各分野の著名人・専門家50人に「お気に入りの、深遠で、エレガントで、美しいセオリーは何か?」に答えてもらう企画
もともと、『知のトップランナー149人の美しいセオリー』という海外の本があって、それの日本版というもの。元ネタの方は読んでない。
生物学、地球科学、物理学、数学、社会科学、哲学などなどといった諸分野から50人が選ばれているので、様々な分野を広く概観できる一冊として読むこともできる。
一方で、そもそも「美しいセオリーとは何か」という視点からも読むことができる。
書き手の方もそれぞれで、前者に振っている人、後者に振っている人、両者の観点をそれぞれ取り入れようとしている人がいる。
まあ、一つ一つの記事は短いので、そこはよしあし。
養老孟司 面白さは多様性に宿る
まあ、談話だからなー
単純さと美しさや真理は関係ないのでは、という指摘は「ふむ」と思ったけど、まあうん
茂木健一郎 美しいセオリーはない。
塚田稔 脳の美しい記憶ダイナミックス 神経回路網の分割とダイナミックス
池田清彦 美しい理論と現象整合性
進化論の話
マーティン・J・S・ラドウィック『化石の意味』 - logical cypher scape読んだばかりだから、キュビエとラマルクの紹介に納得がいかないけどw
ここでは、美しさを「シンプルさ」と置き換えている(人間の脳は、シンプルさを美しく感じる、と)。そのうえで、生物学が発展にするにつれて、自然の複雑さがわかってきて、美しさと現象整合性の両方を満たすのは難しくなっている、と
倉谷滋 銀河英雄自然選択伝説 科学的に美しいセオリーとは何か?
冒頭から「美しいセオリー」というテーマ設定にかみついているw
ここでも「美しさ」と「単純さ」を並べることを批判している
また、ダーウィン進化論はセオリーかと問いただす(「こういう特集では必ずダーウィンを持ち出す輩がいる」と書いてて、いや、たった一つ前で長谷川さんがww って笑ってしまった)
倉谷さんが美しいセオリーとしてあげるのは、ヘッケルの反復説
美しいセオリーとは正しいセオリーのことで、人間の理解可能性とは独立している、と締めている
渡辺政隆 聖女のお告げ
こちらも進化論
長沼毅 どんなものでも、どこにでも
タイトル通りで、これは生物地理学の仮説だそう
実際には旗色悪くなっている仮説らしいが、ここから微生物学の話をしている
郡司ペギオ幸夫 生命理論の存在様式 トマス・ブラウンの壺葬論
岡ノ谷一夫 ハンディキャップの原理
まあ、これもタイトルにあるとおり
「余剰装飾の原理」と訳したほうがいいのでは、という指摘があった。なるほど。
2ページと短い
山極寿一 美しいセオリーはときには危険な道を開く
「暴力は共感性の暴発から起こった」という山極自身が抱いている仮説について
佐藤文隆 排他律というお呪い
川上紳一 ミランコビッチ理論 地球科学におけるエレガントな理論
ミランコビッチ理論とは、氷期・間氷期のサイクルを、地球の軌道や地軸の傾きから導き出す理論
一度は、観測データとの不一致が大きくなって忘れられたが、1976年に別のデータから復活する。
ミランコビッチ理論が何故エレガントか、という理由として、理論に内在的な理由よりもむしろ、ミランコビッチという科学者が生涯をかけて作り上げたこと(ちなみに彼は第一次大戦中に戦争捕虜となったさなかにも研究を続けていた)と、それが一度忘れられながらも復活したことといった、その理論が辿った経緯を挙げていることが、他と違う理由に思えて面白い。
佐藤勝彦 物理法則、相対性理論は美しい
基本的には、タイトル通り相対性理論の話だが、美しいセオリーとは何かについての見解が、模範的な科学者という感じがある。
例えば「私の好きな言葉は「美は真、真は美」という、イギリスの詩人、キーツの言葉だ。」と美と真の結びつきを挙げている。ホーキングから、「真は美だが、美は必ずしも真ではない」と言われたそうだが(それにしてもこれも美と真を結び付けており、池田や倉谷といった生物学者組と見解が異なるのが、ほんとお手本のように見事に表れている)、それでも美の探求が真へと導かれる、と美による真の発見を説いている。
物理法則の美しさとして、対称性を挙げつつも、それだけではなく、対称性の破れも挙げている。
また、美とは何かという問いは、進化心理学において説明可能である、とも述べている。
細谷曉夫 アインシュタインの特殊相対性理論
特殊相対性理論の美しさの理由として、「数学的な洗練度」でも「仮定の単純さと結論の重大さ」でもなく、「その論法が操作的」であることを挙げている。
実際、アインシュタインの論文の構成を説明し、現在、一般的な説明の仕方と少し異なっていることを説明している。
松野孝一郎 見果てぬ夢としての古典論から量子論へ
池上高志 物理学の理論はアクロバティックである。
美しい理論は、難しさの崎に垣間見えるもの
「スピングラスの理論」というものを紹介している
美しさの理由として「様々な解釈可能性」を挙げている。
黒川信重 絶対数学 数学の究極単純理論
タイトル通り「絶対数学」という分野について紹介している。
「この文章によって、絶対数学という究極的に単純な数学があるということを一人でも多くの人に知って」もらいたいとのことである。
砂田利一 美しさは邂逅にあり
オイラーの公式とかリーマン予想とかの話?
数学の研究に伴い、数学の中の異なる分野同士が「邂逅」したという話がされていて、様々な理論の思いもよらない出会いに美しさを感じているらしい。
渕野昌 美は一本の毛で男をひつぱるだろう
冒頭で、美とは何か、数学とは何かと問い直しつつ、むしろ、国籍も文化もばらばらでありながらも数学者同士で話すと、「数学の美」について話がかみ合ってしまうという経験が書かれている。
そのうえで、どんな時に数学の美を感じるかを挙げていて、分かりやすくて面白い。
(1)深淵な定理に容易に理解できる短い証明が与えられたとき
(2)「遠いものの連結」(西脇順三郎が詩の定義としたもの)
(3)定理の証明などが、(1)とは逆に簡単ではなく、複雑で精緻な展開がなされているとき
(4)得られた結果が予想を大きく裏切るとき(驚きを美として感じるという)
この4つの共通点としてさらに、人間の思考能力の限界と関わっているのではないかとも論じている。
数学の美は、「超越的で永遠の感覚を伴ったもの」でありつつも、人間の限界という、人間的なものでもある、と。
高瀬正仁 数学を創造する心 数学における「美」とは何か
客観的な「数学的な美」はないが、歴史上、数学者が美しいと語ることは何度もあったとして、それら数学史の中の出来事を列挙している。
タイトルにあるとおり、ガウスやベルヌーイ、岡潔らの創造の心に美が宿っているという結論
三宅陽一郎 理論を包むビジョン 科学、工学、哲学、そして人工知能
美しさの話はあまりなく、人工知能研究は、科学、工学、哲学の三位一体という話がされている
(こういうところが美しい、と多少触れられてはいるが)
岡田美智男 モジモジ感から醸し出される〈内的説得力〉
とあるロボットにティッシュくばりをやらせてみたところ、なかなか受け取ってもらえなかったが、モジモジしたように見える手の動きや、学生の手作りのため、どこかヨタヨタとした雰囲気のせいか、おばあちゃんが「受け取ってくれた」という話を紹介したうえで、
お気に入りのセオリーとして、バフチンの「不完結な言葉は、内的説得力をもつ」という言葉を挙げている。
このロボットの不完結さが、おばあちゃんから、ティッシュを受け取るという対話・協力を引き出したのではないか、と
柄沢祐輔 スモールワールド・ネットワーク
スモールワールド・ネットワークと建築
山内朋樹 動いている庭 迂回、すなわち技巧
この人、肩書が「美学/庭園論/庭師」となっている。
ジル・クレマンというフランスの庭師が1985年に提起した「動いている庭」という理論が紹介されている。
勝手に生えてきた植物を刈らずにそのままにしておいて、植物の生える場所が年々動いていくということを組み込んで、庭を作っていくという話、らしい。
河本英夫 美と真
森山徹 カラスの投石
エッセイのような短編小説のような4ページだった。
比較心理学の人らしい
山本貴光 理論の理論 世界を理解する方法
「理論」や「セオリー」の語源。漢語の「理論」は英語のtheoryよりも古く「論じること」に重点。
ギリシア語の「テオーリアー」は「見ること」「見られるもの」といった意味。
アインシュタインが残したという、経験と公理、命題、理論の関係についてのスケッチの紹介。
飯田隆 論理学から形而上学を引き出す
ウィトゲンシュタインの『論考』について
何故そこに人が魅了されてしまったかという理由として、タイトルにある「論理学から形而上学を引き出」しているように見えることを挙げる。
現在では、一階述語論理や標準論理だけでなく、さまざな拡張論理などがあることにふれ、論理学の理論は一つではなく、むしろ他の形而上学やプラグマティックな配慮によって決められるとし、論理学から形而上学を引き出すような理論は決して美しはないと述べている(それでも哲学者はそれに魅了されてしまう、とも)
坂井豊貴 美は重要ではない
タイトルは、留学先の教授の言葉
理論を作る際に、美を目的にしてはならない、とでも言えるのかもしれない。
坂井は、理論に美しさを感じることは認めるが、それはむしろ人を惑わしてしまうものである、というところから「美は重要ではない」という言葉を重視する。
人をその美しさによって惑わす理論の代表例として、アローの不可能性定理を挙げている。
三浦俊彦 神視界の人間的彩色 ベイズの定理
「美しい」を統一度、複雑性、人間的性質の三要素で定義した美学者がいるらしい。
で、これに当てはまる理論として「ベイズの定理」を挙げている。
「モンティ・ホール問題」と並ぶものとして「子供の性別問題」というのを紹介している。
「私には二人の子供がいて、少なくとも一人は男である。二人とも男の確率は何でしょう?」という問題。
ベイズの定理は、神の視点であるはずの数学に、発話の文脈、ストーリー上の視点、そういったものを持ち込んでしまうものなのだ、と。そこが人間的性質だ、と。
「モンティ・ホール問題」って何回説明読んでもいまいちよくわからなかったけど、こっちの話は「なるほどー」と思った。単に、「少なくとも一人は男である」時の条件付き確率なんじゃなくて、「少なくとも一人は男であると親が述べている」時の確率だ、と。
高橋昌一郎 「美しいセオリー」シンポジウム開幕!
あーなんなんだろうなー
またシンポだよ、っていう。
しかも自分の本の宣伝だよっていう。
伊藤邦武 宇宙論における美的調和の導出
納富信留 美を観想すること、あるいは、魂の出産
「美を観想する」とはどういうことか。観想はセオリーのギリシア語語源の方。
うーん、これもうちょっとちゃんと読んでおくといいんだろうなあという予感は抱きつつも、後半になってきてちょっと疲れてしまい、内容把握できぬまま。