デ・キリコ展

都美術館にて。
キリコというとシュールレアリスムの先駆け的存在であり、昨年あった「パリポンピドゥセンター キュビスム展 美の革命」 - logical cypher scape2とあわせれば、20世紀美術の二大潮流が押さえられるのでは、と思ったりして、見に行こうと思っていた。実際には、キリコとシュールレアリスムの間には差異があるのだが。
しかしキリコ、何となく知っている気でいたが、いざ見に行ってみると全然知らなかったな、と。
例えば、そもそもスペルがGiorgio de Chirico というのも知らなかった。確かに、イタリア語でCはカキクケコだったなと思いつつ、このスペルだとチリコって読みそうになる。
それはそれとして、よいな、と思える絵も何点かあり、面白い展覧会であったと思うが、キリコ、個人的にはそこまで刺さらなかったかな、という感想。
それから、完全なるキリコ回顧展で、最初から最後までキリコ作品しかない。それはそれですごいことだと思うが、関連する他の画家の作品も見たかったな。他の画家からの影響を受けて作風を試行錯誤していることが度々あるので。
それにしてもキリコは意外と、ポップカルチャーみというかサブカルみがあるなと思った。
実際、ウォーホルがポップアートの先駆けとして評価したらしいんだけど


よかった、好きだった作品は
「弟の肖像」「球体とビスケットのある形而上的室内」「機械人形」「運命の春」「鎧とスイカ
あたり

山田五郎 オトナの教養講座

【期間限定公開「デ・キリコ展」の楽しみ方まる分かりSP】シュールレアリズムの先駆けジョルジョ・デ・キリコ!意味不明の現代的絵画の見方がよく分かる【20世紀美術に衝撃!形而上絵画はゲシュタルト崩壊絵画】 - YouTube
【期間限定公開「デ・キリコ展」の楽しみ方まる分かりSP②】時代の先駆!ジョルジョ・デ・キリコ 実はポップアートの先駆けでもあった!? - YouTube
事前に見ておくといい、というポストも見かけたので見てたら、実際、予習としてよかった。
山田五郎がこういうYoutubeチャンネルをやっているのは知っていたが、見るのは初めて。ところで、山田五郎のこと、タモリみたいな、ある分野にやたら詳しいタレント・芸能人(キャリアとしては最初からタレントの人)だと思っていて、元々、講談社の編集者だと知らなかった。しかも、2004年までは講談社の社員だったとは。
さて、話を戻すと、美術展の方ではやや把握しにくいキリコの生涯について、こちらの動画だと分かりやすく説明してくれている。
キリコの生没年は、1888~1978で、ピカソの7歳年下。ピカソが1881~1973なので、生きていた時期がほぼ同じである。90歳という長寿だが、ピカソと同様、晩年まで創作活動を行っていた。この展覧会でも70年代の作品まで展示されている。
この番組や美術展を見て、ピカソと同じく、ある時期からは巨匠として自由気ままにやってた、という印象を受けたが、それにしては、ごく一部の作品以外知られていないなあと思った。
さて、キリコはイタリア人だが、父親の仕事の都合により、生まれはギリシアである。
山田によると、ギリシア生まれなのは結構ポイントで、ギリシアは、古代ギリシア文化・ビザンツ文化・イスラム文化のほか、独立以来、列強からの介入もあって、仏独露からの影響もうけていて、国際人として育ったのだという。
独立の際、ドイツからギリシア国王を招き入れていて、その関係でドイツ人が多く入ってきている。キリコは、アテネで美術を学んだが、講師たちはミュンヘン美術アカデミー出身者で、その後、キリコは家族とともにミュンヘンへと移住している。
弟は作曲家となり、弟の肖像画を描いたり、弟の作ったオペラの美術を担当したり、と仲が良かったとのこと。
ミュンヘンからイタリアへ戻り、パリへ行き、第一次大戦ではイタリアの病院勤務となり、1925年頃には再びパリへ行くが、またイタリアへ戻ってくる。イタリア国内でも、ミラノに住んだり、フィレンツェに住んだりと引っ越しを繰り返しているのだけど、1944年以降は亡くなるまでローマで暮らした。
ミュンヘン時代は、ニーチェを読み、ベックリンからの影響を受けていた。
シュールレアリストたちに、あとから「発見」された人、というイメージを持っていたので、孤高の人なのかなと思っていたのだが、決してそんなことはなくて、最初にパリに行った際にはアポリネールピカソと出会い、特にアポリネールと親しくなっている。また、ジャン・コクトーも友人だったらしい。むろん、それ以前にイタリアでは未来派のカッラなどと交流がある(田之倉稔『ファシズムと文化』 - logical cypher scape2では、キリコとカッラが出会って形而上絵画が生まれたと書かれていたが、この番組および展覧会では、カッラへの言及はあるものの、形而上絵画とカッラの関わりについては何も触れられていなかった)。
シュールレアリスムとの関係だが、この番組内では、アンドレ・ブルトンの掌返し、というのが面白おかしく語られている。
キリコ自身は1920年代には古典への回帰をしていて、これはキリコに限らず、この時代の特徴(秩序への回帰)でもある。山田は、シュールレアリスム自体、ダダと比較したとき、秩序への回帰の一種じゃないかとも述べている。ただ、ブルトンは、このキリコの古典主義が気に入らなかったらしく、壮絶にdisった上で、嫌がらせ的なこともしている。
キリコの初期作を買いあさり、またその売却益を資金源にしていたブルトンらは、値崩れを防ぐために、そういうことをしたのではないかという説もあると紹介しつつ、山田は、ブルトンの器の小ささを要因にあげている(アポリネールとも比較している)。
ブルトンは、ダリがアメリカで経済的に成功したときも喧嘩別れしている。
この番組では言及されていなかったが、桜井哲夫『戦争の世紀 第一次世界大戦と精神の危機』 - logical cypher scape2でも書かれていたようにツァラとも決裂しているし、まあそれをブルトンの器の小ささとして卑小化するかどうかはともかく、まあそういう感じの人だったんでしょう。
一方のキリコの方は、画風にかんして行ったり来たりしつつも、古典主義へと進んでいく。が、60年代後半から70年代に、新形而上絵画というスタイルに至る。
ところで、キリコは一度離婚しているのだが、一人目の妻と結婚していた頃、考古学者というモチーフでたくさん絵を描いている。で、この一人目の妻はもともとダンサーだったのが、キリコと離婚後、なんと考古学者になっているという。
二人目の妻は、美術評論家らしいのだが、なんか調べてもどんな人なのかさっぱり分からないらしい。
1944年以降はローマに定住しているが、住んでいたのはなんとスペイン広場。山田曰く「『ローマの休日』見返してみたら、ばっちりキリコの家が映っていた」とのこと。


キリコは、同じモチーフを何度も繰り返し描く上に、過去に描いた自分の作品をあとになって描き直したりもしている(同じ構図で違う技法を試したり)。
本展覧会は、大雑把に言えば時系列順なのだが、後年、描き直した作品なども並んでいたりして、クロノジカルな変遷を追うのが若干難しいな、と感じた。

https://www.tobikan.jp/media/pdf/2024/dechirico_worklist.pdf

SECTION 1 自画像・肖像画

最初のセクションは「自画像・肖像画」について、初期から戦後のものまでがまとめて展示され、画風の変遷を一望できる、というものとなっている。
キリコの顔って初めて見たのだが、わりと印象に残る顔だなと思った。


「弟の肖像」(1910)
ベックリンからの影響を受けていた頃の作品。ベックリンのことあまりよく知らないので分からないが、山田五郎の番組によると、ベックリンの作品と言われても分からないくらいベックリン風らしい。
黒い服をまとった弟の横向きの肖像となっているが、弟の身体が画面中央にまっすぐ垂直線となっており、それ以外に、窓枠や弟の視線が水平線を形作っていて、安定した構図を作っている。暗めの画面の中で、弟の顔だけが明るくなっていてこれが明らかにフォーカルポイントだが、弟の腕や奥に流れる川によって作られる線が、もう一つのフォーカルポイントであるケイローンを示している。このケイローンは、弟を導いた兄(つまりキリコ自身)の象徴らしい。
そういう読み取りがしやすい、という意味で面白い絵ではあったが、その後のキリコの絵とはだいぶ雰囲気が異なる。


闘牛士の衣装をまとった自画像」(1941)
「鎧をまとった自画像」(1948)
「17世紀の衣装をまとった公園での自画像」(1959)
ネオ・ゴシック期に描かれた自画像だが、タイトルにある通り、伝統衣装のようなものをまとった上でのもので、正直、すごくコスプレ感がある。
1941年の作品は1942年のヴェネツィアビエンナーレ出展作品らしいが、思い切り、ムッソリーニ政権下でのことだよなあと思うと、なかなか勘ぐってしまうところなのだが、戦後も普通に描き続けているし、第二次大戦中のキリコと情勢との関連はいまいちよく分からなかった。
ポストモダン下でのあえての伝統回帰、みたいな感じなのかなあと思うと、三島由紀夫とかも頭をよぎるが、とにかく、なんちゅうかっこしてんねんと思わずツッコミたくなる絵である。
ちなみに、こうした自画像が、キリコが舞台美術や衣装を度々手がけていたこともあることと関係があるのではないか、とキャプションには書かれていた。

SECTION 2 形而上絵画

キリコといえば形而上絵画だが、有名な作品はほとんど来ていない。「通りの神秘と憂愁」とか「愛の歌」とか「子どもの脳」とか。
キリコは、ある秋の日にフィレンツェの広場でインスピレーションをえて、形而上絵画を描き始める。フィレンツェだけでなくトリノとか、イタリアの街にある広場をテーマにして色々描いている

イタリア広場

全体的に、青緑っぽい空の色と赤い塔が共通項か。
「沈黙の像(アリアドネ)」(1913)
アリアドネの彫像をたくさん描いていた時期。山田の番組では、アンリ・ルソーの影響もあったのではないか、としている。奥行きが浅くなっていく。
左手前に平面的に描かれたアリアドネ像と、右奥に描かれた塔の2つが目立つ絵だけど、アリアドネ像が、画面の中で占める面積も大きいわりに、どうもよく分からない。
影が輪郭線つきで描かれているのも特徴か

形而上的室内

戦争中のフェッラーラで病院勤務していた頃、室内を描くようになる。戦争中で資材不足のためか、絵自体の大きさも小さくなっている。
「運命の神殿」(1914)
これ、奥行きが浅いというよりも、完全に平面的な画面の組み合わせで、なんというかコラージュないしパピエ・コレを絵で再現したような作品になっている。これだけなので、正直謎。
福音書的な静物1」(1916)
左上の黄緑が、他作品であまり見ない色だったような
右下に地図のようなものが。
「形而上のコンポジション」(1916)
タイトルにコンポジションとあり、マレーヴィチのような抽象画か、とも思えるような作品なのだが、一方で、ビスケットを描いた静物画なのでは、という感じもする。 
「哲学者の頭部がある形而上的室内」(1926)
構図が謎
下の作品の後、もう一度見てみたけど、よくわかんねーなーって感じだった。
左側で、斜め下に走る水色などの3本線が一応画面のバランスをとっているのかなという気もするのだけど、よく分からない。
「横向きの彫像のある形而上的室内」(1962)
上の作品と似ているといえば似ているのだが、じっと見ていると、画面全体をぐるっと回るリーディングラインがあることが見て取れる。「おお、視線誘導がしっかりしている」というのに気づけたのは面白かった。
「「ダヴィデ」の手のある形而上的室内」(1968)
歪んだ空間で、右と左の壁がうまく一致しない。
キリコの作品には繰り返しバイオリンの胴体の穴みたいな形の(もう少し端が渦を巻いているけど)オブジェクトがよく描かれているのだが、これまた左右に2つあるのが非対称になっていて、どうにも見ていて酔いそうになってくる空間が描かれているのだが、中心にある「「ダヴィデ」の手」のおかげなのかなんなのか、全体としてはうまくバランスがとれているようにも見える不思議な絵。
1926年の絵と、60年代2つの絵で、モチーフなどは似ているのだけど、60年代の方が構図が安定しているように感じる。
「球体とビスケットのある形而上的室内」(1971)
右奥に向かって、遠近感の強調された天井のような部分が、あまりにも極端なのだけど、その勢いが好き

マヌカン

マヌカンというのはマネキンのことで、顔のない卵形の頭部をした人形をモチーフにした作品を多く描いている。
「予言者」(1914-1915)
黒板を前にマヌカンがこちらを振り返っている。そのくびれや脚が案外と肉肉しいというか、筋肉がわかるように描いていて、マヌカンという一見非生物的・機械的に見えるのだけど、これは結構肉体感があるなあ、と。
「機械人形」(1924-1925)
こちらはマヌカンではないのだけど、画面前方に置かれた謎の構造物が非常に存在感があって印象的。
奥には窓枠のようなフレームが二重にあって、それぞれ違う風景が中に描かれていて、見ていて楽しい。
ヘクトルとアンドロマケ」(1924)
「南の歌」(1930頃)
キリコは、ヘクトルとアンドロマケという2人組のマヌカンもやはりたくさん描いている。
前者の1924年のはテンペラで描かれており、後者の「南の歌」はルノワール風に描かれている。
なお、前者は、ブルトンによって批判された作品でもある。
これ、Youtubeで見た時は、言うてモチーフ的にはマヌカンだし、そんな古典っぽくないだろうと思ったけど、実物見ると、テンペラギリシア風の襞の入った衣装が描かれていて、確かに古典っぽいかもと思った。
同じモチーフを、様々な技法で描いてみるというセルフパロディ的な作品となっている。

TOPIC 1 挿絵̶〈神秘的な水浴〉

ジャン・コクトーの詩集「神話」(1934)の挿絵のために書かれた版画と、それをもとにした、1958年、1965年の油彩が展示されている。ところで、1965年の作品の方には、1939年というサインが描かれていたが……
水面を寄木細工風に描いている、というもの

TOPIC 2 彫刻

ヘクトルとアンドロマケやマヌカンを立体化した彫刻
マンガのキャラクターのフィギュアが出ることを「立体化」と言うけど、これまさにそういう意味での立体化じゃんっていう感じがした。
「セルフ二次創作なのでは」と思いながら見ていた。
この記事の冒頭で、「キリコは意外と、ポップカルチャーみというかサブカルみがあるなと思った」と書いたが、それは主にこのあたり。

SECTION 3 1920年代の展開

古典主義へと向かう中で、色々なモチーフが出てくる
「考古学者」モチーフ
マヌカンをさらに発展させた感じというか、胴体が長くて足が小さく、胴体の部分になんか色々描かれている奴。そういえば「南の歌」も足小さいな。とにかく、この小さい足がなんか気になる。
ルノワール風に描かれた作品も。
「谷間の家具」モチーフ
屋外にソファとか置いてある奴。アテネに住んでいた頃、地震がよくあって、その際に家具が家の外に置かれてた頃の記憶をもとに描かれたという。よく見ると、奥の方にパルテノン神殿みたいなのも描かれている。
「運命の春」(1927)
これは家具ではないが、なんか盆栽みたいな岩みたいなのが屋内のどんと置いてあって、ちょっと面白かった。
「剣闘士」モチーフ
やはりルノワール風の作品も
すごく天井の低い室内で、半裸の男たちがわらわらしている。
無表情でやる気のない感じがニヒリズムを表していると解説されていたが、ニヒリズムというよりむしろユーモラスになっているような作品群だった。

SECTION 4 伝統的な絵画への回帰 ̶「秩序への回帰」から「ネオ・バロック

いよいよモチーフから描き方から古典回帰していく。
「鎧とスイカ」(1924)
これらの作品群の中では、この作品が一番よかった。
バロック絵画というと光が特徴的だけれど、この作品もそう。黄昏時なのか、画面全体としては暗い時間帯で、画面奥の方で地平線付近が明るくなっている他、手前の朽ちた鎧が何かの照り返しで光っているように描かれている。そして周りに、無残にも割れて転がるスイカ
イカってあんまり絵画のモチーフで使われている印象がない。


水浴画が2つ並べられていて、1932年はルノワール風なのだけど、1945年にはクールベ風になっているとか(どんどん遡っている!)

TOPIC 3 舞台美術

キリコと舞台の関わりは、カゼッラによる「大甕」から始まり、弟アンドレアによる「ニオベの死」、バレエ・リュス「舞踏会」などに関わった(ちなみに「舞踏会」は1929年、バレエ・リュス最後の年の公演作品)。
衣装スケッチなどが主だが、衣装そのものも3点来ており、背景画を後ろにたてて展示していた。

SECTION 5 新形而上絵画

キリコは晩年に再び形而上絵画に立ち戻り、新形而上絵画の時代が始まる。
例えばピカソなんかも、ある時期からもう自由にやってますって感じがあるが、キリコもそんな感じがある。
なんとも曰く言いがたい作品が並ぶのだが、この時期も、どことなくポップカルチャーみがある。
「橋の上での戦闘」(1969)では、橋の上にごちゃごちゃと影になった人々が描かれているのだが、描き方がコミックっぽい感じがする。
あるいは、どの絵だったか忘れたけど、絵本っぽいというか、具体的にいうと佐々木マキとかなんかああいう感じがした。輪郭線をくっきり描いているからかもしれない。色の塗り方とかも。
黒い太陽とか黒いトゲトゲとかがあちこちに出てくる。
室内を描いているものが多いが、置いてある家具がアール・デコっぽい。
イーゼルの上の太陽」(1972)がわりと好きかも。