木原善彦『実験する小説たち』

アメリカ文学研究者で翻訳者である筆者が、主に20世紀後半以降に書かれた実験小説を色々紹介してくれる本。
今、海外文学読むぞ期間を個人的に展開中だけれど、それのガイドになればなあと思って。それ以前から気になっていた本ではあるけれど。
どういう手法を使っているのかという解説だけど、あらすじも紹介されていて、物語の面でも普通に面白そうな作品が多い印象。
また、各章末に、その章で取り上げた作品と手法などで似ている作品のブックガイドもついている。
ナボコフ『青白い炎』パヴィチ『ハザール事典』ベイカー『中二階』ダニエレブスキー『紙葉の家』ミッチェル『クラウド・アトラス』フォア『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』が面白そうだな、と思った。


第1章 実験小説とは

『トリストラム・シャンディ』などを例に出しながら、実験小説とは何かについての説明と、本書で取り扱う実験小説の範囲などについて書かれている。
『トリストラム・シャンディ』って名前は知ってるけど、18世紀にこんな作品が既にあったのか、ということに驚く。
ところで、もともと「実験小説」という言葉は、ゾラが自分の自然主義の方法論を示すのに使い始めた言葉だったらしいんだけど、もちろん今現在「実験小説」と呼ぶ場合、この意味で使われることはまずない。

第2章 現代文学の起点:ジェイムズ・ジョイスユリシーズ』(1922)

自由間接話法の話が主なのだけど、今の視点で見ると、もはや普通に見かける技法になっていて、それほど前衛感はないなと思ってしまった。

第3章 詩+註釈=小説:ウラジーミル・ナボコフ『青白い炎』(1962)

タイトルにあるとおり、詩があって、それに対する注釈という形で構成されている作品
注釈を読んでいくと、詩人の身に起きた出来事についての物語が立ち上がってくるというもの
また、作中の注釈者について、信頼できない語り手として論じていて、章末ブックガイドでは、信頼できない語り手の出てくる作品などを紹介している。

第4章 どの順番に読むか?:フリオ・コルタサル『石蹴り遊び』(1963)

作者から二通りの読み方があると最初に宣言されている本
一つは順番通りに読み進めて途中の章で終わる読み方
もう一つは、指示通りに読み進める読み方
本作は、大きく3つに分けられており、第一部はパリを舞台にした話、第二部はアルゼンチンを舞台にした話、第三部は雑多な章の集まりとなっている。
1つ目の読み方だと、第一部と第二部がそのまま順序通りということになる。
2つ目の読み方だと、上述の物語の合間合間に第三部の章が差し挟まれることになる。
2つ目の読み方は、ある意味で「ディレクターズ・カット版」なのだ、とのこと。
ブックガイドでは、他に、どの順番で読んでも構わない小説が紹介されている。

第5章 文字の迷宮:ウォルター・アビッシュ『アルファベット式のアフリカ』(1974)

日本語未訳作品。『残像に口紅を』的な奴。
残像に口紅を』は、だんだん使える単語が減っていくが、こちらは、最初の章はaで始まる単語だけ、次の章はaとbで始める単語だけ、と増えていき、26番目の章で全ての単語が使えるようになり、また折り返し減っていくというものらしい。
“another xx”で「新たなxx」と訳すんだなー
このように、特定の語を使わない作文法をリポグラムとして、有名な作品としてジョルジュ・ペレック『煙滅』も

休憩1 タイトルが(内容も)面白い小説

アンドロイドは電気羊の夢を見るか』とか『高慢と偏見とゾンビ』とか

第6章 ト書きのない戯曲:ウィリアム・ギャディス『JR』(1975)

これも未訳作品
ギャディスは、デビュー作がジェイムズ・ジョイスを継ぐ傑作と評されるが、難解すぎるせいで、2作目『JR』が出るのはその20年後だった。3作目はその10年後、4作目はその9年後に出ている
章や節の区切りが一切なく、セリフは「 」でくくられず、――(ダッシュ記号)で示されるだけで、誰が言ったセリフなのかが書かれていないという状態で延々続くらしい。
あらすじも書かれているが、結構混みあっていて、富裕な一族の相続をめぐる話と芸術家たちの話と、JRというイニシャルの少年がネットを使って投資していく話とが進んでいくらしい。

第7章 2人称の小説:イタロ・カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』(1979)

カルヴィーノは以前いくつか読んだことはあった*1が、これは未読。二人称小説として有名なのは知っていたが、それ以上どういう感じの作品なのかも知らないままだった。
次から次へと、作中作が出てくる話のようだ。

第8章 事典からあふれる幻想:ミロラド・パヴィチ『ハザール事典』(1984)

この作品は、以前どこかで書評か何か読んでから気になっている。
ハザール族の君主がかつて、イスラム教、キリスト教ユダヤ教それぞれの代表者を呼んで論争させた「ハザール論争」、それにすいての死霊を集めたのが「ハザール事典」で、さらに付属文書なるものがついている。
これらの個々の項目を、魔術的リアリズムで書かれた短編として読んでいくこともできるし、これらは辞書になっていて、各項目が参照しあっているのでそれを辿ってハイパーテキスト的に読むこともできる、と。
特に、巻末の付属文書は、ハイパーテキスト的な読み方について2つの大きな辿り方があることを示している、と。
また、男性版と女性版があるが、この2つのは相違は10数行ほど、ただし、この付属文書が示す殺人事件と関係しているとのこt
章末ブックガイドは、架空の〇〇を巡る作品ということで『鼻行類』『完全な真空』『アメリカ大陸のナチ文学』『本の中に生きる』(未訳)が紹介されている。

第9章 実験小説に見えない実験小説:ハリー・マシューズ『シガレット』(1987)

フランスの実験小説集団「ウリポ」に所属する作家の一人であるマシューズの作品
なお、ウリポには、レーモン・クノーマルセル・デュシャンジョルジュ・ペレックイタロ・カルヴィーノもメンバーとなっている。また、ウリポは死者も現役メンバーとされるらしい。
この作品は、登場人物2人ごとに章わけされており(「アランとエリザベス」「アランとオーウェン」「モードとエリザベス」……というように)、また、2つの時間を往復するような構成になっているらしい。
しかし、それだけでは実験小説とは言えないだろう。実際、普通に読んで面白い作品らしくて、章タイトルのように「実験小説に見えない」らしい。
では何が実験小説なのかというと、作品を作るにあたって、何らかの数学的アルゴリズムを用いたらしい。
しかし、このマシューズという作家、方法論的にはなんか色々やってる作家らしいのだが、その方法論を公開していないばかりか、作家本人の言によれば、書いた先から忘れていっているらしい。だから、実際にはどんな方法が使われたかは不明、という。

休憩2 小説ではないけれど、興味深い試みをしている本や作家

ルイジ・セラフィーニ『コデックス・セラフィニアヌス』など
これは、未知の世界についてその世界の言語で書かれた百科事典だとか。未訳
あと、色々切り貼りした作品とか、バイオテクノロジー詩とか

第10章 脚注の付いた超スローモーション小説:ニコルソン・ベイカー『中二階』(1988)

サラリーマンが、昼休みに昼食を取ってからオフィスに戻るためにエスカレーターにのっている間の10秒間の思考について書かれた200ページほどの作品。
時間的にはものすごく短い間のことを、すごく引き延ばして(?)書いている
『青白い炎』同様、脚注小説
プルーストの『失われた時を求めて』とも少し絡めている

第11章 逆語り小説:マーティン・エイミス『時の矢』(1991)

時間を引き延ばしてスローモーションになっている『中二階』に対して、時間を逆転させているのが本作
ただ、これはうまくいっているのかどうかよく分からないらしい。しかし、筆者はそういう作品が好きだ、ということで紹介している。
章末ブックガイドは、時間の流れに関連した作品として筒井康隆虚人たち』、ヴォネガットスローターハウス5』、ベイカー『フェルマータ』が紹介されている

第12章 独り言の群れ:エヴァン・ダーラ『失われたスクラップブック』(1995)

作者は、ポスド・ギャディスとも称される覆面作家
ピリオドを用いずに、内的独白の一人称の語りが続き、なおかつ、その語り手が切れまなく別の語り手へと交代し、様々な挿話が語られる、という作品らしい
章末ブックガイドでは、独白からなる小説、ポスド・ギャディス、ポスト・ピンチョンという枠
ダーラと作風が近い作家としてデヴィッド・フォスター・ウォレス『ヴィトゲンシュタインの箒』という作品が紹介されている。ところで、14章にでてくるマークソンの代表作は『ウィトゲンシュタインの愛人』
実験小説とウィトゲンシュタインは何かひき合うものがあるのか?

第13章 幽霊屋敷の探検記?:マーク・Z・ダニエレブスキー『紙葉の家』(2000)

冒頭で『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』と比較されている。
『紙葉の家』はゴシック・ホラーだが、その見せ方に独自性がある、と
ある謎めいたフィルムとそれについての記録、そしてそれに対する注釈と、さらにそれに対する編集という4層構造
さらに、屋敷の迷路が入り組むのにあわせて、版組も複雑になっていくというタイポグラフィーの仕掛けがなされている作品で、さらにメタフィクション的な仕掛けもあるとか
また、ペーパー版ではhouseという単語が青く印刷されているが、ハードカバー版ではminotaurという単語が赤く因されていて、さらにもっと別の版もあるとかないとか。
章末ブックガイドは、タイポグラフィーで遊ぶ作品

第14章 これは小説か?:デイヴィッド・マークソン『これは小説ではない』(2001)

自己言及的な内容や、他のテキストからの引用からなる作品
引用したテキスト同士を組み合わせて、疑似会話のように見立てていたりなどしている。
筆者はこれを東浩紀の「データベース」概念と絡めて論じている。

休憩3 個性際立つ実験小説

未訳の作品で、他の章のブックガイドで紹介しきれなかった本をあげている

第15章 サンドイッチ構造:デイヴィッド・ミッチェルクラウド・アトラス』(2004)

6つのストーリーからなっているのだが、第1章から第6章まですすんだあと折り返して、第7章が第5章の続き、第8章が第4章のつづき、という構成をしているらしい。
また、入れ子構造になっていて、第1章のテキストは第2章の中にでてきて、第2章は第3章の中に出てきて、というふうにもなっているらしい。
映画化もされている、とのこと。
舞台も、19世紀の南太平洋、1970年代のベルギー、1930年代のアメリカ、現代のイギリス、近未来の韓国とバラバラで、弱肉強食がテーマになっている、と。
未来を舞台にした章では、単語や文体も異なっているとか
独創的な構成とリーダビリティが共存した作品とも評している
カナダの批評家ダクラス・クープランドが、「いくもの時代や場所をめぐりつつ現在を照射するような作品」を超越文学と読んでいるらしく、章末ブック開度は、超越小説が紹介されている

第16章 ビジュアル・ライティング:ジョナサン・サフラン・フォア『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(2005)

これ、映画化されている作品だというのは知っていたけれど、原作小説が、実験的な作品だというのは知らなかった。
赤の書き込みがなされていたり、1行だけ印刷されているページや、活字が重なり合って読めない部分があったりとか、そういうことがされている=ビジュアル・ライティング
また、作品自体は、主人公オスカーの語り、オスカーの祖父の手紙、オスカーの祖母の手紙という3つの語りが交互に進行する形。オスカーの父親は911で亡くなっていて、その父親が残した鍵が何の鍵かをオスカーが探す物語

第17章 疑似小説執筆プログラム:円城塔『これはペンです』(2011)

「叔父は文字だ。文字通り」から始まる作品
あらすじを紹介しつつ、筆者(木原)の解釈が論じられている

第18章 どちらから読むか?:アリ・スミス『両方になる』

15世紀の画家の魂が現代に読みがえってある少女を見守るというパートと、その少女の成長物語の2つのパートからなる
のだが、すっぱんされている部数の半分が、前半が画家の話、後半が少女の話になっていて、もう半分は逆に、前半が少女の話、後半が画家の話になっている、という次第
なお同じ本だけど2つのバージョンがあるものとして『ハザール事典』の男性版と女性版があるが、あれは表紙や奥付で区別されているのに対して、こちらは、表紙やISBNで区別されておらず、実際に読んでみるまでどっちか分からないという仕掛け
また、タイポグラフィーによる仕掛けもなされている。