柏木博『デザインの20世紀』

20世紀のデザイン史について、19世紀後半のアーツ・アンド・クラフツ運動から戦後の消費社会まで辿る本
元々、マシン・エイジやアメリカのインダストリアル・デザインについての何かを読みたいと思って探していて見つけた本だった。もとより、タイトルや目次からそれは本書の一部にすぎないことは分かっていて読んでいたが、目当て以外の部分も含めて全体を通して結構面白かった。
三部構成になっていて、第一部が世紀転換期、第二部が戦間期、第三部が第二次大戦中から戦後に相当していて、第三部は目次からはあまり期待していなかったのだけど、1930~40年代の日本について書かれていた箇所が面白かった。

はじめに

モダンデザインとは、デザインを通じて人々の生活や環境をどのように変化させ、どのような社会を実現させるかという「近代のプロジェクト」
戦後は、社会変革ではなく市場を獲得するためのプロジェクトへ変質する。


以上が、本書で繰り返されるテーゼ(?)ということになるが、近代よりも前は、デザインというのは身分とか社会制度によってそもそもある程度決まっていた。
近代以降、そういう結びつきがなくなる。
近代以降の人々はアイデンティティ不安になるが、これをデザインの選択という形で規定する、とかそういう話

1 近代のプロジェクト―現代デザインの源流

生活の総合デザインを夢見たモリス

19世紀は博覧会の時代
ロンドン万博の出品店のコレクション→産業博物館→サウス・ケンジントン博物館→V&A博物館

子供時代に万博を嫌ったとか、子ども時代に好んで読んでいた本が後の中世趣味・ゴシック趣味につながったのではないか、とか。
学生時代にラスキンにはまる
卒業後、他の建築家やデザイナーと仕事を始め、彼らとともに自分たちの新居「赤い家」を作る。家そのものだけでなく家具も含めて全て自分たちで作る。
これを人々にも提供しよう、というのがモリス商会のアーツ・アンド・クラフツ運動
近代的な分業体制ではなく、中世的なギルド制を志向した。
生産の場がギルドであることと選ばれた様式がゴシックであることは、一応関わりあっているだろう、と。
モリスの社会主義思想自体は本書に特に言及はなかったが、彼の中世的な共同体志向は当時の社会主義的なものであったことには触れられている。
モリスに限らず当時の社会主義は、社会の若返りとして過去の社会へ着目していたから。
モリスは、装飾様式のヒストリシズムへの批判から、様式の統一を目指した。
後述するが、19世紀からヒストリシズムが出現する。これは、過去の様式の引用からなるもので、色々な様式がバラバラと混在する(ウィーンのリングシュトラーセにおけるネオ○○様式とか)。モリスはこれを批判した。
様式を統一すべき、という考えがあって、モリスの場合、ゴシック様式で統一された家・家具・生活を目指した。
ただ、何故ゴシックなのかというとそれほど根拠がなく、単にモリスの好みでは、というところがあるらしい。


しかし、自分はモリスのことを誤解していた、ということが分かった。
単に懐古主義者なのかと思っていたのけど、もう少し近代的アイロニカルな感じの人なのだな*1。本書でも、モリスのゴシック趣味もヒストリシズムの一種という面がなくはない的な言われ方をちょっとされているし。
近代になって、どのスタイルにするかの必然性みたいなものがなくなって、ただひたすら選択の自由がある中で、ある一つのスタイルにあえてコミットしていく、みたいな。

  • ヒストリシズム

ヒストリシズムは、ナポレオン時代のアンピール様式あたりから始まる。
イギリスだとリージェンシー様式
ヒトラーも好んだとされるが、要するに、古代ローマを参考にして、豪華な見た目にしているような様式
それからヒストリシズムとしては、イギリスのセント・パンクロス駅も挙げられている。
駅の中身自体は近代的な鉄骨建築だけど、外面はゴシック建築で、中と外の不一致というのもヒストリシズムの特徴として挙げられている。
ヒストリシズムの説明って、わりとポストモダニズム建築にもあてはまりそうだな、と思わないでもない。


モリスは、人々の生活の変革を目指したが、機械化による大量生産を拒否した点に矛盾がある、と締められている。

新たなる精神―アール・ヌーヴォー

世界同時性が特徴
アール・ヌーヴォーは、アンリー・ヴァン・デ・ヴェルデに端を発する。
オルセー美術館には、ヴィクトール・オルタ、エクトール・ギマール、ルイ・マジョレル、アレクサンドル・シャルパンティエが展示されている
スコットランドのチャールズ・レニ・マッキントッシュ
ウィーンのヨーゼフ・ホフマン
スペインのアントニオ・ガウディ


19世紀のメディア状況
世界を情報化する万博
図案化されたイラスト・文字の載る広告・ポスター


1895年パリ ヴァン・デ・ヴェルデが手がけた、ビングの店の店名が「アール・ヌーヴォー」の由来。
実際には、ヴィクトール・オルタの方が少し早いとされるし、
また、曲線という意味では、アーサー・マックマードによる本の扉絵や椅子が、それらに先駆けている。


ブルジョワの室内装飾として用いられる。
管理から逃れるため。
生産空間としての職場と消費空間としての部屋へと二分されていく。


ウィーン・ゼツェッションウィーン分離派)とブルジョワジー
ウィーンにおけるブルジョワは、政治から芸術へ逃避していく
ゼツェッションもまた歴史主義への批判
のちにウィーン工房ができるが、モリスからの影響でギルド的
一方、そのデザインについては、マッキントッシュからの影響で直線的である。
マッキントッシュのインテリアデザインがカラー写真で掲載されているが、アーツ・アンド・クラフツやアール・ヌーヴォーというよりは、アール・デコ的なデザインになっていて、現代のモダン・インテリアといっても通じそうなところがある。
千足伸行『もっと知りたい世紀末ウィーンの美術』 - logical cypher scape2で「1900年の第8回分離派展でマッキントッシュなどのイギリスのアーツ・アンド・クラフツのデザインが入ってきていて、それに影響されていた。」と書いてしまったのが、これは自分がマッキントッシュのことがあまりよく分かっていなくて、何となくまとめた文だった気がする。
実際に見てみると、マッキントッシュとアーツ・アンド・クラフツは全然違っていた。
なお、日本のモダンデザインのパイオニアである木檜恕一は直接ウィーン工房を目にして、影響を受けている、と。

環境の規格化―ドイツ工作連盟

1907年 ドイツ工作連盟DWB結成

  • ヘルマン・ムテジウス

この人がキーマンで、連盟の理論面を担う。
イギリスを視察して、アーツ・アンド・クラフツやマッキントッシュを「合理的」「即物的」なデザインだと捉えていた。
モリスのデザインを「即物的」と思うの少し不思議な感じがするのだが、これはアンピール様式・リージェンシー様式と比較してのことだろう、と。リージェンシー様式のごてっとしたインテリアと比較すると、確かにモリスの家具はシンプルですっきりして見える。
1914年  ケルンでDWB展覧会
グロピウス、タウト、ホフマンも参加していて、わりと多様。
この際、ムテジウスがDWBの主旨を作成し、これに対して、ヴァン・デ・ヴェルデが批判している。
これが非常に分かりやすい考え方の対比となっている。
ムテジウスは「規格化」を理念として掲げる。
それに対してヴァン・デ・ヴェルデは、芸術家は自由を求めるものだと反発している。
このムテジウスとヴァン・デ・ヴェルデの考え方の違いは、
具体的な作品としては、ピーター・ベーレンスのアーク灯とフリッツ・エルラーの絵の対比として見られる。
ベーレンスは、AEGでプロダクトデザインを担当しており、前述のアーク灯や工場のデザインをしている。
筆者は、ベーレンスによる電気ポットのデザインを挙げている。
いくつかのパーツを組み合わせることでバリエーションを出せるようになっていて、組み合わせによる生産が前提となっている。
単なる装飾ではなく、システムとして統合された環境のデザイン


AEGの社長ウォルター・ラテナウは、規格化、定型化という理念を持ち、1930〜40年代日本の「産業合理化運動」に近い発想。
AEGは父親から引き継いだ会社で、ウォルターはのちに復興大臣、外務大臣にもなる。
ベーレンスのデザインと不可分。
規格化は生活を均質化し、大衆を生む。
なお、ラテナウは外相になって暗殺されてる!
林健太郎『ワイマル共和国』 - logical cypher scape2

2 マシン・エイジの夢とデザイン

マシン・エイジの夢

まず、この章全体の前振り
バウハウスロシア・アヴァンギャルドアメリカのインダストリアルデザインも、機械テクノロジーの浸透を背景としている
1930年代は、ファシズム社会主義、デモクラシーといったイデオロギーが、自身の未来像をめぐって闘争していた時代で、それはデザインの闘争でもあった、と。

大量生産デザインの出現―フォーディズム

標準・規格は大量生産を前提としている。大量生産とは複製(なのでその起源は15世紀の印刷術)
大衆消費社会と市場の論理

  • フォード

自動車の大量生産を行い、価格を下げる。悪路でも走れる。
鉄道から自動車へ移り変わっていった様子が、アレンの『オンリーイエスタデイ』に書かれている。
フォードの会社は、離職率の高さも際立っている。


1936年 ポルシェはフォルクスワーゲンのプロトタイプを完成させており、フォードとも会ったことがある。しかし、実際に供給が開始されたのは戦後。
ベンヤミンは、プロレタリアとファシズムがいずれも、大衆の組織化を目指すという点で一致していると論じている。
ウォーホルがコークについて述べた文章が最後に引用されている(富める者も貧しい者も同じ味のコークを飲んでいるというあれ)

未来の大聖堂―バウハウス

1902年 ヴァン・デ・ヴェルデ、ワイマール大公の芸術顧問に
1908年 ヴァン・デ・ヴェルデの私設学校を、太公立美術工芸学校に
1915年 ヴァン・デ・ヴェルデはドイツを去ることになり、学校をグロピウスに託す
当時、グロピウスはベーレンスのところで仕事していた(ムテジウスへの反発を考えると、ヴァン・デ・ヴェルデと考え方は違ったはず)。
結局、太公は学校を閉鎖するが、ワイマール政府が、ワイマール美術学校への統合を提案。
ワイマール国立バウハウス


ブロイヤーの椅子
バウハウスの代表的デザイン。
普通に今見てもおしゃれなデザインの椅子だと思う。
バウハウスは多様であり、何に代表させるかは難しい、とも。


バウハウスアヴァンギャルドな美術運動の拠点となったが、果たしてアヴァンギャルドを目指した学校だったのか。
1919年 グロピウスによるバウハウスの理念
「総合芸術」を目指すとして、その比喩として「カテドラル」と述べている。
アーツ・アンド・クラフツ以降続く新たな統一原理の模索というプロジェクトであって、必ずしもアヴァンギャルドというわけではない。
アーツ・アンド・クラフツと違って、機械テクノロジーには肯定的
グロピウスのジードルンク(集合住宅)=「積み木箱」
機械的なものと田園的なものの共存
「積み木箱」というのは、空間の合理化であると同時に、生産の合理化でもある
生産・労働と消費・生活は単に対立するのではなくて、弁証法的な関係にある(ベンヤミン
グロピウスは、インスピレーションなど「芸術の超越性」にも触れており、彼の芸術論は古風なところがある。
(グロピウスによる)理念と(アヴァンギャルド的な)実践との間には、ズレがあったが、それがバウハウスの特徴

アメリカのユートピア―インダストリアル・デザイン

まず、この時期のインダストリアル・デザインの特徴を捉えた文章として、ギブスンの「ガーンズバック連続体」が引用されている。
それ以前までは、鉛筆削りは鉛筆削りの形をしていた、と。このあと、実際にローウィがデザインした鉛筆削りの写真が掲載されているが、昔のSFに出てくるロケットのような形(流線型)をしているのである。


1920年代のアメリカで、第一世代のインダストリアル・デザイナーと呼ばれるデザイナーたちが出てくる。「ガーンズバック連続体」で言われているように彼らはもともと広告のイラストレーターなど他の業種からキャリアを始めている(というかそういう職種がもともとはなかった)

フランス生まれで、1919年にニューヨークへ
もとはイラストレータ
1929年、複写機の外観デザインが、彼のインダストリアル・デザイナーとしての最初の仕事
それまでの複写機は、内部の機械部品がむき出しだった。それを覆うカバー部分のデザイン。インダストリアル・デザインは、機械が日常生活の中に馴染むようにするものとして始まった。
1934年の電気機関車GG-1、1937年のエンジン3768など機関車のデザインを手がける。
この当時のインダストリアル・デザインを特徴付ける「流線型」の発見
写真が載ってるけど、あじあ号に似ている気がする。
1933年のシカゴ博では、バックミンスター・フラーによるダイマクション・カーがコンセプト展示されているが、これがまさに流線型
ローウィは、自動車デザインの「進化のチャート」というものを発表していて、あらゆるものが流線型になっていくという未来を提示して、前述した鉛筆削りのデザインにもつながっていく。
「流線型」という言葉がある種のバズワードみたくなっていて、「政治を流線型にする」とかそういう言い回しが流行ったらしい。


インダストリアル・デザインは上述の通り、機械製品の外観デザインとして始まったわけだが、それだけでなく、経済恐慌も要因であった。
新製品の開発が必要とされたが、そう簡単に新しいものは作れない。
インダストリアル・デザインは、前の製品を陳腐化させるためのデザインだった。
ここに、デザインが市場の論理へと飲み込まれていく契機があるわけだが、しかし一方で、生活や社会を変革するプロジェクトとしてのデザインの面も残っている。

  • ノーマン・ベル・ゲデス

19世紀の万博が、ものの集積による世界を捉えることを目指していたのに対して、20世紀の万博は、未来のイメージを示すものへと代わっていく。
シカゴ万博で、ゲデスは3つのレストランの建築案を展示した。
空中に浮かぶようなエリアル・レストランは、ロシア・アヴァンギャルドの建築家チェルニホフと類似している。
ゲデスはさらに、大型客船「オーシャン・ライナー」や大型航空機「エアーライナー・ナンバー4」など未来の乗り物のデザインを行っている。
エアーライナー・ナンバー4は、10機のプロペラエンジンを搭載した全翼機となっている。
本書では、全翼機であることについての言及は特になかったが、Wikipedia全翼機について見てみたら、1930年代にアメリカやドイツで実際に試作機は作られていたみたい。
それから「ガーンズバック連続体」を読み直してみたのだけど、主人公が幻視している飛行機って明らかにこれだ、ということが分かった。
これまでSF小説が文字で表現していた未来イメージが視覚化された、と。


デザインには、イデオロギー闘争の面もある。
この当時、ファシズム社会主義アメリカのデモクラシーという3つのイデオロギーがあり、それぞれ理想の未来社会を示そうとしていた。
1939年のニューヨーク博は、そういう場であった。
ゲデスは、ニューヨーク博で「フーツラマ」を担当している
海野弘『万国博覧会の二十世紀』 - logical cypher scape2でも紹介されていた。なお、そちらでの表記は「フュートラマ」だが、ググると「フューチュラマ」表記もある。スペルはFuturama
アメリカ的生活様式アメリカン・ウェイ・オブ・リビング)の実証であり、そこで示される未来社会は、田園都市イメージとも結合していた。
田園都市」の考えは、イギリスの郊外住宅地に端を発しつつ、ペーター・クロポトキン『田園・工事・仕事場』により整理され、エベネザー・ハワード『明日』(『明日の田園都市』)で世界に広まった
クロポトキンってあの? と思ったら、まさにアナキストクロポトキンのことのようだ。
ただ、田園都市ブルジョワユートピアとも指摘されているという。

消費社会のデザイン―アール・デコ

アール・デコは、アール・デコ博に由来し、ジャン・ピュイフォルカやレイモン・タンブリエが代表的な存在
アール・ヌーヴォー以上にインターナショナルな動き


映画とアール・デコ
映画の中に登場したアール・デコとして、特にマルセル・レルビエ『イニューメン』(1924)が取り上げられる。
ポワレの衣装、シャローの家具、レジェの室内デザイン


アール・デコ古今東西からの様式の引用があったとして、ドナンが日本人のスガワラから教えてもらってウルシを用いたオリエンタルなデザインのことなどが紹介されている。
海野弘『アール・デコの時代』 - logical cypher scape2にも書いてあった。


社会制度からデザインが遊離し、スタイルは社会的通貨と化す。
スタイルの大衆化と消費社会システムへの組み込み


アールデコは建築にも浸透し、摩天楼となる


神原泰の詩「1930年の彼女の風景」
「巨大なビルディング,昇るエレベーター」で始まる詩で、女性タイピストたちやジャズ、「時速二三一・三六二四六哩」で走る自動車が描写されている、機械時代の都市を賛美している。

革命の夢―ロシア・アヴァンギャルド

過去の生活様式を断ち切り、新たな生活様式のデザイン

建築やティー・ポットとカップなども手がけていた、というの知らなかった。
彼の「無対象」の思想が反映されていて、なかなか奇抜な形状のティー・ポットになっている。
ところで、自分のブログを検索してみても、確かにマレーヴィチ、タトリン、ロトチェンコの3人を何となくひとまとめにしている記述を発見できるのだが、自分の実感としてマレーヴィチをこの2人と同じ枠内で認識していなかった。自分はマレーヴィチのことを抽象絵画の人としてまず知って、タトリンやロトチェンコはまた別の文脈で知ったから、というのが大きいけど、マレーヴィチティーポットとかデザインしているなんて知らなかったので。

  • タトリン

第3インターナショナル記念塔や、「レタトリン」という飛行装置を考えている。
マレーヴィチとは違って、実用性や機能性からデザインしている。

  • ロドチェンコ

アール・デコ博での「労働者クラブ」
生産と使用の両面からの機能性
また、ヴフテマスというロシアのバウハウスとして位置づけられるような教育機関で教育を行った。

  • リシツキー

生産効率を考慮したデザイン
標準化を提案している。!


しかし、アヴァンギャルドは排除されていくことになる。


3 現代デザインの諸相

戦争と合理化のデザイン

戦争のためのデザイン


1922年 東京高等工芸学校開校
木檜恕一が教授となっている
木檜は生活改善同盟を創設して、デザインによる生活空間の合理化を図った
『我が家を改良して』という著作では、その名の通り、自分の家の和室を洋間へと自らの手で改装したことについて書いた本で、例えば、台所の空間を機能別に区切ったりというようなことをしている。
藤田周忠、森谷延雄
当初(1920年代)は、生活(家事)の合理化を目指した動きであり、政治との結びつきはなかった。
1930年代 岸信介などの商工省官僚による「産業合理化運動」が始まると、文化としての合理主義が国家政策としての合理主義へ再編される
1940年代のデザイン・コンペのカタログ序文が引用されているが、規格化・標準化への志向が現れていて、国策と結びついていっているのが現れている。


剣持勇「作業用家具と能率」(商工省工芸指導所の機関誌『工芸ニュース』に掲載)
住宅内ではなく労働空間の合理化を提案している。
工場内の家具による労働の管理や、家具生産そのものの合理化を目指している。
こうした生産の合理化が戦中にうまくいったかは謎、というか、実際には資源不足に悩まされて上手くいっていたとは思われないが、戦後の日本産業の基盤へとつながっただろう、と論じられている。
1936年 戸坂潤「文化統制の本質」(『日本イデオロギー論』所収)
産業の合理化と生活の合理化というのが結びついて、統制となっている、というのを既に戸坂が指摘しているよ、と。


剣持・戸坂それぞれの引用箇所で「能率」ないし「能率増進」という単語がと出てきている。
本書の中では「能率」という言葉への言及は特にないのだが、能率増進については山口輝臣・福家崇洋編『思想史講義【大正篇】』 - logical cypher scape2で取り上げられていた。
この箇所を読んだときは全くピンと来ていなくて、上のブログ記事でもあっさり流してしまっているが、今読み返してみると、すごく分かった。
桜井哲夫『戦争の世紀 第一次世界大戦と精神の危機』 - logical cypher scape2第一次大戦中に独仏ソで導入の進んだと書かれていたテーラー・システムが、日本にも導入されてきて「能率」という言葉が使われるようになった、と。生産の合理化と生活面での統制というのが、この「能率」という語で結びつけられていたのだな、と。

アメリカン・デザインと戦後社会主義

先に、デザインにはイデオロギー闘争の面があると書かれていたが、その話の続きのような話。
アメリカは、ファシズム国家や社会主義国家と違い、自分たちのライフスタイルや文化を他の国に広めていくという意味での「戦争」を自覚的に行っていた、と。


1939年 ニューヨーク博
ウェスティングハウス社の5000年後へのタイムカプセル
5000年後、人類の文明が衰退していても、このタイムカプセルで1930年代のアメリカン・ウェイ・オブ・ライフは復活できるのだぞ、という


ニューヨーク万博のプロパガンダ
今の広告業界でいうライフスタイル戦略
戦中の日本人捕虜収容所や戦後の日本に対して、積極的にアメリカの生活様式を広める。


コウエンホーヴェン「デモクラティック=テクノロジカル・ヴァナキュラー」と命名
テクノロジーに基づくヴァナキュラー(土着)様式
東欧や中国など社会主義圏にも広がる。
筆者は、社会主義の敗北はアヴァンギャルドの挫折した時に決まっていたと論じている。

商品のユートピア―現代の広告とデザイン

大衆の欲望をコントロールし市場の中に位置付ける(がコントロールしきれない)ものとして、広告とデザインは相同である、と。
近年、広告はそれ自身が批評の対象となり芸術化している。
あるいは、板垣鷹穂の芸術の広告化ということを指摘している。
これはアドルノの文化産業批判やベンヤミンによる指摘とも類似している。ただし、アドルノのような批判ではなく、中立的なところが異なる。
板垣は五十殿利治『日本のアヴァンギャルド芸術――〈マヴォ〉とその時代』 - logical cypher scape2にも出てきたが、機械美学を論じた人。

電子時代のデザイン

ミラノのグループ「メンフィス」が紹介されている
インターナショナルなメンバーで東京での活動歴もあるとか。
機械時代(マシン・エイジ)に機械が生活を一変させたように、今は電子テクノロジーが生活を一変させてるよっていう話なのだけど、何分1992年の本なので、今現在から読むと物足りない感じではある。
というか、1992年というとパソコンやインターネットは誕生はしているもののまだ一般には普及していなかった頃であり、実際この本の中でもほとんど言及されていない。


ところで、この記事を書くに当たりほとんど拾わなかったが、思想家からの引用がちょくちょくあって、最後の「電子時代のデザイン」のところでマクルーハンへの言及があるのは当然として、何カ所か別々のところでヴィリリオの引用を見かけた。
あと、ベンヤミンも、この記事では一カ所しか拾っていないが、わりと何回か引用されていた。

*1:懐古主義も近代のアイロニーの一種では、という話もあるが