Milena Ivanova「科学の美的価値」

原題は、Aesthetic Values in Science
科学において、「この理論は美しい」とかいった形で、美や美的価値に言及されることがあるけれど、これは科学においてどういう役割を果たしているのか、という論文
筆者は、科学哲学が専門で、ケンブリッジ大学所属


以前、科学における美とは何か - logical cypher scape2という記事を書いたが、科学と美の関係はちょっと気になっている。

philpapers.org

1.Introduction
2.Aesthetic Judgement and Science
3.Beauty and Aesthetic Value
4.Truth and Beauty
5.Aesthetic Value and Understanding
6.Conclusion

2.美的判断と科学Aesthetic Judgement and Science

まず、科学と美に関する様々な見解が紹介される。

  • 科学において美的価値は、動機としての役割を果たす(ポワンカレ)
  • ヒューリスティックとしての役割を果たす(マッハ)
  • 美と真の間には特別な関係がある(ディラックハイゼンベルク、ワトソン、チャンドラセカール)
  • 科学のプロダクト(理論等)を芸術作品とみなす(デュエム、ラザフォード)
  • 美的感覚能力によって有用な理論を選ぶ(ポワンカレ、フォン・ノイマンデュエム
  • 科学的表象への注目による美学と科学哲学の接近

美的判断が科学者にとって真正な認識的な役割を果たしているという考えに対する懐疑論もある
例えば、科学者が使っている美的な語は、他の語に還元できるとか
発見の文脈と正当化の文脈の区別にのっとると、美的なものは主観的であり、発見の文脈と関わるものであって、客観的なのは、正当化の文脈であるとか
懐疑論に対する再反論もある(Cellucci)

数学と、絵や音楽とで、脳の同じ部位が反応しているという研究もある(ゼキ)


3.美と美的価値Beauty and Aesthetic Value

美beautyは客観的か? それとも見てる人の投影か?
客観主義者は、美は永続的なものだと考える。
投影主義者は、美はダイナミックな概念で、時代によって異なると考える。
芸術における美は時代や流行によって変化するとしても、科学における美は客観的・普遍的だと考える科学者もいる(ディラック


多くの科学者は、美beautyの概念を、他の美的性質aesthetic propeties(単純性、対称性、調和、統一など)に還元して理解している
ただ、このような美的性質も、時に応じて変化している
McAllisterは、科学史の中から美的概念の変化の事例を挙げている。
また、分野によっても異なる(生物学は、複雑性を評価する)
理論を作るときか、現象を学ぶときかといった文脈によっても異なる(現象においては、対称性を破るものが美しいと考えられ、理論においては、対称性が求められる)
科学において、美的に評価されるものは多様(理論だけでなく、数学の証明、科学的発見、実験、観察、モデルなど)

4.真と美Truth and Beauty

美的価値は、理論の信頼性を正当化するという認識論的役割をもっているというMcAllisterの主張が、この節では検討されている。

  • McAllister

美的価値が科学的理論の信頼性を正当化する
その美的価値は、過去の成功した理論の美的性質に基づく
過去の成功した理論について、心理学でいうところの接触効果によって、科学者は美的に好むようになる
美と結びついた概念は、ダイナミックに変化するとMcAllisterは考えている
この変化と、科学理論の移り変わりを、結び付けている

  • 反論

(1)歴史的に一定な価値もある(単純性とか統一性とか)
(2)成功している理論の性質だけど美的価値とされていないものもある。複雑な理論や証明が成功しているけれど、それで単純さよりも複雑さがより評価されるようになった、ということでもない
(3)接触効果だけでは、美的価値が増さないことを示す近年の研究がある

5.美的価値と理解Aesthetic Value and Understanding

美的価値には、他の認識論的役割があるのではないか
真であることと結びついているのではなくて、理解することを結びついているのではないか。
理解することと知ることとは異なる
理解にとって、真であることは必要ない
理解とは、法則や原理を適用できること、理論を使ったり操ったりできること
もし、理解に真が必要だと、過去の科学者は、今から見ると誤りだが当時は経験的に成功していた理論について、理解を欠いていたことになる
理解にとって美的価値が役割を果たしているという主張がある(Kosso(2002)、Breitenbach(2013))
科学における美的判断は、世界の客観的特徴についてのものではなく、我々自身の経験を反映しているもの
まるっきり主観的というわけではなく、間主観的
美的価値と理解の関係についての見解と、ポアンカレの見解をあわせると、科学の目的は、真理ではなくて現象の理解ということになる。
ポアンカレは、一見結びつかない現象がどのように統合されるか把握された時に、美が感じられるといっている。