Dominic M. Lopes "Drawing Lessons"

画像の認知的価値と美的価値の関係について
ロペスの画像・絵画の価値に関する論集の第4章にあたる論文
同じ本の第2章は以前読んだ
D.Lopes "The 'Air' of Pictures" - logical cypher scape2

個人的には、画像や絵画が、どのような知識がどのように伝えうるのか、という興味から読み始めた。
この論文の前半部は、まさにそのような観点から読むことができるが、後半部からは、認知的価値というのが、知識を伝えることにあるのではなく、知的な徳を涵養することにあるのではないかという観点へと移っていく。
そういう意味では、もともと持っていた自分の関心とはズレがあったが、こんなところにこんな風に「徳」が顔を出してくるのかーという点では面白かった


pictureは、絵画も写真も両方指す語として用いられる。ここでは、一括して画像と訳す。

Cognitivism

画像には、認知的よさと美的よさの両方をもつものもあれば、認知的デメリットと美的デメリットの両方を持つものもあるが、その一致は常に偶然であると考えるのが自律主義
そうした一致には偶然でないものもあると考えるのが、認知主義
この論文は、後者を主張しようとするもの

Knowing Pictures

絵画が知識に貢献するのなら認知的よさがあるのではないか

  • Knowing in, through, and about

画像について知ること
画像を通して知ること
画像の中で知ること、に分類
なお、例としてレンブラントの「ベルシャザールの饗宴」を使って説明されている
「この絵の作者はレンブラントだ」とかは、画像について知ること
ここで問題になるのは、画像の中で知ること
画像に描かれている内容を知ること

  • knowledge and warrant

知識は正当化された(warrant)真なる信念

  • statement blue or green

知識は命題だが、画像は命題ではないのではないか
画像は命題ではないが、画像は命題を主張することはできるのではないか。
知覚的信念の内容を「知覚的報告」と呼ぶことにする。知覚的報告は、知覚されているシーンの中に出てくるモノについての命題
同様に、描かれたシーンの「画像的報告」というのは、描かれたシーンの中のモノについての命題
画像は、画像的報告であるような命題を主張するのではないか。
が、これは広すぎるし、狭すぎる。
まず、1つの画像と結びつく画像的報告は無限にある。画像は、ほとんどの画像的報告が偽であったとしても、真なるステートメントを作ることがある
また、逆に、画像的報告にないような命題を主張しているようなこともある。


画像がpを主張してるというのは、画像がpを主張してるという仮説が、画像がその画像内容をもつことについてのもっともよい説明になっている時、その時に限る
これは、もし画像がグライス的なコミュニケーションの規範に適合するようになっているなら、合理的な仮定。


なお、この節からはラング「出稼ぎ労働者の母」を例に挙げて説明している

  • the limits of warrant

ある画像がある命題を主張しているとして、それは正当化warrantされるのか
まず、知覚的信念についてのwarrant schemaを示し、それと対比させる。
ノーマルな状況でノーマルな状態の観察者がみた知覚的報告は真である蓋然性が高いよね、という奴
画像の中で知ることを正当化するための2つの候補は、1つは画像の内容と画像的報告、もう1つは制作についての事実
前者をwarrant schemaに当てはまると、「画像的報告は真である蓋然性が高い」というのが明らかに偽
後者は、例えば写真的プロセスで作られたなら、真である可能性が高いとか、どこどこに掲載されてるなら、真である可能性が高いとか


なるほど、画像内容から知識を得ることはでかかるかもしれない
しかし、それは認知主義が正しいことにはならない
自律主義も、画像から知識を得られることによって画像が認知的よさを持つことは認めるけど、それが美的なよさを含意してることは認めない


認知主義は、作品のメッセージが美的価値と繋がってることはあるのではないか、と論じるかもしれないが、批評が重視するような要素は、そのメッセージの説得力であって、そのメッセージが真であるかや正当化されているかではない(美的に評価される時に、認知的価値と関わる要素は見られていない)

  • beyond truth and warrant

Virtuous Vision

認知的評価は、信念の特質(insightfulとかopen-mindedとかnarrowとかconfusedとか)もターゲットにする
認知的な目的は、知的な徳intellectual virtureを通して達成される
知的な徳を持つことは認知的なよさ
画像は、知的な徳を涵養することに貢献することで認知的な価値を持つのではないか

  • intellectual virture

知的な徳とは何かについての説明
外在主義と内在主義で、徳についての説明が違うことなど

  • fine observation

画像を鑑賞する時に、知識を獲得したりしようとしているわけでは必ずしもなくて、知的な徳のエクササイズ
実際に、画像は、知的な徳を涵養してるのか。
画像が見る者に対して要求するものが、知的な徳を強化するなら、そう言えるのではないか。
画像が見る者に対して求めるのは、よき観察者であること
よき観察者として求めること
(1)deliacacy of discrimination
(2)accuracy in seeing
(3)adaptability of seeing

Aesthetic Ascent

最後の節は、当然この論文の結論部で、画像が知的な徳を涵養することと、その画像の美的な価値がどのように関わっているか論じている箇所となっているが、省略する

  • cognitic -- aesthetic
  • Cognitivist criticism
  • fine seeing-in