林洋子編『近現代の芸術史 造形編1 欧米のモダニズムとその後の運動』

タイトル通り美術史の本で、ちょうど20世紀を丸々扱っている。
京都造形芸術大学の教科書として作成された本だが、森さんが授業のシラバスでお薦めの図書として挙げていたので、気になって読んでみた。
美術の世界(大妻女子大学シラバス)
まさに教科書的な本だが、比較的若い書き手によって書かれているように思う。
20世紀全体を200ページ足らずに収めているので、一つ一つの項目の分量自体は少なめではあるが、連続した読み物になっているので、読みやすく分かりやすい
ところで、編者の人、筒井康忠編『昭和史講義【戦前文化人篇】』 - logical cypher scape2藤田嗣治の項を書いてた人だ。

第1章 「表現」への衝動―フォーヴィスム表現主義、プリミティヴィスム 林卓行
第2章 空間と時間の拡張―キュビスム未来派 林卓行
第3章 本質をめざして―抽象絵画の始まり 林卓行
第4章 反逆の芸術―ダダとシュルレアリスム 林卓行
第5章 戦争・革命・芸術―両大戦間期と第二次大戦下のヨーロッパ 林卓行
第6章 20世紀前半の彫刻―公共空間のモニュメントからアトリエ内の実験へ 石崎尚
第7章 パリからニューヨークへ―アメリカ美術の胎動 沢山遼
第8章 戦後の抽象―抽象表現主義と現代絵画の系譜 沢山遼
第9章 ネオ・ダダからポップ・アートへ―芸術と生活の架橋 沢山遼
第10章 ミニマリズムとポスト・ミニマリズム―現代芸術の極点 沢山遼
第11章 コンセプチュアル・アートとランド・アート―拡張する芸術表現  沢山遼
第12章 世紀末の都市―性・人種・機械 星野太
第13章 イメージの氾濫―写真・映像を通過する芸術表現 星野太
第14章 20世紀後半の彫刻―形式の多様化と人間像の再生 石崎尚
第15章 グローバル化するアート―地域・市場・国際展 星野太


第1章 「表現」への衝動―フォーヴィスム表現主義、プリミティヴィスム 林卓行

サブタイトルにある通り、フォーヴィズム、ドイツの表現主義(ブリュッケや青騎士)、エコール・ド・パリ、プリミティズムについて
表現というと芸術家「個人」の表現と思われるかもしれないが、当時の社会や、美術史と切り結ぶことで生まれたものだえること
それから、西欧の伝統に対する超克として、プリミティブなのものへの注目があったことが最後に述べられている

第2章 空間と時間の拡張―キュビスム未来派 林卓行

ピカソとブラック、そこから影響を受けたドローネー、ピカソやブラックとは独立してキュビスムに到達したレジェ、連続写真に影響を受けたデュシャン、そして未来派
ピカソキュビスムに入っていくきっかけとして、プリミティブな美術との出会いとセザンヌからの影響の二つがあるが、最近の研究によるとセザンヌからの影響関係を疑問視する説もあるらしい(ここでは、そういう研究もあるけれど、とはいえセザンヌピカソは同じ特徴を持ってるよね、とまとめているが)。レジェはセザンヌからの影響っぽいが
あと、未来派の「自動車はサモトラケのニケより美しい」って、「機銃掃射のなかを疾走する自動車は、サモトラケのニケより美しい」なのね。前段、知らなかった。
キュビスムは、抽象絵画やダダなど、のちの美術運動にも影響を与えたという点で、特別だよというようなまとめ

第3章 本質をめざして―抽象絵画の始まり 林卓行

カンディンスキーモンドリアンマレーヴィチには、それぞれ神秘思想的な背景があったりして、超越的な世界へ向けて描いていた
とする一方で、抽象絵画には、現世的・日常的な方向もあった、と
それは例えば、バウハウスにおいて、抽象絵画がデザインや造形へと生かされていく流れ(カンディンスキーバウハウスで教鞭をとっており、モホリ=ナジの立体作品やシュレンマーの衣装、ダンス)
あるいは、身近な素材を使うクレーや、ドローネー夫妻のソニア。ソニア・ドローネーはのちにファッション・デザインにも進出
あと、モンドリアンは、神智学から影響を受けているけれど、渡米後は、ニューヨークの都市生活をモチーフにしていて、やはり日常的な方向に向かっているのでは、と

第4章 反逆の芸術―ダダとシュルレアリスム 林卓行

メルツバウ」ってハノーファーのダダか(建築内部を作品化、第二次大戦の爆撃により消失)
ダダとレディ・メイド
シュルレリスムの様々な技法(デペイズマンがオートマティスムと並置されてた)とあって、その後に写真が続くのだけど、マン・レイの特殊な技法の写真だけでなく、近年の研究で「普通の写真」こそシュルレアリスム的だったという指摘がなされているというのがあった。アジェやケルテスの写真
それから、ダダやシュールレアリスム第一次大戦社会主義革命の影響を受けているという話。ブルトンって、戦時中、精神科医インターンとして従軍した経験があって、そこからフロイト理論につながっていたらしい
あと、国籍の多様性

第5章 戦争・革命・芸術―両大戦間期と第二次大戦下のヨーロッパ 林卓行

1930年代後半から40年代のヨーロッパ
ロシア・アヴァンギャルドののち、社会主義リアリズムとなっていくソ連と、退廃芸術展やったナチス・ドイツ
多くの芸術家がアメリカへ亡命する中、ヨーロッパにとどまったマティスピカソ
それから、具象画、裸婦像、静物といった伝統的なモチーフに回帰しつつ、不安な感じなどを描くベーコン(英)、フロイド(英)、モランディ(伊)
そして、フランスのアンフォルメルアンフォルメルの画家のひとりであるデュヴュッフェは「アール・ブリュット」の命名者でもある
それから、伝統への回帰をみせたバルテュス(この時代の人だって知らんかった……)

第6章 20世紀前半の彫刻―公共空間のモニュメントからアトリエ内の実験へ 石崎尚

20世紀、モニュメント(記念碑)としての彫刻は減り、展覧会へと移行する。これにより、題材の制約がなくなり、抽象彫刻が生まれてくる。
モニュメントから展覧会の流れの代表格が、ロダン。元々、モニュメント作っていたが、自分の表現を優先するようになる。
また、ロダンの工房から弟子がどんどん出てくる。
それから、画家が彫刻を作るようになったのも20世紀の特徴。絵画の方の潮流からの影響を受けた彫刻も作られるようになる。
抽象彫刻としては、シュールレアリスムのアルプやジャコメッティ。彼らとも交流があり、マヤ文明のチャックモール像から影響を受けたヘンリー・ムーア*1。一時期、ロダン工房にいたブランクーシ
あと、アッサンブラージュとかレディメイドとか、手わざではない彫刻が

第7章 パリからニューヨークへ―アメリカ美術の胎動 沢山遼

第一次大戦勃発後に渡米したデュシャンとピカビア、これにアメリカ人のマン・レイで「ニューヨーク・ダダ」なんだけど、これ、自分たちで名乗ってなかったのだな。
これに続いて、機械や工場、摩天楼をアメリカの「原風景」として、キュビズムっぽく幾何学的に描くプレシジョニズム
写真家のスティーグリッツがギャラリーを開いて、ヨーロッパの作家だけでなく、ダウやオキーフなどアメリカで抽象画を描いていた作家が発表する
オキーフは、動物の頭骨とかの絵を描く人で、そういったものがメインだけど、20年代にはやはりプレシジョニズム的な都市を幾何学的に描く作品もあったらしい
一方で、写実主義へ回帰しつつ社会問題を描く「アメリカン・シーン」
メキシコ壁画運動や、失業対策の連邦美術計画
シュールレアリストたちの渡米
一方、彫刻分野では、1930年代にカルダーやイサム・ノグチが登場してくる

第8章 戦後の抽象―抽象表現主義と現代絵画の系譜 沢山遼

抽象表現主義の画家たちは、初期に亡命シュルレアリストとの交流があり、影響を受けていることが多い。初期には記号などを使ったりしていて、また、ネイティブ・アメリカンの神話などへの関心があったりして、完全な抽象への志向があったわけではない。
作品の巨大さは、壁画制作からの影響や、前世代のゴーキーやマッタからの影響も
抽象表現主義は、美術の主流がヨーロッパからアメリカへ移行したこと、特にアメリカの「勝利」の象徴とされるが、この構図にはアメリカの政治的な意図もある。戦後、アメリカには美術館やギャラリーが増えたことも影響。もちろん、米ソ冷戦も背景にある(社会的リアリズムとは対極の芸術、というアメリカの文化的戦略。しかし、画家や批評家は左翼が多かったとも)
一方で、イタリアでは、フォンタナらによって、抽象美術が始まっていて、科学技術などとの接続が試みられたり、あるいは、マンゾーニは、のちのコンセプチュアル・アートにつながるような活動をする
また、ブラジルでは、「新具体主義」という動きがでてきて、鑑賞者の身体性が重視され、抽象性はむしろ批判されるようになる

第9章 ネオ・ダダからポップ・アートへ―芸術と生活の架橋 沢山遼

1960年代
ラウシェンバーグやジョーンズらの「ネオ・ダダ」
ネオ・ダダには、ジョン・ケージからの影響をうけて、イベントやハプニングといった運動も起きる
フランスでは、ヌーヴォー・レアリスム。ティンゲリーなど
イギリスから始まるポップ・アート

第10章 ミニマリズムとポスト・ミニマリズム―現代芸術の極点 沢山遼

ジャッド「特殊な物体」
ロバート・モリス、ダン・フレヴィン*2、カール・アンドレ
同時期に、フルクサスアルテ・ポーヴェラ(伊)、シュポール/シュルファス(仏)、ウィーン・アクショニズム(墺)、「具体」「もの派」(日)
フルクサスは、複数の拠点で参加者も流動的な運動体で、ヨーゼフ・ボイスナムジュン・パイクオノ・ヨーコらが参加
ミニマリズムの動向は、柔らかい素材や不定形さを用いたり、身体性や社会を意識するポスト・ミニマリズムへ。リチャード・セラとか。ヨーゼフ・ボイスは「社会彫刻」を提唱。また、「ボディ・アート」という動向も。

第11章 コンセプチュアル・アートとランド・アート―拡張する芸術表現  沢山遼

60年代半ばからコンセプチュアル・アートとランド・アートが登場してくる
ロバート・モリスとか、ミニマリズムの中でも名前が出てきたけど、コンセプチュアル・アートもやってる
コンセプチュアル・アートという言葉を広めたルウィットは、立体作品も手掛けている(直線の順列組み合わせで作品が自動的にできる、オリジナリティ神話の解体という意味もある)。これも概念重視の作品だけど、ちょっと見た目がミニマリズムっぽいところもあるのかな、と
ランド・アートとコンセプチュアル・アートは、見た目は違うけれど、どちらも、容易な商業的取引が不可能という点では共通だ、と。
美術館という展示空間への批評として、街に紙を貼っていく作品とか、ギャラリーの壁を取り外す作品とかも
近年の研究では、コンセプチュアル・アートを支えた作家以外の人物についても研究され、ディーラー兼編集者のジーゲロープが、ゼロックス・コピーを使って、ギャラリーではなく簡易本で行う展覧会をやっていたり、とか

第12章 世紀末の都市―性・人種・機械 星野太

具象画への回帰(ニュー・ペインティング)
ドイツの新表現主義など、あるいは「ストリート」と美術の世界を横断する作家の登場
マイノリティなどの表現や「ポストヒューマン」というテーマ
アプロプリエーションないしシミュレーショニズムといった手法の登場
売買に抵抗するような形をしていた従来の動向と違って、80年代は、現代の巨大マーケット黎明期

第13章 イメージの氾濫―写真・映像を通過する芸術表現 星野太

90年代、写真や映像が表現手段として現代美術に
また、東西ドイツの統一やソ連崩壊で、これまで注目されてこなかった作家が表舞台へ
様々な作風の写真を撮るティルマンス
過去の歴史を問い直すボルタンスキー
ビデオ・アートのヴィオラ
写真を通して描くデュマスやタイマンス
木炭のドローイングをアニメーションとするケントリッジ
ドイツにおいて、アート教育が充実し、ドイツ作家が台頭してくる
旧西ドイツのデュッセルドルフ芸術アカデミーは、ヨーゼフ・ボイスアンゼルム・キーファージグマー・ポルケゲルハルト・リヒターを輩出。ボイスは、アカデミー出身でアカデミーの教授になるも、教育方法に批判的で解雇されてしまうも、影響が大きく、例えばリヒターにはボイスからの影響がある、とか
また、同じくアカデミー出身の写真家ベッヒャー夫妻も教育への貢献が大きく、グルスキーらを輩出(ベッヒャー派)。

第14章 20世紀後半の彫刻―形式の多様化と人間像の再生 石崎尚

20世紀は彫刻の素材に、鉄などが使われるようになり、さらにプラスチックや既製品も使われるようになっていく
「彫刻」という呼び名が使いにくくなり「立体」とか「インスタレーション」とかにもなっていく
鉄を使った彫刻のアンソニー・カロは、ヘンリー・ムーアの弟子らしい。水平的な構造にその影響あり、と
人体から直接石膏で肩をとり既存のベンチなどと展示するシーガルや、巨大化した日用品を柔らかい素材で作るオルデンバーグ、プラスチックのごみを並べて作品にするクラッグなど
パブリック・アートといわれる屋外展示。反対運動が起こって結局撤去されつぃまったセラの「傾いた弧」
クリストとジャンヌ=クロードの公共施設を布で覆う作品は、むしろ人々とのかかわりによってこそできるもので、そのプロセスが重視される
あと、ボイスの「社会彫刻」
人体像が再び使われるようになるが、サイズが全然違ったりと違和感を誘うもの
ホワイトリードの「家」は、「傾いた弧」と同じく撤去されてしまったパブリック・アートだが、賛否両論で、すぐれた作例のひとつとされる
あるいは、イサム・ノグチの「モエレ沼公園」は、彫刻家と自治体の協働

第15章 グローバル化するアート―地域・市場・国際展 星野太

マーケットの拡大と、ダミアン・ハーストなどヤング・ブリティッシュ・アーティスト
日常性の詩学
東アジア出身の作家たち、分野横断型のものが多い。鑑賞の対象がなく、ギャラリーでパーティを行うようなティラヴァーニャなど
ヴェネツィアビエンナーレで、貧しい移民に対して自身の展示スペースでの物売りを許可したり、スペインのパスポートを持っている人だけ入場できるという作品を作ったりして、政治問題を取り上げるシエラ
天井に穴をあけて、自然の空を作品とするタレル*3
国際美術展の見本市化によるグローバル化・マーケット化
その一方で、地域・コミュニティでの活動を軸とする作家の活動(関係性の美学)