人類が太陽系全体に植民し、ロボット兵器を投入した世界大戦が何度か起きた後の時代、アラビア半島の都市ネオムを舞台に、慎ましやかに生活する人々のもとに、かつての兵器ロボットが現れる。
ティドハーについては、以前ラヴィ・ディドハー『完璧な夏の日』 - logical cypher scape2を読んだ。雰囲気としてはずいぶん違う話だなーと思いながら読み進めていたのだが、最後のオチというかテーマというかには、通底するところもあった。
既に黄昏の時代に入っている地球で、過去の清算をしようとする者(ロボット)と、いまここでの生活を踏ん張る者、新しい世界への旅立ちを夢見る少年がそれぞれ交錯する。別に文明崩壊したりしていないんで決してポスト・アポカリプスものではないんだけど、世界観としては太陽系全体に広がっているけれど、物語はアラビア半島(というか紅海周辺)から一歩も出ずに終わる。そういうスケール感のギャップがある話。
この作品自体は、ティドハーの未来史シリーズに属する一篇であり、作中でそうした世界観の広がりを感じさせる言及がちらほらあり、さらに巻末には用語解説がついている。このティドハー未来史が断片的に見える感じが、楽しい作品で、そっちの方がもっと読みたくなる。
巻末解説によると、いくつか邦訳があるようだ(アンソロジーやSFMに掲載されている)。
映像で見たいなと思う作品でもあった。
物語の主な舞台はネオムと呼ばれる都市で、実は、サウジアラビアに実在する。実在といっても、現在建設中の人工都市でまだ完成はしてない。しかし、作中では逆に廃れ始めた都市ということになる。
とはいえ、まだ廃墟とかそういうわけではなく、普通に人々は生活しているし、どちらかといえばまだ活発な感じは受ける。富裕層と貧困層に分かれており、物語中の登場人物はみな後者。富裕層は具体的な人物としてはほぼでてこない。
主人公の1人であるマリアムは、ネオムで様々な仕事をかけもちして働く女性。
新しさを追求するネオムという街に、自分はもう合っていないのかもしれないと思い始めた年頃。花屋やジャンクショップの店員、あるいはとある富裕層の同性カップルが暮らすマンションの部屋に定期で清掃に入ったりしている(最も豊かな者は人間に掃除させ、次に豊かな者はロボットに掃除させ、貧しい者は自分たちで掃除する、みたいなことが書かれている。つまり、ネオムはそういう街なのである)。
彼女自身はこの生活に満足しているというか、自分はもうこういう生活をしていくしかないんだろうなあという諦観がありつつ、個々の仕事にはそれぞれ小さなやりがいを見いだしている。
マリアムという人物は、この作品の語り手というか(三人称小説なので語り手ではないが)視点人物というか、作中で起きた出来事を見ている人であって、マリアム自身が何か色々行動したり、変化したりという感じではない。
ただマリアムの、もう若者ではなくなってきたが、ポジティブさは失っていないくらいのパーソナリティが、物語全体の雰囲気をうまく保っているような気はする。
で、マリアムが花屋の仕事をしている時に、古いロボットが訪れて、バラを一輪買っていく。
そして、その後も、ジャンクショップだったりなんだったり別の場所でも、マリアムはこのロボット(名前がないので地の文ではバラのロボットとも書かれる)と遭遇することになる。
マリアムには、ナセルという幼なじみがいて、彼は警察官をやっている。貧しい者が安定した職業につきたい場合、警察官しかない。
彼もまた、度々このバラのロボットと出会うことになる。
このロボットのことを、古くてどこかおかしくなっているとは思いつつも肯定的な態度で接しているマリアムと、胡散臭いというか危険視しているナセルという態度の違いがありつつも、この2人の視点からロボットの行動が語られていき、次第にこのロボットが物語の主人公であることが分かってくる。
バラのロボットは何かを掘り起こしている、掘り起こしたものの修理を依頼する、ナセルに自分の過去を語る、修理されたゴールデンマンと再会する……。
バラのロボットとゴールデンマンの関係、そしてそこに巻き込まれていくマリアムとナセルというのがメインプロットだとして、サブプロットとして、ベドウィンの少年サレハの物語が展開していく。
正直、サレハの方がよっぽど主人公っぽいのだが、こちらをあえてサブプロットにしているのが興味深いといえば興味深い
サレハの一族は、砂漠に残る戦争の遺物を回収して売り払うことで生計を立てていたが、残されていた時間収縮爆弾が爆発してしまい、サレハは家族を亡くしてしまう。
中身の亡くなった爆弾の破片(しかしそれだけでもコレクターに売れれば高い価値がある)だけ残されたサレハは、掟を破って、キャラバンと接触する。
このキャラバンは、象がいたりロボットがいたりと、未来・異世界情緒溢れる集団なのだが、物心ついた頃からそのキャラバンで育ち、渉外担当的なポジションにいる少年イライアスと、サレハはひとときの友情を培う。
しかし、キャラバンを自分の生きる場所として定めているイライアスと、家族が亡くなったことで砂漠から離れることを決意したサレハとは、別れることとなる。
サレハは人間語を解するジャッカルのアナビスと旅を続け、ネオムへと辿り着く。
最終的に、サレハとアナビスは無事大金を得ることに成功し、宇宙へと旅立つことになるが、それについての詳細には触れられていない。
さて、バラのロボットとゴールデンマンである。
彼らはいずれも元兵器なのだが、ゴールデンマンは特殊で、テラー・アーティストというテロリストによって作られたロボット兵器であり、かつてニュー・プントという都市を消失させた。バラのロボットは、その際、ゴールデンマンを停止し、バラバラにして埋めたのだった。
ゴールデンマンは、他のロボットたちを惹きつける力を有しており、バラのロボットもそうして惹きつけられたロボットの一体だが、ゴールデンマンとは特別な関係にあったらしい。
果たして彼らロボットに、性別や性愛といった意味での性があるのかどうかは謎なのだが、彼らの発言等を文字通りにとるなら、彼らは同性愛的な関係にあったように思われる。
このあたりは『完璧な夏の日』で主人公の相棒が同性愛者だったことを思い起こさせる。
『完璧な夏の日』は超人たちが、20世紀の戦争の影で暗躍していたという話だが、こちらも、過去の戦争に関わったロボットたち(人間を超える能力を持つという意味ではやはり超人)がいかにその過去に決着をつけるのか、を愛というキーワードのもとに描く、という点では、似た作品なのかなと思った。
もっとも、様々な意味で霧のかかったような『完璧な夏の日』と異なり、本作はかなり明快でポジティブなお話だったとも思う。
ところで、結末に触れてしまうのだが、モーセの海割りを彷彿とさせるシーンが出てくる。
ゴールデンマンはロボットたちを海底へと連れ去っていくわけだが、なんか寓意があるようなないような。
ネオムのことが、ベツレヘムとメッカの中間に位置する、と説明されていたりもして、ユダヤとイスラムの関係についての何らかの比喩なのかなあと思ったり思わなかったり。
なお、この世界では、パレスチナとイスラエルはデジタル統合された連邦国家なるものになっている。
上のあらすじ紹介の中に上手く組み込めなかったが、重要な登場人物として、ゴールデンマンを作ったテラー・アーティストであるナスがいる。
テラー・アーティストというのは、テロとはメディアだということに気付き、殺戮はアート作品なのだと嘯いてテロ行為を行っていたテロリストたちである。むろん、組織化などはされておらず、個人で活動している。
ナスはテラー・アーティストの1人で、海王星あたりまで行っていたのだが、ゴールデンマンの信号をキャッチして地球へ帰還してきた。
ナスとゴールデンマンの関係について、上手く説明できないのだが、何故かナウシカと巨神兵の関係を想起していた。実際のところ、全然違う関係ではあるのだが……。神とその母、というところだろうか。
世界観・用語について
このティドハー未来史は、カンバセーション・ネットワークが太陽系全体に張り巡らされている、というのがまず基本的な世界設定になっている。
多くの人たちは、ノードというものを脳内に埋め込んでいてネットワークに接続している。
太陽系全体とはいえ、木星以遠はだいぶネットワークは疎らのようであるが。
人類の活動圏としては、月・火星あたりが活発のようだが、一番遠いところでは海王星の衛星トリトンに最終投棄場(ジエテイスンド)というのがある。
移民運搬船という世代間宇宙船が太陽系外にも飛び出していっているのだが、何らかの理由で降船することになった人たちが降りる場所なので、最終投棄場の名がある。無秩序な世界で、禁制技術はここに由来する。ゴールデンマンの技術も禁制のもの。
金星のテレシコワ・ポートや、火星のトン・ユン・シティ
テラー・アーティストとしては、マッド・ラッカーという人物が有名で、タイタンに機械生命体を散布したと言われているとか。
分類外(アザーズ)と呼ばれるデジタル生命体もいる。
彼らはネットワーク内にのみ存在しているのだが、太陽系内で人気を博しているドラマシリーズに出演している役者が、実はアザーズだ、と言われているとか。
ヴァーチャル生物といって、ヴァーチャル空間(AR的なもの)にしか存在しない者たちがいるのだが、それがポケモンだったりする。