『バシュラール―科学と詩』金森修

作者のバシュラールへの思い入れの深さが伝わってくる一冊。
バシュラール入門解説書なんだけど、時々作者が出てきて自分の思い入れを語ったりする。


バシュラールは、フランスの哲学者(1884〜1962)。
20代から30代は、郵便局員だったり兵役にとられたりしている。
30代は物理学や化学の教師として中等教育に従事。
43歳にて文学部で博士号を取得、44歳の時にその博士論文が出版される。
つまり、彼の哲学者としてのキャリアは44歳の時から始まったのである。
46歳で大学の教員となり、70歳で教壇にたち、78歳で死ぬまで仕事をし続けた。
これだけでも、学者としては特異な経歴を持っていることが分かる。
さらに、バシュラールの特異な点は、全然関係のないような二つの違う仕事を行っていることだ。
科学哲学と詩論である。

科学哲学のバシュラール

・非連続
・工学的反実在論
この二つが大きなキーワードとなる。
著者の金森修は、バシュラールの科学哲学の考え方を「工学的」と表現することを主張する。
作られた、操作された結果として、認識があると考える。
要するに科学的認識というのは、実験装置に依存している、ということである。
例えば、化学においては、かなりの元素が自然界には存在せず、人工的に作られて発見されている。このように、「人工的に作られたもの」への認識が重視される。
バシュラールは「現象学」という語を使うが、彼にとっての「現象学」はマッハのそれでありフッサールのそれではない*1、ということが上のことから分かる。
つまり、フッサールは科学を日常的な認識から基礎づけようと試みたが、バシュラールから見ればそれはありえないことなのである。
非連続については、色々あるが、このように日常的認識と科学的認識の間にもバシュラールは非連続を見出している。
次に、科学史における非連続。
「非−」という考え方がある。
ユークリッド幾何学は、ユークリッド幾何学の否定ではなく、それを内包している。
ニュートン力学(つまりアインシュタイン)は、ニュートン力学を内包している。
新しい理論は、過去の理論をこのように「非−」という形で包摂する。
古い理論は、新しい理論の特殊な事例の解と見なされる。
しかし、だからといって、新しい理論と古い理論の間にあるのは、連続や量的差異ではない。
そこには断絶や質的差異がある。
バシュラールにとって、アインシュタイン相対性理論は彼自身の哲学の重要な元となったらしい。
確かに相対性理論ニュートン力学を包摂しているが、ニュートン力学を単純に拡大した結果として生まれたわけではない。ローレンツ変換の使い方は、アインシュタインが全く異質な思考を行っていたことを表している。
このようなバシュラールの考え方は、ドイツにおいてはクーンのパラダイム論に吸収されてしまったらしい。
先に、バシュラールアインシュタインに影響を受けたことを述べたが、アインシュタイン相対性理論は、時間概念を揺るがした。
ベルクソンは強く反論を行ったが、バシュラールはさらにそれに反発する。
彼は「瞬間としての時間」というものを考え、「持続としての時間」に反発するのだ。
時間の本質は瞬間にあると考える。持続は人工的な延長に過ぎないのだ、と。
躊躇と決断といった心理的なリズムを重要視する。
また、自己同一性の概念といったものもバシュラールは否定する。
このような、反-持続としての時間概念を、金森は、アインシュタインの反-絶対時間としての時間概念と重ねてみることで理解しようとしている。


バシュラールは、「知の奇形学」という仕事を行う。
これは、科学の発展における「認識論的障害」を探し出すというものである。
近代科学誕生前夜の時代に行われていた、科学のような営み、科学史が忘れてしまった文献、実験に目を向ける。
科学の進歩に対して妨げとなった事例を並べ、それらを「認識論的障害」と呼ぶ。
例えば、不用意な普遍化・一般化を行うことだったり、安易に実体を想定することであったり、あるいは生気論の類であったりする。
これらを取り上げるバシュラールのやり方は、ある種傲慢なものである、と金森は指摘する。
しかし、傲慢でありながらも、そのような過去の障害を指摘することで、現在の科学にも潜んでいるかもしれない障害への注意を喚起しようとしたものでもある。
また、「認識論的障害」という考え方は、のちにアルチュセールによって受け継がれる。
あるいは、今まで重要視されてこなかったような文献に着目するやり方は、フーコーなどに受け継がれていく。
ところで、この仕事の際に彼が多く読んだのが錬金術関連の文献であり、この時の読書が、詩論の仕事へつながっていく。


さて、一時バシュラールは科学哲学から離れる(40年代頃)。
詩論についての仕事を行った後、1949年から53年にかけて再び科学哲学へと戻ってくる。
・領域確定性
ある科学理論には、説明出来る領域が決まっている。
それによって全てが把握出来るわけではない。そのような領域確定性を確認する。その上で
・連繋合理主義
という考え方が重視される。
それは「群島」としての科学だ。
例えば力学や電気学は、それぞれ領域確定性をもった「孤島」である。しかし、両者は複雑に関係しあっているし、類似する点も多い。この二つは「群島」を形成する。
あるいは、科学者とという知的共同体もそうだ。
そこにはコギト(考える私)ではなく、コギタームス(考える私たち)があるのである。
個人の理性、個人の知識では科学は成り立たない。それらの連結によって成り立っていくのである*2
また、その「工学的」な哲学をさらに発展させる。
彼に拠れば「単純性」とか「一般性」というのは、作られた概念である。
つまり、観測機器の限界や理論の都合によって作られた人工的なものである。
あるいは、ミクロでは複雑な動きをする現象を、マクロな視点で捉えようとするときにその複雑さは捨象されてしまう。
バシュラールは、量子化学に、ミクロの世界の複雑さ、繊細さを見る。

詩論のバシュラール

バシュラールは、38年から48年、大学引退後から没年まで、の二つの時期で詩論の仕事を展開する。
一般的にバシュラールは、科学哲学よりもむしろ、詩論の仕事によって世に知られている。
科学について、詩について、どちらにおいても仕事をなしえたことは、彼が大変な読書家だったことを示している。
彼は、科学に関する仕事をしていても文学的であり、文学の仕事をしていても科学的であったのだ。
さて、彼の前期の詩論は、元素の詩学と呼ばれる。
火、水、空、土の4元素が想起させるイメージの世界を渉猟する仕事である。
彼は「物質的想像力」というものを重視する。
科学哲学において、反実在論の立場をとるバシュラールだが、詩論においては物質を重要視する。
例えば火ならば火のもつ物質性が想像力を規定する、と考えるのである。
想像力は、全くの無制限に奔放に広がっていくものなのではなく、物質によってある制限が加えられている。
ただしここでいう物質というのは、上述したとおり、火、水、空、土という4元素のことを指している。
火はどのようなイメージを喚起するのか、水は、空は、土は。
バシュラールは、豊富な用例を提示することでそれに答えていく。


73歳のバシュラールは、「現象学的転回」を宣言する。
ここで彼は、「物質的想像力」から「現象学的想像力」へと転換していく。
想像力にかせられていた物質によるある種の規制すらも解除した、さらに自由な想像力への転換。
もともと、フッサール現象学あるいは実存主義などと対立してきたことを考えると、この転回は非常に大きなものである。
だが、金森は、多くの研究者がこの転回に重大な意義を見て取るのに対して反論する。この転回は、その宣言の派手さに比べると理論的に支えられておらず、バシュラール哲学の全体の中ではそれほど重大なものではない、と。


バシュラールは、少なくとも日本では、それほど広く知られている哲学者ではない。
だが、実に魅力的な仕事を成し遂げてきている。
その仕事の中身も非常に面白い*3
しかし何よりも面白いのは、その経歴。
科学と詩、という、相反するように思える分野のどちらにも精通していた、ということだ。
ただし、ここで気をつけなければならないことがある。
特に自分はすぐに、何かと統一しようという考えに陥りがちである。
科学と文学の両方に強い興味を持ちながらも、しかしその両者の間にあるギャップに苦しんでいるような者にとって、その両者で仕事をしたバシュラールは、大きな希望に見える。
だが、だからといって、科学と文学がすぐにつながったりすることはないのである。
バシュラールは、科学哲学の授業で詩の一節を口ずさんだりするようなこともあったらしい。
しかし、彼の科学哲学の仕事と詩論の仕事の間には、断絶がある。
この二つの仕事は、内的に連関していたかもしれないが、理論の上では決して繋がってはいない。
バシュラールの哲学は、決して、科学と文学の架け橋になるようなものではないのである(彼自身の生き方はそうであったかもしれないが)。
しかし、そうであったとしてもやはり、彼の仕事とその経歴は、非常に魅力的である。


ところで、彼は、哲学史の中でどのように位置づけるのか難しい存在でありながら、実に重要な位置を占めているように思う。
20世紀前半、論理実証主義から科学哲学への大きな潮流が生まれる。この潮流を準備したのが、マッハであり、同時代の物理学の進展である。
バシュラールもまた、相対論やマッハの現象主義からの影響を強く受けているのだが、しかしこの流れからは離れる。バシュラールは、ドイツ〜アメリカ系の科学哲学とは異なる、フランス独自の科学哲学、エピステモロジーを生む。
しかし、フランスにおいては、実存主義が隆盛をきわめており、科学という専門的な分野を扱うエピステモロジーは大きな流れとはならなかった。
ところが、バシュラールの考え方は、実存主義以降、アルチュセール構造主義あるいはフーコーの「知の考古学」へと影響を及ぼしていく。
また個人的には、アインシュタインを介して、ベルクソンと時間論を巡って敵対関係にあることが興味深い。

バシュラール―科学と詩 (現代思想の冒険者たち)

バシュラール―科学と詩 (現代思想の冒険者たち)

*1:そのため金森はマッハのそれには「現象主義」という訳語をあてている。また、バシュラール哲学には「現象工学」という概念がある

*2:戦後、物理学論文は、複数人数の署名によって発表されるようになった。バシュラールは当時の最新の物理学の動向にも気を配っていた

*3:個人的には、工学的反実在論、瞬間としての時間、連繋合理主義が、特に興味深い