『アニメルカ』に何回かにわけて掲載されてきた、みよじ・はるを・よしたか、tricken、反=アニメ批評による座談会を一冊にまとめたもの。
さらに、『マイマイ新子と千年の魔法』の監督と、『けいおん』の高校のモデルとなった豊郷小学校がある豊郷町産業振興課の方へのインタビュー、さらにはるをさん、trickenさんのそれぞれの論考が加えられている。
豊郷の話は、知らないことが色々あって面白かった。
飛び出しJKはネットで画像見たことあったけど、飛び出し坊や知らなかったし
何より驚いたのは、豊郷が丸紅や伊藤忠商事の創業の地だということ。
座談会は、第一幕、幕間1、第二幕、幕間2、Extra、第三幕の6つのパートに分かれている。
第一幕では基本的に、『耳をすませば』が中心に語られる。
聖蹟桜ヶ丘という街についての解説、宮崎作品における郊外の描かれ方と耳すまでの描かれ方の相違。
それから、場所と移動の話。まず、人というのは場所によってキャラを使い分けてたりする。例えば『耳すま』であったら、雫@地球屋、雫@自宅、雫@学校みたいな。そして、雫がそれらの場所を何度も行き来し、それらの場所が繰り返し描かれることによって、人と場所のインタラクションが深められていく。
そうしたインタラクション、並びにその場所へと重ね描きされていく認知の変化といったことが描かれるのが、「背景アニメ」なのではないか、ということ。
パーマリンクとタグの話は、比喩としてそれなりに分かりやすくはあったけれど、本当にその喩えでいいのか、というのも何となく気になる。あと、ソワカちゃんがごり押しすぎるww
幕間1は、余談な感じ
第二幕から幕間2にかけては、ハルヒの話。
最初、新海誠の話をしてるけど、あれはここでいう「背景アニメ」ではないよねってことになって終わり。
はるをさんのハルヒ解釈が面白くて、これが震災の話や最後の論考にも繋がっていく感じがする。まず、近景と遠景の使い方が特徴的である、という話。
そして、幕間に入って、震災文学としてのハルヒの話になる。ハルヒは、震災が起きなかったパラレルワールドであり、神人による破壊が震災を象徴している、と。
荒ぶる女神たるヒロインを慰撫して日常を維持するヒロイズムの話として、『消失』と『ポニョ』が比較される。
Extraでは、震災以後に改めて収録された、震災直後の三人の座談会。
ここでは、『かんなぎ』に触れたりしながら、聖地巡礼と集合的記憶やARについて話されている。ここまでも、聖地巡礼やARについての話はされていたが、メインの話というわけでもなかった。実在の場所とフィクションでの描かれ方との関係について。
それから、やはりはるをさんの中に通奏低音としてあると思われる、日常を守るヒロイズムというようなことを、はるをさんが『けいおん』に見て取ったという話。
第三幕では、『マイマイ新子と千年の魔法』と『電脳コイル』が取り上げられ、場所の意味が重ね描きされていく演出技法について語られている。
前者では、登場人物が平安時代のことを妄想していき、そしてその妄想=フィクションが現代と共鳴したり、共有されたりいく様子が描かれる。『電脳コイル』では場所の意味の重ね描きが、ARという技術によって描かれる。
trickenさんは、西垣通の情報社会論やユクスキュルの〈環世界〉概念に触れながら、認知の重ねあわせについて論じている。
はるをさんは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、しまむらの都市伝説、『けいおん』を取り上げる。それらは全て郊外の物語であり、そこに郊外の中に遍在している悲劇を見出す。英雄譚への切実な希求が述べられる。
基本的には、はるをさんの考える「背景アニメ」というものが軸にあって、そこにtrickenさんと反アニさんが色々と肉付けして、座談会は進んでいく。
そこでまあ、骨と肉のバランスがとれているのがいいと思うのだが、若干、肉が多いのかなという感じがしたw tirckenさん話しすぎ、もすこしはるをさんの方を聞きたい、みたいなw
背景アニメと聖地巡礼との関係は、必ずしも明確ではない。
実際、第一幕で『らき☆すた』の話がなされるが、はるをさんからは、すっと『耳すま』とは違う類の話とされてしまっている。もちろん、はるをさん自身、聖地巡礼ばりにアニメのロケ地をバリバリ歩き回っている人なのであり、聖地巡礼というのは決して無関係な話ではない。
背景アニメの中で描かれる場所の意味と、聖地巡礼において場所に見出される意味とが、どちらもAR的という形容詞によって形容されることによって、繋げられている。やはり関係はある。
しかし、はっきりと何か言い表されぬまま進んでしまった気がする。そのために、どうも読んでいて話が途中であちこちへ飛んでしまう感じも覚えてしまう。それが、上で述べた「肉が多い」につながってくる。聖地巡礼の話は、震災と記憶という話が出てきてようやく繋がりが見えてきたところがあって、第一幕で『らき☆すた』の話を出すのはまだ繋がっていない感じがするし、あるいはPICSYの話もどこか浮いているような気がする(萌え四コマのリズムの方の話もそうで、幕間1はどの話題もどこか浮いていて、だからこそ幕間という形で収録されたのだろう、ということは分かる)
場所、それにまつわる記憶・意味・認知、フィクションや物語あるいは技術を通じて記憶・意味・認知が変化、重ねあわせ、あるいは共有される
震災*1・日常・ヒロイズムという問題系は、すごく面白いなあと思った。
フィクションについて切実に考える、とはこういうことだよな、と思ったり。