『SFマガジン2023年12月号』

SFマガジン読むの久しぶりな感じ(しかし見返してみると、以前からさほど頻繁には読んでいないな)。
グレッグ・イーガンの新作中編が掲載されているということで、読まねば、と。

グレッグ・イーガン「堅実性」(山岸真・訳)

訳者によれば、イーガンは近年作品の発表が続いていて、未訳短篇がたまってきたのでそろそろ短編集を出したいとのこと。社会の分断をテーマにしたような作品が多いらしい。
イーガンといえば、初期のアイデンティティものにしろ、宇宙SFにしろ、ハードSFのイメージが強いだろう。ところが本作は、そういったハードさはない。起きている現象に対する科学的説明などはなされていないためだ。
あるいは、イーガンは、初期の頃からポリティカルなテーマを絡めてくることも多い作家である。本作も、ある種の社会の分断を描いているという意味で、メッセージ性がこめられているのは確かだ。しかし、ジェンダーなりエスニシティなり疑似科学なりの社会的テーマが明示的に描かれているわけでもない。
というわけで、表面的な特徴の部分でこれまでのイーガンと違うところもあるのだが、しかし、実際に読んでみて作風が変わったように感じるかといえばそうでもなくて、エッセンスのところでは変わらずイーガンだろう、という気もする。


舞台はシドニーで、主人公は(日本でいうところの)中学生のオマールだ。
授業中突然、周囲のクラスメイトも先生も見知らぬ人たちに入れ替わっていた。そしてそれは、彼らにとっても同じらしい。
学校も街も同じだが、人だけが何故か入れ替わってしまっている。持ち物などは概ね同じようなものなのだが、微妙に変化している(スマホは見た目は同じだがロック画面が異なっていてパスワードも変わっている、とか)。
みながパニックに陥る中、オマールも混乱しつつも学校の外へとでる。同じように学校の外を歩いていた見知らぬ少年に声をかける。その少年トニーも、同じような状況であり、しばし2人で行動をともにする。
入れ替わりはその後も続いており、互いに見ている間は変わらないのだが、目を離すとまた入れ替わりが起こることが分かる。オマールは、トニーの家でお手洗いを借りて戻ってきてみると、トニーは別の少年と入れ替わっていた。
オマールは自分の家へと帰る。
基本的には家自体は同じなのだが、部屋に飾ってあるポスターなどが変わっている。これも目を離す度に変わる。
そして、オマールの家にラフィークと名乗る中年男性が訪れる。彼は、オマールの父親と入れ替わった誰かだった。オマールの父親と同じ商売をしており、オマールの父親と同じくチュニジア出身だった。しかし、オマールとラフィークで家族構成は異なっていた(オマールは男ばかり3人兄弟の末っ子だが、ラフィークには娘と息子がいた)。オマールの父親とラフィークは1歳違いで、同じチュニジアでも出身の街は違っていた。
オマールとラフィークはお互いに目を離さないようにして(寝るときは交代制で)過ごすことにした。この方法により、お互いの入れ替わりは防ぐことができて生活は少しずつ安定していったが、元の父親(息子)との再会は難しくなる。
ここから、ラフィークとオマールは、食糧を確保したり、元々ラフィールは電器屋だったので電化製品の修理業をしたりといったことをする。このあたりの、社会に起きたパニックとそこから人々がどうにか対応しようとしていく様は、ある種の災害を思わせる。
彼らは概ね、善意で行動して生活を安定させようと動くが、疑心暗鬼はところどころに見え隠れし、また、窃盗を行おうとする集団もいる。
そんな中、生活を立て直していこうという動きの、スローガンというかキーワードとして用いられるのが「堅実性Solidity」となる。
「以前の世界が戻ってくるのを待つあいだ、ぼくたちは気力を失って、物事がばらばらにならないようにすることが必要だ。(...)ぼくたちは自分たちにできるかぎりのことをして、社会の堅実性を維持しよう。もしできるなら、この言葉を広めるんだ」
なお、オマールはそうは思っていないが、ラフィークは連帯(solidarity)のスペルミスではないかと指摘している。
オマールは、カメラを用いても、入れ替わりが起きないのではないかと考えて、ラフィークとともに道行く人に声をかけて実験を行い始める。
また、入れ替わらないものと入れ替わりやすいものがあり、入れ替わる際にも、ある可能性の範囲内で入れ替わることが分かってくる。石に自分のプロフィールを彫って、入れ替わりにくくならないか試す人も現れる。
オマールとラフィークもそれを試すが、その際、オマールはラフィークが実は細かいところでは入れ替わっていることに気付いてしまう。
オマールはラフィークとは入れ替わりによって別れることになるが、しかしそれでも、この異変を受け止めて生きていくことを決める。それは、もう元の家族とは会えないことを覚悟することでもある。

原作:スタニスワフ・レム/マンガ:森泉岳土 「ソラリス

ソラリス』のコミカライズが2024年に刊行予定で、それの冒頭掲載とのこと。
ソラリスってむかーしに映画版を見たことがある気がするのだけど、よく覚えていない。小説も未読。このコミカライズは読みやすそうな感じがする。

矢野アロウ『ホライズン・ゲート 事象の狩人』冒頭掲載

ハヤカワのnoteでも冒頭部分が掲載されている。
ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作『ホライズン・ゲート 事象の狩人』冒頭試し読み公開!|Hayakawa Books & Magazines(β)
これを途中まで読んでて面白そうだなと思って、今回、誌面で改めて読んだ。
既に単行本が出ているので、折を見て読んでみたい。
選評も掲載されていた。選考委員は、東浩紀小川一水神林長平菅浩江塩澤快浩の5名。
まず、東が自分は少数派だったと述べ、最高点を間宮改衣「ここはすべての夜明けまえ」に、最低点を「ホライズン・ゲート」にしたとしている。
「ここはすべての夜明けまえ」は最終的に特別賞を受賞しており、2月号に全文掲載されている。
さて、両作品の各委員の評価は以下の通り。
まず「ホライズン・ゲート」
東:エンタメとしての完成度は高く、受賞に異議はない。ポストヒューマン設定と人間的な物語のバランスが欠いていた点が評価できず
神林:文章表現が美しいが、アイデア面でのオリジナリティが低い
菅:最高点を入れた
塩澤:アイデアの豊富さと後半の展開が素晴らしい
なお、小川はもともと大賞作でも特別賞作でもない別の作品を推していた。
次に「ここはすべての夜明けまえ」
東:小説としては多くの欠陥があるが、もっとも心に響いた
小川:この人は科学にあまり関心がない。語りで話を引きずっていく力がある
神林:ひらがなの多用が読みづらいが、引き込まれた。内容も新鮮。SFとしては弱い
菅:他の委員と一番評価が異なった。読むのが苦しい。新味を感じられない
塩澤:SFとして弱いのか、自分の感性の鈍さか判断できず
「ホライズン・ゲート」は、最高点を入れたのは菅だけっぽいので、決して東以外全員一致だったというわけではなさそうだが、一方で、最低点を入れたという東も作品の出来については評価しており、他の審査員の評価も基本的に悪くないので、全体的にバランスとれた面白さがありそうという印象。
一方の「ここはすべての夜明けまえ」は、確かに問題作だったのだなというのが各選評からも感じられる。委員同士で割れたというだけでなく、一人の委員の中でもどう評価するか悩んだ、というのが伝わってくる。そういう意味で、この作品も読んでみたいなと思わせるところがあった。