Bence Nanay ”Trompe l’oeil and the Dorsal/Ventral Account of Picture Perception”
https://philpapers.org/rec/NANTLA-2
2008年の論文であるベンス・ナナイ「画像知覚と二つの視覚サブシステム」 - logical cypher scape2]の内容をもとに膨らませて書いているような感じ
こちらは、2014年の論文
画像の知覚については、心理学と哲学の両方で議論されているけれども、とても異なったものとなっている。その違いを埋めるのがこの論文の目的だとされている。
トロンプルイユは、哲学では他の画像とは異なるケースだとされているけれど、心理学では画像知覚を説明するための重要なケースだと考えられている。
ナナイは、自身の、腹側経路と背側経路によって画像知覚を説明する説は、心理学的な説明でもあり哲学的な説明にもなっており、この両者をつなぐものになると論じている。
- 1 Trompe l’oeil
トロンプルイユが、哲学的な描写の議論と心理学的な描写の議論では扱いが違うという話
哲学と心理学の違いは、関心の違いかもしれない(哲学は、画像の経験に、心理学は、知覚のメカニズムに)
- 2 The Dorsal/Ventral Account of Picture Perception
腹側経路と背側経路の違いについて、エビングハウス錯視で説明
- 3 The Dorsal/Ventral Account of Picture Perception as a Psychological Theory
Optic ataraxiaの患者が、絵の線の長さなどをうまく評価できないという話とか
補正説の話とか
いくつか心理学研究から、この背側経路と腹側経路による説明が心理学的な理論となっていることを説明
- 4 The Dorsal/Ventral Account of Picture Perception as a Philosophical Theory
ウォルハイムの、二面性の説明の中にある曖昧さを指摘
以下の二つの使い方が混ざっている、と
(1)美的価値に関係なく、二面性は画像の必要条件である
(2)二面性は、名作の美的鑑賞における重要な要素である
ナナイは、(1)を画像的二面性、(2)を鑑賞的二面性として区別する
そして、現代の議論では、後者の鑑賞的二面性は、Inflectionとして議論されている、と
ホプキンスは、ウォルハイムの二面性の説明が正しければ、画像経験はdisjointなものか矛盾したものになってしまう、と批判する
ナナイは、画像的二面性は、無意識的なものだから、ホプキンスの批判はあたらないとする
- 5 Back to Trompe l’oeil
トロンプルイユにおいて、実は、描かれた対象は、腹側でも背側でも表象されている
トロンプルイユでも、表面は背側で表象されていて、腹側では表象されていない
トロンプルイユは、描かれた対象は腹側、表面は背側、という点で、心理学でいわれているように普通の画像経験と同じ
一方で、描かれた対象が背側でも表象されているという点では、哲学で指摘されているように、普通の画像経験とは異なる。