名古屋哲学フォーラム2013秋「美を語る資格があるのは誰だ? 心理学(脳神経美学) vs 科学哲学 vs 分析美学」

日時: 2013年9月14日(土曜日)午後1時半より
会場: 南山大学名古屋キャンパスR棟R32教室


行ってきました。
名古屋は2度目。とはいえ、1度目は、他のところへの旅行の途中で立ち寄って名古屋駅の近くで昼食食べただけ。今回も、南山大学直行して、またすぐ帰るみたいな感じで、全然名古屋観光とかしてませんがw
地下鉄名古屋大学駅が、本当に名古屋大学ど真ん中みたいなところにあるのにびっくりした*1。で、名古屋大から坂を登ったところに、南山大がある。歩いて10分かからないくらいのところで、この2つの大学がこんな近くにあるというのも知らなかった。


名古屋哲学フォーラム2013実況・感想など - Togetter
当日の実況の様子など、kasuhoさんがとぅぎゃってくれています。


ってなわけで、以下大雑把ながらどんなんだったか要約したり、感想だったり
あくまでも僕がメモったものからの要約なので、誤りなど含むかもしれません。気付いたことあればご指摘ください。参照する場合は、ご注意ください。

川畑秀明(神経美学慶應義塾大学文学部准教授) 「脳は美の何について語り得るか」

神経美学のイントロダクション的な。
心理学者は心と行動の因果に興味がある、一方、神経学者は神経相関に興味がある
神経美学は、対象は美、芸術だが、方法論は心理学、神経科
脳機能画像を用いた計測について→差分と共通性を用いる

  • 心理学/神経科学における「美」

言語的には定義していない、課題(タスク)として定義しているのみ
beautyとthe aestheticも区別していない
「美」を感じるときの、認知や神経活動におけるプロセスやメカニズムに共通性があると考えている
感覚入力があることが前提となっている
尺度としての美(どれくらい美しく感じたかなどのように被験者に質問する)
美と醜(同一軸上の極性か、別軸か。これについては、川畑秀明『脳は美をどう感じるか』 - logical cypher scapeにもあった)

  • 視覚と芸術

風景画、静物画、肖像画をおのおの見せると、脳のそれぞれ別の部位が反応するという話
やはり、川畑秀明『脳は美をどう感じるか』 - logical cypher scapeにあった
写真や実物を見せても同じ部位が反応する。肖像画を見せると、顔に反応する紡錘上回が反応するが、顔らしいもの(バイクの正面とか)を見せても反応する

  • Chatterjeeの情報処理モデル
  • 脳の機能特化と美術様式

ここ時間がなくて飛ばし気味だったんだけど、もう少し詳しく聞きたかった
キネティックアートと運動視、フォービズムと色知覚、ダダイズムと不一致感、作品のサイズと視覚皮質など、美術様式というのは、各特徴に反応する脳部位と対応しているのではないかという話
というか、そういう特徴的な様式の絵画を見せると、強く活性化する脳部位があって、例えばフォービスムの絵を見せると、色に反応する脳部位が反応している、とかいう話だと思う。
より美しいと判断された動くドットパターンを見せると、動きに関する脳部位をより強く活性化させたなどあり、ここらへんが多分、ゼキのいう、芸術家=神経科学者みたいな主張と繋がるのではないかと思う。

  • 美の神経相関

美的なもの=報酬系×運動系×感覚認知系
なのではないか、と
「美」に反応する部位(眼窩前頭皮質)と「醜」に反応する部位(運動野)とが違うとか
速く反応する報酬系(側座核)とゆっくり反応する報酬系眼窩前頭皮質)とか
彫刻と黄金比と人体の話もしてたけど、最後駆け足だったのでよくわからず。

森功次(美学芸術学・日本学術振興会特別研究員PD(山形大学)) 「美的経験と価値判断との間にある謎:来るべき共同研究に向けて」

  • 伝統的な美学について紹介

→美についての見解はたくさんある!
→そのどれもが、「確かにそういう面もあるよね」という意味では正しい
→それぞれの論者が、具体的にどういう経験や事例を念頭に置いているのかを見定めるのが大事!

  • 分析美学

今まで色々と言われてきた「美」とかの言葉や概念を整理するよ
美的性質や美的経験についての説明をしていたけど、まあここらへんは『分析美学入門』を読むといいと思うw
「全体的な価値を示す性質」と「特定的な価値を示す性質」の解説がわかりやすかった
ステッカーは美的経験を「経験それ自体のために」なされるという条件を使っているが、それは何故かというと、デミアン・ハーストの作品のように、見ていて苦痛(気持ち悪い)なのだけどそれを見る経験には何か価値があると思われるものを、美的経験に含めたいから。
個々人の感動と作品の価値というのは、どうも別物なのではないか、というところが美学者にとってはとても気になるポイント

カリーやデイヴィスによる批判を取り上げつつも、こうした批判は、神経美学がどういう学問なのかということを見ずに言ってるものなのではないか

発表者である森さんは、一貫して神経美学に対して好意的。神経美学が、いわゆる美学側から見て「間違っている」などというつもりはない。既に見たように、美学自体、見解がバラバラ。重要なのは、どの見解が正解なのかではなく、その見解が一体どういうことを言おうとしているのかを明確にすること。以下、森さんが、Ishizu&Zekiの論文を実際に検討しているが、ここで言われているのは、この論文で取り扱われている「美」が一体どういうものなのかが、必ずしも明確になっていないということ。
森さんとしては、神経美学における実験などが、従来の美学上の議論を決着させるものもあるのではないかと期待しているみたい。
で、Ishizu&Zekiの論文
被験者に絵を見せる→9段階評価してもらう→高い評価を得た作品を見せると特定の部位が活性化する、という実験
ここで森さんが気にするのは、(逆向きの推論の指摘っぽい話もあったけどそれよりむしろ)高評価(7〜9点)を得た作品を「美しい」と分類していること。この論文では、被験者が作品の何について評価していたのかが分からない。被験者が「美しい」を全体的価値性質として捉えたか、特定的価値性質として捉えたかによって、評価の仕方は変わる可能性がある。この実験ではフランシス・ベーコンの絵は、「醜い」(1〜3点)に分類されたようだが、そうだとすると「醜の美」のようなものについて扱えなくなる。絵の評価には、色々な評価の仕方がある(モチーフだったり技術だったり)。
Ishizu&Zekiが何をもって、高評価を「美しい」と言い換えたのか、論文にはその説明が全くなかったので、その整理が必要。

太田陽(科学哲学、特に実験美学の哲学・名古屋大学大学院情報科学研究科) 「哲学的美学と経験的美学」

ここでは、哲学的美学とは分析美学、経験的美学とは実験美学(心理学)のこと
ディッキーは、1960年代にこの2つの美学は関係がないといって、心理学を批判した。この批判に反論することで、この2つの美学には関係があることを示し、さらにこの2つの美学の理想的な関係について提案する。
ディッキーは、美学は「論理的問題」と「心理的問題」の2つの問題を扱っているが、そのどちらも心理学では解決できないとする。
太田さんは、その2つの批判に対して反論する(心理学によって解決が期待できる経験的問題が、それらの問題の中に含まれているという主張)。
続いて、2つの美学の望ましい関係として、2つの方向を述べる。
1つは「実験美学的貢献(心理学→美学)」、もう一つは「科学哲学的貢献(美学→心理学)」
もともとフェヒナーの実験美学は、実験哲学として始まった
また、最近は実験哲学の潮流が盛ん
哲学的美学者の中でも、実験哲学的なことをやっている例が最近見られる。
実験美学:美学における主張を、心理学的な実験によってテストする
Cova&Pain(2012)は、素朴美学が美的実在論の根拠となるというZangwillの主張を検討するため、その主張の前提となっている、素朴美学の規範性を、一般の人々への質問紙調査でテスト
Meskin(2013)は、作品に内在的価値はあるのかという主張を確かめるため、作品の良し悪しと単純接触効果が相互作用していないかどうか実験
科学哲学的貢献としては、Hymanによる、ラマチャンドランやゼキへの批判を紹介
また、太田自身による、「黄金比の心理学的研究の再評価」について

全体討論

僕が面白かったと思ったところだけをピックアップ
また、引用符でくくって書いていても、実際にはかなり自分なりに要約したり補足したりしているので注意
太田「Hymanによる批判=神経美学はメカニズムの説明になっていないにどう答えるか」
川畑「対応する皮質があることは必要条件(色に対応する視覚野がないとモンドリアンの絵を鑑賞できない)だが、確かに十分条件ではない。報酬系や感覚のネットワークがどう同期するかが問題になる。相関関係しか示せないので、十分条件といえるかどうかは分からないけど、今後の課題」
森「ゼキの芸術家=神経学者という主張について、芸術家でなくても当てはまる主張なのでよくないのではないか」
川畑「漢字学習をさせるとき、2つのストラテジーをやらせると、パフォーマンスは同じでも脳の使い方が違うことが分かっている。絵画鑑賞についても、その優れたストラテジーと脳の使い方がオーバーラップしている。ゼキの主張はそのようなものだと理解している」
森「川畑さんの発表で、感覚入力が前提とあったが、最近は、知覚できないケースについての美の議論もなされるようになってきている。現代アートでそのような作品が出てきていることや、あるいは人生の美しさ、数式の美しさなどが議論の対象となっている」


会場からの質問など
戸田山「絵画って実験で使うにはコントロールできない要素が多すぎ。もっと抽象的な図形を人工的にデザインした方がいいのでは」
太田「実験美学(心理学)では抽象的な図形を使っている。神経美学が絵画を使うのは何故」
川畑「神経美学は、芸術作品の鑑賞における脳活動を研究している。また、神経美学は実験美学の延長のようで実は違う。フェヒナーとか全然引用してない」


会場「神経美学は一般法則を見出そうとしているのか」
川畑「法則を脳活動から見出すのが目的。/自分はあくまでも心理学者・神経学者なので、10年後も美学に携わっているかは分からない。そもそも経験的研究者はあまり長期的にやらないのではないか。研究文化として問題意識を受け継いでいく」


会場「自分は絵を描いているが、個人の思い出などが価値判断にどれくらい関わっているのかに興味がある」
森「ヒュームがいった理想的批評家について、その条件は何かということについて色々議論があるが、最近はそこに個人の好みについて考慮した方がいいのではないかという議論がある。また、個人の思い出などはセンチメンタル・バリューといって美学者は排除したがるけれど、最近の現代アートでは、東ドイツ出身者にだけ訴えるような作品など、特定の層だけを対象にした作品などあって、考慮すべきかもしれない」

*1:キャンパスを分断する形でわりと大きめの道が通っていて、駅もそこにある