小林義久『国連安保理とウクライナ侵攻』

珍しく時事ネタ。
タイトルにある通りで、ロシアのウクライナ侵攻を受けて改めて国連安保理とは何かについて書かれた本。
筆者は、共同通信で長年国連取材に当たっていた記者で、その経験を踏まえて、国連安保理の歴史について書かれている。
研究者ではなく記者が書いている本なので、専門的な知見が書かれているというものではなく、日常的にニュース等をしっかり読んでいる人であれば、既知の内容も多いだろうとは思うが、改めて今年前半に起きたウクライナ侵攻の流れと、国連の歴史が整理されているので、勉強し直すのにちょうどいい案配の本ではないかと思う。
第1章では、2022年2月から5月までの流れを改めて振り返る章*1で、第2章から第5章にかけて国連安保理についてその歴史や課題、今後の改革について書かれている。最後の第6章は付録的な感じで台湾問題について扱われている。
第1章は、つい半年程度前の出来事であり、また、2022年10月現在も状況は継続中なわけだが、開戦当初の緊迫感みたいなものが、自分の中でいつの間にか薄れていたことに気付かされた。
さて、本書の主眼は国連安保理の話であり、ロシアの拒否権発動で安保理が動けなかったことで国連の機能不全がやにわに注目されるようになったと思うが、そもそも常任理事国とは一体何なのか、拒否権は一体どういう経緯で付与されることになったのか、戦後の集団安全保障はこれまでどのような経緯を辿ってきたのか、安保理改革の試みとしてはどのようなものがあるのか、ということが書かれている。
筆者自体、常任理事国(Permanet member 5、略してP5。本書を通してずっとこの略称が使われているので、本記事でもこれ以降P5とする)に拒否権という強すぎる特権があることを問題視しているし、これを変えることの難しさが、いやという程書かれている。
一方で、国連やその関連組織(国連よりも古くに遡る組織もある)は、人道・人権分野において、実績を積み上げており、期待された役割を担ってきているし、ウクライナ問題においても活動できていることを指摘し、ここに国連の意義はまだあるとしている。また、安保理改革についても、ここに突破口がありうる可能性についても触れられている。


この本を読もうと思った人のほとんどが、ウクライナ侵攻後にロシアが拒否権を発動したことで国連安保理が事実上何もできなくなったことについて、色々思うところがあって手に取ったのだと思うが、自分も例に漏れずそれが理由である。
おそらく自分は国連主義者というかそういった心持ちがあるのだと思うのだけど、これは、90年代に子ども時代を過ごしたことと関係しているのではないかと思っている。
本書でも少し述べられたが、米ソ冷戦が終結した90年代は、確かにその反動としての地域紛争が増えた時代でもあるが、その仲介のために国連の活動が活発化した時代でもあった。
さすがに92年の国際ニュースについては記憶にはないが、おそらくそういった空気を、例えばフィクションを通じて感じていたのではないかと思う。
具体的には、平成ゴジラシリーズがあり、このシリーズではゴジラと戦う組織であるGフォースが国連直轄組織であった。
また、個人的に影響を強く受けたのは『沈黙の艦隊』で、あの作品は、今思うと、国連改革をフィクションならではのかなりファンタジックな方法で描いた作品だったのかなーと思うけど、あの作品から受けた影響は結構大きいと思う。
国連を中心とした安全保障の枠組みについて、まだどのような可能性が残されているのか、そのような期待を込めて読んだ。

第1章 壊された国連

2022年2月から5月にかけての流れを、安保理周辺の動き、経済制裁の動き、人道犯罪に関わること、停戦に関わることの4つに分けてまとめている。
まず、安保理周辺の動きについては、改めてここに書き直すまでもないが、国連総会の緊急会合で、4月にロシアの人権理追放決議があったのを自分が認識していなかった気がするのでメモ
また、総会では3月2日、3月24日、4月7日の3回、対ロシアの決議があるが、賛成票が減っていったという
経済制裁についても、欧米がどういうことを目指してどういうことをやったか、しかし、欧州のエネルギー問題や中国などが穴になっていることによって、十分な効果を挙げるにいたらなかったという、この点でもここでは改めて詳しく書き直さないが、G20が2022年11月にインドネシアで開催予定で、インドネシアがロシアの参加を容認しているというのは知らなかった。
人道犯罪については、そもそもICC国際司法裁判所)がどういう組織で、ロシアの戦争犯罪は裁くことができるのかという話。
ICCは現在123か国が参加しているが、中国、ロシア、アメリカは未参加とのこと。ロシアとアメリカはそれぞれ一度は署名したのだが、アメリカは2002年に、ロシアは2016年にそれぞれ署名を取り下げた、と。
もし訴追されることになったとして、ウクライナに身柄を確保されたロシア兵は裁判にかけられる可能性があるが、ロシアは未加盟なので仮にロシア国内にいる軍幹部などに逮捕状が出ても、身柄の引き渡しがなされないだろう、と。
停戦に関しては、ロシアはクリミアやルガンスク・ドネツクを譲らないだろうということと、一方、ウクライナも、ブダベスト覚書を反故にされているから、より実効力のある多国間の安全保障枠組みを求めている、という、これまたニュース見てれば分かる話だが、まとめられていて、最後に、3月28日からグデレス国連事務総長が停戦交渉の仲介に乗り出しており、5月6日に安保理がこれに「強い支持を表明する」旨の声明を出していることに触れ、国連の役割があるかもしれないとしている。

第2章 戦後の世界秩序とは何か

1941年、ルーズベルトチャーチルの会談時に、ルーズベルトの中には「4人の警察官」構想があった。米英ソ中が戦後秩序を担う構想で、のちに、イギリスの強い意向でフランスが加えられることになり、これがP5の原型
なお、ソ連は当初国連加盟にあたり、連邦構成15ヵ国すべての加盟を要求。最終的には、ロシア、ウクライナベラルーシの3カ国の加盟となった。つまり、ソ連だけで総会で3票行使できる、と。
ちなみに、国連本部の場所をどこにするかには、欧州派と米国派に分かれて、国連創設から1年も決まらなかったらしいが、最終的にはロックフェラー家がニューヨークのあの土地を寄付して本部が置かれることになったらしい。
さて、安保理には、経済制裁と武力制裁を決定する強い権限があり、P5には拒否権という特権が与えられている。これは、P5に安保理に参加する動機を与えるためであった
第5章の方で触れられているが、最上敏樹『国際機構論講義』において、国連は国際連盟の失敗から、ある意味で学びすぎてしまった、と述べられているらしい。
国際連盟国際連合の違いはよく知られているところだが、大国が脱退したりそもそも加盟しなかったりしないように与えたのが拒否権だった、と
第2章に話を戻すと、安保理改革がうまくいかない、特になぜドイツや日本が常任理事国になれないかという理由として、旧敵国条項の存在が挙げられている。
敵国条項については、特に日本が、ロシアとの間で和平条約を結べていない、中国との間に領土問題を抱えていることから、戦後処理を終わらせていないと判断され削除ができていない。
実は、1995年に、旧敵国条項の削除を求める決議が賛成多数で可決されている。しかし、国連憲章の改正には常任理事国を含む加盟国3分の2の批准が必要で、結局ここでもP5の特権の強さによって阻まれている。
なお、ロシアは北方領土交渉にこの旧敵国条項を利用している。筆者は、国連取材中に各国外交官から、ロシアの外交官がいかに国連関係の条約などを熟知しているかをよく聞かされたということを書いている。


さて、国連発足後の安保理であるが、創設直後は機能したものの、冷戦が始まることで機能不全に陥る。
早くも朝鮮戦争の際には、ソ連安保理を欠席。ソ連欠席のまま安保理決議を採択し、一応、国連軍という名前の軍が組織されるが、当初、ルーズベルトチャーチルが構想していたような、5大国による連合軍では全くなかった。
スエズ戦争の際には英仏が拒否権を発動。直後に総会の緊急会合が開かれ、PKOが編成される。もともと、国連憲章にはなかったが、カナダのピアソン外相が、強制行動を定めた第7条とも平和的解決に関する第6条ともいいがたい窮余の策として持ち込んだアイデアで、その後、ノーベル平和賞を受賞
いずれにせよ、冷戦期において国連の紛争介入は難しく、1948年~1988年の40年間で設置されたPKOは15に過ぎない
対して、冷戦終結後、紛争が増えた一方で安保理も機能するようになり、1989年~2019年の30年間で編成されたPKOは56にのぼる。
なお、PKOに人を出しているのは大半が途上国、という話にも触れられている。
第2章は最後に、冷戦期の集団安全保障としてのNATOについても解説している。

第3章 中国の台頭と対テロ戦争の時代

第3章では、2000年代から現在までの中国の台頭の経緯を見ていく。
具体的には、北朝鮮核問題、対テロ戦争、中国の影響力の拡大の3つのトピックがある。
まず、そもそも2000年代は、中露と米英仏の間の協調の時代だったとして、北朝鮮核問題が挙げられる。
2002年、北朝鮮のウラン濃縮計画が明らかになり第二次核危機が起こり、2003年に六か国協議が開催される。米中の協調路線の象徴で、のち、2006年の安保理による経済制裁決議へとつながる
ところが、2009年のミサイル実験の際、非常任理事国であった日本が、決議の採択を主張するが、中露がこれをけん制し、拘束力のない議長声明となる。ちなみに、筆者は当時これを取材していて、知り合いである韓国の外交官が非常によく状況を把握していたことに驚かされたと書いている。
その後、北朝鮮は核実験を繰り返すようになるが、これに対しては安保理決議が採択され制裁がなされるも、2022年のミサイル発射の際には、米ロの拒否権発動により、制裁決議が否決。北朝鮮への制裁決議について、2006年以降採択され続けてきたのが、ここにきて初めて否決されることになった、と。


中露は、2000年代には西側との協調路線をとっていたが、これが近年では対立するように変化した。
この原因の一つは、経済が上向き自信をつけたことにあるが、筆者はそれだけでなく、アメリカのイラク戦争が悪い見本になったのだという。
イラク戦争で、アメリカは大量破壊兵器疑惑を持ち出しイラクを攻撃しようとした。国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)やIAEAが査察を行い、アメリカは何とかして攻撃しようと、査察に介入しようとする。パウエルらが査察に注文をつけるのに対して、UNMOVICのブリクス委員長が反論する様子が、当時のIAEA事務局長エルバラダイの回想録から引用されている。
結局アメリカは、安保理決議をとることを諦めて、開戦に至る。
自国の都合で国連を無視するところを、中露に対して示してしまった。


ロシアは、2000年代を通じての原油価格高騰で経済成長を遂げ、いったん大統領を退き首相になっていたプーチンが2012年に再び大統領となり、2014年にクリミア併合、2015年にシリア内戦へ介入
中国については、WTOに加盟したことで経済成長をとげ、近年ではアメリカとの間で貿易摩擦が生じている。2012年に習近平が書記長に就任し、その後、一帯一路構想を打ち出す。
中国の影響力増加については、コロナ禍下におけるWHO事務局長テドロスの態度から取り上げている。テドロスは何故中国に遠慮していたのか。テドロスが事務局長選で当選したのは、G77の支援が大きいといわれていたが、その「領袖」こそが中国だったのである。
P5が拒否権を持つ安保理と違い、国連総会は多数決で決まる。
そこで影響力を持っているのが、国連の最大会派と言われるG77で、これは途上国からなるグループ。また、冷戦下で東西いずれの陣営にもつかなかった非同盟諸国NAMも同様である。
中国はG77の一員であり、NAMのオブザーバー国
こうした政治力により、近年、国連関連機関のトップ人事を制しているということである。

第4章 核兵器と五大国

第4章は、核兵器についてである。
ロシアの核兵器原発攻撃の話、IAEAについてなども触れられているが、主にはP5とNPT(核拡散防止条約)ならびに核兵器禁止条約の話である。
なぜP5はずっとP5として君臨しているのか、ということについて、核兵器を独占しているからであると筆者は論じる。NPTは、核兵器を広げないという名目で、P5のみが合法的に核を持つことができるという条約でもある。
実際には。P5以外に印パ、イスラエル北朝鮮核兵器保有国だが、いずれもNPT非加盟である。
保有国には核軍縮義務があるが、2000年代以降この動きは停滞している。
ところで、1970年代に南アが核兵器開発に成功しているが、1990年に放棄し、NPTに加盟していたらしい。そして、南アはその後核兵器禁止条約を推進することになる。
さて、その核兵器禁止条約だが、2010年にコスタリカがモデル案を国連に提出。その後、核兵器の非人道性に関する国際会議が何度も開かれ、2017年にこの条約は採択され、2021年に発効された。
日本は当初、核兵器の非人道性に関する国際会議には参加していたが、2017年の交渉には不参加で、条約に署名していない。
もともと、当時外相で広島出身の岸田は参加する意向を示していたらしい。
この条約にアメリカが反発しており、日本だけでなくアメリカの核の傘の下にいるNATO諸国も交渉には参加していない。唯一、オランダだけが反対票を投じるために参加した。
ただし、スウェーデン、スイスは署名しなかったものの、交渉には参加し、賛成票を投じている。また、締約国会議には、この2カ国に加えて、ドイツやノルウェーがオブザーバー国として参加したという。筆者は、欧州諸国の核兵器に対する危機感の強さが背景にあるのではないかと述べている。

第5章 これからの国連

安保理改革について。
これまでも何度か、安保理改革の機運が高まった時期はあり、まずはその歴史についてまとめられている。
まず、1950~1960年代。この時は、非常任理事国を6→10に増やすことに成功
次は、1990~2000年代。
1993年に安保理改革討議のための作業部会を設置する決議を採択。当初、日本とドイツを常任理事国入りさせる方向だったが、それ以外の国々も常任理事国へ立候補し、またP5である中露からも疑問の声があがる
続いて、2004年に、日本・ドイツ・インド・ブラジルのG4が安保理改革へ向けての共同声明を発表。しかし、そのライバル国である韓国・イタリア・パキスタン・アルゼンチンが「コーヒークラブ」を結成し、G4の動きをけん制
P5による反対の声もあがり、さらにコーヒークラブへの賛同国も増える。
2009年に政府間交渉が始まるもこれも決裂


国連の人道面での取り組み
国連の主たる設置目的は、集団安全保障にあるけれども、ここまで見てきたとおりそれは十全に果たされてきたとは決して言えない。そして、ウクライナ侵攻はその悪いところを決定的に白日のもとにさらしてしまった。
しかし、だからといって国連は、ウクライナ問題に関して何もできていないわけではない。国連難民高等弁務官事務所国際移住機関、国連児童基金、世界食糧計画などが支援を行っている
これらの人道・人権活動を行う機関のほとんどがジュネーブに本部・拠点がある
ジュネーブには国際赤十字本部もあり、また、国連の人権理事会や国連人権高等弁務官事務所ジュネーブ
人道・人権活動については、国際連盟時代からの実績があり、たとえ安保理が止まっても、これらの活動は止まらないし、各国の支持もあるだろう、と。


スモールファイブ(S5)の取り組み
2005年から、スイス、リヒテンシュタインシンガポール、ヨルダン、コスタリカという小国5カ国が安保理改革のために活動を開始
協議の透明性を高めるよう求める決議案をまとめ、P5もこれを受け入れていく
また、ウクライナ侵攻の際、ロシアの拒否権発動に対して総会での説明を求める決議をまとめたのも、このS5が中心になったと言われる


フランスからの提案
実は2013年に、P5の一員であるフランスから、安保理改革の提案が出ている。
それは、ジェノサイドや深刻な戦争犯罪がある場合は、P5は拒否権行使を控えるという提案で、これの元になったのはS5の案であった。
問題は、どのような時がそれに当てはまるかだが、フランスは、国連事務総長国連人権高等弁務官か地理的多様性を反映した一定数の加盟国の意見に基づくという案を挙げている。
国連人権高等弁務官は人権理事会の事務局のトップで、人権理事会を無視して行動することはできない。一方、「地理的多様性を反映した一定数の加盟国」というのが何か明確ではないが、人権理はこの条件を満たす。
人権理事会は2005年に、人権委員会を格上げする形で作られた総会直属の組織で、理事国に拒否権はなく多数決で審議される。また、理事国を辞めさせることが可能で、ウクライナ侵攻を受けて、ロシアは国連総会の決議で理事国から外された。
事務総長は国連のトップと思われがちだが、事務局のトップであって決定機関ではないし、そもそも安保理の勧告に基づいて任命される職で、国連の意思決定機関は安保理と考えられている。
これに対して、フランスの提案は、人権理が安保理の権限を部分的に制限できるというもので、もし実現できたら、安保理を変える一撃になりうる。

第6章 中国は台湾に侵攻するのか

習近平政権が台湾を狙って動く可能性はある
アメリカはもともと台湾との間に、米華相互防衛条約を結んでいたが、米中国交正常化によりこの条約は1980年に失効。以後、アメリカ国内で台湾関係法を制定し、台湾への兵器供与を行っている
ここで、NATO憲章との条文の比較がなされていて、台湾関係法は防衛義務がなく、NATOよりも弱い同盟であることが指摘されている
台湾は国連加盟国ではないこと、また、国交を結んでいる国も減っており、さらに中国の台頭により様々な国際機関からの脱退を余儀なくされていることなど、世界の中での台湾のプレゼンスは低下していて、もし台湾有事があった場合、ウクライナの時以上に国連や国際社会は動かない・動けないかもしれないという
台湾が国ではないことにより、中国は内政問題だと主張する。ただし、コソボ紛争のように、当事者国が内政問題だといっても国連が介入したケースはある。
筆者は、クアッドをベースにインド太平洋地域の集団安全保障体制を構築するのがよいのではないか、と最後にさらっと意見を述べている。

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*1:なお本書の刊行は2022年7月で、あとがきに付された日付は2022年5月である