論文集なので、章ごとの独立性が結構高いけれども、大きくは3つの部分に分けられている。
すなわち
第一部科学哲学の構造転換
第二部「知識の全体論」をめぐって
第三部ウィトゲンシュタインの問題圏
である。
第一部
新科学哲学、すなわち、論理実証主義的な科学哲学に対する、ハンソン「観察の理論負荷性」、クーン「パラダイム論」、「デュエム・クワインのテーゼ」などによる批判*1によって始まった科学哲学を基盤にして、「科学の解釈学」を素描する試み。
全体論や概念枠というものを肯定的に捉え、決定実験とか中立的な観察言語とかそういうものは認めない。
一方で、それが単なる相対主義に陥らないために、<自然性>ないし「生活世界のアプリオリ」という概念を導入する*2。
解釈学という名の通り、科学というのは自然というテクストを解釈していく営みだと考える。
また、従来の科学史の語られ方や科学のあり方が、ビルドゥングスロマン的な形式をなぞっている、つまりそういう「メタ物語=大きな物語」に従っているのではないか、という指摘も面白い。
また、科学論とサイエンスウォーズについても解説されている。
科学論というのは、科学史、科学哲学、科学社会学の三位一体(?)
第二部
クワインの全体論は肯定しつつ、認識論の自然化には反対する。
全体論からは、認識論の自然化が必然的に導かれるのではなく、別の方途もあるはずだということが主張される。
そこで、ネオ・プラグマティズムが参照される。
これはクワインやグッドマン、ホワイトなどを指し、現在ではパトナム、ローティがそれを継いでいる。
クワインが、自然化ないし物理主義の道をとったとするのであれば、
グッドマンは、多元主義の道をとった。
また、自然化に歯止めをかけるパトナム、自然化をより徹底化させるローティと整理されている。
第三部
ウィトゲンシュタインの「アスペクト」という問題を巡って、
『論考』期、中期、『探求』期にかけてのウィトゲンシュタインの思想を追い、彼の問題意識の一貫性と変化を追う。
この「アスペクト」の話は、ハンソンの理論負荷性と繋がるので、科学哲学と関係なくはないが、第一部や第二部の議論とはやや離れている。
しかしこの「アスペクト」の話は面白い。野家は、「アスペクト」転換と隠喩的想像力というのを結びつけて考えている。また、演じることができる能力とアスペクト転換の能力の関係など、「想像力」といったものを巡って考えるのも面白い。
また、これは読んでいてふと思ったことだが、クオリアなり自己認識なり自己知なりといった問題*3と何か関係するような気がしたりした。読み進めるうちに、ちょっと違うなあという気もしたが。
そこそこに長い本で、あちこち線を引きながら読んだんだけど、かなりざっくりしたまとめになってしまったなあ。
しかし、細かく書き始めるとキリがないんだよなあ、多分。
科学哲学というのは面白いなあということ。
- 作者: 野家啓一
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