加藤聖文『満鉄全史』

満鉄こと南満州鉄道株式会社の設立から終焉まで、まさに全史の本
政治史の中で捉え、いかに満州を巡る日本の政策(国策)が一貫しないものであり、満州支配が混乱したものであったかを論じていく。
その時々の総裁など、人物に注目した記述ですすんでいくので読みやすい


以前、筒井清忠編『昭和史講義――最新研究で見る戦争への道』 - logical cypher scape2あたりを読んだりしたときに、次は、そろそろ満州あたりについてちゃんと読むか―と思っていて
最近、講談社学術文庫kindleセール*1があった際に購入
元々、講談社学術文庫の興亡の世界史シリーズが気になっていて、その中に満州ものもあったので、最初それにしようかと思ったのだが、検索していると、講談社学術文庫満州関係の本が結構いっぱいでていて、その中から、一番通史っぽいものを選んでこれにした。
満州というと満州事変・満州国あたりのイメージが強かったけれど、この本は日露戦争から始まる。
ポーツマス条約でロシアから譲渡された鉄道から、満鉄は始まるのである。


満鉄は、営利企業であるが、そもそも最初に譲渡された鉄道は採算の取れる路線ではなく、むしろ軍事的な理由で獲得された路線で、そういう点で最初から「国策」に従い作られた会社であった
また、総裁などの人事も政権側によって決められていて、国家機関としての性格をもつ(それゆえの混乱が起きる)
(もっというと、満鉄はただの鉄道会社ではなく、行政も一部担っていた
で、満州に関する「国策」については、陸軍、外務省、満鉄それぞれで考えていることが違い、また目的が仮に一致したとしても、そのためのやり方が異なっているので、それゆえの混乱も起きる
また、戦前の日本は政権交代を繰り返していたので、それによる政策変更や人事の影響も受けていた。


以下、内容まとめよりも主に感想

プロローグ――「国策会社」満鉄とは何だったのか
第一章 国策会社満鉄の誕生
第二章 「国策」をめぐる相克
第三章 使命の終わりと新たな「国策」
終 章 国策会社満鉄と戦後日本
エピローグ――現代日本にとっての満鉄

関連年表
歴代満鉄首脳陣人事一覧
満洲鉄道株式会社組織一覧

第一章 国策会社満鉄の誕生

内容的には下記の感じ

満鉄のカラーを決めた後藤新平。とはいえ、後世になって伝説化されたところもあり、実際、就任期間はわりと短い
構想力とかはあって、その点、初期の総裁としては適していた面もあったけれど、一方で、じっくり粘り強く実行していく力はなかったとも。
元から、満鉄や満州を巡っては、政府内の複数の省庁が絡んで
で、ここで、後藤新平と対にされているのは原敬。もちろん、原は満鉄総裁になったりはしていないが、満州政策についての考え方が、後藤とは違う
長州閥にコネを作ることで政権内に入り込んだ後藤に対して、政党政治により政権をとった原という違いも。
で、張作霖というと、個人的には爆殺事件のイメージが強く、逆に言うと、日本史やってると、突然爆殺事件で名前が出てくる人というあやふやな理解だった。
満鉄が満州で鉄道を敷設していくにあたって、中国側が主体に動いているという見せかけのために使われたのが張作霖で、一方、張作霖としても日本から軍資金を獲得するために利用していた、と

第二章 「国策」をめぐる相克

満鉄にとって、実は重要人物なのが松岡洋右
松岡の対ソ戦略として、張作霖と提携して鉄道網の敷設が進む。松岡というと、日独伊にソ連も加えて同盟計画を考えていた人では、と思ったら、まさにそこにつながってくる話で、松岡は、革命直後でまだそれほど大国ではないソ連がいつかユーラシアの覇権を握ると考え、その時に日本がソ連と対等な同盟が結べるようにするために、まずは満州を抑える、という考えだったらしい。
中国での鉄道敷設権というのは、もともと外務省が交渉して獲得し、満鉄が敷設するという流れだったのだが、松岡は張作霖を利用して、敷設権交渉を進めていく。
田中義一内閣のときに、社長に任命されたのが山本
三井物産の「商人」で、満鉄の「実務化」を進め、製鉄・油田・肥料といった事業拡大をすすめ、満鉄を発展させる
さて、一方の張作霖。彼は単に日本側に利用されていたわけではなく、彼は彼で中国内の権力闘争をしていて、彼には彼の野心があった。だが、そのあたりを日本側は理解しておらず、日本側が考える張作霖と実際の張作霖との間に齟齬があって、それを短絡的に解決しようとしたのが爆殺事件

第三章 使命の終わりと新たな「国策」

山本の次の総裁が、浜口雄幸内閣による千石貢。山本が政友会の大物だったのに対し、千石も民政党の大物だったのだが、彼は2年で離れ、外務省出身の内田が新総裁となる。そして、内田時代に満州事変が起きる。
今まで、満州というのが、陸軍・外務省・満鉄が三つ巴で、それぞれがそれぞれの思惑で動いていたところがあるのだが、ここで陸軍の一部である関東軍が突出することになるのが満州事変
満鉄首脳部は、当初、関東軍に対して非協力的なのだが、理事の一人である十河が関東軍とつながりがあり、関東軍支持を表明する。
十河は、内田を関東軍幹部と引き合わせ、内田を関東軍支持派に鞍替えさせていく。
一方、社員レベルでは、それ以前から関東軍との結びつきが強かったらしい。松岡時代にソ連研究を始めていた調査課は、その関係で関東軍とのつながりがあった。また、この当時、満鉄では「社員意識」が芽生えていて、政治運動などを行う団体も出てきて、そこから関東軍と結びついていった。
そんなわけで、満州事変において、満鉄は関東軍の移動などのサポートを行い、かなり積極的に働いていたらしい。
そして、満州事変がなり、満州国ができると、満鉄は絶頂期にいたる
というのも、満鉄というのは、中国から鉄道敷設権を外交交渉で獲得し鉄道を敷き、という形で鉄道事業を拡大していたのだが、満州国が成立すると、交渉で敷設権を得るというところが必要なくなるので、一気に鉄道を敷けるようになった、と。
また、満州国内で一番人数の多い組織は満鉄であり、関東軍だけではとても満州国を動かす実務はできなかったので、満鉄社員が満州国に関わっていくことになる。
が、それが満鉄と関東軍との関係の終わりの始まりでもあって、満鉄依存を深めたくない関東軍は、満鉄を改組して、分割する計画を進めていくことになる。これに満鉄社員側は反発するのだが、結局、満鉄はどんどん縮小されていく(岸信介が関わったりしてくる)
この頃、松岡が満鉄に戻ってきて、満鉄の新しい事業として華北進出をやろうとするのだが、これもうまくはいかない。
なお、満鉄としては縮小期になっているこの時期が、実は、一般的にイメージされる満鉄の時代でもあるという。「あじあ号」がこの時期だし、また、満鉄の事業ではないが、満鉄が出資した満映もこの頃。
満州国は、満鉄が縮小するにつれ、次第に革新官僚たちが動かすようになっていく

終 章 国策会社満鉄と戦後日本

  • 戦後の引き揚げ

ソ連が参戦して、敗戦となった後の満鉄
ソ連、ついで中国がやってくる中で、鉄道事業の引継ぎと日本人の引き揚げをやっていったのも満鉄
最後の総裁をやっていた人は、満鉄総裁が基本的には「部外者」が政治的に就任するのに対して、満鉄叩き上げの人だったとか。
あと、GHQによる解散があり、その後引き続き清算が行われ、完全に満鉄は消える。とはいえ、完全に清算が終わるのは1957年。
戦後、満鉄社員の一部は国鉄に行くが、それ以外に行った人たちもいる。政治家になった人などもいる。
で、補償を訴える話もあったのだけど、国側は、あくまでも満鉄を民間企業扱いしていく。満鉄は国家機関ではなかったというのが戦後の「国策」であり、最初から最後まで「国策」に振り回され続けてきたのが満鉄だったと、筆者は綴っている。
あと、十河がその後国鉄総裁になって、新幹線を成功させる話。ここにも、満鉄の技術が新幹線を作ったという「神話」があったりするけど、技術的には全く別物と

エピローグ――現代日本にとっての満鉄

講談社学術文庫のためのあとがき

戦後、元社員やその家族の親睦団体・相互扶助組織として「満鉄会」というものができるが、これについて説明している
一時期は、財団法人となるほど大きくなったが、それもまた関係者が減るにつれて縮小、2016年に解散するまでの経緯が書かれている

*1:実際には、学術文庫だけでなく講談社全体のセールだったのだが