松下哲也『ヘンリー・フューズリの画法』

サブタイトルは「物語とキャラクター表現の革新」、筆者の博士論文を書籍化したもの
美術としての絵画とそうではない絵画の結節点となる画家として、18世紀イギリスの画家フューズリについて論じる。
フューズリは、ロイヤル・アカデミーの画家だが、観相学や演劇などからの影響を受けており、本書では、美術だけではない当時の視覚文化の関わりの中に彼を位置付ける(マーティン・マイロンが、当時の視覚文化の趨勢である「ゴシック・スペクタル」の一部としてフューズリを位置付けている)。
第一章では、イギリスのロイヤル・アカデミーの特徴について
第二章では、フューズリの理論的背景について
第三章と第四章では、具体的な作品を取り上げ演劇からの影響を論じる
第五章では、フューズリの後世への影響について

序章
第1章 物語絵画と十八世紀の美術市場
第2章 物語とキャラクターの理論
第3章 「劇場は最高の学校」―俳優の演技と物語絵画の「行為」
第4章 物語とキャラクターの造形
第5章 次世代に継承されたフューズリの画法
あとがき
参考文献

ヘンリー・フューズリの画法: 物語とキャラクター表現の革新


序章

フューズリの略歴と近年の研究動向について
フューズリは、1741年チューリヒ生まれ、1825年ロンドン死没
「悪魔的」「魔術的」と称される画風で、「イギリスロマン主義美術」の先駆者
アカデミーに所属する画家なのだが、実は正規の美術教育は受けておらず、元々は文筆家
おおよそ20代のあいだは、翻訳業などをしていて、フランスへ行った際にはルソーやヒュームと知り合っていたりしている
元々画家になりたくて、趣味で絵を描いており、それがロイヤル・アカデミーの初代総統であるレノルズに認められ、29歳に画家への転身を決意、38歳で画家として独り立ちし、47歳でロイヤル・アカデミー準会員となり、最終的には付属美術学校最高責任者にまでなっている

第1章 物語絵画と十八世紀の美術市場

イギリスのアカデミーは、ロイヤル・アカデミーという名前はついているが、画家同士の互助組織であって、王家や国からの資金援助があった組織というわけではない
そのため、非常に「商業的」
年次展覧会を開催し、カタログを売って資金源にしていた
画家は、展覧会に出ることで知名度を上げて仕事を得るので、年々出展数が増える。すると、多数の作品の中に埋もれてしまうので、アピールする必要がある。「ショー」化
フューズリは、そこで目立つのが上手かった。代表作『夢魔』(エラスムスダーウィン『植物の園』の挿絵にもなっている絵)は、非正規なパロディを含めたくさんの版画が作られ、フューズリと出版産業の関係を強めた


文芸ギャラリー
ロイヤル・アカデミーは「英国画派」の確立を目指し、シェイクスピアに目をつける
シェイクスピア作品を題材にした作品の展覧会などをやるようになる
フューズリも、シェイクスピアを描いているし、ミルトンのもやっている
これは、文芸作品を題材としているため、必然的に連作となっていく
また、こうしたギャラリーは、展覧会だけでなく、版画の出版物企画とも連動するようになる
フューズリの画業や絵画論は、こうした伝統的絵画の変化が背景にある

第2章 物語とキャラクターの理論

  • 詩的模倣

フューズリは、芸術論としては、ボドマーとブライティンガーからの詩学の影響を受けている
そこでは、詩と絵画は同種のもの、どちらも「読まれる」ものであるという考えに立っている
例えば、古代ギリシアのシモニデスによる「絵は黙せる詩、詩は語る絵」という対句
これに対して、レッシングの『ラオコーン』が発表される
フューズリは、『ラオコーン』を読んでいたが、これに対して長く沈黙していた。しかし、しばらくたってから、レッシングからの影響を公言するようになる。
本論では、フューズリがレッシングを受容するようになっていった時期に、文芸ギャラリーの参加があったことが指摘されている。
で、フューズリは、絵画にも詩的な表現(物語)を描けるということと、レッシングの詩と絵画は異なる表現形式だということを両立させるような理論として「詩的模倣」という考えを生み出す
これには、彼の師であるブライティンガーの「創案」という考えが背景にある
ブライティンガーは、ライプニッツの可能世界論をもとに文学論を考えたらしい*1。で、世界の「創造」は神のみの御業であって作家が「創造」するということはありえないんだけど、作家は作品の「創案(発明invention)」をしているのだ、と。神が創造しえたのだけど実際には創造しなかった可能世界の事物を、現実世界における作品の形態に置き換えることが、作家の「創案」なのだ、と。その限りにおいて、作家は「創造」を行っているといってもいい、と
フューズリの「詩的模倣」というのは、この「創案」という考えをもとにしていて、現実世界の事物を模倣する「自然模倣」に対して、現実にはないけど可能ではあるような組み合わせを制作するのが「詩的模倣」
で、「詩的」という言い方をしているけど、これは詩(文学)に限ったことじゃなくて、絵画にも適用できる、と。

フューズリは、正規の美術教育は受けていないが、個人的には若い頃から絵を描いている
で、ミケランジェロとか古代ローマレリーフとかを元にして描いている絵とかもあるのだけど、元の絵を正確に再現するというようなことはあまりできていない。代わりに、プロポーションを誇張した人体造形をしている。
フューズリは、五ポイント・ドローイングという、人体造形の訓練をしていて、紙の上に5つの点を打って、それを頭部と両手両足にして絵を描くというもので、できるだけ描きにくい位置に点を打つようにする
なので、自然そうなポーズとかではなく、実際にはないんだけど論理的には可能なポーズの造形で人体を描く
それの例として、p.76に『プロメテウス』という絵が掲載されているんだけど、最初見たとき「ジョジョっぽい」と思った。身を屈めたポーズなんだけど、腕の捻り方とかが「っぽい」

フューズリは、理論書の中で観相学に言及しており、特に当時、観相学の集大成となっていたのがラヴァターの観相学の本で、フューズリは英訳版の監修とイラストを担当しているほど
キャラクターを造形する上で、観相学を使っている。例えば、額の角度によって、聖人と悪人とを描き分けるなど
ロイヤル・アカデミーのレノルズが、人体について理想形・本質を描くことを目指していたのに対して、フューズリは、むしろ多様性を目指していた(美しい人物だけでなく、卑しい・醜悪な人物も描こうとしていた)という相違がある

第3章 「劇場は最高の学校」―俳優の演技と物語絵画の「行為」

主に、感情表現と表情の話


フューズリは、シェイクスピア演劇を観劇するのが趣味で、特に当時の有名俳優であるデヴィッド・ギャリックを好んでいた
このギャリックによる芝居は当時、その「表情」と「身振り」によって感情が巧みに表現されていたことが評価されている
で、この表情による感情表現の背景にあったのが、シャルル・ル・ブランで、ル・ブランはデカルトやラ・メトリーの機械論的な哲学をベースにして、感情ごとの表情の描きわけについての本を書いている。このル・ブランの本が、ギャリックなどの演技論やフューズリに影響を与えている
フューズリの作品は、より暴力的・性的な過激な題材が使われており、それが特徴的だが、ヒュームからの影響があるという
ヒュームの「共感」の概念が当時のイギリスには広まっていて、フューズリは「共感」をもたらすような作品をより上位に位置づけている。

第4章 物語とキャラクターの造形

引き続き、演劇からの影響の話
時間表現についてと光について

  • 時間表現

ここではフューズリの「グイド・カヴァルカンティの亡霊に出会うテオドーレ」という作品について論じられる
これは『デカメロン』に収録されているエピソードの翻案作品を元ネタにして描かれた絵
異時同図法で描かれたことが指摘されているが、本書では特に、絵の右側で逃げている女性(テオドーレ)の、不自然な体のねじれに特にこの作品の時空間構造を見て取る
なお、この絵は、元エピソードが貞操についての訓戒だったのに対して、そのような側面が退き、暴力的な要素が強くなっている。そこで、フューズリが秘密裏にポルノグラフィを描いていたという点についても、この節で解説がされている
さて、話を戻すと、テオドーレの上半身の捻りは、当時の演劇舞台と関連しているのではないか、と論じられている。
当時の劇場の舞台は、役者が演技をする舞台が前にあり、その奥に舞台装置を設置した空間があった。
ただ、18世紀はこの二つの空間の区別が失われはじめた時期で、つまり、役者は左右方向だけでなく、奥行き方向への移動もするようになっていた。
フューズリが描いたテオドーレの上半身の捻じれというのは、奥行き方向から左右方向へと向きを変えていくことに対応しているのだ、と
本論では、これ以前に描かれた作品と、これ以後に描かれた作品で、登場人物が同様の動線を辿っていると思われる作品をあげ、フューズリが次第に、この動きの描き方に熟達していく様を示している。

フューズリは、自著において、「目への暴力」になるような明暗の差がはっきりしすぎているのは避けるように、と書いておきながら、彼がキアロスクーロの手法で描いた作品は、非常にコンストラクトが強い。フューズリは、理論と実作にこのような「矛盾」があると言われているが、本書はこれは矛盾ではないと論じる
ここでは、この時代の演劇において照明による演出が進歩してきたことや、幻灯機、ファンタスマゴリアのような視覚文化の中に、フューズリの作品を位置付ける
マクベス』におけるマクベスの恐怖の演出や、あるいは『マクベス』や『ハムレット』に出てくる魔女や亡霊といった超自然的な要素を描くために、強調された明暗が使われたのだと。そしてこれは、当時の舞台の照明演出や、ファンタスマゴリアなどでも同じようなことがなされているのである

第5章 次世代に継承されたフューズリの画法

フューズリの芸術論とロイヤル・アカデミーでの絵画教育は、広く共有されたが、イギリスにおいて、物語絵画の地位が上位だった期間は長く続かない。ターナーやコンスタブルの風景画の時代が来るからである。なお、コンスタブルはフューズリの教え子だったらしい。
で、第5章では、フューズリの影響についてが論じられる。
ここでまず、ラヴァターの『観相学』がラファエル前派に影響を与えていることに注目されるが、フューズリと世紀末美術の間には時間差がある。で、これを埋めるものとして、(1)ウィリアム・ブレイク(2)ブレイクを慕う若手美術家グループ「古代人」(3)アカデミーでフューズリに師事した画家たちの3つをあげている

ブレイクはフューズリの友人
観相学に基づくキャラクター造形について、ブレイクとフューズリには多数の一致があり、ブレイクはフューズリの盟友でありフューズリ理論の継承者であった
第2章の「詩的模倣」で述べた通り、キャラクターの多様性、個別性、醜さを重視する点など
ところで、ブレイクの言葉がいくつか引用されているのだけど、たびたび「崇高」という言葉が出てきて、流行ってたのかなとちょっと思った

  • 「古代人」

晩年のブレイクのもとに集った若い画家のグループ「古代人」
その中には、ブレイクを介してフューズリの理論を継承した者もいる
また、そもそもアカデミーでフューズリの教え子だった者もいる

  • アカデミーでのフューズリの教え子たち

既に述べた通り、イギリス美術において、物語絵画の時代は長く続かず、風景画の時代がやってくる。
このため、フューズリの教え子世代で、物語絵画のテーマを引き継いだ者たちは、経済的には困窮し、後世においてはほとんど無名の存在となってしまった
ここでは、そうした教え子としてヘイドンとホルストが挙げられている
ヘイドンは、フューズリの美術教育を、一般向けの技法書に書き、フューズリのキャラクター造形の理論をアマチュア向けに広めた
ホルストは、『惑星』のホルストの大叔父にあたり、メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』の挿絵画家でもあり、ここで重要なのは、ラファエル前派のロセッティが私淑していたという点
フューズリの教え子を介して、フューズリとラファエル前派とが繋がっている。


この前、大塚英志『ミュシャから少女まんがへ 幻の画家・一条成美と明治のアール・ヌーヴォー』 - logical cypher scape2を読んで、次にこれを読んで、まあ繋がっているのか繋がっていないのかよく分からないんだけど
この大塚英志ミュシャの本の中には、田山花袋柳田國男島崎藤村上田敏が集まっていた『文學界』グループが自らをラファエル前派になぞらえていたことなど、ラファエル前派への言及が度々あり、このフューズリについての本がラファエル前派で終わっているので、「あ、なんかつながったな」とw


なお、この本の一番最後に、テプフェールへの言及もなされている
テプフェールとフューズリも同時代人。ただ、直接的な影響関係自体はない。とはいえ、観相学をもとにしたキャラクター造形の理論を作り、物語を叙述するものとして絵画(テプフェールは「版画文学」という言葉を使った)をとらえ、アカデミックな美術とは異なるイラストレーションやコミックといった分野へ影響を与えたという点では、近い位置付けができるのではないか、と。

*1:ブライティンガーという、なんかプランティンガとなんか名前が似ている人が、可能世界論をもとにした文学論やっているの、ちょっと面白い気がしたw