『新潮2026年4月号』

工藤郁子「才能の民主化とAI」

最近、といっても1ヶ月前だが、以下の動画を見た
www.youtube.com

工藤さんがゲスト出演していたわけだが、その理由は、山本さんと吉川さんが『新潮』に掲載された工藤さんのコラムを読んだためで、この動画も主にはこのコラムの内容を巡って話が進んでいく。
この動画が面白かったので、コラムの方も読んでみようと思ったのが、今回この『新潮』を手に取ったきっかけである。
AIは、今のところ、クオリティの点では微妙であるが、文章を書いたりプログラムを書いたりし始めるハードルを下げてくる、という話を自分の経験をもとに始めつつ、「才能の民主化」あるいは「才能の共産化」と言われる事態への、一抹の違和感が綴られている。
民主化とはいうけれど、民主化というのは権力や統治の構造が開かれることも含まれるはず(結局、企業に要所を握られているのは民主化か)とか
「確率論的オウム」が、しかし思いのほか役に立つのは、表象の空間が思っていた以上にずっと「世界」だったのかとか、技術はランドスケープを変容させるが、それを前に、我々の感情の起伏は簡単には変化しないとか、気が利いているなと思う。

下西風澄「撤退戦としてのリベラリズム」

選挙の結果を受けてのコラム
20世紀後半、リベラリズム思想が実現したのは、ある種の余裕があったからで、その余裕が世界的に失われつつある今、フルスペックでの実現は諦めて、撤退戦を展開せざるをえない。その自覚がなければまた負けるだろう、というような話

今村夏子「先生のおりがみ」

学童の話
主人公のるりは、母親が学童の申し込みを忘れたため、小学校に入学する4月に一人で留守番をすることになり、それが怖くてたまらなかったので、なんとか学童に入れてもらったが、そこもあまり居心地はよくなかった
なぜかといえば、よくわからないルールが色々あるからだった。そして、それは奥野先生という、ほとんど子どもたちと遊ばないのに、注意だけしてくる先生に要因があることがわかってくる。
子どもたちは当然奥野先生を嫌っており、るりも苦手ではあったが、しかしみんなほど奥野先生のことを嫌いになるわけでもなかった。
物語は、るりがそのまま高学年になっていくところまで進む
毎年、長期休暇には大学生のアルバイトもきて、そうやってくるアルバイトもやはり奥野先生を嫌がるのだが、るりが6年生の時にやってきた男子大学生は、そうではなかった。なんとなく奥野先生もリラックスしてきて子どもたちと一緒に遊んだりして、規律がゆるくなるが……
タイトルにあるおりがみは、奥野先生がいつも折っている。子どもたちは暇つぶしにやっているんだと口さがないが、るりは2年生のころ、奥野先生が子どもたちの無事を祈って追っているもので、子どもたちを守るパワーがこめられているのだと教えられていた。
まあ、結局どうだったかはよくわからないんだけども


高山羽根子「ツクモガミ」

連作と連載の違いは一体? 連作だからこれだけ読んでもわかるかなあと思って読んでみたけど、普通に、話の途中から話の途中までだった。
主人公は、なんか山に登るにあたって現地のガイドを必要としている。で、AIだかロボットだかを一緒に連れて行こうとしているが、現地のガイドがそれをよく思っていなくて、それの折衝しているシーンだった。
動物や道具と同じじゃないか、といって説得しようとする主人公
 

佐藤良明「『ワン・バトル・アフター・アナザー』と『ヴァインランド』──分断をすり抜けるピンチョンに共嗚するアンダーソン」

映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』と、その原案となった(inspired by としてクレジットされている)ピンチョンの『ヴァインランド』を比較していく
だいぶ違うところもあるようだが、アンダーソンはピンチョンのどこにインスパイアされたのか。
ピンチョンは、『ヴァインランド』を期に大きく作風が変わったらしいのだが、当時、それの評価はあんまり芳しくなかったらしい。
しかし、そうやって変わったところを、アンダーソンは受け継いだのではないか、と
つまり、バトルから身を引くことに本作の主題はあり、シリアスではなくユーモアでサヴァイブしていくこと……
というふうにまとめていいのか、映画も見てないし、小説も読んでいないので、よくわからないけれど、『ワン・バトル・アフター・アナザー』は見たいと思っている。

池澤夏樹×田口耕平「教室で読む文学(第2回)横光利一「蠅」」

田口は高校の国語教師
「蠅」を実際に授業で読んだ際の話をしている
指導要領が変わり、小説に割ける時間数が減る中で、「蠅」のような短編小説はよき教材になる可能性があるという
一般的に学校国語では、登場人物に感情移入して読む「同化読み」が推奨されているが、「蠅」は同化読みがしにくいという論文がある。
対して田口は、実際に生徒たちに読ませてみると、生徒たちは同化読みをする。農婦に肩入れして、馭者をダメな奴とする読み方をする。
しかし「蠅」はそういう小説かといえばそうではない。馭者は本当にダメ馭者なのか。細かく読んでいくと、そうではないのではないかという仕掛けがある。
農婦に感情移入して読むと、他の登場人物たちの存在理由がよくわからなくなるが、無駄な描写なのか・
「蠅」はそうやって、読みを深めていくことができるという点で、よい教材になるのだと田口は言うが、一方で、指導書などは単にダメ馭者的な観点からしか解説を書いていない、と。

発掘される小説 速水健朗

鴻巣友季子『なぜ日本文学は英米で人気があるのか』書評
イギリスの雑誌『ブックセラー』の翻訳小説ベストセラー・トップ50の中に日本の小説が23作入っている
で、へえと思ったのは、そのうち11作が「ヒーリング・フィクション」という日本ではあまりなじみのないジャンルで括られているというところ。