リチャード・グレゴリー『脳と視覚――グレゴリーの視覚心理学』(一部)

神経科学関係の勉強 - logical cypher scapeで書いた、飯島さんの発表の中で、グレゴリーの「仮説としての知覚」という考え方が言及されていたので、とりあえず眺めてみた。
章立てを見れば分かるが、基礎的なところから視覚についての概論を行っている教科書なのだけど、とりあえず最初の章と最後の章(あと芸術を取り扱っていた章)だけ読んた
第5版(1998)からの翻訳
なお初版は1966年
グレゴリーはイギリスの知覚心理学神経心理学者で、R.ペンローズゴンブリッチとともに展覧会を主催したりもしている
知覚というのは、受動的なプロセスなのではなく能動的なプロセスなのであるというのはグレゴリーの主張で、この考え方自体は、ヘルムホルツの「無意識的推論」という考えに遡る。
グレゴリーの考えは「知覚−仮説構成説」と呼ばれている

1章 視覚を考える
2章 光
3章 眼
4章 脳
5章 明るさ知覚
6章 運動知覚
7章 色知覚
8章 知覚学習
9章 芸術のリアリティ
10章 錯覚
11章 最後の思索

脳と視覚―グレゴリーの視覚心理学

脳と視覚―グレゴリーの視覚心理学

1章 視覚を考える

知覚を考えるためのパラダイムとして、行動主義、ゲシュタルト心理学認知心理学をあげたのち、本書がとるパラダイムヘルムホルツ由来であると述べられている
また「間接的、能動的な説明」とも述べている
自分に対する反対者として、ギブソンをあげている。ギブソンの提案している知覚は、直接的で受動的である

知覚は仮説であるというのが、ここでの中心的な考え方である。この考えは、網膜像が無限の解釈の可能性をもち、実際に曖昧な現象が観察されることから示される。この考え方によれば、科学における予測的な仮説と知覚とが似ていることになる。(...)それらは予測的であって、隠された特性や未来に対して感覚によって経験された事実ではなく、それ以上のものだからである。科学の場合と同様に、知覚にとってもこの予測はきわめて重要である。(p.13)

本書の中心をなすテーマは、知覚と、科学における仮説とが類似しているということである。科学の仮説は曖昧さをもつだけでなく、歪み、逆説、虚構をも生み出す。これらがすべて知覚現象にも同じように生じることは興味深い。(p.15,p.17)

9章 芸術のリアリティ

エジプト絵画と東洋絵画について簡単に紹介してから遠近法について
「二重の現実感」という言葉で、描写の二面性についても触れられている
また、同じ楕円でも、その周囲に何が描かれているかで、円形の物体として見られるということについて
エームズの部屋などの錯覚・錯視の話

11章 最後の思索

科学の本質的力とは、感覚経験をはるかに超えて知識を拡張することである。それは往々にしてわれわれの見方を変化させることができる。
知性をもつ眼が視覚的情報を超えてなぜ仮説を創造するのかを考えるのは難しくはない。行動は感覚されるものに向けられるばかりではなく、隠れたものに対しても、さらには近未来に起こるかもしれないものに対しても向けられるからである。知覚仮説の豊富さは、生存にとって計り知れない利益をもたらす(p.318)

錯視の分類を行っている。
まず、見かけ上の分類として、曖昧性、歪み、逆説、虚構の4つにわけている
次に、原因として、物理的、生理的、知識的、規則的の4つにわける
4×4のマップ上に錯覚・錯視を分類している(p.323の図)
例えば、水の中の棒が曲がって見えるのは、「物理的」原因による「歪み」
多義図形は、「知識的」原因による「曖昧性」
カニッツァの三角形は、「規則的」原因による「虚構」
といった具合である。
知覚についての概念図(p.325)も示される
仮説生成装置が真ん中に置かれ、下から(ボトムアップ)感覚器官からの信号が、上から(トップダウン)物体についての知識が、さらに横から(サイドウェー)規則(遠近法やゲシュタルトの体制化)が入ってきて、行動やクオリアを出力している


ところで、ゼキへの言及がどこかにあった気がする(神経美学ではなく視覚心理学の話で)