グレッグ・イーガン『プランク・ダイブ』

イーガンといえばアイデンティティSFといったイメージがあるが、訳者あとがきや解説にもハードSF寄りの短編集とあるように、むしろ数学や物理学をテーマとした、あるいは宇宙を舞台にしたSFが多い短編集だった。もちろん、今まで刊行されたイーガン作品でも数学は頻繁に登場していたし、宇宙を舞台にした長編もあるので、決して意外ではない。イーガン作品を既に多く読んでいる人には楽しめる短編集だと思うが、イーガンはまだあまり読んだことないという人には必ずしもお勧めしないかも。
以下、各編のあらすじと感想。あらすじは結末まで触れているので、未読の人は一応注意。

クリスタルの夜

仮想空間の中に人工生命を走らせて、人為的に進化させることで、知性、ひいては人類よりさらに発達した知能を作ろうとする富豪の話。
ある程度まで知性を手に入れた段階で、こちらの物理世界に干渉できるようなデバイスを与えて、仮想空間外の物理学も学ばせるようにさせていた。だが、最終的にそのデバイスを使って、彼らは別の宇宙に脱出してしまう。
冒頭に、仮想空間内のAIに対する倫理について語られる。人為的な進化(すなわち、「虐殺」することで淘汰圧をかけること)の是非が問われるわけだが、話のオチとしては、せっかく進化させて作った人工生命には逃げられてしまいましたというもので、特別に、人工生命への倫理観を考えさせるところまで至ってなかったような気がする。イーガンにしては物足りないような。同じテーマだと、『マインズ・アイ』に入ってたレムの短編の方が*1
『マインズ・アイ』ホフスタッター、デネット編著 - logical cypher scape2(第18章)
最後に、協力していたはずの科学者から、人工知性とか何寝ぼけたこと言ってんすかみたいなこと言われるのは、まあ面白いといえば面白いか

エキストラ

わりと初期の短編らしい。
不老不死を願うある富豪が、自分のクローンに自分の人格を移植するという話。
「クリスタルの夜」に引き続き、SFあるあるネタ
人格の移植には成功するけど、元の身体の方にも微妙に人格残っちゃってた、でも、もうどうしようもないというオチ。
『スティーヴ・フィーヴァー』所収の、ロバート・J・ソウヤー「脱ぎ捨てられた男」を想起したりした。
山岸真編『スティーヴ・フィーヴァー』 - logical cypher scape2
金持ち連中が臓器取り用のクローン(「エキストラ」と呼ばれる)を所有してる社会とか、意識は元の身体に残ってしまったけれどコミュニケート手段を奪われてしまって閉じ込め症候群状態になってるあたりとかのグロテスクさ、ホラーっぽさはなかなかいいけど、ネタとオチはありがち。

暗黒整数

『ひとりっ子』所収短編「ルミナス」の続編。読んでなくてもわからないわけでもないと思うが、併せて読んだ方がよいと思う。
感想は、SFマガジンに掲載されていた際に既に書いた。
数学SF。
数学の専門用語の詰まった部分は正直お手上げではあるけれども、そういうディテールを積み上げた挙げ句、突然地球規模の大パニックへと繋げてしまうあたりのイーガンのやり方というのは、いつ見ても面白い。
グレッグ・イーガン「暗黒整数」/庄司創「三文未来の家庭訪問」 - logical cypher scape2
グレック・イーガン『ひとりっ子』 - logical cypher scape2

グローリー

冒頭がかっこよすぎだし、面白すぎ
中性子使った核反応だかなんだかで、ナノマシン載せた針状のロケットが亜光速で恒星間飛行するというシーン。
イーガンとしては珍しく、地球人類が出てこない宇宙もの。宇宙全体に広がる文化圏に属す種族と、まだそこまで到達できていない種族のコンタクトの話。
冒頭のロケットでナノマシンを送り込み、そこに中性子ビームで情報を送り、マシンに現地人と全く同じ姿形をしたボディを作らせて、そこに人格をコピーするという形で恒星間旅行をやっている。
未だ、惑星の上で国家間戦争をやっているようなその星に訪れたのは、2人の数学者。そこの古代文明が非常に優れた数学を発展させていたことを知り、紛争で失われる前に未発見の定理などがないか探しに来たのである。
この星の人々の姿が、頭からつま先まで描写されているところはないのだが、腕が3対と尾があって、あと身体を切られたりすると髄液が流れ出てくるが、それが流れても身体が一時的に動かなくなるだけで死にはしない、という構造になっているらしい。
数学の話は、正直よく分からなかったが、その古代文明において「ビッグ・クランチ」と称されて目標とされていた数学上の発見を、成し遂げていたらしい。
協力していた現地の考古学者が、それを成し遂げてしまったからこの文明は自ら滅んでしまったのだろうかという仮説を言ったに対して、恒星間飛行をしてきた数学者の方は言う。「数学は人生の全てじゃない、ほとんどだけどね」
軍拡競争が著しいその惑星において、古代文明の遺跡を調査する意義は何かという論文があって、そこでは征服者と探求者の2種類の種族がいて、探求者は征服者を意図せぬ形で妨害することがあるので、探求者たるその古代文明を調査する必要があるというもの(当然自分たちの国を征服者としている)。
その論文を読んだ数学者は、「ビッグ・クランチ」についてを報告しないことに決める。探求者たる自らの文化圏がその探求を止めることがないように。

ワンの絨毯

長編『ディアスポラ』の中に組み込まれているエピソードだが、最初は独立した短編として発表されていた。『ディアスポラ』に組み込まれる際、書き直された箇所があるので、初出の方が改めて短編集に収録された。
ディアスポラ』版の「ワンの絨毯」を読み直そうと思っているのだが、まだ読み直していないので比較はできない。覚えている限りでは、大して違いは感じなかった。
人格をソフトウェア化した上で、宇宙へと旅立った《C-Z》ポリス。彼らは、ソフトウェア化による自由は享受するが、物理的な現実世界も重視するという価値観を持っており、完全に仮想現実にこもって現実世界との縁を切ってしまった人たちの鼻を明かそう(?)としていた。
そのためのミッションが、地球外生命体の探索であり、宇宙全体へとディアスポラ(離散)した彼らの一団のうちの一つが、生命のいる星を発見する。
その星の海には、タンパク質で出来た巨大な構造体が浮かんでいた。それは実は、タンパク質で出来た万能チューリングマシンで、高次元の仮想現実空間を作り上げ、その空間の中には知性を有すると思われる生命体すらいた。

プランク・ダイブ

こちらも、人格をソフトウェア化して宇宙へと旅立ったポリスの話。
ある物理学者のグループが、人格をコピーした上でナノサイズの宇宙船でブラックホールへと向かうミッション=プランク・ダイブを計画する。
そこに、仮想現実空間内で古代風の生活を行っているポリスからある父娘がやってくる。父親は、彼らのミッションを「物語」に記録するためだと言って来たのだが、そもそも彼は科学を全く解しておらず、ほとんど出鱈目の神話風の叙事詩にしてしまうので、物理学者たちは参ってしまう。
一方、娘の方は物理学を理解しており、その様子から、グループの1人は、彼女がこちらのポリスへの移住を考えているのだろうと察して、父親には辟易しつつもなるべく協力的にしようとする。
しかし、探査船の発射が無事に終わると、彼女は元のポリスへと帰っていく。実は彼女は人格のコピーを探査船の方へと密航させていた。
ブラックホールの中へと突入した船内では、新しい発見に沸いていた。もっとも彼らの発見は、決してブラックホール外へと伝えることはできず、彼らも短い時間を残して消滅してしまう。

伝播

これまた、ナノマシンを飛ばして恒星間飛行させるというネタ。ただしこっちは、地球人類の話で、遠未来というわけでもない。生命探査のため、系外惑星へとナノマシンを送り込むプロジェクト。
その後、話は何十年後へと飛ぶ。その系外惑星は、その探査機の到着を待たずして、望遠鏡からの観測によって不毛の地ということが既に判明しており、先のプロジェクトは忘れられようとしていた。
だが、とあるメーカーがプロモーションとしてある計画を実施する。惑星についたナノマシンにロボットを作らせて、そこにソフトウェア化した人格を送り込むのだ。
当時のエンジニアの中で、まだ仮想現実の中へとひきこもっていなかった2人が選ばれる。彼らは20光年彼方へとデータとして送られ、無事その惑星へと到着する。
既に地球からの観測によってほとんどその星については明らかにされており、実は彼らが特別何かをするミッションがあるわけではなかった。しかし、2人は同じ手法を用いて、隣の惑星へと行けないかと考え始める。
訳者あとがきによると、原題のinduceは数学的帰納法とかけてあるらしい。


「暗黒整数」は、最後にオルタナティブ数学と繋がるためのインターフェイスを閉鎖してしまうことで終わるが、「グローリー」「ワンの絨毯」「プランク・ダイブ」「伝播」は、いわゆる「探求者」の飽くなき探求への開かれた終わり方をしており、『ディアスポラ』で示された壮大さと相通じるものがあると思う。

イーガン『ディアスポラ』 - logical cypher scape2


プランク・ダイヴ (ハヤカワ文庫SF)

プランク・ダイヴ (ハヤカワ文庫SF)

*1:独裁者だか何だかに仮想の惑星を与えて、よいことをしたと思っている主人公が、お前はひどいことをする奴だと冷や水浴びせられる話だったような