細馬宏通『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか』

サブタイトルは「アニメーションの表現史」で、アメリカの初期アニメーションを取り上げ、当時の技術やアニメ以外の文化との関連から、なぜこのような表現になったのかについて書かれた本。
各章の独立性が高く、比較的どの章からも読めるし、とっつきやすい。
タイトルにはミッキーとあるが、これは第七章の章タイトルでもあり、実はディズニーについて主題的に扱っているのはこの章だけである。
『愉快な百面相』から始まり、マッケイ、フライシャー兄弟、ディズニー、MGM、ワーナーの作品がそれぞれ取り扱われている。
「ミッキーはなぜ口笛を吹くのか」というのは、筆者の講義を受けていた学生が『蒸気船ウィリー』に対して抱いた疑問である。本書はたびたび、現代のアニメーションに馴れた我々(学生たち)が、20世紀前半に作られた過去のアニメーション作品を見た際に抱く素朴な疑問を出発点としている。


大ざっぱにいうと、
1〜4章は、絵を描くものと描かれるものの関係について
5〜6章は、アニメーションにおける科学・技術について
7〜10章は、音楽や音声とアニメーションについて
終章は、1〜10章をまとめつつ、理論的な話(さらに日米比較文化論的な話も)
というような感じ


筆者の細馬宏通さん
自分はこの本で名前を知って、てっきり、大衆文化論や音楽文化論の人だと思っていたのだけど、プロフィールを見たら、動物学で学位取っていて「この人何者??」となった。
Wikipediaを見ると、人間行動学者という肩書きなのだけど、著作リスト見るとやはり大衆文化論っぽい感じがする。
滋賀県立大学人間文化学部の教授なので、学部の名前だとやっぱりよくわからないしw
本人のwebサイトを見て、ようやく、両方やっている人だといういことが分かった
元々、日高敏隆に動物行動学を学んだのち、人間の行動・コミュニケーション研究へ移行。現在に至るまで続けていて、会話分析やジェスチャー分析などをしている。
当初、コミュニケーション分析を行うにあたり、エレベーターにおけるコミュニケーションの研究から始めたらしいのだが、その後、エレベーターそのものの歴史を調べ始め、浅草十二階についての本を書いている。一方、それ以前からパソコン通信で知り合った人と、ステレオグラムの歴史を調べていたらしいのだが、浅草十二階はステレオグラムやパノラマ、絵葉書などの視覚文化の歴史と深く関わっているらしく、ここでつながって、視覚文化についても研究テーマに加わったらしい。。
大学では、心理学や会話分析についての授業がある一方で、絵葉書やアニメーションなどの視覚文化論についての授業も受け持っているらしい。
あとがきでは、本書の成立に関わった人への謝辞が書かれているが、その中に、大谷能生菊地成孔の名前がある。これは慶應で授業担当したらしいので分かる。佐々木果の名前がある。テーマ的に近いので分かる。
倉谷滋の名前がある。「え、そこ繋がってるの?!」って、この名前が出てきたのはちょっと驚いた。

第一章 アニメーションとヴォードヴィル
第二章 『リトル・ニモ』――ウィンザー・マッケイの王国(一)
第三章 『恐竜ガーティー』――ウィンザー・マッケイの王国(二)
第四章 商業アニメーションの時代
第五章 科学とファンタジーの融合――フライシャー兄弟
第六章 映像に音をつける
第七章 ミッキーはなぜ口笛を吹くのか
第八章 ベティ・ブープはよく歌う――フライシャー兄弟の復活
第九章 トムとジェリーと音楽と――スコット・ブラッドリーの作曲術
第十章 ダフィー・ダックに嘴を
終章 アニメーション界と現実界

第一章 アニメーションとヴォードヴィル

ブラックトンの『愉快な百面相』(1906)について
黒板に描かれた絵が動くというものだが、現代の目から見ると、様々な素朴な疑問が浮かぶ
ブラックトンは、ヴォードヴィル劇場で「稲妻スケッチ(ライトニング・スケッチ)」という芸をしていた人で、『愉快な百面相』は、当時の稲妻スケッチ芸が反映されている

第二章 『リトル・ニモ』――ウィンザー・マッケイの王国(一)

マッケイは、漫画とアニメの両方のパイオニア
新聞で漫画連載を始めたのは30代になってから。
それ以前に何をしていたかというと、「10セント博物館」
当時、P.T.バーナムが作った「アメリカ博物館」をはじめとして、見世物小屋的な「博物館」が多く生まれていた。フリークスやマジシャンなどがいる類の(ミルハウザーの「バーナム博物館」ってそういうことだったのかーと気づかされた)。
マッケイはそうした10セント博物館で、絵看板やポスターを描いていた
そして、1900年代には、いわゆる「イエロー・ジャーナリズ」と呼ばれる、新聞販売競争が盛り上がっていた時期の新聞業界に入っていくことになる。
第二章では、漫画の『眠りの国のリトル・ニモ』(1905~1911)とアニメーションの『リトル・ニモ』(1911)について紹介され、『リトル・ニモ』の方では、特に奥行きの表現について解説されている

第三章 『恐竜ガーティー』――ウィンザー・マッケイの王国(二)

今でも名作といわれる『恐竜ガーティー』(1914)マッケイが1万枚以上の作画をしているが、省力化のために、「スプリット・システム」という手法を編み出している(現在でいうところの「中割り」)
また、背景がほとんど動いていないが、のちのアニメのように背景とセルとをわけているわけではなく、アシスタントが背景をトレースしている
何故恐竜なのか
1つには、19世紀後半にマーシュとコープの競争があって、恐竜が広く知られるようになっていたが、まだ動く恐竜の映像というのはなかった
もう1つには、『リトル・ニモ』で子どもの写真を使ったのだろうといわれたので、実在しない生物を描くことにしたから、と本人が述べている。
さて、『恐竜ガーティ』も、現代人から見ると違和感のあるシーンが多い。
実はこれも、一種の見世物・芸として考案された作品で、マッケイ本人が興行していて、上映の際にはスクリーンの横に立って、猛獣使いよろしく、ガーティに指示をするという趣向の作品だったらしい。
この作品の中でのガーディの動きは、現在、このフィルムだけ見ると意図がよくわからなかったりするが、三次元空間であることを際立たせるような動きや、見世物としての演出(ほかの仕掛けをするために観客の目をそらす等)のための動きであったりと、ちゃんと理由がある。
ただ、マッケイの雇い主である新聞社のハーストは、マッケイに、イラストレーターとして専念してもらいたくて、巡業は辞めさせた、とか。ただ、そのおかげで、マッケイが回り切れないようなところまでフィルムが回ることになった、とも。
また、ハーストは分業制のアニメーション制作会社を作ったが、マッケイは、それに加わることを固辞し、その後も一人でアニメーションを作り続けた。

第四章 商業アニメーションの時代

1910年代、マッケイより一回り年下のジョン・R・ブレイ
彼は、マッケイとは異なり、アニメーション制作にまつわる特許を次々と取得し、アニメーションの商業化をすすめていく
ブレイがなしとげたのは、背景とキャラクターを分離するというシステム
これによって、速く廉価に作品を作ることが可能になり、同じキャラクターを使ったシリーズ作品も作られるようになる
ただし、最初はまだセルではなくてトレーシングペーパーを使ったもの
ブレイ・スタジオのアニメーターであるアール・ハードが、セルロイドを使った方法を開発
ただ、当時のセルは発火しやすかったので急には普及せず、本格的にセルが広まっていくのは1920年代後半とのこと
また、本書では、背景とキャラクターがわかれているのを「商業アニメーション」、両者が混然としているものを「実験アニメーション」と呼んでいるようである(ただし、本書で「実験アニメーション」については言及されないが)

第五章 科学とファンタジーの融合――フライシャー兄弟

まず、フライシャー兄弟の『インク壺から』シリーズ、その中の『ウィジャ・ボード』(1920)をとりあげながら、一貫した物語があるわけではないが、どこか不気味で生々しい動きが描かれている様が紹介されている。
マックス・フライシャーは、新聞で漫画連載をもったのち、1910年に『ポピュラー・サイエンス』のアート・エディターとして働き始める。このころから、科学の視覚化という仕事にかかわり始める。
その一方で、彼はロトスコープを発明する。
ロトスコープというのは、実写映像をもとにアニメを作る技法のことだというのはもちろん知っていたけれど、そういえばどういう風にしているのかは知らなかったので、ここでフライシャー兄弟が作ったロトスコープ装置の仕組みが「なるほど」という感じだった(映像をトレーシングペーパーに投影するとともに、一コマずつ送れる取っ手がついていた)。
ロトスコープを使って早速アニメーション制作を始めようとブレイ・スタジオに入るも、時流は第一次世界大戦へと向かっていた
アメリカ参戦のきっかけになったルシタニア号の沈没は、のちにマッケイがアニメーション化している)
それで彼らが最初に作ったのが、軍事教育アニメーションだったという
ひらりん・大塚英志『まんがでわかるまんがの歴史』 - logical cypher scapeでもアニメと戦争の関係には触れられていたし、津堅信之『新版アニメーション学入門』 - logical cypher scapeでは、日本でも第二次大戦中に軍事教育用アニメーションが作られていた(が作品そのものは未確認)と書いてあったので、「ここでもか!」という感じだった
機関銃の仕組みや使い方とかをアニメーション化したらしい
1919年から、道化師ココを主役に据えた『インク壺から』シリーズを作り始める
ロトスコープによって、フライシャー兄弟は、メタモルフォーゼとグロテスクさという要素を作品に込めていた、という。
1921年以降、独立し、教育科学映画を作り始める。
ギャレット・サーヴィスという科学啓蒙家の協力を得る。このサーヴィスというのは、まだ映画がなかったころから、幻灯機を使って科学啓蒙をやっていた、いわばフライシャー兄弟の先達。さらに、SF小説も書いていたとか
で、フライシャー兄弟は、相対性理論や進化論についての映画を作っているらしいのだけど、しかし、彼らの映像は、相対性理論の難しさをわかりやすく伝えるというよりは、相対性理論がもたらすファンタジックな世界を描こうとするものだったらしい。
進化論についても、どちらかといえば、恐竜をはじめとする多様な生き物の姿を列挙していくもので、なんと、進化論とも創造説ともとれるようなナレーションがついていたとか

第六章 映像に音をつける

この章は、アニメーションを離れて、サイレント映画からトーキー映画の変遷についてまとめている。
サイレント時代のヴォードヴィル劇場にあった演目として「イラストレイテッド・ソング」というものがある(1900年代)。
歌詞のついた写真やイラストのスライドが映し出され、ピアニストが伴奏し、観客がこれにあわせて歌うというもの
さて、音のついた映画と一言で言っても、その黎明期にはいろいろな形式があった
フィルムに音声を焼き付ける方式を「サウンド・オン・フィルム」方式という
最初のサウンド・オン・フィルムとしては、ネオンサインのような電流→光の素子を利用して、マイクの電流を光に変えてフィルムに濃淡として焼き付ける「濃淡式サウンド・トラック方式」
ド・フォレストの「フォノフィルム」やFOXとケイスの「ムービートーン」があった
他に、電流によって光を反射して波形として記録する「波形式サウンド・トラック方式」も。
一方で、フィルムと蓄音機を同時に再生する方式というのも生まれた。エジソン社の「キネトフォン」やワーナーブラザーズの「ヴァイタフォン」
ヴァイタフォンで『ドン・ファン』が制作されるが、これは音楽はついていたが、音声のセリフはついていなかった
こうしたサウンド・フィルムの試みが色々となされていた1924年フライシャー兄弟はイラステッド・ソングに代わって、歌詞を提示するアニメーション作品を作った
「バウンシング・ボール」と呼ばれる方式で、歌詞の上にボールが飛ぶことで、今歌っていることが分かるというもので、これがのちに、キャラクターが現れたりするようになる。
そして、さらにフォノフィルムと一緒になって、音付きのものも作られるようになる
この章ではさらに、音声のセリフのついた映画において、声と映像の同期を示すものとして「口」が強調されたといことが言われている。


ところで、この章の中では、フォノフィルムは長いことシステムが現存せず、内容が分からなかったが、1970年代に復元されて内容が分かるようになったということが書いてあって、すごいなあと思ったりした。
(将来、20世紀後半から21世紀初頭に使われていた記憶媒体の再生装置が失われたのち、それを復元する人が現れたりするだろうか)

第七章 ミッキーはなぜ口笛を吹くのか

ディズニーに『蒸気船ウィリー』(1928)が取り上げられる。
現代の学生に見せるとやはり「古い」とか「退屈」とかいった感想も見られ、さらに疑問点をあげさせると、他愛もないような、しかし様々な疑問が寄せられるようだ。
「ミッキーはなぜ口笛を吹くのか」もそうだが、「笑うときになぜその周りに線が描かれるのか」「なぜガチョウをひどく扱うのか」といった疑問があげられる
これらについては、先に挙げた「口」の強調をはじめ、音楽と映像の同期という観点から、そうした表現が選び取られていったことが論じられる。
そして、さらに「蒸気船とはいったいどういう船か」「ウィリーとはいったい誰か」「なぜミニーのウクレレは食べられてしまうのか」「なぜヤギは手回しオルガンになるのか」「船長はなぜガムを噛んでいるのか」などといった疑問も寄せられている。
蒸気船とはもちろん蒸気機関の船だが、ここでは、ミシシッピ川を運航していた蒸気船のことが説明されている。マーク・トウェインミシシッピで水先案内人をしており、『ハックルベリー・フィンの冒険』はミシシッピの蒸気船が出てくることなどが紹介される。
一方で、この当時、すでにこうした蒸気船は時代遅れの代物ともなっていた。
そして、『蒸気船ウィリー』というタイトルは、この映画より昔の流行歌「蒸気船ビル」からとられている。そして、「蒸気船ビル」をもじった映画はこれだけではなく、バスター・キートンによる『キートンの蒸気船』がある。
この章の後半では、『蒸気船ウィリー』が『キートンの蒸気船』(1928)に影響を受けているということが論じられていく。
両者はともに、ウクレレ=音楽が失われ、再生する物語であり、また父と息子の物語にもなっている(『キートンの蒸気船』でキートンが演じている息子の名前がウィリー)

第八章 ベティ・ブープはよく歌う――フライシャー兄弟の復活

ここでは再び、トーキー映画に使われた技術の話
リップ・シンクとそれに関連して、プレ・シンクとポスト・シンクの話などがなされているが、メインとしては、ベティ・ブープの作品である『ミニー・ザ・ムーチャー』(1932)と、ニューヨークでミズーリアンズというバンドを率いたキャブ・キャロウェイとの関係が論じられている。
キャブ・キャロウェイの特徴的な歌が先に録音され(プレ・シンク)、また彼のダンスがロトスコープでアニメーションに写し取られることで、歌の構造をアニメーションに移し替えた作品となった。
またほかに、ポパイの声あてた、ヴォードヴィリアンで歌手のウィリアム・コステロについても紹介されている。
ここでは『ベティ博士とハイド』(1932)という作品があげられ、コステロによる歌と演奏にあわせて、キャラクターの身体が変わっていく様が描かれていることが挙げられている

第九章 トムとジェリーと音楽と――スコット・ブラッドリーの作曲術

トムとジェリー』シリーズの中で、1940年から1958年にかけて音楽を作曲したスコット・ブラッドリーによる作曲術が論じられている。
それは、音楽によって物語の構造を表現しているというもの
『迷探偵ドルーピーの大追跡』(1946)では、ドルーピーがドアを迂回して歩くシーンにつけられる音楽。楽器編成によって、垂直方向の移動と水平方向の移動とを区別し、さらにその後、キャラクターの変化を示す。
トムとジェリーシリーズの中の『天国と地獄』
キャラクターに旋律をあてる「ライトモチーフ」の技法だが、トムにあてられた邪悪な感じのする旋律が、その後、階段から落ちてくるピアノにも使われ、トムに対する因果応報を音楽で示す。
同じくトムとジェリーの『やんちゃな生徒』において、「きらきら星」のアレンジによって、物語の構造をあらかじめ示す。

第十章 ダフィー・ダックに嘴を

ワーナーブラザーズのダフィー・ダックとバックス・バニー、そしてその二役に声をあてたメル・ブランクについて
ワーナーのアニメーションというのは、よくしゃべるアニメであり、リップシンクが非常によく作られているという。
ところで、日本のアニメの場合、アフレコが一般的なので、あまり厳密なリップシンクは求められないが、アメリカではプレシンクが一般的
ワーナーブラザーズのアニメーションの音楽を手掛けていたストーリングは、ワーナーが著作権を買い取った音楽作品を利用していたが、その中に、レイモンド・スコットの曲があり、これがワーナーのアニメーションに躍動感を与えたと述べられている。
この、レイモンド・スコットは、ワーナーのアニメは見たことなかったらしいが、かなり特異なミュージシャンで、自作の電子楽器を作っていたとか
さて、この章のメインの話題は、メル・ブランクという声優を通じての、1930年代から1950年代の話
メル・ブランクは10代の頃、ヴォードヴィル劇場の最後の輝きを経験していた。
しかし、20年代後半からヴォードヴィル劇場は衰退し、その代わりに、映画とラジオが大衆文化として台頭する。
子どもの頃からおかしな声を出すのを得意としていたメル・ブランクはラジオ・パーソナリティとして活動をはじめ、のちに、ワーナー。ブラザースのプロデューサーに気に入られ、声優をやるようになる。
ところで、1930年代は、ヴォードヴィル劇場から映画・ラジオへと移り変わってしまった時代だが、当時、ラジオで活躍していたのは、元ヴォードヴィリアンたちで、ヴォードヴィルの芸が途絶えたわけではなかった。

終章 アニメーション界と現実界

ここまで取り上げてきた作品について、理論的な論点・歴史的な観点からまとめている。

描画面と映像面

『愉快な百面相』とマッケイやフライシャー兄弟を比較することで、後者がアニメーションを描画面から解放したと論じる
描画面というのは、黒板や紙のこと
映像面とは、映像のフレーム
『愉快な百面相』は、映像面は描画面の一部を映し出している。元々、ヴォードヴィル芸の応用としてのアニメーションであり、アニメーションは描画面に縛られている。つまり、現実の世界にいる芸人(絵を描く者の手)にコントロールされている。
しかし、マッケイは、描画面と映像面を一致させることで、フライシャー兄弟はさらに、描画面を映像面よりも小さくすることで、アニメーションを現実から独立させる。描画面と映像面が一致することは、現実(つまり絵を描く者の手など)がアニメーションの中に入ってくることがないということであり、フライシャー兄弟の場合は、むしろ現実の世界とアニメーションの世界が映像の中で同列の存在になっている。
ただし、筆者はここまで論じたあとで、単純にブラックトンからマッケイ、フライシャー兄弟への進歩だととらないように注意している。
現在でも、描画面を強調する作品はあり、それらはいわゆる実験アニメーションという領域を形成しているのだ、と

おしゃべりと歌

アニメーションにおけるリップ・シンクをはじめとする、キャラクターの口や身体の動きというのもまたヴォードヴィリアンたちの身体の動きからの影響を受けているということ
声や音楽にあわせて動くということが、重要
また、『ファンタジア』を代表とするディズニーの「シリー・シンフォニー」シリーズや、ワーナーの『名曲の喧しい夕べ』、MGMの『ピアノ・コンサート』、フライシャー兄弟の『ミニー・ザ・ムーチャー』など、曲がさきにあって、それにアニメーションをつくていった作品が多くあることが指摘される。
しかし、1930年代以降は、プロットが先に決まってから、音楽がつくられ、アニメーションのあとに録音される方法が一般的になっていく。

アテレコ的と口パク的、動物と擬装

アメリカのアニメーションは、セリフを先に録音するプレシンクという方式がとられ、リップ・シンクが行われている。
一方で、日本のアニメーションは、アフレコを行っており、リップ・シンクはなされていない。
この差について、1つには、能や浄瑠璃の存在、もう一つには、洋画の吹き替えといったものが原因としてあげられている。
この文化的な差異とでも呼べそうなものについて、筆者は「アテレコ的」「口パク的」と呼んでいる。
アテレコというのは、ホットペッパーのCMみたいなあれであり、口の動きと声の同期がないようなもの
また、筆者は、仮面ライダーウルトラマンジャイアントロボなどが、みな口を動かさないということにも注目する
アテレコ的な表現が、非人間性をあらわすのではないか、と。
これに対して「口パク的」というものについて、ゲイ・カルチャーで見られるリップ・シンギングというパフォーマンスをあげている。
これを、大和田俊之『アメリカ音楽史』 - logical cypher scapeで論じられていた「擬装」で説明する。黒塗りによって黒人に「擬装」したように、口パクすることで声の持ち主に擬装するのだ、と。
黒人に擬装することで、非黒人であることを強調する
リップ・シンギングは、ライザ・ミネリという個人に擬装することで、「ライザ・ミネリ/非ライザ・ミネリ」という違いを強調する。しかし、このことが「男性/女性」というカテゴリーを無効化するのではないか、と
そして、ベティ・ブープは、声や顔立ちについてヘレン・ケインという女優が元ネタとなっている(さらに本人から訴えられている)が、これにより、「ヘレン・ケイン/非ヘレン・ケイン」という対立が浮かび上がり、逆に、「人間/非人間」という対立が無効かされているのではないか、と
ここから、さらに、アメリカの商業アニメーションにおいて、動物が非常に多いということについても論じられる。
ここで特に問題とされるのは、ワーナーブラザーズのバックス・バニーである。
ワーナー作品では、動物だけでなく狩人も登場する。狩人は動物は撃つが人間は撃たない。つまり、狩人は「人間/非人間」を見分ける存在なのである。
ところが、ワーナー作品において、バックス・バニーはもちろん人間の言葉をよくしゃべる動物である。バックス・バニーが人間の言葉でしゃべるとき、それは人間の擬装となっていて、狩人も銃口をおろして、バックスの話術に飲み込まれてしまうというのが、お約束となっている。
さらにここで着目されるのは、バックスの女装で狩人が篭絡されてしまうシーンだ。
ここでバックスは「女性/男性」の違いへと持ち込むことで、「人間/非人間」という違いを隠してしまっているのだという。
日本のアニメーションは、そのアテレコ性によって、非人間性を感じさせることで、アニメーションの世界を現実世界から独立した存在にする。
一方、アメリカのアニメーションは、その口パク性(擬装)によって、「人間/非人間」という概念自体を揺さぶることで、アニメーションの世界が現実世界を模倣しているのではなく、むしろ現実世界を揺り動かす存在となっている。
というわけで、最後は大きな日米アニメーション文化比較で終わっている。