タイトル通り、物語論入門
理論編と分析編とに分かれており、後半の分析篇では実際の作品が数多く紹介されている。
理論編では、プロップ、バルトからの流れをおさえつつ、ジュネットの『物語のディスクール』を中心に説明されている。
この本のポイントとしては、日本語ではどうかという説明があるところだろう。
物語論の話だと、自由間接話法がどうたらというのをよく聞くのだが、個人的にいまいち分かっていなかったところだった。
まずそれがどういうものなのか改めて分かった点と、日本語にはないので、翻訳ではうまく表されなかったりして、どういうニュアンスが落ちてしまうのかということが書かれていた点が、よかった。
物語論の基本的な考え方と、それが英語と日本語とでそれぞれどのように実現しているのか、という点で比較できる。
それから、物語論に対する批判を紹介し、物語論がどういうものであって、どういうものではないのか、という、メタ的な説明にもページが割かれている。
後半は、使われる具体例が多様
『シン・ゴジラ』『シュタインズ・ゲート』『この世界の片隅に』などといったタイトルが目立つが、森鴎外や村上春樹などの日本文学、ガルシア=マルケスなどの海外文学、タルコフスキーなどの海外映画も登場するほか、やはり筆者の専門が中国文学ということもあって、中国文学からの例も多い。
よい作品案内になっていて、色々読みたくなって困るw
はじめに――「物語論」とは何を論じるのか
第1部 理論編
第一章 「物語」の形態学
第二章 物語に流れる「時間」
第三章 視点と語り手
第四章 日本語の言語習慣
第五章 ノンフィクションは「物語」か
第六章 物語論への批判
第2部 分析編
第七章 「おもしろい展開」の法則
第八章 叙述のスピードと文体
第九章 登場人物の内と外
第十章 さまざまな語りの構造
第十一章 「物語」のこれから
おわりに――人間だけが物語る
- 作者: 橋本陽介
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/04/11
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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第一章 「物語」の形態学
プロップ、ブレモン、バルト
物語論の系譜や、「物語」という用語についての説明もなされている
第二章 物語に流れる「時間」
ジュネットの『物語のディスクール』の解説だが、後半からは、筆者が「物語現在的語り」というものに着目して、森鴎外や芥川龍之介を例に、回想という枠組みを取りながらも、現在の語りとなっていることを分析している
日本語の小説において、現在のことでありながら、「た」が使われる経緯を、二葉亭四迷のツルゲーネフの翻訳などから見ていく。
なお、日本語の小説において、「た」を使う形と使わない形が織り交ぜられるが、それにはちゃんと基準があるそうで、そのことについては、『物語における時間と話法の比較詩学―日本語と中国語からのナラトロジー (叢書記号学的実践)』を読め、とのことだった
第三章 視点と語り手
引き続きジュネットの『物語のディスクール』より、「叙法」と「態」
叙法:ミメーシスとディエゲーシス、焦点化
態(vois=voice=声):語り手について
ところで、「審級」ってinstance(「決定する権限をもつ機関」という意味)の訳語なのかー
物語世界と語り手のいる世界が異なることについては、「語りの水準」という言葉が使われている。
高行健『霊山』から、物語(第一次物語言説)とメタ物語(第二次物語言説)という物語の水準同士の関係や、混ざり合いといった例が紹介されている。
それから、自由間接話法の話
第四章 日本語の言語習慣
自由間接話法に相当するものが日本語にはない、という話から、ヨーロッパ言語と日本語とでの、語り手の違いが論じられる。
ジョイスやスタンダールの日本語訳、あるいは逆に、安部公房や村上春樹の英語訳を参照しながら、それぞれの言語の語り方の違いによって、どのような「誤訳」が生じてしまったかを見る。
日本語は、登場人物とより一体化した語り方になる、という特徴がある。
第五章 ノンフィクションは「物語」か
物語論での「物語」の定義は、概ね「時間的な展開がある出来事を言葉で語ったもの」
(中略)次のような特徴があることもわかった。
1 物語現在が現在となる。
2 自由に登場人物の内面に入ることができる。
ノンフィクション、ルポルタージュや歴史小説もこういう特徴をもった物語文が出てくるよね、という話
ところで、清塚『フィクションの哲学』でも、フィクションについて似たような特徴を見て取っていなかったっか。
第六章 物語論への批判
第七章 「おもしろい展開」の法則
『シン・ゴジラ』や『エヴァンゲリオン』などから、ノーベル文学賞受賞作家トニ・モリスンの『ビラウド』、特殊な時間展開の例としてメキシコの作家フアン・ルルフォの短編小説などを紹介している。
第八章 叙述のスピードと文体
前半では、省略した展開によって、ユーモラスさを生み出す例として、カフカや、カフカに影響をうけたという余華の『血を売る男』などが論じられている。
後半では、『百年の孤独』ガルシア=マルケスの文体が分析されている。
新聞記事的な文体で、出来事の叙述を中心にした、客観的で速度の速い語りをする。
一方で、修飾語を用いた描写をすることで、膨大な情報量を組み込み、密度の濃い文となっている。
魔術的リアリズムとは、「(私たちの文明から見て)ありえないことをごく当然のこととして、客観的に書く」という文体である。
ところが、中国でガルシア=マルケスが輸入された際、魔術的リアリズムの定義が誤って受容された。つまり「現実を幻想的にする」ものだととらえられてしまった。
その誤解に影響を受けたのが、莫言だという。
莫言はむしろ、現実にありえることを、誇張して描写していくことで魔術的な雰囲気にしていく。出来事の叙述よりも感覚的な描写が多く、語りの速度も速くない。
第九章 登場人物の内と外
『シュタインズ・ゲート』『逃げるは恥だが役に立つ』『めぞん一刻』をあげながら、男性視点、女性視点の物語を、男性(女性)作者−男性(女性)読者の男性視点とか、女性作者の男性視点とかいった形で分類していく
また、内面を直接書かないことで、逆に引き立てるような作品
クリストフ『悪童日記』の客観的な書き方
マンスフィールド「園遊会」の自由間接話法を用いた感情表現(日本語には訳出できない、語りの審級の曖昧さによる、微妙な感情表現というものが説明されている)
あるいは、『この世界の片隅に』における間接的な感情表現