『マルドゥック・スクランブル』『ネガティブハッピーチェーンソーエッジ』

2冊読了
どちらとも、一言でまとめてしまうのならば生きる価値を追い求める話

マルドゥック・スクランブル

マルドゥック・スクランブルでは、偶然から必然への移行として描かれる。だからこそ、ギャンブルがテーマと密接に関わるものとして緻密に描かれるし、単なるギャンブル物にはとどまらない
何故自分なのか
その答えを明かそうとすると、それはきっと偶然でしかない。しかし、それが必然になる瞬間を見極めることこそが、勝負どころなのだ。
偶然が必然に移行して、人間を動かす価値が生まれる。
「少女と敵と武器の物語」というのが、この作品の宣伝文句だが、この「少女」「敵」「武器」という3つの概念が、沖方が特に着目した「価値」をもつ概念なのだろう
ただしこの話は、あくまでも「自分」が自分の「価値」を追い求める話であって、「他者」に関しては希薄である。
「敵」という概念は必ずしも「他者」ではない。「敵」とはあくまでも「自分」にとっての「敵」であり、「自分」の投影でしかない。
この自分の投影(=自意識の球体?)を打ち止めにするのが「他者」であり、要するに恋愛(異性)か宗教(神)なのだと思う
ウフコックは必ずしもその役目としては不十分だった気がする。
阿部和重の『インディビジュアル・プロジェクション』の場合、(題名どおり)自分の投影がひたすらなされたあと、異性によっても神によってもそれが打ち止めにされる。この場合、神というのは記述する者や観察する者のことである。

ネガティブハッピー・チェーンソーエッジ

昨日、1日で一気に読みきりました
マルドゥック・スクランブルではしつこく描かれた、「偶然から必然への移行」はこちらの作品ではあっさり飛ばされる。
こちらの作品では、「敵」が「敵」であることに必然が見出されることはない。
逆に、価値を求める心境に強く軸足が置かれる
だからこそ、この作品はどこまでも「青春小説」である。
そして、内容だけでなくこの作品の勢いそのものも、言ってしまえば「青春」だ
山本や渡辺という作中人物と、作者である滝本は容易にダブる
その勢いは、小説としては稚拙に見える一方で、ダイレクトに涙腺を刺激してくる
早い話が泣いてしまった
『サマー/タイム/トラベラー』でも泣きそうになったし、どうも最近この手の作品に弱いらしい

ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ (角川文庫)

ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ (角川文庫)