ロバート・ローゼンブラム『近代絵画と北方ロマン主義の伝統』

ドイツロマン主義の画家カスパー・ダイーフィト・フリードリヒから、抽象表現主義の画家マーク・ロスコまでを、「北方ロマン主義」という系譜の中で位置づけようという本。
崇高の話とか読んでいると、時々言及される本なので、まあ読んでみるかと。
北方ロマン主義における「北方」というのはまあ大体ドイツのことで、フランスないしパリを中心に語られてきた19・20世紀美術史を、パリを回避して組立直すというもの。
フランスの印象派に対する、ドイツの表現主義みたいな対比とパラレルなのかなあとも思ったけど、美術史詳しくないのでよく分からず


北方ロマン主義の伝統 | 現代美術用語辞典ver.2.0を見ると、「ローゼンブラムの議論はそれ自体として十分に説得的なものであるとは言いがたいが、19世紀から20世紀にかけての単線的なモダニズムに対するオルタナティヴな見方を打ち出したという点で稀有なものである」とあり、また序文のあたりでローゼンブラム自身、ここに書いていることをあんまり鵜呑みにしないでね的なことを書いているんだけどw
確かに読んでいて、美術史よく分からんからよく分からんけど、「どれくらい妥当なんだろ、これは」みたいな部分は確かにあった。
どういうことかというと、基本的に筆者が、この画家のこの部分がフリードリヒに似ているというのを繰り返していくのがこの本で、場合によっては、こいつは同じ題材を使っているけど違うんだとか、この画家は多分フリードリヒや北方ロマン主義の画家達のことをよく知らなかっただろうけど同じテーマを扱っているからこの伝統に連なるんだとか、そういったことを言ってたりする。
でも、読んでいけば言いたいことは分かるし、美術史家として数え切れないほどの作品を見てきた上で判断しているんだろうから、あまり妥当性についてつっこむもんでもないかもしれない。
「パリ中心でない別の見方もあると思うんだけど、どう?」 ってことだと思う。
そもそもが、ローゼンブラムが、フリードリヒの絵(《海辺の僧侶》)とロスコの絵(《青の上の緑》)は似ている気がするんだけど、何か繋がりがあるのだろうかというところから始まっている。


ローゼンブラムが、北方ロマン主義の伝統として取り上げているのは以下のような問題意識である。
つまり、超越的なもの、宗教的なものを、伝統的な宗教画のモチーフを使わずに描くにはどうすればいいか。
そこで取り上げられるのが、風景などの自然であったり、教会などの宗教建築であったりするのである。
自然を超自然的なものの隠喩として捉える。世俗的なモチーフを通して超越的なものを描く。
また、同じ風景や教会を描いていたとしても、それがどのような構図で描かれるかという点にも着目する。左右対称性があることや、人間が描かれないあるいは人間が小さく描かれていることなどが特徴としてあげられている。
印象派キュビスムというか、フランス系の作品はそうした点から、同じような題材を使っていても、北方ロマン主義とは異なるとされている。
また、逆にキュビスムなどの語彙を用いていたとしても、超越的なものを描こうとしている作家は、北方ロマン主義の伝統へと位置づけられるとしている。
フランスを中心とした近代絵画が、芸術のための芸術で、色や形に着目していたとすると、北方ロマン主義の伝統に連なる近代絵画は、決してそうではなかったという。


第1部 北方ロマン主義と神の復活
1 フリードリヒと風景画の神性
2 宇宙創造論神秘主義――ブレーク、ルンゲ、パーマー――
第2部 十九世紀末におけるロマン主義に生き残りと復活
3 ファン・ゴッホ
4 ムンクとホードラー
第3部 二十世紀におけるロマン主義の生き残りと復活
5 牧歌的なものと黙示録的なもの――ノルデ、マルク、カンディンスキー――
6 ロマン主義のほかの流れ――クレーからエルンストへ――
第4部 超越的抽象
7 モンドリアン
8 抽象表現主義

1 フリードリヒと風景画の神性

世俗的なモチーフによって宗教的なものを描こうとした画家としては、ナポレオンを描いたアングルや、ゴヤなどもいる
同時代的には、バークの崇高美学、アルプスやナイアガラの滝に神性を感じる画家や思想家なども
フリードリヒは、宗教画と世俗画(風景画)との区別をなくした
《朝日の中の女》や《海辺の二人》で風景に没入している人物、《日の出の海》における左右相称な構図、原初の創造。十字架をキリストの磔刑としてではなく、世俗的・経験的な風景の中に描く。ゴシック建築や廃墟(コローやコンスタブルと比較して、正面からの構図で描いている。)。《窓辺の女》、《北極海
フリードリヒは象徴的に船を描くが、ターナーも似ている。《戦艦テレメール》において、人間の力は自然の力に呑み込まれている。
ラスキンが『近代絵画論』で述べた「感傷の虚偽」=人間の感情を人間以外のもの(例えば、木など)に託したもの。

2 宇宙創造論神秘主義――ブレーク、ルンゲ、パーマー――

宇宙創造を描こうとしたウィリアム・ブレーク。左右相称が重要。
植物などの細部への知覚と幻想的・抽象的な形式という二元論の極みにあるルンゲ。子供という主題。大人を描かないことで相対的な大きさが分からないようにして、力強く描かれる幼児。
フリードリヒと同様、風景に没入している人物を描くパーマー。そこでは、フリードリヒと同様に、太陽と区別がつかない月が描かれている。
フリードリヒやパーマー、ゴッホの自画像。大きく目を描く。低い位置で目を描く。キリストに自分の顔を見立てたパーマー。

3 ファン・ゴッホ

19世紀、ロマン主義が衰える。窓辺にたつ女性、山岳風景、氷山といったフリードリヒと同じモチーフを使いながらも、それらは休日の楽しげな眺めなどになってしまっている。
芸術のための芸術ではなく生きるための芸術というロマン主義の生き残りとしてのファン・ゴッホ
ゴッホはもともと伝道師を目指していた
キリスト教建築、自然、農村共同体の調和
ねじ曲がった木の枝でうずくまる女性の感情をあらわす(「感傷の虚偽」)
花や赤ん坊といったモチーフ(巨大に描く、細部まで描くなどで生命エネルギーを描く)
太陽のような月
私的な体験の隠喩として窓からの眺めを描く(フリードリヒの絵を見たことがなかったはずだが、フリードリヒとよく似ている点)。孤独の投影。

4 ムンクとホードラー

ムンクとホードラーの自画像
ゴッホ同様、ムンクもパリで学び、新たな絵画的語彙を使って表面上は変わる。
フリードリヒと同じような人物と風景の関係、左右相称な構図。ムンクゴッホと違ってフリードリヒを見ていた可能性が高い。
舞踏会における女性を、処女、成熟、終局の象徴として描く。生物学、進化論を意識したような絵。
フリードリヒ同様人物が描かれていないか、孤独な人物によって眺められているムンクの風景画。エネルギーの象徴としての太陽。
ゴッホ同様、牧師を目指していたホードラー。
子供、宇宙創造論、左右相称。スイスの風景という経験的なものを通して描かれる、原始の自然のビジョン。「惑星的風景」

5 牧歌的なものと黙示録的なもの――ノルデ、マルク、カンディンスキー――

20世紀にもロマン主義の生き残りはいる。例えば、ディズニーの『ファンタジア』における森の木々をゴシック教会に見立てた表現など、大衆芸術にも見て取れる。
ノルデ《マッターホルンはほほえむ》アルプス山脈の山肌を人間の顔にように描いた=感傷の虚偽
フリードリヒやターナーのような風景画、海景画、ゴッホのようなひまわりなど
ロマン主義に由来する伝統をほとんどすべて受け継いだとみられる、マルク
芸術を、新たな精神的宗教の祭壇のための象徴を創造することと考える。オルフィスムの語彙を取り込み、この目的のために描く。感傷の虚偽を、植物から動物へと拡大する(《風景の中の馬》、《世界を前にする犬》、フリードリヒ《朝日の中の女》の動物への書き換え)。
マルクの動物の絵は、牧歌的なものと黙示録的なものの両極端に分かれる。
キュビスム未来派、レイヨニスム、新印象主義、オルフィスムを使って、精神的メッセージを伝える。
天災が人間の希望を打ち砕くという黙示録的なイメージにおいて、マルクはターナーと似ている(マルク《ティロル》とターナー《グリゾンス州の雪崩》)。
第一次大戦を前にしたマルクの漠然とした不安(《動物たちの運命》)は、カンディンスキーとも共有されている(《インプロヴィゼーションNo.30》)。
カンディンスキーは、ムルナウ周辺の風景を、人間と自然が共存する神秘的な共同体として構想。

6 ロマン主義のほかの流れ――クレーからエルンストへ――

青騎士」のメンバーで、マルクと親しく、彼の死後、マルクの絵画の修復も行ったクレー
《鷲とともに》ではマルクの動物への共感を受け継ぐ
《冬の山》に描かれる枯れ木における感傷の虚偽
有機的抽象(植物の中に神秘を描く)、船や海のモチーフ
バウハウスでクレーと親交のあったファイニンガー
人物を小さく描く風景画。ゴシック建築キュビスム的手法で描くが、フランスのキュビストとは異なる視点。
同時代のイギリス、パーマーの描き換えを行うサザーランド、第二次大戦を隠喩的に描き換えるナッシュ。
磔刑図を、絡み合うイバラによって描くサザーランドが絵画的な支えを求めたグリューネバルトの作品に影響を受けたエルンスト。
地球とは異なる星の風景を描いたかのような《太陽のある風景》、《都市の全景》。《都市の全景》では、細密な植物描写と左右相称で平面的象徴的な構造物が描かれている。
幻想的な風景は、60年代には抽象表現主義にも近い、切り詰めた構成に還元されていく

7 モンドリアン

神智学の影響を受け、精神的・宗教的なものを描こうとした画家。風景画、自画像。
神智学的信仰が反映されている、《帰依》や《信仰》といった人物画。
花への強烈な感情移入。木々、教会、海といったロマン主義的なモチーフ。教会を正面の構図から描く。左右相称な風車。
陸と空と海の区別がまるで存在しない《海》
《桟橋と太陽》の連作における楕円→神智学における「世界の卵」、二次元の平面のようでもあり、水平線の彼方まで無限に広がるイリュージョンのようでもある→フリードリヒ《海辺の僧侶》、ターナー《海に沈む太陽》、あるいはポロック、ロスコ、ニューマンとの類似

8 抽象表現主義

抽象表現主義は、ロマン主義の伝統とアメリカ的伝統に根ざす。アメリカ絵画と抽象表現主義を結ぶ存在としての、タック。自然的なものを超自然的に描く。
オキーフアメリカ西部の実際の風景を描きながら、太古の自然を隠喩する。
ポロックと自然、ターナーとの近さ。
ゴットリーブの描く天体。天体を紋章のように描く。オキーフもまた。
新たな宇宙創造論を探求したニューマン。ブレークもニューマンも、幾何学に抵抗する。ニューマンやブレークにおける相称性は、幾何学的なものではなく、崇高。
特定の宗教を越えて霊感を求める。ユダヤなど、非カトリック
ニューマン同様ユダヤ人であり、孤独な人間、悲劇や陶酔などの感情、宗教的体験を描こうとしたロスコ。
世俗化された近代世界に宗教体験をもたらすというロマン主義の問題を受け継いだ、ロスコ礼拝堂。

近代絵画と北方ロマン主義の伝統―フリードリヒからロスコへ (美術名著選書 27)

近代絵画と北方ロマン主義の伝統―フリードリヒからロスコへ (美術名著選書 27)