『THE IDOLM@STER 輝きの向こう側へ』

1回目見たときは、まだ感想書けないなあと思って、2回目見てきてまあ少しは書けるかな、というか、とりあえず書いておこうかと思ったので書く。
いやしかし、何か書けばいいのかねw
このブログで自分が映画や小説について書くときって、自分の感想も書くけれど、もう一方で備忘録としてあらすじなどをメモっていくという役割が結構大きいんだけど、この作品についていうと、備忘録っていってもねというところがある。
あらすじだけ書くのであれば、結構簡単なもんだし、ディテールまで追おうと思ったら、それはもうソフト化したあとに、一つ一つのシーンを見ながらでないと、みたいなところがあるw


この作品は、TVアニメシリーズの続編となっている。
アイマスというのは、ゲームが原作になっているのだが、そのゲームも無印、SP、DS、2といくつか存在していて、それぞれストーリーが異なっており、パラレルワールドということになっている。アニメは、ゲームの2に準拠してはいるのだが、やはり異なるストーリーになっている。さらに、コミック版も含めると、パラレルワールドはさらに増える。
そういう中で、劇場版は、TVアニメと同じスタッフだし当然といえば当然だけれど、TVシリーズの続編になっている。
TVシリーズTVシリーズで物語としてはきれいに完結をしていたわけで、それのさらに続編となるとそれはどういう話なのか、というのは始まる前から気になっていたところだった。
特にメインになってくるアイドルたち、春香、千早、美希はTVシリーズでそれぞれの成長をとげたわけで。
ここに劇場版は、ミリオンライブ組を投入してきた。TVシリーズで成長した765組と、これから成長をとげるであろうミリオン組という対比。
劇場版は、そういうミリオン組を投入することによって、765組にさらに伸びしろがあるところを示した。
というか、春香がさらにすごくなった。
TVシリーズで春香が出した答えを、さらに伸ばしていくとどうなるのか、ということを描いていた。


春香は、アイドルを目指す理由が何となくぼんやりしていた子で
それがTVシリーズで、みんな一緒にライブをすることに答えを見出していった。
でも、それは一方で、「みんな」がそれぞれアイドルとして人気が出てくるにつれて、どうしても叶えにくくなるものでもあって、TVシリーズの後半ではそれが衝突していき、そしてそれでもどうすればいいのか見つける話だった。
そして、劇場版の前半では、その具体的な成果として、みんなが集まる時にはしっかりスケジュール管理して集まれるようにするという形で現れていたわけだけど。
みんなで仲良くやっている今と、それが変化していく未来というのが、相対立するものではなくて、繋がっているものなのだということを改めて示したのが劇場版だった。


Pが合宿の最終日に春香に、10年後の春香はどうなっているのだろうというところがある。
個人的にこれは結構驚いたところだった。
元々ゲームのアイマスというのは、1年間という限られた時間でアイドルを育成するという舞台設定があった*1
それがここで10年後の未来の話をする。それも、芸能活動をやめているかもしれないという可能性も含めての未来。
この10年という時間は当然別の意味も持っていて、アイマスは来年で10年を迎えるわけで、作中の春香にとって10年というのは遠い未来かもしれないけれど、アイマスという作品にとっては実際に過ごしてきた時間でもある。
ゲームは同じ1年を繰り返す。2は無印の1年後になって、確かに時間経過はしたけれど、それでも春香はまだ10代で高校生だ。キャラクターは年を(なかなか)とらない。だから、10年後というも存在するかどうかわからない。一方、現実のアイマスは確かに10年が経とうとしていて、スタート時に10代だった下田麻美ももう20代後半になっている。
話が逸れた。
何が言いたかったというと、このアニマスの世界というのは、時間の進む速度は違うかもしれないけれど、現実世界と同じように時間が進んでいくのだということと、そういうその先のことも考えないといけないということ。それはつまり、変化していくということ。
真が、「合宿終わってほしくないなあ」とぼそっと呟いたように、いつまでも今までと同じような楽しい時間を続けていたいという気持ちが、多かれ少なかれ誰もが多分持っている。
でも一方で、変わっていかなければならないとも思っている。
その変化をどのように受け入れるのかということで、10年後のことを話すPは、その変化は今の積み重ねの先にあるというようなことを春香にいう。
今を楽しむことと変化を受け入れるということがは、対立していないんだということが、Pから春香に伝えられたシーンだった。


最後、まだステージを組んでいる途中のアリーナにみんなが集まって、春香が春香の「答え」をいうところ。
今の積み重ねが変化になるということを、春香なりに言い直したシーンだったと思う。
春香は志保に、目的や行き先がみんなそれぞれ違っててもいいけれど、ライブを成功させようという。
あれって、ライブという一時的な目的のために集まっている集団、つまりあくまでも仕事のための集団であって、それが終われば離れるということをも含意していると思う。
しかしもちろん、そういう「ドライ」なことを言いたいのではなくて、春香はそのライブを「みんなで」成功させることに重きを置いていて、それは「みんな」との関係によって今までの自分とこれからの自分があるからというのを言っていて、このライブだけ、この仕事だけの関係だよね、ということを言いたいわけじゃない。
ただそこでいう「みんなで」っていうのが、単に仲良しこよしの集団ってわけじゃないんだよということを暗に示していたんだと思う。
というか、志保には、春香のひたすら「みんなで」っていう姿勢は、プロ意識とはかけ離れた、仲良しこよしに見えていただろうし、美希や伊織は(無論彼女らは春香のことを分かっているけれど)それを「甘々」と称するだろう。
そして、TVシリーズで壁にぶち当たったときの春香もまた、そうだったのではないかと思う。
「プロとして上を目指す=変化していく=1人1人が別の道を歩む」ということと「みんなで一緒に」というのは、一見すると相容れないように見える。
というか、僕自身、アイマスが打ち出してくる「仲間だもんげね」とか「みんな一緒に」とかいうのがちょっと受け入れられないというか、そんなに押しつけてくるなよと思っていたりもしたんだけど
春香はあのステージ上で、その二つを結びつけてしまった。


ミリオン組にとっては
可奈のために全力ではないステージにするか、可奈を切り捨てても全力のステージにするかという対立として現れていた。
これって、TVシリーズでは、雪歩ややよいがついてこれなくなった時とよく似た構図なんだけど、まあそれはそれとして、
春香は可奈の気持ちを聞いてから、ということを頑として譲らない。
特に、ついに心を決めた春香が本当に全く譲らないことに対して、志保が絶望したような表情を見せるシーンとか、2回目見たときすごく泣けたんだけど
えーと、志保にとってすれば、全力でやりたいという気持ちを裏切られたと思ったんだろうけれど、そうではなくて、春香にとっては「全力でやる」の「全力」の中には「全員」ということが含まれていて、春香の中で上述の対立は実は全く対立ではないということ。


で、春香は可奈から、自分が本当は何をやりたいかという気持ちを引き出す。
春香はTVシリーズからずっと同じことを言っていて、人に迷惑をかけるのではないかとか、自分にはそんな能力がないのではないかというような、誰しもが陥る心配、あるいはそういう言い訳を全て取っ払って、何をやりたいかだけを大切にしよう、と。
最初の765プロのライブの時も、千早の時もそういうことを言っていた。
そして劇場版では、雪歩と伊織が同じことを口にするようになる。


やりたいと思うことをやる、みんなで一緒に楽しむ、そういうことを大事にすることで、それを積み重ねていくことでアイドルとしても上に向かう。それが「私は天海春香だから」という言葉になっていて、その先(輝きの向こう側)にある変化っていうのは、それはもう受け入れがたいものでも何でもない。
春香は本当になんで全くそんなに強くなってしまったんだろうか!


ゲームだと春香はPのことがすごく好きな女の子で、でもその思いが叶えられることはなくて、では春香っていうのはどうあったら個人としてもアイドルとしても幸福になれるのかというのは、春香Pにとっては誰もが考えることだと思うのだけど、あー、春香というのはこんなにもとてつもない形でそれを叶えることができてしまう子だったのか、と。
恋愛という意味では、アニメでもまあ叶わないだろうと言っていいと思うんだけど(面白いなと思うのは、美希もまた失恋しているところか)
TVシリーズも決して悪くなかったけど、自分の中でどこかでひっかかっている点があって、あまりにも春香は春香1人だけで問題を解決したところがある。
劇場版は、そこからさらに先にいくことができたんじゃないかと思って、すごいな、と。
可奈から憧れられている存在になったことと、そしてその可奈から「天海先輩ほど強くないんです」と言われてしまったこととかが効いてるんだよな、多分。


段々訳分からなくなってきたけど、
劇場版の春香の答えは、「みんな一緒に、いつまでも、どこまでも」ということは「変化していくこと」「輝きの向こう側へ」行くことと繋がっていることであって、だからこそ、変化や未来を恐れることなく受け入れることができるんだよってことだったのではないかと。
で、これがアイマスのメッセージだとすると、やっぱり避けては通れないのが、代替わりの話題だろう、と。
代替わりするかどうかなんて分からないし、じゃあせーので全員変えますよとかはやらないと思うし、やってもうまくいかないだろうけど、10周年が何かの区切りになるのではないだろうか、ミリオン組への世代交代は狙っているのではないだろうか、というのはアイマス界隈では何となくみんながぼそぼそと噂したり何だりしている話題ではある。
アイマスは今までにも、公式から様々な変化を被ってきて、その度にP達が悲鳴をあげてというのを繰り返してきていて、だから「仲間だもんげ」とかもまあ皮肉めいて使われることもあり
この映画を見る上で、そういう経緯を踏まえなくても別にいいんだけど、踏まえた上でも、やっぱり春香はすごいなあって思ってしまう。


うーん
ここまでとにかく、春香ってすごいよね、春香ってすごいよねということしか書いてないんだけど、それだけで既にこんな分量になってしまっていて、我ながら「しまった」とか思っているのだけど、とりあえずきりもいいし、疲れてきたのでいったんここで切る。
でも、劇場版のよかったとこ、面白かったとこ、コメントしたいとこは春香だけじゃなくて、他にも色々あんだよーうあーってはなってるw
そういえば、1回目より2回目の方が泣いたし、1回目はマイナスな意味で気になってたところが、2回目はあまり気にならなくなっていたなあ。
あと、ここで書いた内容(「今」と「変化」の話)は全部、2回目見ての感想で、1回目は把握できてなくて、春香はなんかすごくなってしまったけど一体何が変わって何が変わってないんだって混乱していた、と思う。


1回目見終わった後に別の箇所でメモっていたことも、はっておこう

アイマス劇場版について、感想として書かなきゃいけないことは色々あるんだけど、とりあえず一つだけ書いておくと、最後のライブシーンがすごかった
それはあまりにも、実際に行われた7thライブだったということで
横浜アリーナの外観も、ステージや花道の作りも、7thライブそのままで、アニメと現実が一体化してしまう映像となっていた。
映画のライブシーンが7thライブというのは、公開前から監督が話していたことです。
TVシリーズ放映後に行われた、7thライブを監督が見て、7thライブではアイマスでは初めて(そして今のところ唯一)、バックダンサーをいれたライブで、新作のアニメについてはこれを使おうと思った、という話をしています。
で、ミリオンライブというアイマスのソシャゲに出てくるキャラが、ライブでバックダンサーをやることになったというストーリーになってるわけです。


それにしても、7thライブの会場になった横浜アリーナがそのまま出てくる、という、そのまま7thという感じのものでした
もっとも、TVシリーズでも、過去にアイマスがライブを行った会場がそのまま出てきたりしています。


京アニを初めとして、近年のアニメでは、ロケハンして実在する場所をそのままアニメでも描くことで、アニメ世界に独特のリアリティをもたらすという手法は多くとられているところで、それこそ聖地巡礼とかになっているわけですけど
アイマスのアニメについても、TVシリーズ・劇場版どちらも実在する土地が登場していて、TVシリーズの時も、そして今回の劇場版についても、順調にPたちが舞台になった場所の特定にいそしんでいますw


ただ、実際に行われたライブ会場で、アニメでもライブが行われるというのは、それ以上に、現実とアニメの融合を感じさせるもので
これは、アイマスのキャラを演じてる声優さんたちも時折話していることで、「まるで、自分たちの活動がアニメになったようで、またアニメを自分たちが再現している」と。
つまり、アイマスのこれまでの活動→TVシリーズ→7thライブ→劇場版みたいな連なりがあるわけです。


ここまで、7thそのまま、そのままと連呼してきましたが、正確には文字通りそのままというわけではないです。
当然、アニメの物語の中でのライブなので、バックダンサーはミリオンライブの子たちだし、やっている曲も新曲です。
それとすごかったのはカメラワークで、実際のライブだったら絶対にできない。フィクションだからこそできるカメラワークがなされている。
その意味では初めて見るライブ映像なんですが、一方で、7thの花道だ、7thのあの演出だとかなるわけです。


あと、個人的な話になりますが、7thは僕が初めて参加したアイマスライブなので、その点での思い入れ、思い出補正、というか思い出ボム炸裂は当然あります。
なので、アニメ映像見てるのに、「あ、俺あのあたりにいるな」とか思っちゃうわけです
これ改めて振り返ると意味不明ですけど、見ていて自然に「いや、これアニメだけど、でもあそこに俺いるはず」と思ってました。


アイマス劇場版のライブシーンは、この上ないご褒美であったことだなあ、という話です。

追記(2/17)

kamikusaが「ムビマスで春香は初めてきちんと救われているんだと思う」https://twitter.com/kkamikusa/status/433927256566546432
と言っていたのを受けて、もうちょっと書いてみようかなと思った。
自分で「可奈から憧れられている存在になったことと、そしてその可奈から「天海先輩ほど強くないんです」と言われてしまったこととかが効いてるんだよな、多分。」と書きつつ、あまりこれについて書けてなかったし。
可奈については見てて「その手があったか」って思ったところだった。
春香の救いとは何か。
春香の面白いところ(?)というのは、無印のトゥルーエンドで彼女だけ何故かPに振られてしまうところにある。トゥルーエンドのはずなのに、彼女の恋は実らずに終わる。
そうでなくとも、春香というのはよく分からないキャラで、他のアイドルたちが何かしらアイドルになろうとする理由があるなかで*2、いまいちはっきりしないキャラなのである。
春香が何か成長をとげるとして、その時それのきっかけになるのは誰なのだろうかということを考えたときに、それはどうもPではないらしい。
アニマスにおいて、千早のエピソードで重要な役割を果たしたのは春香であったが、春香のエピソードで千早が同じ役割を果たしたか、といえばそうではない。
千早は確かに春香のために奮闘したが、あれは春香が戻れる場所を作ったのであって、春香自身に働きかけていたわけではない。アニマスの春香エピソードで、春香をすくい上げたのは春香自身だった。
というようなことは、アニメ見た直後に何か書き散らしていた。
http://twilog.org/sakstyle/date-111216
春香に声をかけられるのは、Pでもなく同じアイドルでもない。当時の自分は小鳥に期待していたみたいだけど、小鳥でもなかった。
それで、状況としては違うのだけど、そういうポジションに立ちうるのは、後輩だったのかという驚きがムビマスにはあった。
だから、ミリオンがいることには意味があったんだと思う。
春香は、歌のお姉さんへの憧れからアイドルになった。そして、可奈は春香に憧れてアイドルへの道を目指している。春香にとって、可奈はある意味で自分と鏡写しの存在だ。
だからこそ春香は、可奈に諦めてほしくないのであり、可奈が諦めていないことを信じている。可奈が再びステージに立つということは、春香にとっても自らを肯定することになっている。


まあそれはそれとして、準備中のステージに行ってみるシーンで、星梨花が可奈に駆け寄るところ泣けるよねー
そういうミリオン内部のドラマというのも気になる

*1:実を言うと僕はゲームをやっていないという、Pの風上にも置けないやつであり、ゲーム版の話をする資格などあったもんではないのだけど、やはりどうしてもこのことを想起してしまうので書かせてもらう

*2:亜美真美もアイドルになる「理由」はあまりよく知らないけど