「ABSTRACTION抽象絵画の覚醒と展開」展

アーティゾン美術館の3フロア全てを使った大規模展覧会
なお、以前アーティゾンに行った際には、1フロアにつき1つの展覧会をやっていた。一応全部見たので、3フロア全て回ってはいるのだが、とはいえ、目当て以外の展覧会は飛ばし気味に見ていた(Transformation越境から生まれるアート展ほか - logical cypher scape2)。
今回は3フロアの展示をフルでちゃんと見て回ったので、まずその物量に圧倒された。見てる途中に「え、これだけ見たのにまだ半分なのか」という感想を抱くほどに。しかし、疲労感とかはなくて「まだ見れる」という喜びが勝ったが、とはいえ「時間かかるな、これは」とも思った。
抽象絵画はやはりわりと好きなジャンルだからか、体力や集中力はわりと最後までもったと思うのだが、しかし、冷房が結構効いていたので、後半は寒さに震えながら見てたところはある(外は猛暑だというのに……)。


https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/ABSTRACTION-the-Genesis-and-Evolution-Artizon-Museum-interview-202306
学芸員へのインタビューで本展の各セクションについてその企図が語られている。


サブタイトルに「セザンヌフォーヴィズムキュビスムから現代へ」とある。セザンヌフォーヴィズムキュビスム抽象絵画そのものではないが、抽象絵画に多大な影響を与えた画家・運動なので、そこから始まっている。
そして、抽象絵画としては、オルフィスム、未来派青騎士バウハウスデ・ステイルアブストラクシオン=クレアシオン、アンフォルメル、抽象表現主義と1910年代から1960年代までを広く扱う内容となっており、さらに同時代の日本の抽象絵画も並行的に紹介していく形で、大正期新興美術運動や具体、実験工房などに触れられている。さらに、基本的に1960年代までとしつつ、例外的に、アルトゥング、スーラージュ、ウーキーの晩年期の作品ならびに現代の作家のセクションももうけられている。
アーティゾン美術館が自ら所蔵しているコレクションを中心に据えており、海外から借りてきている作品もあるにはあるが、他から借りている作品も多くは国内の美術館が所蔵しているものになっている。
作品リスト
https://www.artizon.museum/exhibition/download/113

アーティゾン美術館では、オーディオガイドがアプリで聞けると知ったのでこれを試してみたのだが、位置情報とBluetoothで自動再生するとかいう機能があんまりうまく使えず、アプリに対して自分で番号を打ち込むという従来的なオーディオガイド的な使い方をする羽目になった。
で、いくつかは聞いたのだが、アプリの画面を見ると、読み上げ原稿がそのまま表示されていたので、結局、聞かずにそれを読んでいた。
ナレーターが細谷佳正だったこともあり、自分にしては珍しくオーディオガイドを使ってみようという気でいたのだが、やはりこのオーディオガイドというもの自体が、自分にはなんかあわないようだった(テンポがあわない)。


ところで、若干気にかかった点として、解説にいささか誤字というか校正不足のような箇所が結構あちこちにあったことがある。
(「と見られる○○が見られた」みたいな変な文をちらほら見かけた。書き直した時に、本来削除しておく部分を削除し忘れたみたいな文というか。)
まあ、展示量が多い分テキスト量も多いので、「お疲れ様です」という気持ちで眺めてたけど。


作品数の膨大な展覧会で、普段書いている美術展の記事と同様に作品単位でコメントしていけるのか分からないのだけど、できるだけ頑張ってみたい。
ただ、それだとすごく雑多でとりとめもない記事になってしまうので、まず冒頭に、印象に残った作品を書き出してみることにする。

TOP3

フランティセック・クプカ《灰色と金色の展開》

オルフィスムに位置づけられる画家。現在のチェコ出身で、主にフランスで活動した。
今回、クプカは2点展示されており、そのうち《赤い背景のエチュード》は、アーティゾンの新収蔵作品でもあり、本展のキービジュアルにも使われている。そちらもよかったといえばよかったが、個人的にはこちらの《灰色と金色の展開》に惹かれるものがあった。
オルフィスムというのは、キュビスムの系譜に位置づけられるのだが、キュビスムから順に見ていくと、この作品はちょっと突然変異的に見えるところがあって、驚きがあった。
灰色の人のような形をした塊があって、その後ろの方に、何本も金色と黒の柱状の何かが並んでいるというような絵。
キュビスム的な立方体の集積のような表現もされていて、それがゆらめく光のような表現になっていて、かっこいい。
クプカは、降霊術から神智学への関心があったらしいので、見ている最中は「心霊現象の表現なのか」と思って見ていた。
あとになってカタログの解説を見ると、クプカは連続写真*1に関心があった的なことがあって、「ああ、未来派的な奴か」と気付いたのだが、それでも未来派に10年ほど先駆けている。
クプカ、結構やばいな、と思った。
この作品は、愛知県美術館の所蔵で、愛知県美術館は過去にクプカ展をやったことがあるらしい。

リー・クラズナー《ムーンタイド》

女性作家の作品が意図的に多く展示されているのだろうと思われる。
その中には、ウィレム・デ・クーニングの妻であるエレイン・デ・クニング、白髪一雄の妻である白髪富士子、そして、ジャクソン・ポロックの妻であるリー・クラズナーがいる。
それぞれ一人の画家でもあるわけで、○○の妻と称してしまうのは色々問題含みではあるだろうが、しかし、どうしたって○○の妻と言わざるをえない人たちではあろう。
ポロックは1956年に亡くなっており、この《ムーンタイド》は1961年の作品である。
横長のキャンパスに、色は白と黒と茶色の三色のみで、絵の具を飛び散らせたアクション・ペインティング的な絵だが、ポロックに比べるとその線は非常に太くシンプルでもある。飛び散った絵の具のあとがそのまま残されているのだが、「動」よりも「静」の印象が強い。
確かに、ポロックの全盛期と比べてしまうと、劣る作品ではあるとは思うのだが、しかし、個人的にはいい作品だなと思ったし、見れてよかったなと思えた作品だった。

婁正綱《Untitled》(2作あり)

現代作家セクションから。
《Untiltiled》という作品が、しかもどちらも2022年制作のもの(しかもサイズも同じなのでカタログデータだけだと区別がつかない)が、2点展示されているが、この2点ともよかった。
中国の画家で、書家でもあるらしい。作品は白のカンヴァスに黒が筆で塗られたもの。現在、海が見える伊豆のアトリエで仕事をしているとのことで、2作品のうち1作は凪の海、もう1作は荒れた海を彷彿とさせるものであった。
その点で、必ずしも抽象画とは言えないかもしれないが、しかし、とにかく大きなサイズの絵でまずそこに圧倒される。非常に横長のカンヴァスなのだが、フレームがなくて、さらにその先に無限に絵が続いていくかのような感覚すら覚える。
ザオ・ウーキーからの影響関係があるのかどうかは全く分からないのだけど、中国人で、書とも関連付けながら画業を行っている点は似ているところがある。ウーキーは晩年に墨を使った絵を描くのだけど、個人的にはそちらの作品はそこまで好みではない。
一方、黒しか使っていないこちらの絵は、結構好きだ(ただし、こちらは墨を使っているわけではなく、アクリル絵具のようだ)。

特によかった

ジョルジュ・ブラック《セレの街の屋根》

セレというのは、フランス郊外にあったある種の芸術家村で、ブラックはここでピカソと滞在していたらしい。
分析的キュビスムによる風景画。色は灰色とオレンジのみ。ブラックかっけーなーと思える作品だった。

ジャック・ヴィヨン《存在》

え、この人だれ? って思ってたんだけど、本名をガストン・デュシャンといい、デュシャン三兄弟の長兄であった。
キュビスムの影響を受けた人なんだけど、この作品は、菱形を重ねたような造形でありつつ、どこか人を描いているようにも見えて、ちょっとぞくっとくるというか、SFコミックにでてきそうな造形になっていてよかった。

ボッチョーニ《カフェの男の習作》

未来派ではこの作品がよかった。
総合的キュビスム的な構成と表現主義っぽい線で、青の置き方がよかった。
真ん中に「カフェの男」らしきものが描かれていて、これが周囲の白や青によってうまく浮き出るようになっていて、この「男」がいわゆるフォーカルポイントなんだろうけれど、この左下にある青いかたまりが、第二のフォーカルポイントになっているようにも思えた。青による視線誘導があるな、と感じた。

古賀春江《無題》

日本の初期の抽象絵画セクションからは、古賀春江がよかった。
古賀春江というとシュールレアリスムっぽい絵のイメージがあるけれど、抽象画も結構描いていたようだ。
この作品は、ドローネー風なキュビスム系抽象画。ドローネーと比べると色は暗めだけど、光が反射しているような感じがある。放射線状の構図をしている。「リス?」というメモが残っていた。リスっぽい形象があった。
古賀では《円筒形の画像》もよかった。水彩画の色合いが。

ザオ・ウーキー《無題》

1958年の作品で個人蔵のもの。たぶん、自分は見るの初めての作品だったと思う。
全体的に黒っぽい画面で、真ん中に白っぽい線が。

アンス・アルトゥング《T1989-H35》

アルトゥング最晩年の、というか、亡くなった年(85歳)に制作された作品。
パッと見たとき、かっこいいなと思ったんだけど、制作年と没年見て、亡くなる直前にこれ描いたのすごくね、となった。

津上みゆき《View, Water, 21 December 2022, 2023》

現代作家セクションから。
津上は自分が描いているのは抽象画ではないと述べており、交渉の末展示にいたったという。
実際、見ているとすぐに抽象画ではないな、と分かる。例えばこの作品は、夜景を描いているなというのが分かる。しかし、確かに形が描かれているわけではなくて、抽象画に見えないこともない(ターナーの晩年の絵が抽象画に見えてしまうように)。
夜景などの風景が、具体的な形というよりも色と光の何かとして見えることがあるという視覚経験を作品化していると感じた(こういう見え方は実際にはしないとしても、なるほどこういう見え方をするかもしれない、という知覚の変容をもたらすかもしれない)

印象に残った

ピート・モンドリアンコンポジション(プラスとマイナスのための習作)》

真っ白い外面の上方に、プラスとマイナスのような線がたくさん描かれているというもので、絵として好きか、と言われたら別にそうでもないのだが
モンドリアンというと、キュビスムから影響を受けて、その極致としてあの特徴的なスタイルに至ったと整理されるけど、この作品なんかは、キュビスムっぽさはあまり感じられなくて、むしろ、クレーからの影響があるのかな、と感じた。それはまあ、デ・ステイルコーナーの直前が、バウハウスコーナーだったから、そう感じたところもあるのかもしれないが。

村山知義《サディスティッシュな空間》

シェイプト・カンヴァスじゃん! 平行四辺形みたいな形になっている。
村山というのは、『おそ松さん』のイヤミのモデルになった人ともいわれていて、自分は五十殿利治『日本のアヴァンギャルド芸術――〈マヴォ〉とその時代』 - logical cypher scape2で少し知って、作品はあまり見たことがなかったのだけど、大正アヴァンギャルドの中心人物で、なるほどーという感じだった。
絵自体はレジェっぽい感じだろうか。画面の右上に、何語かわからない、架空言語かもしれない文字が描かれている。
(追記)ヘブライ語だった(追記ここまで)

サム・フランシス《ホワイト・ペインティング》

抽象表現主義セクションから
サム・フランシスは過去に1,2回は見たことがあると思うのだが、そんなに印象に残ったことはなかったのに対して、今回は「うん、意外といいのでは?」と思った。

オードリー・フラック《抽象表現主義的風景(雲のある)》

抽象表現主義セクションから
フラックというのはフォトリアリズムで有名な画家らしいのだが、抽象表現主義的な絵を描いていた時期もある、ということで展示されていた作品。サイズも小さいし、本展の中では脇役的存在だろうが、「いいかも」と思った。
暖色の色合い。解説には「太く角張った輪郭」と書かれていたけど、角張ったというか、ゆらゆらしているような感じを受ける絵だった。

川端実《作品》

戦後日本セクションから。
カラーフィールドペインティングな作品。黒い画面に白や青が閃光のように塗りつけられている。

元永定正《無題》

具体セクションから。
元永定正というと、絵本「もこ もこもこ」のイメージが強いというか、それしか知らないので、「お、こんなところで本業(?)の方が見れたぞ」と
で、これが、禍々しいもこもこ、とでも言えそうな代物で、3つの胞子みたいな原色の塊の上にさらにカラフルな絵の具が垂れ流されていて、「陽気な禍々しさ」という感想をメモっていた。

鍵岡リグレアンヌ《Reflection p-10》

現代作家セクションから。
砂を積み重ねていってそれを削り取って、みたいな制作方法らしいが、実際、画面が盛り上がって立体的になっている。地図の等高線を実際に立体にした模型があるけど、あんな感じ。絵自体は、何か水面を描いたかのようなもの。

Section 1 抽象芸術の源泉

実をいうと、この一番最初のセクションはほとんど飛ばした
セザンヌやモネなどで、いつものアーティゾンというか、ブリヂストン時代からこの美術館に来ると大体決まって展示されている作品が多く、また、本展全体のテーマである抽象絵画はなかったため。
ルドンがあったのはちょっと気になったが

Section 2 フォーヴィスムキュビスム

すでに述べたように、ブラック《セレの街の屋根》がよかった。
ブラックは正直、ピカソとあんまり区別がつかないわけだが(実際、この時期にピカソとブラックは区別がつかないほど似ていると解説にも書かれている)、今回ピカソの分析的キュビスムは習作っぽい作品しかなかったので、ブラックかっこいいなあという感じが際立った
ピカソは、砂とか貼り付けた総合的キュビスムの作品も一点あった。
全然知らなかった画家で印象に残ったものとして、フアン・グリス《新聞と開かれた本》がある。その隣に、ジャン・メッツァンジェ《円卓の上の静物があった。いずれも分析キュビスム的な作品だが、ピカソやブラックの分析的キュビスム作品と比較して、色彩が豊かだという特徴があった。
メッツァンジェは、構図がかっちりした四角形で非常に安定しているのだが、その分面白みがない感じであったが。グリスのは、そこまでかっちりはしていないが、一方で、リーディングラインがしっかりしていて、グラスとテーブルの向きによって、視線が絵を循環するようにできているなあと感じた。また、黒の使い方がエッジが効いていてよかった。

Section 3 抽象絵画の覚醒 ― オルフィスム、未来派青騎士バウハウスデ・ステイル、アプストラクシオン = クレアシオン

  • オルフィスム

ドローネー、クプカ、ピカビア、ジャック・ヴィヨン、ル・コルビジェ、レジェ、トレス=ガルシア
オルフィスムについて全然知らなかったのだが、また、本展の宣伝でも日本では知られていない作家の紹介みたいな感じで触れられていたが、『20世紀の美術』読んでたら、ドローネーもクプカも普通に載っていた。カンディンスキーモンドリアンと比較するとマイナーではあるが、抽象美術のパイオニアとして彼らを位置づけるのは、美術史的にも標準的な見解なんだろう。
オルフィスムと命名したのはアポリネールで、アポリネールは、シュールレアリスムという言葉も作っている(自分はブルトンの造語だと思っていた……)。名前は聞いたことあるくらいの認識だったが、重要人物だったんだな。
ドローネー《街の窓》については、出展時の目録にアポリネール「窓」という詩が書かれていたということで、これも同時に展示されていた。
ドローネーは補色の理論など科学に興味があり、クプカは降霊術や神智学などオカルトに興味があったという感じの紹介のされ方だった。
ピカビアもまた、アポリネールを介してオルフィスムへ接近した画家だったらしい。展示されている《アニメーション》は渡米後の作品。
コルヴィジェはなんで入っているのかよく分からなかった。
レジェ《インク壺のあるコンポジションがとてもポップな色と線だった。
トレス=ガルシアって一体何者? 説明がなかったような。展示されているのも1930年代の作品で、絵の作風的にもオルフィスムとは違う感じ。

ボッチョーニの絵とブロンズ彫刻、バッラ、セヴェリーニの絵
上述の通り、ボッチョーニがよかった

カンディンスキーパウル・クレー、モホイ=ナジの写真、モホイ=ナジの弟子であるネイサン=ラーナーの写真、バウハウス叢書など
カンディンスキーとクレーってやっぱり見方がよくわからないんだよなー
カンディンスキーの《自らが輝く》は、見ていて楽しい作品ではあるが、リーティングラインが、右下に落ちていってしまう気がして、よく分からない。秋田麻早子『絵を見る技術 名画の構造を読み解く』 - logical cypher scape2的には「ストッパー」があってしかるべきだと思うのだけど見つけられなかった。
モホイ=ナジの写真はかっこよかった。あと、バウハウス叢書も基本モホイ=ナジの装丁だったらしいが、特集で扱われているテーマや画家のイメージをうまく汲み取ってかっこいいデザインだった。

モンドリアンの上述した作品とか、点描で描かれた砂丘とか、モンドリアンがあの画風に至る前とか見れるのは面白いよね
あと、モンドリアン以外のデ・ステイルの画家が見れたのもよかった。
ハンス・リヒター《色のオーケストレーションとか。
上から下へ、だんだん大きくなっていく方向性のある絵

  • そのほか

シュビタースの1942年のコラージュ作品とか、ジョージア・オキーフとか
オキーフの《抽象 第6番》、技法は全然違うが、見た目はルイスっぽいと思った。


また、キュビスムと抽象芸術』展覧会図録が展示されていた。
その図録の表紙にはアルフレッド・バーによる抽象絵画系図があって、キュビスムバウハウス幾何学的抽象という系譜と、表現主義シュールレアリスム→非幾何学的抽象という系譜の2つの系譜があることを示している。
純化しているという批判もあるが、影響も大きかったとされる図

Section 4 日本における抽象絵画の萌芽と展開

上述の通り、古賀と村山がよかった
それ以外に恩地孝四郎萬鉄五郎、長谷川三郎、岡本太郎が展示されていた。岡本は1949年と戦後の作品だったが。

Section 5 熱い抽象と叙情的抽象

いわゆるアンフォルメルのこと。
アンフォルメルは、1950年頃から使われ始めた呼称で、それ以前には、マチューなど画家自身からは「熱い抽象」だったり「叙情的抽象」だったりといった呼び方が提案されていたということで、それを重視してセクション名はこれになっている、とのこと。
フォートリエ、ヴォルス、デュビュッフェ、マチュー、エステーヴ、ヴィエラ・ダ・シルヴァ、アルトゥング、スーラージュ、ザオ、堂本尚郎、菅井汲、田淵安一、今井俊満
ザオ・ウーキーはすごく好きなんだけれど、それ以外のアンフォルメルの画家ってほとんどピンとこないんだよなー
多少気に入ったものとして、モーリス・エステーヴ《ブーローニュ》、マリア = エレナ・ヴィエラ・ダ・シルヴァ《入口、1961》、ジョルジュ・マチュー《10番街》あたりがある
ヴォルス《無題》ってなんでこんなにサイズ小さいんだ?
堂本尚郎の伯父は画家で、堂本印象という名前らしい。画家で名前が印象……。

Section 6 トランス・アトランティック― ピエール・マティスとその周辺

ピエール・マティスは、アンリ・マティスの次男で画商。ミロやデュビュッフェをアメリカに紹介した、ということで、本セクションはミロとデュヴュッフェ
しかしその中に、デュシャンによる「トランクの箱」という、デュシャンの作品をミニチュア化して旅行鞄にいれたものがあって、ちょっと面白かった。デュシャンによる移動美術館で、大ガラスや《L.H.O.O.Q》などがあった。

Section 7 抽象表現主義

こうやって、様々な抽象絵画の流派と比較していくと、やっぱり自分は抽象表現主義が好きなんだなーと思った。
やはり、まずはあの巨大さがいい。巨大な絵が何枚もかけてある展示室に入ると、非日常な視覚経験が引き起こされる。
ただ今回、全体的には好きなんだけど、個別にめちゃくちゃ好きという作品もなかったかな、と。上述した通り、クラズナーの《ムーンタイド》はよかったんだけども。
本セクションは、アーシル・ゴーキー、ハンス・ホフマン、メルセデス・マター、ソーニャ・セクラ、ウィレム・デ・クーニング、ジャクソン・ポロック、フランツ・クライン、マーク・ロスコ、マーク・トビー、サム・フランシス、アド・ラインハート、リチャード・デーベンコーン、ジャン=ポール・リオベル、アドルフ・ゴットリーブ、オードリー・フラック、エレイン・デ・クーニング、ヘレン・フランケンサーラー、リー・クラズナー、ジョアン・ミッチェル、岡田謙三、アレクサンダー・コールダー、イサム・ノグチジャスパー・ジョーンズが展示されている。
知らない名前もかなり多い。好きだけど詳しいわけではないので、単に自分が不勉強で知らないだけなのもあると思うが、実際にマイナーな作家も含まれているのではないかと思う。また、「抽象表現主義」というセクションになっているが、抽象表現主義には属さない作家も含まれている。
また、メルセデス・マター、ソーニャ・セクラ、エレイン・デ・クーニング、ヘレン・フランケンサーラー、リー・クラズナーと女性が多い印象もうける。
さて、抽象表現主義らしい巨大なサイズの絵というと、以下の作品が同じ部屋に展示されていて圧巻であった。
すなわち、クリフォード・スティル《1955-D》、ジャクソン・ポロック《ナンバー2、1951》、サム・フランシス《ホワイト・ペインティング》、マーク・ロスコ《ナンバー28》、同じくロスコ《無題》、リチャード・ディーベンコーン《バークレー #21》、アドルフ・ゴットリーブ《先覚者》、ヘレン・フランケンサーラー《ベンディング・ブルー》である。
ロスコは好きなのだが、今回展示されている作品は個人的な好みではなく、上述した通りフランシスが気に入ったわけだが、しかし、この中では最もサイズが大きく、一面が赤一色に塗られたクリフォード・スティル《1955-D》も印象的であった。
それに向かい合うようにかけられているのはフランケンサーラーの1977年の作品で、有名なステイニング技法の作品ではなかったが、悪くなかった。悪くなかったがしかし、というところでもあった。
ディーベンコーンの《バークレー #21》は、たとえていうなら、田園風景を空撮したかのような感じだった。
ホフマンの《プッシュ・アンド・プル2》は、タイトルにあるプッシュアンドプルが、ホフマンの考えた奥行きをだすための技法の名前らしいのだが、あまり奥行き感は感じなかった。図と地はあるが。
(追記)図録読んでたら、「絵画平面において働く二つの相反する力」のこととのことで、奥行きということではなかった(追記ここまで)
ウィレム・デ・クーニングの《リーグ》が、画面に上下に2分割されている。
ポロックの《無題(縦にされた台形のあるコンポジション)》は、ポーリングを試していた頃の作品のようだ。
エレイン・デ・クーニングは、ウィレムの妻である。《ビル》は夫ウィレムを描いたものらしい。一見抽象画だが、しかし、座っている男性の姿も確かに描かれている。
ディヴィッド・スミスの《八月の大鴉》は、彫刻で、なんかかっこよかったと思う
ジョーンズ《薄雪》は、英語名もUsuyukiだった。ちょっと面白い感じの作品だった。

Section 8 戦後日本の抽象絵画の展開(1960 年代まで)

上述したとおり、川端実《作品》が好みだったが、他はあまりピンと来ず。
山口長男や草間彌生などがいた。あと、芥川也寸志の妻とか。

Section 9 具体美術協会

吉原治良《作品》は、具体というと必ず目にする気がする丸い奴。「アクリル絵の具の白がよい」という感想メモ
上述したように元永定正が印象に残ったが、それ以外に正延正俊の「小品」シリーズ(?)も。
1954年から1986年にかけて作られた、文字通り小さいサイズの作品で、20作品くらいが並んでかけられていた。

Section 10 瀧口修造実験工房

うーん、特にコメントなし

Section 11 巨匠のその後 ―アンス・アルトゥング、ピエール・スーラージュ、ザオ・ウーキー

上述したアルトゥングの作品が印象に残った。

Section 12 現代の作家たち ― リタ・アッカーマン、鍵岡リグレ アンヌ、婁正綱、津上みゆき、柴田敏雄、髙畠依子、横溝美由紀

上述したとおり、婁正綱が特に良かったし、津上みゆきや鍵岡リグレ アンヌも印象的だった。
リタ・アッカーマンはまず苗字で一瞬「おっ」となる。絵の具をぐいぐい塗った系抽象画(?)かなーと思わせて、よく見ると絵の具の下に線画が描かれている。
柴田敏雄は以前もアーティゾンで見た(Transformation越境から生まれるアート展ほか - logical cypher scape2)。風景写真なので抽象絵画ではないのだが、どことなく抽象絵画に見えないこともない作品
横溝美由紀は、あくまでも自分は彫刻家であるというスタンスの人らしいが、この中では一番見た目が抽象絵画っぽい作品が出ていた。一方、確かに彫刻家ということで、インスタレーション作品も出ていた。《the line》というのが美術館の壁に直接絵の具を垂らして直線にしたものであった。現代アートっぽいなあといえばそれまでなのだが、これって展示終わったらどうするんだろう。2023年制作の作家蔵ということになっていたが。

追記・図録について(20230925)

展覧されていた点数が多いので、図録も非常に分厚い。
ほぼ全作品に解説がついているので、かなりテキスト量も多い(なお、個別に解説がついていないのは、Section10~12で、11と12は現代の作品だから美術史的な解説がなかったのだろう。10は瀧口修造実験工房で、細かい作品が多いのでそのあたりが省略されていた感じだったか)
そのほか、解説論文が4本ほど。

ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 新畑泰秀
1920年代のフランス美術における抽象絵画 島本英明
抽象表現主義の登場と展開――ヨーロッパとアメリカ、両方の視点から 大島徹也
瀧口修造と抽象芸術――非象形シュルレアリスム絵画の探求 土渕信彦

ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 新畑泰秀

本展覧会を企画するにあたり参照された先行研究が紹介されている(あと、アーティゾン美術館の収集の経緯について)。
先行研究として具体的には、過去に開催された抽象絵画の展覧会と書籍があげられている。その中からさらにいくつかピックアップして下記にあげておく
キュビスムと抽象芸術」(1936年、ニューヨーク近代美術館
美術史家でニューヨーク近代美術館の館長であったアルフレッド・バーによる企画で、図録の表紙に、抽象芸術のチャートが掲載されている。フォーマリズム的な整理がなされており、以後、よく参照されるようになるとともに、単純化しすぎているという批判も多いもの。
大きく、幾何学的抽象と非幾何学的抽象という区別がなされていて、これはキュビスム由来の抽象絵画シュールレアリスム由来の抽象絵画となる。
「芸術における精神的なもの:抽象絵画」(1986年、ロサンゼルス・カウンティ美術館
前述のフォーマリズム的な整理に対して、表題にあるとおり「精神的なもの」を基準に整理した展覧会。初期の抽象絵画に対する神秘主義などの影響
「抽象を発明すること」(2012年、ニューヨーク近代美術館
こちらでは、画商とかキュレーターとか人的な交流の面から整理したチャートが作られたらしい。それは面白そうだなと思う反面、かなり複雑で読みにくいらしい。
『西洋美術の歴史8』(2017年、井口・田中・村上)
近年、日本語で書かれた美術史の本としてよい本らしい。

1920年代のフランス美術における抽象絵画 島本英明

抽象絵画は1910年代に誕生して盛り上がるわけだが、1920年代にはその盛り上がりがしぼんでいく。ここでは、モンドリアンの活動とそれに対する評価から1920年代のフランスにおける抽象絵画の扱いが論じられていく。
戦間期フランスでは、第一次世界大戦後のナショナリズム高揚などにより、フランスの伝統的な絵画への注目が高まり、具象的な作品へと回帰していたらしい。その文脈で評価されたのが、エコール・ド・パリの作家たちということになる。
抽象絵画の画家たちは一応グループを作って美術展を開催していたようだが、あまり注目を集めなかったようだ。1920年代後半から少しずつ抽象美術への注目も復活していく、と。

抽象表現主義の登場と展開――ヨーロッパとアメリカ、両方の視点から 大島徹也

ノン・オブジェクティブとシュルレアリスムという区別。これは、バーの幾何学的抽象と非幾何学的抽象とも対応する区別だが、これらが、戦後のアメリカにおいて混淆して受け入れられていく。
バーは、抽象表現主義を「第三の抽象の波」と呼んだ。第一、第二が何かを明言していないが、前者は1910年代(オキーフなど)、後者は1930年代〜40年代のアメリカン・アブストラクト・アーティスツ(AAA)など
ノンオブジェクティブは、無対象的とか幾何学的とかでAAAの画家などがあてはまるが、グリーンバーグが抽象表現主義をペインタリーと呼ぶ時、それに対比されるリニアは、キュビズムモンドリアン、ミロなどでアメリカにおいてはAAA
ニューマンらによる、ノンオブジェクティブへの装飾的という批判
シュールレアリスムから、オートマティスム集合的無意識についての影響

*1:ところでここも(おそらく校正不足で)「写真連続」になっていたりした……