『ユリイカ2016年9月臨時増刊号』

総特集=アイドルアニメ
既に告知した通り、自分も寄稿させていただいた本誌だが、普通に一読者として、二次元アイドルファンとして楽しめた1冊だった。
冒頭が菱田・西・依田座談会で、背表紙もオバレで、事実上のキンプリ特集的な面もあるけれど、取り上げられている作品の幅はなかなか広いと思うし、何よりそれぞれの論の観点が、各論者、趣向をこらしていると思う。また、割かれているページ数を考えると、キンプリだけでなくマクロスも結構取り上げられている。一方で、意外や意外? アイマスについては正面切って論じられているものがほとんどない。
2016年というタイミングで出されるアイドルアニメ評論集としては、しかし、わりと妥当なチョイスだったのかもしれない。
簡潔な内容紹介としては、みやもさんによる『ユリイカ』アイドルアニメ特集号の全記事紹介 - Togetter

■世界の輝き
KING OF PRISM by PrettyRhythm』という奇跡 プリズムスタァのきらめきを追いかけて / 菱田正和×西 浩子×依田 健 司会・構成=上田麻由子
虹の先を越えてゆくために 『KING OF PRISM by PrettyRhythm』における四次元の想像力 / 上田麻由子
生の肯定としての「み〜んなアイドル」 『プリティーリズム』から『プリパラ』へ /筒井晴香
アイドルアニメは【コンテンツ】ではない。 / 綾奈ゆにこ
ストリートの矜持 / 増田俊樹 聞き手=編集部
踊れ、歌え、闘え / 武内駿輔 聞き手=編集部
■アップデートされるアイドルアニメ
アイドルアニメと美少女の表現史 一九八〇—二〇一〇年代 / 泉 信行
きらきらの向こう側 男性アイドルとヒーローの結節点 / 須川亜紀子
「萌え」が死に、「アイドル」が生まれる 受容と環境の変化 / 想田 充
■Music on Character
キャラクターの歌声と音楽の場所 アイドル‐ゲーム‐アニメのリアリティライン / ミト×さやわか
アイドルは音楽である 「芸能人はカードが命」と「SEVENTH HAVEN」から / シノハラユウキ
声優‐キャラ・ライブという例外状態 その条件としてのオーディエンスの情動と主体 / 川村覚文
■アイドルは誰のために
“笑顔”のアイドル活動 / 大橋彩香 聞き手=編集部
個人競争主義的アイドルとチーム団結主義的アイドル AKB48に共鳴/対峙する二次元カルチャー / 中尾 暁
スクールアイドルの輝きの向こう側へ 『けいおん!』から読む『ラブライブ!』 / 高瀬 司
女性アイドルの「ホモソーシャルな欲望」 『アイカツ!』『ラブライブ!』の女同士の絆 / 安田洋祐
「変身」の変容史 アイドルにならなかった森沢優と、多重に変身し「女の子」を攪乱する『プリパラ』のアイドルたち / 柴田英里
■歌姫のもたらす希望
すべてがどこかにつながっている / 鈴木みのり 聞き手・構成=飯田一史
アイドルアニメとしてのマクロス なんのために、どんな想いで歌うの? / 飯田一史
マクロスΔ』の三位一体とケアの倫理の可能性 / 佐倉智美
■次元を超えるアイドル
アイドルはアニメを照射できるか / 香月孝史
二・五次元作品としての『AKB0048』 / 小林 翔
アイドル、スター、そして都市 『サクラ大戦』から見える風景 / 新野 安
あいどるたちのいるところ アイドルと空間・場所・移動 / 岡本 健
■アイドルアニメの現在地
アイドルアニメガイド

菱田・西・依田座談会、筒井論文、泉論文、ミト・さやわか対談、大橋インタビュー、安田論文、柴田論文、佐倉論文、新野論文、並びにアイドルアニメガイドのSideM記事あたりが、よかった、面白かった記事

KING OF PRISM by PrettyRhythm』という奇跡 プリズムスタァのきらめきを追いかけて / 菱田正和×西 浩子×依田 健 司会・構成=上田麻由子

プリティーリズムシリーズの監督、エイベックスのプロデューサー、タツノコのプロデューサーという3名。
3人のアイドル観へと切り込む座談会となっており、ヒロ様について話しているところで触れられる、みんなに愛されることと1人に愛されることがトレードオフになっているくだりは、だよなーと思うところがある。
アイドルマスターというゲームは、多くの人に愛されるトップアイドルを目指すゲームであるわけだが、それと同時にアイドルとプロデューサーが、ある種の親密な関係を結んでいくストーリーでもある。しかし、その中にあって、メインヒロインとされる天海春香だけは、ベストエンディングにおいてプロデューサーからふられるのである。「普通の女の子」である天海春香が、アイドルならざるをえない構造がここにはある。
まあ、単に自分が、失恋を描く作品が好きってだけの話かもしれないんだけど、その意味で、プリティーリズムシリーズはやはりよくて、ディアマイのソミンだとか、レインボーライブのなるやヒロだとか、失恋がきっちりと描かれている。
座談会に話を戻すと、他に世代の話とかアイドルではなくスタァだとかの話が、読めて面白かった。
「非日常な展開はたまにでいい」とか

虹の先を越えてゆくために 『KING OF PRISM by PrettyRhythm』における四次元の想像力 / 上田麻由子

ジャニーズには属せない男性アイドルとしての男性声優、というあたりはやはり気になる論点
男子プリズムスタァと光GENJIとの比較も面白い。
加えて、応援上映2.5次元演劇の体験の違いについてなど

生の肯定としての「み〜んなアイドル」 『プリティーリズム』から『プリパラ』へ /筒井晴香

プリパラのキャラクターのあり方(特にレオナやあろみか)から、猥雑な生の肯定を見て取り、そしてまたそれが『プリティーリズム』から継承されてきたものだと論じる。
ある時期から、プリパラを全然見れてなくて、今も見てないんだけども、確かに、みれぇのエピソードやレオナのエピソードはいい話だったよなあと思い返し、
「「プリズムスタァの物語」から「アイドルアニメ」へと変わった『プリパラ』は、しかし『プリリズ』の根幹を引き継いでいる。」という結論に、ちょっと蒙を啓かれた思い・

アイドルアニメは【コンテンツ】ではない。 / 綾奈ゆにこ

アニメ脚本家として、アイカツやろこどる、シンデレラを振り返る。
SKE48中西優香の「推し」である経験が、アイカツの脚本にも反映されたとか。
また、キンプリへの想いも。

ストリートの矜持 / 増田俊樹 聞き手=編集部

メールインタビューなので短め

踊れ、歌え、闘え / 武内駿輔 聞き手=編集部

坂本龍一中田ヤスタカが好きで、でも、YMOのPVを見たときは「これが昔のPV」「はぁ~」ってなったというあたりが面白かったw

ジャンプじゃなくて別の世界線をを作ってしまうというのが、普通の作品だったら成り立たなそうなことだと思うんですけど、『キンプリ』だから成立して見える。

みんな言ってるように、武内くんはとてもしっかりした受け答えをしていたすごいのだけれど、時折それが大仰にすぎるように感じることもあって、気になったりもしていたのだけれど、一番最後の部分で、アレクと「どうお前を表現すれば納得してくれるんだよ!」とか「俺、そんなこと思ってねぇよ、そうじゃねえだろ!」とかみたいなバトルをしていきたいですと語っている部分は、熱さがあってよかった。

アイドルアニメと美少女の表現史 一九八〇—二〇一〇年代 / 泉 信行

マンガやアニメにおいて「美少女」をどのように描くか
つまり、美少女とは物語世界内でも美少女なのか、世界の外から見ている我々から見て美少女なのか
それぞれどのように描かれるのか(線の書き方、情報量などから)
少女マンガから表現史を書き起こしている。
物語世界の中でも現実世界(物語世界の外)でも、美少女であるものとしての、アイドルアニメ(物語世界内の視線と我々の視線が一致する)
氷上スミレがいかに美少女かという話も。髪型と輪郭の関係から論じているが、「和久井優の声の演技が「すごく美人」という設定の説得力を高めている」と声にも言及されているのがよかった。

きらきらの向こう側 男性アイドルとヒーローの結節点 / 須川亜紀子

男性アイドルものと、ヒーローものを、「見る/見られる」という関係からあわせて論じる。
具体的には、『少年ハリウッド』『TIGER & BUNNY』『サムライフラメンコ』について

「萌え」が死に、「アイドル」が生まれる 受容と環境の変化 / 想田 充

近年のアニメ史を概観し、代表的なアイドルアニメの特徴をまとめたうえで、アニメコンテンツの継続性を支える戦略として「萌え」から「アイドル」への変遷があるととらえる。
「萌え」とは、属性による美少女キャラクターの表現の拡張/原作のアニメ化までに時間がかかり、また原作自体も展開が長期間にわたって続いた。
「アイドルアニメ」は、音楽やライブの展開によって、長期間の継続性を確保している。

キャラクターの歌声と音楽の場所 アイドル‐ゲーム‐アニメのリアリティライン / ミト×さやわか

アイマスラブライブ!アイカツ(あとちょっとだけナナシスの話題も)など、複数の作品に関わりながら、かなりいろいろな話をしていて、非常に興味深い対談
木皿P、アイマス重課金者だったの知らなかった。
上松さんの話や、ゲームを経由したことによって生まれた音楽の多様性、アイカツにおける客層の分化、みくにゃんの曲を作った時の話からのキャラソンの多層性について、若手クリエイターについてなど。

アイドルは音楽である 「芸能人はカードが命」と「SEVENTH HAVEN」から / シノハラユウキ

自分の記事なので省略

声優‐キャラ・ライブという例外状態 その条件としてのオーディエンスの情動と主体 / 川村覚文

μ'sとWUGから、声優とキャラクターの関係について
声優とキャラクターの身体が一致していく、2つの身体をもつ、ということをμ'sのライブから論じている。
この論自体は、まあこれでいいのだけど、やはりこのテーマだとアイマス声優のことについても語りたくなるというものである。
アイマスのライブというのは、演者にとっても、観客にとっても、声優とキャラクターとのあいだを行き来するものだからである。
川村論文では、声優の身体とアニメキャラクターの身体が一致していくというのが結論となっていくが、アイマスライブの場合、キャストはむしろ、キャラクターが隣にいるという感覚を話すことが多い。ラブライブ!も「9人ではなく18人」という言葉を見ると、そういう感覚もあるのかな、とは思うのだが、μ'sが実在するかのようなステージを目指す方向性から考えると、隣にいるというよりは一致に向かうのかなと思う。4thライブで内田彩が地毛を脱色してまで行った南ことりの髪型再現などにも見られるように。
これに対して、アイマスライブはそもそもキャラクターをステージ上に再現するという方向性を実はあまり持っていない。どれくらいキャラクターに寄せて歌うか、あるいは声優本人に近い状態で歌うかは、キャストによって異なっている。城ヶ崎美嘉を演じる佳村はるかは、ギャルである美嘉にあわせて、ギャル風の髪型を試みたが、スタッフ側から制止されている。このことからも分かるように、スタッフ側はあくまでも声優のライブであるというスタンスを持っている。また、見る側も基本的には声優を見に行っているのであり、声をかける際もキャラクターの名前ではなく声優の名前を呼ぶのが一般的である(ちなみにこれはラブライブ!でも同様)。
この論文で論じられているキャラクター本人の身体とキャスト本人の身体が一致する、という事態は、キャラクターがアニメキャラクターだと不思議な出来事のような感じがするが、そもそも普通の役者であれば、それが普通のことであって、声しか一致していない声優の方が、役者としては特殊な部類だろう。
アイマスに限らず(そしてラブライブも含め)声優ライブというのは、その点、普通の舞台とは異なるだろう。彼女らは、○○役として舞台上にあがるが、必ずしも舞台上でその○○になるわけではないのだから。
千早を演じる今井麻美など、憑依型と呼ばれているが、しかし本人に言わせると、千早になっているというよりは千早がすぐ近くにいるという感覚らしい。
今井麻美が「ステージで歌う千早」を演じる、のではなく、千早役の今井麻美として千早の歌をステージ上で歌う、のである。しかし、複雑なのは、単なる今井麻美として、ではなく、千早役としてという限定がかかるところだろう。キャラクターとして歌いつつ、かといってキャラクターそのものになりきるわけではない。キャラクターを演じつつも、自分がキャラクターになるわけではなく、キャラクターが自分の隣にいるという感覚が一体どのようなものであるのか、アイマス声優の話を聞くと、今井麻美に限らずよく出てくる話なのだが、声優ではない身には想像しがたい、なかなか複雑な状況のように思えてならない。
その点、声優ライブは、広い意味での2.5次元とは言えても、2.5次元舞台・ミュージカルとはいささか異なるイベントであるだろう。
長々と語ってしまった。
川村論文の主旨自体に異論はないし、また限られた誌面において、μ'sとWUGに絞るというのも理解できるし、必要十分である気もするけど、アイマスはこの手の事例に事欠かないし、ライブに熱心に通うPに話をふったら、まあ3日間くらいは話し続けるだろうってなとこなのでw

“笑顔”のアイドル活動 / 大橋彩香 聞き手=編集部

デレマスの島村卯月アイカツの紫吹蘭、アイスタの香澄夜空と多くのアイドル役を演じているはっしーだが、演ずるキャラクターについてではなく、より一般的に、はっしーにとってのアイドルについて聞いていくインタビュー。他の媒体ではなかなか聞けなさそうな話題だったのではないかと思う。
乙女ゲームの話もしたりしてるw
はっしー理想のアイドルアニメについても話してるのが面白い。

個人競争主義的アイドルとチーム団結主義的アイドル AKB48に共鳴/対峙する二次元カルチャー / 中尾 暁

個人競争主義的なAKB48的なアイドル観と、チーム団結主義的なももクロ的なアイドル観とが、アイドルアニメにおいてどのように描かれているか。
まさにこの二つのアイドル観の対立を描く『WUG』
初期の展開は個人競争主義的でありながら、アニメ化、特に2期以降はチーム団結主義的となっていった『ラブライブ!
アニマスではチーム団結主義的であったが、シンデレラでは個人競争主義的な『アイドルマスター

スクールアイドルの輝きの向こう側へ 『けいおん!』から読む『ラブライブ!』 / 高瀬 司

「ここではない・どこか(夢)」と「いま・ここ(日常)」とを等号で結ぶ、劇場版『けいおん!』と劇場版『ラブライブ!

女性アイドルの「ホモソーシャルな欲望」 『アイカツ!』『ラブライブ!』の女同士の絆 / 安田洋祐

いわゆる「百合」的なものを非性的なものとしてとらえる
同性愛的な形象を、実質的な裏付けのない可能態であるとして、それを現実態にするのは想像力の領域に限られる、とする。
何が、同性愛を可能態に押しとどめるのか
男性ホモソーシャルではそれがホモフォビアであるのに対して、女性アイドルアニメにおいては、それは絆を守るためであると論じている。性愛が独占を伴うのに対して、それを押しとどめることで共同体を維持している、と。
twitter上では、男性ホモソーシャルと女性ホモソーシャルを質的に区別するには議論が不十分だという批判が出ていたり、また百合オタクの使う「ホモソーシャル」という言葉が、セジウィックのいう「ホモソーシャル」とは含意するところが違っていることを論じているものだという指摘もあったりして、この論をどのように位置付ければよいのか、ジェンダー論に疎い身としてはよくわからないところもあるのだけど、なんとなく、なかなかクリティカルなところを指摘しようとしている論なのではないのかなーという感覚は受けた。

「変身」の変容史 アイドルにならなかった森沢優と、多重に変身し「女の子」を攪乱する『プリパラ』のアイドルたち / 柴田英里

クリィミーマミ』と『プリリズ』『アイカツ』『プリパラ』を比較して、「変身」の意味の変遷を問う
自己の理想化としてだけでなく、他者(つまり男性)からの理想像も孕み、最終的に異性愛中心主義へと回収されていく前者に対して、適切な女性性を審判する他者が存在せず、女性性的なものを能動的に獲得していく後者、また特にプリパラにおける、性別二元論・異性愛中心主義へのかく乱
自分も「変身」というワードを使って論を書きつつも、こういう観点を普通にスルーしていたので、読んでいてちょっとドキリとしたところでもある。

語尾に芸術家や美術に関連するものの名前をつけるという独創的すぎる話法によってほとんど日本語として何を言っているのかわからないレベルの言語を操り、ライブパフォーマンスはほぼガニ股という、「アイドルらしさ」や「女性らしさ」を壊し続ける黄木あじみといった攪乱者

声に出して読みたい日本語。


ところで、女性アイドルのガニ股ダンスは確かに最初に見ると衝撃だけど、実際のところ、もう結構な伝統がありそう。誰が最初かとかは知らないけど、ももクロがぱっと思い浮かぶし、i☆Risもやってるし。
ただまあ、それでも、あじみ先生のはまたその中でも群を抜いているような感じもするけど。
そしてまた、それを完全再現している上田麗奈という存在……

すべてがどこかにつながっている / 鈴木みのり 聞き手・構成=飯田一史

ここから、マクロス小特集
マクロスΔのヒロインを演じる声優へのインタビュー

アイドルアニメとしてのマクロス なんのために、どんな想いで歌うの? / 飯田一史

マクロスシリーズについて、「どんなアイドルか」「リアル連動」「歌の役割」という観点別に、各作品を紹介してくれる記事
マクロス全然触れてきていないので、普通にありがたい

マクロスΔ』の三位一体とケアの倫理の可能性 / 佐倉智美

キャロル・ギリガンが、「男性的な」「正義の倫理」に対して提示した「女性的な」「ケアの倫理」を見出していく。
プリキュアを間に置くことで、戦隊ヒーローやウルトラマンなどにも「ケアの倫理」がみられるようになっていることにも注意を促しつつ、ロボットアニメ、アイドルアニメ、プリキュアといった各ジャンルの三位一体として『マクロスΔ』を見ている。
ところで、節のタイトルが、「マクロスはロボットアニメである」「マクロスはアイドルアニメである」「アイドルアニメはマクロスである」「アイドルアニメはプリキュアである」「プリキュアマクロスである」「マクロスプリキュアである」となっているのだけど、最後の「プリキュアマクロスである」と「マクロスプリキュアである」は逆では? と思ったのだがどうだろうか。
あるいは、「プリキュアマクロスである」の節は微妙に「プリキュアマクロスである」にはなっていない。ただし、論全体としては特に破たんなく進んでいるところでもあり、ここは節タイトルをすべてそろえてるためにこうした箇所なんだとは思う。

アイドルはアニメを照射できるか / 香月孝史

二次元アイドルが三次元アイドルへの「批評性」を持っているものとして、うたプリtwitterアカウントだったり、ラブライブ!の総選挙、キンプリの応援など、三次元の性質を取り込んだものを紹介したのち、では、三次元アイドルの側が二次元の要素を取り込み、二次元の性質を照射するような「批評性」を持ち得ることはあるのか、と問う。
具体例として、乃木坂46が演じた『じょしらく』の舞台を取り上げている。

二・五次元作品としての『AKB0048』 / 小林 翔

AKB0048』が、AKB48の声優選抜、つまりは声優としては素人に近いメンバーを起用したことによって、「声のデータベース」を裏切る2.5次元のリアリティーを生んだのではないかという論

アイドル、スター、そして都市 『サクラ大戦』から見える風景 / 新野 安

キャラクターの設定とそれを演じる声優の実力との落差に、アイドル性を見出す。
また、アイドルの地域性についても。

あいどるたちのいるところ アイドルと空間・場所・移動 / 岡本 健

聖地巡礼を研究している観光学者による論で、現実空間、情報空間、虚構空間と筆者が名づける各空間が近年のARやVRを駆使したゲーム等において、どのように重ねあわされているか論じているもの。
話の枕に、アイドルアニメに触れていないこともないが、実質的にはアイドルアニメ論ではない。

アイドルアニメガイド

アイドルマスター」「アイドルマスターシンデレラガールズ」「アイドルマスターSideM」「ラブライブ!」「アイカツ!」「アイカツスターズ!」「AKB0048」「WHITE ALBUM2」「Wake Up, Girls!」「普通の女子高生が【ろこどる】やってみた。」「プリティーリズム」「プリパラ」「うたの☆プリンスさまっ♪」「少年ハリウッド」「男性アイドルアニメ概況」「アプリゲーム」という項目立てで、各作品について簡単な紹介。
ちなみに自分は、「アイドルマスター」「アイドルマスターシンデレラガールズ」「アイカツ!」「少年ハリウッド」「アプリゲーム」について担当した。