「自然科学の哲学」ほか(飯田隆編『哲学の歴史11 論理・数学・言語―20世紀2』)

主に分析哲学史についての巻だが、分析哲学以外の章と、あとコラムをいくつか読んだ。

総論 科学の世紀と哲学 飯田隆
自然科学の哲学
 ドイツ語圏における展開 今井道夫
 フランスにおける展開 小林道夫
フレーゲ 金子洋之
ラッセル 戸田山和久
コラム1 「概念記法」・伝統的論理学・論理代数 金子洋之
数学基礎論の展開とその哲学 岡本賢吾
ウィトゲンシュタイン
 前期 野村恭史
 後期 丸田健
コラム2 ジャン・カヴァイエス 小林道夫
コラム3 両大戦間のポーランドにおける論理学と哲学 加地大介
ウィーン学団とカルナップ 蟹池陽一
コラム4 エアーとウィーン学団 蟹池陽一
コラム5 戦前日本の言語哲学・科学哲学 古田智久
コラム6 アンスコムの行為論 石黒ひで
科学哲学 伊勢田哲治
エピステモロジー 金森修
日常言語の哲学―分析哲学1 飯田隆
クワインクワイン以後―分析哲学2 飯田隆
コラム7 科学の世紀の倫理学 大庭健
コラム8 日本の分析哲学 飯田隆
参考文献

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自然科学の哲学

ドイツ語圏における展開 今井道夫

ヘルムホルツ、マッハ、ボルツマン、プランクが取り上げられている。
まず4人の概略が示された後、マッハの哲学についてより詳細に検討されている。
ここに挙げた4人はもちろん全員科学者であり、哲学者ではない。この中では、特にマッハが科学哲学的な見解を多く記している。他の3人は、マッハと比べると、科学哲学的なところにはあまり踏み込んでいないが、一般向けの講演・著作の中で科学について論じていたり、あるいはマッハとの論争の中で哲学的な立場が示されていたりする。

生理学から物理学へ
カント主義の立場をとったが、特筆すべき点(カントと少し異なる点)として、認識の記号説、非ユークリッド幾何学への理解の2点が挙げられている。

  • マッハ

啓蒙用の著作として『通俗科学講義』『認識と誤謬』が挙げられていた。『認識と誤謬』は、木田元『マッハとニーチェ―世紀転換期思想史』 - logical cypher scape2でも度々出てきたが、そういう性格の著作だったのか、と。

  • ボルツマン

マッハと違い、当時の物理学の本流だった、と。
マッハの後を引き継ぐような形で、ウィーン大学の自然哲学教授になっており、この頃に、多少哲学関係の著作がある。

ヘルムホルツやボルツマンのラインを受け継ぐ
哲学という点では、マッハと論争する中で出てきた。

  • マッハの哲学

『力学の発達』で思考経済説、『感覚の分析』で要素説を展開
『通俗科学講義』に所収されている「記述と説明」では、科学の役割は、記述であるとしている(対比されているのが、因果についての説明)
思考経済も要素説も、記述を支える原理
元々はカントを読んでいたが、後にヒュームを読むようになり、自分の立場がヒュームと近いと認識していた。

  • マッハの哲学に対する反応・批判

原子論・エネルギー論を巡ってのボルツマンとの論争が有名だが、実はマッハも原子の有用性は認めており、双方融和的なスタンスでの議論であったらしい。
後にボルツマンは自殺し、マッハとの論争が要因だったと言われているが、筆者はそれはそこまで深刻ではなかったのではないか(真相は分からんけど)、みたいなことを書いている。
ただ、大御所マッハにボルツマンが楯突くという形で、ボルツマン劣勢ではあった、と。しかし、プランクの頃になるとこの立場が逆転するという。
木田元『マッハとニーチェ―世紀転換期思想史』 - logical cypher scape2でも出てきたが、哲学的にはアヴェナリウスがマッハの盟友となる。
一方で、ヘーニヒスヴァルトがマッハを批判。この際「マッハ哲学」という言葉を使っており、マッハが自分には哲学なんてない、と反論したらしい。他にマッハ批判者として、フッサールレーニンが挙げられている。
ウィーン精神として、ホーフマンスタールの話とか。あと、夢に着目していた点で、フロイトと似ているみたいなことが書かれていた。

フランスにおける展開 小林道夫

ポワンカレとデュエムが取り上げられている。

  • ポワンカレ

ポワンカレは、分野によって異なる哲学的立場をとっている。
数論については、直観主義構成主義
幾何学と力学については、規約主義
現象論的物理学については、実在論
力学について、規約主義なのだけど、規約であるがゆえに変更不可能、という立場をとるらしい。
「科学のための科学」を標榜した。

デュエムというと「デュエムクワイン・テーゼ」が思い浮かぶが、逆に言うとそれ以外何も知らない。正直、いつ頃の人なのかも知らないような状態だった
カトリック・反共和主義の家庭で育ち、本人もその気風を受け継いだため、アカデミック・キャリアにも影響を受けた。最初の博論が受理されなかったり、パリ大学への就任は叶わなかったりなど。
物理学者・科学史家としての業績が大きい。
物理学では、熱力学分野での研究を行っており、のちにプリゴジンによって先駆的な業績だと評価されたとか
科学史
科学哲学において、科学理論とは説明するものではなく、法則を満足ゆく形で表象する体系なのだと論じた。
道具主義・虚構主義・規約主義っぽくも見えるのだが、「物理的事実」というものがあるとしており、また、経験的言明と先験的言明を分けるのではなく、経験的事実によって体系全体が検証されるという、経験的意味をもつホーリズムを唱えた点で、実在論的だった。
というわけで、確かにクワインっぽいのだが、クワインとの違いも指摘されている。
クワインは、科学的知識だけでなく神話なども同様であると考えたが、デュエムはそこは区別しており、多元的な知識論であったという。

コラム2 ジャン・カヴァイエス 小林道夫

まず、フランスの数理思想の伝統が20世紀以降、影響力が落ちた事情として、以下が挙げられている。

  • ポワンカレが論理主義にネガティブだった
  • ラッセルの論理主義の盟友クーテュラの死(戦線からの帰還中の事故死)
  • ジャック・エルブランの死(登山での転落)
  • カヴァイエスの死(対独レジスタンスでの銃殺)

というわけで、ここでカヴァイエスが紹介されている。
カヴァイエスは、哲学の伝統を「意識の哲学」と「概念の哲学」とを区別して自身を後者に位置づけていた。
論理主義、直観主義双方にそれぞれ反対していた。
数学における「デュエムクワイン・テーゼ」のようなものを考えていた。

コラム3 両大戦間のポーランドにおける論理学と哲学 加地大介

  • トファルドフスキ

ウィーン大学におけるブレンターノの弟子
熱心な教育者であり、ポーランド学派を形成していく。
議論を通じた協働的考察、現代論理学の活用、自然科学や数学などとの協働を特徴とした哲学的潮流(これだけ見ると分析哲学の特徴とも似ているなあと思う)をブレンターノから引き継ぐ。
他のブレンターノの弟子とは異なり、ブレンターノから、アリストテレス研究にもとづく形而上学主導の傾向も受け継ぐ

  • ウカシェーヴィチとレシュニエフスキ

トファルドフスキの教育を受けた第二世代。トファルドフスキは論理学者ではなかったが、論理学を重視したので、弟子が論理学者となっていく。
前者は多値論理、ポーランド記法などの提唱者として知られる。
後者は、プロトテティクス・オントロジー・メレオロジーからなる体系を構築
おお、ここでメレオロジーが出てくるのか! ラッセルのパラドクスを回避した形で集合論的なものをやるためにメレオロジーを作ったらしい(推移律の有無が違うとか)

  • 第三世代

真理論で有名なタルスキ、矛盾許容論理・自然演繹の創始者ヤシュコフスキなどがいる。
矛盾許容論理もここかー!

コラム5 戦前日本の言語哲学・科学哲学 古田智久

ラッセルが戦前に来日していたのは知っていたが、ラッセルの翻訳も1910年代頃にかなり活発に行われていたらしい。ラッセルの言語哲学の基本概念は知られていた、と。
それ以外にカルナップも精力的に紹介されていた。生物学者の篠原雄が、カルナップの論文を次々と翻訳していたらしい。ただ、カルナップ哲学が当時の日本で理解されていたかというと微妙だったようだ。
逆に、ウィトゲンシュタインフレーゲはほとんど紹介されていなかったとのこと。

コラム6 アンスコムの行為論 石黒ひで

トルーマン名誉博士号を授与する動きがあったとき、原爆投下をした為政者には認められないと反対の論陣を張ったのがアンスコムであり、その理論的背景を説明するために書かれたのが『インテンション』だった、と。
最後に、石黒自身のアンスコムの思い出・印象が書かれている。
これらの話、どこかで読んだ記憶があるのだが、どこで読んだか思い出せない。

エピステモロジー 金森修

フーコーは、フランスの哲学を「経験、意味、主体の哲学」と「知、合理性、概念の哲学」とに分けて、後者として、カヴァイエスバシュラール、コイレ、カンギレムを挙げる。
なお、筆者は、フーコー自身は両者の伝統から影響を受けているとしている。

フランスにはまず、コントによる実証主義の流れがあり、
その後、実証主義とは一線を画するポワンカレやデュエム、彼らとは別方向から実証主義を批判するメイエルソンがいて、
また、新カント派寄りで、科学史の知識をベースに議論を展開したブランシュヴィクがいる。
バシュラールはこうした背景のもとに哲学を始めた


「日常的認識と科学的認識との切断」が一貫したライトモチーフ
「現象工学」という概念を用いていた。
観察が装置を通して行われるように、実在とか自然とかは、人間の技術と関連して現れる、技術的実在である。
科学観は、進歩史観に基づいていた

  • コイレ

神秘思想研究から科学史研究へ
ヤーコプ・ベーメを理解するためにコペルニクスの翻訳をはじめて、40代から科学思想史研究へ向かった
近代科学の目標はある種の存在論(「数学的自然観」)の実現
ガリレオ研究』
ガリレオがいかにアリストテレス的物理学から出発したか
その思考過程をひろいあげていく

  • カンギレム

バシュラールの破天荒な経歴に対して、カンギレムの学問的経歴は正統的
ただし、30代の頃に医学を学び、第二次大戦でレジスタンス運動に加わり、医療行為を行っていたことがある、というのが唯一の例外。
『正常と病理』 
病理というのは、正常状態からの量的変化か否か
→カンギレムは、何らかのパラメータの増減に病気は還元されないと主張する
 

また「生気論」にも光を当てる
生理的な反射について、機械論的な機構っぽいが、しかし実際に反射を研究してきたのは生気論の科学者で、生気論にも科学的生産性があったことを論じている、と。


エピステモロジーについては、興味がありつつ、なかなか手を出せていない。
はるか昔に『バシュラール―科学と詩』金森修 - logical cypher scape2を読んだが、全然もう覚えてないし、フランソワ・ダゴニェ『具象空間の認識論』(金森修訳)(中断中) - logical cypher scape2は挫折中。

参考文献

章ごとに筆者からいろいろコメントがついている(まったくコメントをつけていない人もいるが)