乾敏郎『感情とはそもそも何なのか』

日本語で読める本で、自由エネルギー原理についてわりと詳しく説明している本だと聞いて、読んでみた
で、そのあたりがまとまっていてとても面白かった
筆者は、マー『ビジョン』の翻訳者でもあり、川人光男とも共同研究していたりする人。認知神経科学者?


数式がたくさん出てくる、また、脳の部位についてもたくさん出てくる
本当はそこらへんが大事な本かなと思うのだけど、この記事では省略した

はじめに

Ⅰ章 感情を生み出すしくみ
 Ⅰ- 1. 感情を科学する
 Ⅰ- 2. 感情と身体
 Ⅰ- 3. 感情を作る脳のしくみ
 Ⅰ- 4. 価値を学習するしくみ

Ⅱ章 感情と推論のしくみ
 Ⅱ- 1. 知覚と運動のしくみ
 Ⅱ- 2. 内臓の運動制御と感情
 Ⅱ- 3. 他者の感情を知るしくみ
 Ⅱ- 4. さまざまな認知機能に対する情動と感情の影響
 Ⅱ- 5. 注意を払うのはなぜか
 Ⅱ- 6. 推論の方法

Ⅲ章 感情障害のしくみ
 Ⅲ- 1. 感情障害を理解する基本的考え方
 Ⅲ- 2. うつ病の本質
 Ⅲ- 3. その他の感情障害
 Ⅲ- 4. 自閉症オキシトシンと社会性
 Ⅲ- 5. 不確実な日常を生きる
 Ⅲ- 6. 自分の感情をコントロールする

Ⅳ章 自由エネルギー原理による感情・知覚・運動の理解
 Ⅳ- 1. 脳はいかに推論を進めるか
 Ⅳ- 2. 脳の階層構造と階層的推論
 Ⅳ- 3. 能動的推論——知覚と運動が区別できないしくみ
 Ⅳ- 4. 内受容感覚とさまざまな機能

【参考1】自由エネルギーとカルバック・ライブラー情報量 
【参考2】予測信号の更新式

付録 ヘルムホルツ小史
  業績概要
  ヘルムホルツの思想と人となり
  エネルギー保存則
  『生理光学ハンドブック』の刊行
  予測誤差の起源
  帰納的推論の重要性

point のまとめ
further study のまとめ
文  献
おわりに

感情障害についての第3章は未読


Ⅰ章 感情を生み出すしくみ

本書では、生理的な反応のことを「情動」、それに伴う主観的な意識的体験を「感情」と呼び分ける。ダマシオに従った用法とのこと。
感情の2要因論という考えが採用されている
感情の2要因論

感情は、内臓の状態を知らせる自律神経反応を脳が理解することと、その反応が生じた原因の推定という2つの要因によって決定される。
(p.17)

「感情=情動+原因の推論(p.42)」とも
2要因論について、脳機能イメージングを用いた検証実験がある
脳の中の島、特に前島とよばれる部位が感情を生成していると考えられている。自律神経反応と、条件づけられた刺激の両方があるときに、島が反応する


外受容感覚:いわゆる五感
自己受容感覚:自分の関節がどれくらい曲がっているかとかの運動感覚、身体の回転などの平衡感覚
内受容感覚:内臓感覚


この章では報酬予測と学習の話もなされている。
報酬とは、行動を行う誘因となるもので、側坐核で評価され、偏桃体や淡蒼球へと信号が送られる。
この回路はループを形成していて、将来の報酬の予測を行っている。予測誤差が正の方向に大きいとドーパミンが増え、予測誤差がないとドーパミン量は変わらない
ドーパミンシナプス結合の強さを強くする働きがあるので、ドーパミンが出てると学習が進む
上述のループは、大脳基底核ループと呼ばれ、このループはさらに複数の種類があり、行動の価値を学習する運動ループや、感情と密接に関係していると考えられている辺縁系ループなどがある


この章では、内臓の状態を一定に保つ働きとして、ホメオスタシスとアロスタシスという働きが紹介されており、後者は能動的な予測制御である

Ⅱ章 感情と推論のしくみ

感情は「原因の推論」であるとして、まず、その推論の仕組みとはどういうものかということで、視覚を例にとり、ヘルムホルツの無意識的推論の説明がなされる。
視覚において、2次元の網膜像から3次元の世界をする必要がある(逆光学問題)
そもそも、一つの二次元画像から得られる三次元像は複数あり、二次元データからは決定できない。
川人・乾は、人間は簡単な法則を持っており、これを用いて三次元の状態を推測し、今度は逆に、脳内で画像を生成し、その予測誤差を検証すると考えた
視覚だけでなく、身体運動についても予測とその誤差の検証ということを、脳は行っている
運動皮質は、運動神経に対して運動指令信号を出すとともに、どのような感覚が返ってくるかの予測信号を出し、後部頭頂皮質で、実際の感覚信号と比較する
この誤差を検証して、運動を調節していく


内臓の状態についての感覚を、内受容感覚と呼ぶ
内受容感覚についても、やはり予測信号によるフィードバックが行われている
予測信号と、実際に送られている信号が、島において比較されている。
内臓からの感覚が情動で、これと予測信号があわさって、感情になる、と

  • 自己について

自己は、永続的自己(自伝的記憶などからなる)と一時的自己からなる
一時的自己(下記の3つからなる)

    • 自己主体感

ある行為を自分でやっているという感覚。これがなくなると、統合失調症の症状の一つである「させられ体験」が生じる
運動する際の感覚フィードバックの予測誤差が小さいと自己主体感が生じる
統合失調症は、感覚フィードバックの予測がうまくできなくて、させられ体験が生じると考えられている

    • 自己所有感

自分の身体が自分のものであるという感覚

    • 自己存在感

自分が自分の物理的身体の中に存在し、その環境下に存在しているという感覚
要因はいくつかあるが、内受容感覚の予測と内臓感覚のフィードバックの予測誤差が小さい場合、自己存在感が高まると考えられている
自己主体感と相互作用がある

ミラーニューロンは、模倣行動だけでなく、他者への共感、感情推定にも使われている
ミラーニューロンは、島を介して偏桃体とつながっていて、運動だけでなく感情についても結びついている
顔の写真から他者の感情を推定する実験では、生理的反応(情動)が生じていることが分かっており、感情推定が共感によって行われているらしい
さらに、心拍音刺激を与えて、顔写真の感情評価をさせたり、被験者の心拍のリズムにあわせて顔写真を提示したりすると、感情評価に影響する。他人の感情を推定するにあたり、本人の情動が影響していると考えられる

  • 注意

従来、注意とは、生起確率が小さい現象(シャノンのサプライズ)に向けられる、と考えられきた
近年の研究で、注意は、信念の変化の度合いが大きい(ベイズサプライズが大きい)場合に向けられる、と考えられるようになった
注意を向ける事前の確率分布と事後の確率分布の差としてあらわされる。
これはカルバック・ライブラー情報量という式で計算できる
これは予測誤差、ともいえる


原因の推定について、最大事後確率推定という方法がとられる。
「ガラスが割れている」という事象から原因を推論するとする。
この場合、例えば「「ガラスが割れている」ならば「泥棒が入った」」確率(事後確率)を求めて、他の原因(地震が起きたとか、ボールが飛んできたとか)による事後確率と比較して、最も確率の大きいものを選ぶ。
泥棒が入ったという事後確率を求めるためには、「「泥棒が入った」ならば「ガラスが割れる」」確率(条件付き確率・尤度)と、そもそもその地区で泥棒が発生している確率(事前確率)の積を考える
感覚信号が何の原因によって生じたのか、ということを、最大事後確率推定から求めることができる
神経回路でこれを解く方法がある(最急降下法


信号にはノイズがある
信号はだいたい正規分布になっていて、ノイズは分散
フリストンの自由エネルギー原理には「精度」という概念がある。精度は、分散の逆数
つまり、ノイズが大きいほど精度が低い、ノイズが小さいほど精度が高い
そして、予測誤差は、精度によって重みづけられる
精度が低い信号は、予測誤差が小さくなるので、信念の変化する度合いが小さい、だから注意が向かない、ということになる
注意を向けるということは、精度を高めることになる


予測を行うには、事前確率が必要だが、これはヘブの学習規則によって学習可能とされている

Ⅲ章 感情障害のしくみ

未読につき省略

Ⅳ章 自由エネルギー原理による感情・知覚・運動の理解

知覚とは:感覚信号からそれを引き起こした原因を推定すること
(このように知覚と感覚を区別をしたのもヘルムホルツ
既に述べたように、事前確率と条件付確率が分かれば、事後確率が分かる
ある感覚信号を引き起こした原因としては、色々な事象が考えられる。
事後確率が最大になるような事象を見つけることが、原因の推定ということになる
どうやって、最大事後確率推定を行うか。
色々な方法があるらしいが、ここでは、まずある分布を考え、これが実際の事後分布にできるだけ近づけるという方法が取られる。
で、この方法をあらわしているのが、既に第二章で紹介したカルベック・ライブラー情報量となる


さて、ヘルムホルツは、熱力学の分野で「自由エネルギー」という概念を提唱しているが、
カルベック・ライブラー情報量の式の中には、自由エネルギーと同じ形をした式が含まれている、と
で、カルベック・ライブラー情報量を用いた最大事後確率推定は、この自由エネルギーを最小化することで求められる
この自由エネルギー最小化、というのは、予測誤差の最小化に相当している。
これが、フリストンが、2005年から2010年の間に発表して「自由エネルギー原理」


脳は視覚野に代表されるように階層的に情報処理を行っている
自由エネルギー原理に基づく推定も、階層的に行われている
上位の階層から一つ下の階層に予測信号が送られ、送られた方の階層で予測誤差が計算される
低次の情報処理から高次の情報処理まで、予測誤差最小化のネットワークでつながっている
このことを本書では、知覚(低次の処理)と認知(高次の処理)に境界はない、切れ目なく相互作用している、と言い表している


さらに、自由エネルギー原理のもとでは、知覚と運動も区別されない、と
つまり、どちらも予測誤差を最小化していくという点では変わらない
ただし、知覚の場合は、予測の方を修正することで予測誤差を最小化していくのに対して、
運動の方は、身体を動かすことで予測誤差を最小化する(このため、予測誤差のフィードバックは抑制されている)
また、知覚は外受容感覚、運動は自己受容感覚の予測だが、どちらも感覚信号であるという点で、神経中枢では区別されていない
運動すれば、入ってくる感覚信号も当然変わるので、運動と知覚は循環する


予測誤差最小化=自由エネルギー最小化には、ふたつの方法がある
1つは、予測を変化させること
もう1つは、予測と一致する感覚データをサンプルすること=行動を変化させること(運動、あるいは注意を向けること)
前者を「無意識的推論(ヘルムホルツ)」、後者を「能動的推論(フリストン)」と呼ぶ


能動的推論は、信号の精度に依存
高い精度の期待は予測誤差による修正を受けず、行動の目標として作用
どの感覚信号に注意するかは、感覚信号の精度に依存


ホメオスタシス及びアロスタシス(将来的な状況を予測してホメオスタシスの設定値を変更する働き)は、身体状態に対する能動的推論
内受容信号の予測に向けて身体状態を変化させる働き

  • 内受容感覚と他の機能

認知との関係:心臓が収縮したタイミングで、顔刺激を与えると、検出率が高くなる
自己所有感との関係:ゴムの手錯覚が生じている時、本当の手の体温が下がる。内受容感覚の感度が高いほど、ゴムの手錯覚が起きにくい
HMDを使って、全身についてゴムの手錯覚のような錯覚を生じさせる(幽体離脱体験的な)実験がある→自己の映像を、心拍や呼吸に同期させて点滅させるとこの錯覚が起きやすくなる

能動的推論において、予測信号は抑制されていて、自分の予測と行動によるフィードバックとを一致させて、予測誤差を最小化させている
統合失調症において、予測誤差の抑制がうまく働いておらず、予測誤差が大きくなる→「させられ体験」
催眠において、視覚フィードバックがブロックされて、予測誤差が大きくなり、「させられ体験」と同様自己主体感がなくなる
辛いときがあったときに、注意が外に向かず自分の心の中にばかり向いてしまうことをマインドワンダリングと呼ぶ
瞑想は、このマインドワンダリングを切ることができる。自己の呼吸へ集中するという瞑想を行うと、中央実行ネットワークや島が活性化し、自己へ集中し続けることができる
中央実行ネットワークは、催眠誘導の際にも働いている

  • 脳内三大ネットワーク

中央実行ネットワーク(CEN):課題に応じて注意を切り替えたり、反応を抑制したりする
デフォルトモードネットワーク(DMN):課題を行っていない時に活性化する
顕著性ネットワーク:顕著な信号を検出すると、DMNを止め、CENを動かす。前帯状皮質、前島、扁桃体などからなる


自己所有感は、外受容感覚から
自己存在感は、内受容感覚から
精神疾患において、両方が障害をうけるケースが多い
また、VRの研究で、自己所有感を高めると、自己存在感も高まるという結果もある
セスは、両者のネットワークが相互作用しているモデルを提案している
そのモデルでは、内受容感覚の予測誤差が自己所有感ネットワークに送られている

  • 自由エネルギー原理から考える環境と感情

自由エネルギー原理によれば、信念を書き換えたり、期待する刺激に注意を向けることで、自由エネルギーを最小化する
能動的推論とは、サプライズの低い刺激に接近する
感情の分類:自由エネルギーの時間的変化
→自由エネルギーが時間経過によって減少する=ポジティブな感情
 自由エネルギーが時間経過によって増加する=ネガティブな感情
 さらに、変化の速度(加速するか減速するか同じか)という区別もあわせて、本書では、幸福、不幸、希望、恐れ、驚き、安心、失望を区別する一覧表を提案している。

付録 ヘルムホルツ小史

1821年~1894年
色んなことやってる人だ
1847年 エネルギー保存則
1850年 神経電動速度の測定
1851年 眼底を計測する器具や角膜の曲率などを測定する器具の発明
1856年、60年、66年 『生理光学ハンドブック』1~3巻刊行
1858年 「ヤング-ヘルムホルツ理論」色覚に関する三原色理論の提唱
1861年 音感覚について、蝸牛の基底膜の場所で符号化しているという説を提案、その後、音楽理論も発表
1867年 「目を動かしても世界はなぜ止まって見えるのか」(逆に、指で目を動かすと動いて見える)→無意識的推論の話へ

感想

本書では、感情についての身体説とか認知説とかそこらへんの各説の紹介や検討などは全くなされていないし、当然ながらプリンツについての言及もないが、感情の2要因説は、身体説と認知説とをあわせたプリンツ説とも近いところのある考えかな、という感じがした。ただ、もう少し具体的なところに踏み込んでいくと、プリンツとは異なる、と思う(プリンツは、予測誤差最小化の話とかはしていなかったはず?)
ジェシー・プリンツ『はらわたが煮えくりかえる』(源河亨訳) - logical cypher scape2


逆光学は、エリック・R・カンデル『なぜ脳はアートがわかるのか―現代美術史から学ぶ脳科学入門』 - logical cypher scape2で出てきたばっかりだったので、思わず反応したw


この本の著者自身が、川人さんと共同研究している人なので、さもありなんって感じはするけれど、自己所有感とか自己主体感とかの話が出てきたのが面白かった
予測誤差と、どの感覚と結びついているかで、それぞれがすっきり整理されていて、統合失調症のメカニズムとしても説明されているのがなかなか。
自己主体感というと、稲見さんの研究とかを想起する
ぎゅぎゅっとてんこ盛り : 第9回 稲見昌彦さん | CiP
稲見昌彦『スーパーヒューマン誕生! 人間はSFを超える』 - logical cypher scape2


注意と精度の話、自由エネルギー原理の肝ないし重要な論点の一つという気がするし、面白いんだけど、まだしっかり理解したという感じに至ってない


能動的推論とか注意とか運動と知覚に違いはないとかの話を読みながら、これはそろそろノエを読まないといけないのかなーということを思ったりしていた
ノエ、まだ読んだことないから、どういう話なのかよく分かってないけど
エナクティブ・アプローチか。この本の中にも1か所か2か所、エナクティブという言葉は出てきたような気がする
自由エネルギー原理とエナクティブがつながる話なのかどうかは、正直よく分からないが


「無意識的推論」と「能動的推論」が対概念にされていたけれど、能動的推論も、意識に顕在化してくる情報処理ではないはずなので、無意識なのには違いない(ホメオスタシスとかまで能動的推論の一種とされているし。っていうかそれ「推論」か?)。まあ説明読めばわかるけど、後々誤解を招かないか心配になるネーミングだ。自由エネルギー原理ってネーミングも、そういう意味では気になってしまう
「推論」っていう言い方は正直、比喩だろという気がする(元々「無意識的」と形容ついていたあたりからも、推論ではないけど推論っぽいものというニュアンスな気がする)。あと、自由エネルギーも式の形が同じ、ということだと、予測誤差最小化原理とかでもいいような気がするのだけど……


知覚と認知は区別できない、という話、ここでいう認知が何なのかはっきりしないとよく分からない気もした
認知、ちょっと多義語っぽいとこあるので
でも、知覚の哲学とか、ナナイの三面性の話とかとはつながってそう
源河亨『知覚と判断の境界線』 - logical cypher scape2
Bence Nanay『知覚の哲学としての美学 Aesthetics as Philosophy of Perception』3章 - logical cypher scape2


心拍とかと知覚が関係しているの面白い


デフォルトモードネットワークの話はエリック・R・カンデル『なぜ脳はアートがわかるのか―現代美術史から学ぶ脳科学入門』 - logical cypher scape2にもあったが、三大ネットワークなのかー


マインドワンダリングのあたりで、フリスの論文が引用されていた
フリスといえば、クリス・フリス『心をつくる――脳が生み出す心の世界』 - logical cypher scape2
この本も、ヘルムホルツの無意識的推論の話から予測誤差の話をしている本
ドーパミンによる、予測と学習の話も載っている


まあ、あと関係してそうな本や論文などとしては
デビッド・マー『ビジョン――視覚の計算理論と脳内表現――』(一部) - logical cypher scape2
そういえば本書の中で、事後確率は、条件付確率と事前確率の積だけど、これは「計算理論」で、実際に脳でどうやっているかというとー、みたいな感じで進んでいく場所があったが、この「計算理論」、マーの3つのレベルの話だと思うけど、特に何の注釈もついてなかったなw


大平英樹「予測的符号化・内受容感覚・感情」 - logical cypher scape2
わりとそのまま、この本とテーマがかぶってそうな論文を過去に読んでいたようだ、自分


神経科学関係の勉強 - logical cypher scape2
以前、まとめた奴