ディーノ・ブッツァーティ『タタール人の砂漠』(脇功・訳)

士官学校を出た主人公が、辺境の砦に任官するところから始まり、定年で退官するまでを描き、いつか人生を意味づける瞬間が訪れると期待しながら、しかし、徒に時間が過ぎていくばかりの人生を描いた作品
先日から海外文学読むぞというのを個人的にやっているが*1、その際に何か面白そうな本はないかなと読んでいたガイブン初心者にオススメする海外文学・文庫編 - ボヘミアの海岸線で紹介されていたのが気になって読んだ。
読了後にググってみたら、70年代に映画化された作品で、また、2013年に岩波文庫版がでたときにスゴ本で紹介されていたりしたようだった。
上記ブログでは「20代30代男性の必読書」として、スゴ本では「40超えたら突き刺さる」と紹介されているように、「自分、若者じゃなくなってきたなあ」と思う年代で読むと刺さる本かなと思う。
上述したとおり、士官学校を出た主人公が、辺境の砦に任官するところから始まり、定年で退官するまでを描いているわけだが、この砦はある意味で平和で何も起こらないし、それ故に出世ともほど遠い任官先で、しかし、ここに配備されている将校たちはみな「その時」を待ち続けている。つまり、戦争が起きて自分が活躍する時を。だが、実際にはそんなことは起こらない。そんなことは起こらないだろうことは本人たちも分かっている。だから、聡い者は転任していくわけだが、この砦に誤って希望をもってしまった者、あるいは、習慣化した任務になれきって、「まだもう少しここにいてもいいだろう」と思ってしまって、ここに居残ってしまっている者たちもいる。そして、「その時」を待っているうちに、手遅れになってしまうのである。


ブッツァーティカルヴィーノと並び称されるイタリアの作家だそうで、本作は1940年に刊行された、作者としては長篇3作目にあたる作品。
出版年で分かるとおり、戦争中に書かれているが作中では全く戦争が起きるわけではなく、また、架空の国を舞台にした作品であり、戦中は戦時中の雰囲気とそぐわず、戦後は、ネオ・レアリズモの風潮とあわず、国内ではあまり評価されてこなかったが、まずはイタリア以外の国々で評価され、その後、イタリアでも文学賞を受賞することになったとのこと。
なお、架空の国が舞台となっているためか、幻想文学と称されることがあるようだが、あまり「幻想文学」「ファンタジー」感はない


本書の構成は、訳書解説にちょうどいいのがあったので、そのまま引用する。

最初の一章から四章までが砦への道中と到着という二日二晩の叙述に費やされ、五章から十章にかけては砦での二か月間の、十一章から十五章までが二年後の、十六章から二十四章までが四年後のことの叙述に当てられ、残りの五章でドローゴに残された「歳月が夢のように過ぎ去って」しまう経緯が一気に語られるのである。(訳者解説p.347)



主人公は、ジョヴァンニ・ドローゴという若い中尉で、士官学校を卒業してバスティアーニ砦へ任官するところから始まる。
この砦は北の国境線を守備するもので、周囲を山地とれき砂漠に囲まれている。
北の砂漠には「タタール人」についての伝説があり、また、北の国との国境ともなっている。
砦に向かう途中にたまたま出くわしたオルティス大尉から話を聞いて、どうも砦に長くいるべきではなさそうだと知ったドローゴは、着任直後に、副司令官のマッティ少佐に話をもちかけるのだが、色々言われてとりあえず4ヶ月待つことにする。
というところから、じわじわとドローゴは砦の生活に染まっていくことになる。
4ヶ月後に砦から離れる機会はあったのに、何故かドローゴはこれを断ってしまう。習慣化によりもう少しここにいてもいいかという気持ちが宿り、また、もしかしてここに残っていたら戦になるのではという淡い期待が浮かんでしまったのである。
ところで、着任直後に、ドローゴ本人は気付いていないが実はこの瞬間にドローゴの青春時代は終わってしまったのだ的な説明がされていて、その後もことあるごとに、まだ若いと思っているけれど時は着実に過ぎていくのだ、ということが何度も語られることになる。

  • 2年後の出来事

もしやその期待がかなうのかもしれないという出来事が起きる
交代で勤務している新堡塁の警備隊を指揮することになったドローゴは、砂漠から馬が一頭近付いてきたのに出くわす。
その馬をめぐってなんやかんやあって、兵卒が一人死んだりする。
この馬は、伝説のタタール人か、あるいは北の国の侵略の前触れではないか、とやにわに砦が色めき立ち始める。そして実際、軍勢の姿が見え始める。
とはいえ、砦の司令官である大佐は、結局肩すかしをくらうのではないか、そんなうまい話があるわけはないと逡巡し続ける。果たして、首都から伝令がきて、かの軍勢は国境策定部隊であり、敵対するものではないと告げられるのだった。
しかし、それで話は終わりではなくて、こちらも国境策定作業をやる必要があるということで、砦から作業部隊を出すことになる。
この部隊に副官的な位置で入ったのが、アングスティーナ中尉。砦におけるドローゴの友人の1人であるが、ちょっといけすかない奴的なポジション。登山するのに長靴(文脈からしてお洒落なブーツのことかと思われる)を履いてきたので、作業部隊を率いる上官が、お前そんな靴履いてくるなよ的なことを言われる。
で、北の国より先に山頂に国境用のマーカーをつけるのが任務だったのだが、先を越されてしまう上に、吹雪になってしまう。身体があまり強くないアングスティーナだったが、北の国の部隊に対して余裕があるところを見せつけているうちに、亡くなってしまう。
実は、この2年後のエピソードが始まる第11章の冒頭で、ドローゴが、子どもの姿をしたアングスティーナが妖精に連れられて空の上へ行くという、彼の死を暗示するような夢を見ていて、実際にこのアングスティーナが亡くなるシーンで、この夢のシーンが引用されていたりする。
ドローゴは、この国境策定の作業には行かなかったわけだが、後になって、アングスティーナの死こそ、自分たちの求めていたものなのではなかったのか、と思ったりする。
ドローゴの任期中に起きた最大の事件は、このアングスティーナの死だったといえる。

  • 友人の妹との話

ドローゴが休暇で故郷の町へ帰ったときの話。
実家に自分の部屋は残っているけれどなんだかよそよそしくなっているし、友人たちも違う道を歩んでいて話があわなくなっているし、という状態。
友人の妹であるマリアとドローゴは、実はわりといい仲になりそうな雰囲気があって、久しぶりに再会した時も、マリアはドローゴに対して誘いかけるようなことを言う。ドローゴもそれが分かっているのだが、しかし、結局袖にしてしまう。
この作品の主人公であるドローゴは、稀ではあるが度々人生の転機になりそうなことがあるのだが、こうして自ら不意にしてしまうのである。しかも、わりとぼんやりした理由で。
しかし、なんと言えばいいのか、ドローゴのこうした態度はリアルなところあるよなーと思わせるところがある。
何か劇的な失敗があったわけではない。ただなんとなく、日常に流されるままに過ごしているうちに、気付いたら手遅れになっている、という。

  • 4年後のこと

シメオーニ中尉が自分の望遠鏡で砂漠を見ていて、何かを見つける。彼は、それが道路工事であり侵略の準備だと主張する。
2年前に肩すかしがあったばかりなので、誰も相手にせず、ドローゴだけがなんとなく話し相手になってしまっている。
結局、シオメーニの望遠鏡は没収される。

  • 終盤

一気に時間は過ぎていく。
大尉になったドローゴは、休暇の終わりに砦へ帰る途中、自分に話しかけてくる新任の中尉に出会う。かつて、オルティス大尉に話しかけた自分のように。
そうやって少しずつ時間の経過を感じ始める。
そんな折、首都は砦の縮小を決める。ここでもドローゴは立ち回りに失敗し、砦にいた半分ほどの将校と兵士が砦を離れる中、砦に居残ることになる。
さらに、上官たちが次々と退官していき、ドローゴも少佐となり気付けば副司令となっている。
そうやって結局、これまでの上官たちと同様に何事もないままにドローゴも退任するかと思われた頃、なんとあのシオメーニが見つけていた道路工事が完成する。いよいよ本当に、北の国が攻勢をしかけようとしていたのだった。
いよいよ待ちに待った時がやってきた、と思われたのだが、ドローゴは病に倒れてしまう。首都から援軍が砦に送られる中、ドローゴは1人砦を離れることになる。彼はそこで死へと思いをはせる。死と向き合う孤独な戦いにドローゴは赴くのだった。
最後まで何も起こらないのかなと思わせておいて、どうも本当に戦が起こる展開になる中で、主人公は強制退場というこのラストの展開、何も起こらずに終わるよりむごい仕打ちよな、と。
自らの死に向き合うドローゴはちょっとかっこいいのだが、しかし、そのかっこいい瞬間も長くは続かずに終わる(というか、彼の死そのものは描かれないので、その後、間をおかずに病死するのか、長生きすることになるのかとかはよく分からない)。