常松洋『大衆消費社会の登場』

19世紀後半から1920年代頃までのアメリカにおける、大衆消費社会の成立について
1920年代頃に、現代まで続く形の社会や文化が成立したといわれるが、それがよく分かる(およそ100年たっていて、また転換期にあるのかな、という気もするが)。
企業活動の再編という話から始まって、それがどのように流通・消費の過程に変化をもたらし、いかに生活方法や価値観の変化へとつながったのか、という流れで論じられていく。
短いけど面白い本だった


資本家でもなければ、肉体労働者でもない、中産階級が拡大していく
中産階級中産階級たらしめていたのが、消費社会・消費文化
その一方で、中産階級による革新主義という政治運動の流れやヴィクトリアニズムという価値観が、娯楽や消費にも影響を与える(健全化など)し、逆に伝統的価値観にも変容をもたらす。

1.大量生産の時代

19世紀後半からアメリカが急速な経済成長を遂げる(鉄道網の整備、製造業の拡大)
過剰供給により価格下落。
価格協定が非合法化されるも、逆に大きな単位での企業合同が促進
一方、流通市場が未整備
これらの要因により、製造業が販売まで手がける「垂直統合」の流れが進む
ここで、具体的に垂直統合した業種の例として第一に挙げられていたのが「ミシン」であった(そのほか、農機具、車両、自転車、さらに生鮮食料品や嗜好品と続く)
具体的な企業名は本書にはなかったが、これはシンガー・ミシンだろうとピンときた
(シンガー・ミシンの名前は青柳いずみこ『パリの音楽サロン――ベルエポックから狂乱の時代まで』 - logical cypher scape2海野弘『アール・デコの時代』 - logical cypher scape2海野弘『万国博覧会の二十世紀』 - logical cypher scape2でつづけて目にしていた)
シンガー・ミシンの公式サイトに社史があったので一部抜粋してみる

1853 シンガーミシン1号機を100ドルで発売
1855 海外進出開始。シンガーミシン、パリ万国博覧会で最優秀賞受賞。
1856 月賦購入制度、分割払い販売等を考案
1863 シンガー裁縫機械会社として法人会社となる。
1906 シンガーミシン裁縫女学院を東京・有楽町に開校。
1927 アメリカで、シンガー・ソーイング・センターを設立。 裁縫課程も設ける。
http://singer.happyjpn.com/naruhodo/history/

法人化や月賦購入の話は、下にも出てくるが、それらに先駆けている
学校を作っているのもちょっと面白い


19世紀後半の経済再編のなか、法人にも憲法上の「人格」が認められ、企業の法人化が進む
一方、労働争議も盛んになっていくが、労働者の抵抗運動に対して、企業側による効率化の動きが進む
先陣を切ったのが、フォード
製品の標準化が進み、分業が徹底され、組み立てライン方式が導入。この方式は労働者を消耗させ、不満を増大させたが、効率化による労働時間の短縮と昇給がもたらされる
とはいえ、その高い給与を得るためには、勤勉・節酒・清潔などの徳目を達成することが課せられた


高い給与は、労働者を、大量生産された商品を買う消費者へと変えた
そして、自動車の売上トップは、フォードからGMへと変わる
良いものを作れば自然と売れる、というのがフォードの戦略だったのに対して、
GMは、経営・デザイン・金融・宣伝を重視
月賦購入ができるようにして、広告と頻繁なモデルチェンジを行うなどした

2.大量販売・大量消費

宣伝が重要になる
雑誌の大衆化路線(部数の増加による読者層の拡大)により、広告が重要な収入源に
贅沢品が宣伝され、そして昨日の贅沢品が今日の必需品になっていく(歯ブラシや自動車)
宣伝により商品を購入してもらうには、銘柄が大事になる
そのために、商標を保護するための立法がすすむ
売店の近代化・専門化はなかなかすすまず、1920年代まで小売の売上3分の2は「母ちゃんと父ちゃんの店」という小規模な店によるもの
つけ払い、金の貸し借り、手紙の代筆や仕事や住宅の紹介などの役割を果たす場所であり、そして、銘柄商品を売りたい企業とは緊張関係にある
こういう店は、商品はカウンターの後ろに並ぶので、店主が客に商品を渡す。また、銘柄商品の利潤率が低かったので、小売がこれを嫌がるというのもあった。
それで製造業側から小売への妥協もあった(マージンの引き上げなど)
先の章で、垂直統合の話があったが、完全に製造業側が小売まで制圧できたわけではない、という話
あと、銘柄商品は缶詰・瓶詰めされていて試食ができないので、消費者側に不安がられたとか。異物混入系の都市伝説みたいなのが出回っていたようだ(元はそういう小説があったらしい)


伝統的価値観との関係
女性解放の時代であったが、売る側は女性は家庭にいるべきという価値観を利用
また、家事の効率化はしかし省力化にはつながらず。むしろ、家事の基準が高くなり、主婦に対して、家庭の清潔・衛生・健康に対する義務感を植え付ける。
また、単なる倹約ではなく経済性が重視され、月賦購入も普通になり、借金は恥ではなくなった
移民のアメリカ化をすすめたのも大量消費社会。フロンティア開拓による土地所有に変わり、耐久消費財の所有が中産階級の証に

3.消費文化と政治・社会

移民とアメリカ化
消費資本主義は移民のアメリカ化を促す。アメリカ化とはアメリカ的生活方法への同化。
ここでは、チェコスロバキアからの移民女性がアメリカに移住してきて、スーパーマーケットで商品を買い漁ったエピソードが紹介される。それらの商品は、かつて彼女がウィーンで小間使いをしていた際にラベルを見ていた商品だった。中東欧では階級に阻まれて享受できなかった豊かさをアメリカではお金さえあればその消費活動の一員になることができた、と。
西欧からの旧移民に対して、中東欧からの新移民は、英語が話せず、カトリックユダヤ教徒だったため、排斥運動も生じてくるが、一方で、同化の可能性も探られていた。


革新主義
世紀末転換期において「革新主義」という改革運動が進行する
州の分権から連邦政府による介入へ、という動き
これは、経済活動の再編で、企業活動が州をまたがったものになってきたこととも関係する
女性参政権やボス政治家の打倒、所得税、鉄道・トラストの規制、最低賃金制、禁酒法、人身売買(売春)禁止法などなどが挙げられる。
これらは移民のアメリカ化の手段でもあった。
そして、この革新主義運動を担ったのは、都市の中産階級であった。


都市中産階級
世紀末から急速に増加した都市中産階級
彼らを特徴づけるのは難しく、研究者はおおむね収入で定義しようとする
革新主義は、それ以前の農民中心のポピュリズムと対比される。ポピュリズムは生産者中心の運動だったのに対して、革新主義は消費者中心の運動。
生産者は、階級・職種により利害対立があるが、消費者はそのような利害対立がない。
都市中産階級は、アイデンティティが曖昧な存在でもある。
肉体労働者と比較すると、収入は格段によくて、特に住居に差があり、郊外に一軒家を持つことができた。
大量消費社会において、家庭から生産機能を奪う(かつては家庭で生産していた石鹸等の日用品は購入されるようになる)。夫は働き、妻は家庭という役割分担が定着する。乳幼児の死亡率低下や、相対的に裕福な地位を維持するため、少子化・晩婚化が進む(前の章でもあったように、主婦が家庭を支えて、家族の健康等のために消費活動をする、というようになる)
中産階級の増大は、企業の大規模化でもあり、その中で、個々の労働者の自主性などは失われていくようになる。労働そのものに労働の価値が感じられなくなり、むしろ、労働で得られた収入で何を消費するか、に労働の価値を感じるようになる。
革新主義は、連邦政府が国民の生活へ介入していく動きであるが、家庭が担っていた公的領域と私的領域が分離していく。
アイデンティティの不安を抱える中産階級は、娯楽の世界に自らの帰属を見出す。
娯楽の世界を通じて、移民のアメリカへの同化も促される。

4.ヴィクトリアニズムの動揺

ヴィクトリアニズムは中産階級を中心に遵守されてきた価値観
体面を重んじ、規律正しさ、勤勉、節制、純潔などを重視する
WASPであることが条件
家庭を通して個人は公的活動に結合すると考える


ヴィクトリアニズムは、主婦だけでなくメイドの存在にも支えられていた
が、世紀末になり、メイドの供給源だった若い移民女性が、メイドを避けるようになる(賃金による理由もあれば、住み込みによる束縛を嫌うという理由もある)
核家族化とメイドの不足により、主婦は孤立化し、より資本主義の支えが必要となる


ヴィクトリアニズムの動揺を示すものとして、離婚率の上昇がある
女性解放によるとも考えられていたが、この時期、実は結婚数も増えている。
結婚数が増えたことにより、離婚も増えたと考えられる
結婚が増えたのには以下のような理由がある。
売春禁止法と避妊の一般化により、夫の買春の根拠が失われ、ロマンティックな結婚観が実現
教育制度の充実や経済面での効率性から、結婚や就学・就職の適齢期という考え方が定着
また、洋服や化粧品が安価になり、上流階級でなくとも淑女になることが可能に
一方、労働からの疎外で、労働から「男らしさ」が失われ、男性が家計を支えることに男の面子があるという、ヴィクトリア的価値観が逆に強化される側面もあった。


若者の伝統的価値観への反逆
自動車や映画の出現に求められることもあるが、それ以前に、若さへの崇拝が、「若者の反逆」につながったとみる。
家庭の公的機能の喪失、ロマンティックな結婚観の実現により、家庭はより情緒的なものになっていく。親子関係もより民主的なものへ。
また、適齢期という意識の高まりや生産効率性への意識から、老齢への忌避感が生じる。
これらが「若さ」への崇拝をもたらす。
1920年代の若い女性=フラッパー
化粧品・ストッキング・喫煙、これらはかつて娼婦の習慣だった
コルセットをなくし、扁平な胸を強調し*1、スカート丈を短くする
→伝統的な良妻賢母理念への拒否、未成熟な(若い)身体の理想視
しかし、人はいつまでも若くはいられない。その軋みが離婚としてあらわれていたのではないか、と。

5.男女交際・娯楽・消費文化

5章で扱われるのは、仮想階級の文化がより上流階級へと広がり、新しい娯楽はヴィクトリアニズムと衝突し問題となるが、次第に健全化していく、という流れ


19世紀において、男女交際は母親が複数の男性を家に招待するところから始まる。
メイドや広い邸宅が必要だった
むろん、家が狭く人を招くことができない労働者階級などでは話が別。
「デート」はもともと売春を意味する業過用語
次第に、商業娯楽施設での男女交際のあり方をさす言葉になる(男性が遊園地、映画館、ダンスホールなどの施設の入場料や食費を払う、という金銭を介在させた交際)
下層階級では19世紀前半からあったが、世紀末には、より上流に広がっていく
教育の発達により、同年代の友人と過ごす時間が増えたことが要因
(リースマン『孤独な群衆』にある、同輩集団(ピア・グループ)の重要性の指摘)
流行に乗り遅れないように、という動きから


19世紀前半の娯楽施設である劇場では、階級が混淆していた(異なる階級でも同じ劇場に入る(座席は違うとしても))。
19世紀半ばとなると、階級によるすみわけができる(上流階級はオペラなど、下層階級は見世物など)
世紀末にまた変化
余暇時間の増大
労働時間の減少だけでなく、電化により、夜が余暇時間になったこと
→ダンスの流行
モンキー・グライド、フォックス・トロット、バニー・ハグ、グリズリ・ベアなどの「野生」のリズム


映画の流行
安価であり、また当初はサイレントで英語がわからなくても見れたため、まず労働者階級から広まる
内容や映画館の環境(暗い空間に男女がいる)が問題とされた
検閲局が結成されることになるが、映画業界はむしろこの流れを利用
映画作品の品位を確立することで、中産階級に客層を広める目論見で、実際、国産映画が増加
一方で、映画は酒場から客を奪うことで、禁酒的な機能をもっていたので、内容や環境が改善されれば、むしろ歓迎されるように。
長老派の牧師による映画賞賛
1920年代、中産階級の娯楽として確立
メアリ・ピックフォード、クララ・ボー、ダグラス・フェアバンクス・ジュニア、チャップリンなどのスター輩出
「パレス」と称される壮麗な映画館
女性一人でも安心して入れる施設に
また、酒場も清浄化され、女性が一人でも入れるようになっていく。


映画界は、ヘイズを長とする検閲機関を自ら設立
プロ野球は、ブラック・ソックス・スキャンダルからの立ち直りをめざし、コミッショナー制度を設立
中産階級の革新主義の流れにのって、健全な娯楽・正しい消費へと、進んでいった。

*1:海野弘『アール・デコの時代』 - logical cypher scape2でも、それまでのコルセットによる胸の強調に対して、1920年代はその反動が見られたとの記載があった。なお、1920年代後半には再び胸を強調する下着が登場してくるという話だったかと