グレッグ・イーガン『シルトの梯子』

イーガンの長編
新刊であるが、原著の刊行は2002年で、『ディアスポラ』よりあとで、『白熱光』や直交三部作より前に書かれた作品
『白熱光』や直交三部作は、主人公がもはや人類ではなく、彼らの物理学がどのように発展していくのかを見ていくみたいなところがあるが、本作は、主人公たちはみな人類で、まあ物理学の話もハードではあるんだけど、以前のイーガンのポストヒューマンSF(人格のアップロード)の延長にある作品
冒頭から何言ってるか分からないっちゃ分からないんだけども、この作品で出てくるのは、2万年先の未来世界における物理学なわけだし、ファンタジーに出てくる架空の固有名詞みたいなものだと思って読んでいっても読める。
また、既にイーガン作品に馴染んでいる人にとっては、「ひとりっ子」や「プランク・ダイヴ」や「ルミナス」や『ディアスポラ』や『白熱光』を思わせる要素が色々と出てくるので、楽しいかと
また、この作品は、イーガン作品としてはかなり普通のお話をしているというか、そういうところもある。
twitterで、イーガンにしては珍しく恋愛を描いているという感想を見かけたけれど、主人公が昔の幼なじみと数千年ぶりに再会してうんぬんかんぬんという話だったりする。
そういえば、回想シーンががっつり挟まるというのもイーガン作品では珍しいのでは、という気がした
とりあえず、以下あらすじです

シルトの梯子 (ハヤカワ文庫SF)

シルトの梯子 (ハヤカワ文庫SF)



全部で約500ページくらいの作品で、最初の50ページくらいが第1部、残り450ページくらいが第2部になっている。
第1部は、キャスという物理学者が、量子重力理論のとある法則についての実験を行うために、ミモサ研究所という宇宙ステーションに訪れるところから始まる。
この宇宙ステーションにいるのは、非実体主義者、つまり物理的なボディを持たずに完全にデータ化して生きているような人たちなのだけど、キャスはそうではないので、このステーション用の体に自分を入れている。しかし、そのボディのサイズが2ミリとかで、いやまあイーガン作品ではよくあることなんだけど、2ミリかーってw
ちなみに、第2部では、この宇宙ステーションにいた非実体主義者の1人が登場するのだけど、このことについて主人公に話したら、主人公がひでぇ話だなあみたいに思ってるとこがあったりする
しかし、2ミリとかで驚いていてはいけない。彼らは、自分たちのことを原子核化することもできる!
とはいえ、まだ安全な技術としては確立していないので、原子核化したあと、消滅してしまう。ただし、人格のバックアップはとってあるので死ぬことはない(『ディアスポラ』とかと同様、人格のデータを分岐させたりバックアップしたりできるので、基本的に不死。入っているボディのローカルデスがあるだけ)
原子核化とか、完全に「プランク・ダイヴ」
新しい空間が発生し、すぐに消失するという実験のはずだったんだけど、何故か、新しく発生した空間が消失せずにどんどん膨張していってしまう。


第2部は、キャスの実験から数百年後。
新時空はどんどん広がって、人類の生存圏を侵食していって、ミモサやヴィロ、近年ではパーチナーといった人類が居住していた星系を飲み込んでいた。
リンドラーという宇宙船が、最前線で、新時空と一定の距離を保って観測を行っていて、多くの研究者が集っていた。
主人公のチカヤがリンドラーに訪れるところから始まる。
リンドラーでは、新真空に対してどのように対処するかで「防御派」と「譲渡派」と呼ばれる二つの派閥が相争っていた。前者は、新真空自体を退ける道を探り、後者は、新真空そのものがどういうものかを知るのが先決だと考えている。チカヤは後者。
もともとは、何となく考え方が異なる両者がいる程度だったのだけど、次第に仲が険悪になっていって、互いにあまり交流しなくなっていく。


この世界、人類は様々な惑星に居住域を拡大しているけれど、多くの人々は、住んでいる惑星から生涯離れることはない。が、一部の人たちは、旅行者となって星々を移動しながら生活している。惑星間移動は、基本的にデータ通信。
また、もはや性別というものがなくなっている。
なお、イーガンの過去作品では、男でも女でもない性のための代名詞veが使われていたが、本作では、もはや性別がないのが当然なので、現代英語の翻訳としてheやsheが使われているとのこと。なので、日本語でも彼、彼女と書かれているのだが、実際には性別はない。
それから、この世界には「アナクロノート」と呼ばれる人々もいる。ほとんどの人類は、データ化して移動しているが、彼らはそのような技術ができる前に地球を出発した人々で、今でも物理的に移動している、と言われる伝説の人々。


リンドラーには、新しい人たちが次々と訪れるのだけれど、その中の1人であるマリアマは、実はチカヤと同郷
数千年ぶりの再会
2人は幼馴染で初恋の相手同士だったのだけれど、常に自分の一歩先を歩いているように思えるマリアマに対して、チカヤはずっと複雑な気持ちを抱いてもいた、という関係
というわけで(?)本作はわりと男女(男女じゃないんだけど)の仲についての物語となっているわけだけど、非実体主義者は恋人には定理を送る、というエピソードがなかなかすげーなと思った


新真空の正体というのが、本作のSF的な肝なんだけど、説明が面倒なので省略
量子力学の近似が古典力学だったみたいに、実はこの宇宙自体が、より一般的なものの近似で、新真空の方は、こっちの宇宙から見ると考えられないくらいなんか複雑というか、なんかそんな感じ〜
今までずっと干渉する方法が分からなかったのだけど、新真空の内部を観察する方法が分かるようになって、調べてみたら、なんかもしかして生命かもしれないっぽいものがあるぞ、と
譲渡派はこれをもって、防御派に対して、猶予期間をくれるように交渉を持ちかける。
しかし、防御派の中に過激派みたいな人たちが紛れ込んでいて(どうもアナクロノートらしい?)、破壊活動とか始められて事態は急転直下
なんやかんやあって、チカヤとマリアマは新真空の中へ! 
その中にいる異種知的生命体らしき存在と接触し、さらにそこに待ち受けていたのが実は、という
冒頭と結末がくるりと一致するようにおさまる形になっている。
タイトルにあるシルトの梯子というのは、平行線を作っていく方法らしいのだけど、いくらでもコピーもバックアップもできて不死状態になっている時代におけるアイデンティティとは一体、というイーガンSFの答えともなっているし、チカヤとマリアマの関係の比喩としても使われている。


イーガン長編
うーん、わかんねー、わかんねー、もう全然わからん、と思ったけど、ここからはもうわかるとかわからんとか関係ないな、アクションだー、わー、よくわかんねーけど謎の感動エンディングだーという感じがする
(ひどいまとめw)