石川博品によるアイドル小説
アイドルというか、むしろ青春バンド小説って感じだったりする、バンドは出てないが。
アイドルというよりインディーズバンドっぽいんだ、雰囲気が。まあ、もしかしたら地下アイドルの雰囲気なのかもしれないけど、「地下アイドルというアイドルはいない」ので。
男主人公・吉貞摩真(なずま)と女主人公・尾張下火(あこ)のそれぞれの視点で書かれた章が交互に進む。
なずまは、高校入学を気に学生寮で暮らし始めるが、そこでかつての幼馴染である津守国速と再会する。国速は、アイドルオタクでなおかつ自作曲をアイドルへ提供していた。
そして、何よりこの学生寮はアイドルばかりが入寮しており、男は国速となずまだけなのである。といって、何かハーレム的な展開やラッキースケベがあるわけではなく、ただただ、先輩のパシリとして使われるだけなのだが。
なずまは、音楽が図形のようなものとして視覚化されて見えるという体質で、音楽が聞こえてくるたび、自分にしか見えない物体に襲われる。このため、中学校では変人扱いされ、巷区から沖津区へ、自分を知っている人がいない高校へと進学していた。
音楽を避けているため、芸能関係にも疎くなずまは知らなかったのだが、この沖津区(中野区がモデル)は、アイドルが非常に盛んなのである。
この世界では、全国でヒットしているアイドルとしてLEDというアイドルグループがいる。これはAKB48なアイドルである。
これに対して、沖津区のアイドル及びアイドルファンたちは、アンチLEDであり、「LEDのメンバー及びファンを見たら殺せ!」と叫ぶほどのアンチである(沖津サンプラザでLED系グループのライブをやっていたりするが)。
沖津区アイドルは、小さいライブハウスで活動しており、基本的に高校時代だけで、またパフォーマンスもかなり過激である(ライブ中、客を殴りまくるアイドルとかがいる)。なので、地下アイドル的でもあるし、スクールアイドル的でもあるし、そしてまた、アイドルというよりは、軽音部*1・インディーズバンド的な雰囲気でもある。
なずまは、いきなり沖津区トップアイドルであり、同じ学生寮に住んでいる「世界」*2のライブにつれていかれる。体質のせいもあり、戸惑うばかりだが、アイドルのマネージャーになると、ライブを聞かなくてもよいということを聞いて、急遽アイドルのマネージャーになることを決意する。
一方の下火は、やはり高校1年で、なずまと同じ学生寮に入ってきたところである。下火は、チョコばかり食べ、無愛想、無口でアイドルに対してもさほど興味がなさそうな雰囲気である。
下火視点の章になるとわかるのだが、彼女は心の中では饒舌で、なおかつドルオタでもあり、ドルオタ的視点から周囲の出来事にツッコミを入れている、心の中で。
下火視点の章は、石川博品的な雰囲気が結構出ているところで、かなり楽しい。
彼女は、クラスメートで美少女の、飽浦グンダリアーシャ明奈に誘われて、アイドルをやるようになる。
ほとんどしゃべらないのでバレていないが、LEDオタである。
この話の面白いところの一つとして、なずまの音楽が見える能力も、下火が内心では結構よくしゃべっていることも、他の人から知られぬまま終わる、というところがあるかもしれない。
なずまは、明奈と下火が、明奈の妹の誕生日パーティで、アイドルとして初めて歌って踊るところに居合わせる。そして、そこで初めて、音楽の美しさに文字通り目を奪われることになる。もともと、下火のことを気にいしていたなずまだが、ここで下火というアイドルのファンとなる。
うつくしい光は、うつくしいというだけで正しかった。
イラストで見るとわかるが、なずまの見えているものが、アイカツ!のアイドルオーラ的。
そして、プロデューサー・国速、マネージャー・なずまが率いる(?)、明奈と下火によるアイドルユニット「メロリリ」は、ポスト世界と評判の「DIE!DIE!ORANGE!」と対バンすることになる。
アイドルやりたきゃ、いまやれ! 早くやれ! うまくなるのを待ってないでやれ!
世界のリーダー、百合香が自分のライブに来た新入生に向けて言った言葉である。
ここに、本作のアイドル観が表れてる。
この作品には、二つのアイドル観の対峙があり、そのうちの一つが特に称揚される物語である。
つまり、LED的なプロのアイドルと、沖津区アイドルである。
下火は、実は、かつてLEDの研修生となっていたのだが、父親の死をきっかけに、アイドルを目指すことをやめて沖津区へと来ていた。
彼女にとって、アイドルとは何より「選ばれる」ことであった。「選ばれる」ことの喜びや責任、難しさを背負っていた、と思っていた。
しかし、そうではなく、「自分でアイドルになる」ことによって、アイドルになるのだ、ということに気付く。
アイドルとは何か
様々な答えがありうるが、メロリリは、それは自分でなるものだ、と明快に告げる。
下火がその答えを見つけるライブシーンには快哉を叫びたくなった。
国速の物語も絡み合って、ライブシーンの歌詞が光る。
あえて、難点をいうならば、LED的なものは完全に阻害されたままで終わるという点か
下火の母親とか悪役のままだし。