グレッグ・イーガン『ゼンデギ』

タイトルは、ペルシア語で「life」の意味
舞台はほぼイラン
マーティンとナシムという2人の主人公の話が交互に進む
2012年の第一部と2027-2028年の第二部の二部構成


第一部では、ジャーナリストのマーティンがイランの民主化革命を取材するパートと、10歳の頃にイランから亡命したナシムがMITでヒューマン・コネクトーム・プロジェクト(HCP)の研究を進めているパートが交互に進む。
この作品が書かれたのは、2009年なので実際のイランで起きたこととは違うが、オバマなどの名前が出てきたりして、これまでのイーガン作品の中ではおそらくもっとも現実世界と近い世界が描かれている。
第一部はほとんどイランでの革命がメインであって、あんまりSF成分はない


第二部では、マーティンは第一部で出会った運動を行っている女性と結婚し、テヘランで本屋を営みながら、一人息子を育てている。
第一部の終わりで、経済学者の母がイランに戻ることになったのにあわせ、ナシムもまたイランに戻っていたが、脳の研究からは離れて、「ゼンデギ」というVRゲーム・プラットフォームの会社に勤めていた。
マーティンは息子が小学校に入る手続きの日に、息子と二人で初めて「ゼンデギ」をプレイする。筐体に入ってゴーグルとグローブをつけて遊ぶ。
ところが、その後、夫婦で交通事故に遭い、妻は亡くなってしまい、マーティン自身も重症を負う。検査の結果、癌にかかっていることがわかる。
マーティンの妻の葬儀で、マーティンは妻の親戚であるナシムと出会う。
ゼンデギは、インドのライバル会社などとの競争のなか、新たな投資をうけられずにいた。
ゼンデギの中のNPC=プロキシの性能をあげる必要があった。ナシムは、MIT自体に自分に接触してきたキャプランの名前を思い出す。キャプランは、HCPのことを知って、いずれ自分の脳をスキャンして不死にしてもらおうと考えている資産家で、もっともHCPはそのようなことができるプロジェクトではなく、当時のナシムは胡散臭くて追い返していた。
再びキャプラン接触すると、キャプランが買収していた会社の技術が使えることが分かり、かつてのナシムのHCPでの知見と組み合わせることで、技術が進展することが分かった。
ゼンデギは、サッカーのスタープレイヤーの技能をコピーしたプロキシを作ることに成功する。
これは、基本的に多くのユーザーに好意的に受け入れられたが、一方で、保守的な層の反発を徐々に買っていくことになる。
一方、マーティンは、自分の余命がわずかだということに気付き、一つの懸念事項が生じていた。彼には家族ぐるみでつきあっているオマールという友人がいる。オマールは、マーティンがイランに来たばかりの頃からの協力者で、また、オマールが刑務所につかまったとき、マーティンが彼を助けていた(正確には、刑務所の政治犯を解放するように刑務所を取り囲んだ民主化運動に、取材としてマーティンも同行していた)。
友人としては親しい仲であったが、価値観としては受け入れられない部分も多かった。マーティンは、自分の死後、息子の養育をオマールに任せることはできないと考えるようになっていた。オマールには少なからず、民族差別・女性差別的な面があったからだ。
マーティンはそこで、ナシムに、自分のプロキシを作れないかを依頼するのだった。


と、この時点で半分以上経過している。
残りの半分は、病気をおしながらマーティンが自分のコピーをするためにスキャンするところが描かれる。
具体的には、彼が息子と一緒にゼンデギを訪れるシーンが多い。
妻が読み聞かせしていたイランの叙事詩シャーナーメを息子は気に入っており、シャーナーメをもとにしたゲームをプレイするのが主立った。
まあ、これがなんともいえないゲームなんだけども


この本の裏表紙のあらすじには、「〈ヴァーチャル・マーティン〉を作り、死後も息子を導きたいと考えたのだが……」とあり、帯には「そこに〈ヴァーチャル・マーティン〉を作るが……」とあるのだが、実際には、ヴァーチャル・マーティンとでもいうべきプロキシができるのは、本当に最後の最後である。


イランを舞台にしたドラマという赴きが強い
政治運動や、相変わらず怪しいカルトっぽいのが出てくるのとか、まあ色々とイーガンっぽい要素も多いと思うのだが
最後の終わりとして、結局のところ、テクノロジーが敗北を喫するというのは、イーガンらしからぬエンディングであって、どう受け止めればいいのかちょっと困っている。
ネタバレしてしまえば、マーティンは、出来上がってきたプロキシに結局OKを出さなかった。そして、プロキシ作成のために引き延ばしていた肝臓移植手術を受けるも亡くなってしまう。ただ、その直前にオマールはマーティンの懸念を理解し、マーティンが望むように育てることを約束してくれた(プロキシなんて作る必要なかったんや?!)
ゼンデギは、意識を持ったAIの権利を守ろうとする団体にハッキング攻撃を受ける。もちろん、ゼンデギのプロキシは、意識を持っているとはとうてい言えない段階ではあるのだが、会社は結局このグループの条件を呑む。キャプランも健康上の問題で冷凍睡眠をする。


これ、読み終わった後に第一部を読み直すと、伏線などががんがんはられているらしい。読み直してはいないのだけど、最初の方をパラパラ見返すだけで、例えば、キャプランが第二部で買収していた会社が早速登場していたりしていた。
冒頭、マーティンがイランへ向かうために、手持ちのレコードを全てデータ化しようとするシーンから始まる。録音レベルを間違えてほとんど無意味と化してしまうのだけど
それを指摘した、飛行機で隣の席に座っていた人物のセリフ

「わたしたちは新しい種類の世界への入口にいるんです。そしてわたしたちには、その世界をきわめてすばらしいものにするチャンスがある。けれど、自分たちがいまこの時に立っている場所を忘れて、前方に待つ驚異を見つめることにばかり明け暮れていたら、わたしたちはつまづいて、顔を地面にぶつかることになるでしょう、何度も何度も」


第一部は、民主化革命成功だーで終わる話なんだけど、第二部になると、母国のために何かできないかと帰国したナシムが実際には全然ままならない人生を送っているし、マーティンも交通事故で一転してお先真っ暗に。
また、サッカー選手のプロキシに対して、宗教的に保守的な層が抵抗する運動が、第一部の運動に重ねあわせるように書かれているところがあって
イランを舞台にした理由とか、いまだに飲み込めてはいないけど、色々と第一部から反転する第二部で。欧米的な価値観をもったマーティンやナシムが結局イランではマイノリティのままという感じの話でもある。


ゼンデギで感想を検索したりすると、イーガンにしては読みやすいだのイーガンらしくないだのといったコメントが色々と出てくる。
これの前のイーガン作品である『白熱光』と比べたとき、どっちが読みやすいかっていうと、これはなかなか難しいところだと思う。
そもそも、イーガンの「読みにくさ」とされているところって、専門用語とか畳みかけてくるので分かりにくいって話なんだろうけど、それをいえばこの作品だって、マーティンの話す音楽の話だったり、そもそもイランの話だったりは、分からないとよく分からないところがある。
『白熱光』は確かに難しい、それはそう。でも、単純にストーリーの盛り上がりだったら『白熱光』の方がよっぽどわかりやすくもあると思う。『ゼンデギ』は、ストーリーの盛り上がりどころとかはいまいち分かりにくい。


ネガティブな感想っぽいけど、第1部は嫌いじゃない

ゼンデギ (ハヤカワ文庫SF)

ゼンデギ (ハヤカワ文庫SF)