大江健三郎『芽むしり仔撃ち』

大江健三郎が1958年、23歳の時に書いた、初の長編作品。
戦争末期、僻村に一時的に閉じ込められた少年たちによるスモールパラダイスの形成と崩壊を描く。
プロットがめちゃくちゃしっかりしているというか明快
以前、読んでいたので再読ということになるが、内容は概ね忘れていた。自分で過去に書いた感想をも参考にしつつ読んだが、以前とは少し異なる印象も持った。
『芽むしり仔撃ち』大江健三郎 - logical cypher scape2


大江健三郎については、以前『文学+』03号 - logical cypher scape2で大江を巡る座談会があって、気になりつつあったが、一方で、ほぼ同じ時期に書いた文学読もうかという気持ち - logical cypher scape2の中では「大江健三郎(...)とかビッグネームだけどビッグネームすぎて今のところそこまで食指が動いていない」とも書いていたところだった。『文学+』03号も別の記事が目当てで、たまたま大江座談会も読んだというだけだったし。
しかし、しかしである。つい先日、訃報が入ってきた。
まあ、ある作家が死んだからといってそれでその作家を読むという習慣は特にないけれど、これはこれで一つのきっかけかなあと思い、少し、大江健三郎を読んでみようかなと思い立った。
今後、大江の代表作からさらに何作かピックアップして読んでいこうかなと思う。また、何ヶ月かかかると思うけど。
小説じゃない本、海外文学、大江作品を交互に読んでいく感じを予定しているので、半年くらいはかかるのではないか。

  • 第一章 到着

集団疎開中の感化院の少年たち
脱走した2人の少年が連れ戻される。1人は、みなから「南」と呼ばれている少年で、主人公の「僕」と並びリーダー格。彼と一緒に脱走しようとした少年は、途中で腹痛となり、それにより2人とも脱走が失敗する。
予科練の兵士たちと村人が、脱走兵を山狩りして捜索するところに出会い、トラックで村まで送ってもらう。
弟と鍛冶屋のささやかな交流。
なお、弟は、感化院が集団疎開をやると知って「僕」の親が押し付けてきた子で、イノセントな存在として登場している。

  • 第二章 最初の小さな作業

谷間のトロッコだけで外界と繋がっている僻村
教官は、第二陣を連れてくるためにとってかえす。
少年たちは、寺の一室に鍵をかけられて寝かされる。
翌日、死んだ動物たちを埋葬する作業をさせられる。
「僕」は鍛冶屋の話から、この村で疫病が流行り始めていることを知る。

  • 第三章 襲いかかる疫病と村人の退去

腹痛に苦しんでいた少年が亡くなる。
発病して土蔵に閉じ込められていた疎開女が死に、夜中に村人たちは村から逃げ去る
「僕」と弟と南はそれを呆然と見送る。

  • 第四章 閉鎖

誰もいなくなった村で暮らし始める
おのおの適当な家を勝手にねぐらとし、食料をかき集める。
土蔵の中に残された少女(死んだ疎開女の娘)を見つける。
弟は犬を見つける。

  • 第五章 見棄てられた者の協力

朝鮮人の部落に、李という少年が残っていることを知る。
また、そこには脱走兵も隠れていた。
仲間の少年と、少女の母親を埋葬する。

  • 第六章 愛

「僕」は少女に食事を届けるようになる
村人に戻ってきて欲しいという少女のために、「僕」は谷をこえて隣の村の医者のところへ行く。少女だけ引き取ってほしいと頼もうとするが、屈辱的に追い払われる。
「僕」が戻ってこないかと思って泣く少女と結ばれる「僕」

  • 第七章 猟と雪のなかの祭

李に教えられて、少年たちは野鳥を罠にかける。
弟は、犬とともに雉を捕まえる。
李の発案で猟をしたときにするという祭りをする。

  • 第八章 不意の発病と恐慌

少女が発病し、脱走兵が看護する。「僕」と李は、村長の家から氷嚢を盗ってくる。
弟の犬が少女を噛んだせいだと、少年たちが騒ぎだし恐慌をきたす
弟は逃げだす。「僕」は年少の子たちをおさえるのに必死で、弟を追いかけられない。

  • 第九章 村人の復帰と兵士の屠殺

突然、村人たちが戻ってきて、少年たちを集める。
脱走兵も捕まり、竹槍で刺され内臓をさらしたまま憲兵のところへ引っ立てられる。

  • 第十章 審判と追放

少年たちが家を荒らしたと激昂する村長だったが、その後、村で疫病が起きたことを隠すために、少年たちにも口裏をあわせるようにいう。
その厭らしさに当初反発する少年たちだが、握り飯の前に屈していく。
最後に「僕」だけが残る。
「僕の仲間たちは(...)明らかに僕へ恥じていた。しかし僕自身は、自分に対して、(...)飢えを恥じていた。(p.205)」
「僕は自分が彼(引用注:村長)を恐慌におとしいれていると考え、それが僕へ誇りをもたらすかわりに荒あらしい恐怖におののかせた。(p.206)」
ここで「僕」は最後まで村長に、大人の厭らしさや暴力に抵抗するわけだが、それは「僕」にとって決してよいものではなく、恥や恐怖をもたらしている。もちろん「僕」は村長たちに怒りを抱いているのであり、彼らの不正を許さず、筋を貫き通すわけだが、一方で、ひどく憔悴し混乱もしている。「僕」が最後まで抵抗したのは、正義感や自由への意志というよりは、愛する者を2人も喪ってしまったことにより、「僕」を繋ぎとめるものがなくなってしまっていたからではないかとも思える(例えば、「僕」以外では最後まで抵抗していた李は、家族のことを盾にとられて屈服する)。
あと、屈辱とか恥とか出てくるところに「人間の羊」との関連も見たいのだけど、難しい。屈辱を雪ごうとすることがまた恥になる、みたいな話というか。