長尾天『もっと知りたいデ・キリコ』

最近ちらほら読むようになった「もっと知りたい」シリーズ
筆者の長尾天については、以前長尾天『イヴ・タンギー―アーチの増殖』 - logical cypher scape2を読んだことがあったが、その後、キリコについても著作を出していたようだ。今、上の記事を確認したら、タンギー本でもキリコに1章割いていたのだな。
この本では「神の死」と「父の死」を軸にしながら、キリコの絵を読み解いていっている。
「神の死」はむろんニーチェからの影響のこと、そして、キリコは10代の頃に父親を亡くしており、そのことも度々作品に現れている、という。
主には、この絵に描かれているこれは○○の象徴で~みたいな感じで絵の読み解きがなされている。
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第1章 0~21歳 1888‐1909 父の死―旅のはじまり

デ・キリコ展 - logical cypher scape2ミュンヘン時代にニーチェを読んだと書いたが、ミュンヘンからイタリアに帰国後のミラノ時代にニーチェを読んでいたらしい。

第2章 21~31歳 1909‐1919 形而上絵画―「謎としての世界」を描く

形而上絵画についてほとんど独りで探求していたが、弟は主題を共有していたとして、弟の「神託」という作品も載っている。
駅を描くことも多かったらしい(キリコは何度も同じものを繰り返し描くことが多い)。本書では、列車が繰り返し発着する駅を、永遠回帰と結びつけている。
記号が何も意味しなくなることをキリコは「記号の孤独」と呼んでおり、その象徴としてアーチを用いているが、この点についてはヴァイニンガーを参照しているらしい。

  • 《幽霊(子どもの脳)》

髭の男が描かれているが、これは父親とナポレオン3世を組み合わせたものらしい。
また、黄色い表紙の本が描かれているが、これは当時キリコが読んでいた『ピノッキオの冒険』で、キリコの日記の中でツァラトゥストラと結び付けられている。また、この作品はトリノを舞台にしており、これらからニーチェとも関連した絵になっている。
キリコの「神の死」「父の死」というテーマを表している絵だが、この髭の男は、今後度々出現する。

この絵はデ・キリコ展 - logical cypher scape2でも見たが、地図的なものが描かれている。これはヴェルヌ『80日間世界一周』からの影響らしい。


形而上的室内の画中画はシェーペンハウアー哲学を表現しているとかなんとか。


1916年 ツァラと文通
1917年 精神状態を理由にフェラーラの療養所に入所し、カッラと出会う
フェラーラについてデ・キリコ展 - logical cypher scape2では、病院勤務という認識だったが、こちらではむしろ患者側っぽいのだが……。第一次大戦で兵役にはいったっぽいのだが、結局、兵士にはならずフェラーラに行ったという点では同じ。
カッラとは意気投合したが、その後、作品の貸し借りとかでトラブってしまって云々ということがあったらしい。カッラも形而上絵画を描いているっぽいが、そういうトラブルであってなんともいえない感じに。
1919年 スペイン風邪に罹患
キリコもか、と思ったのでとりあえずメモ

  • 《運命の神殿》

デ・キリコ展 - logical cypher scape2で見た時はよく分からんなーと思ったのだが、これもやはりニーチェ的な意味が込められた、というか直接的に書かれた作品だった。
というのも、単語がいくつも書き込まれていて、具体的には「生」「無意味」「奇妙な事物」「謎」「瞬間の永遠性」「苦悩」「歓び」となっている。
また、さかさまの魚が描かれていて、魚はキリストの象徴であり、それがさかさまに描かれていることから、やはり「神の死」のモチーフなのだ、と


第3章 31~41歳 1919‐1929 技術への回帰―マティエールの追求へ

古典回帰時代から自画像が増えるが、これをナルシスティックな自画像と評している。
ニーチェにもみられた自我肥大がキリコにもあったのではないか、と。
彼の自画像が漂ってくる雰囲気は、なるほどナルシズムかと思うと、わりと納得がいく

「構図も弛緩した印象」と評されていた。イメージよりもマティエールを重視したのだろう、とも


オレステスエレクトラ
ギリシア神話で、父アガメムノンを殺された復讐をとげた姉弟を描いている。
父の死の乗り越え、そして姉というモチーフが登場してくる。


「技術への回帰」と「放蕩息子」
放蕩息子の帰還というモチーフを度々描くようになる。ここでもやはり、父の死への乗り越えというか、父との和解が描かれるようになる。


エルンスト、タンギーといったシュールレアリストへの影響だけでなく、ベルリン・ダダ、ノイエ・ザリヒカイトにも影響を与えたらしい。
また、のちにダリの妻となるガラとの交流もあった。


絵画だけでなく『エブドメロス』という小説を書いている。
そこでは「父の目」をした女性(姉)が登場してくる。


剣闘士たちは、ファシズムのパロディという説も?

第4章 41~90歳 1929‐1978 オデュッセウスの帰還

エレクトラ、あるいは父の目をした姉としてのイザベラ・ファー
2人目の妻であるイザベラのことを、高い知性の持ち主として高く評価していて、かなり影響を受けたらしい。
デ・キリコ展 - logical cypher scape2で、コクトーの詩集への挿絵として出てきた浴場だが、本書はこれを洗礼のモチーフとして読み解いている。これも、父から息子への承認


1940年代以降、ナルシシズムがさらに肥大する。
例のコスプレ風(?)自画像もそうだが、『回想録』での自画自賛っぷりがやばい。一部引用されているが、本当によくここまで言えるな、という感じで。諧謔か本気か区別がつかない、と諧謔であった可能性にも触れているが、区別がつかない以上、限りなく本気だろう。
最後に、絵の中に描かれている人物の配置などから、息子が父・幽霊の位置に成り代わっていったことが論じられている(オレステスの位置に髭の男が描かれている等)。