神経美学と自由エネルギー原理?


ナナイの注意の話は
Bence Nanay『知覚の哲学としての美学 Aesthetics as Philosophy of Perception』1・2章 - logical cypher scape2


なんとなく思ったのは、素人は、もともともっていた信念に沿うものを見てしまう(〇〇という建物の絵だと思ってみるので、〇〇を探して見る)。一方、専門家は、精度制御していて、感覚信号の精度をあげて信念が更新されるように見てるのではないか、と
もっとも、精度制御とか意図的にできるのか、という問題はあるけど、専門家も意図的にやっているというよりは、そういう見方のモードが身についていて半ば自動的にそうしているところはあるだろう
予測誤差によるフィードバックをより重視するような知覚経験が、美的経験かもしれない、という話はちょっとできそうな気がする
とはいえ、そもそも感覚信号側の予測誤差を重くしているのは、知覚全般の特徴なので、それだけで美的経験を特徴づけることはできない
ナナイ風にいえば「分散された注意」というのがポイントだけど、これが自由エネルギー原理的に説明できるのかどうかは不明。
というか、ナナイのいう注意は、わりと意識的なものであったような気がしているのだけど、自由エネルギー原理による注意は明らかに無意識的なものだし、そこらへんにも相違があり、簡単に統合はできない。


これは美学の話以前に、知覚の哲学や心の哲学と自由エネルギー原理はどのように調停されるのか、という話でもある。
自由エネルギー原理は、脳内のあらゆる処理を自由エネルギー最小化で説明しようとする論で、知覚と運動は実は同じ原理の裏表なんだ、というのが多分売りなので、知覚と判断の区別? そんなの原理的にはないよ、という話をしそう。
脳は階層構造をしていて、下位のサブシステムが上位のサブシステムに予測誤差信号を送り、上位から下位に予測信号を送る、というので説明つけるので、知覚システムから判断システムに予測誤差信号が送られてるんだよ、みたいな説明になりそう。分からんけど。
それはそれでいいとして、もう一つ、心の哲学や知覚の哲学は、表象説がやはりスタンダードだけど、自由エネルギー原理にとって表象の位置付けは一体
まあ、知覚システムの中に、信念が置いてあるので、あれが表象だろう。表象がたえず予測誤差によって修正され続けていくという話なんだと思う。そういう意味では、誤表象が何で生じるのかというメカニズム的な話とかもできてよいかも。
で、それらを踏まえた上で、美的性質を含む高次性質というのは知覚されているのか判断されているのかという話がある
源河亨『知覚と判断の境界線』 - logical cypher scape2では、美的性質は高次モード知覚説というので説明されている。
美的性質は、表象のモードなのだという話
自由エネルギー原理で、表象のモードとかそういう話はできるのかどうか
また、高次モード知覚説が正しいかどうかは別として、美的なものが何らかの形で我々に分かるとして、それを自由エネルギー原理で説明しようとする場合、何が予測誤差としてフィードバックされてるのか
元々、我々の中には、非美的性質(感覚信号)と美的性質との随伴性についての生成モデルがあって、それにそって美的なものを見いだしている、と考えることもできるけど、一方で、美的経験の特徴を考えると、逆にそういう生成モデルをさらに作り変えていくのが美的なものだったりするのではないか、と思ったりもするのだけど、しかし、生成モデルを返るタイムスケールって美的経験のタイムスケールとはズレるような気もするし……。



という、特に何のオチもない、まとまりのないメモです



(追記)
自由エネルギー原理と心の哲学・知覚の哲学の関係について

佐藤亮司「視覚意識の神経基盤論争:かい離説の是非と知覚経験の見かけの豊かさを中心に」

(2)高次性質の知覚
カテゴリー的な性質を知覚することを肯定的に含意する
視覚の逆転階層理論によれば、最初に知覚されるジストはカテゴリー的性質によって構成されている
『シリーズ新・心の哲学3意識篇』(佐藤論文・太田論文) - logical cypher scape2

Ⅲ-12 予測誤差最小化理論    ベイズ推論としての心(佐藤亮司)
哲学的な論点
(2)知覚と思考の区別に対して再考を促す→知覚と思考の差は階層の差にすぎない。知覚情報が階層をあがるにつれて概念になっていく
『ワードマップ心の哲学』(一部) - logical cypher scape2