『宇宙・動物・資本主義 ――稲葉振一郎対話集』

久しぶりに稲葉振一郎を読んだ気がする。宇宙倫理学関係は2010年代後半にちょいちょい読んでいたし、ブログとかSNSとかは見ているので、全くの久しぶりというわけでもないのだけど
対談集なので、気楽な感じで読んだが内容は濃いし、タイトルが象徴的だが、話題の幅が非常に広い。
ただ、タイトルに動物とあるが、明示的に「動物」を扱っているのは、田上孝一との対談だけのような気がする。扱われている分量からすると『宇宙・AI・資本主義』とか『宇宙・SF・資本主義』とかの方が妥当ではある。しかし、そこをあえて「動物」としたことで興味を引くタイトルになっているな、と思う。


成立過程などは、以下でも読むことのできる「あとがき」に詳しい
【たちよみ】稲葉振一郎『宇宙・動物・資本主義――稲葉振一郎対話集』より「あとがき」掲載|晶文社

2010〜11年の勤務先での役職者への就任以降、この手の企画は控えていた。それでも10年代以降もぽつぽつとシンポジウムやトークイベントの類に呼ばれることはあり、特に2020年からのコロナ禍の下ではオンラインイベントも増えたのでなおさらのことだった。(...)そこで今回、旧知の吉川浩満さんにお願いして、トーク集を書物の形でまとめることにした。
(...)
内容的にも哲学、SF、社会科学と多岐にわたり、形式的にも気楽なトークイベントから、学会でのフォーマルなシンポジウム、更に役所の政策担当者向けのセミナーに至るまでなかなかバラエティに富んでおり、50代における私の関心の全体像を瞥見していただくにはちょうどよいものとなった。

ところで、校正面ではやや気にかかる作りであった


長くて話題が多岐にわたるので、以下は、かなり雑まとめ(内容全体ではなく、気にかかったところだけ抜き書き)

第1部 人間像・社会像の転換

第1部は編集者たる吉川さんの解釈するところの、稲葉振一郎の「核」にかかわるトークを集めた。
【たちよみ】稲葉振一郎『宇宙・動物・資本主義――稲葉振一郎対話集』より「あとがき」掲載|晶文社

01 新世紀の社会像とは?(×大屋雄裕

2014年、『自由か、さもなくば幸福か』刊行記念イベント
安藤馨をどうやって倒すか的な?
法哲学者としてのスタンスの違い(プラクティカルな面への関心)
『「公共性」論』を読んで、「よき全体主義」をきちんと追求すればいいことを確認しましたと答えた安藤
世界の存在に懐疑的な大屋と、価値実在論者の安藤
エージェンシーとペーシェンシーの分離に懐疑的な大家と、可能だと考える安藤
J.G.バラード『クラッシュ』『ハイ・ライズ』
法哲学法哲学の対話』(2017年)
当日の配布資料が付録としてついている

02 〈人間〉の未来/未来の〈人間〉(×吉川浩満

2017年、『atプラス』
『宇宙倫理学入門』
『政治の理論』の「リベラル共和主義」

03 社会学はどこまで行くのか?(×岸政彦)

2019年『社会学入門・中級編』刊行記念イベント
岸さん的なフィールドワークの仕事と、稲葉さん的な理論の仕事の関係
厨先生」→自分でつけたあだ名だったのか
質的研究と他者の合理性

第2部 動物・ロボット・AIの倫理

第2部は第一部の延長線上に、学問分野としての「応用倫理学」のフォーマットに一応則ったトークを収めた。
【たちよみ】稲葉振一郎『宇宙・動物・資本主義――稲葉振一郎対話集』より「あとがき」掲載|晶文社

04 動物倫理学はいま何を考えるべきか?(×田上孝一

2021年、田上『はじめての動物倫理学』刊行記念
ペットもよくない

05 AI「が」創る倫理──SFが幻視するもの(×飛浩隆×八代嘉美×小山田和仁)

2017年、科学技術イノベーション政策のための科学オープンフォーラム

これ、参加者の名前が3人書いてあって5人の座談会に見えるけど、小山田さんという人はコーディネーター的な位置づけで、八代さんは司会なので、発言しているのはほぼ飛、稲葉の2人である。


ここでもバラードの話
高橋洋児『物神性の解読――資本主義にとって人間とは何か』→初音ミクにとって(人工知能にとって)人間とは何か
超越者(神)=わかりやすいわりえなさ
人工知能の「わかりえなさ」はそれとは違う

第3部 SF的想像力の可能性

第3部は「SFと哲学・倫理学」をテーマとするトークで固めた。
【たちよみ】稲葉振一郎『宇宙・動物・資本主義――稲葉振一郎対話集』より「あとがき」掲載|晶文社

06 学問をSFする――新たな知の可能性?(×大澤博隆×柴田勝家×松崎有理×大庭弘継)

2020年、応用哲学会のシンポ
大庭さんが司会で、松崎、柴田、大澤、稲葉がそれぞれプレゼンして、最後に質疑応答
これ、稲葉プレゼンが圧倒的に面白くて、松崎、柴田、大澤の方は、この稲葉本をわざわざ読むような人にとっては物足りない内容だったなという感じがする。
SFなんそれ? みたいな層に対しては必要なプレゼン内容かなあと思いつつ(というか、おそらくこの3人はそこにあわせてきたのでは)。


レムによる『ストーカー』評:宇宙人は理解可能な存在
なぜリアリズムのフィクションがあるのか→『ナウシカ読解 増補版』
三浦俊彦「フィクションとシミュレーション」(『虚構の形而上学』)→物語的フィクション、非物語的フィクション、シミュレーション的フィクション
SFを正当化するのは、単なるアレゴリーやメタファーではなく文字通りの含意を持たせることによる両義性ではないか(単なるアレゴリーやメタファーでは、ファンタジーや主流文学との差別化できない)
→飛「数値海岸」シリーズは、フィクションや読書についてのアレゴリーであると同時に、VRAIRについての考察でもあるという両義性


ポピュラーサイエンスの歴史研究は重要
学問とは体を動かすこと

07 SFと倫理(×長谷敏司×八代嘉美

2021年、SFセミナー
これも八代さんが司会で、ほぼ稲葉・長谷対談という感じ。
BEATLESS』への理解が進んだというか、そうか、そういうことだったかと思うところがあって、ちゃんと読めていなかった、内容を忘れているか。


20世紀的AI論と21世紀的AI論の両方が織り込まれている
シンギュラリティか指数関数的成長か(後者の場合、量的な断絶で質的な断絶はないがゆえにやっかい)(ちなみに、ボストロムはシンギュラリティって言ってない)
5体のAIの様々な戦略。レイシアは、結局良心的なビル・ゲイツになるのではないか。
長谷→人工知能学会の倫理委員会
稲葉→総務省のWG
SFやエンターテイメントの役割→官能レベル、恐怖や恍惚、不安を示すこと
制度やお金のSFは未開拓
ハインラインアシモフのすごさは、今逆にわかりにくい
SFでどこまでやれるか(不謹慎なこと、ショッキングなこと含め)
AIやロボットは好意的に描かれるけど、ライフサイエンスはネガティブに描かれていないか(八代)→ショッキングなものが描きやすいからでは(長谷)
「推論から学習へ」というAI研究による知能観の変化とSF
進化は学習?
AIは信用できるか
ボストロムのシミュレーション・アーギュメント
ジェフリー・ウェスト『スケール』→さまざまなものの寿命の話。身体や企業には寿命があるのに対して、都市は寿命がない
長寿化すると、隕石など、今まで気にしなくてよかったリスクも気になるようになる

08 思想は宇宙を目指せるか(×三浦俊彦

2017年『現代思想
唯一、既読。初出は『現代思想2017年7月号 特集=宇宙のフロンティア』 - logical cypher scape2
三浦俊彦はおおよそ、宇宙行ってもつまらないんじゃない? 地下や深海の方が面白いでしょ、的なことを再三繰り返している感じ。
ここでいう「つまらない」というのは、見た目が殺風景だし、という表面的な意味もあるが、人類へのインパクトという意味ではアポロの月面着陸を越えるものは、あとは知的生命体発見くらいしかないだろうし、フェルミパラドックス的にそれもなさそうでは、という意味。
2017年の対談であり、スペースXを始めとするニュースペースの動きを過小評価しているのでは、という気もした。
ただ、三浦が、宇宙について南極みたいな感じにしかならんでしょ、という指摘も、個人的にはわりとその可能性は十分にあるなあとは思う。
また、稲葉振一郎の方は、ニュースペースの動きも十分見定めつつも、確かに三浦が考えるようなインパクトには足りないかもね、と言っているようにも見える。

第4部 文化・政治・資本主義

第4部は「カルチュラル・スタディーズ」ないしはその批判というか、人文科学からの資本主義論・新自由主義論をめぐるトークを集めた。
【たちよみ】稲葉振一郎『宇宙・動物・資本主義――稲葉振一郎対話集』より「あとがき」掲載|晶文社

09 ポップカルチャーを社会的に読解する──ジェンダー、資本主義、労働(×河野真太郎)

2021年、ゲンロンカフェで行われた対談(なお、現地無観客・オンライン配信オンリー)
主に『シン・エヴァ』と『大奥』の話をしているが、その中で、さらに色々な作品への言及がある。


さよならジュピター』とか
オールディス『寄港地のない船』『地球の長い午後』が、ナウシカ的な物語の原型としてあげられている。
『地球の長い午後』のグレンは嫌な奴で、あえて彼の個人的な話に矮小化されているのだろう、とか。


ナウシカ読解』で『大奥』を扱えなかった。代わりに『鉄人28号 皇帝の紋章』を扱った→オルタネイトヒイストリーの話
→オルタネイトヒストリーは架空戦記が多い。実は、翻訳されてないだけで英語圏にもある。エンターテイメントは、グローバル化と同時にドメスティック化も起きている
『大奥』や『皇帝の紋章』は、オルタネイトヒストリーを描くけど、それが最後に実際の歴史につながってくるのが面白い点


不死性願望は悪い、とする物語が多いが、何が悪いのか。不死性そのものに悪があるのか、不死性に付随するものが悪いのか。


シンジくんは、周りの大人からダメな奴扱いされてるけど、本当はまともな人
衛宮士郎も、周囲から異常として扱われるけど、まとも。なぜ、異常として扱われるのかに『Fate』という物語の秘密が隠されているのではないか。
進撃の巨人』について
善悪の構図をひっくりかえすこと自体は『デビルマン』以降ありふれているが、それを超える水準には至らないものが多い中、正面から挑んで成功している。
ストーリーの途中で答えが見つかってしまうと物語は迷走する。言いたいことを最後まで取っておく忍耐力が作り手には必要。『鋼の錬金術師』『大奥』もそれに成功している

10 「新自由主義」議論の先を見据えて(×金子良事)

『「新自由主義」の妖怪――資本主義史論の試み』刊行記念対談(『読書人』2018年8月24日号)
対談相手の金子(労働史)は、稲葉の後輩にあたるとのこと


発展段階論の再検討
長幸雄が70年代に、マルクス主義者がなぜか緊縮陣営にいることを描いており、稲葉はこの議論を参考にしている
ケインズの貨幣・金融論の再検討
マルクス経済学も、そのライバルであった産業社会論も、あるいは経営学も、金融を議論してこなかった
金融にはミクロとマクロがある。新自由主義とひとくくりされるフリードマンハイエクは、ミクロ観点では主張が異なる(新自由主義批判者には、マクロの観点がないという指摘)。
村上泰亮について
福祉国家の危機と各国の対応
持ち家奨励

11 中国・村上春樹・『進撃の巨人』(×梶谷懐)

対談相手の梶谷は、中国経済についての研究者だが、村上春樹についてと『進撃の巨人』についても書いているらしく、それでこの三題噺となっている。
本書のための語り下ろし対談


村上春樹作品で描かれる「邪悪なもの」について
→後発的な資本主義国の問題意識であり、中国でもよく読まれている
悪の二つの形象=外部からやってくる超越的な悪と資本主義が供給する快楽
近年の社会学でいう「圧縮近代」と関連
近代の暴力はまだ残っている
ピンカーなど暴力は減っているという議論がある。しかし、戦争が起きる頻度は減っているが、ひとたび起こると犠牲者の数が非常に多いのであり、ピンカーは楽観的すぎる
20世紀後半は、団体中心社会だったが21世紀はそうではない(同じ、圧縮近代でも日本と中国の違い)


中国のエリート層のストレス・ジレンマ
中国思想界→「新左派」、リベラリズム、「新儒家」→リベラリズムの余地はますます縮小
中国SFの批評性
中国はいうほど対外膨張的ではない。今後、人口減少に転じるので限界が見えている。警戒は必要だが、警戒しすぎることのリスクもある


進撃の巨人
香港の雨傘運動の中で読まれた
ワンピースやハンターの構造へのおちょくり
自由になるため他者を操るが、他人を信頼することになしえた、という面白い形の悲劇
自由とは何かを巡って葛藤する物語だが、エレンを押さえつけていたものは一体何だったのか。


12 どうしてわれわれはなんでもかんでも「新自由主義」のせいにしてしまうのか?(×荒木優太×矢野利裕)

2023年、阿佐ヶ谷ロフトAでのイベント
荒木が稲葉に「新自由主義」について聞く
新自由主義批判批判、というか、「新自由主義」という言葉はかなり雑に使われていて、現状、何を指しているのか分からなくなってしまっているから、このワーディングはやめるべき、というのが稲葉の主張で、わりとキレ気味(?)で述べてたりしている。
新自由主義」を批判している人たちが真に批判したいのは、むしろ資本主義なのではないか。しかし、マルクス主義が退潮した今、資本主義批判しにくくなってしまって、「新自由主義」とかいって濁しているんじゃないか、とか。
そもそも、なぜ文学者が「新自由主義」を気にしているのか問題
大学教員が新自由主義批判をしているけれど、高校教員である矢野はまた少し違った角度からの見解


アングロサクソン自由主義とくそ真面目なオーストリア系の系譜
新自由主義マルクス主義も「政治」を最小化しようとする


新自由主義」は空疎な語だが、これが今のように流通してしまったのには確かに理由があるので、社会学はそれを分析すべき
行政の民営化というなら、産業革命以前とか古代とかとも比較して論じるべき
ネオリベラリズムについては、70年代のフーコーがきちんと議論しているけれど、それ以降、それについていけている人がいない
学校と市場には切り離せない部分がある
勉強はスポーツと一緒で、体を動かすこと。これは理工系にいくとよくわかるが、人文系でも同じ。