筒井清忠編『大正史講義』(一部)

本書については、以前も読んだことがある(筒井清忠編『大正史講義』 - logical cypher scape2)。その際、興味のある章を拾い読みしただけだった。木村靖二『第一次世界大戦』 - logical cypher scape2を読んだので、そういえば、『大正史講義』の第一次世界大戦関連は何書いてあったかなと思ったら、ちょうど読んでいなかったので、今回は、第一次世界大戦に関係している章だけ読んだ。

第4講 第一次世界大戦と対華二十一カ条要求 奈良岡聰智

日本が参戦するに至った流れと、対華二十一カ条要求について。
山東省にいるドイツに対して日英同盟にかこつけての参戦。だが、日英同盟に参戦義務はなくイギリスも日本の中国権益拡大を警戒して参戦を望んではいなかった。
参戦については、国内世論が圧倒的に支持する形で盛り上がっていて、例外は石橋湛山東洋経済くらいだったというのはさもありなんという感じなのだけど、山県有朋も慎重論を唱えていたというのは意外だった。
加藤外相の目的は、実は満州満州権益は日露戦争の際に獲得されたが、租借権の期限が迫っていたので、山東と引き換えに租借権を99年に引き上げる目論見だった。
ただ、ドイツの権益をどうするかは本来、戦後の講和会議で決めるべきものだが、一方、名目上は中国をドイツから解放することなので、中国に即時返却せよ、という話も出てくる。
満州の租借権については中国と交渉する話でもあり、中国に対して日本の要求を伝えることになる。
で、上述の通り、加藤外相としては、山東と引き換えに満州権益を確保できればという目論見だったが、国内世論はエキサイトしていく。
一般からの意見も集約した上でまとめられたのが、二十一カ条要求で、実は大きく5つに分けられている。そのうち、4つは山東権益や満州権益についても求めるもので、結局、引き換えではなくて、山東も日本のものとする内容にはなっている。ただ、この内容は、当時の国際状況では常識的内容ではあり、諸外国からも異論は出てこなかったという。問題は、5つめで、これは、国民から出てきた意見をもとにした内容なのだが、当時の国際政治的にもアウトな内容が多くて、日本政府も前半4つから要求レベルを下げた形で作成し、さらに諸外国に事前に見せる案の中には入れていなかった。
ところが、中国側にこの5番目を含んだ形でリークされてしまい、中国の反日世論が盛り上がっていくことになる。
まあ最終的には、当時の常識レベルのところで日本の権益が認められる形にはなっていったようなのだが、日本国内の中国に対してエスカレートしていく世論をコントロールできず、中国国民の反日感情も高めてしまったという結論なのかな、と。。
この章では冒頭に、あまり意識されていないが日本も第一次大戦で戦死者を出しているし関わりがあるのだということを述べて始まっているのが、しかし、戦死者も人数で比較してしまうとやはり日本における第一次世界大戦インパクトは低いよなあ(あと、総力戦を経験しなかったのが後にヨーロッパと日本の差になったというようなことは書かれていた)とは思うのだけど、盛り上がる世論をコントロールできない、というのはヨーロッパの状況と似ているなと思った。

第8講 パリ講和会議ヴェルサイユ条約国際連盟 篠原初枝

この章は、タイトルにある通り、パリ講和会議ヴェルサイユ条約国際連盟についての章で、日本側のことも書かれているが、これらについての概要としてもまとまっている。
日本側は、19世紀的な講和会議を想定していて、自国の権益については主張する、それ以外については大勢に従う、というのを事前方針としていて、実際あまり発言をしなかったので「サイレント・パートナー」とも言われたらしい。
パリ講和会議での一番の問題はドイツ問題。ドイツの領土を縮小しすぎると、賠償金が払えなくなるのではないかといった問題があった。
ただ、実際には、パリ講和会議ならびにヴェルサイユ条約は、国際連盟の発足ありきで進んでおり、19世紀的な大国同士の利害調整に終始する会議ではなくなっていた、と。
国際連盟の規約会議には5大国にくわえて、ベルギー、ブラジル、中国、ポルトガルセルビアも参加
国際連盟は、周知の通り、ウィルソン大統領が精力的にすすめた件だが、国内の支持が得られず、言い出しっぺのアメリカが参加しないというお粗末な形でスタートするわけだが、事務総長が有能で、例えば国際連盟職員を国際公務員にするなどの制度的面を速やかに整備していく。戦後処理として、戦後も飢餓を出していたオーストリアの経済危機に介入したり、難民問題の解決を図った。また、ギリシャブルガリア紛争の解決では有効に機能した。
そもそも日本側は、この国際連盟というものに懐疑的だったようだが(詳しくは第9講)、いざ発足すると、新渡戸稲造国際連盟事務次長となり、各国で講演を行ったりした。

第9講 人種差別撤廃提案 廣部泉

パリ講和会議において、日本は発言が少なかったと先に述べたが、例外的に日本が強く主張したのが、人種差別撤廃提案であった。
国際連盟にかんして、日本では、白人ひいてはアングロサクソンの支配体制を強固にするための組織にすぎないという懐疑が存在しており、規約に人種差別撤廃を盛り込むことを条件としていた。
まあ、感想としてはこれは、日本人も白人と同様に扱ってくれという話ではあって、人種差別撤廃の論理の行き着く先としては、例えば朝鮮の独立を認めることになるのでは、みたいなことは全然意識されていない感じはする。
ただ、理念として人種差別撤廃は正しい、というのはもちろんあって、事前の根回しでウィルソンからの感触は悪くなかったようである。
がしかし、イギリス連邦を構成するオーストラリアの首相がこれに強く反対し、これを受けてイギリスも反対に回った。オーストラリアの同意が最後まで得られず、規約に盛り込むことには失敗する。
これ、日本政府は当初、牧野全権に対してこの提案が認められなければ国際連盟にも加盟するなという方向で送り出していたのだが、最終的には、議事録に載りさえすればいい、というところまで日本政府側が示すハードルが下がったので、牧野も最終的にはその方向で調印した。がしかし、国内世論からは批判されたらしい。
山東などの権益確保のための取引材料に過ぎなかったのではないか、という見方もあるが、もともとは、やはり白人中心の仕組みになることへの恐れがあり、あわよくば移民問題も解決できればいい、という目論見であって、後になって、領土問題とバーターにする方向に切り替えたのではないか、とここでは論じられている。
なお、人種差別撤廃を唱えてもほかのアジア諸国に対して差別をするならダブルスタンダードになってしまう、というのは吉野作造石橋湛山は指摘していたようだが、やはり少数意見ではあった。
もっとも、日本がこの提案をしたことは、非白人の間では結構インパクトがあったらしい。