture
The unknown


人文的な探求が、アストロバイオロジーにどのような寄与をするか

アストロバイオロジーの歴史

アストロバイオロジーの歴史研究がどのような範囲を探求するのかについて

  • 科学
  • 探査

装置や技術について。アストロバイオロジーの歴史は、技術の変化の歴史

  • 理論

アストロバイオロジーには、よく知られた理論だけでなく、例えばパンスペルミアのような論争的なものも含まれている

  • 組織
  • 科学と社会

アストロバイオロジーは、決して政治、経済、宗教、公共の言説から独立しているわけではない
宇宙に生命はいるのかという議論で、科学と宗教は互いに影響しあっている。

  • 想像

想像についての研究というのは、直接アストロバイオロジーの歴史を明らかにするものではないけれど、特定の時代にどのようなことが夢として考えられたのか理解するのに役に立つ

アストロバイオロジーの哲学
  • 自己理解

人類としての自己理解

  • 概念分析

代表的なのは、生命の定義とか
ここでは、いわゆる必要十分条件的な定義ではなく、プロトタイプ的な定義の方が、生命を論じる上ではいいのでは、みたいなことも言ってる。
それから、アストロバイオロジーでは、生命以外にも、ハビタブルとか系外惑星とか色々議論できそうな話題があるよね、とか

  • 倫理

テラフォーミングは許されるのかとか、ほかの星の資源は誰に権利があるのかとか
あるいは、アストロバイオロジーに何故お金を投じるのか、とか

  • 認識論

知識の哲学的な話題ではなくて、むしろ、仮に結果がでなくても人類はずっと探査をし続けられるのか、みたいなことを問うもの、というようなことが書いてあった

地球外知性体とのコミュニケーションに関わる問題

  • 認知

何が知性なのか、という問題

認知

ここでは、アストロコグニションというものが提案されている。
認知科学の知見をベースに、宇宙における認知能力について考える
アストロコグニション=the study of the thinking Universe
これは、NASAが1996年に、アストロバイオロジー=the study of the living Universeとしたものに倣ったもの
ここでいう認知は、「環境において行動のために感覚入力を処理する能力」
認知スキルが進化するのに何が必要かとかそういうことを問うのが、アストロコグニション
認知は、物理的・生物学的な環境と文化や社会といったものにそれぞれ適応する。
地球人類の認知というのは、この地球・この文化に適応したもの
アストロコグニションは、認知科学の知見なんかを応用しながら、宇宙中心主義的に、認知をとらえ直すということを目指す、とかまあそんなようなことが書いてある

コミュニケーション

地球外知性体とのコミュニケーションについて
ユニバーサルな、コンテクストに依存しないようなコミュニケーション(記号のやりとり)というのは、おそらくできない。
コミュニケーションというのは、認知と同じで、地球環境、生物の進化のプロセス、人間の文化などに依存している。

文化

ここでいう文化というのは、行動パターンの違いなどが、環境によって決まるのではなく、世代間での伝達や学習によって伝えられ学習されていくこと
文化が、科学や技術を可能にしたのであり、アストロバイオロジーも、文化が生んだ科学の一つである、と。

感想

ここで展開されている、アストロバイオロジーの歴史と哲学は、狭い意味での科学哲学というよりは、アストロバイオロジーに、人文系学問がどのように関わっていけるか、という観点かなあ、という気がした。
もちろん、当該学問へのメタ的・反省的な視点をもたらすという意味での、歴史・哲学の意義というのもあるが、「認知」「コミュニケーション」「文化」という章立ては、むしろ、こうしたテーマは人文的アプローチも必要だよ、という話なのかな、と思った。
アストロバイオロジーは、かなり学際的な分野で、理系だけでも、生物学・惑星科学・天文学が関わり合っている*2
そこに「認知科学」や「言語学」なんかも関わる余地があるんだよ、と(これらがいわゆる人文系かどうかはともかく)。
で、そういうこともあってか、かなりSETI寄りの話だったなあという印象をもった
地球外知性についての研究も、アストロバイオロジーの一部だと思うので、それはそれでありだと思うし、面白いとは思うが、
もう少し、生物学の哲学寄りの方が、自分の期待するアストロバイオロジーの哲学かなあと思った。

*1:https://www.amazon.com/History-Philosophy-Astrobiology-Perspectives-Extraterrestrial/dp/1443850357

*2:そして「生物学」「惑星科学」「天文学」というのは学問分野としては大雑把な括りで、その中でさらに細分化した様々な分野がそれぞれ関わり合っている