Bence Nanay『知覚の哲学としての美学 Aesthetics as Philosophy of Perception』3章

知覚の哲学と美学の両方を専門とするナナイによる美学の本
知覚の哲学に出てくる概念(主に「注意」概念)を用いていくつか美学の問題に取り組むもの


全部で8章構成になっており、今回は3章「画像Pictures」について
画像の三面性について論じられている。
描写の哲学において、画像には「二面性」があると言われており、特にウォルハイムによる経験説は、二面性の経験を画像の定義としているが、これに対して、ナナイは、二面性ではなく三面性だ、ということを主張している。
これについては、以前も読んだことがあったのだが、改めて。
また、2章で述べられた分散された注意との関係にも触れられている。



Bence Nanay ”Threefoldness" - logical cypher scape2
ベンス・ナナイ「画像知覚と二つの視覚サブシステム」 - logical cypher scape2
ベンス・ナナイ「トロンプ・ルイユと画像知覚の腹側/背側説明」 - logical cypher scape2

本全体の目次

1.Aesthetics
2.Distributed Attention
3.Pictures
4.Aesthetically Relevant Properties
5.Semi-Formalism
6.Uniqueness
7.The History of Vision
8.Non-Distributed Attention

Aesthetics as Philosophy of Perception (English Edition)

Aesthetics as Philosophy of Perception (English Edition)

今回の記事で取り上げる3章の目次

3.1 Picture Perception
3.2 Canvas or Nature?
3.3 The Twofoldness Claim
3.4 Picture Perception versus the Aesthetic Appreciation of Pictures
3.5 From Twofoldness to Threefoldness
3.6 The Three Folds
3.7 Distributed Attention and the Aesthetic Appreciation of Pictures
3.8 Twofoldness versus Threefoldness

3.1 画像知覚Picture Perception

画像と文の違い
構造説・類似説・知覚説の紹介
画像とは何かという問いは、知覚説において、画像はどのように知覚されるのかという問いになる。
本書は、画像とは何かには直接答えず、どのように知覚されるのかについて考える
(ただし、構造説・類似説にとっても、この問いは重要
ステレオグラムやアナモルフォーシスという例が何故画像なのか)


直接目の前にあるりんごを見ることと、絵の中のりんごを見ることは、どちらもりんごを見ることだけれど、異なる知覚経験

3.2 カンバスか自然かCanvas or Nature?

(1)絵画の表面だけ見て、描かれた対象は見ていない
(2)描かれた対象だけ見て、絵画の表面は見ていない
(3a)絵画の表面と描かれた対象の両方を見ているが、それは交互に起きる。
(3b)絵画の表面と描かれた対象の両方を同時に見ている

3aは、一般にゴンブリッチに帰属される主張
3bは、二面性主張と呼ばれる

3.3 二面性の主張The Twofoldness Claim

二つの異なるものを同時に見るって、混乱した・一貫性の欠いた知覚経験にはなりはしないのか、という問題がある。
何かを見ると言っても色々あって、それは意識的か無意識的か、注意を向けているか否かということがある。ただ、意識と注意の関係は複雑。
ここでは、見ているものに注意していることと注意していないこととの違いに着目していきたい


バスケットボールの試合にゴリラが入ってきている映像を見せても、気付かないという実験
→見ていても、注意を向けていないと気付けない
注意を向けていないものについても、見てはいる
二面性について
絵画の表面について、(注意を向けることもできるけど)普通は注意を向けていない
→注意を向けていないから気付かれていない。それで、同時に見ているからといって、混乱した経験にはならない

3.4 画像知覚vs画像の美的鑑賞Picture Perception versus the Aesthetic Appreciation of Pictures

画像知覚についての哲学的議論と、画像の美的鑑賞についての哲学的議論は、混同されやすい
画像の美的鑑賞は、画像知覚のサブケース。画像を見ている多くの場合、美的な鑑賞はされていない


普通の画像の知覚の場合、画像の表面には注意を向けていない
しかし、美的に鑑賞している時、両方に注意が向けられている。画像の表面と描かれた対象への分散された注意


二面性の主張という時、この二つが区別されないのが混乱のもと(ウォルハイムが区別していない)
画像知覚における二面性
・同時的な知覚表象があるということ
・これは画像知覚にとって必要
美的鑑賞における二面性
・注意が同時
・美的な鑑賞を理解する上で重要

3.5 二面性から三面性へFrom Twofoldness to Threefoldness

画像の表面と描写された対象の2つではなく、下記の3つにした方がよい
A:画像の表面(二次元)
B:画像の表面を視覚的にエンコードした三次元的な対象
C:描かれた対象(三次元)


Cは、メンタルイメージャリーによって表象されている

3.6 三つの面The Three Folds

A:画像の表面
知覚的に注意されていないが、知覚的に表象されている
経験的証拠
・絵に描かれた対象と、その対象と全く同じサイズの同じ対象をスクリーンごしに提示すると、サイズについての判断に違いが生じる。
・絵を斜めの方向から見ても見え方が変わらない(ウォルハイムが二面性を主張したもとの理由の1つ)

B:画像の表面を視覚的にエンコードした三次元的な対象
想像説=対象についての経験は、知覚的経験ではなく想像だという説(ウォルトン
→想像説への批判
→無意識的な知覚があることから、想像説を退ける


ランダムなドットがダルメシアンに見えるようになる実験
→知覚的現象学は変化するのか
→変化している


C:描かれた対象
AとBは知覚的に表象されているが、Cは知覚されなければならないということはなく、表象されていないことすらある
Cは非知覚的なものだ、という考えに対して、それでは現象学的変化が説明できないとする
Cはメンタルイメージャリーによる疑似知覚的なもの
メンタルイメージャリーは、知覚への認知的侵入を媒介する

3.7 分散された注意と画像の美的鑑賞Distributed Attention and the Aesthetic Appreciation of Pictures

近年、屈折inflectionという概念について議論がなされている
ナナイはこれを「デザインーシーン性質」呼ぶ
デザインーシーン性質=絵画の表面(A)と描かれた対象(B)の両方に言及しないと、完全には特徴づけることのできない性質。これは、関係的性質*1
デザインーシーン性質の面白いところは、二つの性質が視野の同じ部分を占めること


デザインーシーン性質は、画像的な芸術作品を鑑賞する際のキーとなる要素

シブリーが批評的・評価的なディスコースと呼ぶものは、デザインーシーン性質への言及に満ちている
デザインーシーン性質は、絵を美的に評価する際に絵に帰属される唯一の性質というわけではないが、中心的なケースとみられる。


デザインーシーン性質は、分配された注意を引き出す
例えば、関係的性質についての注意の場合、両方の領域に注意しないといけない。xはyより暗いというとき、色という性質に集中した注意をしてい、xとyという二つの対象に分散された注意を向ける
また、これは、2.3節でも説明のあった、何かものを探している時の注意の向け方である
デザインーシーン性質の場合、これと異なる方法で注意を向けている
同じ対象に集中した注意を向けつつ、この対象の持つ性質について分散された注意をしている
二つの異なる対象への注意なのではないか、という疑問があるかもしれない(絵画の平面という二次元的な対象と、エンコードされた対象という三次元的な対象なのだから)。しかし、注意において「対象」と呼ばれるのは知覚的な対象
(注意における対象が何かという点は、1・2章についてのブログ記事に書きそびれているけれど、2.4節あたりで説明されていたことだったかと思う)
絵画の表面とエンコードされた対象とは、我々の視野の同じ範囲をしめる点で、同じ知覚的対象

3.8 二面性vs三面性Twofoldness versus Threefoldness

何故、二面性説より三面性説がよいのか


(1)3.3節での反論にも動じないから
絵を通してものを見ているときと直接ものを見ているときとの違いを説明する必要がある
絵画の表面と描かれているものを同時に見ているとき、普通は後者に注意を向けているが、直接ものを見ている経験と区別できないということはない。何故なら、注意を向けているのはBであってCではないから。


(2)二面性説でも美的鑑賞を説明できるが、三面性説ほどリッチではないから

感想

三面性説については、自分の評論で以前援用したことがあり、またナナイは本書や他の論文で特に言及していないように見えるのだが、画像の「分離」に関する議論にも適用できるのではないかと思っていて、個人的にはわりと気に入っている。
(分離についていうと、分離された対象を「B」と捉えればよいのではないか、と。AとBの関係について考えるのが「屈折」の議論、BとCの関係について考えるのが「分離」の議論なのではないかと)
ただ、「Cはメンタルイメージャリーによる疑似知覚的な表象である」というのが全然何のことが分からない。
メンタルイメージャリーis何?
別の論文で三面性について読んだ時は、メンタルイメージャリーについては、今度出る別の論文で説明するわ、みたいなことが書いてあった気がする

*1:たとえば、xはyより暗いという時、xとyの両方の色に依存しているので関係的性質