ドミニク・ロペス『画像を理解する』

Dominic Lopes "Understanding Pictures"
ドミニク・ロペスによる描写の哲学の入門書
同じテーマのものとして過去に読んだものは
ジョン・カルヴィッキ『イメージ』(John V. KULVICKI "Images")前半(1〜5章) - logical cypher scape2
ジョン・カルヴィッキ『イメージ』(John V. KULVICKI "Images")後半(6〜9章) - logical cypher scape2
ネルソン・グッドマン『芸術の言語』(戸澤義夫・松永伸司訳) - logical cypher scape2
S.E.P.「Depiction描写」 - logical cypher scape2
Mulcom Budd “How pictures look” (マルコム・バッド「画像はどのように見えるか」) - logical cypher scape2
リチャード・ウォルハイム「画像的表象について」 - logical cypher scape2
ベンス・ナナイ「画像知覚と二つの視覚サブシステム」 - logical cypher scape2
ベンス・ナナイ「画像知覚と二つの視覚サブシステム」 - logical cypher scape2
ケンダル・ウォルトン「表象は記号か」 - logical cypher scape2

描写について説明する立場としては、経験説、類似説、記号説、ごっこ遊び説、再認説がある。
この本では、第1部で類似説と経験説、第2部で記号説とごっこ遊び説、第3部で再認説、第4部で応用的な話という構成
第1部と第2部において、描写の理論における各説(ロペスにとってはライバルの立場)の紹介、3部と4部がロペスの立場ということになる。
なお、カルヴィッキとグッドマンが記号説、バッドは類似説、ウォルハイムとナナイは経験説、ウォルトンごっこ遊び説
第1部は、知覚的なものとして画像を説明する立場
第2部は、シンボル的なものとして画像を説明する立場
とロペスは整理していて、自身の再認説は、この両者を折衷するものとしているようだ。
その際、ガレス・エヴァンズを持ってくることによって、知覚と記号とを結びつけている。


また、第1部と第2部において、描写の理論に求められる制約条件を洗い出している。
多様性制約
現象学的制約
二面性制約
能力制約
再認説はこれらをうまく説明出来るよ、という組み立てになっている。


ロペスは自分の説のことを、aspect-recognition theoryと読んでいる。
描写を、アスペクトと再認という2つから特徴付けている。
アスペクト」というのは、簡単に言ってしまうと、見ているもの(コミットメント)と見えていないもの(非コミットメント)がある、という特徴。
遠近法に従って描かれた絵であれば、奥にあるものは手前にあるものに隠れて見えなかったりするだろうし(明示的非コミットメント)、
線が省略気味に描かれている漫画であれば、人間の鼻が(実際にないわけではないのに)なかったりするだろう(暗黙的非コミットメント)
アスペクトは、画像的表象が、他の表象(例えば言語とか)とどこが違うのかということを説明するし、また、画像の多様性の説明にも使われる。


「再認」というのは、画像に描写されている対象が何か分かるのは、実際にその対象を見たときにその対象が何か分かるという再認能力と同じ再認能力が働いている時である、ということ。
例えば、ある絵がヒマワリの絵であるというのはどういうことかというと、ある花がヒマワリだと再認する能力でヒマワリだと再認できるから。何故、再認できるのかというと、エヴァンズの情報システムという考えを援用して、ヒマワリの絵がヒマワリの情報を運んでいるから、と述べている。
(なお、他の立場について簡単に説明すると、以下のようになるだろう。「ある絵がヒマワリの絵であるのは、ヒマワリの視覚経験を引き起こすから」「ヒマワリと類似しているから」「ヒマワリのメイクビリーブをするための小道具となっているから」「ヒマワリを指示する記号だから」)



第4部の応用編では、フィクションの画像と、変奏としての画像を扱っている
後者は、ピカソが描いた《草上の朝食》とか、他の画家が描いた絵をさらに描いているような絵についての話。

recognitionの訳語について

この記事を6/24公開時には、recognitionを「認知」と訳していたが、松永さんより「再認」と訳すのではないかとの指摘を受け、これに置き換えた
https://twitter.com/zmzizm/status/1010923068410097665
ロペスは、recognitionを、以前見たものを再び見たときに同じものだと同定する能力だと述べているので、確かに「再認」の方が、ロペスのいうところのrecognitionをより適切にあらわしていると思う。



I Pictures as Perceptual
1: Representation and Resemblance
2: Depiction and Vision


II Pictures as Symbols
3: Goodman's Symbol Theory
4: Symbols and Substitutes
5: Pictorial Reference


III Aspect Recognition
6: Pictorial Content
7: Pictorial Recognition
8: Pictorial Meaning
9: Pictorial Experience


IV Applications
10: Fictive Pictures
11: Picturing Pictures

I Pictures as Perceptual

知覚的なものとして画像を説明する立場について

1: Representation and Resemblance
  • ピーコック説について

ロペスは、ピーコック説のみでバッドには特に触れていない
また、カルヴィッキやSEPでは、類似説として取り上げられているのは、アベルやハイマンで、ピーコックもバッドも言及されていない。
また、カルヴィッキは、ホプキンスも類似説として取り上げているが、SEPでは、ホプキンスとピーコックを、どちからといえば経験説に近い類似説として取り上げている
バッドは確かに、視覚経験における類似なので、純然たる類似説という立場ではないのかもしれない。

  • 多様性制約について

描写の理論は、画像の様式やタイプをフルレンジで説明できなければならない。
フルレンジとは、遠近法に基づいたような絵画だけでなく、コンスタブルの絵もキュビストの絵もクワキウトル族の絵も、ということ
(p.32)

描写の理論は、絵画が主題のように見える(似て見える)というのはどういうことか説明すべき
(p.36)

2: Depiction and Vision
  • ゴンブリッチのイリュージョン説(『芸術と幻影』)とウォルハイムのSeeing-in説

イリュージョン説は、普通の視覚経験と画像の視覚経験は連続したものであり、後者は前者の特殊例と考える
Seeing-in説は、前者と後者が非連続的なものだと考える
二面性について、ゴンブリッチは、同時に経験するわけではないと主張。アヒル−ウサギ画像の知覚のアナロジーで説明している。が、このアナロジーは成り立っているのか、という問題あり

  • ウォルハイムのSeeing-in説

Seeing-inとは、雲に顔を見るとか。自然現象に対するSeeing-inと画像のSeeing-inの違いは、後者は意図による正誤の規準がある。
この説は、多様性制約や現象学的制約にも適応する。

    • Seeing-inとSeeing-asの違い

(1)内容の違い
Inは個物や性質だけでなく事態も内容として持つが、asは事態を内容と持たない。また、見る者の概念リソースや認識論的構えとかかわってくる
(2)localized requirement
asはこの要件に縛られる。inは縛られない。
(3)二面性との関係
二面性は、inの性質、asはそうではない

  • 強い二面性と弱い二面性

ウォルハイムは、画像的経験に二面性は必要essentialだとしている。ロペスはこれを「強い二面性」と呼ぶ。
必ずしも全ての画像に、二面性があるわけではないのでは、という反論(例えば、ウォルハイムに従うと、トロンプルイユは画像ではないことになってしまう)
対して、画像的経験と二面性は両立concistentするという主張を、ロペスは「弱い二面性」と呼ぶ。
ロペスは、二面性をスペクトラムで考える。
表面についての経験がないトロンプルイユ、二面性の経験はあるが同時には生じていないもの、同時に生じているもの、と
ところで、Nanayだったら、このあたりは注意と知覚の違いで説明するところだろう。
Bence Nanay ”Threefoldness" - logical cypher scape2
二面性制約

強い二面性と弱い二面性を区別して、前者をリジェクトするような説明としての二面性制約
描写の知覚的理論は、二面性のあるもの、注意が切り替わるもの、表面について経験していないものなど、画像的経験のフルレンジを説明すべき
(p.51)

II Pictures as Symbols

3: Goodman's Symbol Theory
  • 能力制約

グッドマン説は、画像に関する能力に関する以下の2つの特徴について、説明できないのでは?
生成性:ある一つの絵の見方が分かると、同じシステムに属する他の絵についても理解することができる
(言語との違い。単語の意味を覚えるように、絵の意味を覚える必要はない)
Transference:見知らぬものについての絵を見ても、それがどのようなものか理解できる
(例えば、見知らぬものについて、それの画像を見ることで、それがどのようなものか学ぶことができる)

4: Symbols and Substitutes

記号説は、描写の知覚的説明と両立しない
第4章は、画像は、指示的ではないから記号的ではないという方向での挑戦を紹介する
画像は、指示的ではなく、対象の代理物であるという考え
ウォルトンが、表象を指示的なものと考えていないということについては、
ケンダル・ウォルトン「表象は記号か」 - logical cypher scape2
ウォルトンとグッドマン - Kendall Walton, 表象は記号か - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめも参照
また、カルヴィッキも、ごっこ遊び説として、ゴンブリッチの『棒馬考』に触れている。

代理として使われる芸術と、指示に使われる芸術

ウォルトピア思考実験
言語と画像の違い
メイクビリーブ
ロペスは、ウォルトンについて、表象についての考えをラディカルに変えたと述べている。
全ての画像をフィクションととらえるウォルトンに対して、2つの誤りを指摘
(1)絵画の情報を運ぶ役割を軽視している
絵画の大多数は、art picturesじゃなくてdemotic picturesだと
(2)使用と意味を区別できていない
ロペスは、意味をmeaningとsenseにわける。senseは、使用の文脈にまたがっている意味の部分
画像にもsenseはある
ウォルトンは、画像のsenseがメイクビリーブという使用に依存していると考えるが、ロペスは特定の使用に依存しないと考えている。
メイクビリーブにも主張にも使うことができる。
ゆえに、ウォルトピア思考実験は自明ではない→言語におけるウォルトピアもありうるし、画像における反ウォルトピアもありうる
想像との関係についても、ロペスは2点から反論する
(1)表象を見ているとき、表象されたものを見ているのであって、見ることの想像は必要ないのでは
紙幣を見ている時、女王を見ることを想像しているというのは不自然では
(2)多くの画像的経験と想像的代替物の模範ケースの間にギャップがある
前者はたいて感情的参加がない

5: Pictorial Reference

画像が、指示的な記号(denotative symbol)システムであることは認めつつ、それを知覚的な説明と矛盾しないようにする方向を目指す

  • 画像による指示の理論

指示の理論として、記述説と因果説*1を比較

画像的指示(pictorial reference)についての記述説も因果説も適切ではない。一方で、画像は主題について誤表象することがあって、画像の内容は画像が指示しているものとマッチしている必要はない。他方で、画像はその主題をある性質を持っているものとして表象しているのであって、独立テーゼは誤っている。(p.99)

知覚経験と画像は、どちらも、何を表象しているかについて、その内容と起源に依存しているという点でパラレル。
→ハイブリッド説へ
カプランによるハイブリッド説を検討したのち、エヴァンズによるものへ

エヴァンズは、言語的指示についてハイブリッド説を
情報ベースによる同定が、起源と内容の両方の要素を持つ、というもの

    • 情報システム

知覚、記憶、コミュニケーションが情報システムの構成要素
情報状態は、人間の再認の中で特有の位置を持つ
情報状態は、サブパーソナルなレベル(神経的なプロセス、心理学的なメカニズム)によって説明される。
情報状態は「信念から独立」で「非概念的」

    • 情報ベースの同定(identification)

情報を持つものは、2つの方法でそのソースを同定できる
(1)因果をたどってソースを同定する方法
(2)その内容に基づいて、ソースを同定する方法→mode of identificaiton(このmodeのうち一つは記述だけど、他にもある)
正しくソースを拾い上げられる同定=well-grounded
誤ったソースの同定=ill-grounded

  • 情報システムと思考(thought)

サブパーソナルな情報システムと、パーソナルな思考
(思考とか意図とか信念とかそういったものをパーソナルレベルと呼ぶらしい)
情報ベースな思考というものもある
情報ベースな思考は、思考であるので、「ラッセル原理」と「一般性制約」という制約に従う。

    • 知覚的指示
  • エヴァンズ理論を用いた画像的指示のモデル

画像は情報システムの一部であり、個々の画像は、その主題からの知覚的情報を運ぶ。対象を同定することのできる、対象からの情報を画像が運んでいるときのみ、画像はその対象を表象している。画像を理解するためには、見る者は、その内容に基づき画像のソースを選び出す、画像的mode of identificationを用いなければならない
ある対象や対象の種類が、画像の情報のソースとなっているときのみ、それは画像の主題となっている。が、画像の内容は、その主題を表象するにあたって、その主題を同定する基づけとなっているので、取り除けない役割を果たしている。ソースと内容というふたつの要素が、同定がwell-groundedであるという要件においてバランスをとっている。
p.107

III Aspect Recognition

6: Pictorial Content

アスペクトについて

  • 詳細さの神話

画像に特有な特徴として、詳細さがあると考えられている。
グッドマン説では、アナログさや相対的充満と言われる要素であるが、画像に必要だとはいえない
ドレツキは、ある表象が、その情報のソースがFであるということ以上に詳細な情報を伝えないものをデジタル、より詳細な情報を付け加えるのがアナログとして、言葉はデジタル、画像はアナログとした。が、ピーコックが、文でも伝えることができると批判している
詳細さについての神話は、デネットにもみられる。画像や視覚的経験と心的イメージの違いとして細部が決定されているかどうかをあげている。虎をイメージするのに線の本数を決める必要はないが、絵に描く場合は決まっている必要がある、と。

  • 選択

詳細さではなく選択が、画像にとって特有な特徴だとロペスは論じる
選択には、2つのタイプがある
選択(1):(ゴンブリッチが論じているように)世界の情報はとても多いが、メディウムは限られており、何を描くか選択が必要→画像に特有というわけではない
選択(2):描写の構造的特徴に由来する。ある特定の視点から表象しなければならないので、画像は、主題がある性質を持っているように、あるいは持っていないように表象→4つの可能性(用語はネッド・ブロックから借用)
・Fにコミットメント
・非Fにコミットメント
・非明示的に非コミットメント
・明示的に非コミットメント
明示的な非コミットメントは、言語的記述にはない
画像におけるコミットメントと非コミットメントの総体を、「アスペクト」と呼ぶ

様々な方法で、コミットメントしたり明示的に非コミットメントしたりする

全ての画像が、ある点では非明示的に非コミットメントしているので、画像は必然的に選択的である。
画像は、空間的特徴を表象するために他を表象することを妨げるから、選択的なのである。

  • 描写システム

描写システムとは、pictorial referentsとpictorial predeicatesの組み合わせによって作られるすべての画像の集合
画像がアスペクト的であることは述語の可能な組み合わせに制約を課す

  • 描写システムは慣習的ではない

ルイスによる慣習の分析によれば、慣習とは規則性のことで、その規則性は恣意的に選ばれたもの
描写システムは、必ずしも恣意的だとは限らないので、慣習的だとは言えない

7: Pictorial Recognition

この章は前半が知覚における再認の話、後半から画像と再認の話となる
「画像は、見る者がそのソースを再認することに基づいて、その主題からのアスペクチュアルな情報を運ぶことで、表象している。(p.136)」

  • 知覚における再認

再認能力というのは、知覚に基づいて、以前あったものと同じものだと同定できるように情報を集めること
再認には、(1)特徴(2)個体(3)種類の3つの形式がある。
変化しても再認できることをダイナミックな再認能力と呼ぶ
顔の再認は、ダイナミックな再認。表情が変わっても同じ顔だとわかる。
再認がダイナミックであるというのは、異なるアスペクトのもとで、特徴、個体、種類を再認するということ
あまりにも変化の程度が大きいと再認できなくなることもある
再認可能な範囲での多様なアスペクトの種類=「ヴァリエーションの次元」
生成性:再認能力の重要な特徴
あるアスペクトである対象を再認できるときに、同じアスペクトで他の対象も再認できること
(ある一定の歳月の加齢があっても同じ人の顔だと再認できて、他の人についても、同じ歳月の加齢であれば再認できるなら、その加齢というアスペクトにおける再認能力は生成的)

    • 知覚と思考の関係について

知覚は、思考の基になる
思考というのはエヴァンズによれば、ラッセル原理と一般性制約を満たさなければならない
知覚によって構成される思考もこれらを満たす。
ダイナミックで生成的な知覚というのは、対象や種類についての概念を与える
ラッセル原理は要素を識別することができるかとかで、一般性制約は同じ種類の項目だったら入れ替えても成り立つかとかいう条件で、概念的であるかどうかみたいなこととかかわっている話のはず。ダイナミックで生成的な知覚というのは、色々なアスペクトでも対象を再認できることで、それはその対象についての概念を持つことだ、みたいな話)
一方で、アスペクトの概念を持つことではなく、アスペクチュアルな情報自体は非概念的

    • 再認と思い出すこと

再認recognitionと思い出すことrecallは別もの
哲学の支配的な考え方では、再認は記述的同定に還元される。だが、もしそれが正しいと再認は非概念的なものではないことになる
Recognitionとrecall(記述的同定)が違うことをエヴァンズは描いている

  • 画像的再認

絵画がなにを表象しているか同定することは知覚的再認能力を使っている
画像の主題を再認する能力は、再認のダイナミズムを拡張すること

    • 内容再認と主題再認

画像再認は二つのレベルで働く
1:内容再認:画像のデザイン(画像の表面)からアスペクトを提示されるレベル
2:主題再認:しかじかの特徴を持つものを(内容)を主題として再認するレベル
この二つはお互いに関係しあう(アヒルーウサギ画像)
しかし、内容の中に主題を再認するのとデザインの中に内容を再認するのは異なるスキル

    • 多様性

表面の多様性とアスペクトの多様性がある
前者は内容再認によって、後者は主題再認によって説明される

    • 能力(Compitence)

画像の再認能力はシステム相対的
システムに応じて画像の再認の速度と正確性が変わるという経験的証拠もある(マンガ、写真、線画などで比較)
生成性:親しみのある対象の新しい画像を解釈する能力
転移transference:画像を通して見知らぬ対象を同定する能力

    • 類似

画像と主題の類似はアスペクトとシステムに相対的

  • basically portray

絵が何かを描いているというのは、適切な知覚者がそれを認識することができるということにもとづいて、その対象ないし情景からの情報を絵が具体化している、ということ


8: Pictorial Meaning

画像の意味がどのように定まるか
ロペスは、作り手の意図と画像の意味とを切り離す

9: Pictorial Experience

アスペクト再認説は、経験によって描写を説明しないが、画像経験について説明する
再認から経験を説明することで
(1)普通の視覚経験に似たものとして説明しなくてすむ
(2)画像経験が、アスペクチュアルな性質を反映していることを許容する
というメリットがある
ウォルトンの透明性の議論から、ウォルトンが写真を、信念から独立した反事実的依存によって作られるので絵画と異なるとしている点に反論。
→情報システムの信念独立性や、画像内容が非概念的であることについて
ウォルトンは、信念独立の反事実的依存だけでは透明性に十分ではないというところから、真の類似性が必要で、二階の同型性を提案するが、ロペスはこれに対しても反論
透明性を、知覚のモダリティから考える
デザインの性質と内容の性質が同じモダリティで知覚されうる=透明なメディア
(ラジオは聴覚的に透明)
ドレツキの知覚理論にでてくる「固有の質」
→透明性と二面性

IV Applications

10: Fictive Pictures

フィクションの画像については、メイクビリーブによって説明している
「ふりをする」

11: Picturing Pictures

ピカソが、モネの「草上の朝食」をもとに作った作品など、何か別の絵を描き直したような絵=variation
Variation画像の意味は何なのか
クーパーヤスタインバーグ、あるいはウォルハイムはそれぞれ、variation画像の主題などはオリジナルのそれと同じであり、variationの意味について、作者の側からアプローチする
ロペスは、そういった面があることは否定しないが、variationの意味はそうではないと考える
Variationとオリジナルのマッチング
しかし、マッチングだけでは十分ではない。マッチング関係は対称的だが、variation関係は非対称
因果関係が、この非対称性を説明する
グッドマンによる対照例示による説明は、とても重要だが、説明にはなっていないとロペスはいう。
主題再認や内容再認ではなく、variation再認というものをあげている。

*1:原文では、genetic theory