Stephen Chadwick「星々の中の想像――芸術的天文写真における想像の役割」

Stephen Chadwick
Imagination in the Stars: The Role of the Imagination in Artistic Astronomical Photography
https://www.contempaesthetics.org/newvolume/pages/article.php?articleID=770


ナンバさんが紹介していたこの論文と、同じ著者で同じ雑誌に掲載されていた論文
天文写真における想像の役割ということで、科学と美や芸術の関係であったりとか、写真の透明性とか写真の定義とかの話と絡んでいるのかなーと思い、読んでみた。
結果的には、示唆が得られたとかそういうところはあまりなかったけど、まあ。ぱらぱらと読む分には面白かったし、折角読んだのでメモる。


「観察に基づく絵画」「芸術写真」「芸術的天文写真」という3つのジャンルを比較するという形をとって、これらの制作行為のなかで想像が果たす役割を4つあげ、その4つがそれぞれ3つにおいてどのように働いているかを論じている。


鑑賞側ではなく、制作側から論じているというのはポイントかもしれない。
また、筆者はマッセー大学(NZ)で哲学と天文学の講師であり、なおかつ天文写真家でもある

1. Artistic and scientific astronomical photographs
2. The imagination
3. Imagination in observational painting
4. Imagination in traditional artistic photography
5. The creation of artistic astronomical photographs
6. Imagination in artistic astronomical photography
7. Conclusion

1. 芸術的天文写真と科学的天文写真Artistic and scientific astronomical photographs

科学的な目的で撮影される天文写真とは別に、非科学者が、美的な経験を目的として撮影する写真がある。ここではそれを、芸術的天文写真と呼ぶことにする、と。

2. 想像The imagination

筆者は、作品の創作における想像の役割に興味がある。
本論で筆者は「芸術的天文写真の制作において想像が働く方法」と「観察にもどつく絵画の制作において想像が働く方法」とを比較する。
「観察に基づく絵画」とは、記憶や想像の中ではなくて、目の前にあるシーンを描写する絵画のこと
ただし、写実的である必要はない。
例えば、ゴッホの「ヒバリのいる麦畑」も、観察に基づく絵画の一例

3. 観察に基づく絵画における想像Imagination in observational painting

想像は、4つの重要な働きをしている
(1)描かれる主題・情景・パースペクティブの選択
環境にある事物が、ウォルトンのいうところの「想像のプロンプター」となって、想像を促す
(2)細部を取り除く
モデルの首にあるネックレスとか、草原の中にいる馬とかを、画家は描かないこともできる
(3)要素を付け加える
逆に、ネックレスや馬を付け加えることもできる
(4)どのように描くかを考慮する
色や影、筆触などをどのようにするか

4. 伝統的な芸術写真における想像Imagination in traditional artistic photography

写真は、作者の信念に影響されないとか、反事実的な依存があるとか、機械的であるとか言われるけれど、想像が重要な役割を果たしていて、機械的ではないのだとして、筆者は、写真において、先にあげた4つがどのように働くか(あるいは働かないか)を述べている
(1)写真に撮るシーンを決める
(2)細部を取り除く
被写界深度や露出時間を利用すれば、いらないと思ったものを写さないことは可能
(3)要素を付け加える、は伝統的な写真においてはない
(4)

デジタル写真について
デジタル写真は、生データをソフトウェアが調節・加工して生成される
加工した写真は写真なのかと問われるかもしれないが、デジタル写真にとってソフトウェアによる加工は不可欠
どこまでの加工なら許容できるか、という問題になるが、これは線引きが難しく、曖昧性のある問題
自然な見た目と異なっているかどうかが、写真か(写真に基づく)絵画かを分ける基準になるのではないか
「自然な見た目と異なっているかどうか」も、もちろん曖昧にならざるをえない基準だけれども、筆者は、要素を取り除くのはOKだけど、付け加えるのはNG、という基準をここでは提案している。
この基準について、例えば、ニキビを取り除くような加工の場合、写真の誠実性を損なったとは感じないけれど、他の写真から切り取ってきた馬を挿入したら、それを損なうように感じるよね、と述べている。

5. 芸術的天文写真の創造The creation of artistic astronomical photographs

天文写真は、普通の写真とは事情が異なっているところがあることが説明されている
本論は基本的にデジタル写真の話をしているが、先に述べたように、デジタル写真は元データをソフトウェアが調節している
ただ、こういうソフトウェアは、日常的な対象向けに作られているので、天文写真では使えず、マニュアルで調整・加工をしないといけない
明度、コントラスト、カラーバランスの調整など、天文写真の対象は、肉眼では見ることができないものなので、「自然な見た目」のような規準がなくて、写真家が想像力を発揮しないといけない、

6. 芸術的天文写真における想像Imagination in artistic astronomical photography

想像の4つの役割はどのように働いているか
(1)
対象をプロンプターとするのではなく、(対象を肉眼で見ることができないので)写真をプロンプターとする
事前に撮った写真から想像が促され、写真にとる主題・対象を選び出す
(2)
天文写真においては、被写界深度や露光時間を使って、取り除くことができない
(3)
何かを加えるという形での想像の働せ方を、芸術的天文写真では行っていない
(4)
対象が肉眼で見えないので、写真的誠実性を損なっているかどうかの基準がない
基準が不在ということは何でもありななのか? なんでもありだとすると、それはもう写真ではないのではないか
これに対して、筆者はそうではないという
芸術的天文写真には他の基準があって、例えば、科学的メカニズムの理解がその基準となっている

感想

制作にあたって、想像が果たす役割を4つあげて、それを比較していくというのは面白かったけど
写真としての基準を満たすかどうか考えるにあたって、取り除くのはありだけど、付け加えるのはだめ、何故なら、後者は不自然だけど、前者は不自然に感じないから、みたいな話は、何というかさすがに実感的なものに寄りすぎていて、それでいいのだろうかという感じもする
もちろん、この基準自体、別にそこまできっちりしたものではなくて、色々曖昧なところがあたり決め難かったりするところがあって、とりあえずこのあたりじゃない、というくらいのものであって、きっちり証明しようと思っているものでもなさそうなので、まあそんなところかなあと思えばそんなところだなあと思うが。