天冥の標(7・8)

巻ごとに異なることを色々やってるこのシリーズ
7巻は、十五少年漂流記、ただし子どもの数は5万人、みたいなっ 奴だった
で、少しずつ、これが一巻のメニーメニーシープにつながっていくんだろうなというのは分かってくるんだけど、実際に繋がった時には、うお、こうなるのか感


8巻は、前半で1巻の裏側というかイサリ視点で1巻の話が語り直される
イサリぃ
後半は、いよいよ1巻のあのラスト以降の展開へ

天冥の標(5・6)

一巻のあとがきで、やれることを全部やる的なことが書かれていたが、5巻でようやく何となくその意味が分かってきた
5巻は、小惑星の農家の話で、これまた1〜4巻とは少し雰囲気が異なる。
こうやって、1つの物語の中でしかし、様々なネタ・アイデアを展開しているのだな、と。
5巻は、全体の流れとしては、3巻の宇宙海賊やドロテア・ワットの話の続きなのだが、3巻のような派手な戦闘はなく、小惑星で農業をすることがどういうことかが描かれていく。
3、4巻がわりと特殊なコミュニティ、特殊なシチュエーションの話だったのに対し、5巻は打って変わって、普通の人々の日常、ただし場所は小惑星という感じで面白かった。話も、農夫の父親と都会に出ていきたい娘の関係を軸に進むし。
また、5巻は、これまで断片的にしかでてこなかったダダーのノルルスカインとミスチフについての長い物語も同時並行で進む。
実は、宇宙規模で、ある1つの種族による侵略が進んでおり、地球人類を襲った冥王斑もその侵略行為の一端であったことが明らかにされる。



でもって、6巻
6巻とはいうものの、さらにvol.1〜3に分かれた3巻本となっている。
巻のタイトルは「宿怨」
このタイトルが示す通り、救世群の宿怨が噴出し、太陽系世界を未曾有の戦争と厄災へと突き落としていく。


で、ここまででおそらく、1巻に出てきた主な集団などが出揃ったのではないかと思う。
6巻から年表と用語集がついて、ちゃんと復習しとけよ感も出てきたし
まさか、メイスンことカルミアンがこんなだとは。


天冥の標Ⅴ 羊と猿と百掬の銀河

天冥の標Ⅴ 羊と猿と百掬の銀河

天冥の標Ⅵ 宿怨 PART1

天冥の標Ⅵ 宿怨 PART1

天冥の標Ⅵ 宿怨 PART2

天冥の標Ⅵ 宿怨 PART2

天冥の標Ⅵ 宿怨 PART3

天冥の標Ⅵ 宿怨 PART3

『ナショナルジオグラフィック2020年10月号』

恐竜特集を読んだ


ピノサウルスから始まり、最近のトピックを次々と紹介している
CTスキャンで、恐竜が種類ごとに異なる脳の冷却システムを持つことが分かった研究とか
粒子加速器を使ってX線で卵の内部見てる研究とか

天冥の標(1〜4)

ついに読み始めてしまった……
これ読み始めたら、しばらく他のもの手につかなくなるなと思って、読まずにいたのだけど
無料だったkindleを読み始めたのが運の尽きw
とりあえず途中経過


こんなにも性と羊をめぐる話だったとは
あと、こんなに各巻ごとに時代も作品の雰囲気も違うとは思わなかった。時系列順じゃないというのはちょっと知ってたけど


1巻は、2800年頃、文明の停滞した宇宙植民地でのポリティカル・アクション
2巻は、2010年頃の地球を舞台にした感染症もの
3巻は、24世紀のアステロイド・ベルトと木星を舞台にしたスペオペ
4巻は、3巻と同じ時代で、アンドロイド娼館で究極のセックスを探求する物語

《天冥の標》合本版

《天冥の標》合本版


とりわけ、2020年の今読むと2巻はくるものがある。
冥王斑という新しい感染者がパンデミックを起こす物語で、この冥王斑、というか、患者群(プラクティクス)という集団がシリーズを通して登場することになるのだが、とにかく、2巻ではこの病気がいかに怖ろしい病気か描かれていくことになる。
致死率の高さ、感染の仕方、その他の病気の特性どれをとっても非常に悪質で、地獄めいた世界が現れるのだが、それはそれとして、作中の日本の対策が明らかに現実のそれより優っている、ということをまざまざと見せられる。
東京アウトブレイク後、非常に迅速に検疫体制が作られる。もっとも、そのような体制もこの病気の前になすすべもない様が描かれていくのだが、とかく、作中の体制がいかに迅速で強力なものかというのが、2020年現在に読むとあまりによく分かってしまう、というのは、このタイミングでこの本を読むことによる独特の読み心地だったのではないかと思う
ちなみに、この体制は、感染研の柊部長という登場人物が異様に有能だったことに起因しているのだろうとは思うが


1巻で登場したキーワードの来歴が、2巻以降で一つ一つ紐解かれていく。
2巻では、冥王斑と救世群(プラクティクス)、医師団(リエゾン・ドクター)がいかに生まれたか。また、1巻でセアキのもとにいたロボットのフェアドールもこの時代に遡る
3巻は、酸素いらずのアウレーリア一統の物語であり、冥王斑の宿主が(2巻の時点で既に地球外生物であることはある程度分かっていたが)木星から来ていたことがわかる。ダダーとミスチフの対立構図も。
4巻は、恋人たち(ラバーズ)とプラクティクスの少年の物語。ラバーズのリーダーたるラゴスがいかにしてリーダーになることになったかという話でもある

フィルカルvol.5 no.2

表紙のカラーリングが好き
読む前は描写の哲学特集が一番の目当てではあったけれど、他のとこが結構面白かった
悪い言語哲学入門とかファース論文とか

対談「哲学対話:言葉による言葉の吟味としての」 (山田圭一、池田喬、佐藤暁)
特集1:描写の哲学
「描写の哲学を描写する」(松永伸司)
「イメージを切り貼りするとなにがどうなるのか インターネットのミーム文化における画像使用を中心に」(銭清弘)
「キャラクタの画像のわるさはなぜ語りがたいか 画像のふたつの意味と行為の解釈」(難波優輝)
「視覚的修辞 エル・グレコからアボガド6まで」(村山正碩)

特集2:アメリ哲学史をリブートする
序文 (朱喜哲 )
アメリ哲学史の何がリブートされつつあるのか」(加藤隆文)
「古典的プラグマティズム再考 共訳書紹介を兼ねて」(大厩諒)
「子どもの道徳性はどこからくるのか 19世紀米国における超自然主義有機体論を再考する」(岸本智典)
デイヴィドソンからローエル兄弟へ あるいはアメリ哲学史とハーヴァードの切っても切れない関係について」(入江哲朗)

シリーズ:哲学のニーズ 「哲学者への市場ニーズ」を再考する
「「フィルカル・サーベイ」事業の立ち上げに寄せて」(朱喜哲)
「基礎研究への貢献という哲学の使い道」(仲宗根勝仁)
「哲学は役に立たなくても」(濵本鴻志)
「古代型の哲学者」(中川裕志)

シリーズ:ポピュラー哲学の現在
対談「哲学と自己啓発の対話」第四回 (玉田龍太朗/企画:稲岡大志)

哲学への入門
悪い言語哲学入門 第1回 (和泉悠)

特別連載
ウソツキの論理学(連載版)哲学的論理学入門 第2回「ハーモニー」(矢田部俊介)

翻訳
倫理的絶対主義と理想的観察者 (ロデリック・ファース、岡本慎平訳)

解説
「ロデリック・ファースの生涯とその影響 「倫理的絶対主義と理想的観察者」解説」 (岡本慎平)

報告
「環境美学のフィールドワーク ヘルシンキ滞在を通じて」(青田麻未)

コラムとレビュー
「バーナード・レジンスター『生の肯定 ニーチェによるニヒリズムの克服』(法政大学出版局、2020 年)書評」(中山弘太郎)
酒井健太朗『アリストテレスの知識論』(九州大学出版会、2020 年)書評」(杉本英太)
「教養の意義を語ることの意義について 戸田山和久『教養の書』に寄せて」(八重樫徹)
「ダグラス・クタッチ『現代哲学のキーコンセプト 因果性』(岩波書店、2019 年)書評」(飯塚舜)
「美学相談室 第2 回 分析美学は批評に使えるのか?」(難波優輝)

対談「哲学対話:言葉による言葉の吟味としての」 (山田圭一、池田喬、佐藤暁)

「哲学対話」について
ざっくばらんな対談なので、内容をまとめるのは難しいが、読みやすく面白かった

特集1:描写の哲学

以前行われた描写の哲学研究会をもとにした特集

「描写の哲学を描写する」(松永伸司)

描写の哲学の概観
めちゃ勉強になる
シアーって名前は見かけていたけどどういう人か分かってなかったので、重要人物と知れてよかった
自然生成性という概念の提唱や再認能力からの説明を行い、シアーの示した論点の多くはロペスに引き継がれている、と。


また、今回の特集は「画像の使用」に着目しているものが多いのが特色と述べている。
個人的にはそこまで関心があるわけではないのだが、今後重要になっていくトピックかもしれない

「イメージを切り貼りするとなにがどうなるのか インターネットのミーム文化における画像使用を中心に」(銭清弘)

「イメージを切り貼りするとなにがどうなるのか」|投稿論文あとがき|参照ミーム一覧 - obakeweb
紙面では画像の引用ができないため、論文中で扱われた具体例は上記の記事で紹介されている。
画像には、(公式な・意味論的な)primaryな内容と(非公式な・語用論的な)secondaryな内容があるとして、インターネットミームを例に、どのようなS内容があり、それはどのように解釈され、どのような役割があるかを論じている
ホプキンスの分離の議論を不十分と考えたアベルが、グライスを援用して「画像の含み」という議論をしているらしい

「キャラクタの画像のわるさはなぜ語りがたいか 画像のふたつの意味と行為の解釈」(難波優輝)

銭論文に引き続き、画像の使用について
こちらは、画像提示行為というものを提唱し、その行為を解釈するためにどのようなファクターがあるのかを論じている

「視覚的修辞 エル・グレコからアボガド6まで」(村山正碩)

この特集の中で、個人的な関心ともっとも近いのがこれ
ホプキンスからブラウンによって論じられた分離の議論を踏まえたパンティナキの議論がまずおさえられている
パンティナキは、分離によって生じる逸脱的性質を、無視するか描写内容とみなすかの二者択一ではなく様式的変形によって行われる表出として捉えるという形で鑑賞に組み込む
村山は、この議論をさらに視覚的修辞という形で一般化する
すでに、発表時の資料をブログで読ませてもらっていたりしたが、パンティナキの議論の部分など、論文になってないと分からないところで、他にも用語などやはりプレゼン資料より論文の方が分かりやすいので、論文化ほんと有難い

特集2:アメリ哲学史をリブートする

アメリ哲学史に関する本が最近続けざまに出ており、それのブックガイドを兼ねた特集
以前からこれらの本はちょっと気になっていたが、ますます気になってきた

アメリ哲学史の何がリブートされつつあるのか」(加藤隆文)

分析哲学史のリブートとドイツ観念論のリブートがあり、その両者をつなぐのがプラグマティズムだと
前者としてミサック『プラグマティズムの歩き方』、後者としてククリック『アメリ哲学史』を挙げる
前者では、論理実証主義による分析哲学プラグマティズムに取って代わったという従来の歴史観に変わり、論理実証主義プラグマティズムの密接な関連が論じられ、後者では、プラグマティズムは観念論の一形態であることが論じられているという

「古典的プラグマティズム再考 共訳書紹介を兼ねて」(大厩諒)

筆者が翻訳に関わった『ウィトゲンシュタインウィリアム・ジェイムズ』と『アメリ哲学史』(ククリック)の二冊が(分量的には主に後者)が紹介される。
前者では、従来、ウィトゲンシュタインプラグマティズムやジェイムズについて批判的でそれほど関心を持っていなかったとされていたのに対して、実はジェイムズの影響がとても大きかったことを論じていると
後者は、古典的プラグマティズムを、観念論から実在論への転換期、そしてアメリカの大学制度の転換期にあった思想として論じている、と

デイヴィドソンからローエル兄弟へ あるいはアメリ哲学史とハーヴァードの切っても切れない関係について」(入江哲朗)

タイトルは筆者の関心の変化
つまり、卒論をデイヴィドソンで書き、著作でパーシヴァル・ローエルを論じたのは何故か、ということを、ハーヴァード大学の歴史から捉える
デイヴィドソンは、パーシヴァルの弟であるローレンス・ローエル学長時代に教養重視へと転換されたハーヴァード型教育を受けていた、と

シリーズ:哲学のニーズ 「哲学者への市場ニーズ」を再考する

「「フィルカル・サーベイ」事業の立ち上げに寄せて」(朱喜哲)
「基礎研究への貢献という哲学の使い道」(仲宗根勝仁)
「哲学は役に立たなくても」(濵本鴻志)
「古代型の哲学者」(中川裕志)
『フィルカル』刊行元のミュー社が立ち上げたサーベイ事業について
実際にサーベイヤーとして働いた若手研究者2名の体験談と、学際的な研究プロジェクトのPIをしているAI研究者からの哲学者へ求めるものについての文章

シリーズ:ポピュラー哲学の現在

対談「哲学と自己啓発の対話」第四回 (玉田龍太朗/企画:稲岡大志)
哲学対話について

哲学への入門 悪い言語哲学入門 第1回 (和泉悠)

悪口など、悪い言葉遣いを具体例に用いながらの言語哲学入門
「悪口とは人を傷づける言葉です」というのは「星とは空でピカピカ光っているもののことです」というくらいのものだ(大雑把な特徴としては間違ってはいないが全然定義にはなってない)という喩え話が、なんか刺さった
連載なのでこれからも楽しみ

特別連載 ウソツキの論理学(連載版)哲学的論理学入門 第2回「ハーモニー」(矢田部俊介)

論理や言語についての規範主義と心理主義という2つの立場がまず紹介される。
この2つはどちらも正しいように見えるが相反する立場である。
これに対して、システムというのは複数のレベルから構成されており、どのレベルから見るかで見方が変わることが論じられ、上の2つの立場も、どのレベルから見ているかの違いであり、その意味でどちらも正しい
サブタイトルにある「ハーモニー」はダメットに由来する概念で、システムの上下の関係が理想的でシステムが堅牢であること
ハーモニーについての詳しい説明は次回ということなので、若干タイトル詐欺ではという気もしないでもないが……
システムというのが複数のレベルで構成されていることの例として、インターネットのOSI参照モデルやマーの3つのレベルが紹介されていた

翻訳 倫理的絶対主義と理想的観察者 (ロデリック・ファース、岡本慎平訳)

倫理的言明を、理想的観察者を使って分析する
この分析は、絶対主義的で傾性的、客観的、関係的、経験的であるということと、理想的観察者に求められる6つの特徴について説明している


実は読んでてよく分からなかった部分も多いのだが、下記解説にある通り、理想的観察者という概念は美学でも関係があるので、その点で読んでて面白くもあった
理想的観察者概念、あまりに便利すぎでは、と思いながら読んでたかな

解説 「ロデリック・ファースの生涯とその影響 「倫理的絶対主義と理想的観察者」解説」 (岡本慎平)

この論文は1952年のもの
ファースは、ハーヴァード大学でC.I.ルイスに師事し、1953年からルイスの後継者として自身もハーヴァードの教員となっている。
同じルイスの学生にチザムがおり、2人ともロデリックだったために親しくなり、2人とも認識論を研究した
実はファースは認識論が専門だったのだが、有名なのは、今回訳出されたこの論文とのこと
当時のメタ倫理学へのカウンターであり、スミスやヒュームなどスコットランド道徳哲学を復権させたものとなった

報告 「環境美学のフィールドワーク ヘルシンキ滞在を通じて」(青田麻未)

タイトルにある通りヘルシンキ滞在記だが、自分自身が、居住者とまでは言えないまでも、単なる観光者ではなくなっていった様をレポートしている
その中で、新型コロナウイルス流行の影響で急遽帰国することになっていった経緯も述べられていたりする。

「教養の意義を語ることの意義について 戸田山和久『教養の書』に寄せて」(八重樫徹)

「ダグラス・クタッチ『現代哲学のキーコンセプト 因果性』(岩波書店、2019 年)書評」(飯塚舜)

この2つの書評読んだ
因果性の方、各理論のマッピングがあってそれがよいみたい
スティーヴン・マンフォード、ラニ・リル・アンユム『哲学がわかる 因果性』(塩野直之・谷川卓訳) - logical cypher scape2と補完的とのこと

「美学相談室 第2 回 分析美学は批評に使えるのか?」(難波優輝)

カテゴリ概念が分類に役立つのでは的な話

岩下朋世『キャラがリアルになるとき』

筆者が『ユリイカ』などに書いてきたキャラクター論を集めた論集。2011年〜2016年の間に書かれたもの(と書き下ろし一編)が収録されている。
第1部がマンガ、第2部が仮面ライダーテニミュ、ラッパーなどを題材にしたもの、となっている。


Ⅰ マンガのなかの「人間」たち

序論 キャラクターを享受すること

1 キャラクターと囲む食卓――グルメマンガの実用性とリアリティ

2 〈まなざし〉の行方――『雨無村役場産業課兼観光係』試論

3 「世界」の描き分け、キャラクターの対話――描画スタイルの併用について

4 “ぽっちゃりヒロイン”は伊達じゃない――『BUYUDEN』にみる『少年サンデー』スポーツマンガの系譜

5 動かずに立つキャラクター――「死に様」から読む『島耕作』入門 

6 岩明均の輪郭、線――パラサイトからマンガ的人間へ

Ⅱ 「リアル」に乗り出すキャラクターたち

7 誰が「変身」しているのか?――「特異点」としての『仮面ライダー電王

8 2次元と2・5次元の『テニスの王子様』――キャラクターの成長、キャラクターへの成長

9 「マンガの実写化」と「マンガから生まれた映画」――マンガ原作映画についての覚え書き

10 マンガと2・5次元――『弱虫ペダル』におけるキャラクター生成のメカニズム

11 「リアル」になる――キャラクターとしてのラッパー

12 キャラクターはどこにいる――『ヒプマイ』そして「解釈違い」

ブックガイド 「マンガ論の現在」のこれまでとこれから

あとがき

初出一覧

1 キャラクターと囲む食卓――グルメマンガの実用性とリアリティ

クッキングパパ』と『きのう何食べた?』を、レシピが作中でどのように提示されているかという観点から比較

2 〈まなざし〉の行方――『雨無村役場産業課兼観光係』試論

登場人物たちのまなざし(どちらを向いているか)がどのように描かれているか

3 「世界」の描き分け、キャラクターの対話――描画スタイルの併用について

描画スタイルの違い(ありていにいえば、リアルっぽい絵柄とデフォルメ調の絵柄など)が1つの作品の中で併用されることで、キャラクターが立ち上がることについて

4 “ぽっちゃりヒロイン”は伊達じゃない――『BUYUDEN』にみる『少年サンデー』スポーツマンガの系譜

『がんばれ元気』などサンデースポーツマンガにおける、主人公の憧れ・動機となる存在がどのように変遷していったか

5 動かずに立つキャラクター――「死に様」から読む『島耕作』入門

島耕作』の様々な登場人物の死に様

6 岩明均の輪郭、線――パラサイトからマンガ的人間へ

岩明の『寄生獣』連載を通じての描線の変遷を追う
多義的な線から明快な線へ
パラサイトから「マンガ的人間」へ

7 誰が「変身」しているのか?――「特異点」としての『仮面ライダー電王

キャラとしてのイマジン

8 2次元と2・5次元の『テニスの王子様』――キャラクターの成長、キャラクターへの成長

「キャラ」としての役者
ベンチワークの話は、テニミュの話でよく聞くけど、普通の舞台でもそういうのはあるのではという気がする。
一方、成長の話はこのジャンルないしテニミュ独特なのかなと思う。舞台で、続編が次々と作られていく、というのはあまりなさそうなので。


今の2.5次元業界がどうなってるのか全く知らないので何ともだが、多少、女性声優コンテンツ(?)かじってる身としては、キャストの成長とキャラクターの成長を重ね合わせるのは、たまたまそういうシチュエーションが生じることもあるだろうけど、ジャンルの特徴にはならないかなとも思う。
意図的に起こせるものではないし、キャストのキャリアに負担かける可能性もあるし、とかで、

9 「マンガの実写化」と「マンガから生まれた映画」――マンガ原作映画についての覚え書き

楳図かずお原作鶴田法男監督『おろち』について

10 マンガと2・5次元――『弱虫ペダル』におけるキャラクター生成のメカニズム

マンガと舞台について

11 「リアル」になる――キャラクターとしてのラッパー

自己紹介ソング=キャラソン的なラップ
ラッパーは「原作者」であると同時に「キャラクター」を演じる
ラッパーがリアルであるとは、キャラクターとして虚実の緊張を引き受けること

12 キャラクターはどこにいる――『ヒプマイ』そして「解釈違い」

いわゆる「公式が解釈違い」という現象に対して、DキャラクタとPキャラクタの違い(松永)を用いて説明する
曰く「Pキャラクタに見当外れののDキャラクタを演じさせている」時に解釈違いとなる、と。
また、いわゆる2.5次元と呼ばれるミュージカル・演劇について、演者は直接Dキャラクタに演じようとするのではなく、Pキャラクタを演じることを介してDキャラクタを表現しようとしている、と特徴づけている。
このあたり面白いなと思った

ブックガイド 「マンガ論の現在」のこれまでとこれから

2000年代、1970年代以前、1970年代以降、2010年代とわけて、マンガ論の歴史を概観するブックガイド
読むだけで勉強になる

スタスニスワフ・レム『完全な真空』

架空の本についての書評
対象となるのは、小説が多いが、最後の4編は学術書
原著が1971年、1989年に刊行された邦訳が今年文庫化された。
SF的な作品もあれば、文学パロディなものもある。
今でも面白いなあ、というものもあれば、もうさすがに古いかなというものもある。

完全な真空 (河出文庫)

完全な真空 (河出文庫)

スタニスワフ・レム著『完全な真空』読書人チテルニク出版所、ワルシャワ

この本は、この本の書評から始まる。
自著解説としても読むことができるし、実際このあとに掲載されている各作品を分類し解説しているが、この書評の中で言及されている『完全な真空』の序文なるものは、本書にはない。

マルセル・コスカ著『ロビンソン物語』書肆スィユ、パリ

パトリック・ハナハン著『ギガメシュ』トランスワールド出版社、ロンドン

ジョイスの『ユリシーズ』を意識して書かれた作品への書評なのだが、作中に出てくる単語などに対する事細かな注釈で、そんなのほんとに読み取れるのかみたいな感じになってる

サイモン・メリル著『性爆発』ウォーカー&カンパニー、ニューヨーク

ルフレート・ツェラーマン著『親衛隊少将ルイ十六世』ズアカンプ社、フランクフルト

この書評は、ほぼこの作品のあらすじをまとめたもので、長編のアイデアはあるが書ききれないものを開陳したもの、という印象だが、実際面白そうな作品ではある。
ナチスの親衛隊少将が、戦後に南米に逃れ、自分の王国を作るというもの。彼はもちろんドイツ人だが、タイトルにある通り、何故かルイ16世を自称し、元部下や途中で連れてきた売春婦たちも含めてその世界を演じるようになる。

ソランジュ・マリオ著『とどのつまりは何も無し』真昼書房、パリ

ヨアヒム・フェルセンゲルト著『逆黙示録』真夜中書房、パリ

作者はドイツ人だがオランダ語で書かれており、しかし作者も書評子もオランダ語はろくに知らない、というとんでもない書評

ジャン・カルロ・スパランツァーニ著『白痴』モンダドーリ書房、ミラノ

『あなたにも本が作れます』

これは本ではなく、こういう名前の商品について書かれた文章
名作の文章を継ぎ接ぎして、自分の本を作れるキットで、批評家たちはこれを冒涜として怒ったが、大して売れなかったみたいな話だが
何というか、二次創作・ファンフィクションや同人出版(自費出版)が広く行われている世の中でこれを読むと、面白さが感じられないというか何というか

クノ・ムラチェ著『イサカのオデュッセウス

これ結構SF
この作品の主人公は、天才を探している、それも第一級の天才を。主人公によれば、二級の天才は同時代には認められないが後世になると認められる存在。一級の天才は、あまりにかけ離れていて、後世に渡って永遠に認められない存在
で、それらしき人を見つけるのだが、第一級の天才というのは、他の人類とは全然違う別のところを歩んでいるのだと気づく
オルタナティブ数学みたいなことをやってる。

レイモン・スーラ著『てめえ』ドゥノエル書店、パリ

アリスター・ウェインライト著『ビーイング株式会社』アメリカン・ライブラリー、ニューヨーク

ヴィルヘルム・クロッパー著『誤謬としての文化』ウニヴェルシタス書店、ベルリン

ツェザル・コウスカ著『生の不可能性について』『予知の不可能性について』全二巻、国立新文学研究所、プラハ

冒頭の『完全な真空』書評においては、家庭年代記の馬鹿馬鹿しい面白さに惑わされてはいけません、本題は確率論への攻撃にあるのです、とあるのだけれど、しかし、それでもやっぱり、家庭年代記の部分が面白い

アーサー・ドブ著『我は僕ならずや』パーガモン・プレス

コンピュータの中で作られたパーソノイドたちを何世代も進化させる実験で、彼らが到達した神学論争の記録

『新しい宇宙創造説』

これは書評ではなく、ノーベル賞受賞者の講演録という形式を取っている。
新しい宇宙創造説を唱えた物理学者テスタが、そもそもその説を提唱した忘れられた哲学者アヘロプーロスの『新しい宇宙創造説』について語っている。
現在の宇宙の物理法則などは、自然なものではなく、他の文明によって作られたものであるという考え
太陽が生まれるより前に出来ていた文明は、物理法則をもコントロールできるようになるまで発展したが、そこでこの宇宙の他の領域に同じような文明が他にもあることに気付き、それらの文明間の暗黙的な均衡が、今の宇宙だという説
宇宙に生命や文明が生じる確率は十分にあるのに、それを示すような痕跡がないことへの答え

スタニスワフ・レム著『完全な真空』沼野充義工藤幸雄・長谷見一雄訳、国書刊行会、東京、日本語版

89年の邦訳時に、冒頭に置かれた『完全な真空』自体への書評にならって、翻訳者たちが本書の書評を書き、訳者解説に代えたもの
文庫には、普通の文庫版訳者解説もついている。