ゲーラボ
斎藤環は、栗本薫の話をマクラに腐女子ネタ。アフタヌーン新書の腐女子本でdisられていたらしいので、それへの反論をしつつ、腐女子のことを語るのってほんとに難しいよねって話と、「関係としての化学」では腐女子視点で中上健次とかを評論したから読んでねという宣伝。
伊藤剛は、『百舌谷さん逆上する』を紹介していた。ツンデレとは、表層がツンであり深層がデレであると考えられるが、そのデレというのは本人も意識しないような動作に現れる。つまり、深層(内言)は逆に信用できない。表層に深層が現れる。あるいは、この作品が様々なフィクショナルな装飾を施しながらも、感情面では現実的になっていて、行ったり来たりする作品である、と。
「このマンガがすごい」でスルーされたのを篠房は気に病んでいるらしい。そして、大丈夫、今年は自分がいるからと伊藤がコメントしてた。あと、これだけマンガを描くのがうまいのに、こんなに複雑で分かりにくいマンガを描くのは何故なのか。それとも複雑なものを描いてしまうものなのか、とも。
文學界
東浩紀「なんとなく、考える」
ルソーから離れて、アシモフ。
アシモフの「はだかの太陽」を紹介する。そこでは、いわば「ひきこもりの星」が歴史の終わりとして描かれている。ヘーゲル・コジェーブ・フクヤマ的な歴史の終わりが語られていた同時期に(50年代)、動物的な世界を歴史の終わりとして描いたアシモフ。もちろん、そこはディストピアとして描かれているわけだが。この作品の結末では、この世界が性的なものによって崩壊する。動物的な世界は動物的なことで問題が起こる。
水牛健太郎が『ゼロの王国』の書評していた。
違う雑誌で、同じ人が同じ作品の書評しているのは珍しい気がした。
こちらでは、『白痴』との比較。ムイシュキンが最後まで人間のレベルに降りてこないことや、『ゼロの王国』では主人公が女性によって育てられたキャラクターであることなどが指摘されていた。
その他、眺めた本
『Jポップとは何か』(岩波新書)
面白そうだけど、急を要する本でもない。同じ作者に『Jポップの心象風景』(文春新書)というのがあるらしい。っていうか、作者名読めないw
岡田温司が新しい本を出してた。今度はキリストの身体。三部作完結編だとか。
『デリダで読む千夜一夜』
青柳先生の博論。まああまりにもごつすぎて読まないけど、「虚構の範例性」とか一体何なんだろうなあ。
あとがきとか読むと、知っている名前が並んでいて面白い。
あと土屋俊の言語哲学コレクションが出ていた。彼の論文を集めた本らしい。クオリアにも意識にも脳科学にも触れていない、心の哲学の論文らしい。
『ゼロの王国』は置いてなかったけど、文フリ本が置いてあってふいたw